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ワイが文章をちょっと詳しく評価する![83]

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0001ぷっぎゃあー!
垢版 |
2018/01/07(日) 20:22:20.77ID:elt3Z3qs
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点数の意味
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40点〜59点 物語性のある読み物!
60点〜69点 書き慣れた頃に当たる壁!
70点〜79点 小説として読める!
80点〜89点 高い完成度を誇る!
90点〜99点 未知の領域!
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0535相模の国の人
垢版 |
2018/01/27(土) 22:37:27.68ID:rmf8ev8r
長篠城の戦い 試案
寒挟川と大野川の合流する断崖の上に築かれた長篠城が川岸から望見できた。
 川を背に天然の要害を形成している点では西上作戦で攻め落とした二俣城に似ている。
 切り立った断崖は高さ三十間以上はあろう。
 東西に三十三町、南北二十五町の広さがある。
 二つの川が合流する地点の流れは非常に激しい。
 川幅も五町はある。
 土塀や板塀を巡らし、井楼も各所に建てられている。
 渡河して城に近づこうものなら雨霰と矢玉が浴びせかけられるのは必定であった。
 寒狭川側には服部曲輪、弾正曲輪、本丸が見えた。
 一方、大野川側には瓢丸、巴曲輪、帯曲輪、野牛曲輪が見える。
 城兵の動きも慌ただしい。
 四郎様は手勢一万五千を次の如く布陣させた。
 長篠城北方十町の距離にある医王寺山に四郎様の本陣を置き手勢三千。
 医王寺山の後方に甘利信康、小山田信茂以下二千、城から北方五町北の大通寺山に武田信豊、馬場信春、小山田昌行以下二千、
 その西北に一条信龍、真田信綱、土屋昌次以下二千五百、同西北にある瀧川に内藤昌豊、小幡信貞以下二千、その南方にある
 滋場野に武田信廉、穴山信君、原昌胤以下千五百、鳶ヶ巣山砦に武田信実以下一千、寒狭川の対岸、有海に総予備として某が主である山県昌景と源助の嫡子である高坂昌澄以下一千が城を取り囲んだ。
 五月十一日、夜明けとともに、城攻めが開始された。
 大通寺山から武田信豊、馬場信春、小山田昌行率いる二千の手勢が瓢丸に向かって、竹束を横一線にして押し出してきた。
 その様子が我が陣所の小高い丘からも望見できた。
 それに呼応する様に、瀧川の内藤昌豊、小幡信貞以下二千が竹束を一線に押し立てて服部曲輪に迫った。
 凄まじい鉄砲の撃ち合いが始まり、城の外郭では硝煙の黒い煙が勢いよく立ち上り、その臭いが風に乗って漂ってくる。
 鉄砲の轟音は五町離れた拙者の陣所にも響き渡った。
 その筒音はまるで梅雨の季節に鳴り響く雷を彷彿とさせた。
「凄まじい筒音じゃ」
 拙者が呟いた。
「兄者、これ程の鉄砲が使われるという事は戦も変わっていくのか」
「んだな。太刀や槍の出番は少なくなるやもしれん」
 拙者は太刀打ちの機会が少なると思うと、一抹の寂しさを覚えた。
 だが、野戦に於いては未だ、太刀打ちの機会があるであろうと気を取り直した。
 この日は両軍とも凄まじい撃ちあいに終始した。
 瓢丸の攻防では一部では両軍入り乱れ太刀打ちに及んだ。
0536相模の国の人
垢版 |
2018/01/27(土) 22:37:56.25ID:rmf8ev8r
だが、双方とも多少の討ち死、手負いを出したのみであった。
 後に城将を勤めた奥平殿に聞き及んだ所によれば、守兵は五百、鉄砲の数は三百であったという。
 此方も鉄砲の数は七百余り、斯様な日雷を思わせる撃ち合いは初めてである。
 昼夜を問わず城に近づき間断なく鉄砲を撃ち掛けた。
 城方も激しく撃ち返す。
 この音で夜も眠れず、疲労は溜まる一方であった。
 川で水浴びをしたいが、城方の鉄砲が脅威であり、我慢せねばならず陣中では饐えた臭いが鼻を突く。
 夏の熱さと藪蚊も不愉快さに拍車をかける。
 寒狭川の対岸に布陣している我々には攻撃の下知はない。
 城方は狭い中で轟く筒音に悩まされ、兵粮の心配をしなければならず、その点は此方が優位である。
 十三日には瓢丸、服部曲輪を奪取し、着実に本丸に近づきつつあった。
 翌日も鉄砲を撃ち掛けながら前進し、城から出て来た城兵と槍を突き合わせたが、数に勝る我が軍は敵を圧倒し、服部曲輪、三の丸を
奪い取った。
 残るは帯曲輪、野牛曲輪、本丸のみである。
 我が方の猛烈な鉄砲の撃ち掛けで、本丸、帯曲輪、野牛曲輪の板塀、土塀は穴だらけであり、紙の破れた障子を彷彿とさせた。
 上手くいけば、あと数日で城は落ちるだろう。
 不満なのは太刀打ちが出来ない事、不快な暑さだ。
 味方の攻める姿を見る度に切歯扼腕の思いになる。
 五月十六日陣所に磔柱が持ち込まれた。
 身近の者に聞いてみる。
「この磔柱は何に使う」
「これに敵の間者を張り付けて、味方の援軍が来ないと大声で叫ばせるのだそうだ」
「そうか」
 続いて、荒縄で後ろ手に縛られた小男が護送の兵二人に付き添われ、磔柱の前にやって来た。
 小男は褌一丁姿である。
 月代に童髪で無精髭が目立ち、眉毛は薄いが目は大きく仁王を思わせた。
 頬は興奮しているのか、上気して仄かに赤い。
 地面に置かれた磔柱の上に小男が大の字に寝かされ、手足を縛られている様子が見える。
 矢張り、命は惜しい、此奴にも嫁や童が居よう、無理もない。
 拙者は憐憫の情を抱かずには居られなかった。
 磔柱を十人掛かりで起し上げ、据えられた。
 城からは対岸に据えられた磔柱が良く見えるであろう。
 もし、援軍が来ないと知れば城方の士気は一気に下がり、戦う気力も無くなるだろう。
 磔柱の下にいる兵から何やら促されると、小男は大きく頷いた。
「数日以内に、援軍が必ずやって来る! それまでの辛抱じゃ! それまで持ち堪えてくれ! 望みは捨てる勿れ!」
 大地を揺るがす様な大音声で叫んだ。
命を賭した魂の叫びだ!
その刹那、城から鯨波の如き声が巻き起こった。
0537相模の国の人
垢版 |
2018/01/27(土) 22:38:19.89ID:rmf8ev8r
拙者は驚いた。
 斯様な事を叫べば間違いなく殺されるにも拘らず、己の命を捨ててまで城兵を励ました小男に尊崇の念を抱いた。
 先程、拙者が小男に抱いた印象を持った事を恥ずかしく思えてきた。
 磔柱を取り囲む兵達は動揺していた。
「やってくれたのう。敵ながら天晴じゃ、儂が四郎様の下に行き沙汰をお伺いせねば、それまで丙三、お主が監視を勤めよ」
 山県様が拙者に近づいて仰せになった。
 顔の表情を察するに、山県様は心中では小男を助けたいに相違ない。
「承知仕りました」
 山県様は馬を走らせ、医王寺山に向かった。
 拙者は磔柱に赴いた。
 磔柱の上を見上げ拙者は、
「拙者は石附丙三康商と申す。貴殿の名を伺いたい!」
「某は鳥居強右衛門と申す!」
 強右衛門は頬を緩め大声で答えた。
 その顔は大役を果たし安心しきっている様にも見えた。 
 己の命よりも味方を思い遣る強右衛門の生き様に感動すら覚え、目頭が熱くなった。
「敵ながら天晴じゃ! 殺すには惜しい」
「その言葉痛み入る! 冥途の土産に致したく存じまする」
 そう言うと高笑いした。
 一人の若武者が磔柱にやってきて、
「某、落合佐平次と申す! 命を賭した魂の叫びに感服仕った! 是非、貴殿の姿を絵に留めたいが宜しいか!」
「好きにされよ」
 強右衛門は苦笑いを浮かべた。
 まだ二十歳になったばかりの佐平次は槍の腕に秀でていて、書画も嗜んでいた。
 六尺の偉丈夫で切れ長の目に細面で鼻は高く、軽輩の身分ではあるが、貴公子然した容貌故に女子には大層人気があった。
 佐平次は持って来た紙と筆を取り出し、強右衛門の姿を必死の表情を浮かべながら写し取っていた。
 それから一時余り後に山県様が帰ってきて拙者の下にやって来た。
 無言で首を左右に振った。
 恐らく助命が叶わなかったのであろう。
 山県様が磔柱に歩み寄り、見上げて叫んだ。
「強右衛門! 遺憾ではあるが、お主を磔にせねばならぬ! 何か言い遺す事はないか!」
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