>>841
植民地人の切り捨ては、不殺の話だから「想像力の欠如」の例ね
植民地圧政もマニフェスト・ディスティニー/インディアン虐殺も、利益のために
やるだけなら儲からない立場の奴が非難できるけど、キリスト教大正義がバックに
ついて正義になっちゃったらあのざまだという、正義を語るクソさの一例
(ベルギーの植民地無茶経営を非難したイギリスみたいに邪魔が入る)

正義には想像力の欠如がセットみたいな所があるという話

逆に利益を考えると、植民地人の切り捨ては銭を儲けるためだし
魔女狩りは保身のために反対している態度を見せないって態度になるんだろうね

「利益衡量」は結局、当事者や利害関係人の利益や公益を判断することだから
判断者が国家権力でなく個人であれば当然、自分と自分の利害関係人、そして
自分が大切にしたい身内や小さな社会の公益で判断することになる
判断者ごとに当然違ってくる(法律用語としてなら、法解釈者は国家の立場だけど)