グループホーム“ひだまり園”で、ひときわ大きな歓声があがった。
フロアの中央で、ふたりの男女が見事な手さばきでマジックを披露していた。若い女が右手を開くとポンッと菖蒲の花が一輪、姿をあらわした。それを、目の前で椅子に座るおばあさんに差し出すと、おばあさんは「わあっ!」という声とともにうれしそうに受け取る。
もうひとりの若い男のほうも、黒いステッキをさっと振ると、あっという間にステッキが鮮やかな柄のスカーフへと変わった。男はそのスカーフを、恭しく前に座るおばあさんの肩にかけた。おばあさんは目をきらきらとさせながら、顔を赤く上気させた。
次々とマジックが披露され、クライマックスでハンカチの中から白いハトが出たときには、グルームホームの人達の顔の輝きはまぶしいほどであった。万雷の拍手喝采である。

「本当に楽しかったです!また、よろしくお願いしますね」職員はニコニコと笑いながら、控室へとふたりを案内した。ここで衣装の着替えや、軽い休憩をとるのだ。ふたりは目が垂れるほど、顔いっぱいの笑顔を浮かべていた。
彼らは兄妹であったが、職員が去ると、兄のほうが満足そうに言葉にする。
「皆さん、素敵な笑顔をされていたね」
「ええ! 物事をお忘れになってしまうご病気らしいのだけれど、まるで子供のように喜んでくださるの。あの方々、わたし大好きよ」
「ああ、昨日うかがった幼稚園の子供達と同じ笑顔だったね」
「ほんとうに! うれしかったわ」

「ただ……」兄のほうが、浮かない顔をした。
「そうね。あの方、また窓の外から見ていらしたわね」妹のほうも、目線を少し落とす。
「僕は昨日、あの人に弟子にしてくれと頼まれたよ。もちろん、断ったけれどね」
「困ったわね……。あんなにわたし達のマジックをじっくり見られては」
ふたりは、最近イベントのたびにやって来る男のことが気になっていた。その男は彼らのマジックに惚れ込んでいるようだ。

「わたし、皆さんの笑顔をもっと見ていたいわ……。この地にまだ居たいの」
「僕も同じだよ」
そう言うと、兄が手のひらを外側に向け、さあっと振った。すると、小さな控室のなかに色とりどりの紫陽花がところせましと咲き誇った。
「見てごらん。この地には今時分はこんなに素敵な花々でいっぱいだ」
「ええ、青やピンクや白や紫、それも徐々に変化してゆく。こんなものは、わたし達の故郷にはなかったわ。美しいってこんなことをいうのね」
「でも、一番心を揺さぶられるのは……そう、笑顔だ。笑うことだよ」
「ええ。2年前、わたし達がここに来る前は、笑うということをまったく知らなかったわね」
「笑顔を見たり、自分で笑ったりしていると、なんともいえない気持ちになる。うれしいという気持ちも知らなかった。こんな思いは初めてだったよ」
ふたりは、大きく頷きあいながら、またニッコリとした。
実際、笑っていたのは非常に精巧にできた人間型アンドロイドであったが、そのなかに包まれているアンドロメダ銀河・MU−7568星人も確かに笑っていた。

ふたりの乗る宇宙探査船が故障し、地球の日本という国に秘密裡に不時着して2年。彼らは比較的安全なこの地で、量子テレポーテーションによるマジックを披露してきた。ボランティアという名目で。
最初は、人間についての情報収集が目的だったが、観客の見せる笑い顔は、ふたりの心をとらえて離さなかった。
「仲間が迎えにくるまで、3年。そのあいだにもっともっと素敵なことを知りたいわ」
母星の同志が瞬間移動や超光速航法を駆使しても、250万光年の距離を来るには地球時間であと3年はかかる。けっして、ある漫画にでてくる宇宙を旅する列車のようにはいかなったのだ。
ちなみにふたりは、膨大な地球のデータを取り込んだ際、その漫画の大ファンになってしまっていた。

「でも……。あの男性に、僕達の使う物質のテレポーテーションがバレてしまうわけにはいかない。あまり、使わないほうがよいかもしれないね」
「だったら、本物のマジックを覚えるしかないのではないかしら?」
「それが、一番いいだろうね」
そんな話を、音声ではなく特殊なテレパシーでやりとりする彼らであった。

思案顔をしていた兄だったが、「そうだっ!」と、突然生き生きと目を見開いた。
「テレビでみた、マギー司○さんの弟子にならないか?」
「ああ、あの方は素晴らしいマジシャンだわ!! そうね、そうしましょう!」
ふたりは顔を見合わせて、本当に本当にうれしそうに、はちきれそうな笑顔をうかべた。