高原の夏の夜空は澄み渡っていて、手でさわれそうなくらいに星が近い。
 わたしと勇吾は草の上に仰向けに寝転んで、二人ならんで星空を見ていた。
 昼間は見学客たちで賑わう牧場も、いまはしんと闇の中で静まり返っている。時折り遠くの牛舎から、もおーと間延びした牛のなき声が聞こえた。
 宿直担当者が宿舎に戻るのを確認してから、二人で柵を越え、忍び込んできた放牧場だった。
 月はない。本来なら、真っ暗な闇に鎖されているはずの天上の夜が、まるで川面のようにきらきらと輝き立っている。
「街にいると気づかないけどさ、星ってホントはこんなにあるんだね」
 無数の星屑に目を奪われたまま、となりの勇吾に話しかけた。
「…………」勇吾の返事はなかった。
 わたしはひじを立てて半身を起こすと、勇吾の方へ体を向けた。
 ティシャツの半袖からのぞく太い腕。それを頭のうしろで組んで枕にしている。
 わずかな星明りの下でも、短く刈り込んだ清潔な髪型や、高く通った鼻筋が、闇に薄っすらと透けている。
「今日は誘ってくれてありがとね」
「…………」勇吾はまた、なにもこたえてはくれない。
 代わりに、肌寒い高原の風が二人の間を吹き抜けていった。
 雪崩落ちるような星の群れを背景にして、雑木林の影がしずかに揺れている。
 放牧地の四方を取り囲む、笹薮の急峻な崖が思い出したように吹きあげてくる風だった。
 
 わたしが、彼、戸崎勇吾と知り合ったのは半年前。今年、大学三年になってはじめた、コンビニエンスストアでのアルバイトのシフトが一緒になったのがきっかけだった。
 毎週レジで顔を合わせているうちに、通っている大学と学年までもが同じであることが判明した。
「うそでしょ?」「マジで!」
 それから二人が付き合いはじめるのに、そう時間はかからなかった。二人きりのデートは、それはもう嬉しくて楽しくて、海でも、山でも、街中でも、勇吾といれば、すべてが夢のようだった。
 それなのに……。近頃の勇吾は明らかに変だった。メールやラインの返事が遅い。留守電に伝言を入れておいても、折り返しの電話がかかってこない。一日待たされることもざらだった。 
「なんか最近、様子がおかしいからさあ、わたし心配してたんだよねー」
 わたしはつとめて明るい声で続けた。
「まさかとは思うけど、勇吾くん、ほかに好きな人ができたなんてことないよね? そうだよね? だったら今日も、こんなロマンティックな場所に誘ってくれるわけないもんね?」
「…………」
「ねえ、ちょっと聞いてるの?」わたしは焦れて、勇吾に顔を近付けた。
「んんーっ、なにぃ? なんかいった?」口をもごもごさせながら、寝たまま背筋をそらせる勇吾。
「ちょっと、あんた、寝てたの?」
「う、うん。そうみたい。真っ暗だったんで、つい……」
「まったくもう!」わたしは、寝ぼけ声で話す勇吾の頭を、ぽかりと一発殴ろうとした。
 しかし、その時である。
「あれ? おい、あれ見ろよ!」勇吾は、わたしを突き飛ばさんとするいきおいではね起きた。
「なによ、急に」わたしも慌てて、彼が指さす方向を振り返った。
「流れ星だ」と勇吾がいった。
 長く長く銀にきらめく流線形の尾を引いて、山の稜線へとすべり落ちていく。
「きれいね」勇吾を振り向くと、すでに彼は両手を合わせ、なにかをぶつぶつお願いしている。
「あっ、ずるーい、わたしも」慌てて両手を合わせる間もなく、光線は闇に吸い込まれていった。
「残念だったなあ、せっかく、これからもずっと勇吾と一緒にいられますようにってお願いするつもりだったのにぃ。ねえねえ、勇吾はなんてお願い事したの?」
 もちろん聞かなくてもわかっている。勇吾だって、わたしとの仲が永遠に続くことを願ってくれているはずだ。
「ねえ、早く教えてよ」
「いわなきゃ、ダメかあ」勇吾は星明りに照らされて、頭をぽりぽりと掻きながらいった。
「第46回ワイスレ杯に優勝しますようにってお願いしたんだよ。傑作を投稿しようと思ってさ、毎日、徹夜。だから今日も眠くて眠くて。
君にメールを返すのも遅くなっちゃってごめんね。でも、流れ星にお願いしたから……」
 勇吾はまだ話している。けれど、わたしはもう聞いていなかった。
 気づくと勇吾に馬乗りになっていて、彼の首を思いきり締めあげていた。(了)