一人の男がある晩しこたま酒を飲んだ店からの帰り、人気の少ない線路沿いの道を歩いていた。点々と灯っている線路脇の街灯の他に、ぼんやりと揺れる灯りが見える。その男はフラフラとその灯りに引き寄せられるように歩き続けた。
近づくと、易者がひとり座っているのが見えた。白い布をかぶせた机の上に「易」と書かれた灯籠、それが遠くから見えた灯りだった。猫背の小さな易者は、黒の着物に白い頭巾を被り男とも女とも分からぬ容姿だ。

 男はこんな場所に易者がいる事に何の疑念もおきないほど酔っていた。机の前に置かれた丸いパイプ椅子にドカッと座り、左手を勢いよく机の上に広げてみせた。
「見てくれ!」
 易者は黙ったまま懐から天眼鏡を取り出し、手の上にかざし顔を近づけた。ウンウンもごもごと声にならない音が易者の口から漏れる。
 それからおもむろに「なかなかいい手相ですぞ」とギロリと目を光らせ言い放つ。その声は老婆のようにも聞こえるし、老爺の甲高い声のようにも聞こえた。
「生命線も長い。知能線と感情線がまっすぐ繋がる、マスカケ線を持っておる。それから運命線、太陽線、財産線が一点に交わってる覇王線もあるな。小指の下の金運もはっきり出ておる」
 三十も半ば過ぎだというのにコンビニのアルバイトで食いつないでる男は、酔った頭でもこの易者の言うことが全く当たってないとはっきり思った。
「へぇーそりゃ良かった。で、それはいつなんすかねー?」茶化すように聞いた。
「うむ、もうすぐじゃ、大器晩成の相。お前さんには、バラ色の未来が広がっているぞ」
 話にならない、男はチッと舌打ちして見料五百円を置いて席を立った。
「心配しなさんな、その左手を信じて生きなされ。大切にするんじゃぞ」
 男はその言葉を後ろに聞きながら、右手を上げ「はいはい」と言い歩き出した。
「ほれ、電話の忘れ物じゃ」と易者が呼ぶ。
 机の端に置いていたスマホを慌てて取りに戻る。
「そうそう、失せ物の相も出ておるから気をつけなされ」
 今度はその言葉を完全に無視し男は歩き出した。それでも少しは気になり、左手を見ながらしばらく行った。そして振り返ると、灯籠の光は無く易者も消えていた。

 男が踏切の辺りまで来ると警報器が鳴り遮断器が降りてきた。カーン、カーン。男の部屋はこの踏切の向こう側だ。何分何十分待っただろう、次第に眠気が襲ってきて、とうとう警報機の柱にもたれ掛かって寝てしまっていた。

カーン、カーン、カーン

 男の頭の中で警報が響いている、それとゴーッという音も。
 目を開け横を見るとレールが見える、自分が線路の横で寝ている事に気がついた。それと同時に上り列車が寝ている男のスレスレを通り過ぎて行った。その拍子に体が少し引きずられたが跳ね飛ばされてはいない。男はホッとして立ち上がった。
 すると遅れてきた痛みが、左手を襲った。見ると手首の上から先が無い。男は叫び声を上げる。その声に呼応するかのような、鳴り止まない警報機。激痛にフラフラとよろめく男に下り電車が突進して来た、彼はこの世を去った。

 少し離れた線路脇にさっきの易者が立っていた。足元に転がっていた男の左手を拾い、こう言った。
「おやおや、大切にしなされと言ったのに……」