>>210
使用お題:『深海』『女体化』『氷河期』『人形』+最後の一行を『強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない。』

【ベビーワイルド】


「まるで人形みたいよね」

 バーカウンターに座る女は皮肉気に口元を歪ませながらそう言った。
 葛西 恭弥は無言でギムレットを呷る。

 場末のBARは他に客など居らず、女は深酒の所為でとろんとした目をしていた。
 先程から愚痴を聞かされ続けていた恭弥は、若干うんざりとした様子で新しくギムレットを注文する。

「ねぇ、聞いてるの?」
「聞いて無い……」
「酷い人……」

 整形を繰り返して来たのだと女は言った。作り物じみて見える女の表情はその為か。
 だからこそ、彼女は自身を“人形”だと皮肉ったのだろう。

 深海の様に重い空気が辺りを支配する。
 恭弥にした所で、お気に入りのBARで、こんな気拙い思いをする事など望んではいない。
 だが、それでもカウンターに突っ伏してる女に必要以上に気を回そうとは思えなかったのだ。
 恭弥の素っ気ない態度に、女が不機嫌になる。

「こんないい女が話し掛けているのに、その態度って無いんじゃないかなぁ」

 グラスの縁をツツーっと指でなぞりながら不貞腐れた様に言う。
 最初、女に声を掛けたのは恭弥だったのは確かである。堅気とは思えない男に言い寄られ、迷惑そうにしていた女を助ける形だったか。
 それでも、普通であれば見過ごしている所だっただろう。この街では良く有る出来事だったからだ。
 だが、恭弥は妙な既視感を覚え、声を掛けてしまった。『止めとけよ、嫌がってるだろう?』咄嗟の事とは言え、チープな言葉に頭を抱えそうになったのも確かである。

 そこからは決まりきった押し問答。結局、最後にモノを言ったのは腕っぷしだった。

『今日は帰りたくないの』

 当然の様な流れで、女を住んでいるマンションに連れ帰ったのもある意味当たり前の事だろう。だが……

「ねぇ、私にばかり話させてないで、何か話してよ・・・・・・」
「……うるさいよ、少しは落ち着いて酒を飲ませろ! 幸也!!」
「その名で呼ばないで!! 今の私は園原 幸恵よ!」

 ベッドの中で、女がかつての親友だと気付いた時の恐怖はどれ程のものだったか。
 あたかも氷河期の如く、ブリザードが吹き荒れた様に心の底から凍り付いたのは確かである。
 だが、それでもこうやって酒を交わしているのは、親友が今もあの頃と同じ様な優しさを持って生きている事が嬉しかったからだろう。
 甘えたがりで、スルリと人の心に入って来るような笑みは変わらない。
 だが、かつては自分の背に隠れている事しか出来なかった親友は――――性別すら変わってしまっているが――――自分の足で立ってこの街で生きる強かさを兼ね備えていた。

 流石に色々と受入れられない部分もあるのだが……

 恭弥は、自分の態度に悪態を吐きつつも、カルーアミルクをチビチビと飲む幸恵の横顔を見ながら、それでも、この夜の街で強かに生きる彼女を見て思い出す。
 恭弥のバイブルでもある、ある探偵の物語の一節を……

 すなわち……

 『強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない。』