>>163
神視点という言葉は、使う人間によって、意味が違うような気がするな。

まず神様だから、全部知っている。全部知っているからキャラの内心まで書くことができる。
で、逆に神様だから、公平で、冷静に、偏りなく、登場人物から距離をおいている(内心は偏るので書かない)。

ま、そのへんはいちいち相手に聞くのも面倒だから「神視点=客観的視点=三人称の視点=作者視点」とざっくり捉えているが、要するに、物語の外部にいる者の視点だ。

一視点、多視点、ゼロ視点、は、登場人物の視点のこと。つまり物語の内部にいる者の視点だ。

当然、作者がいなければ小説が書けないから、神視点つまり作者視点、外部視点はベースにある。
そのうえで、登場人物視点をどうするか、という話になって、まずは一つの作品において、一視点にするか多視点にするか。

そして、視点を意識せずに書くか。

だがこれは意図して考えることではなく、つたない書き手が、書きやすいから説明文と会話文ばかりで書くと、しぜんとそうなる、という話(描写ってけっこう面倒くさいからな)。
小説家になろうというサイトでもよく見かけるだろ? べつにあの書き方を否定しているわけじゃないぞ。

三人称の小説はすべて外部視点だ。しかし、それだと芸がない。だから登場人物視点で描写することがある。
でもそれは作家(作者視点=神視点)が、その登場人物視点で書いて、読者を錯覚させているだけだ。
で、その錯覚の度合いによって、うまくやらないと、違和感が生じる。なかでも一視点は登場人物にべったりだから、剥がすことができない。

ま、ちょっと難しい話になってしまったが、こういったことが理解できれば、ゼロ視点と神視点はぜんぜん次元が違うということもわかるんじゃないかな。