去年はパワハラが問題になった年であった。
 日大のアメフト部では関西学院大学の選手に対するタックルで大騒ぎになったのが記憶に新しい。
 監督、コーチが辞任する事態にまで発展し、社会問題になった。
「やらなきゃ、意味ないんだよ!?」 
 と監督がが当該選手にタックルを強要したという。
 全くひどい話である。
 ふと、頭に私が五歳の時の思い出がよみがえった。
 私にはMくんという幼馴染がいて体格は一回り大きかった。
 力はあるしケンカも強かった。
 私もそれなりにケンカは強かったが、彼には勝てなかった。
 普段は仲が良かったのだが、ケンカして負けた事があった。
 父は私に往復ビンタを喰らわせ、
「これを持ってもう一度、やってこい!」
 と渡されたのがデッキブラシだった。
 デッキブラシをもって立ち向かったが再び負けて家に帰ると、
 今度はゲンコツを喰らった。
「オレの息子である以上、負けることは許されない。これでやってこい!」
 と渡されたのは刺身包丁だった!
 この時ばかりは、この家に生まれた己の身を呪った。
 後年、父は「可愛い息子をせんじんの谷に落としたんだよ」と笑いながら言った。
 私は試しに(千尋の谷、戦陣の谷)と紙に書き父に、
「どっちが正しい字か分かる?」と尋ねた。
 父は、
「こっちだろ?」
 と(戦陣の谷)を指差した。
 亀田興毅が世界チャンピオンになった際に、父親である史郎氏が手紙で、
(興毅よ万文の山はいくつはばまおうとも
戦陣の谷に何度も落ちようとも前え 進め
最後に 本当におめでとう 親父)と
 書いたので、私の父も同じ間違えをするか、試したくなったのだ。
 案の定、(戦陣の谷)と指さしたので心の中で大笑いしたのは言うまでもない。
 父も史郎氏も勇ましい(戦陣の谷)が好きなようだ。
 与謝野晶子が日露戦争に出征している弟を想い、(あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ、 末に生れし君なれば親のなさけはまさりしも、 親は刃(やいば)をにぎらせて人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて二十四までをそだてしや)と詠んでいるが、少なくても私の父は刃を握れと教えた事は事実である。
 与謝野晶子もこの事実を知れば、驚くだろうか。