>>948

評価されないのも仕方ないと思います。御作を簡潔に言えば「ファンの駄弁り」だからです。あるいは感想といってもいいかも。
何かの作品が好きな人同士が互いに妄想を繰り広げるって、よくあります。それで充分に楽しんでる。
共通のベース(好きな作品)が互いにあるからこその面白さですよね。作品前提ですから、感想の拡張でもある。

作者さんは充分に面白そうな映像を思い浮かべたのだと思います。それの特に面白いと感じた部分を短編に抜き出したはずです。
残念ながら作者さんだけの快感です。作者さんが「これがいい、好き」と思った結果だけです。
その「これがいい、好き」にどうしてたどり着いたか、そこを描かないと読者としてはついていけません。
作者さんが「面白い」と感じるに至った過程こそ大事であるわけです。そこを読者と共有しないと。

「思い浮かべた映像(や見たことある映像作品)」を文章で説明してしまっている感じもあります。
プロローグ部分で僧侶が男を無慈悲に殺害してますね。男の「心臓を爆裂粉砕」と書いてあります。
が、その後の男はまだ喋るわけですよね。読者が「心臓を爆裂粉砕」と読んだら、常識に則って即死をイメージします。

でも、コミックや映像作品では胸に大穴開いてから今際の言葉という見せ方、ときどきあります。これは映像・絵なら成立します。
なぜなら大穴を見せただけで、体内で何が起こったかは説明してないから。「心臓を爆裂粉砕」かどうかは視聴者の想像に過ぎません。
文章だと「心臓を爆裂粉砕」で即死以外にありません。その後で喋ってたらおかしい。しかし喋ってるわけですよね。
すると読者として、例えば「この男か僧侶に、何か仕掛けや秘密があるのか?」と想像してしまいます。でも何もない。ガッカリになります。



設定のデカさ、派手さだけで説得力を持たせようとしている節もあります。例えば聖杯のもたらす災厄。
凄さを見せようと首都直下型地震M8.5震度7を出しちゃってる。一応、GPSが使えないとか、地震直後の影響の描写がありはする。
でも母親が主人公のもとへ駆けつけちゃうんですよね?描写順序からして、地震後、数分後くらいでしょうか。
それも、止まった電車から降りて、ですよね。既にすぐ近くまで来ていたとかじゃない。

上記クラスの地震が起きて、どの程度の移動が可能か、知らないわけではないはずです。少なくとも読者の大半は知っています。
作者さんも覚えてはいる。最後のほうで、こう描写してます。

> 陽光が輝く空の下、瓦礫でいっぱいのオフィス街を3人は駆け抜けていく。

駆け抜けられますか? 瓦礫でいっぱい、と作者さん自身、書いているじゃないですか。

> 「大丈夫、アタシこの辺の地理詳しいから。いい抜け道知ってるのよっ♪」

抜け道が大地震直後、通れますか? 普通、大通りより先に破壊されたり、瓦礫で埋まったり、火災中で通れなくなるんじゃないですか?

首都着火型大地震が単なる記号でしかない。冒頭のアニメ的なテンプレ映像直訳の描写とは異なる問題です。
記号でしか設定だからデカいもの使ったんじゃないですか? しかし記号の意味を考えてない。だからリアリティを下げてしまう。
主人公と僧侶のバトルなど、首都直下型地震をリアルに想像した途端、どうでもよくなってしまいますよ?

デカい設定は使わないってテンプレがあります。例えば大爆発を見せずに、時限爆弾のカウントダウンを見せるのもそうです。
必要ならデモンストレーションの小爆発を見せておいて、本番は100倍の威力と悪役が誇示したりもします。
「このまま放置したら大変だ」なら、主人公の必死の活躍に読者(や視聴者)を集中させやすい。

文章はくどいです。例えば、

> 「な、なんだ。アンタ!? 一体オレになにをするつもりだっ!? アンタ僧侶なんだろ!?」
>  男は異様な雰囲気を察知して、闘気がほとばしっている僧侶に驚き仰ぎ見た。

地の文は既に台詞で充分に表されています。この後もずっとそんな感じです。騒々しいしテンポが乱れます。
バトル中に動作などを、いちいち説明するのもそう。速度感が大幅に低下し、迫力を損なっています。
もっと単純なものでは、口調で誰が言ったか分かるのに、わざわざ誰が言ったか付け足したりしています。無駄に読まされる感じがします。

何かこう、イメージしたものを読者にも正確に再現させたいという欲求を感じます。文章では無理です。読者の想像に任せるべきです。