こういう風に、日本の軍記物語の材料には中国の書籍が用いられていることが結構ある。



多分、戦いの物語ということで、同じ脳の領域で日本のことも漢文で読んだ物語も記憶していて、出力するに際して区別が出来ていないからこそ、こういうことが起きているのだと思う。



豊臣秀吉は竹中半兵衛に三顧の礼をして彼を迎え入れたけれども、それは『三国志演義』の劉備と諸葛亮のエピソードの焼き直しであって、事実ではない。



秀吉の軍師は黒田官兵衛と竹中半兵衛の二枚看板だけれども、それも『三国志演義』の諸葛亮と龐統の二枚看板軍師の焼き直しでしかない。



ただ、若干手は入れていて、諸葛亮ポジションの竹中半兵衛の方が龐統のように若死にしている。



秀吉が草鞋を温めたというエピソードにしても、あれは劉備が草鞋売り出身だというエピソードが影響を与えていると思う。



そもそも、秀吉は人たらしという話であって、人を本当に心服させるのを得意としたという設定はあるのだけれども、僕は史実の中で秀吉が誰かを心服させたというエピソードを一つも知らないし



知っている中だと竹中半兵衛を三顧の礼で心服させたというそれしか人たらしエピソードは存じ上げていない。