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お題:『ナメクジ』『寄生』『デカ』『モネの池』『始祖』

【戯れ】
 ナメクジが窓を這っている。長雨が続き、不快感と共に倦怠感を露にするこの世界の頂点たる霊長類とは逆に、この生物は活力を得ているのだろう。
 人類破滅後に、この生物が世界を制した物語を描いたのは、かの巨匠だったか?

 薄暗い高層マンションの一室で、幾台ものモニターを眺めながら、男とも女ともつかないシルエットが頬杖をついていた。

 モニターには話題の観光スポットが次々に映し出され、その人物はぼんやりとそれを流し見しながら手の中でダイスを弄んでいる。

「モネの池か……」

 澄んだ水と鮮やかな錦鯉。そして水面に揺蕩う蓮の葉。確かにそれはモネの『睡蓮』を連想させるに足る情景だ。
 だが、その人物は評価コメントを読みながら苦笑を漏らす。

「美しい自然の風景……ね」

 「どこに?」と言う呟きが闇に溶ける。
 岐阜は根道神社の参道にある、通称『モネの池』は、近所の人間によって除草され、植樹を受けた上で錦鯉を放たれたと言う。
 そもそも錦鯉にした所で、観賞用に品種改良された個体だ。
 切り開かれ、人の手の入った光景に、『自然』と言うキーワードは余りにも滑稽だろう。

「人間は余りにも境界を曖昧にし過ぎている」

 シルエットがそう呟いた。

 野山と里、自然と人工物、男と女、光と闇、そして……昼と夜。
 かつては昼と夜の境界はハッキリとしていた筈だ。昼は人の領分であり、夜は闇の者達の領分だった……。
 だが今の人間は、まるでその境界を取り払い、この世界が自分達の物であるかの様に振舞っている。

 自分達が、その境界線を認識できていないだけであるのに拘わらず……だ。

 カラカラとサッシを開き、ガラスの上を這っていたソレを摘まむ。まるで、危うい境界の上を這っている、このナメクジの様ではないかと、そのシルエットの人物は思った。
 思わず奥歯が鳴る。 

 力加減を間違え、クチュリ……と潰し、手を汚した。

「境界を踏み越えた者の末路は決まっている」

 手に持っていたデカヘドロン(十面体)のダイスを転がす。
 面白くもなさそうに眉を顰めると、ハンカチで手を拭い、一瞬の後、放ったそれが燃え尽きる。

 ワインセラーから一本の瓶を取り出すと、深紅に見えるソレをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。

「今宵も“神”は気まぐれだ」

 未だ運命を司るダイスの女神は、人々に温情を与えているらしい。
 面白くもなさそうに口の端を歪め、『始祖』もしくは『真祖』と呼ばれるその人物は、夜景を睥睨しながら物思いに耽る。
 夜を切り取り、昼を偽装する彼等。彼等の創りし品々を享受する我々。
 果たして、真に『寄生』をしているのは、彼等なのか、それとも我々の方なのか……と。