ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【184】
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点数の意味
10点〜39点 日本語に難がある!
40点〜59点 物語性のある読み物!
60点〜69点 書き慣れた頃に当たる壁!
70点〜79点 小説として読める!
80点〜89点 高い完成度を誇る!
90点〜99点 未知の領域!
満点は創作者が思い描く美しい夢!
評価依頼の文章はスレッドに直接、書き込んでもよい!
抜粋の文章は単体で意味のわかるものが望ましい!
長い文章の場合は読み易さの観点から三レスを上限とする!
それ以上の長文は別サイトのURLで受け付けている!
ここまでの最高得点77点!(`・ω・´)
前スレ
ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【183】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1588678508/ >>810
>ワンピースと鬼滅はどこが面白いのかさっぱりだ
同感だ、こんなものが死ぬほど売れる
つまり、創作自体が危機に瀕しているのだ
俺が何とかしたいのはそのことだ
俺が何かを書くだけでは解決しない
「どこが面白いのかさっぱり」
そう思う人間全員で力を合わせないと
真の小説、創作は昇天する 文学における唯一の外界である言葉、すなわち作家にとっての唯一の外延である方法論に主体が脅かされ、さらに主体による方法論への抵抗、つまり主体と方法論の対決により文学は生まれる。
主体が危機に脅かさることも脅かすこともなく、また主体の方法論への抵抗が挫折したところからは無思想の、似非の文学しか生まれない。
松岡正剛の千夜千冊、テスト氏の冒頭に「おそらく21世紀は「方法の世紀」となるだろう」と書かれていることに私も同意する。 五話、買った!
お尻スパーンスパーン!
以上!(`・ω・´)続きに突入! 自身を七大天使になぞらえるとは
スレ主さんはさぞ売れている作家さんなんでしょうねぇ 煽りではなくて読めていないのだろう!
今日はシンプルにホットミルク!(`・ω・´) >>852
ヴァレリーは、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチが芸術の方法なんぞに夢中になったのではなくて、
まさに方法の芸術家たろうとしていたことを考察して、
すべからく思索というものは方法の発見のほうに向かわなければならないと確信した。
そういうヴァレリーの著作を通じて、ぼくはしだいに方法を感じるようになったのだ。
良いこと言ってるね
俺と考えてることは同じだ
「方法の芸術家たろうとしていたこと」
まさに俺がやろうとしていること まあ、俺の方が先を行ってるけど
松岡よりクールだし、ラディカルだ 「方法の芸術家たろうとしていたこと」
まあ、俺はこいつの言うレベルの芸術は疑っている
芸術ではない、エンジニアリングだ
個人の能力、才能と思われていたことを、
単なる技術に落とし込みたいのだ
できうる限りね
そして最後に残ったものが、その人の個性であり、オリジナリティだ
そんなものも、もう信じていないが
全部、テクニックであり、技術なのだ
ちゃんと分析して理解すればね
例えば仏教というのはそういうものだ
釈迦の言うことを全部理解すれば
釈迦と同じになれますよ
如来になれますよって方法論だ
俺は小説でそれと同じことをしたいのだ
まだ良いとこ菩薩状態だがね >>852
松岡正剛
ボヤけたこと言ってんな?
こんな低レベルのやつをリスペクトしてんのかよ? >真の小説、創作は昇天する
破滅するって意味で使ってるのか
草
才能ねえな >例えば仏教というのはそういうものだ
>釈迦の言うことを全部理解すれば
>釈迦と同じになれますよ
>如来になれますよって方法論だ
宗教というのはどう生きるべきかを説くもので
怪しげなセミナーのように具体的な目的を持ったものじゃない
大金持ちになりたいから信じるなんてことはありえない
せいぜい死んだあと幸せになるとかならないとか、そんな程度だ
てことは仏教と同じようにノウハウを作ったら
いかにも凄そうに見えるけど、実際には何もできない最悪なノウハウになってしまう
それともお前は宗教なんてあやふやなものを信じてるのか? 仏教の教えの通りに生きても
死んだら意識がなくなって終わりで死後の世界なんかないんだよ >>864
ここを「昇天」とするところがセンスであり技術だ
破滅するのは我々であって小説、創作ではないからだ >>866
仏教は釈迦の真意を理解しようと努力することであって
教えの通りに生きることではない
第一ハイレベル過ぎて簡単には理解できない
様々な流派は理解しようと努めた結果のそれぞれの解釈 >>864
ここには、一人の批評家的な目を持つた冷たい性格の少年が登場するが、
この少年の自信は自分でも知らないところから生れてをり、
しかもそこには自分ではまだ蓋をあけたことのない地獄がのぞいてゐるのだ。
彼を襲ふ「詩」の幸福は、結局、彼が詩人ではなかつたといふ結論をもたらすだけだが、
この蹉跌は少年を突然「二度と幸福の訪れない領域」へ突き出すのである。
三島由紀夫「自作解説」(自選短編集『花ざかりの森・憂国』)
>彼を襲ふ「詩」の幸福
襲ふ幸福
普通、この組み合わせでは使わない
襲ふのは不幸であり、幸福は訪れるもの
だが、こういう風に慣用を破って
それ以上の効果を上げられるのが
最高位の表現者だ >>864
785 名前:この名無しがすごい![sage] 投稿日:2020/05/14(木) 05:52:05.23 ID:nNaGuHUZ
文章による表現物、作品
シニフィアン-シニフィエ
(外観としてのセンテンスの構造) (表現された内容)
エンタメと文学では、このシニフィエに差がある
エンタメのシニフィエ=意味
純文学のシニフィエ=意味+芸術性
エンタメの読者は単に意味を読み取れば良いのに対し
純文学の読者は、意味と同時にこの芸術性も読み取らないといけない
当然表現者も逆の立場で同じ >>864
オーバーに言えばこの「昇天」は文学性だ
君は意味レベルでしか文章を読めていない >>864
慣用通りでないことに違和感を覚えたんだろ?
でも、実はあえてそうすることが文学性だ
慣用をわかって、あえてそれに逆らうことが
するとそこに何か別の面白みが生まれる 仏教の経典は、釈迦時代は釈迦が文書化を許さなかったため、
暗記によって保持されたと伝えられる。
この時代のインドでは、文字は既に普及していたが、
その使用は商用や法規の公布などに限られ、世俗の用件に用いるものではなかった。
ことに、書くことで自分を離れるから、聖典に対する敬虔さを失うと考えられて、
文字に記すのではなく、体で覚えたわけである。
仏典が組織的に編まれたのは、釈迦の入滅後間もない時期である。
釈迦の入滅時に一人の比丘が「もう師からとやかくいわれることもなくなった」と放言したことがきっかけで、
これを聞いた摩訶迦葉が、釈迦の教説(法と律)を正しく記録することの大切さを仲間の比丘たちに訴え、聖典を編纂した。
この編纂会議を結集(けつじゅう)と呼ぶ。
しかし、ここでは現在我々が目にする仏典の成立ではなく、核とも言うべきものが作られた。
この編纂会議は、第一結集と呼ばれている。
その後も、仏典はおよそ二百年間は暗記によって保持され、文字に写されなかった。 つまり、釈迦が言ったことや、質問して返って来た答えを
編纂したのが仏典であって
釈迦の真意はそれによって推測するしか無い訳である
で、理解できたというのが悟りであって
それで一つハードルは超えた
でも、それはゴールではなくて一つの教えを理解したに過ぎない
全部理解した最終的な悟りが、ニルヴァーナ、涅槃である 【悟る/▽覚る】
1 物事の真の意味を知る。はっきりと理解する。 自らが能動的に理解しようと努力しないと悟ることはできない
相手の教えをただ受動的に学ぶだけでは
仏教はこの前者の方法を取る
達成しようとしていることが途轍もなく高度だからだろうな
私も、それに倣う 最終的なゴールは創作の涅槃、ニルヴァーナである
私もまだそこに到っていない
あえて言うなら菩薩の身
【菩薩】
1.仏の次の位のもの。みずから菩提(ぼだい)を求める一方、
衆生(しゅじょう)を導き、仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)。 >>868
宗教のようなメソッドを作っても
みんな信じてしまったらご利益がないから怒るだろ センスが足りないっての
昇天じゃなくて地獄をさまようとかならまだしも >>870
こういうのが一つの悟りである
こういう悟りを無限に獲得して
統合して行かないといけない >>881
だから、君はまだ勝ち負けに拘っている
悟ってはいない
私が言ったことの真意を理解しようとしていない
自分のちっぽけなプライドを守るために >>881
一つの考えとして受け入れれば
君のパワーは間違いなく増すのだ
私の方が悟りのレベルは上なんだからね >>884
勝ち負けのかの字も言ってないんだが?
仏教は関係ないだろ
そもそも悟りだの何だの言うけど、全部人間の独りよがりだからな
厳しい修行をするのは凄いことだけど、自己満足だぞ?
昇天ってのは肯定的な意味だから、そぐわないってことだ お前の言う悟りってなんなんだ一体?
文章を書く能力なら俺の方が上だよ >>887
>勝ち負けのかの字も言ってないんだが?
>文章を書く能力なら俺の方が上だよ >昇天ってのは肯定的な意味だから、そぐわないってことだ
意味だけで考えればね
>彼を襲ふ「詩」の幸福
じゃあ三島のこの表現はどう思う? >>869
簡単な話
突然降り掛かってくることを襲うと表現するのは三島の専売特許じゃなくて一般的なことだからな とにかくなんとなく逆にしたってのじゃダメだわな
これで悟りを開いたって……
神になるって意味だからなあ
ゴミに成り下がっただけじゃないか IDがnNaGuHUZの者は答えの出ない問答を延々と続けて、
小説を書かないことが目的となっている! 何かをした気分になれば目的を達成したことになる!
その為、論はなんでもよい! 可能であれば自分が考える最も高尚な内容で!
残念ながら誰かの論に乗っかっているだけで微塵も自分の考えがない!
おかしな解釈を少しでも付け足すと瞬く間に反論を受ける!
数年間、同じことを続けているので今後も小説は書かないのだろう!
書かない理由は単純! 書いた時点で駄作が決定する! 名作と云い張ると
他者から見せろと書き込まれる! 見せられない出来であることは自身が一番よく知っている!
IDがnNaGuHUZの者は作家になるよりも先に仙人になって
霞でお腹が膨れる状態になればよい! 小説で金を稼ぐよりも、
そちらの方がずっと早いように思える!
ワイの考え!(`・ω・´)ノシ 何かする! 信仰、の中に、救い、がある。
要はそれだけのことなんだ。
簡単に言えることを複雑にいう。
胡散臭いやつ。 突然嬉しくなったらありうる表現だろう
文豪が選択したんだしなこの表現を
違和感もない
それに比べたらなんでそうしたかの説明すらろくにできないやつが
一人で勝手に書いてるものなんて比べ物にもならない >>894
ねえよ
変な民間療法を信じて死んでいってる癌患者に謝れ >>897
添削一号か!
添削一号二号は同じと見做してよい!(`・ω・´)ノシ 共に仙人になればよい! あと両親の長生きを祈るがよい! >>896
救い、の再定義をしてみることだな。
人は死ぬ。必ず。
その意義は?
なぜ?
問いかけから信仰が生まれる。 >>898
お前は絶対プロにはなれない
独特の癖があるから一般人に受け入れられない >>899
死んだら何もなくなるし死に意味なんかない
色々神話的な神や悪魔を空想してるだけだろ
問いかけってどういうことだよ 【縁なき衆生は度し難し】
(「度す」とは悟りを開くこと) 仏を信じようとはしない仏縁のない者が相手では、
いかに広大な仏菩薩(ぼさつ)の慈悲をもってしても、救うことはできない。
転じて、いくら話しても聞く耳をもたず、理解や関心のない者には救いようがないことをいう。 俺が何故「宗教」ではなくて「信仰」としたか。
わからないだろうな。上辺だけをなでて知ったふうなやつらに。
いまから家事に入るから、お相手はいたしませんよ。
じゃあ。 そうそう、ここで小ネタを一つ!
昔の話になるが集英社で受賞すると往復はがきがくる!
受賞のコメントを何文字以内で書いて何日までに送り返すように指示される!
ワイは面白いことを書こうと思った! 今回の受賞は単なる通過点!
目指しているのはノーベル文学賞! ま、くれるのなら貰っておくけど!
どこかの誰かみたいなコメントを幾つも考えている間に冷静になった!
普通に両親や周囲に感謝の言葉を綴って返送した!
意外と肝の小さいワイであった!(`・ω・´)ノシ しなくて正解ではあるが! >>887
【悟る/▽覚る】
1 物事の真の意味を知る。はっきりと理解する。 だから神を信じるのは人間の弱さのせいなんだよ
要するに、変な音がしたとか、体がだるいとかいうとすぐに悪霊がとりついたと考えること
これが悪い
科学的な原因があるんだ
何かしらの体をだるくすることをやられているとかな >目指しているのはノーベル文学賞!
バカじゃねえの
権威におもねるんじゃなくて、自分が権威になれよ >>905
文学について何かを理解したと言ってるなら
何を理解したか説明しろよ
自分で勝手に悟ったと言ってるやつが宗教でもそれ以外でも
受け入れられると思うか? 思わないだろ? >>908
878 名前:この名無しがすごい![sage] 投稿日:2020/05/14(木) 17:57:41.40 ID:nNaGuHUZ
最終的なゴールは創作の涅槃、ニルヴァーナである
私もまだそこに到っていない
あえて言うなら菩薩の身
【菩薩】
1.仏の次の位のもの。みずから菩提(ぼだい)を求める一方、
衆生(しゅじょう)を導き、仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)。
882 名前:この名無しがすごい![sage] 投稿日:2020/05/14(木) 18:11:33.05 ID:nNaGuHUZ
>>870
こういうのが一つの悟りである
こういう悟りを無限に獲得して
統合して行かないといけない >>909
【悟る/▽覚る】
1 物事の真の意味を知る。はっきりと理解する。
これ仏教の意味じゃねえだろ
都合よく仏教の表現を出したり仏教を引っ込めたりするな 類推(るいすい)は類比(るいひ)、アナロジー(Analogy)ともいい、
特定の事物に基づく情報を、他の特定の事物へ、
それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程である。 アナロジー思考とは?クリエイティブな発想を導き出す思考法 >>904
作り話の小ネタありがとう
面白かったよ 何を言ってるのかわからないけど、仏教をバカにしてんのか?
勝手に自分で自己流に解釈して一人合点してるのはわかる
でも実際に薄っぺらな理解なんだろうし、こっちには伝わってこないからどうにもならん
俺はわかってる俺はすごいって言ってるだけじゃないか
ノーベル文学賞を取るなんてホラ吹いてるやつは殺すしかないね
そもそもあんなつまらない賞俺にはどうでもいいが >>915
アナロジー思考とは、全く違った物の中に
似たような構造を見つけ出す能力のことだよ
「アナロジー思考」でググってみ、結構流行っているみたいだから アナロジー思考とは
アナロジー思考は、複雑な事象に潜む本質的構造を見抜き、それを別の分野に応用することです。
何か具体的な事象を、構造・パターンや仕組みのレベルで抽象化します。
それを別の具体事象に当てはめることです。 俺は、そんな本読まなくても自力でできる
アナロジー思考を自力で経験的に獲得しているからね アナロジー思考
だから、これも一つの悟り、チップスだ
創作のニルヴァーナへ至るためのね 【tips】〔ヒント、秘訣の意〕
マニュアルに書かれていない、パソコン使用上の便利な技法。 >>916
悟りを開くというのは何のアナロジーなんだ?
深く理解するなんて言うなよ
そんなものじゃない
まず仏教は何かを深く理解するところが終着点じゃないからな
そんなものじゃ全然ないから
具体的に言ってくれないと俺はアナロジーがすごい、ぐらいしかわかってない、今の所 アナロジー思考とは、「高度なパクリ」のこと
アナロジーとは日本語では「類推」のことです。
つまり「類似しているものから推し量る」ということです。
つまりある意味でこれも「真似」の一種ということになります。
身近な例でいけば、「たとえ話」というのもアナロジー思考の典型的な応用例ということになります。
人間は新しい経験をするときにでも無意識のうちに昔の経験から類推して物事を考えます。
これは誰しも普段から実践しているものの考え方ですが、
新しいアイデアを生み出すための発想にも応用することができます。
ではこれは単なる真似、いわゆる「パクリ」とはどこが違うのでしょうか?
アナロジー思考で重要なのは、「遠くから借りてくる」ということです。
誰でも気付くような「近くから借りてくる」のでは価値がありません。
そのために必要なのは、普通の人では簡単に気付かないような思わぬ類似点を見つけることが原点になります。
例えば全く縁のなさそうな他業界からとか、ビジネス以外の伝統芸能やスポーツ、
あるいは歴史上の出来事や趣味の世界等、何でも「借りる」対象になりえます。 自分の考えに都合のいい所だけ抜き出してきて
挙げ句自分流の解釈という名の全く違う説明をして
しかも仏教を理解していると言っている
これがお前だけど違うなら違うと言えよ
説明が足りない パクることすらできてないだろ
そもそも仏教のことを知らないから何も言えないんだろ? >>921
アナロジーを真に理解したら(悟ったら)
お前もアナロジーを自由自在に使えるようになる
武器が一つ増えるのだ >>925
で、その御前の自由自在にアナロジーを使った説明というのはどこにあるんだ?
まさか悟りの意味を仏教と違うように解釈して、仏教では云々と言っているのがその説明か?
悟りってのは仏教では深く理解することではないぞ?
何考えてんだ? アナロジーぐらい知ってるけど、お前自身が使いこなせてないじゃないか 俺をバカにするなよ
アナロジーぐらいで動じるわけないだろ とにかくお前の言っているのは類推ではない
無理なこじつけだ
まず仏教に関してのお前の理解を問う
仏教を使って、文章の書き方のコツを説明してみろ
できるんだよな 特に訊かれなかったから黙ってたが
ラングとパロールだって知ってるし
シニフィアンとシニフィエも知ってるぞ ID:sSOArunD
添削1号?
1号と2号で取っ組み合いしてても仕方ないんだよね
俺が胸ぐら掴まれてるだけだけど 胸ぐらをつかむなんて言わないでくれよ
具体的な説明が何もなくて、ただラングがどうした、アナロジーがどうした、
仏教がどうしたと言ってるのがお前だよな?
お前アホだよな 仏教の教え方とは
大体そういうんだよ
お釈迦様が喩え話で弟子に理解を促す
結果を言うんじゃなくて自ら気付いてくれるように
そういう理解の仕方でないと、その弟子の為にはならない お前何も喋ってないじゃん
なんだこいつ
意味がわからん
ダラダラいつまでも喋り続けて相手が黙ったら勝ちっていう5ちゃんねる独特の戦いをしてるつもりなんだろうな 自ら気づく
これが悟りだ
自分で悟る場合もあるが
高度な内容の場合、自分だけでは中々悟れない このサルは何年こんなことを続けているんだろうな
30年くらい? 釈迦は、教えるのではなくて悟らせる
その方がより深い理解で、その人の為になるからだ >>938
お前も別に仏教徒じゃないからそもそも悟ってないよな
悟ってないやつが他人に悟りとは何かを説く
こんな無益なこともそうはあるまい >>939
【菩薩】
1.仏の次の位のもの。みずから菩提(ぼだい)を求める一方、
衆生(しゅじょう)を導き、仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)。 じゃあ仏教は素晴らしいからお前の仏教徒になれってことか?
それともお前の考えた仏教のアナロジーの俺教で俺は菩薩ですごくて
お前も俺教に入れってことか?
相手にしてられん そもそも菩薩ってのはな、ブッダの修行中の姿のことなんだ
お前はブッダか?
仏教徒でもないのに?
お前は菩薩にはなれないよ
まあ俺様菩薩だよ教では別だが >>942
頑張れば、お前も菩薩になれる如来になれる
という教え 修行してるやつが菩薩だと思ってやがる
キチガイなのかもしれんがな
全く何も勉強していないやつか >>944
それがなにかのアナロジーなのか?
頑張っても仏になるなんて恐れ多くてとても言えないんだけどな 仏の別の姿が菩薩だったり如来だったりしてるんだぞ?
わかるか? 目指すわけじゃないぞ? 救いようのないぐらいの傲慢なやつだったな
俺は菩薩
仏教はアナロジーに使う
悟りも開いた
こんな感じで 悟り
35歳のシッダールタは、ガヤー地区のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、
村娘のスジャータから乳糜の布施を受け、体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、
悟りに達して仏陀となった(成道)。
この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、
さらに縁起と十二因縁を悟った。8日目に尼抱盧陀樹(ニグローダじゅ)の下に行き7日間、
さらに羅闍耶多那樹(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間、座って解脱の楽しみを味わった。
22日目になり再び尼抱盧陀樹の下に戻り、悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかを
その後28日間にわたって考えた。その結果、この真理は世間の常識に逆行するものであり、
「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、
語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。
3度の勧請の末、釈迦は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、
そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろうとして開教を決意した。 悟りを開いたんだろこのゴミは
ゴミらしく引っ込んどきゃいいのに >>950
「法を説いても世間の人々(ID:sSOArunD)は悟りの境地を知ることはできないだろうから、
語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。
3度の勧請の末、釈迦は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、
そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろうとして開教を決意した。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。