どれどれ。あ? なんだこりゃ。はぁ(呆れ)。ま、しかし、嫉妬や私怨じゃなくて、本当に読めなかったんだな。本当に、本当に、読めてなかったんだな! はぁ(呆れ)。で、コウも殿堂入りか(反面教師の)。おk。古参の地縛霊よりここは新参に呼びかけとくか。

おーい! 新人の諸君! 今回、いかに群青が頭のいい人か、それが理解できたなら、そう、君は、もうプロレベル。合格! おめでとう! が、こんなことで安心はするなよ。ま、ただの気休めだ。ふつうは理解できて当たり前だからな。とくに大人の作家志望者なら。

じゃあ読めてなかった「痛い人」のために、いちおう状況を整理しよう。そう、伝言板での群青とラピスとの最初のやり取り。まったく噛み合ってない。清々しいくらいに、噛み合ってない。だから俺もなんかほのぼのとした気分で眺めていた。
簡単にいうと、群青は直接質問に答えているのではなく、考えることを促していた。ラピスがもってきた編集者の言をきっかけに自分の考えを述べてな。で、そこを考えたら、そもそもてめえの質問の馬鹿さ加減に気づけるだろう、という答えを提示していたわけだ。
ようは、群青は、断定せずに、気を遣って「個人的には」と繰り返しいいつつ、優しく優しく遠回しに、ラピス、さあ考えてごらん、さあ、こうでしょ、だからこうでこう思わない? こうはこうで、でもこうはこう、コウのコウは糞野郎!――というのは冗談だ。

たしかに群青の文章は読みにくい。それはたとえば、車をいつも100キロのスピードで走らせているのに、強制的に60キロくらいに制限させられるからだ。だがもちろんそれは群青の文章が下手だからではない。

しかし、おい、コウ。いいか、おまえは圧倒的に読書量が足りていない。有り体に言えばおまえは無知蒙昧。
その無知蒙昧の鎧を着て、てめえへの物理(論理)攻撃無効化は、さすがは老獪、と褒めておこう。いくら群青がおまえをボコボコにしても、おまえは平気の平左。つええ。だがこれからおまえに知識を与える。そうするとおまえのその無敵の鎧はどうなるかな?

いいか、コウ。上手い文章についてだ。こんなものはな、過去の文豪たちが喧々囂々、侃々諤々とやってきた。わかるか? 少なくともてめえが出してきた小学校5年生の作文の書き方本に載ってたもんが答えではない。
文豪たちが最終的に出した答えはこうだ。文章には、伝達用の文章と鑑賞用の文章がある。もうわかるな? 文学をやっている連中はどっちを使う? そうだ、伝達用の文章を極めるのか、それとも、鑑賞用の文章を極めるのか、おまえはどっちだ、答えろ!

「筋力」ならぬ「脳力」を鍛えるにはたくさん本を読むしかない。わかるか? 逆に問えば、本を読むとなぜ「脳力」が鍛えられるのか? あ? 小学校5年生が読むような文章を読んでいて「脳力」が鍛えられると思ってんのか、てめえわ。