>>736
>深く考察するほどタイムパラドックスが粗として目につかない?

元から世界はタイムパラドックスを許容しているというかなんと言うか
今の俺たちが認識できる世界は4次元(縦横高さ+時間)なんだが一瞬ごとに無数の世界に分岐している

これをたとえたのが俺たちの認識している4次元世界を0次元、点にまで圧縮して見える世界樹
先に行くにつれて分岐して先細っていく樹木の形だ

けど此れには対案が二つある
世界は最初から最後まで運命で決まっていて分岐など起こらないという1次元、一本の線の形のユグドラシル
もう一つが、未来に向かって分岐していくなら 過去に向かっても分岐していく=世界がどんどん合流していく世界感で綴れ織りの布地にたとえられるユグドラシル


例:ある日朝食にハムエッグを作るかベーコンエッグを作るか悩む男A ハムとベーコンはどっちも一食分
どっちを選ぶかで世界が分岐する。次の日の朝、残ったほうの料理を食べる
1日目にどっちを選んでも世界全体に対して影響は与えないので、二日目の朝食後はこの二つの世界は合流して一つとなる

こんな合流が起こる世界観だと、少し過去の些細な分岐はまとめて合流して太い幹のような世界群がユグドラシルに見える
タイムパラドックスもこの幹の範囲内であれば問題なく世界は回ってく

「お前のような凡人はいくらでも代わりはいる、いなくなっても世界は何事も無く回っていくのさ」
っていう悪役の台詞そのまんまにね