手癖で書いた小説論を途中まで晒すスレ
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ペンを持ったら勝手に原稿用紙3枚弱くらいまで字が出たので、書いてる途中だけど晒すわ 小説とは何か
小説とは何か。その形だけ見れば、それは文字の羅列である。だが、ただ文字が羅列してあるからといって、それが小説であるということにはならない。小説とは、物語を文学的に表現したものであり、特定の要素を含みつつ、流れが明瞭であるものを云うと私は思う。それはつまるところ、特定の要素を含まず、流れが明瞭でない文字の羅列は、私は小説とは云わないということだ。これから、特定の要素とは何か、その要素は何を指しているのかを説明したい。 小説に必要なものは、あまり多くない。まず、キャラクターだ。キャラクターが立っていないと、その文字の羅列は、作り話の説明文となってしまう。小説のメインは語り部の文章ではなく、キャラクターなのだ。これは漫画やドラマ等にも云える。キャラクターが無表情かつ棒立ちのままセリフを言っていても何も面白くない(シュールを狙うのであればアリかもしれない)。キャラクターが動くから物語は進む。物語が進むからキャラクターが動き、面白い展開になるのだ。もし小説を書くことがあれば、まず最初に練りつくすべきはキャラクターである。 次に必要なものは、背景設定である。あなたは今、こう思ったかもしれない。「キャラクターよりも先に背景設定を考えなくては、キャラクターの書きようがないだろう」と。たしかに一理ある。例えば主人公がトラックに轢かれて女神に出会い、能力を授けられ異世界で無双するような話を書きたいから、主人公の能力はどうしようと考えるという流れを想定しているのだろう。 しかし、その考えは間違っている。キャラクターがいて、初めてその能力を授かる経緯があり、その能力やキャラクターの設定を活かす舞台があるのだ。メインたるキャラクターが後付けの小説など、ただの背景説明文章なのだ。そのようなものでごまかされる人間は、そもそも別のものを求めていることが往々にしてある。それは爽快感そのものであったり、興奮そのものであったりする。それらは本来、キャラクターが動く中で生まれる副産物的なものであり、それを目的に小説を読むことはあるにしろそれが小説のメインとなってはならないはずなのだ。高級料理のフルコースにおいて、一番最後に出てくる一皿のバニラアイスが好きだからといってフルコースの半分をバニラアイスで構成するようなものだ。本末転倒である。それはフルコースではなく、もはや全くの別物になっているのは誰の目にも明らかで、同じことが小説にも云える。読者は爽快感や興奮だけではなく、小説というフルコース全体は楽しめる舌を持つべきなのだ。
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×読者は爽快感や興奮だけではなく、小説というフルコース全体は楽しめる舌を持つべきなのだ。
〇読者は爽快感や興奮だけではなく、小説というフルコース全体を楽しめる舌を持つべきなのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています