ワイスレ杯テキスト掲載スレ
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五十八回ワイスレ杯のルール!
設定を活かした内容で一レスに収める!(目安は二千文字程度、六十行以内!) 一人による複数投稿も可!
「記名投稿、無記名投稿」は任意で選べるものとする!
通常の評価と区別する為に名前欄、もしくは本文に『第五十八回ワイスレ杯参加作品』と明記する!
ワイが参加作品と書き込む前に作者が作品を修正する行為は認める!
今回の設定!
「脛に傷」をテーマにした一レスの物語を募集する!
諺の意味で捉えてもよい! 実際に脛に傷がある意味を語ってもよい!
拡大解釈が可能なので内容が被ることはないだろう!
とは云え、アイデアは早い者勝ち! 先に作品として挙げた物を評価する!
応募期間!
今から土曜日の日付が変わるまで! 上位の発表は投稿数に合わせて考える! 通常は全体の三割前後!
締め切った当日の夕方に全作の寸評をスレッドにて公開! 同日の午後八時頃に順位の発表を行う!
今年、最後のワイスレ杯!(`・ω・´)リーマン君の二連覇はなるか! せっかく立てられたのに落ちてしまわないだろうか
オロオロ とりあえずな、今思うことを言う
エアコンでもいい、冷蔵庫でも車でも、何でもいい。
買い替えの必要を感じながらも面倒という程度の理由で買い替えていないのなら今のうちに買っとけ。
いいな。
必要でないものは買わなくていい。
今、本当、世の中やばいぞ。 0434 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/08 01:13:17
「もう帰る?」
今流行りのミリタリージャケットに身を包んだ女性が、俺の顔を見上げた。丁寧に巻き上げられた長い髪と、雪で少し赤らんだ頬。アーモンド型の瞳は、問いかけるというよりは何か期待を含んだような色をしていた。
「今日は凄く素敵なデートをしてもらったし……もう少し、余韻に浸りたいぁ……なんて」
彼女は、わざとらしく照れ臭そうに横髪を指に絡める。俺は自意識過剰ではなく、良く出来た男だと思う。親に感謝というべきか、高身長に加えて万人受けする顔を持っていたし、商社で働き、若手ながら高い評価を得ている。友達だと言える仲間にも囲まれ、おおよそ人が欲しいと願う大抵のものは持ち合わせていた。
デート。などとこの女性は口にしたが、俺との認識がズレている事には気が付いていた。俺が独り身であることに気をよくした上司が、自分の娘を紹介してきたのだ。
あの日あの時、上司の提案を断り切れなかった事を今更悔やんでも仕方がない。
「えっと……そしたら、家までドライブがてら送るよ」
俺の提案に、彼女は少しだけ不満げな表情を見せた。分かっている。彼女が望むのは、そういう事ではないのだ。もっと踏み込んだ——大人の付き合いへ。
俺は今から自分が言おうとしていることが、今後また自分の首を大いに絞めるということを分かっていて、薄らと微笑んだ。
「大切にしたいんだ。分かってほしい」
そう付け加えると、彼女はこれ以上ないほど満足げな笑みを浮かべる。その場しのぎは、結局毒でしかないというのに。自分の八方美人な性格に憂鬱さを感じる。
今後をどうしようか。そればかりが頭の中を巡り続けて、ドライブ中の話なんてまともに覚えていなかった。だがまあ、それほど不満そうな顔をしていないところを見る限りでは、上手く会話は成立したのだろう。
目的の場所に到着して、彼女を下ろす。
「また連絡してね。絶対よ」
「そうだね。お父さんによろしく」
返事とも言えない曖昧な返しにも、それより以前の保険のおかげか彼女はにこやかなままだった。車のスモールライトで照らされた後ろ姿を眺めながら、俺はずっと我慢していたタバコを一本手に取った。火をつける為に視線を下げる。再び視線を上げた時には、彼女の姿は家の中へと消えていた。
「……礼一つ無しか」
煙を吐き出しながらそうボヤくが、やってることはお互い様だ。腹の探り合いのような女性付き合いにも、ほとほと疲れ切っていた。
空を見上げても、曇天に包まれた東京の空は星一つ映してくれやしない。タバコが半分ほど灰に変わった辺りで、俺の頭の中に嫌な記憶が流れ込んできた。思い出したくもないというのに、まるで「忘れるな」と言わんばかりにこびりついて取れない。
『……高木君って……小さいん、だね』
思い出した記憶の欠片。詰まったような声で、遠慮気味に心にナイフを突きつけてくるその様は、俺の身も心も凄惨に切り裂いた。無意識的に、俺は自分の股座に視線を落とした。
人と比べることが正しいとは思わない。が、乗り越えるにはあまりにも傷口が大きすぎた。女性ともう二度と、そういった状況になりたくないという本心と、社会の中で生きる上での仮面が常にぶつかり合って、俺の神経を蝕んでくる。
膝の上に放置していた灰が落ちてきたことで、俺はようやく悪夢から逃げることが出来た。そして、名残惜しく最後の一吸いを終えてタバコの火を消した。
煙を吐き出さなくなった口から出たのは、深く大きなため息だった。
「……明日、上司への言い訳……どうしよう」
人が欲しがるものをある程度手に入れていて、俺はどうしてこうも生き辛い枷と性格を持ってしまったのか。現実から逃げるかのように、俺は車のアクセルをゆっくりと踏み込んだ。 冷蔵庫は夫婦間で意見が割れている
壊れてから買ってたら食材が無駄になるというのにまったくもう 0440 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/08 09:31:58
冷たく薄暗い部屋に入ってきたのはくたびれた安物の服に身を包んだ一人の中年男性だった。
昼間から酒でも飲んでいるのか顔は紅潮し、何処か視線の定まっていない様子だったが呂律はしっかりしているようで椅子にもたれるように座ると、自らの罪をぽつりぽつりと告白し始めた。
「正直なところ、この田舎町と言えば娯楽といった娯楽もなく、若い女にとっては、ただ毎日の変わらない暮らしを送るだけのつまらない生活だと思います。
ですが、ただただ無味乾燥とした日々を送るというのは人間である以上は耐えられないのです。
耐えられないからこそ、男は煙草を嗜んだり、酒に溺れたりするのでしょうが、ああ、それは私もその口でして、だからこそ宿六だのなんだのと妻から言われるのもしょっちゅうです。
それでですね、この話のそもそもの発端というのは、その妻にある訳でして、いつものように夜の酒場でちょいと一杯飲んでいたところ、最近お前の嫁さん変わったんじゃないか、と飲み仲間から言われた訳です。
さて、変わったと言われると気になるものでして、どのように変わったのか聞いてみると化粧が変わったと言われまして、これは自分が気づくのを待っているのではないか、それを他人から指摘されるとは何とも間抜けなことではないか、と大いに反省した訳です。
言われて翌朝妻の顔を見ていると、何か顔についているのか、と言われましたが、確かに何時もとは化粧が違うような気がしまして、そのことを妻に指摘すると、てっきり喜んでくれるかと思いきや、何やら焦った様子で何かを誤魔化そうとしている様子を見せたのです。
何とも私としては妙な気分になりまして、夫に見せる以外で女が化粧をする理由なんざ相場が決まっています。これは恐らくはそういうことなのだろう、と鈍感が服を着て歩いているようだと言われる私でも察するものがありました。
妻は恐らく良くないことをしているのでしょう、それを夫である私はつきとめる義務があるとその時は思っていたのです。いえ、今になって思えばそれは怒りであり嫉みであり、自分の妻が知らない男と不義を行っているという事実が私の心を打ちのめし、それと同時にその知らない男をしこたまぶん殴ってやらなければ気が済みそうにない、そんな獣の心が私を支配していました。
ああ、いえ、結局のところ誰かに怪我を負わせてはいません。私は結局のところ妻の行動を監視したのは良かったのですが、その間男を見つけることは出来なかったのです。
ですが、確実に妻が他の男と密通をしているのは明らかでした。
どのような手段かは私には解りませんでしたが、それをしているのは間違いないと私の中では最早確信を得ていたので、妻に対して直接問い詰めることにしたのです。お前が他の男と不貞を働いていることは知っているのだから正直にその相手の男の名を告白するように、と伝えたのです。
それに対して妻は酷く癇癪を起こしまして、何の証拠があってそのようなことを言うのだと、まるでこちらが悪いことを言ったかのように激しく糾弾してきました。
それからです。
どうにも妻とはぎくしゃくしてしまいまして、妻が家にいない日も増えてしまい、私自身家というものが自分の帰る場所だとは思えなくなってしまったのです。
そして、酒を飲んだ勢いとでも言うのでしょうか、気づいた時には朝方のベッドで裸の女性と寝ていた訳でして、ええ、そのことについて懺悔しに来たのです。よりによって自分がそのような過ちを犯すとは思ってもいませんでした。酒の勢いとは言え、まだ自分は妻と別れた訳ではありません。だというのにそのような行為を働いてしまったことに酷い罪悪感を抱いてしまったのです。
この酒が抜けた後、私は妻に改めて謝罪し、どうにか関係の再構築が出来ないか話し合い、彼女がどのような罪を犯していようと私は全て受け入れた上で共に生きていく道を探そうと思っています。それが夫としての私の務めであると確信しているからです」
自らの罪と後悔を語り終えた男が部屋から出ていった後、私は深くため息を吐くことになった。
妻の相手は結局見つからなかった、と男は言っていたが、それもそのはずだ。
そこは誰もが日常的に足を運ぶ場所であり、不義の現場になることは誰も想像などし得ないのだから。 0443 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/08 14:23:03
飲んだコーヒーの味は、何もしなかった。
「河野さん?」
名前を呼ばれて、ハッと顔を上げる。目の前には、菩薩の様な笑みを貼り付けた老父が座っていた。やけに線香の匂いがきつい部屋だ。真後ろの扉以外の壁は全面、分厚い本棚で埋め尽くされている。狭い部屋の真ん中に、小さな低い机を挟んで俺達は座っていた。なぜ、どうやって此処に来たのかは覚えていない。ただ、俺と会うなり老父は「話してください」とだけ言った。
老父が付けた腕時計の針の音がやけに煩い。その音に急かされるように、導かれるように。気がつけば、語り出していたのだ。
「……それで、だからあの火事は、第三者による放火だった」
「ええ、私もそう聞いております」
「隣の寝室に……妻と子供がいたんだ。起きた時には、腰くらいの高さまで炎があった」
まるで俺の行く手を阻むような炎だった。だが、向かうことが不可能ではないと直感的に確信した。
「俺は……」
そこで言葉に詰まる。俺は、コーヒーで潤わなかった喉にごくりと唾を流し込み、浅い息と共に言葉を吐き出した。
「俺は、見捨てたんだ」
疑うことなく、妻子を愛していた。それでも、俺はその宝を失う恐怖より目の前の業火に恐怖した。気がつけば俺の足は、寝室とは反対の方を向いていたんだ。
「それが、貴方の誰にも言えない罪ですか」
老父の言葉に深く頷く。過ぎた過去は、俺に消えない罪の意識と途方もない後悔を与えた。
「それは辛かったですね」
「やり直せるなら、やり直したい。それか……誰かに俺を罰して欲しいよ」
懺悔も償いも、耳元でもう一人の俺が「お前の自己満足だ」と囁き続ける。老父は、ううんと小さく唸って俺の目を真っ直ぐと見つめる。
「残念ながら、私の役目は貴方を罰する事でも許す事でもない。貴方に扉の先へ進む決心を付けさせる事です」
老父はスっと指を俺の真後ろに向ける。つられるように、その指が示す先を目で追った。そうして視界に捉えた扉に、俺は息を飲んだ。
「なんで……」
扉の色、形。紛うことなき、俺の家の寝室の扉だった。逃げ出した、最愛の妻子が眠る部屋へと続く扉だ。声を失った俺の耳に、老父の言葉が響いた。
「罪と後悔に囚われた魂は、現実すらも曖昧にしていく」
「なんで、扉が……俺は、どうやってここに……」
「河野さん。貴方はもう……死んでいるんですよ」
頭の後ろを鈍器で殴られたような衝撃と共に、部屋が瞬く間に線香の煙に包まれていく。
老父の姿は、五条袈裟を着た若い僧侶へと変わる。あの煩かった腕時計は、掌に乗るほどの木魚へと。本棚は次々に燃え上がり、灰へと変わる。その灰は、やがてはなにかの形を作り上げた。狭い部屋はあっという間に消え、灰が作り上げたのは、焼けて朽ち落ちた木造の家だった。
その景色を見た瞬間に、記憶がフラッシュバックする。
「そうだ……俺は……あの時……」
逃げた。いや、逃げきれなかった。炎から逃げきれずに、玄関先を目前にして力尽きたのだ。
妻子を見捨ててまでして欲した自分の命すらも掴めないままに。 「そうか……俺は、逝くのか」
全てを悟って、俺の体は膝から崩れ落ちる。願わくば、二人に謝りたかった。今更だとしても、自己満足だとしても、申し訳ないと。愛していると伝えたかった。罪に囚われた俺の魂はきっと、二人とは違う道を歩むだろう。だから、自己満足すらも叶わない。
「河野さん。顔をあげてください。待っておられますよ」
老父だった僧侶の声に顔を上げる。目の前で閉じられていた扉が、ゆっくりと音もなく開いた。
「あっ……」
声にならない声が上がる。扉の先には、いつもと変わらない笑みを浮かべた妻と子供がいた。
それを見た瞬間に、俺は喉奥から力の限り啼泣した。
こんなにも弱かった俺を。こんなにも裏切った俺を。
ずっとそこで待ち続けてくれていたのか。俺は、それに気が付かないままに自分を責め続けて、振り返ることすらしなかった。
「ごめんっ……ごめん、ごめん、ごめん……」
謝り続ける俺に、子供が不思議そうな顔で首を傾げる。
「おとーさん、なんで泣いてるの? 遊園地に行くんでしょ! 早く行こうよ!」
「行き先は、いつも貴方が決めるでしょう? 私達も連れていってくださいな」
妻の言葉に、俺は震える膝を支えて立ち上がる。そして、背後にいた僧侶に深く深く頭を下げた。
「決心はつきましたか?」
「はい。行ってまいります」
失った過去は取り戻せない。犯した罪は消えない。それでも俺は、己を責め続け、これ以上失ってはならないものを失いたくはなかった。
「俺は……もうなにからも逃げません」
たとえ、この身が幾度となく業火に焼き尽くされようとも。 0508 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/08 20:30:57
やっと採用されたカラオケ店のバイトだが、初日にして早くも俺の素顔が暴かれようとしている。教育係の女子大生が妙な質問や注意ばかりしてくるのだ。こいつ、俺の何を知ってやがる……。
「お客さんが帰った後は部屋の中に忘れ物がないかよく確認してください。特にスマホの忘れ物が多いので」
お、俺が盗難スマホの転売で小銭を稼いでいることを暗に言っている!?
「最近は電子タバコも結構落ちてます」
もちろん、電子タバコも売り飛ばしている。
「次に見て欲しいのは機材の破損ですね。盛り上がってモニターを壊しちゃうお客さんもたまにいます」
今度は俺がストレス発散の為に家電量販店のテレビを殴っていることを指摘された。なんて奴だ!
「次に清掃ですけど、注意して欲しいのは割れたグラスやボトルの破片です。よく見ずにダスターで拭くと怪我することもあるので」
これは3年前の大晦日の傷害事件のことだ。俺は割れたビール瓶で当時対立していた組織の若い奴の腹をえぐった。警察からは逃げおおせたが、奴等がまだ俺のことを狙っているのは間違いない。もしかしてこの女、あの組織の──。
「ちょっと、松本さん! さっきからぼーっとしてますけど、話聞いてます!?」
「ご、ごめんなさい! 考え事をしてました」
急に激昂しやがった。こいつもカタギじゃねえな。俺には分かる。まだ若いが、こちら側の人間だ。用心しなくては。
「もう、しっかりして下さいよ! じゃ、気を取り直してカラオケ機器の説明です。松本さん、カラオケは行きます?」
「よく、一人で」
「なら基本的な操作は大丈夫ですね。たまにお客さんから質問があるんですけど、うちで入れてる機器は過去の履歴が消せないのでそこだけ覚えておいて下さい」
過去の罪は消せないって警告か。どうやらこの女、俺とやり合うつもりらしいな。
「あと、マイクですけど……」
「……はい」
「最近はお客さんがナーバスになっているので、しっかり消毒した後に清掃済みのカバーを被せてくださいね?」
……包茎を笑いやがった。こいつは絶対に許さねえ。俺はまた、罪を重ねることになる。
カラオケルームに浮かぶ女の作り笑いに、決意を固めるのであった。 0511 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/08 23:01:54
まだ6歳くらいの子供の頃。母と祖父母と一緒に、公園に行ったことがあった。公園に行くこと自体は特別珍しくないけれど、仕事で忙しいお母さんと行くのがとても新鮮だった。
「お母さん! 私、ブランコ乗りたい」
「ふふっ。じゃあ菊乃の背中を、お母さんが押してあげるね」
「うん!!」
お母さんに押してもらった背中は、まるで何処にでも飛んでいけるくらい軽くなって、私はいつもより高いところまで漕げた。
「お母さん、次は鬼ごっこしたい!」
「うん、そうしましょうか」
「じゃあスタートね!」
言うが早いか、私は全速力で駆け出した。お母さんに見ててもらえると、運動会の時みたいに楽しく走れる。暫く逃げてると、小石に躓いて脛を擦りむいた。傷口からは血が流れてる。痛くて涙が出そうになって、キュッと口を締めて耐えた。お母さんは、転けた私に駆け寄っていつもの言葉をくれる。
「痛いの痛いの飛んでいけー!!」
それでもその日は、優しい言葉だけで泣きたい気持ちが止まってくれるほど私は強くなかった。
公園に来てからずっと、私の前でお母さんは笑顔を崩さなかった。でも、お父さんが亡くなったのにお母さんが悲しくないわけなくて。耐えきれなくなって、私がお父さんと叫びながら泣き崩れる。釣られてお母さんの目からも涙が流れて、私をギュッと抱きしめながら泣き始めた。
そこからは大変で、公園に居た他の人たちが何事かとやってきたり、お爺ちゃんとお婆ちゃんまで泣き出したり。
だけど帰り道では、私とお母さんは手を繋いで、お父さんとの楽しかった話をして、ゆっくりと歩き出していた。 0516 第五十八回ワイスレ杯参加作品(515修正版) 2021/12/09 00:57:17
おや、やっと目が覚めたかい。あんた、道端で倒れていたんだよ。こんな山奥で一体何をしてたんだ? ほう、山越えか。休んでいたら後ろから頭を殴られた? そうかいそうかい。この辺りは山賊も多い。それは災難だった。
ここは、地図にもない小さな村だ。もてなしも何も出来んが、腹くらい満たしていきなさい。どうせ夜明けまではまだ時間がある。客人が来たもんで、婆さんが張り切って保存庫から肉を出してきたんだ。あんた若いんだから、せっかくなら食っていくといいさ。
しょっぱすぎやしないかい? 美味いか、よかったなぁ。そうだ、あんたの姿を見て一つ思い出した昔話があるんだ。せっかくなら、酒のつまみにでも聞いていくかい?
春を迎えたある日のことだ。子供達が人を見つけたと騒いでいた。行ってみると、崖の下に見たこともないくらいの大男が、倒れ込んで気を失っていた。七尺はあったんじゃないかね。
目を覚ますなりなんなり、その男は腹が減ったと言ったんだ。開口一番のその言葉に、腹を抱えて笑ってしまったよ。今度は村の女達が総出で飯を作った。そりゃもう、よく食べる。
はあ、人はこんなにも飯が食えるものかと、口をあんぐり開けて驚いた。
その男はなあ、自分が何処から来たのかも名前も覚えちゃいなかった。ただ、脛にでっかい傷があってな。その傷のことだけは覚えていた。熊と戦って鳩尾を蹴った時に、熊が爪で引っ掻いた傷なんだとよ。膝下から、ぐうっと脹脛まで弧を描いていて。そんでまた、すうっと足の甲まで戻ってくる。そんな傷だった。
あまりに綺麗な弧だったもんで、村の子供達がその男の事を「三日月さん」と呼び出した。男はその名前が大層気に入ったようでなあ。結局、三日月って名前に決まったんだ。
三日月はそのまま村に住んだ。よく働く男だった。彼は、大の男の十人分は易々と働いた。一人で大きな木を切って、一人で運んじまう。それに、大層強かった。襲ってきた狼も、山賊も。全部素手で倒しちまうんだ。彼は神様からの賜り物なんじゃないか、なんて話が出回ったもんだ。
だがなあ、なかなか上手いようにはいかなかった。なにせ三日月は大飯食らいだ。村の蓄えは目に見えて減っていた。これじゃあ冬が越せない。誰か一人が、三日月を追い出すべきだと言い出した。神様から賜った者を追い出せない、と辛抱を選ぶ者もいた。
そうこうしているうちに、遂には飢えて死んじまう奴が出てきた。もう時間がなかった。村長が皆を説得して、山の神様に三日三晩謝って。そんで、三日月をお返ししますってことになったんだ。
夜、三日月に村中にあった酒を全部飲ませた。村一番の太くて長い縄を持ってきてな。ぐっすり寝ていた首に、がっと縄をかけたんだ。
男も女も子供も、みんな集まって力いっぱい縄を引いたよ。三日月が起きて、暴れだした。何人かは、その振り回した太い腕に殴られて死んじまった。それでも、泣きながら縄を必死に引っ張った。
朝方だったかなあ。三日月は、かっと目を見開いて死んじまった。充血した目が、まるで物の怪みたいに真っ赤に染まっていたよ。大層疲れ切った中で、三日月の肉を切り分けた。いただきますって。手を合わせて、皆で少しずつ食べたんだ。残りは非常食にはなるだろうって、大量の塩で漬け込んで保存した。今思えば、なんであんなことしたんだか。とにかく腹が減っていたんだよ。
それから一月もしないうちだった。村人の何人かに、脛に大きな三日月型の痣が出来始めた。三日後に、一人が血の涙を流して死んじまった。三日月の呪いだ。天罰が当たったんだって。山の頂にある寺に駆け込んで、坊さんに全部のわけを話した。坊さんの言う通りに、痣が出た者を一人、熊のねぐらに放り込んだ。すると、ぴたりと死人も痣が出る者も止んだんだ。
坊さんの言う事にゃ、肉が無くなるまで毎年一人ずつ、三日月の魂を山に返さなならんと。そうでないと、末代まで地獄にしか行けんのだと。
痣持ちの蓄えが尽きたら、今度は生まれた赤子に肉を少し食わせた。もし痣が出たら、次の年にはお返しする。だが小さい村では、そんなしのぎも年々苦しくてなあ。
おや、あんた。眠くなってきたのかい。あれだけ酒を飲んだらそうだろう。老人の長話に付き合わせてすまなかったなあ。腹も膨れただろう。さっきの肉は、しょっぱすぎやしなかったかい? ああ、これはさっきも聞いたな。歳をとると、どうにもなあ。
ところでちょっと、脛を見せてはくれないかい? 0548 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/09 20:06:03
十人ばかりの破落戸(ごろつき)が、山中で老爺を囲んでいた。
天下太平となって久しいとは言え、少し人里を離れればこのような光景も珍しい物では無い。
足の悪い老爺は、杖にしがみ付いてぶるぶると震えている。その様を見て、野盗達は下卑た笑みを浮かべた。
「し、神聖な社もあるこのお山で、あんた方は何だってこんな無体をなさるんで!?」
老爺は声を張り上げるが、野盗共はそれに感じいった風もない。これ見よがしに刀を抜いた一人が、さも大仰に答えてみせる。
「はん、知らねぇってんなら教えてやらぁ。この山を根城にする凶賊、十郎天狗たぁ俺達の事よ!」
「そ、そんな! 十郎の奴ぁ、五年も前に晒し首になった筈じゃ……」
「おっと、幽霊って訳じゃぁねぇぞ。それが証拠に、立派な足が生えて居る」
老爺の怯えっぷりがおかしかったのか、野盗共は声を上げて笑う。
殊更大きな声で笑う野盗の向こう臑に、老爺の杖が強かに打ち付けられた。骨の折れる乾いた音と、一拍遅れて野盗の絶叫が響き渡る。
「はて。言うほど立派な足でもねぇようで」
「爺ぃ、何しやがる」
「今更、そんな間の抜けた問いがあるかよ」
先程までの怯えは何処へやら、老爺の振るう杖が二人目の野盗の喉を潰し、三人目の頭をかち割った。
二人とも即死である。およそ、白木の杖が出せる威力ではない。恐らくは鉄芯を仕込んでいるのだろうが、気付いたとてもう遅い。
老爺を囲んでいた野盗が、怯えたように一歩後ずさる。
「何をやっていやがる! 相手は跛(びっこ)だ、囲んで斬りゃあ逃げも隠れも出来ねぇだろうが!」
仲間がやられて浮き足立ちかけた野盗共は、頭目の号令で我を取り戻した。
股引(ももひき)から除く老爺の右足は、長い間使われていないのだろう、枯れ木の如く痩せ細り、足首も木の節の様に固まっている。
これは行けると踏んだ四人が、一斉に老爺へと斬りかかる。果たしてそれぞれの刃が届く寸前、老爺の姿がかき消えた。
「……あん?」
一瞬、何が起きたか分からず足を止めた四人の頭を、上から振ってきた杖がかち割る。
少し離れていた場所で、自分の見た物が信じられぬと固まっていた頭目も、やはり振ってきた杖に頭を割られた。
野盗共の身体が倒れ込むのに遅れて、老爺がひらりと降り立つ。
「ひぃぃ!」
「に、逃げろ!」
頭がやられた事で戦意を喪失した二人が逃げを打つ。老爺は詰まらなそうに足元の刀を拾い、それを投げつけた。
投げられた刀は、まるで吸い込まれるように逃げる野盗の背に突き立つ。残る野盗は、最初に足を折られた一人のみになった。
野盗は、尻餅をついたまま刀を我武者羅に振って後ずさる。老爺は、杖を突いて右足を引きずりながら追う。足の悪い物同士の鬼ごっこは、杖の分だけ老爺が有利だった。
追い詰められた野盗が、耐えきれなくなったように声を上げる。
「手前ぇ、一体何者だ!?」
「幽霊よ。それが証拠に、足が無ぇだろう」
最後の野盗も、やはり頭を割られて死んだ。
「痛つつ……」
老爺は、右足を押さえてその場に蹲る。しばらくそのままジッとしていたが、やがて痛みを堪えるようにしながらどうにか立ち上がった。
「ったく、手前ぇらみてぇに地べたを這いつくばる天狗が居るかよ。
みっともねぇったらありゃしねぇ」
その呟きに応える者は無く。
老爺は、痛む足を引きずって山を降りていった。 0550 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/09 20:23:28
どうしましょう。こんな姿で大丈夫かしら。ここまで来たらやるしかないわ。
コンコンとノックをすると、ドアを開け旦那様が現れた。
こんにちは。道に迷ってしまったのです。泊めていただけませんか。
流石ね。こんなに怪しい女でも助けてくれるのね。
いくらでも泊まって良いだなんて、私はここで一生を暮らすわ。
でも2人で暮らすなら薪の売上だけでは心もとないわね。
あら、機織機。そう、昔から家にあって、今は使ってないの。
お願いがあります。機織機で反物を織らせてください。
はい、いいのですね。大丈夫、私も覚悟があります。
え、やるなら材料が沢山ある?
よく売ろうとしませんでしたね。価値があると思わなかった? そうですか。
とにかく、機織機があり、押入れに大量の糸があり、道具を使いこなす腕もある。
任せてください。良いモノを仕上げますよ。
え、手伝う?
そうですね。糸はあるし、覚悟も無駄になったし、引き篭もる意味もないから二人で共同作業をしましょうか。
カタン、カタン、カタン。
翌日から二人で奏でる静かな音が、簡素な木造の家の中に響く。
程無く反物を数反こしらえた。
旦那様が町へ持ち込むと呉服屋で良い値が付いたようで、代わりに米や味噌を買って帰ってきた。
良かった。まだまだ材料はあるし、何の不安もないわね。
そんな生活を幾月か過す。
あら、足袋で隠していたのに気が付いていたのですか。
いつも足袋だけ脱がないから? それもそうね。
はい、もう大丈夫。脛にあった傷はもう癒えました。
旦那様が優しく撫でてくれるそこに傷はもうない。
いつか罠に掛かって旦那様に助けていただいたあの絆の証は、脛の傷から新しい関係性へと変わっていた。
ここが例の反物屋ですかい。
昔は近くの町の呉服屋に持ち込んでいたらしいが、最近では取り扱いたい商人が直接ここへ買い付けに人を遣すという。
最初はちんけな小屋から始めたと聞いちゃいるが、想像できませんなあ。
今では寝泊りできる宿も併設された、すっかり行商人たちにも有名な中継地点だ。
どうも何代か前は腕の良い製糸職人だったらしく、その時の糸の在庫が大量にみつかったらしい。
しかも何処で捕まえたのかべっぴんの奥方が織物の腕に長けた方だったようで、あれよあれよという間に蔵まで建てちまいやがった。
今ではお殿様もこの店の品を愛用してるってんだから驚きだ。
あやかりてぇなぁ。
薪を集める体力も、銃の腕もねぇからなぁ。
あっしは罠一筋でなあ。
もっぱら猪が相手だが、前にいちど鶴も引っ掛けた。
が、逃げちまいやがったからなぁ。
暴れたのか抜けた羽が幾枚も落ちていて、あれは綺麗だったなぁ、ちくしょう。
おっと。
いけね、店のでかさに見惚れて足首を捻っちまった。
痛ぇなぁ。ああ、そこの人、ちょっと手を貸してくれないかい。
そうなんだ。捻っちまって。え、お医者さんかい、それは助かる。
そうッ、そこが痛、イタタタタ、痛いって、だから。
え、折れてる? 脛の辺りにもヒビが?
なんてこった。こんな足じゃ仕事も碌な事にならねぇ。
もっとましな仕事に、転職するかな。 565 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/09 22:02:06
「ねえ、夏澄?」
満天の星空の下、麻優は凍える唇から白い息を吐きながら、前を歩く親友に声をかけた。
「なあに、麻優」
夏澄は振り向かずに答える。
「毎年、雪山で大勢の人達が遭難するじゃない?」
「うん、するね」
「私、何で遭難するのかって考えたのよ」
「ふうん、で?」
二人は滑りやすい地面に足を取られそうになりながら、慎重に歩を進める。どうやら今年は、例年よりも雪が多いようだ。
「雪山なんかに、来るからいけないのよね」
「あはは、今それを言う?」
雪深い山の頂上付近。辺りには月明かりに照らされた白い山肌と木立の影が、幻想的な景色を作り出している。二人は今、恒例の元旦登山のただ中なのだった。
高一の冬に始めて、今年で三回目。受験を間近に控えた身であるが、高校最後の思い出にと親の許しを得て、今年も二人で来ることが出来た。
「だって、わざわざこんな寒い中を、こんな重装備でさ」
重装備と言っても、防寒具の他は最低限の物しか持ってきてはいない。それでも都会の女子高生には重労働に違いない。夏澄も凍えそうな身体を震わせながら、背中に向けて声を放った。
「辛い思いをしても来るのは、それだけの理由があるからよ」
「理由って、そこに山があるから、でしょ。馬鹿じゃん」
「そうね、考えて見れば馬鹿よね。でも、誘ったのはあなたよ」
「私は、どうしようって聞いただけだよ。絶対行くって言ったのはあんたでしょ」
「そうだっけ?」
夏澄は前を見据えながら、とぼけた声で答える。もうすぐ卒業。麻優とのこんなやり取りも今年が最後かもしれないと思うと、一言一言が愛おしく思えてくる。
「少し、休憩する?」
振り向くと、暗がりの中に白い歯がニッと笑った。
「大丈夫、のんびりしてたら日の出に間に合わなくなっちゃう」
「うん」
夏澄が手を差し出すと、麻優はしっかりと握り返す。分厚いグローブ越しでも、その温もりが伝わってくるような気がした。
夏澄は再び前を向きながら、心の中で「ごめん」と呟いた。
彼女には言えない秘密がある。それは、夏澄がクラスの男子から告白されたこと。
悪い人ではない。成績は上位で女子の人気も高く、夏澄自身も好ましく感じてはいた。でも彼は、麻優が想いを寄せている人でもあったのだ。
夏澄は麻優との仲が壊れることを怖れ、交際を断った。恋と友情を天秤にかけ、友情を取ったのだ。
でもこの事を知ったら、麻優は怒るだろう。自分は間違ったのかも知れない。そう思うと余計に言い出すのが怖くなってしまう。
その後ろめたさを心に秘めながら、それでも彼女と過ごす時間が愛おしくて仕方がないのだ。たとえ彼女に嘘をついてでも、一分でも一秒でもいい、この子と一緒にいたい。
きっと私は、馬鹿者だ。でも、それでもいいんだ。
「風が出て来たね」
「うん」
吹き上げられた粉雪が遮幕となって視界を奪う。二人は足下の感触を確かめながら、歯を食いしばり白い斜面を登り続けた。
風は頬を裂くほどに冷たく、次第に手足が痺れ感覚が薄れてくる。真っ白になった世界の中でただ一つ、繋いだ手の温もりだけが、確かなものだった。
このまま、どこまでも……。命の危険を感じながら、それでも夏澄は幸せを噛み締めずにはいられなかった。
やがて、東の空が赤く染まり始めた。風も止み、星々が眠りにつく頃、二人は山頂に辿り着いた。
そこには、同じ目的をもった大勢の人が集っていた。夏澄と麻優は手を繋いだまま、人々と一緒に遥かな地平を望んだ。
朱色に滲む空の縁に、金色の筋が生まれる。その筋は地平に沿って少しずつ広がっていき、やがてまばゆいほどの光で少女達の顔を照らした。
「ねえ、麻優」
暖かな光に包まれながら、夏澄はつぶやく。
「なに?」
「どんなに危険でも、この景色を見るためなら、馬鹿でいいって思わない?」
あなたと、一緒にいられるのなら。
「そうだね」
「たとえ遭難しても」
「え、それはやだよ」
「うふふ」
周囲で、パンパンと柏手を打つ音が響き始めた。夏澄と麻優もグローブを取り、日の出に向かって手を合わせた。
パン、パンと。
標高599m。二人の打つ柏手の音が、高尾山の山頂にこだました。 0599 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/10 10:32:56
君さえ良ければだが別の部署への異動を提案したい、と上司に言われた俺は頭の中がくらくらとして自分がその場に立っているのかそれとも倒れているのかさえ解らなくなってしまっていた。
ここと違って、のんびり出来て良いじゃないか、とは言われたものの、こうして実際に異動してみれば、そこでの待遇は他の部署から厄介払いされた人間に対するそれで、どうやら殆どの社員の間に俺がこちらに来ることになった事情は伝わってしまっているらしい。
「あの人が例の……」
「まだ若いのに……」
まるで俺に聞かせることが目的のような陰口に、このままではいけない、と思いながらも、どうすれば良いか解らなかった俺は気まぐれから近所にあるという動物園に足を運んでみることにした。学生時代ですらまともに訪れたことがないというのに、今更動物園など訪れて何になるのかと思いながらも、こうして童心に帰るのもたまには良いのかも知れない。
が、残念なことにそこは動物と触れ合える施設ではあったが、動物園と呼べるほど大きな施設ではなかった。
そして。
「カピバラですか」
目の前には大型のげっ歯類がゆったりと温泉に浸かっている平和な光景が広がっていた。
「はい、寒くなってきましたし、今の時期は林檎湯を楽しんでいるカピバラさんを見ることが出来ますよ」
「はあ……」
カピバラが浸かっているお湯は本物の温泉を利用しているのだという。
香りづけのために用意されているはずの林檎を食事にしているカピバラの様子はどこかユーモラスで見ているだけで肩の力が抜けていくようだった。
こんな光景を見ていると自分の悩みがまるで些細なことのように思えてくるものだ。案外、普段自分が利用しないような施設に寄るのもたまには良いかも知れない。
そう思っていたのだが、ふと園内を散策していると猿山があることに気づき興味を惹かれて足を運ぶことになった。数十頭のニホンザルが生活しているのを見るとそれぞれに役割を持ち、豊かな社会性を構築していることが解る。まるで人間の社会のようだな、と考えていると、群れの中で一人だけぽつんと孤立している個体がいることに気づく。
「ベンケイですよ」
白髪交じりの年配の飼育員の男性に問うてみれば、その猿の名は容易に知ることが出来た。
「ほら、脛に傷があるでしょう。慣用句で弁慶の泣き所と言いますが、そこからそう名づけられたんですよ。少しばかり意地の悪い名付けですがね。大柄なあの子に良く似合う名前だと思っていますよ」
「それで、そのベンケイは何故群れから孤立しているのですか?」
「あそこの、ああ、そうです。猿山のてっぺんにいる小柄で身軽な猿がいるでしょう。あれが今のリーダーであるヨシツネです」
聞いてみれば前のリーダーであるベンケイは大柄だが憶病で、だが気の優しいリーダーをしていたらしい。しかし、そこに現れたのがヨシツネだった。あんな小柄な見た目をしているがその気性は荒く、あっという間にベンケイからボスの座を奪い取ってしまったらしい。
「こちらとしてもベンケイにリーダーを続けて欲しかったのですが、猿には猿の社会がありますからね。こちらがあれをリーダーにしてくれ、これをリーダーにしてくれ、と説明したところで意味などありませんからな」
それもそうだろう、と思いながらも、ベンケイの姿がどこかで自分と重なってしまい、俺はそれからも定期的にベンケイの様子を見に来ることになった。そして、それは自分より劣った者を見下すことで歪んだ優越感を得るための卑しい行為のように思えて仕方なかった。
「俺もお前と一緒だ。群れから必要とされず、ただ生きているだけの毎日を過ごしている」
檻の中の猿と会社の中の自分。
何がどう違うのだろうか。
いや、何も違いはしない。
餌をあげないで下さい、という注意が書かれた看板と、餌を貰えずに腹を空かせてしょんぼりした様子のベンケイ。
俺は迷うことなく、こっそりとカピバラから拝借した林檎をベンケイへと放り投げた。
「ベンケイ」
その呼びかけが届いたのかは俺にはわからなかったが、ベンケイは恐る恐る林檎に手を伸ばした。だが、それに対して周りの猿が威嚇をする。お前にはそれを手に取る資格も権利もないのだと叫んでいるのだ。だが、周りの評価なんて気にする必要なんてあるのだろうか。
「お前は俺で、俺はお前だ」
ベンケイは周囲に負けないくらいの威嚇の声を上げて林檎を手に取ると、こちらへと視線を向けた。そして俺が頷くのを見て、しゃくり、と林檎を齧った。 0771 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/10 18:00:53
その男が長平長屋にやって来たのは、木枯し吹き荒ぶ霜月も末のことだった。
見てくれは二十歳過ぎあたり、若そうだが瘦せぎすで人相も悪い。そして着物の裾から覗く左の脛に大きな傷跡があった。
「今日から入る、松吉さんだよ。仲良くやっとくれ」
大家の長平が井戸端に集っていた女房衆に紹介したが、俯いたまま挨拶もない。
その後も毎日何をしているのやらいないのやら、部屋に籠ったまま仕事に出る気配もない。長屋の連中は大層気味悪がり、戸の隙間から覗いてみたりしたが、寝転がったまま天井を見上げているだけの様子だった。
ところが数日後、長屋を訪ねて来た客人に皆は驚いた。
「こちらに、松吉さんという方はお住まいですか」
歳の頃は十五・六、仕立ての良い振袖に身を包んだ育ちの良さそうな娘だ。
女房の一人が奥を指差すと、娘は「有難うございます!」と頭を下げ、大ぶりの風呂敷包みを手に部屋へと向かった。そして戸を叩きながら「松吉さーん!入りますよー!」と、返事も待たず中へ入って行く。程なく怒鳴り声が響いて来た。
「てめえ、どうしてこの場所を! 何しに来やがった!」
「あたいから逃げようったって、そうはいきませんよ! あんたの居所なんて、ちょいと調べればすぐ判っちゃうんだから!」
「うるせえ! とっとと出て行きやがれ!」
「はいはい、このお重を置いたら帰りますよ。どうせロクなもん食べてないんでしょ」
だが娘は一向に帰る気配はない。「出ていけ!」「はいはい」と松吉をあしらいながらドタバタとどうやら掃除でもしているらしい音を響かせる。そして日が暮れた頃ようやく出てくると、女達にペコリと頭を下げ意気揚々と帰って行く。
暫くすると「畜生!」と松吉が飛び出して来た。
「松吉さん、どこへ行くんだい?」「うるせえ! 女買いに行くんだよ!」
と、左脚を引き摺るような不格好な足取りで駆けて行った。
その後も娘は度々長屋を訪れるようになり、その度に松吉と怒鳴り合いを演じる。その内に女房達とも顔馴染みになり、素性も知れることとなった。
名は加代。下谷の絹問屋、大間屋の娘だった。松吉との関係を聞くと「あたいの良い人」と嬉しそうに笑う。
だが松吉はどう見ても堅気とは思えず、一方の加代は大店の娘だ。この二人が付き合う云われがどうしても想像できない。
そして加代が帰った後、決まって松吉は夜の街へと出かけて行く。まるで当て付けのようにだ。
健気に通い続ける加代に対し、松吉の評判は下がる一方。その所為でもなかろうが当人の顔つきも益々不機嫌になって行く。
そして事件は起きた。
年が明けた正月の雪の夜、街中で喧嘩騒ぎが起きた。腹を刺されたのは松吉だった。
一命を取り留めはしたものの、長屋には町方が通いつめ騒然とした日々が続く。そして松吉の傍には、涙で眼を腫らした加代の姿があった。
大間屋の旦那も顔を見せるようになり、おかげで住人達はやっと詳しい事情を聞くことが出来たのだった。
「松吉さんは以前、鳶をしながら火消しも務めておりました。三年前の大火で店を焼かれた時に加代はあの方に命を救われたのです。
松吉さんはその時の怪我が元で職を失いました。私共は恩人に出来る限りの手を差し伸べ、あの方も快く受けてくれました。でも加代が十五になり、松吉さんと夫婦になりたいと言い出た頃から急に邪険に扱いだしたのです」
そりゃそうだろうと、皆は頷く。大店の娘と稼ぎもない溢れ者が釣り合うはずもない。相手を思えばこそ、悪者になってでも身を引こうとするのが情というものだ。
「それにしたって酷すぎるよ。あんな良い子に冷たくして、挙句に喧嘩で大怪我して迷惑かけるなんて」
「違うんです。松吉さんは、加代が悪い奴に襲われそうになった所を助けてくれたんです」
「えっ、じゃあ」
「はい、加代が遅くまでここに居座るものですから、帰りが心配でいつも見守ってくれていたと。加代も気付かなかったそうです」
「岡場所通いじゃなかったのか」「松さん可哀そうだよ」「ああ加代ちゃんもねえ」
加代はその後も変わることなく通いつめた。変わったのは、明るい内に帰るようになったことと、怒鳴り合いがなくなったこと。
松吉がようやく外を歩けるようになったのは、まだ風の冷たい、二月半ばのことだった。
「今日は二人してお出かけかい?」
「はい、天気が良いのでちょっとお稲荷様まで」
手を繋ぎ去っていく二人の背中を女房達も笑顔で送り出す。
空は青く、吹く風にも仄かな梅の香りを憶えるよう。
案外、春は近いのかも知れない。 0787 ワイスレ杯参加作品 2021/12/10 19:39:32
題名「優しい世界」
男は夢を完全にコントロールできるようになった。
それは、ある日突然というわけではなく、はたまた何かしらの高度な機械を使ったわけでもなく、書物などで自ら学び、数年鍛錬した末に会得したものだった。
初めは夢を自覚するところから始まり、続いて自分の意思で行動を起こすまでの過程を、毎晩繰り返し行った。それらのトレーニングは、決して簡単なものではなかったが、男は根気強く継続した。
夢に対する男の期待は、並々ならぬものだった。
次第に自覚から行動開始までが容易になり、自分の意思に反して覚醒することもなくなった。
ようやくコントロールが可能になったところで、男は夢の中でありとあやゆる出来事を体験することに成功した。
ある時は、大富豪として世界一周を達成し、ある時は、Tシャツとジーパンでエベレスト山を登頂した。
雲の上でおにぎりを頬張ったこともあるし、勇者となり世界を救ったこともあった。
月で裸になり自分の足跡を残して笑い、海の底で眠る怪獣に挨拶もした。
どんな夢でも、男は強く逞しく勇ましかった。無論、夢での登場人物は例外なく親切で敬意を持って接してくれた。名のない架空の生き物でさえも。
夢の中は、男にとってそれは優しい世界であり、心の拠り所だった。
一転して、現実世界は男に冷たかった。
毎日、会社で無能さを痛感させられる日々。
両親は既に他界し、愛する者などいない。
男は孤独だった。学生の頃も友人と呼べる人間はいなかった。人と話すのが酷く苦手なため、学生時代は何かにつけてひとりでいることを選んだ。学校に行くのが苦痛で、不登校児として扱われたこともあった。
そういった己の弱さに男は、三十路を越えた今も尚、後悔と自己嫌悪に苛まれていた。打ち明けることも、乗り越えることもできず、その後ろめたさから逃げるように男は、夢の世界へ足を踏みいれた。
起きている時は、大抵夢のことを考えた。
会社で上司から怒鳴られている時も、誰もいないビルの屋上でくたびれたネクタイをなびかせ、味気ないコンビニ弁当を飲み込んでいる時も、街中で知らない奴から汚いものを見るような顔をされた時も、今日見る夢の内容を考えると少し楽になった。
退屈でつまらない現実世界に、夢は救いだった。
ときおり、夢を見ることができなくなったらと不安になった。しかし、それはとても恐ろしいことだとすぐに振り払った。
男は、眠ることを生き甲斐として毎日を送った。
休みの日はもっぱら眠りに時間を費やした。酒と睡眠薬を飲めば、長い時間眠ることができた。
ある休みの前日、いつもより多めのウイスキーで睡眠薬を流し込んでベッドに潜り込んだ。だが、しばらくして尿意を催し立ち上がった。
暗闇の中、二歩進んだ。三歩目でよろけ、体勢を立て直せぬまま転げてしまった。その先にあった木棚の角に頭部を強打した男は、意識を失うこととなる。
三日後、無断欠勤を不審に思いやって来た上司により発見され、病院に搬送されるも意識は戻らなかった。
植物状態と診断された男に、面会は親戚二人だけであった。彼らは、男の不幸さと不運さに同情の涙を浮かべた。
だが、男にとって実際はそうではなかった。
夢の中に男はいた。そこで、男は笑っていた。隣には美しい女性もいて、その者も笑っている。
あの夜、強い衝撃を頭に感じて、気づけば夢の中にいた。しばらくいつものように、現実では味わえない出来事を満喫していた。だが、一向に身体から送られてくる目覚めの信号が来ない。長い夢の中で、男は自分の身に何か起きて、きっともう起きることができない状況にあるのだと悟った。
現実の世界と男はお別れすることにした。それは、念願の夢でもあった。
男は妻を持つことにした。すぐに子どもも産まれた。たくさんの子宝に恵まれ、大きな家で優雅に暮らした。多くの人が、常に自分たちのそばにいて寄り添い、困った時には助けてくれた。
時々、誰かが自分を呼んでいるような気もした。けれど、それはひどく微細でよくわからなかった。
ある日、男は妻を連れて海岸へ行った。七色に変化していく夕焼けを眺めながら、妻の肩に手を回す。幸せだと男は言った。妻は嬉しそうに頬を染め、私もよと応えた。
満ち足りた感情に男は包まれていた。
家に帰ったら何をしよう。賑やかなパーティーを開いても楽しいだろう。
男は、沈むことのない夕日に目を細めた。 日本においてゴジラやガメラを代表とする怪獣映画は世代を超えて幅広く愛される作品であり、怪獣という存在は恐竜以上に国民にとって慣れ親しんだ存在であったように思う。
だが、幾ら親しみ深い存在だからといって実際に現れて貰っては困る、というのが大多数の人々における共通認識であったことは言うまでもない。
しかし、残念に思うべきか盛大に喜ぶべきか、のっぺりとした暗褐色のぬるぬるとした光沢のある皮膚を持った大きなサンショウウオのような怪獣が東京湾の沖からざぶんざぶんと波をかきわけながら上陸したのである。
海の中に大半が隠れていたためそれまでは正確に測定出来ていなかったが、尻尾まで合わせると三十メートルはありそうな大きなサンショウウオ、それも目はつぶらでどこかユーモラスなゆるキャラのような愛らしささえ感じるし、鳴き声はといえばそれこそ可愛らしいピィという小鳥か何かなのか?と思わずツッコみたくなるようなそれで言ってみればこの生物をどう扱うべきなのか、保護するべきか、駆除するべきなのか、そもそも毒性などはあるのか、政府でも意見が別れていたのである。
だが、そんな政府を放っておいて、どうにも日本人というものは危機意識というものを失ってしまったらしく、そのサンショウウオ君(仮名)の姿を一目見るために集まってスマホによる撮影会が始まっていた。
瞬く間にネット上にあげられたオオサンショウウオ君の画像や映像に対する反響は大きく、しかもオオサンショウウオ君が思った以上に大人しい生物であることを理解したのか、自重を忘れた群衆は歯止めを知らないように思えた。
だが、ふとそんな混沌とした状況の中で誰かが呟いた。
「オオサンショウウオ君、スネに怪我してないか?」
言われてみれば、オオサンショウウオ君の左ヒザに傷のようなものが確認出来た。そもそも怪獣映画のように暴れることもなく大人しくピイピイと鳴くだけの彼は日本国民にとっては河川に迷い込んだアザラシのような存在であり、そんな彼が怪我をしていると知った大衆の意見は一つに定まった。
「可哀想だからオオサンショウウオ君の怪我を治療してあげたい」
何ともシュールな話ではあったが、それが世論として受け入れられるまでにそう時間はかからず、当時、所属している議員の不祥事が明らかになり支持率が落ちていた与党にとっても、この展開は好都合だったらしく、あれだけ紛糾していた議論は、未確認生物の治療をする、で決着がつくことになった。
国でもトップクラスの両生類の専門家などを集めたプロジェクトチームによってオオサンショウウオ君の治療方針は即座に固められ実行に移されたが、予想外なことに調査の結果、彼はオオサンショウウオではなく、他の生物でいえばナマズに近い存在であることが明らかになった。
だが、その事実を発表をしたところで呼び名がオオナマズ君に変わる訳もなく、相変わらずオオサンショウウオ君と呼ばれ続けたことは言うまでもない。
さて、彼は治療を大人しく受け入れてくれたものの、痛みがあるのかピイピイと悲しそうに鳴き声をあげるのだ。それも見物人が見守っているなかでそんな反応をするものだから。
「オオサンショウウオ君をいじめないで」
「痛みが出ないような薬を使って下さい」
瞬く間に医療チームと政府に対する批判が出始め、それに対してチームリーダーとして選ばれた生物学の専門家である男性が説明を行うことになった。
「怪我の治療をする以上は痛みがあることは仕方ないことであり、自分達も故意に痛みを与えようとしている訳ではありません。未確認生物、世間ではオオサンショウウオ君と呼ばれている個体の怪我を一刻も早く治療するためにどうか皆さんのご協力とご理解をお願い致します」
それから全国民が見守る中で治療は順調に進められ、無事にオオサンショウウオ君の怪我は完治し、日本全国がお祝いのムードに包まれたのだが、ところでこれから彼をどう扱えば良いのか、となると世間は困ってしまった。やはり保護すべきであろう、という意見が大半を占める中でオオサンショウウオ君はといえば、その日の夕方頃にのっそりと立ち上がったかと思うとゆっくりと海の方向へと歩き出した。
まさかの事態に緊急特番が組まれることになり、主要な放送局の全てがオオサンショウウオ君一色へと変わった。
夕陽が照らし出すオレンジ色の光に包まれる中、海の中へと沈んでいく巨大生物の姿がテレビに映し出される。どこかで見たことのあるその光景に感動を覚えた人もそう少なくはないだろう。やがて完全にその姿が海中に消え、どこか寂寥感が漂う中、ガタガタガタ、と撮影していたカメラが大きく揺れ、聞きなれたアラート音が鳴り響いた。 日本においてゴジラやガメラを代表とする怪獣映画は世代を超えて幅広く愛される作品であり、怪獣という存在は恐竜以上に国民にとって慣れ親しんだ存在であったように思う。
だが、幾ら親しみ深い存在だからといって実際に現れて貰っては困る、というのが大多数の人々における共通認識であったことは言うまでもない。
しかし、残念に思うべきか盛大に喜ぶべきか、のっぺりとした暗褐色のぬるぬるとした光沢のある皮膚を持った大きなサンショウウオのような怪獣が東京湾の沖からざぶんざぶんと波をかきわけながら上陸したのである。
海の中に大半が隠れていたためそれまでは正確に測定出来ていなかったが、尻尾まで合わせると三十メートルはありそうな大きなサンショウウオ、それも目はつぶらでどこかユーモラスなゆるキャラのような愛らしささえ感じるし、鳴き声はといえばそれこそ可愛らしいピィという小鳥か何かなのか?と思わずツッコみたくなるようなそれで言ってみればこの生物をどう扱うべきなのか、保護するべきか、駆除するべきなのか、そもそも毒性などはあるのか、政府でも意見が別れていたのである。
だが、そんな政府を放っておいて、どうにも日本人というものは危機意識というものを失ってしまったらしく、そのサンショウウオ君(仮名)の姿を一目見るために集まってスマホによる撮影会が始まっていた。
瞬く間にネット上にあげられたオオサンショウウオ君の画像や映像に対する反響は大きく、しかもオオサンショウウオ君が思った以上に大人しい生物であることを理解したのか、自重を忘れた群衆は歯止めを知らないように思えた。
だが、ふとそんな混沌とした状況の中で誰かが呟いた。
「オオサンショウウオ君、スネに怪我してないか?」
言われてみれば、オオサンショウウオ君の左ヒザに傷のようなものが確認出来た。そもそも怪獣映画のように暴れることもなく大人しくピイピイと鳴くだけの彼は日本国民にとっては河川に迷い込んだアザラシのような存在であり、そんな彼が怪我をしていると知った大衆の意見は一つに定まった。
「可哀想だからオオサンショウウオ君の怪我を治療してあげたい」
何ともシュールな話ではあったが、それが世論として受け入れられるまでにそう時間はかからず、当時、所属している議員の不祥事が明らかになり支持率が落ちていた与党にとっても、この展開は好都合だったらしく、あれだけ紛糾していた議論は、未確認生物の治療をする、で決着がつくことになった。
国でもトップクラスの両生類の専門家などを集めたプロジェクトチームによってオオサンショウウオ君の治療方針は即座に固められ実行に移されたが、予想外なことに調査の結果、彼はオオサンショウウオではなく、他の生物でいえばナマズに近い存在であることが明らかになった。
だが、その事実を発表をしたところで呼び名がオオナマズ君に変わる訳もなく、相変わらずオオサンショウウオ君と呼ばれ続けたことは言うまでもない。
さて、彼は治療を大人しく受け入れてくれたものの、痛みがあるのかピイピイと悲しそうに鳴き声をあげるのだ。それも見物人が見守っているなかでそんな反応をするものだから。
「オオサンショウウオ君をいじめないで」
「痛みが出ないような薬を使って下さい」
瞬く間に医療チームと政府に対する批判が出始め、それに対してチームリーダーとして選ばれた生物学の専門家である男性が説明を行うことになった。
「怪我の治療をする以上は痛みがあることは仕方ないことであり、自分達も故意に痛みを与えようとしている訳ではありません。未確認生物、世間ではオオサンショウウオ君と呼ばれている個体の怪我を一刻も早く治療するためにどうか皆さんのご協力とご理解をお願い致します」
それから全国民が見守る中で治療は順調に進められ、無事にオオサンショウウオ君の怪我は完治し、日本全国がお祝いのムードに包まれたのだが、ところでこれから彼をどう扱えば良いのか、となると世間は困ってしまった。やはり保護すべきであろう、という意見が大半を占める中でオオサンショウウオ君はといえば、その日の夕方頃にのっそりと立ち上がったかと思うとゆっくりと海の方向へと歩き出した。
まさかの事態に緊急特番が組まれることになり、主要な放送局の全てがオオサンショウウオ君一色へと変わった。
夕陽が照らし出すオレンジ色の光に包まれる中、海の中へと沈んでいく巨大生物の姿がテレビに映し出される。どこかで見たことのあるその光景に感動を覚えた人もそう少なくはないだろう。やがて完全にその姿が海中に消え、どこか寂寥感が漂う中、ガタガタガタ、と撮影していたカメラが大きく揺れ、聞きなれたアラート音が鳴り響いた。 0800 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/10 21:21:03
「ひがーしー、大湊ー。にいーしー、牧乃山ー」
呼出しが、二人の力士の名を呼ぶ。関脇牧乃山は、横綱大湊を見据えながらゆっくりと土俵に上った。
三年ぶりの対戦、緊張に身が震える。
牧乃山裕輔と大湊和也は、学生相撲時代からのライバルであり親友だった。
そっぷ型の牧乃山は多彩な技を得意とし、大湊はあんこ型で力技が持ち味。角界に入ってからもしのぎを削り合い、昇進を競い合った。
その二人に事件が起きたのは三年前、互いに大関昇進を賭けた大一番のことだった。
取り組みは白熱し、最後は土俵際で競り合った後もつれ合ったまま土俵下に転げ落ちた。その時、大湊の体が牧乃山の右の膝下にのしかかり圧し潰してしまったのだ。
折れた骨が皮膚を突き破るほどの大怪我だった。牧乃山は休場を余儀なくされ、長いリハビリ生活に入る。だがそれ以上に痛手を負ったのは、大湊の方だった。
彼は事故のショックで気力を失い、その後の取り組みを全て黒星で塗りつぶしてしまったのだ。それをテレビで見ていた牧乃山は激怒し、彼を病院に呼びつけた。
「てめえ何やってんだこの腑抜け野郎! そんなことで横綱になれると思ってんのか!」
「だって、ゆうちゃん。俺……俺……」
「いいか、俺は絶対に復帰する。たとえ何年かかろうとも、必ず復活して横綱になってやるんだ。その時に挑戦する相手はお前だ。今ここで誓え、必ず横綱になって俺の挑戦を受けると」
「うん、わかった。俺、絶対に横綱になる。先に横綱になって、ゆうちゃんを待ってるから」
その約束は、確かに果たされた。大湊は翌場所から快進撃を続け、今年の初場所をもって晴れて横綱を張ることが出来た。牧乃山も時を同じくして本場所に復帰、十一月の名古屋場所には事故前と同じ関脇にまで登りつめたのだ。
そして今、三年ぶりの対決となった。
土俵上で二人は視線を交わす。牧乃山は気合充分、気迫に満ちた目で睨みつける。対する大湊は横綱に相応しい覇気を纏い、だが静かな眼で牧乃山を見つめた。
「はっけよい、のこった!」
行司の声とともに、両者は飛び出す。牧乃山は渾身の踏み込みで大湊のぶちかましを受け切った。
(よし、いける)
だが勢いに乗って相手の廻しを取り脚を掛けようとした瞬間、違和感に気付いた。
(あれ? こいつ、こんなに軽かったっけ?)
もちろん重量級の横綱が軽い訳がない。だがこの程度の揺さぶりではビクともしないはずの体が、右に左にと揺れるのだ。明らかに踏ん張りが効いていない。
(こいつ、まさか)
顔を上げると、大湊は眼をつぶり苦しそうな表情だ。牧乃山は耳元に口を寄せ小声でささやいた。
「馬鹿にすんな、腑抜け野郎」
大湊が驚いたように眼を見開く。牧乃山は体を離すと、張り手で横面を叩いた。
手抜きではないのだろう。だが怪我をさせた後ろめたさで力を出し切れないのだとしても、そんな事を許せるはずがなかった。
相手が反応するよりも速く再び低い体勢で跳び込み、廻しを取りながら左足を掛けて押す。痛めた右脚がミシリと音を立てたような感覚を憶えたが、構わず力を込めた。
大湊は上体を浮かせてしまい、体勢を崩す。だがギリギリで踏み留まり、絡め取られた右脚を力ずくで振り払うと、土俵を踏みしめ牧乃山の廻しを上手でつかみ取った。
両者互角。場内は歓声で沸き上がる。
今度は大湊が揺さぶりを掛けながら、押し込む。怒涛の力押しに牧乃山の体が思わず浮きかけた所に、すかさず左の足払いが飛ぶ。
だが。傷跡の残る右脛に触れそうになった瞬間、その足がピタリと止まった。
(この野郎! この期に及んでまだそんなことを!)
怒りに燃えた牧乃山は、大湊を力押しする。隙を突かれ土俵際まで追い詰められた大湊は、何とか踏み留まったものの、反撃には及ばなかった。それでも。
(くそっ、もう一歩がどうしても)
牧乃山がどんなに押そうとも、揺さぶろうとも、土俵際の横綱はそこから一歩も下がろうとはしなかった。
「くそっ!」
体勢を整え、もう一度揺さぶりを掛けようとしたその瞬間。
「ゆうちゃん、ごめん」
右脚に、大湊の蹴手繰りが炸裂した。
体が浮くと同時に土俵下まで投げ飛ばされる。気付いた時には、土俵上の大湊を下から見上げていた。
「ちくしょう、こんなに強くなりやがって」
牧乃山は立ち上がり、荒い息を吐く大湊に向かって指を突きつけた。
「次は絶対に勝ってやるからな!」
「おう! いつでもかかって来い!」
大湊も声を放つ。二人は睨み合い、それから同時にニヤリと笑った。
大粒の涙を流しながら。 0815 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 09:28:45
探索!ナイトスコープという番組がある。依頼人が探索局に案件を持ち込み、探索係が依頼人と共にそれを解決するという三十年以上続いている長寿番組だ。
以前は好きで、俺は毎週欠かさず観ていたのだが、探索局の仕切り役がお笑い芸人に交代した春頃からすっかり観なくなってしまった。新しく番組の顔になった芸人が嫌いというのが理由なのだが、まあ、それはさておき、そのナイトスコープも時流に乗ってネット配信を始めていたのをつい最近知った。
初冬のある夜、日がな一日ネットで時間を潰している俺はふと、ナイトスコープを覗いてみる気になった。これを虫の知らせということもできるが、俺が観た回の配信日が半年前となっており、収録日は当然もっと前だろうから、時間の隔たりを考えてみれば、結局はいつか目にすることになる必然であったのだろう。
その回の依頼人として登場した男を見て俺は驚いた。同時に、一年前の出来事が目の前にありありと浮かんだ。
男−−当時は山シゲと名乗っていた−−の探索依頼はこんな文面だった。
探索局の皆さん、はじめまして。いつも楽しく拝見しています。
さて、私がお願いしたいのは父の遺品を一緒に探して欲しいということです。
それは代々我が家に伝わる壺で今は強盗に盗まれて行方がわかりません。
父は壺が盗まれた晩に死体で発見されました。多分犯人に殺されたのでしょう。
しかし犯人の見当はついています。
そこで検索係さんに私と一緒に犯人に会いに行って欲しいのです。
そして壺を返してくれるように説得して欲しいのです。よろしくお願いします。
俄かには信じられなかった。こんな依頼がいったいテレビ番組で成立するものだろうか。というか、そもそも俺にはなんのコンタクトもなかったし、すでに放送されてからだいぶ時間も経っている。
「いやー、探すて、犯人わかっとんのやったら警察に行ったらええんとちゃいますのん」と件の芸人がまじめに言うのもふざけた台本だ。これはいったいなんの茶番だ。どういうことなのかさっぱりわからない。
俺と山シゲは闇jobといういかがわしいサイトで知り合った。山シゲは仕事のパートナーを探していた。もちろん、おおっぴらに求人できない類いの仕事だというのは承知の上だったが、こちらも脛になんちゃらの素人ではない。何より金が欲しかったからどんなことでもやるつもりでいた。
それは、ある家に押し入って一人暮らしのジジイを縛り上げ、値の張る骨董をかっぱらうという仕事だった。捌くルートは任せておけと山シゲは言った。
そして蒸し暑い夜、俺たちは家に忍び込み、ジジイの寝ている部屋で床の間にある壺を見つけた。
壺に手を掛けようとした途端、ジジイが布団を跳ね除けて飛び上がった。
片手には日本刀が握られている。ジジイと睨み合う山シゲの手元で、いつ仕込んだのかクサリ鎌がひゅんひゅんと唸っていた。
俺はたまげた。たまげて焦った。わけがわからず布団に足を取られながら刀と鎖分銅から必死に逃げているうちに、うっかり壺に足を突っ込んでしまった。
仕方なく俺はそのまま家を飛び出して、足をガコンガコンいわせながら車に乗ると、一目散にアパートに帰り、湯を沸かしてラーメンを茹でた。
「私は父を守れず、家宝の壺まで失うという十字架を背負って生きていくつもりです」
山シゲが探索係にそんなタワゴトを言っている。俺が行ったこともない街の見たこともないマンションのドアを叩いて誰もいないのを確認して無意味な探索は終わった。日を替えて出直すというフォローもない。わけのわからない恐ろしくつまらない回だった。
あれ以来、俺は片足に壺を嵌めたままの生活を余儀なくされているが、不思議なことに腹も減らなければ喉も乾かない。おまけにマスをかこうという気も起きなくなってしまった。いったいこの壺にどんな力があるのか知らないが、なんとなく見覚えのある壺ではあった。 833 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 15:15:04
笠を押し上げ、晴天を仰ぎ見ながら息を吐く。
まだ冷える初春とはいえ、歩き通しでは汗もかく。私は、手ぬぐいを取り出そうと懐に手を差し込んだ。
自然と視線も下がり、色褪せた袈裟や、袖の破れた法衣が視界に入る。
――すっかり草臥れたものだ。我が事ながら苦笑する。
御仏の道を志し十六で出家し、修行の為に旅僧となったのが二十を過ぎた頃。以来、奥州各地を十余年に渡り巡り続けた。
奥州は冬の寒さが格別に厳しい。
寒威烈しく、雪も多い。険しい山が続き、貧しい集落も少なくない。
極寒の冬に、行脚というわけにもいかぬ。道が雪で閉ざされる間は、馴染みの寺に厄介になるのが常であった。
今年も例に漏れずそのように過ごし、ようやく訪れた雪解けの季節、旅を再開した訳であった。
ふぅ。また息を吐き、額、首筋と汗をぬぐう。手ぬぐいを仕舞うと、代わりに水筒を取り出す。ごくごくと、水を飲んだ。
さて、もうひと踏ん張り。自らを鼓舞しながら足を動かす。
残酷なまでに美しかった銀世界、その名残である泥濘んだ道を進んでいく。そこかしこの草花の上には、未だ溶け残った雪が疎らに残っていた。
坂の上に見える村里に向けて、緩やかな勾配を上っていく。程なくして、村の入り口に着く。そこで、粗末な服を着た女と行き会った。
女は私の身形を見遣る。すると、あちらから歩み寄って来た。
「もし、旅のお坊様でしょうか?」
「左様」
言葉短く返すと、女は何事かを言おうか言うまいか逡巡している様子を見せた。
「どうしたね?」
促すと、女は意を決したように口を開く。
「謝礼はしますので、家(うち)に来てお経を読んではくれませんか?」
「ふむ……」
道々出会った者たちから、似たような願いをされることは少なくない。ただ、女の様子がどうも気になる。
何処か気まずげな仕草と合わさると、態々旅僧を捕まえたのにも意味があるような気がしてならない。
――訳ありか。旅僧なら後腐れないだろう、そういう事かもしれない。
しかし、女の顔を具に観察しても、悪意のようなものは一切感じられない。むしろ、何処か切実な様子が窺える。
「……拙僧で良ければ」
女は安堵の表情を浮かべた。
「有難う御座います」
女は礼を告げると、先導して集落の中を歩き出す。 小さな村だ。『お主の名は?』『光(みつ)といいます。お坊様は?』『宗閑と申す』そんな簡素な遣り取りをしている内に、お光の家に着いた。
「どうぞ。狭苦しい家ですが」
お光に付いて家の中へ。土間から一段上がったすぐそこが、居間になっていた。中央には囲炉裏があり、ぱちぱちと燃える薪から煙が立ち昇っている。
炉端に一人の男がある。かき餅を焼いて食べようとしている所であった。お光の亭主であろう。
男は、かき餅を手に持ったまま、私の顔を、次いで私の服をまじまじと見た。最後に問い掛けるような視線を、お光に向ける。
「旅のお坊様だ。お経を読んでもらおうかと思って」
「そうか。そうか……」
男は視線を落とすと、一度、二度頷く。こちらに向き直ると、ややあってから話し始めた。
「実は、この家には座敷童が居ついとるんです」
――座敷童。嫌な予感が鎌首をもたげた。男と一向に視線が合わないことが、それに拍車をかける。
「厳しい冬でした。それでも座敷童のお陰で、この冬を何とか越すことが出来たのですが……。どうも最近、その座敷童が泣いているような気がするのです」
男はぽつぽつと語る。
「お坊様が有難いお経を読んで下されば、座敷童も安らぐかもしれねえ。俺からもお願いします」
「相分かった」
「有難い。……お光、お坊様の読経の邪魔になってもいかん。俺たちは外で待っていよう」
男は立ち上がる。揃えられた草鞋に足を通しながら土間に下りてくると、私の横を通り抜けようとする。丁度その時、男はじっと土間の隅を見た。
私が男の視線に気付いたのを、向こうも感じ取ったのだろう。男は、初めて私の目を真っ直ぐに見詰めて来た。縋るような眼だった。
「お願いします」
頭を下げると、男はお光の肩を抱きながら家の外へと歩き去って行く。
私はその背を見送ってから、先程男が見ていた土間の隅に視線を向ける。そこだけ、明らかに土の色が異なっていた。その手前で膝をつく。
両手で、そっと土をかき分けるように掘り進める。然程固くない。――土の中から麻の葉文様の着物が顔をのぞかせた。私は瞼を閉じる。
斯様な寒村では、よくあること。よくあることだった。
私は、掘り返した土を着物の上にかぶせ埋めてやる。居住まいを正すと合掌した。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無、南無、南無……」 0860 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 16:52:50
居間に掃除機を掛けていると、背後から娘の声がした。
「ママ、この子飼ってもいい」
振り返ると、外遊びから帰ってきた五歳の娘、結麻が段ボール箱を胸に抱えていた。
「そんなもの、どこから持ってきたの」
「家の前に置いてあった。ねえ、飼ってもいいでしょ」
「困った子ね。パパが猫アレルギーだから、うちでは猫は飼えないって前にも言ったでしょ」
「猫じゃないもん」結麻は口を尖らした。
「じゃあ犬なの」
「ううん」首を横に振った。
私は掃除機を止めて、ホースを壁に立てかけた。
「ちょっと見せてごらん」
段ボール箱を覗き込んだ私は、もう少しで悲鳴を上げるところだった。白いウサギに似た生き物が、赤い眼で私を見つめて、こう言ったのだ。
「やあ、久しぶりだね」
私はかつて魔法少女だった。魔法のステッキを使って変身し、世の中の悪を懲らしめていたのだ。でもやがて、そんな戦いの日々に疲れ果ててしまい、魔法少女を引退したいと申し出た。
「それは契約違反だよ」
ウサギに似た白い生き物、ジュウベエはそう言って、私の願いを一蹴した。そのとき私は自分の部屋のベッドに腰を下ろし、ジュウベエは本棚の上から赤い眼で私を見下ろしていた。普通の中学生だった私の前にある日突然現れて、魔法少女になるよう契約を迫ったのが、このジュウベエだった。
「契約に違反したらどうなるの」
「恐ろしい罰を下すことになるね。僕にそんなことをさせないでくれたまえ」
見た目の可愛さと裏腹に、ジュウベエには冷酷な一面があることを知っていた私は、その言葉に震え上がった。
「ねえ、私はもう充分戦ったでしょ。だれか別の女の子をさがしてよ」
「駄目だね。君ほど魔法少女の適性がある女の子は滅多にいないんだ。契約通り、君が18歳になるまでは魔法少女を続けて貰うよ」
とてもそんなには待てなかった。
「そう、なら仕方ないわ」私はベッドから立ち上がると、魔法のステッキを振って変身した。そして、魔法の力を使ってジュウベエを殺したのだ。 そう、確かに殺したはずなのに。
「生きていたのね」段ボール箱の中から私を見上げているジュウベエに、私は言った。
「生き返ったのさ。ここまで回復するのに、ずいぶん時間が掛かったけどね」
あのとき私は、ジュウベエの死体を細かい肉片に切り刻んで、トイレから下水に流したのだ。ジュウベエが死んだことで魔法の力を失ったステッキは、燃えないゴミの日に捨ててしまった。
普通の日常を取り戻した後も、私は長い間、罪悪感に苦しめられていた。戦いの日々に心が荒んでいたとはいえ、私はなんて酷いことをしてしまったのだろうと。でも大人になり、恋をして結婚出産、そして子育ての毎日に追われているうちに、いつしか自分が魔法少女だったことすら、今の今まで忘れていたのだ。
「ママ、どうしたの」結麻が怪訝そうに私の顔を覗き込んでいた。
「えっ」私は言葉に詰まった。この状況をどう説明すればいいのだろう。
「大丈夫。僕の声は君にしか聞こえてないから」ジュウベエがそう言ったので、私は少しほっとした。
「台所におやつがあるから食べてきなさい。この子はここでママが見ててあげるから」
私は結麻から段ボール箱を受け取った。
「飼ってもいいの」
「それは後で考えましょう。ほら行って。ちゃんと手を洗いなさいよ」
結麻が居間から出て行った後、ジュウベエは段ボール箱から飛び出して、床に降り立った。
「あの子は君に似て、魔法少女の素質があるね」
「あなたまさか、あの子を魔法少女にするつもりじゃないでしょうね。結麻はまだ五歳なのよ」
「僕がサポートすれば、五歳でも充分、魔法少女としてやっていけるさ」
「冗談じゃないわよ」私は憤然として言った。「結麻にそんな危ないこと、させられるもんですか」
「君は契約に反して、勝手に魔法少女をやめた。だから君の娘である結麻ちゃんには、その埋め合わせをする義務があるんだよ。契約書にも、ちゃんとそう書いてあったはずだ。だから、こうやって君の家を捜し出して、会いに来たんじゃないか」
「知らないわよ、そんなこと」
「じゃあ、どうするんだい。もう一度僕を殺すつもりかい」
「ああもう」私は身もだえした。「いったいどうしたらいいの」
しばらく沈黙が続いた後でジュウベエが、ぼそりと言った。
「他に契約を果たす方法が、ひとつだけ、あるにはあるけど」
「その方法なら結麻を魔法少女にしなくて済むのね」私は勢い込んで尋ねた。
「うん。まあね」 なんだか気乗り薄そうにジュウベエは頷いた。
そういうわけで私は今、再び魔法のステッキを振るって、この世の悪を懲らしめている。
人は私のことをこう呼ぶ。魔法熟女、と。 0899 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 18:13:49
明美と会ったのは社会人になって三年目のことだった。
駅前で彼女の声を聞いたとき、その圧倒的な表現力に痺れたものだ。
明美は週末になるといつも同じ時刻、同じ時間にやってきて路上ライブをしている。夜の闇に溶け込むその豊かな表現に足を止める人は多く、俺も観客の一員となることに妙な連帯感を持っていた。
そんなある日、ライブ終了後に明美から声をかけてきた。「祐二さんですよね?ライブ行ったことあります!バンドの解散ライブ素敵でした!」
確かにそうだ、よく分かったねと俺は曖昧な返事をする。
なんと、明美は俺に憧れてライブを始めたのだそうだ。たった五年でここまで上手くなるのか。俺はその情熱に舌を巻いた。
「もしよかったら、一緒に歌いませんか?」明美の提案で、俺も歌うようになった。
元々俺は高校時代バンドをやっていて、メインヴォーカルを務めていた。とはいえ、このライブは明美がメインだ。俺はハモりやユニゾンの下パートを歌い、脇役に徹した。
わああああああ!!
ライブの後の歓声が、街角に響く。夜の八時、歓楽街の近くにあるこの通りは、人通りも多い。反響する音に多くの人が振り返っていた。
どうやら俺たちは次第に話題になっているようで、誰かがライブを撮影し、その動画がバズっていたようだ。まるで知らない人たちから、動画を見たよと言われ俺たちは困惑しつつも嬉しかった。
そしてついに、俺たちにデビューの声がかかる。
「お二人の歌声、拝聴させて頂きました!」大手音楽事務所からのスカウトだった。明美と俺はついにプロデビューが決まったのだ。明美はユニット名を「AKEMI」と提案し、俺は同意した。
デビューが決まったと言え、ライブはいつも欠かさない。
どんどん増えていくギャラリーに、この後どうなっていくのかという不安とも期待とも言えない感情が芽生えていく。
ついに明日デビューライブを行うという日に、俺は明美に呼び出された。
「こうやって、憧れの祐二と一緒にデビューすることなんて、夢みたいだと思う」
俺は、本当に嬉しそうにはにかむ明美を見て、これ以上ないくらいの幸福感に包まれる。
「ね、今日……、泊まって……いかない?」
意を決したように恥ずかしがる明美をとても可愛いと思い、俺は頷いた。彼女の身体は綺麗だったが、お腹の辺りに傷があった。
恥ずかしそうにする彼女に、俺は誰にだって隠したくなるような傷はあるものさと慰める。
翌日の朝、俺は明美が目覚める前に彼女のマンションを出た。俺の心は暗い。ズルズルと続いてしまったこの関係。いつ切ろうと思っても切ることができなくて、結局ここまできてしまった。
もっと早く、打ち明けていれば違う結果になっただろうに。俺は過去に罪を犯していた。高校を卒業したあと、音楽の世界を目指さなかったのもそれが原因だ。
バンドをやっていた頃、俺はファンの女と遊びまくっていた。結果一人が妊娠。俺も彼女も高校生という立場であり、今結婚なんて考えられないと伝えた結果、彼女はショックで流産。その子とは音信不通になってしまった。噂で自殺したとも聞いた。
まさかそこまで思い詰めているとは思っていなかった。仲間に激しく責められ俺は即バンドを脱退した。バンドは別のヴォーカルを見つけて続いたらしい。
高校卒業後、俺は小さな工場に就職しそこで働いていた時、明美と会った。でも……やはり過去に犯した過ちは消えるはずもなく、明美のライブに出始めた後、時折脅迫めいた手紙が俺の部屋に届いていたのだ。このまま、明美と一緒にデビューしたら、すぐ過去のことが明るみに出て迷惑をかけるだろう。今の時代、このようなスキャンダルは命取りだ。明美はこれからなのだ。だったら、俺の行うことは一つだった。
俺は事故で喉に怪我をし歌えなくなり、明美一人でデビューする。そんなシナリオを思い描いた。そして、俺はナイフで喉をつき、病院に搬送される……。
喉をつき、声が出ないことを確認すると俺は横たわる。そして、喉に怪我をしたためデビューできない旨、メッセージを送った。
救急車を呼び病院に運ばれた俺。簡単な治療が終わりスマホを手に取ると、表示されたネットニュースの通知に目が行った。
【本日デビューの歌手AKEMI、予定通り、本日ソロデビュー!インタビューで、「脛に疵を持つ私ですが、全てが予定通り進み、ここに立つことができました!」と語る】 0907 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 19:48:16
「勇者様の凱旋だ!!」
町中に響く音楽と民衆の歓声が地鳴りの様に鳴り響く。金箔が散りばめられた白い馬車の中から、俺はぎこちない笑みを浮かべて群衆に手を振った。
俺の一挙一動で割れんばかりの拍手が舞い上がる。
「いやあ、まさか本当に魔王を追い返すとはな」
「俺はアレンの事を最初から信じていたぜ?」
「勿論、俺もだよ。アレンが魔王の正面に立った途端、尻尾巻いて逃げやがったなぁ」
俺と向かい合うようにして、二人の男が得意げな顔で会話を交わす。
彼らはギルド見習いの頃から苦楽を共にしてきた仲間だ。俺をリーダーとしたこのパーティは、人間の国に攻め込んできた魔王を追い返した。その功績が認められ、国王陛下から俺に『勇者』の称号が与えられたのだ。
「気を抜くなよ。魔王はまだ生きている」
「ああ。防衛ばっかしてられるか。こっちから乗り込んでやる」
二人が意気込む姿に、乾いた笑いを返した。来月、俺達は魔族の国に乗り込んで戦いの狼煙を上げる。今日は、防衛成功を祝う祭りと国王陛下直々の激励を頂くんだ。
これから王族や貴族の前に立つのかと、俺はキリキリと痛む胃を抑えた。
「アレン? 具合悪いのか?」
「緊張してて……」
「がはは!! お前はいつになっても、気が小さいな! 勇者はもっとドンと構えるもんだろ!」
「かも、ね……」
そんな会話をしていると、群衆の中から一際大きな声が上がる。
「アレン様のスキルは何ですか!!」
まだ幼い子供からの質問だった。
スキル。それは、生まれた時から一つだけ持つ固有能力の事だ。各種魔法に、賢者や鍛冶。テイマーもあれば、農業系だって。中には、掃除スキルなんて物もあるらしいけど。とにかく、多種多様。人間が魔物やモンスターと渡り合えるのは、このスキル持ちが大きく関わってきていた。
だからこそ、勇者と呼ばれる俺のスキルを知りたいのは当然のことだろう。
「あー、えっと……」
「悪いな、ボウズ! 人のスキルは聞いちゃいけねぇ。それが弱みになることもあるからだ! ギルドの常識だぜ、覚えときな!」
俺が返事を返すより先に、仲間がそう大声で返した。子供は少し残念そうな顔をしたが、それ以上聞くことを諦めたみたいだ。
どんなスキルか。言わなくても丸わかりな人もいるけれど、分かっていても言わないのがこの世界の礼儀だ。だから俺も、これほど長くいる仲間の本当のスキルは知らない。
「お。城が見えてきたな」
そうこうしているうちに、やっと城に到着した。
俺は顔を伏せ、深いため息を吐き出す。
「……絶対言えない……」
魔王と対峙した瞬間、魔王は顔を引きつらせながらこう言った。俺にしか聞こえない声だった。
『ちょ……タンマ……めちゃくちゃ腹痛い……』
そう言って、魔王は飛び去ってしまったのだ。
俺の生まれ持ったスキル、御都合主義展開(ラッキーボーイ)
何もしなくても、世界は勝手に俺の都合通りに進んでいく。
「何か言ったか? アレン?」
「何も」
聞こえていないのも、またラッキー。
俺、人生で一度も戦ったことないし。なんだったら剣も重くて持てませんけど。なんて……。
「言えるわけねぇや……」 912 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 20:14:22
風が窓の隙間から、ヒューッと音を立てて入り込む。冷たくて痛いその風は、付き合っていた澪と別れた僕には、犯した過ちへの罰が貰えたみたいで心地よかった。
「後悔しても、もう遅いか」
昔からこうやって落ち込むと、隣に座って話を聞いてくれていたのは、澪だった。
幼稚園の頃からそうやって澪に支えられていて、いつの間にか好きになっていた。
高校生になって付き合えた時は、嬉しさで狂いそうになる程喜んだ。
でも別々の大学に通う様になって、社会人になって。隣に澪がいなくなって。直ぐに行き場のなくなった好きの気持ちは、次第に熱を失っていった。『愛してる』や『好きだよ』が口から出なくなった。その代わり、喉元まで出掛かってくるのは『別れよう』の一言。勘のいい澪の事だから、もしかしたら薄々気づいていて、傷ついていたのかもしれない。
そして今日別れを告げた。澪は驚いて、次に小さく『うん』と呟いた。そうか、澪も冷め始めて居たんだな。最初は驚いていたけど、普段の顔に戻った澪の姿を見て、俺はそう思った。
「じゃあ、私帰るね」
最後に聞いたその言葉が、澪の声が泣いていた。急いで俺から離れようと帰っていく澪の姿がとても哀しそうで、沸々と好きが溢れ出す。
傷つけてごめん。ダメな男でごめん。今更気づいてごめん。思い出した気持ちと罪悪感、後悔はこれから忘れる事が無いと思う。忘れたく無いと冷たい風に吹かれながら思った。 937 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 22:13:04
——殺害の動機についてですが、刑事さんのおっしゃる通り十四年前の出来事に関係していることは間違いありません。ええ、イジメの主犯格の伊藤美優紀、確かに私の娘は彼女に殺されました。
いえ、分かっております。法律上、あの事件は殺人とは認められていないということを。でもそんな事は、私にとってはもうどうでもいいのです。彼女の犯した罪の名前が殺人であろうと過失傷害致死であろうと、あの女の悪意がひなたを殺したことには変わりはないんですから。
復讐、というわけではないんです。いえ正確にいえば復讐があの女の娘、穂花ちゃんを殺した動機の全てではありません。むしろほんの一部です。殺人という一線を越える為に復讐という感情を利用した、というのが本当のところかもしれません。
私は苦しかったのです。
殺されたひなたが毎晩のように夢に出てくる、それも辛いことのひとつではあります。マスコミの方々が頼みもしないのに、どのようにひなたが死に至ったかこと細かに報道してくれたお陰で、私はその時の状況を克明に思い起こすことができます。中学二年生の女の子が氷点下10℃の寒空の下、素裸にさせられて遊水池に落とされる、あの女を含む同級生達が一部始終を撮影している。
助けてください、寒いよ、お母さん、叫びながら溺れる姿を彼女らはただ笑いながら眺めている。そんな夢を見るんです。そしてそれは現実に存在した情景なのでしょう。
私はひなたと過ごした地を離れ故郷に帰り、塾の講師をしながら生計を立てていました。事件も風化して私もひなたも世の中から忘れ去られ、ここ数年は穏やかな日々でした。それでも私は苦しかった。穏やかな絶望とでもいうのでしょうか。ひなたのいないいち日。寿命というノルマをただこなしているような日々に意味を見出すことができませんでした。
何故、私が苦しまなければならないのか。シングルマザーであったとはいえ、ひなたには愛情を注いで来たつもりです。人様に後ろ指刺されるようなことなどしてこなかったし、隠さなければならないような脛の傷もありません。それなのに何故? 毎日そんな事を考えていました。
私の前に美優紀が現れたのは去年の春のことです。女子少年刑務所を模範生として出所し、結婚をして子供も産まれた、と風の噂には聞いていました。でも私の住む町に居たなんて夢にも思いませんでした。小五になったばかりの穂花ちゃんを連れて、私の勤める塾を見学に来たのです。
私はひと目で渡辺美優紀だと気付きました。忘れる筈もありません。見学会の為に記帳した美優紀の文字、かつての美優紀の面影を存分に残した穂花ちゃんの顔。これらのことが私の気付きを確信に変えました。
運命の悪戯、というと陳腐に思えますがやはり私は運命というものを感じざるを得ませんでした。
それでも、この時までは殺人などといった大それたことを考えてもいませんでした。けれど私が穂花ちゃんを殺そうと決意したのは、この親子の幸福そうな笑顔を見たときでした。
何故、この女はあんなに幸福そうに笑えるのか、おまえ達にその権利はあるのか。
それが最初の想いでした。何故? 何故。
何故私は笑顔を失い、何故この女は笑顔を取り戻しているのか。何故私はこんなに苦しいのか。何故、あの女は幸福そうに笑えるのか。
考えがここに至った時、私は穂花ちゃんを殺そうと決意しました。
あの女に有って私に無いもの。それに気づいたからです。
つまりは罪と罰。それがあの女に有って私に無いものでした。だから私は苦しいのだ、理解をしました。
私には悔い改めるべき罪も、負うべき罰もない。償うべき何かも。
だから私は変われないのだ、だから私は苦しいままなのだ、ならば、罪を犯せばいい、苦しみ、穏やかな絶望のなか人生を浪費するのをやめ、勇気を持って穂花を殺すのだ。
そうすれば私は刑期を終え、罪を償ったあかつきにはきっと笑顔を取り戻し—— 「山さん、何読んでんすか?」
「ああ、シゲか。いやな、四年前俺が担当した殺人事件、判決が確定したからちょっと昔の調書を、と思ってな」
「新潟の女子中学生イジメ死亡事件のやつですよね。あれ、意外でしたね。地裁で無罪確定、遺族側は控訴せず、ですからね」
「ああ、心神喪失ってやつか? 精神鑑定が認められてな、一審は無罪。高裁で覆って、最高裁へって流れが普通なのにな。違和感しか感じないぜ、今回は」
「遺族側が復讐の連鎖を止めたって意見も見ましたけど、どうなんすかね」
「どうだろうな。罰という救済を取り上げる新たなる復讐の始まり、と捉えられなくもない。なんか、やり切れねえな。シゲ、今日は一杯だけ付き合ってくんねえか?」
「もちろんすよ、山さん」 0940 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 22:18:32
「青山さんのことが好きでした! 付き合ってください!」
学校の屋上で、青山春香は同級生の男子生徒より想いを告げられた。
頬を赤らめ、緊張した面持ちで、彼は春香の答えを待っている。
あっさり断るつもりだった春香だが、彼の様子につい、言葉がすぐには出なかった。
人の想いを無下にすることが怖くなった。
春香はこれまで、他人と深く接することをとにかく避けてきていた。
相手の男子生徒に対しても特別な関心を抱いたことはない。
自分は他人に対して特別な関心を抱いてはいけないと、そう言い聞かせながら生きてきた。
しかし、そんな彼女だからこそ、こんなに真っ直ぐな感情を向けられたのは初めてのことであった。
その告白に対して想うことがなかったわけではない。気持ちが動かなかったわけではない。だが、受けるわけにはいかなかった。
「――ごめんなさい」
春香は顔を伏せ、呆気に取られる男子生徒を置き去りに、足早にその場を去った。
人の想いを無下にすることが怖かった。だからこそ、告白を受けるわけにはいかなかった。
彼女にはある秘密があった。
謝罪の言葉は、彼の想いを断ったことなのか、彼を騙して気を引いてしまったことに対するものなのか。
それは彼女自身にもわからなかった。
午後の授業も出席しないまま、春香は自身のアパートへと逃げ帰った。
無味乾燥な、何もない部屋。そこはおよそ生活感といったものの一切が排されていた。
何もない部屋の中央に、彼女は一人蹲る。
春香はいわゆる機械人形――アンドロイドであった。
春香は今の生活ルーチンと一般的な常識を頭にインプットされた状態で、それに従うようにして生きてきていた。
自分がアンドロイドだと気が付いたときは怖かった。
一般的な人間と同様に、人と触れ合いたい、普通に生きていたいという願望はあった。
けれどそれ以上に、他人と距離を詰めて、ただのアンドロイドであると発覚することが恐ろしかった。
失望されることが恐ろしかった。騙していたのかと、そう罵られることが怖かった。
いや、春香が人間でなくアンドロイドだと発覚すれば、わざわざ彼女に対してそんな感情を抱くことさえ、誰もしないだろう。
なぜ自分が作られたのが、自分の身分が保証されているのかはわからない。いつ崩れるとも知らぬ砂上の楼閣。けれど彼女は、自分が今以上に孤独にならないため、今の生活を守りたかった。
「この秘密は、隠さないと――」
◆
春香のいなくなった学校の教室では、銀色の細長い身体を持つ、奇妙な生き物が集まっていた。彼らの周囲には、ゴムで作られた人間の姿を模すためのスーツがある。
「青山春香は自分がアンドロイドだと気が付いている」
「やはり無理があったのだ」
彼らは遥か彼方、別宇宙からやってきた宇宙人であった。優れた技術を有している彼らは、遠い昔から地球を発見しており、そこに住まう人間達に恋い焦がれていた。
だが、長い長い距離があったために、辿り着いたときには既に、彼らの愛した人間達は核戦争によって滅んでしまっていたのだ。
辛うじて地球に残されていた、人間の思考を模したアンドロイドのデータ。人間に恋い焦がれていた彼らは、そのアンドロイドと共に、彼女の住まう場所となる人間の都市を再現したのだ。
「こうなった以上、青山春香に全てを明かすべきでは?」
「いや、人間の思考を模して造られた青山春香が望んでいることは、普通の人間社会に溶け込んで生きることなのだ。そして我らが望んでいることもまた、普通の人間社会で、普通の人間を模して生きる彼女と交流することにある」
宇宙人の提案は、即座に別の宇宙人によって否定された。全員の結論はすぐに一致した。
「この秘密は、隠さないと――」 0943 第五十八回参加作品 2021/12/11 22:49:08
どこかの皇族か、それも落ちぶれた、というのは、彼を初めて見た時の印象です。
そこは街の美術館で、名も知れぬ、熟れても売れてもいない木っ端のような気取り屋たちの住処でして、私は就職に失敗したから、仕方なく働いている事務員に過ぎませんでした。
その無精さは、初め絵画を見ている彼を見た時、場に合わぬその余りある麗しさ、芸術性から、彼を作品と見間違えてしまいったほどです。
彼のまず印象に残ったのは、そのしとりとした焦茶の短髪と、それが浅黒く濁りを帯びつつも艶のある肌に、境目無く溶け込んでいる様子でした。そして、すらりとした輪郭に、あどけなく蠱惑的な小さな唇、少女のように柔らかな瞳、眉毛、耳たぶが、その魅力を作っていたのです。
彼、十六、七ほどのその少年は、視線を奪われている私を見ると、近づきながら、日本語とも英語とも似つかない発音で「はろお、ないすとうみいとう」と口にしました。
しかし、私が立ち直れぬまま惚けた顔でいるので、彼は少し戸惑い、「こんにちは、あの、どうかしましたか、」と言って、私の手に触れました。
驚いたのは、その手の冷たさよりも、華奢で小柄な風に見えた彼が、近づくと私よりも目線が一つ上にあり、そして、その表情は子供のような無邪気さに加え、聡明さと、淫蕩さを含んでいたことでした。
私と彼とは、それから交流を始めました。
彼はあまり自分の素性を話したがらず、会話でも、一人称を殆ど使わずに喋るので、時々、誰の話なのか分からなくなることもありました。
しかし偶然でしょうか、私が彼への興味を失いかける度にひとつ、またひとつと彼は自分の正体を私に見せ、また私も魅せられ、関係は断ち切れず続きました。
彼は、数年前に母親と共に中東から来た、この国にはあまり馴染めておらず、孤独を感じている、と言いました。
そして、構ってくれて嬉しい、と私に色つきを帯びた頬で、健やかに微笑みました。
その微笑みを見た時、私は彼を、それこそ脛の傷までも含めて全て、自分だけの物にしたい、と半ば偏執的に思いました。
それからは早いものでした。私は彼の跡をつけ、その仔細を知り、彼の近くに引越しました。彼の個人的な領域に、勝手に踏み込むことに罪悪感と、気づかれた時の不安がありましたが、それ以上に、彼の元へ近づくことの幸福と昂奮が私を動かしました。
けれど、彼から跳ね返ってきたのは奇妙さでした。私は暇さえあれば彼の家を観察していましたが、彼は一度も学校に行かず、それどころか、まるで天涯孤独かのように暮らしていました。
そしてたまに、彼が外に出ると、暫くしてから私と同じ程の年齢の、お淑やかで美しい女性と共に帰って来くるのです。ですが、次の日には、彼は一人で家を出て、そして、二度とその女性は現れることがありませんでした。
それは、一回では済みませんでした。時には、私ですら知っているような高名な貴女すら彼の前に現れ、そしてまた、消えていったのです。
私は彼に騙されていたと思うものの、悪人だとはまず思いませんでした。それに、それでも良いとすら薄々感じていました。
なぜなら、私は彼の元に現れては消えていく麗女たちを見る度に、初めの困惑は姿を消し、ただ、羨ましさばかりが募るようになったからです。
ある日、私はこのままでは危ないと思い、彼と距離を置く事にしました。
しかし、彼はそんな事は露知らずに私の元へきます。そして、私がつれない態度を見せても、大した問題ではないかのように取扱います。その態度は、全く私を不健康にさせるに十分でした。
毎日、形而上の彼への想いと、形而下の理性が争い、私を苛んで、底なしの沼に融かしてしまう気がしました。
そうして朦朧とした私は、その日、普段彼が夢中になって眺めている絵画を始めて直視しました。
それは「異次元の色彩」という題名の抽象画でした。仄かに藍で染められた色紙に、深緑と、紅と、浅黄が、何かを型作るように塗りたくられ、その混じり度合いというのか、儚げなさというのか、怨憎を掛け乗せたようなのが、凄く、哀れげで。
……美しかったのです。
気づけば、彼は隣に立っていました。
横目を見ると、彼の目は洋墨を滲ませたように濁り、そこには深淵が広がっていました。
しかし、ちらと見える鎖骨やうなじは扇情的で、そして私の細い手にしっかりと指を絡ませて、なよやかにか細い声で「はろお、こんにちは、」と言って嬌笑するのです。それは、まるで客を虜にする遊女そのものでした。
そして私は、この妖艶に食い殺される宿命なのだ、と自認しました。 0944 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 22:51:13
もし無人島に一つだけ持っていけるとしたら、何にしますか?
こんな月並みの質問を、話題のつきた飲みの席で誰かが始めたことはないだろうか?
俺は『帰りの船』と答えてその場を白けさせたことがある。
安心安全とは無縁の無人島での暮らしなんか、全く想像もできなかったから。
「……ここは?」
目を開くと汗が目に入って再び閉じる。手の甲で拭くと痛みが走った。
「大丈夫?」
すぐそばに体育座りしている女がいて、じっと俺を見つめていた。起き上がり、見回すと遠浅の海が広がっていた。通勤用のスーツが砂だらけだ。
「ずっと起きないから、死んでるかと思った」
くすり、と気怠げに女は笑う。大きめの作業服の中で体が泳いでいそうなほど小柄な女だ。よく見たら他にも人がいる。坊主頭で皆が同じような鼠色の作業服。全部で百人くらいか。
「私たち、デスゲームに巻き込まれたみたいだよ」
冗談めかして言った女の言葉をまさかと鼻で笑いながら返すと、
「小林翔太! 前へ!」
機械的な音声が響き渡り、皆に一斉に緊張が走った。群衆の中央に、山羊頭のマスクを被った男の映ったアクリル板が設置されていて、その周りだけぽっかりと丸くスペースがあいていた。そばに赤黒い物体が転がっているが、あれは、まさか死体じゃないだろうな?
「小林翔太。最終判決懲役六年。グレード35。希望する武器は?」
「はい、じゅ、銃でお願いします」
「承認」
回転音と共にドローンが飛んできて、小林の前に小さな黒い物体を落とした。よく見ると他にもあちこちにドローンが飛んでいる。それぞれカメラやら銃器やらが搭載されていた。 もしかしてカメラでライブ中継されているのか? どこか安全な場所で、殺し合いを楽しむ誰かのために。
「優勝した二人だけが無罪放免。刑務所出ていいんだって。めっちゃ豪華だね」
「俺、受刑者じゃないんだが……ああ、そうか。俺がここにいるのは間違いなのか」
二十七歳省庁勤務。俺はここにいる脛が傷だらけの連中とは違う。電車で痴漢と誤解されて捕まったことがある。だが運よく無罪が証明されたから問題はないはず。
半数ほど武器が行き渡った。判決が重いほどグレードの数字が上がってる。凶悪犯ほど強い武器を貰えるシステムらしい。
「加藤マリア」
女の子がすっくと立ち上がる。グレードはなんと100でサブマシンガン。戻ってきた彼女はへへっと笑って、
「ただの横領」
うっとりとした目で黒光りする銃に指を這わせる。
「裏で数字弄ってる時だけ、生きてるって気がしたんだよね」
その艶かしい顔に、ヤバい女だと思いながらも背筋がゾクリとした。こんな所で変な性癖に目覚めさせないでほしい。
いよいよ俺の番になった。震えそうになるのを堪えながら山羊頭の前に立つ。
「初めまして。○○庁に勤めています塚野と申します」
「不起訴。グレードゼロ」
「え、あ、いえ、私はそもそも受刑者ではなくてですね――」
「希望する武器は?」
山羊のマスク越しに伝わってくる、にやにやした悪意の笑顔。俺に気付いた連中が好奇な目を向けている。
そうか、俺は噛ませ犬として呼ばれたのか。ゲームを盛り上げるための弱者として。
震えるかと思ったがそうでもなかった。それどころか怒りが沸々と湧いてきた。
悪人ほどいいモノが与えられる? なんだ、そのクソみたいなシステム。俺の働く社会そのものじゃないか。
カメラの向こうにいる奴らを睨みつける。
示してやる。脛に傷のない者が勝つ姿を。
「一億円」
「はい?」
「『一億円』ってのはグレードゼロの武器としてぴったりでしょ?」
「おいおい無人島バトルで金もらってどうするんだよ!」
大笑いの渦が起きたが、受刑者の何人かは俺を凝視していた。
そうだ、誰か気付いてくれ。
俺を相棒として選んで島を出れば、大金が手に入るということを。
「承認」
ドローンがきてスーツケースが一つ落とされた。
口座に、と言ったのに。これじゃ相棒じゃなくて獲物として選ばれるじゃないか。
「ちくしょう!」
開始十分前、と頭上のドローンが電子音声で告げると、銘々が無人島に散っていった。
血走った目の何人かが俺を取り囲む。かつてない高揚感が腹の底を抉った。
せめて一矢を、とスーツケースを構えると、すっと間に人影が入ってきた。銃口を奴らに向けたマリアはチラッと俺を見て、
「お兄さん、公務員って本当?」
「あ、ああ」
「ふぅん、結婚してくれるなら組んでもいいよ?」
返事の代わりに肩を抱き寄せる。キスすると、彼女は真っ赤になって袖で拭った。
「それではゲームスタートです!」 0956 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 23:29:09
走れなくなった私は親友の彼氏と寝た。
どうしてそうなったかというと、走りすぎで脛が痛くなったのが始まりだ。
医者に見せるとシンスプリントと言われ、二ヶ月間運動が禁止される。それでも我慢ができずに走っていたら皆から怒られて、ついには家族からも走ることを禁止され、監視役がついた。それが幼馴染の智樹で、親友の由美の彼氏だった。
由美が同じ陸上部で智樹が野球部。私は律儀に部活が終わるまで待って、三人で一緒に帰ったりもする。だけど、自分が走れない陸上部を眺めるのは苦痛で、そして退屈だった。
耐えきれなくなった私は一人で帰るようになる。それを何回か繰り返しているうちに何故だか智樹も付いてくるようになる。
「ついてこなくてもいいのに」
なんてぼやくと、ニカッと笑ってこう答えられる。
「お前んとこの父ちゃんと約束したからな、それに由美も心配してたから放っておけねぇよ」
「あっそ」
空返事でも彼は気にするそぶりもなく私の後をついてきた。
気晴らしに最寄りじゃない駅で降りても律儀に後ろをついてくきた。面白くなかった。
彼の行動も、無為に時間を潰すしかない私も、走っている由美も、全てが面白くなかった。撒いてやろうと足に力を入れて走ってみるも、すぐに脛が痛み、智樹に追いつかれてしまう。そして怒られた。
それでも、少しだけ感じた風は気持ちよかった。
そうしているうちに一ヶ月が経って、走れないままの私にもやっぱり慣れてなくて、これがあと一か月続くのかと思うとゾッとした。
イライラが募っていく私は部活で走っている由美が妬ましくて、強く当たってしまう。始めは由美も流してくれていたが、甘えているうちに私と話してくれなくなる。それでも智樹は私を見張り続けていた。
「もうついてこなくてもいいんじゃないの?」
「目を離したら走るだろ」
「私なんかよりさ、由美の方が大切じゃないの?」
「大切だけど今は由美よりお前の方があぶねーだろ」
なんてことをいけしゃあしゃあというのがムカついて、喧嘩でもずればいいのに、なんて願う。すると、本当に喧嘩したらしく、私たち三人の間はギクシャクとなった。
そのことについて、智樹に責められる。
「自分がうまくいってないからって人に当たるなよ!」
「じゃああんたも野球できなくなってみればいいよ!」
「今お前のせいで部活行けてないじゃねぇか!」
その通りだった。なんの反論もできなくなった私は押し黙る。彼はそのまま続けた。
「お前のせいで由美とのデートもできないしさ!今日だって本当は!」
力強く肩を押されて私は尻餅をつく。
「埋め合わせ……」
「何が?」
「埋め合わせ、私がしたらいいんでしょ?」
「どうやって埋め合わせるんだよ」
「別に、ただ体を使うだけよ」
血走った目が、私を見ていた。
一週間が経った。私たち二人と一人はギクシャクしていた。
由美は部活で走りにいき、その間に私と智樹はセックスをする。セックスと走ることは全く似てもいない。ただ、疲労感と苦痛が残ることだけは同じだった。
二週間が経って。足の痛みはほとんどなくなっていたが、以前ほど走ろうとは思わない自分がいた。由美とも仲直りをして、私たち三人は表面上だけ元に戻る。三人で帰り路を歩き、そして二人と一人に別れ、二人はセックスをする。何度肌を重ねても慣れることはなく、異物感だけが心と体にヘドロのようにへばりついていた。
さらに一週間が経って私は医者に行く。オーバーワークをすればまた再発すると脅されるも走ることが許可される。翌日には意気揚々と陸上部へと顔を出した。
久しぶりに足を動かして風を感じる。あれほど切望していた陸上だった。そのはずなのに、走ることが楽しくなかった。明らかに心と体が重く感じたのだ。
私が本調子をつかめないまま。高校最後の大会が近づいていた。
リレーの走者を決める選考会が開かれていた。四人いるうちの三人は決まっているも同然で、最後の一人は私と由美のどちらかだった。
純粋にタイムで決めることになり、私たちは促されるままスターティングスタートの姿勢をとる。その時、不意に由美と目が合った。彼女は負けないから、なんて闘志に満ちた顔つきをしていた。私は……。
私はどんな顔をしていたのだろうか。
先生が笛を吹く。地面を蹴る。だけど楽しくない。風を感じない。散漫な気持ちで走った私は大負けをする。
どうしたの、と彼女が聞いてくる。私は顔をうつ向かせながら呟いた。
「まだ、脛が痛い気がする」 960 第五十八回ワイスレ杯 2021/12/11 23:35:31
「この餓鬼畜生! 老いさらばえた狗め! 地獄に墜ちろ!」
取り押さえられた男が、目を血走らせながら叫ぶ。儂はそれを無表情で見下ろした。
「連れて行け」
たった一言告げると背を向ける。後ろから罵詈雑言が繰り返し浴びせられた。
儂は構わず歩みを進める。
宮門から伸びる石畳の上を歩く。いくつかの宮の前を通り過ぎ、角を曲がり、また通りを抜けて目的地を目指す。
途中、途中行き交う女官、宦官、妃嬪までもが怯えた目を向けて来る。
無理もない。最も悪名高き宦官といえば、それはこの儂、趙貫に他ならない。
讒言で人を陥れ、官職を売り、皇帝や皇太后に媚び諂い、いやはや、その人生の何と血と罪に塗れたものだろうか!
先程の男の様に破滅させた人間は、数え切れない。
されど、どれだけ悪事に手を染めようが、いっかな良心の呵責が消え失せることもなかった。先程の男の叫び声が耳にこびり付いて離れない。
クク、何とも可笑しな事だが。儂ほど悪吏が似合わぬ性分の者もおるまい。しかし皮肉なことに、能力面での適正は図抜けていたのだ。
冷泉宮の前を通る。そこで一人の女と鉢合う。貴妃の明蘭だ。儂のことをじっと睨む。
その目の中に怯えの色はない。どこまでも清廉な眼差し。その眼光に淀んだ心が晴れるかのようだ。
「これは、これは、明蘭妃。如何しました?」
儂の猫撫で声に明蘭は柳眉を逆立てた。
「また、無辜の人を陥れたのですね」
何と直截な言葉か。呆れてしまう。腹芸の一つも出来ぬでは、危なっかしくて仕方がない。
が、皇帝の寵を得て、四夫人の一、貴妃となった今の彼女なら、早々その立場を脅かされることもあるまいが。
儂はニタリと笑うと、無言のまま明蘭の横を通り過ぎる。
明蘭、彼女に対する皇帝の寵愛ぶりを見るに、直に皇后となるだろう。そして、その時が儂の死期に違いあるまい。
明蘭の立后から僅か半月、儂は皇帝、皇后の前に引き立てられた。これまで儂が破滅させた者たちと同じく縄で縛られ、跪かされる。
明蘭はどこまでも清廉な瞳で儂を見下ろした。
「趙貫、何故それ程までに悪事を重ねたのです?」
何故、か。儂は七年前のことを思い出す。
あの日、新しく後宮に来たのは十四の娘だった。
欲、嫉妬、陰謀渦巻く後宮にあって、その娘は何処までも異端であった。まるで泥中の蓮のような娘であった。
しかし、外では美徳となるその気性も、ここ後宮では致命的な欠点だ。
瘴気立ち込める後宮で、清らかな娘が無事でいられる筈もなかった。
無垢な娘――明蘭を守るには、後宮で陰然たる影響力を持つ必要があった。そして、その為には罪を重ねる必要があったのだ。
儂は明蘭の顔を見上げる。
この女は夢にも思うまい。儂を罪に駆り立てたのが、老いらくの恋であったなどとは。
それを伝えるわけにもいかなかった。知れば、明蘭の心に影を落とすだろう。
儂はニタリと笑う。
「何故ですと? 愚かなことをお聞きなさる。権勢を欲するのに理由が必要ですか? ハハ! 宦官として権勢を極めたこの数年、思う存分楽しめましたぞ! 何もかもが儂の思うまま! 好き放題振る舞い、気に入らぬ者を始末して! ハハハ! ええ、そうです! 儂は悪事を存分に楽しんだのです!」
明蘭は柳眉を逆立てる。
「連れて行きなさい」
澄んだ声が響いた。 0974 第五十八回ワイスレ杯参加作品 2021/12/11 23:56:44
「まだ首謀者は分かりませんの?」
煌びやかな調度品に囲まれた応接室で、ミラシュカ伯爵令嬢の濃い緑色の喪服は際立っていた。
「えぇ、生憎……」
そんな彼女と相対するヘンリックは、痛ましげに目を伏せながら、まじまじと彼女を観る。高く結った白銀色の髪をすっぽりと覆う黒いヴェールは鼻まで垂らされており、表情は窺い知ることができない。しかし、老若男女、様々な貴族と対面してきたヘンリックが察するに、背筋を伸ばしてソファに座るミラシュカ嬢は、社交界がしきりに噂するような『まだ成人を迎えたばかりにして婚約者を毒殺された悲劇の令嬢』では決して無い。彼はそう確信していた。
「なにぶん先のエーリング侯爵――ヘルナン氏には、政敵が多かったので」
「えぇ、存じておりますわ」
反応を伺うヘンリックに、ミラシュカ嬢はさして感じることも無いように応じる。そう来るか、と、ヘンリックは多少気に掛けながら次の言葉を探す。
ミラシュカ嬢とヘルナン候は婚約者という関係だった。しかし、両家で婚約を取り決め、王城へ報告し、周囲への根回しを終え……そして、大々的に公表するというパーティーで、ヘルナン候は毒殺されたのだ。
ただ、ヘルナン候には良からぬ噂が多かった。立場にものを言わせてうら若き令嬢を手に入れた、とは、これも社交界の噂であり、ヘルナン候とミラシュカ嬢が爺と孫ほどに歳が離れていたことも噂に拍車をかけていた。
ただ、ヘルナン候は多数の貴族に影響力を持っていた。一大派閥の主でもあった。そんな大貴族の毒殺で社交界は大いに騒ぎ立った。
その混迷を鎮めるために、ヘンリックは王城から差し遣わされ、いろいろと調べ回っていたのだ。
「……では、アンブロウ子爵は?」
ミラシュカ嬢の突然の名指しに、ヘンリックは少々驚きながら答える。
「かの家は、御当主が急な病で。招待状に返事すら出来ないほどであったらしく」
「では、キルスロイ公爵」
「敵対派閥ですが、公爵が自ら手を下すとは思えませんな。そも、下手人らしき者を潜り込ませた様子もありません」
「ドゥテナ男爵はどうかしら?」
ふむ、とヘンリックは顎に指を当て考える。立て続けに毒殺犯として怪しげな候補を上げるミラシュカ嬢に違和感を覚えたのだ。
(どうかしら、とは? さて、犯人を捜し当てたい……という訳ではないのか)
そうして、上目遣いにミラシュカ嬢を見ながら答える。
「……毒が問題ですな。手に入れることができるような経済状況ではなかったかと」
そこでヘンリックが知る限りでは始めて、ミラシュカ嬢は、まぁ。と小さく、驚いたような声を出し、芝居がかった調子で続ける。
「よほど高価な毒でしたのね。それほどの恨みを買っていた、ということかしら?我が婚約者殿は」
「まぁ、そういうことでしょう」
ヘンリックは調子を合わせながら、ミラシュカ嬢のヴェールの奥と目を合わせようとした。
「例えば、そう、例えば。男女の仲を引き裂いた、とか。あったかも知れませんな」
そう、言い終わるより先に、ミラシュカ嬢は口元に手を遣り、ふふふ、と優雅に笑う。
「あぁ、そんなこと。たしか、あったのかもしれませんわね。婚約者という立場柄、何かと、いろいろと、見ることが多かったのですよ、わたくし。」
「なるほど」
なるほど、と重ねて呟きながら、ヘンリックは目を閉じた。
(なるほど、ミラシュカ嬢が首謀者か)
しかし、ヘンリックにとっては犯人が誰かなどは大した問題では無いのだ。ヘンリックが命じられたのは、騒乱を鎮めることだ。
エーリング侯爵の派閥はヘルナンの死亡で瓦解しかけている。寄り親を失った貴族たちは他の派閥に散るだろうが、いったい何処の誰ならば、自派閥の主を毒殺したかもしれない者が混ざり込んでいるかもしれないのに、受け入れるだろうか。エーリング派閥の内ですら、既に犯人を捜すための探り合いが始まり、存在しない罪を暴き合う……内乱に発展しようとしているのに。
「自殺、という可能性もありますな」
ヘンリックが深く考え込むようにして俯きながらそう言えば、ミラシュカ嬢は明らかにうろたえ、ヴェールが小さく揺れた。
それが一番手っ取り早く事態は収束するのだ。 「あれ、おかしくね?」
「何で?」
「ほら、最近クリスマスソングが流れ来ない」
「あっ!」
「TVCMもスーパーも百貨店もクリスマスの飾りはしてるのにどこもクリスマス商戦が冷え切ってる」
「そういえば」
「クリスマス商戦でこけると経済は重症になると言われてる。まさに『脛に傷』なんだ」
「でも、お、お正月商戦もあるから」
「この国でお年玉で買おうってCM,見たことあるかい?ほとんどないぞ」
「それどころか今年はケンタッキーのCMすら流れてこないんだい?」
「あっ!」
そう、クリスマスと言えば竹内であった。
「スキー場のCMも久しく見ない」
「時代が時代なら『JR SKI SKI』と宣伝するはず」
「そうだった」
「「衰退国日本!」」 「こ、殺す? 本当か」
「そりゃそうだ。占いの結果なんだから」
「たかが占いでそう言われたぐらいで殺すのか。考えられん」
「ばばあの占いは当たるんだよ」
平治は言った。
「キチガイの所業だぞ。殺さなくても他に方法があるだろ」
「平治、それ以上言うならお前を殺す」
平治は黙り込んだ。辺りを静寂が支配する。
「どうやって殺すんだ」
佐吉が問うた。
「それについては俺に考えがある」
リーダー格の次郎が言った。
「俺と太郎は以前、隣の村の孝太郎を殺した」
「それは知ってる」
「酔わせて、首を締める。麻縄で」
「やるのか、本当に?」
「平治、心配するな。心持ちだ。怯んじゃいかん。決して怯むな」
縄をかけ、思いきり引く。
「があ……ぐっ!」
「すまん、これも村のためなんじゃ」
「ぐっ……ゆ……許さん……絶対に……お前達を……戦争……戦争じゃ……」
赤黒く鬱血した顔が紫色になり、死神か悪鬼羅刹かという凄まじい姿に、皆息を呑んだ。
やがて力をなくした旅人は、ぐったりと崩れ落ちた。
「やったか?」
「ああ」
毒々しいまでに赤く染まった顔は、恨みを孕んだ眼差しをこちらに向けている。睨まれているかと思い、太郎は少し心を乱したが、すぐに落ち着きを取り戻した。
佐吉が言った。
「飯が食えねえよ」
平治が何か呟いた。
皆理解していた。
人を一人殺すということは、非常に精神力を消耗する。体力も。
本当に、大変なことだ。
やるなら、復讐されない方法に限る。
一人ずつ一人ずつ殺していって、敵を排除して……それでどうなる?
どうなるものでもない。
平治の胸に、悲しみが去来した。 一つ目
> 皆理解していた。
> 人を一人殺すということは、非常に精神力を消耗する。体力も。
> 本当に、大変なことだ。
> やるなら、復讐されない方法に限る。
> 一人ずつ一人ずつ殺していって、敵を排除して……それでどうなる?
> どうなるものでもない。
> 平治の胸に、悲しみが去来した。
平治は殺しをためらっていた人間
その人間が殺すことによって復讐するということを具体的に想像することは考えにくい
「皆理解していた」イコール皆同じことを考えたという意味だが、
その中には殺しをためらった平治もいる
平治がこんな考えを持つということは普通に考えたらおかしい
二つ目
>「ぐっ……ゆ……許さん……絶対に……お前達を……戦争……戦争じゃ……」
これを言ってるのは「旅人」
戦争ってのは複数人対複数人
隣村の住人ならこのセリフはあり得るが、一人で旅してる人間が言うことは考えられない
間違い しかも結構致命的な間違い
三つ目
>「すまん、これも村のためなんじゃ」
>「ぐっ……ゆ……許さん……絶対に……お前達を……戦争……戦争じゃ……」
ここだけ口調が変わってる
絶対にあってはならないミス
ということで、リーマンも境界知能ということが分かる
こんな分かりやすい間違いを見逃していたら作家としてはやっていけない
ワイはせっかく出した俺の問いに答えないという、最低の行為をした
なので、俺は「境界」「境界君」という名前をワイにプレゼントする
元々お前が無視したのが悪い 【悲報】2100年の世界GDPランキング、日本終わるwww(イギリスLANCET調べ)
【2100年予想(2020年統計予想)】
※人口予想は国連統計
1位 アメリカ(人口:4億2060万人)
2位 中国(人口:10億8560万人)
3位 インド(人口:15億4680万人)
4位 韓国(人口:8440万人)
5位 ドイツ(人口:5690万人)
6位 フランス(人口:7900万人)
7位 イギリス(人口:7710万人)
8位 オーストラリア(人口:4140万人)
9位 ナイジェリア(人口:9億1380万人)
10位 カナダ(人口:5080万人)
・・・
20位 日本(人口:4050万人)
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