好きな男に恋人ができた。私はそれを素直に祝えなかった。別に、それを伝えられたとか、カミングアウトされたとか、そういうわけじゃ全然ないし、ただ聞いてしまっただけで、祝わないといけないとか、そんなわけでもないんだけど、とにかく、私は祝福できなかった。その理由は多分いろいろあるけれど、一番はその恋人が顔も知らない男だったからに違いない。
 なんで?どうして?なんて問いかけるのは違うと思った。そうしたところで私のものになるわけでもないし。普通に知らない女の子に奪われるなら諦めがついたのに、なんて宙ぶらりんな私の気持ちはのどに刺さった小骨みたいだ。何かをするたびにチクチクと痛む。
 例えば、君の好きな曲を聴くとき、君が褒めてくれたピアスを付けるとき、君と一緒に通った道を歩くとき。何をするにも思い出が私を苦しめた。
 この道でいつも缶コーヒーを買ってたり、角のパン屋のメロンパンが好きだったり、バイト終わりはいつも誰かに連絡していたり、そんなことばかり思い出していて、気づけば恋人ができる前よりも彼のことが好きになっている気もした。
 でもさ、仕方ないじゃん、好きなものは好きなんだから。心の中でぼやいてみても、それは彼にも言えることだった。
 男を好きになってしまったのだから、仕方ないじゃん。
そのことに口出しできる権利なんて私にはない。だけど、同じように私の気持ちに口出しできる権利も誰にもない。
だから、この気持ちは自分でどうにかするしかなかった。

久しぶりに外に出ると、雨が降っていた。
お気に入りを選ばずに、透明なビニール傘を差した。
行く当てもなく街をぶらつくも、心を辛くするばかりだった。気分転換にもなりやしない。
仕方なく入ったコンビニで、お茶とおにぎりをかごに入れる。ついでに目に入った普段手に取らない雑誌なんかも買ったりもする。
公園の雨宿りできるベンチで、もそもそとそれを食べながら、雑誌に目を通す。
季節のコーデ、おすすめのコスメのページ、それに加えて、断捨離のコラム。
もうすぐ夏だってのになんで断捨離のコラムなんだろう。不思議に思いながらも、一番熟読したのはその部分だった。
帰るころには雨は止んで、所々オレンジ色の空が顔を見せていた。

家に着いた私はまず衣装棚をひっくり返す。そして靴箱やアクセの箱、スマホのアルバムの中、連絡先、アナログデジタルにかかわらず身の回りのものをすべて開けて回った。そして、彼に関するものを片っ端からゴミ箱の中に突っ込んでいく。そうしてすっからかんになった部屋の中で私はため息をついた。
 彼のことを遠ざけて、思い出さないようにして、果たしてどれだけ効果があるだろうか。
 その答えは、ほとんど意味がない、である。

 翌日、私は好きな男と出会う。街中でばったりと、偶然にも、皮肉にも、出会ってしまう。彼の隣には恋人がいて、男同士だってのに、手をつないでいたりして、私の心は引き裂かれそうになる。
「久しぶり」
 目が合ってしまったので渋々と声をかけると、彼は少し気まずそうにして、それから諦めたように薄く笑みを浮かべた。いつの間にか、二人は手をつないでいなかった。
 気にするなら、最初からしなければいいのになんて思いながら、私は恋人の顔をじっくりと眺める。特別かっこよくもかわいくも、男らしくもない普通の顔だった。
 それがとても気に食わなくて、わざと意地悪な質問を投げかける。
「そっちの人は?」
「いや、えっと、友達だよ」
 少しだけ詰まって、彼は答えた。追求しようかと思った。でも、私はそうしなかった。
「そっか、また学校でね」
「うん、また」
 それだけを交わして、私たちはすれ違う。一人と二人、距離が離れていく。振り返ってみても、もう手はつないでいなかった。
 追求して、騒ぎ立てて、彼らを辱めて、そうすることもできたけど、私は選ばなかった。声をかける前がとても幸せそうだったから、私と一緒の時にはそんな表情を見せていなかったから、それを壊してしまうのは、余りにもみじめに思えたから。いろいろな理由があったと思うけど、一番の理由はきっと、失恋できたからだ。
 彼に恋人がいる。その事実を目の当たりにすることで、私の宙ぶらりんな気持ちがようやく一区切りついたからだ。けれど、まだ完全にはついていなかった。
 部屋に戻った私は、昨日捨てようとしていたゴミ袋から思い出を取り出して元の場所に直していく。それから、携帯を取り出して、一通、メールを作った。
 好きだよ。それだけを書いたメッセージ。送ろうとしたけど、連絡先だけは復活できなかったので宛先不明のままだ。それでもかまわなかった。だって初めから、これだけをごみ箱に捨てたかったのだから。