□■□評論家・三島由紀夫■□■
古今集の世界は、われわれがいはゆる「現実」に接触しないやうに注意ぶかく構成された世界である。プレシオジテが
つねに現実とわれわれとの間を遮断する。それは日本におけるロココ的世界であり、情念の一つ一つが絹で
包まれてゐるのである。
文化の爛熟とは、文化がこれに所属する個々人の感情に滲透し、感情を規制するにいたることなのだ。そして、
このやうな規制を成立たせる力は、優雅の見地に立つた仮借ない批評である。貫之の序が、一見のどかな文体を
採用してゐるやうに見えながら、苛酷な批評による芸術的宣言を意味してゐることからも、これは明らかである。
(中略)
古今集は「人のこころ」を三十一文字でとらへるために、言葉といふものを純然たる形式として考へ、感情といふ
ものを内容として考へた整然たる体系を夢みてゐた。これが「新古今集」との明らかな較差であつて、近代詩派が
むしろ新古今集に親しみを感じるのは、言葉自体のこの純形式的意欲がそこでは一種の象徴言語に席を譲り、
象徴において言葉と感情は融合してゐるからである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より 古今集ほど、詩の複合的な情緒(シュティムンク)を欠いた歌集はめづらしい。(中略)
古今集における四季の歌に、貫之のいふ「誠」を求めるのは至難の企てであるやうに思はれる。しかし「目に見えぬ
鬼神をもあはれと思はせ」る歌の「誠」とは、古今集では、近代人の考へるやうなあからさま誠実ではないのである。
(中略)
想像力の放恣が不正確に陥り、一定の言葉にこめられた意味内容が無限にひろがり、芸術的効果が(いかに
美しくとも)何か不確定なものに依存することになるのを、古今集の四季の歌は厳密に避けてゐた。一定の効果への
集中度によつて、混沌が整理され、整頓された自然ははじめて人間的なものになるのであり、抒景歌の「感情の
真実」はそこにしかない、と考へるときに、すでにわれわれは古今集の「詩学」の裡にゐるのである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より 実はこの秩序の観念こそ、「みやび」の本質なのであつた。草木も王土のうちにあつて帝徳に浴し、感覚の放恣に
委ねられたいかなる美的幻想的デフォルマシオンをも免かれて、一定の位置(位階)を授けられ、梅ですら官位を
賜はり、自然は隈なく擬人化されて、それ自体のきはめて静かな植物的な存在感情を持つやうになり、そのやうな
存在感情を持つにいたつた自然だけが、古今集の世界では許容されるのであれば、四季歌における「誠」はどこに
存するか明白であらう。それは草木の誠であり、草木は王土に茂り、歌に歌はれることによつて、「みやび」に
参与するのである。
古今集における「誠」とは、デモーニッシュな破壊的な力を意味しなかつた。秩序において演ずる一定の役割に
「真実」を限定することこそ、やがて詩語と詩的宇宙を形成する必須の条件であり、言葉はそこではじめて
「形式の威厳」を獲得する。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より 私は自殺をする人間がきらひである。自殺にも一種の勇気を要するし、私自身も自殺を考へた経験があり、自殺を
敢行しなかつたのは単に私の怯惰からだとは思つてゐるが、自殺する文学者といふものを、どうも尊敬できない。
武士には武士の徳目があつて、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあつては、作戦や突撃や一騎打と
同一線上にある行為の一種にすぎない。だから私は、武士の自殺といふものはみとめる。しかし文学者の自殺は
みとめない。日々の製作の労苦や喜びを、作家の行為とするなら、自殺は決してその同一線上にある行為では
あるまい。行為の範疇がちがつてゐる。病気や発狂などの他動的な力が、突然作家の生活におそひかかつて、
後になつて、彼の芸術の象徴的な意味を帯びるのとは話がちがふ。自殺と芸術とは、病気と医薬のやうな対立的な
ものなのだ。医薬がもし利かなくて病気が治せなかつたといふなら、それは医薬がわるかつたのだ。これは少くとも、
患者の心理でなくても、医師の確信であるべきである。
三島由紀夫「芥川龍之介について」より 恥かしい話だが、今でも私はときどき本屋の店頭で、少年冒険雑誌を立ち読みする。いつかは私も大人のために、
「前にワニ後に虎、サッと身をかはすと、大口あけたワニの咽喉の奥まで虎がとびこんだ」と云つた冒険小説を
書いてみたいと思ふ。芸術の母胎といふものは、インファンティリズムにちがひない、と私は信じてゐるのである。
地底の怪奇な王国、そこに祭られてゐる魔神の儀式、不死の女王、宝石を秘めた洞窟、さういふものがいつまで
たつても私は好きである。子供のころ、宝島の地図を書いて、従兄弟と一緒にそれを竹筒に入れ庭に埋めたりして
遊んだものであつた。
アメリカへ行つたときまづ私が探したのは、おそらく日本に輸入されてゐないさういふ子供むき映画の常設館で
あつたが、いくら探してもみつからなかつた。アメリカの子供は漫画雑誌でしよつちゆう「スーパー・マン」などに
心酔してゐるのに、それを映画で見ることはできないのであらうか。
三島由紀夫「荒唐無稽」より 最近「乱暴者」といふ映画に大へん感動したが、そこには精神年齢の低い青少年の冒険慾が周囲に冒険慾を
充たす環境を見出だしえず、やむなく平板凡庸な地方の小都会を荒らしまはるにいたる一種の無償の行為が、
簡潔強烈に描かれてゐたからであつた。
映画には青少年に与へる悪影響も数々あらうが、映画は映画なりのカタルシスの作用を持つてゐる。それが
無害なものであるためには、できるだけ空想的であることがのぞましく、大人の中にもあり子供の中にもある
冒険慾が、何の遠慮もなく充たされるやうな荒唐無稽な環境がなければならない。「乱暴者」のやうな映画は、
大人には面白いが、子供には有害であらう。
ハリウッド映画のおかげで、あらゆる歴史的環境は、新奇な感を失つたなまぬるいリアルなものになつてしまつた。
私はもう一度、映画で思ふさま荒唐無稽を味はつてみたいと思ふのである。
ディズニィの漫画で、「不思議の国のアリス」の気違ひ兎と気違ひ帽子屋のパーティーの場面は、私を大よろこび
させた。「ダンボ」の酩酊のファンタジーもよかつた。
三島由紀夫「荒唐無稽」より しかしやつぱり人間、この親愛感あるふしぎな動物、写真にその顔が出るだけでわれわれの感情移入を容易にし、
どんなありえない事件の中に彼が置かれても、心理的つながりを感じさせるこの動物が、はつきり登場して
ゐなくてはならない。写真はこの点でふしぎな説得力をもつてゐる。小説ではさうは行かない。
さうして彼は埋没した王国を探りに旅立ち、さまざまな奇怪な人物に会ひ、いくたびか地図を盗まれ、巻数半ばで、
想像を絶したふしぎな国土とその生活にとび込むのである。そこではミイラもよみがへり、美しい女王は千歳を閲し、
怪物は人語を発し、花々はあやしい触手をのばし、危難は一足ごとにあらゆる辻に身を伏せてうかがつてゐる。
それも決して喜劇であつてはならず、おそろしい厳粛さ真剣さが全巻を支配してゐなければならない。
私はいつもそんな映画にかつゑてゐる。そして私のいちばん嫌ひな映画といへば、それはいふまでもなく、あの
ホーム・ドラマといふ代物である。
三島由紀夫「荒唐無稽」より (谷崎)氏は今日にいたるまで、怒りを知らないやうにみえる。怒りを知らなかつたといふことは、言ひかへれば、
無力感にとらはれなかつたといふことでもある。一度怒つた作家がいかに深い無力に沈んだことか。突飛な比較だが、
怒りをしちつくどい感覚で縛り上げて、怒りを小出しにし、内燃させて、つひに今日まで無力感にとらはれないで
来た作家に、中野重治氏があり、怒りを一旦爆発させたあとで、深い無力感を極度に押しつけがましく利用した作家に、
永井荷風氏がある。谷崎氏を含めて、かれらはいづれもニヒリズムに陥ることから、それぞれの生理に適した方法で、
おのれを救つた作家である。
実は、谷崎氏ほどニヒリストになる条件を完全にそなへた作家はめづらしかつた。意地のわるいことを言ふと、
「神童」の芸術家たるの目ざめ、「異端者の悲しみ」の同じ目ざめから以後の氏の作品は、すべて動機なき犯罪に
似てゐる。動機のない犯罪にだけ、本当の宿命的な動機がある、といふ逆説を、氏は生涯を以て実証したやうに
みえる。その完全な開化が傑作「卍」である。
三島由紀夫「大谷崎」より 「卍」の背後に動いてゐる氏の手つきは、ニヒリストの白い指先に酷似してゐる。しかしこれはニヒリストの
作品ではないのだ。人間存在のこのやうな醜悪で悲痛な様相に直面した作家の目は、ここから身をひるがへして
脱出しようといふあがきを示してゐないからだ。ニヒリズムの兆候は、得体のしれない脱出の欲望として
あらはれる。(中略)
おそらく谷崎氏の生き方には、私の独断だが、芥川龍之介の自殺が逆の影響を与へてゐるやうに思はれる。芥川の
死の逆作用は、大正時代の作家のどこにも少しづつ影を投じてゐる。谷崎氏は、芥川の敗北を見て、持ち前の
マゾヒストの自信を以て、「俺ならもつとずつとずつとうまく敗北して、さうして永生きしてやる」と呟いたに
ちがひない。
実際、芸術家の敗北といふ、これほど自明な、これほど月並な、これほど必然的な帰結について、谷崎氏ほど
聡明に身を処した人はなかつた。戦はずして敗北し、御馳走をたべ、そして永生きすればよいのだつた。
三島由紀夫「大谷崎」より 大体、ゴルフを中年すぎのスポーツと思ひ込んでゐるのは、一応、道具をそろへたり、クラブへ入会したりするのに
金がかかるところからきた経済的錯覚であつて、およそ西洋人の発明したもので、「年寄向き」といふものは、
何一つあらうはずがないのだ。
西洋では年寄とは頽齢に他ならず、西洋人の肉体運動は、ことごとく青春の独占物にきまつてゐるのである。
バレーと日本舞踊、フェンシングと剣道、声楽と謡曲、……かういふ似通つたものを比べてみればすぐわかるが、
西洋では肉体と精神をはつきりわけてゐるから、こと肉体に関する限り、青年の勝に決まつてゐるが、東洋人の
肉体訓練は、必ず精神的なものがまじつて来るから、老人の勝利になる。老齢の力といふものは、東洋の発明である。
ゴルフだつて、国家が補助して、十代、二十代の青年が第一線に乗り出してくれば、今までヤニ下がつてゐた
老童ゴルファーなど、ひとたまりもなく駆逐されるにきまつてゐる。さういふ日が来ないうちに、一日も早く謡曲にでも転向すべし。
しかし他人のたのしみに、こんなお節介はいふまい。
三島由紀夫「ゴルフをやらざるの弁――私は天下のヘソ曲り」より 私はそこらの分類屋の世代論などには歯牙もかけないが、この九十ページにおよぶ評論だけはパセティックな
同世代意識にひたつて、熱烈に読みをへた。明晰な論理に終始した一評論家の生涯を論じたところで、われわれは
せいぜい知的感銘しか受けないが、保田与重郎氏といふ存在は一つの不気味な神話であり、美と死と背理の
専門家の劇的半生であり、戦後の永い沈黙がまたそれ自体一つの神話である以上、はじめ昭和七年ごろの知識人の
デカダンスから説き起こされたこのエッセイは、スピーディーな精神史的展望と共に、おもしろい小説的興味をも
喚起する。一つの時代とともに生き滅びること、自分の人生と思想をドラマにしてしまふことが、いかに恐ろしく、
戦慄的で、また魅惑的であるかを、このエッセイほど見事に語つた文章はまれである。そして現代と、保田氏の
青年期との、さまざまの不気味な暗合も語り明かされるのと同時に、日本人の美意識の根本構造について、不吉な
予言的洞察と宿命観が展開され、一読、暗い海に向かつたやうな印象を与へられる。
三島由紀夫「大岡信著『抒情の批判』」より 四月二十七日(木)
大岡氏が(保田与重郎の)精妙な分析をしてゐるが、こんな精神構造は、現代にも、現代にほそぼそと生きて
ゐる一人であるこの私にも、未だに妙な親近感を与へるから不気味なのだ。大岡氏が保田氏の文体の「頽廃化」の
例証をあげつつ、その論理的必然と一貫性をつかみ出す手つきは鋭く、読者はたちまち、昭和十年代の精神的
デカダンスから、自覚せる敗北の美学へ、言葉の自己否定へ、デマゴギーへ、死へ、といふ辷り台を一挙に辷り
下りることを強ひられる。思へば、私も、こんな泰平無事の世に暮しながら、どこかで死の魅惑と離れられないのは、
保田氏のおかげかもしれないのだ。(と云ふのはむしろ冗談だが)
そして、生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつたが、これは何も浪漫派に限らず、
芸術作品の形成がそもそも死と闘ひ死に抵抗する営為なのであるから、死に対する媚態と死から受ける甘い誘惑は、
芸術および芸術家の必要悪なのかもしれないのである。
三島由紀夫「日記」(昭和36年)より 本学の法科学生であつたころ、私が殊に興味を持つたのは刑事訴訟法であつた。(中略)
それ(刑事訴訟法)が民事訴訟法などとはちがつて、人間性の「悪」に直接つながる学問であることも魅力の
一つであつたらう。しかも、その悪は、決してなまなましい具体性を以て表てにあらはれることがなく、一般化、
抽象化の過程を必ずとほつて、呈示されてゐるのみならず、刑事訴訟法はさらにその追求の手続法なのであるから、
現実の悪とは、二重に隔てられてゐるわけである。しかし、刑務所の鉄格子がわれわれの脳裡で、罪と罰の観念を
却つてなまなましく代表してゐるやうに、この無味乾燥な手続の進行が、却つて、人間性の本源的な「悪」の匂ひを、
とりすました辞句の裏から、強烈に放つてゐるやうに思はれた。これも刑訴の魅力の一つであつて、「悪」といふ
やうなドロドロした、原始的な不定形な不気味なものと、訴訟法の整然たる冷たい論理構成との、あまりに
際立つたコントラストが、私を魅してやまなかつた。
三島由紀夫「法律と文学」より また一面、文学、殊に私の携はる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本で
あるやうに思はれた。何故なら、刑訴における「証拠」を、小説や戯曲における「主題」と置きかへさへすれば、
極言すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思はれた。
ここから私の、文学における古典主義的傾向が生まれたのだが、小説も戯曲も、仮借なき論理の一本槍で、
不可見の主題を追求し、つひにその主題を把握したところで完結すべきだと考へられた。作家は作品を書く前に、
主題をはつきりとは知つてゐない。「今度の作品の主題は何ですか」と作家に訊くのは、検事に向かつて
「今度の犯罪の証拠は何ですか」と訊くやうなものである。作中人物はなほ被疑者にとどまるのである。もちろん
私はストーリイやプロットについて言つてゐるのではない。はじめから主題が作家にわかつてゐる小説は、
推理小説であつて、私が推理小説に何ら興味を抱かないのはこの理由による。外見に反して、推理小説は、
刑事訴訟法的方法論からもつとも遠いジャンルの小説であり、要するに拵(こしら)へ物である。
三島由紀夫「法律と文学」より 一人の作家を評価するのに、彼がビッコだからとか、マゾヒストだからとか、さういふものを前提にした評論は
一番つまらない。精神分析の本を一二冊読めば、何かのコムプレックスで作家の全作品を解明するのは易々たる業で、
子供でもできることである。
コンプレックスとは、作家が首吊りに使ふ踏台なのである。もう首は縄に通してある。踏台を蹴飛ばせば万事
をはりだ。あるひは親切な人がそばにゐて、踏台を引張つてやればおしまひだ。……作家が書きつづけるのは、
生きつづけるのは、曲りなりにもこの踏台に足が乗つかつてゐるからである。その点で、踏台が正しく彼を
生かしてゐるのだが、これはもともと自殺用の補助道具であつて、何ら生産的道具ではなく、踏台があるおかげで
彼が生きてゐるといふことは、その用途から言つて、踏台の逆説的使用に他ならない。踏台が果してゐるのは
いかにも矛盾した役割であつて、彼が踏台をまだ蹴飛ばさないといふことは、半ばは彼の自由意志にかかはることで
あるが、自殺の目的に照らせば、明らかに彼の意志に反したことである。
三島由紀夫「武田泰淳氏――僧侶であること」より あらゆる芸術ジャンルは、近代後期、すなはち浪漫主義のあとでは、お互ひに気まづくなり、別居し、離婚した。
(中略)
それぞれの分野が、八ちまたの八方へ別れ去つたのである。
かうして、めいめいの孤独が純粋性を追求した結果どうなつたか?
あとに残つたのは、エリオットのいはゆる「荒地」、それだけだ。
(中略)
氷つた孤独を通過して来たあとの各芸術ジャンルは、もう二度と、あんな生あたたかい親しみ合ひを持つことは
できない。
今後来るべき交流と綜合は、氷のやうな交流で、氷河的綜合にちがひない。
今ここに、かりにアヴァン・ギャルドといふ名を借りて、舞踊、音楽、映画、絵画、演劇、の各ジャンルが、
一堂に会して展観される。人はアヴァン・ギャルドなどといふ名にとらはれる必要はない。ここに二十世紀後半の
芸術の宿命的傾向を見ればそれで足りる。それは宿命であつて、今ふんぞり返つてゐる古い芸術も、畢竟この道を
辿らねばならないのだ。
そこで、純粋性とは、結局、宿命を自ら選ぶ決然たる意志のことだ、と定義してもよいやうに思はれる。
三島由紀夫「純粋とは」より 個体分裂は、分裂した個々の非連続性をはじめるのみであるが、生殖の瞬間にのみ、非連続の生物に活が入れられ、
連続性の幻影が垣間見られる。しかるに存在の連続性とは死である。かくてエロチシズムと死とは、深く
相結んでゐる。「エロチシズム」とは、われわれの生の、非連続的形態の解体である。それはまた、「われわれ
限定された個人の非連続の秩序を確立する規則的生活、社会生活の形態の解体」である。
主知主義の能力の限界は、人間が生の非連続性に耐へ得る能力の限界である。この限界を究めようとする実験は、
主知主義の側から、しばしば、且つ大規模に試みられたが、ゆきつくところは、個人的な倫理の確立といふところに
落ちつかざるをえない。戦後の実存主義も、かうした主知主義的努力の極限のあらはれであつて、死と神聖感と
エロチシズムとを一直線に結ぶ古代の血みどろな闇からの救ひではない。われわれが今ニヒリズムと呼んでゐる
ものは、バタイユのいはゆる「生の非連続性」の明確な意識である。そして主知主義的努力は、その非連続性に
耐へよ、といふ以上のことは言へないのである。
三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より バタイユがロジエ・カイヨウの持論を紹介してかう言ふ。
「(中略)宗教外の時間は普通の時間で、労働と禁止尊重の時間であり、神聖な時間は祭の時間、つまり本質的には
禁止違犯の時間であります。エロチシズムの面では、祭はしばしば性的放縦の時間であり、専ら宗教的な面では、
とくに殺人禁止の違犯である犠牲の時間でありました」
しかしかういふ明快な時間割を、現代人は完全に失つた。宗教の力は微弱になり、宗教の地位に、映画や
テレヴィジョンを含む各種の観念的娯楽がとつて代り、文学の少なからぬ部分もこれに編入されることになつた。
それらは毎日、性的放縦の観念と殺人の観念を、水にうすめて、ヴィタミン剤のやうに供給してゐる。いたるところに
エロチシズムが漂ひ、従つて死の匂ひが浸潤してゐる。それがますます機能化され単一化されてゆく機械的な
社会形態の、背景であり、いはゆるムードである。火葬場のある町に住んでゐる人のやうに、かくてわれわれは
死の稀薄な匂ひに馴らされて、本当の死を嗅ぎ分けることができない。
三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より サドの文学はヒューマニズムで擁護される性質のものではない。また、芸術的見地から弁護される性質のものではない。
サドはこの世のあらゆる芸術の極北に位し、芸術による芸術の克服であり、その筆はとつくに文学の領域を踏み
越えてしまつてゐた。時代を経て徐々にその毒素を失ふのが、あらゆる芸術作品の通例だが、サドほど、何百年を
経てもその毒素を失はない作家はなからう。それはあらゆる政治形態にとつての敵であり、サドを容認する政府は、
人間性を全的に容認する政府であつて、そんなものは政府の埒外に在るから、政府は一日も存続しまい。つまり
サドは芸術のみならず、政治に対しても、政治による政治の克服、政治が政治を踏み越えることを要求せずに
ゐないのだ。
かういふと、あたかも今私が、警察当局の態度を是認するかの如くだが、サドの文学の本質の問題と、良識ある
飜訳家、誠実な研究家かつ紹介者たる澁澤氏の問題とは別である。私は、澁澤氏のために怒つてゐるので、
サドのために怒つてゐるのではない。
三島由紀夫「受難のサド」より 序文といふものは、朝、未知の土地へ旅立つてゆく若い旅人に与へる「馬のはなむけ」のやうなものである。
あたりはまだ薄闇に包まれてゐて、やがて汗ばむことになる馬の鬣(たてがみ)も、ひんやりと朝露に濡れてをり、
前脚ははやるやうに蹄を挙げて草を蹈みしだいてゐる。若い旅行者は元気よく馬の背に鞍を乗せ、腹帯をきつく締め、
さて馬に打ち跨がつて、馬上から見送りの人へ振向いて微笑する。しかしその顔にはすでに未知の土地の幻影が
かがやいてをり、昨夜まで滞在してゐた地方は、朝露のやうに急速に、その記憶から拭ひ去られてゆくのが
見てとれる。序文の筆者は、ただ馬の鼻先を、未知のはうへ向けてやればよいのだ。それで万事をはりだ。馬は
走り出し、旅人は二度とこちらを振向くことがない。
春日井建氏のこのブリリアントな処女歌集に贈る私の序文も、それ以外のものであつてはならない。しかしすでに、
目先しか見えない人々の間で、氏の歌がやすやすと前衛短歌などといふレッテルを貼りつけられてゐる。さういふ
俗悪な誤解は、この機会に解いておかなければならない。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より (中略)
言葉が、氏の場合、柔らかな生身を守る固いきらきらした胸甲のやうになつてゐるのは、今日の若者の場合、
当然の抒情的要請である。言葉にはふしぎな逆説的機能がある。言葉で固く鎧へば鎧ふほど、柔らかな生身は
ますますいたましく鋭い外気にさらされなければならない。氏は詩語を平気で蹴ちらかし、強引な観念聯合を
設定するが、かうした外界の現実への抵抗の姿勢が、逆になまなましい傷つきやすい赤裸の肌をさらけ出して
ゐるのである。胸甲のやうな言葉の金属性は、現代に対する敏感な反応であつて、言葉をうすい皮膚のやうに
なめらかに身にまとつてゐる既成歌人たちは、現代に対して鈍感なだけのことである。その代り、彼らは傷つく
ことから免かれてゐる。抒情は言葉の皮膚の上にとどまつてゐるからだ。しかし赤い立派な胸甲を持ちながら、
春日井氏の魂は裏返しの海老である。その魂は、歌集のいたるところで、活作の海老のやうにぴくぴくと慄へてゐる。
私はこの肉の顕在を愛する。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より 又一つ言ふと、歌には残酷な抒情がひそんでゐることを、久しく人々は忘れてゐた。古典の桜や紅葉が、血の
比喩として使はれてゐることを忘れてゐた。月や雁や白雲や八重霞や、さういふものが明白な肉感的世界の
象徴であり、なまなましい肉の感動の代置であることを忘れてゐた。ところで、言葉は、象徴の機能を通じて、
互(かた)みに観念を交換し、互みに呼び合ふものである。それならば血や肉感に属する残酷な言葉の使用は、
失はれた抒情を、やさしい桜や紅葉の抒情を逆に呼び戻す筈である。春日井氏の歌には、さういふ象徴言語の
復活がふんだんに見られるが、われわれはともあれ、少年の純潔な抒情が、かうした手続をとつてしか現はれない
時代に生きてゐる。
現代はいろんな点で新古今集の時代に似てをり、われわれは一人の若い定家を持つたのである。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より 作家あるひは詩人は、現代的状況について、それを分析するよりも、一つの象徴的構図の下に理解することが多い。
それは多少夢の体験にも似てゐる。ところで犯罪者もこれに似て、かれらも作家に似た象徴的構図を心に抱き、
あるひはそのオブセッションに悩まされてゐる。ただ作家とちがふところは、かれらは、ある日突然、自分の中の
象徴的構図を、何らの媒体なしに、現実の裡に実現してしまふのである。自分でもその意味を知ることなしに。
若い不平たらたらなサラリーマンの心には、社長になりたいといふ欲求と紙一重に、若いままの自分の英雄的な
死のイメーヂが揺曳してゐる。これは永久に太鼓腹や高血圧とは縁のない死にざまで、死が一つの狂ほしい
祝福であり祭典であるやうな事態なのである。
「俺が滅びるのだ。だから世界がまづ滅びるべきだ」といふ論理は、生きるための逃げ口上に使はれれば、容易に、
「世界が滅びないのなら、俺は滅びることができない」といふ嗟歎に移行する。いづれも死を前提にした論理で
あるのに、死が死の不可能と固く結びついてゐる。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より 作家は現実の犯罪の手続をとることもなく、又、ただひたすらに孤独から遁れ去らうといふ欲求に身を任せるでもなく、
まづ、生れながらに、絶対孤独を自分の棲家とする。だから、そこに棲んだまま、黙つて、何も言はずに、涸化して
死んでしまつた作家もある筈だ。一行も書かなかつた作家といふものもある筈だ。
作家はこんなにも沢山、自分の絶対孤独の雛型を作つてどうしようといふのであらうか? 私はかつてこんな
不気味な漫画を見たことがある。礼服にシルクハットの人形売りが街頭に立つてゐる。彼の足もとには、彼と
そつくりな礼服にシルクハットの沢山の小さな人形が、背中のネヂを十分に巻かれて、四方八方へ歩き出してゐる。
この漫画の惹起する笑ひには、ぞつとするやうなものが含まれてゐた。これが大方の作家が心に抱く象徴的構図だと
言つてもまちがひではあるまい。他者は永久に来ないことを作家は知つてをり、連帯の不可能も明らかであり、
犯罪は一回きりで終り、劇的な死も一回きりで終るのは明らかである。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より (中略)
絶対孤独はいかなる場合も非生産的なものである。しかしこのうつろな非生産性が、歴史に動かされて、もつとも
執念深いもつとも持続的な生産者を作り出す。これが作家といふものであり、作家がある時代の申し子となるのは
こんな事情に依るが、時代のはうでは、それぞれの時代の純粋な絶対孤独の持主に目をつけて、こいつを拾い上げ、
こいつに記録者としての全権を委任することがよくあるのだ。時代は孤独者が孤独の雛型を次々と作り出すのを
ゆるす。後世にのこすためには冷たいタイルの羅列のはうが長持ちするからだ。
それにしても作家は、自分が生きてゐる時代と絶対孤独との関係については、たえず頭を悩まさざるをえない。
これは一体どういふ関係であらうか? それは単に、醜聞のやうなものなのか? 書くたびに、書けば書くほど、
彼はこのことを思ひ詰め、このふしぎな疑問が、はては彼の反復される主題にまでなつてしまふ。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より (サドの)獄中生活はその禁慾によつてサドの想像力を助け、中世の僧侶が禁慾によつて地獄の残忍非道な
イメージを得たやうに、彼をやむをえず芸術家にし、革命の嵐の実践行為の世代から、彼はやむをえず自分を守つた。(中略)
サドの人生には事件は山ほどあるが、その意味でのドラマはない。一個の強烈な思想はあるが、その意味での
意志悲劇はない。ツワイクが描いたバルザックのやうなドラマの代りに、ここには書斎と牢獄が同義語をなし、
究理慾と創作活動とが同義語をなした十八世紀といふふしぎな時代が現前してゐる。(中略)
人間解放の意欲と牢獄とは、多くの社会運動家の生涯の、矛盾した二要素をなしてゐて、珍らしくもないが、
サドがサドたるゆゑんは、この二つのものを統一する原理が、芸術を措いては存在しないやうな境地へ、自分を
追ひ込んだことであらう。イデオロギーは解放と牢獄とを一直線上に浄化する。サドはそのやうに浄化されない
もう一つのファクター(性慾)を追究し、性と解放と牢獄との三つのパラドックスを総合するには芸術しかない、
といふ結論に、やむをえず達したのであらう。
三島由紀夫「恐ろしいほど明晰な伝記――澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』」より 大多数の日本人が、敗戦を、日本の男が、白人の男に敗れたと認識してガッカリしてゐるときに、この人(谷崎
潤一郎)一人は、日本の男が、巨大な乳房と巨大な尻を持つた白人の女に敗れた、といふ喜ばしい官能的構図を以て、
敗戦を認識してゐたのではないかと思はれるふしがある。大きな政治的状況を、エロティックな、苛酷な、
望ましい寓話に変へてしまふことこそ、この人の天才と強者としての自負の根源だつた。
敗者といふ言葉にまつはる日本的なセンチメンタリズムや湿気から、氏ほど無縁であつた人はない。敗北といふ
ことが氏の官能の太陽であつたから、「刺青」の女の背の刺青が朝日にかがやくのへ拝跪したときから、氏の
幸福な敗北の独創がはじまつた。そのとき氏は、芸術家であることの、殊に日本で芸術家であることの、秘鑰を
発見したのだと言つてよい。俗世間との戦ひ、政治との戦ひ、芸術以外のあらゆるものとの戦ひに、官能の
戦ひにおけるその敗北のひそかな勝利をあてはめ、ふえんすることによつて、氏は逆説的にも、絶対不敗の
芸術家になつた。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より つまり氏は、俗世間をも、政治をも、いや、この世界全体をも、刺青を施した女の背中以上のものとは見なかつた。
外界はみんな女の肉体の諸相に姿を変へた。それは乳房であり、尻であり、背中であり、足裏であり、そのもつとも
秘密の部分に「母」が宿つてゐた。氏のフェミニズムが、強烈であると同時に単純な構図を持つのは、そこに
氏の世界と人間に対する態度決定が前提となつてゐたからであり、美への憧憬と侮蔑的世界観とが統合されて
ゐたからである。かういふものをこそ、われわれは真個の思想と呼び、あへて感覚とは呼ばないが、日本の
へんぱな社会科学者流の批評家によつて、氏は久しく「思想のない作家」と呼ばれてゐた。
だから、そんな連中は虫けらだつた。女の荘厳な肉体の一片にも化身できない連中だつた。谷崎氏はかれらを
無視してゐた。
氏の生涯のやうに、文学者として思想的一貫性を持ち、決してその「発展」などに意をもちひず、言葉を、ただ
徐々に深まる人間認識に沿うて深めてゆくことのできた、幸福な事例は、おそらく絶後であらう。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より (中略)
芸術作品としての「春琴抄」や「蘆刈」や「吉野葛」や「細雪」や「少将滋幹の母」などの、一種言ひやうのない
ツルツルした様式的完成は、氏の美学が、いかに既存のものの一流的安定を愛し、氏の人間認識がいかに未踏の
破壊的なものにつながつてゐたかといふ、その危機に対抗するところに生れた僥倖の所産であるかとさへ考へる。
もちろん古典といふものはそのやうにして残つてゆき、上田秋成も、「春雨物語」の作者としてよりも、
「雨月物語」の作者として残つたのである。
氏の生涯は芸術家として模範的なものだといふ考へは私の頭を去らない。日本の近代の芸術家中の一流中の一流の
天才である氏は、日本の近代といふ歴史的状況のあらゆる矛盾を「痴態」と見てゐたにちがひない。そして
それによつて犠牲にされたあらゆるものを、氏はあの豊じゆんな、あでやかな言葉によつて充分に補つた。
かつてわれわれが「日本語」と呼んでゐた、あの無類に美しい、無類に微妙な言語によつて。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より (谷崎潤一郎)氏はうるさいことが大きらひで、青くさい田舎者の理論家などは寄せつけなかつた。自分を
理解しない人間を寄せつけないのは、芸術家として正しい態度である。芸術家は政治家ぢやないのだから。
私はさういふ生活のモラルを氏から教へられた感じがした。それなら氏が人当りのわるい傲岸な人かといふと、
内心は王者をも挫(ひし)ぐ気位を持つてゐたらうが、終生、下町風の腰の低さを持つてゐた人であつた。
初対面の人には、ずつと後輩でも、自分のはうから進み出て、「谷崎でございます」と深く頭を下げ、又、
自分中心のテレビ番組に人に出てもらふときには、相手がいかに後輩でも、自分から直接電話をかけて丁重に
たのんだ。秘書に電話をかけさせて出演を依頼するやうな失礼な真似は決してしなかつた。
深沢七郎氏の本の出版記念会が日劇ミュージック・ホールでひらかれたとき、私は谷崎氏の隣席でショウを見てゐた。
ショウがをはつて席を立つた私のあとから、谷崎氏が、「お忘れ物」と云ひながら、席に忘れた私のレインコートを
持つて来て下さつたのには恐縮した。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より ふつうの世界なら、「おい君、忘れてるよ」と、私の肩でも叩いて注意してくれるのが関の山であらう。文士の
世界では、どんなにヒヨッコでも一応、表向きは一国一城の主として扱へ、といふ生活上のモラルも、私が
かうして氏から教はつたものであつた。
そんなに深いお附合はなかつたが、私が氏から無言の裡に受けた教へは、このやうに数多い。
それといふのも氏は大芸術家であると共に大生活人であり、芸術家としての矜持を守るために、あらゆる腰の低さと、
あらゆる冷血の印象を怖れない人だつたからだ。しかも荷風のあまりに正直な冷笑的な生き方に比べて、氏の
生き方は概括的に云つて円い印象を与へ、しかも遠くから見ると、鬱然として巨大に見えた。氏は世俗の目の
遠近法をよく知つてゐたのである。
氏は十九世紀に生れながら、むしろ十八世紀人としての器量を持つてゐたと、つねづね私は考へてゐる。その文学の
本質は、十九世紀の小説の概念だけではつかまへにくいのである。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より (中略)
身も蓋もない考へといふのが、老荘思想の影響からか、日本では妙にもてはやされるが、氏は一見装飾派様式派で、
琳派の芸術の一種のやうに見えながら、その実、氏ほどその作品を通じて、身も蓋もないことを言ひつづけた人はない、
といふのが私の考へである。
それはいはば周到な礼譲に包まれた無礼な心といふ点で、氏の生活と照応してゐるが、晩年の不気味な傑作
「瘋癲老人日記」にいたるまで、氏は、人間精神が官能に必ず屈服する、といふ一つの定理をしか語つてゐない。
それは自然主義とは又ちがふのであつて、「少将滋幹の母」などにあらはれてゐる母へのあこがれの主題が、
氏の一生をつらぬいた抒情であるとするならば、氏はこのやうな抒情の根源を、幼年時の恐怖、それへの屈服、
敗北、敗北によるあでやかな芸術的開花、といふふうに、分析し、探究する。
初期の「刺青」は、その意味で、実に象徴的な作品である。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より (中略)
それはまづ美へのあこがれからはじまる。刺青師は氏の抒情を担つてゐる。鋭い刃による制作がはじまる。
氏の苛酷な芸術家精神と批評精神がそこにこもつてゐる。彫り上る。そこで突然、価値の顛倒が起る。芸術品と
化した女体は、おそるべき勝利の女神になり、もう刺青師の意志の操り人形ではなくなつてしまひ、やがて
刺青師を足下に踏みにじるべき怖ろしい存在の予感をひびかせてゐる。そこに彼は、幼年期への恐怖を再び見出す。
彼はひざまづく。ひざまづくことのなかに恍惚がある。安心がある。彼は自分の作つたものの前にしか決して
ひざまづかないことを自分で知つてゐるからである。その敗北、その拝跪によつて、はじめて彼は幼年期の恐怖から
自由になり、性の根源に対して、「母」へのあこがれの抒情を寄せることもできるのである。
いささか図式的だが、この構図は、氏のほとんどの作品にあてはまるやうに思ふ。「痴人の愛」のナオミは、
新しい女の風俗的典型のやうに読み誤られたが、実は純然たる氏の頭脳の所産であつた。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より 作家といふものは、複雑精妙な機械装置を持つ必要はない。石でも木でも刻める、一本の強力なノミを持てばよい。
それは職人芸などといふ考へとは別物で、言葉の芸術では、言葉に一つの強力な統制原理を与へることが何よりも
必要なのである。
谷崎氏ほどそれを徹底的にやつた作家は稀であり、女体を彫ることに集中された言葉や文体は、それ自体次第に、
女体そのもののやうに曲線美や丸みを帯びてゐた。そこまで行つたものだけが作家の「思想」と呼ぶにふさはしく、
谷崎氏は思想的な作家だつたと云つて、少しもまちがひではない。
しかし晩年の「鍵」や「瘋癲老人日記」では、つひに氏の言葉や文体が、肉体をすら脱ぎ捨てて、裸の思想として
露呈して来たやうに思はれ、そこにあらはに示された氏の人間認識の苛酷さも、極点に達してゐた。
氏の死によつて、日本文学は確実に一時代を終つた。氏の二十歳から今日までの六十年間は、後世、「谷崎朝文学」
として概括されても、ふしぎはないと思はれる。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より 本とはよくしたもので、読むはうに「読書術」などといふ下品な、町人風な、思ひ上がつた精神があれば、
本のはうも固く扉をとざして、奥の殿を拝ませないのが常である。殊に文学作品を読むには、それなりに一定の
時間と、細心の注意と、酔ふ覚悟が必要である。
私は二三の文学賞の委員をしてゐるが、その一つは殊に長編小説中心の賞で、各作家の心をこめた長編を七つ八つは
読まねばならぬ。大へんな重量感で、大へんな精神的負担である。気持が受身になつたら最後、読めるものではない。
そこで私は、心持を水のやうにして、作品の中へ流れ入るやうに心がける。すると大ていな偏見も除かれ、
どんなに自分のきらひな作家でも、その作家なりの苦心経営の跡を虚心に味はふことができる。そのためには
どうしても時間がかかる。時間をかけたくなければ、偏見の色メガネをかけて読めばよいのである。これが
速読法としてはもつとも有効確実なものであらう。
三島由紀夫「私の読書術」より 岡田斗司夫は子供のころから軍歌が好きだったというから、歌詞から入る人なの
かもしれない。でも、個人的には「外人の歌う曲」であっても心に響く、というか
「いい」と思えるのだけど。俺、歌詞カードとかあまり読まないしなあ。日本人だ
からといって日本語しか理解できないわけではないのだし。そういえば、岡田斗司
夫は『スター・ウォーズ』の『インペリアル・マーチ』に歌詞をつけたことでも知
られるけど、あの曲は心に響いたのだろうか。作ったのは外人(ジョン・ウィリア
ムズ)ですが。 八十年の生涯を通じて、(谷崎)氏がほとんど自己の資質を見誤らなかつたといふことはおどろくべきことである。
横光利一氏のやうに、すぐれた才能と感受性に恵まれながら、自己の資質を何度か見誤つた作家のかたはらに置くと、
谷崎氏の明敏は、ほとんど神のやうに見える。
もし天才といふ言葉を、芸術的完成のみを基準にして定義するなら、「決して自己の資質を見誤らず、それを
信じつづけることのできる人」と定義できるであらうが、実は、この定義には循環論法が含まれてゐる。といふのは
それは、「天才とは自ら天才なりと信じ得る人である」といふのと同じことになつてしまふからである。コクトオが
面白いことを言つてゐる。「ヴィクトル・ユーゴオは、自分をヴィクトル・ユーゴオと信じた狂人だつた」
初期の作品「神童」(大正五年)において、谷崎氏はすでに、あらゆる知的教養に対する不信を表明したが、
この発見こそ、氏の思想の中軸をなすものの発見だつた。それは同時に、自己の資質の発見とそのマニフェストであつた。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より (中略)
氏は、自由の根拠にエロスを持つて来た。自分が縛られないといふことの根拠に、最も協力に自分が縛られるものを
持つて来た。ここに於て、断念すなはち自由の放棄と、解放すなはち自由の獲得とは、終局的に同一の意味を持ち、
かたがた、芸術制作上の倫理ともなるのである。芸術制作における言葉と文体の厳格性において、氏は稀に見る
精進を生涯つづけた。
エロス自体の性質といふものもある。サディスティックなエロスは批評に向いてゐるが、マゾヒスティックな
エロスは、つるつるした芸術的磨き上げに適してゐる。そして前者は束縛を厭うて形式を破壊し、感受性を
涸渇させる危険があるけれど、後者は愛する対象による束縛を愛して、感受性の永遠の潤沢を保障しうる。
理想的な作家は両者の混淆にあるのだらうが、どちらかに偏するなら、後者に偏したはうがいい。それにしても
谷崎氏のエロスの傾向は、前述の自由の問題の解決にもつとも好都合のものであつた。自己批評の達人であつた氏が、
このやうな自己の資質を、芸術制作に十二分に利用しなかつた筈はないのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より (中略)
鬼子母神は、子をとらへて喰ふ罪業を拭はれて、大慈母となるのであるが、氏のエロスの本質を探つてゆくと、
この鬼子母神的なものにめぐり当る。(中略)女性とは、氏にとつて、このやうなダブル・イメーヂを持ち、
慈母としての女性の崇高な一面は、亡き母に投影され、一方、鬼子母的な一面は、ナオミズムの名で有名な
「痴人の愛」の女主人公に代表されるのであるが、後者ですら、その放埒なエゴイズムと肉体美が、何か崇高な
ものとして崇拝の対象になつてゐる。そして、女性のこの二つの像が、最晩年の「瘋癲老人日記」の主人公の
極楽往生の幻想のうちに、見事に統一されてゐると考へられる。
前者の女性像を中心とした「刺青」「春琴抄」「鍵」と、後者、すなはち母のイメーヂを中心とした「母を恋ふる記」
「少将滋幹の母」の、二系列のうち、谷崎文学を語るときに、後者の系列も決して無視することはできない。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より なぜならそこでは、女性に対するもつとも浄化された愛が唱ひ上げられ、通例の意味の恋愛小説といふ点では、
却つてこの系列のはうが恋愛小説らしいからである。しかし、それでは慈母の像に全くエロスの影が認められぬかと
いふと、さうとは云へないところが谷崎的である。ただ、母のエロス的顕現は、意識的な欲望の対象としてではなく、
無意識の、未文化の、未知へのあこがれといふ形でとらへられるので、そのとき主体は子供でなくてはならない。
(中略)
かういふ母性への醇化された憧れに、たまたま肉慾がまじつて来ると、忽ち相手の女性は転身して、「刺青」や
「春琴抄」の女主人公のやうな、美しい肉体のうちに一種の暗い意地悪な魔性を宿した、谷崎文学独特の女に
なつて来るところが面白い。しかし、仔細に見ると、これらの女性の悪は、女性が本来持つてゐる悪といふよりは、
男によつて要請され賦与された悪であり、ともすると、その悪とは、「男性の肉慾の投影」にすぎないのでは
ないかと思はれるのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎」より これを更につきつめると、(おそらく考へ過ぎの感を免かれまいが)、谷崎文学は見かけほど官能性の全的是認と
解放の文学でなく、谷崎氏の無意識の深所では、なほ古いストイックな心情が生きのびてゐて、それがすべての
肉慾を悪と見なし、その悪を、肉慾の対象である女の性格に投影させ、それによつて女をして、不必要に意地悪、
不必要に残酷たらしめ、以て主体たる男の肉慾の自罰の欲求を果さしめるといふメカニズムが働いてゐるやうに
さへ思はれる。すべてはこのメカニズムを円滑に運用し、所期の目的たる自罰を成功させるために、仕組まれた
ドラマではないのか? 女は単なるこのドラマの道具ではないのか?
しかし、道具であればあるほど、いよいよ美しく、いよいよ崇拝の対象であるべきで、少くともそのドラマの上では、
氏は女の肉体を崇拝することによつて、自分の肉慾を、自分の悪を崇拝し、以て「神童」の主題に対する永遠の
忠実を誓ふことになる。この悪へのアンビヴァレンツは、官能美を浄化された「母へのあこがれ」の世界では、
決して出現することがない。
三島由紀夫「谷崎潤一郎」より (中略)
「春琴抄」における佐助が自らの目を刺す行為は、微妙に「去勢」を暗示してゐるが、はじめから性の三昧境は、
そのやうな絶対的不能の愛の拝跪の裡に夢みられてゐた傾きがある。それなら老いは、それほど悲劇的な事態ではなく、
むしろ老い=死=ニルヴァナにこそ、性の三昧境への接近の道程があつたと考へられる。小説家としての谷崎氏の
長寿は、まことに芸術的必然性のある長寿であつた。この神童ははじめから、知的極北における夭折への道と、
反対の道を歩きだしてゐたからである。
(中略)
氏のエロス構造においては、性愛の主体は、おのれの目を突き、肉体をゼロへ近づければ近づけるほど、陶酔と
恍惚も増し、対象の美と豊盈と無情もいや増すのだつた。言ひかへれば、性愛の主体が、肉体を捨てて、性愛の
観念そのものに化身すればするほど、現前する美の純粋性は高まるのだつた。晩年の作品「鍵」にあらはれた
老いの主題は、佐助の行為の自然な延長線上にある。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より そして「瘋癩老人日記」において、この主題は絶頂に至るのであり、肉慾は仏足石の夢想の恍惚のうちに死へ
参入し、肉体は医師の冷厳な分析の下にゼロに立ちいたる。あの小説の結末の医師の記録を蛇足と考へる人は、
氏の肉体観念について誤解をしてゐるやうに思はれる。
女体を崇拝し、女の我儘を崇拝し、その反知性的な要素のすべてを崇拝することは、実は微妙に侮蔑と結びついてゐる。
氏の文学ほど、婦人解放の思想から遠いものはないのである。氏はもちろん婦人解放を否定する者ではない。
しかし氏にとつての関心は、婦人解放の結果、発達し、いきいきとした美をそなへるにいたつた女体だけだ。
エロスの言葉では、おそらく崇拝と侮蔑は同義語なのであらう。しかし氏の場合、この侮蔑の根拠である氏自身の
矜持は、いかなる性質のものであらうか。それは知的人間、見る人間、非肉体の矜りであらうか。それともただ、
男の矜りなのか。あるひは又、天才の矜りなのであらうか。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より (中略)
ここ(「蓼喰ふ虫」)には、性的関心がたとへ侮蔑と崇拝のアンビヴァレンツをゆれうごいてゐるとしても、
ひとたび性的無関心にとらはれたときの男は、どのやうな冷酷さに到達しうるかといふ見本がある。(中略)
世界の何ものも、このやうな性的冷淡の地獄に比べれば、歓びならぬものはなく、お祭ならぬものはない。
どうしても女は、谷崎氏にあの侮蔑と崇拝のドラマを作らせる要因として、活き、動き、笑つてゐなければならない。
さうでなければ、女一般などは何の意味もないのである。
女ならどんな女でも、そこに微妙な女性的世界を発見して、喜び、たのしんだ室生犀星のやうな作家に比較すると、
谷崎氏は決して、いはゆる女好きの作家ではない。一般的抽象的な女、かつ女一般、女全体は、氏に何ものも
夢みさせはしないし、女がただ女なるが故に、氏の幻想を培ふのではない。氏にとつては、女はあくまで、氏の好みに従つて美しく、
極度に性的関心を喚起しなければならず、そのとき正に、その女をめぐるあらゆるものがフェティッシュな光輝に
みちあふれ、そこに浄土を実現するのだ。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より こいつが熊谷を罠にはめたフジテレビの在日アルバイター
市川卓 id=23413879
http://i.imgur.com/pyY0V.png
http://yfrog.com/user/tk_tk1117/profile
http://twitter.com/#!/tk_tk1117
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tk_tk1117って誰?
現在地: Tokyo,Sapporo,Japan
自己紹介: 本日晴天なり。 法政大学は多摩キャンパスなり。
俺、スンヨンなり。 友達は、イケてるやつばかりだ。 いや嘘だ、クソメンばかり。 果敢な人生だ。
ハレルヤ? FELIX/O2/津田ゼミ/フジテレビ/北海道日本ハム/柴咲コウ/AAA/東方神起/JYJ/SCANDAL/miwa 音が好き。ノリで生きてる。直感タイプ。
http://twitter.com/#!/tk_tk1117/status/91374786369949696
@tk_tk1117 いちかわ
@aralenaoco オーストラリア行かないんすか?コアラ♪(´ε` ) カナダに行こうと思ってます。韓国に帰るってのもありなんだけどー
7月14日 Teeweeから
日本人は「韓国に帰る」とかツイートしません 谷崎氏は日本古典を愛しつつ、一方、小説家として少しも旧慣にとらはれない天才であつた。この相反するかの
ごとく見える二つの特性は、日本の近代文学史の歪みの是正にもつとも役立つた。なぜなら日本の近代小説は、
日本古典の流れを汲まず、一方、自分たちのこしらへた奇妙な「近代的旧慣」のとりこになつてゐたからである。
私は問題の所在は、簡単に云へば、日本の近代小説における過度の「リアリティー」の要請にあつたと考へる者である。
いふまでもなく小説は、たとへ幻想小説であれ、その根底に「まことらしさ」の要請を負つたジャンルである。しかし、
「真清水は、ただ清水也。まことの清水といふ心也」(正徹物語)
といふやうな、中世の簡明な芸術理念は忘れ去られ、私小説的芸術理念は、この芸術上の約束にすぎぬ
「まことらしさ」を踏み越えて、ほとんど立証不可能であつてしかも説得的なもの、といふ領域に踏み入つたのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎頌」より 日本人の莫迦正直が、西欧の自然主義リアリズムを過度に信奉して、これを俳諧や随筆文学のスポンタニーイティの
美学と結びつけて、つひには小説の「まことらしさ」を、「一定の現実に生起した事実のもたらす主観的信憑性」
といふ窄い檻に押し込めてしまつた。その果てに一種の詩を招来したことは、なるほど私小説の功績だが、一方、
日本の小説は、体験主義に縛られつつ、「まことらしさ」の苛酷にすぎる要請を背負はされることになつた。
谷崎氏はこれを打破したのである。これを打破するのに、氏は四つの強力な武器を持つてゐた。すなはち、観念、
官能、写実、文章の四つである。
(中略)写実は、氏が源氏物語から学んだ世界包括性を持つた技術であつて、(「細雪」の洪水のシーンを見よ)、
それを氏はひたすら文章の練磨によつて支へた。氏の言葉は、「この世にありえぬやうな真実(ヴェリテ)」へ
向けられたが、(一例が「春琴抄」)、何らそれはバロック的誇張ではなく、氏が「見捨てられた真実」に一生
忠実を誓つたことにすぎない。
三島由紀夫「谷崎潤一郎頌」より @tkok_sosk_8228
高岡蒼甫
http://twitter.com/#!/tkok_sosk_8228/status/97746539908308992
三島由紀夫さんがこう言った。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、
からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大
国が極東の一角に残るのであろう。
戦後60年以上経ち尚、人は考える事を拒絶している。その中に自分も存在してる。
15時間前 実は白状すると、私は舞台へ背を向けて、客席を見てゐるはうがよほどおもしろかつた。何のために興奮するか
わからぬものを見てゐるのは、ちよつと不気味な感動である。私だつて、興奮が自分の身にこたへれば、エレキ
だらうと、何だらうと偏見はない。(中略)
しかし、今目の前に見てゐる光景は、原因不明で、いかにも不気味である。
私の数列うしろの席は、ビートルズ・ファンの女の子たちに占められてゐたが、その一人はときどき髪を
かきむしつて、前のはうへ垂れてきた髪のはじをかんでゐるが、アイ・ラインが流れだしてゐる恨むがごとき
目をして、舞台をじつと眺めてゐる顔は、まるでお芝居の累である。(中略)
何で泣くほどのことがあるのか、わけがわからない。もつとも女の子は、たいてい、大してわけのないことにも
泣くものである。ふとつた子が、身も世もあらぬ有様で、酸素が足りないみたいに口をパクパクさせると思ふと、
急に泣きながら、
「ジョージ!」
「リンゴ!」
などと叫びだすのを見ると、心配になつてしまふ。
三島由紀夫「ビートルズ見物記」より 熱狂といふものには、何か暗い要素がある。
明るい午後の野球場の熱狂でも、本質的には、何か暗い要素をはらんでゐる。そんなことは先刻承知のはずだが、
これら少女たちの熱狂の暗さには、女の産室のうめき声につながる。何かやりきれないものがあるのはたしかだ。
だからビートルズがいいの悪いの、と私は言ふのではない。また、ビートルズに熱狂するのを、別に道徳的堕落だとも
思はない。ただ、三十分の演奏がをはり、アンコールもなく、出てゆけがしに扱はれて退場する際、二人の少女が、
まだ客席に泣いてゐて、腰が抜けたやうに、どうしても立ち上がれないのを見たときには、痛切な不気味さが
私の心をうつた。そんなに泣くほどのことは、何一つなかつたのを、私は知つてゐるからである。
虚像といふものはおそろしい。
三島由紀夫「ビートルズ見物記」より 三島:ときどきつまらない映画で発見することがありますね。この間、なんだったかちょっと忘れたが、男が
入ってきて、女がとても驚いて水差しを落すところがある。水差しが床に落ちて割れる。それを見てなるほどなあと
思って、しばらくあと考えたのだけれども、ちょっと落すのがおそいのだよ。それで、あっ嘘だと思うのですよ。
現実には人間の心理は、驚いてから水差しを落すまでに間がある。だけど映画はその瞬間見ていると明かに嘘に
なるのです。そうすると、芝居なんかのアクチュアリティというのは、やはり現実のままじゃいけないと思う。
なんかこれならアクチュアリティがあるというタイミングがあると思う。そのタイミングを演出家はしょっちゅう
考えなければならない。そのタイミングは現実とはちょっと違って、お客の心理の中にある。お客の持っている
生活体験から生れた最大公約数の真理がある。芝居はそういうものを狙わなければならない。つまりそれが芝居の
リアリティと、考えちゃったのです。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:(中略)現実通りにやると間がのびちゃう。あれは不思議なものだね。時間で計るわけにいかないことだからね。
三島:ただ見ているお客の目から見ると、女がびっくりして水差しを落す所を現実の生活でしょっちゅう
見ているわけじゃない。しかしわれわれの生活にはそういうときには、このタイミングで水差しを落さなければ
おかしいと考える法則ができている。そういう法則がなければ安心して生きていられない。その法則をみんな
持っている。ぼくもミーハーも同じだ。それが外れると嘘なんだと思う。
荻:ヒッチコックがリアクション・ショットをやるでしょう。ふっと驚くところを出して、次に、驚いた原因を
見せる。ただその原因を知っているだけじゃ、このおもしろさをだれでも出せるわけじゃないな。そのときの
タイミングというか、映画独特の時間を勘で持っているかどうか。格闘シーンなんか全然現実時間じゃないな。
三島:現実の格闘はもっと間の抜けたものだろう。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:結局そういうところは歌舞伎……新国劇の殺陣なんかも、舞台の時間というものを創作した人は偉かったですね。
三島:歌舞伎の場合はもっとスロー・モーションで引き伸ばしてあって、別のおもしろみを出している。
現実生活ではお客は見ていないで、なんか考えるところはおもしろいと思う。観客心理としておもしろいと思う。
だから小説と体験の問題でも、小説家の体験、読者の体験ということがどっかでマッチするところがある。
たとえば人殺しをやった体験は、読者にもない、作者にもない、しかもどっかで折り合いのつくものがなんか
あるのです、法則がね。
荻:三島さんが書いていらっしゃいましたね。舞台では一目惚れとか偶然ということは、簡単に観客のほうに
許されるところがあると。映画では、同じくドラマでも問題になる。たとえば日本のすれ違い映画が観客を
笑わせるのは、やはりおかしいからなんだ。ところが芝居だと、「ロミオとジュリエット」の一目惚れは実に
簡単に受け入れられるのだな。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:その点では映画は小説に近い。映画はドラマより小説に近いと思う。やはり時間の経過は映画の場合は
厳密じゃない。たとえば、急に十年飛ぶ。芝居は非常に構成が必然的だから偶然が許容される、ということが
考えられる。たとえば荻さんの話をして、荻さんどうしたろうと言っているところへ荻さんが入ってきても、
芝居だとおかしくない。映画じゃおかしいよ。ぼくは古典劇の技巧が好きなんだ。たとえば「あそこにネロが
やって来た、こうしちゃいられない、向うへ行きましょう」、ああいう技巧は好きなんだ。(中略)
しかし、映画はどうして演劇的であるということをいやがるのだろう。大概芝居くさいのは受けが悪い。
荻:それは見るほうも作るほうも、内心で解放感を求めているからでしょう。
三島:そうですね。
お客が一つの枠の中で享受する芸術の楽しみ方はもう失われちゃったからね。したがって、映画は枠が小さい
という観念――最近は大きくなったけれども――枠が小さいから、それで解放感を求めるということがあると思う。
人物全体を見られないからね。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ぼくは映画が生れたのは小説の罪だと思う。(中略)小説の謳歌した罪を映画はもっと拡大して謳歌している。
五十歩百歩だ。小説家が映画の悪口を言うのは、眼クソ鼻クソを笑うと同じものだ。
小説の欠点をみんな持っているもの。たとえば一人の人生が一時間で語れるという、そういう確信を持っている。
戯曲はそんな確信を持っていなかった。ある人間の三時間とか一日とかしか語れない。小説、映画はそういうことが
できることになった。
小説の双子だな、芝居の双子というよりは……。
荻:まま子だな。だから、小説の崩れもずいぶん流れ込んだんじゃないか。
三島:オペラを喜んでいたお客は、現実生活とは違うものというので、それを喜んでいた。だけど小説が始まって
砕いちゃった。書いてあることは本当のことだという迷信を抱かしちゃった。だから映画が出てくるのは当たり前だ。
荻:映画は実写的だからなおその確信が映画の支えになったのだし、それはまだ続いている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:しかし小説と映画はあまりにも近すぎて、かえって関係がない。近いものではないけれど、ぼくは芝居の
興味で見る。やはり映画は野外劇の発展したものじゃないですか。ページェントですね。だからイタリアの廃墟を
うまく使って「ロミオとジュリエット」を作ったり、そういうものはたしかに生きてくるのだ。つまり野外劇では、
舞台装置の全部が人工のものでなしに、現実におかれた外部のものがすっと入ってくる。廃墟とか水とか芝生とか、
そういう芝居と関係のないものが入ってくる。それで芝居が展開していくおもしろさ、そういうものは昔から
発見されていた。それが映画に発展して行ったと思うのです。
荻:映画論でそのことを指摘しているのは、日本では寺田寅彦さんですね。ドキュメンタリーのおもしろさは
全くそれなんですね。
三島:ものが入ってきたのだ、芸術の世界に。
劇では生のものは絶対出さないわけですよ。(中略)人間だけ生であとは生でないというのが芝居のミソだ。
映画では人間プラスいろいろなものが入ってくる。
荻:それが機械でとらえられるから、なお複数になっちゃうのですよ。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:三島さんは映画芸術を信じられる?
三島:ものによっては信じるな。
荻:条件づきですか。
三島:小説だって芸術だかどうだか怪しいものだ。いまや芸術というものはあまりはやらないからな。
荻:そうなんだ。
三島:小説も芸術じゃない、あいまいなものだと思います。非常に限定がない。限定がないものは芸術じゃない。
芝居とか詩とか、そういうのは限定があるから芸術だね。限定がないと、ぐずぐずになっちゃう。
荻:じゃ映画が条件づきで芸術というのはどういうところ?
三島:そうですね、出来と仕上げです。それから統一性ということだな。最初のすべり出しからラストまで
統一的理念が支配しているということ、そういう映画は芸術だと思うのだ。腰砕けになったものは芸術じゃないと思う。
それは三流西部劇だって統一的だよ、だけど……。
荻:そのほかに何かある?
三島:ほかにも何かあるでしょう。あいまいなものだ。小説だってこれは芸術か芸術でないかというのは見当つかない。
谷崎さんの「鍵」だってわからない。映画は小説と同じに芸術の概念があいまいなときに生れたのじゃないか。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:ぼくは実をいうと芸術でなくともよいと思うのだが。
三島:そう思う。どうでもいい。
荻:つまらないものでも部分的に芸術的なところがある。
三島:それはあります。(中略)ぼくもなんか映画というものを根本的に信用していないことはたしかなんだ。
荻:どういう点ですか。
三島:多勢で作るから信用できない。
荻:それはいつも問題になる。批評家が戸惑うのもそこなんだ。(中略)ほかの芸術みたいに一個人を探し
求めようとすると、それは不可能です。(中略)
三島:芝居も多勢で作るものだが、台本は神聖だし……。
たとえば録音技師が音を入れる場合に、重役が口を出して、ここは人間が歩いているから足音がないとおかしい、
はい、入れますと、それを入れる。人間が歩くと足音がする。汽車が走るとシュシュポッポ。そこで崩れちゃう。
足音を入れちゃいかんという監督が何人いるかね。
荻:単に個人の権力として言える言えないでなく、入れちゃいかんという自信がなくなっちゃうわけです。皆で作る、
ということが根本なんだから。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:チャップリンでは「殺人狂時代」が好きだ。「ライムライト」は大嫌い。
荻:三島さんはやはり濡れたのが嫌いなんだ。
三島:大嫌い。
荻:「しのび泣き」(ジャン・ドラノワ)なんてのは濡れたところと乾いたところの境目みたいなものだけれども。
三島:ああいうものは許容できる。ガイガー検査器をあてると、許容量のリミットだね。
荻:映画というものがすぐセンチメンタルに湿ってくるということ、これも考えなければならない問題でね。
三島:「二十四の瞳」は困った映画ですね。木下恵介さんのああいう傾向は買えないな。
荻:あの人は一歩退いて自分をいじめることができる作家だ。乾かすこともできる。湿らすことも……。
三島:だけど日本人の平均的感受性に訴えて、その上で高いテーマを盛ろうというのは、芸術ではなくて政治だよ。
荻:しかし映画はそのポリシーが……。
三島:あるのだね。(中略)国民の平均的感受性に訴えるという、そういうものは信じない。進歩派が
「二十四の瞳」を買うのはただ政治ですよ。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ぼくはほうぼうで引用するが、アーサー・シモンズの言葉、「芸術でいちばんやさしいことは、涙を
流させることと、わいせつ感を起させることだ」というのがあるが、これは千古の名言だと思う。
荻:逆に言えば、映画は末梢を刺激するようにできている。
三島:セックスの点がそうね。あんなセンジュアルなものはない。映画の根本的なものかもしれない。オッパイが
出てくれば、三メートルぐらいに拡がっちゃう。そういうことと涙と関係があるからね。
荻:映画ってものは観客をどうしても同化作用に引き込ませる。映画ですぐ作品のテーマということが問題に
なるのもそこね。たとえば頽廃的なもの、悪影響を及ぼすもの……。
三島:映画でいちばん信用できないのはそれなんです。人間的な限界をのり越すということなんだよ。彫刻は、
大きな彫刻はあるにしても、人間の限界にとどまっているからね。無害なんだ、芸術として。小説も人間の限界に
とどまっている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:映画は人間の限界を飛び越すからね。オッパイは三メートル、十メートルになっちゃう。それは人間の
仕事でなく、拡大する機械の仕事なんだ。そういうものによって訴えるということは、人間的な限界を踏み越した
ものだと思うね。
荻:それはおもしろいな。みんなこの問題はマス・コミュニケーションの問題としてしか考えていない。
たくさんの人々に見られるから危険だというふうにしか考えない。
三島:ぼくは非人間的なものが危険だという考えだ。
荻:その点をまた映画は大変な武器にして来たわけでね。
三島:オッパイが十メートルになるということは、現実の世界にはない。シネマスコープは十メートルになる。
そんな昂奮はないかもしれない。そういう点でラクロの「危険か関係」のように、「観念がいちばんわいせつだ」
という信念で作られたエロ小説から考えると、十メートルのオッパイは観念なんだ。観念が拡大されて人間以上の
ものになっている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ラクロがどんなに努力しても、人間の想像力のエロチシズムから出ない。映画は想像力を越して、ただちに
官能に命令する。そこが危険なんだ。そういうものを狙ったものが。ぼくも木石でないから感ずる。それは
芸術でないと感ずる。そういう武器はすごいよ、映画は。観念が拡大されて人間を追い越すという点では
恐るべき武器だ。どこまでも行っちゃう。古代ローマのコロシアムのショーね、あれなんか登場人物がほんとうに
死ななければ満足できなかったのだ。今やプロ・レスリングがそうだし、ボクシングがそうだ。
荻:抽象的なルールのないスポーツみたいなものなのね。
三島:ギリシャ劇がいつかローマの円形劇場のショーへ堕落して行ったのと小説が映画になったということは、
符節を合している。そこまで言うと身も蓋もなくなる。映画にもいい所があるけれども……。
(中略)
荻:一部の映画作家がむしろアンバランスなものを作ろうというところに、いわゆる映画芸術の悲劇があるのかも
しれない。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 大体どんな芸術でも発展期は非常に発達して一応完成してしまうと発達しませんよ。映画は立体映画とか聴覚、
色彩がある。さらに匂い、それこそわきがの匂いが映画でかげるようになったって、一方に映画の本質的な
運命があるので、その運命的性格は抜け切れない。小説も小説の運命的な性格は抜け切れない。
三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より 渋谷:イタリア映画はどうですか。
三島:嫌いなんですよ。なぜかというと見え透いていてね。あんなに見え透いたもの芸術じゃないと思うね。
そうしてね、ひとつひとつ言えば、あの「自転車泥棒」なんか、父子の義理人情からすぐさま共産主義へ持ってゆく、
理論的な飛躍の癪に障ること。それから「無法者の掟」の結末の浪花節的なこと。実につまらぬものだと思う。
「パイサ」を見たときは非常に面白かった。
(中略)
フランスの映画は、露骨な理論的飛躍がない。そこで止めておくから、見る人が理論的に追求して自分のほうへ
持ってゆくでしょう。「自転車泥棒」には理論的な押しつけがましさがセンチメンタルの後ろにあるので、
一面から質的相違に見えるけれど、センチメントはセンチメント。シモンズが文学論で言ってるけれど、芸術が
われわれに訴える涙ぐましさは猥褻さの効果とあまり変らない。そういう意味での涙脆さにすぎぬ。社会問題なんかは、
もっと理論的にイデオロギッシュに考えるべきだ。
三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より 小森:若いシネ・クラブの会員のかたなどに対しては、どうお考えになりますか。
三島:なにか間違ってるんじゃないですか。映画を研究している若い人の話なんか聞くと、なんでこんなに
シチ面倒くさいことを、と思いますね。まず楽しむことですよ。映画で哲学を考えるんなら、哲学の本でも
読めばいいのに、本を読みもしないで映画で考えるなんていうのはナマケモノじゃないですか。
映画は芸術的雰囲気に酔ってくれたらいいんです。文学でも同じことで、あまりいろいろなものを求めすぎて……
文学も芸術ですから、やはり酔ってくれなければ困るんですね。それで酔わないものだから、みんなLSDなんか
のんで酔わなくちゃならない。(笑)
三島由紀夫
小森和子との対談「十二才のとき映画に開眼したんです」より 淀川:おいくつです?
三島:トニー・カーティス、ファーリー・グレンジャーと同い年……と言ったら、みんな笑う。一九二五年生れです。
どうして可笑しいのか……。
淀川:なんとなく可笑しい。なんとなく面白い。最近はまた大変ですね。歌舞伎の新作一本、新劇一つ、(中略)
それから読売の連載……。
三島:(中略)それに明日に控えた文春の“文士劇”があるんですよ。
淀川:それは大変、何をおやりになるの。
三島:「屋上の狂人」の弟役、僕の役……十八歳なんですよ、ハハッ十八歳なんですよ!
淀川:貴方なら充分、とってもお若い……その文士劇は他にどんなのがあります。
三島:「め組の喧嘩」と「車引」……こういうのに引っ張り出されると、本当に役者が自分の舞台で観客に
印象づけようと厚かましくもなる……そんな気持ち、(中略)当人になると無理もないと、つくづく解ってくる。
淀川:「車引」の桜丸なんか演って貰いたかった!
三島:いや、僕は時平公が演りたかった!
淀川:これは、まあ派手に厚かましい!
三島由紀夫
淀川長治のインタビュー「三島由紀夫氏訪問」より 戦艦大和竣工の日に生まれてきた軍事評論家
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/02/4/46_2.html
自衛隊に対して影響力を誇示していた軍事評論家「田岡俊次」のことだ。 戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 石原氏の出現はひとつの事件であり、いろんな点で象徴的事件であつた。それはヨハネの黙示録の「赤き馬」のやうに、
第二の封印を解かれて現はれ、これに乗る者の地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむることとを
許されたやうに見えた。……しかし事件がをはつたとき、作家としての氏には人生が残されてゐる。これを
生きることの辛さは想像に余りあり、人を刺すための「大いなる剣」は今度は我身を刺す。読者はこの作品集に、
その辛酸の音楽と、一つの代表的青春の凄壮な呻きとを聴くであらう。
三島由紀夫「一つの代表的青春(『石原慎太郎文庫』推薦文)」より 赤ッ面の敵役があまり石原氏をボロクソに言ふから、江戸ッ子の判官びいきで、ついつい氏の肩を持つやうに
なるのだが、あれほどボロクソに言はれなかつたら、却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その点
私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。
従つて、ひいきとしては、氏の一勝負一勝負が一々気になるが、今まででは「処刑の部屋」が一等いい作品で、
中にはずいぶん香ばしくないものもある。
香ばしくないどころか、呆れ返るものもある。しかし、ひいきのたのしみはいつも不安を与へられることであり、
はじめから安定した、まちがひのない作家といふものに私は興味がない。
(中略)
今のところ、氏は本当に走つてゐるといふよりは、半ばすべつてゐるのである。すべることは走るより楽だし、
疲労も軽い。しかし自分がどこへ飛んで行つてしまふかわからぬ危険もある。やつぱり着実に走つて、自分の脚が
着実に感ずる疲労だけが、信頼するに足るものだといふことを、スポーツマンの氏はいづれ気づくにちがひない。
三島由紀夫「石原慎太郎氏」より 生きてたら80台後半か
日本は惜しい人材を失ったな 6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
私は、人間の生活の一番重要なものは、戦争、もう一つは宴会だと、かういふふうに考へてをります。
いかに平和主義者がなんと言はうとも、人類は戦争ばつかりして来たのでありまして、歴史は戦争の
歴史で――まあこれからはないはうがいいでせうが、片つぱうは宴会の歴史であります。ギリシアの
叙事詩は、戦争の叙述と、それから宴会の叙述で埋まつてをります。私が戦争といひますのは、
もちろん精神的な戦争も含めていふのでありまして、キリスト教の勝利、そしてまた哲学者たちの
それぞれの哲学体系の、愚昧な当時の民衆の俗権に対する勝利、かういふことも人間の闘争的世界の
産物であります。
三島由紀夫「美食と文学」より 氏の内の決して朽ちない少年のこころ、あらゆる新奇なもの神秘なもの宇宙的なものへの関心は、
そのナイーヴな、けがれのない熱情は、世俗にまみれた私の心を洗つた。氏は謙虚なやさしい人柄で、
トゲトゲした一般小説家の生活感情なんぞ超越してゐた。
世俗的に言へば、氏はあんまり早く超越してしまつたと思はれるふしがある。(中略)一番面白いのは、
氏が小型映画用のシナリオとして書いた掌編で、その「望遠鏡」といふ一編では、シリウスの伴星を
見ようと志して、超強度望遠鏡を発明した男が、半裸の汗だくで、望遠写真をやつと写したところが、
一点の黒点のある平面のみが写つてをり、あとで細君から、それはあなたの背中の黒子の写真ぢや
ないかと言はれ、男の嘆息の字幕でおしまひになる。
「ああ、今度はあまり遠くが見えすぎたのだ?」
遠い恒星よりももつと遠い自分の背中が見えてしまふ目を持つた男、その男の不幸を、そのころから
北村氏は知つてゐた。
三島由紀夫「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」より 飛行機も映画も、自動車も円盤も、すべて氏の玩具にすぎず、氏の本質は人間通だつたのかも
しれない。
それを証明するのは、「婦人公論」の五月号に出た、氏の「わが契約結婚の妻」といふ文章で、
私はこれこそ真の人間通の文章だと感嘆し、早速その旨を氏へ書き送つたが、今にしてみると、
それは氏のやさしい遺書のやうな一文であつた。
それは逆説的な表現で、奥さんへの愛情と奥さんの温かい人柄を語つた文章であるが、人間が
自分で自分をかうだと規定したり、世間のレッテルで人を判断したり、自意識に苦しめられたり、……
さういふ愚かな営みを全部見透かして、直に人間の純粋な心情をつかみとるまれな能力を、氏が
持つてゐることを物語つてゐた。
三島由紀夫「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」より
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大江健三郎の文章はそのままサルトルの飜訳だといつても、誰が不思議に思ふでありませう。サルトルと
大江氏の文章は発想においても資質においてもちがつてゐることはもちろんであります。彼は意識的に
その用語を、サルトルの使つたやうな用語の概念に近づけようとして使つてをります。それは戦前ならば
飜訳調の文章と思はれたでせうが、いまは、われわれはそれをさほど飜訳調の文章と感じないので
あります。むしろ飜訳調の文章と大いに言はれたのは、新感覚派の時代の初期の横光利一氏の文章で
あります。
(中略)
現在では飜訳調の文章は、横光氏の時代がもつてゐたやうな、人の感覚に抵抗を与へる効果といふ
ものは、すべて失つてしまつたのであります。われわれは飜訳文の氾濫によつて、もはやどんな不思議な
日本語もさほど不思議と思はなくなるに至りました。そのもつとも極端な例は、石原慎太郎氏の「亀裂」の
文体のやうなもので、ここでは、日本語はいつたん完全に解体されて、語序も文法もばらばらにされて、
不思議なグロテスクな組合せによつて、異常な効果を出してゐます。しかし石原氏にとつて損なことは、
その文章が横光利一氏のやうに、故意の飜訳体の形において人の感覚に刺戟を与へ、それからめざめ
させるといふ効用を、現在はほとんどもつてゐないことであります。
三島由紀夫「文章読本 第二章 文章のさまざま―文章美学の史的変遷」より . kanikawa_sama
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ヽヽ___// 日本
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●ウェブ全体 〇日本語のページ 世界が首筋にぶつかってきたのだ
こうして死んでしまったわけだが gotogen@gotogen
王位戦2日目の深夜、もういい塩梅の行方尚史さん数人で部屋に送り届けたとき、
枕元に三島由紀夫の本が置いてあって、ああそうか、たしかにそうだなと思いました。
2013年7月13日 - 1:24
2006年、第24期朝日オープン将棋選手権第四局の揮毫色紙
http://www.asahi.com/shougi/photogallery/image/TKY200605150308.jpg
http://www.asahi.com/shougi/photogallery/image/TKY200605150304.jpg
三島由紀夫の四部作『豊饒の海』の第二部タイトル(奔馬)
王位戦中継サイト
http://live.shogi.or.jp/oui/