内藤淳『進化倫理学入門』(光文社新書)。著者は法哲学者で、法や人権に対して自然主義的基礎付けを行っている。
サブタイトルは「“利己的”なのが結局、正しい」とあり、内容はこれに尽きる。
ここで真っ先に気になるのは、いわゆる「自然主義的誤謬」論に対して、いかに反論・対処もしくは問題回避しているのかという点であるが、
驚くべきことに、そもそも問題として認識していない模様。ドーキンスの「利己的遺伝子」論や、スティーヴン・ピンカーなどを参照して、
利他性も利己性に還元できることを説明し、そこから一足飛びに「利己性=正しい」を導き出している。ある意味清々しいほどの素朴な「自然主義」。
利己性を公理とするのはかまわないのだが、利己的遺伝子にとっての「利」と、人間個体にとっての「利」ですら既に異なるし、
時には対立する事をどう考えているのか不明(後者が前者から生じたものだとしても、前者=後者ではない)。
せめて、利己的遺伝子から生物個体レベルでの利己性と利他性、そして人間の社会性・利他性・倫理・自由・意志などが、
どのように進化してきたのか、ゲーム理論などを援用して説得力あるシナリオを描いて欲しかった。
例えば、一般に道徳・倫理は利己性を否認するが、これは道徳・倫理の本質的な属性と考えるべきだろう。
それはなぜか、という事も利己性を出発点として進化論的・ゲーム理論的に説明できるはずである※。
ドーキンスや佐倉統を絶賛している割には、進化論やゲーム理論をちゃんと理解しているのかどうか怪しい感じもする。
経済学や功利主義の知見も取り入れるべきかと思うが、あまり参照されている様子はない。
本来、酷評するのであれば、内容を詳細に検討して公正に批評するべきなのはわかっているのだが、
そういう気力すら失わせる脱力物件。己れの自然な感情に従って星1個進呈★。
(言うまでもなく、倫理学とか法の自然主義的基礎付けなるものに関して自分は何も知らないので、根本的に勘違いしている可能性はあるのでご了承ください)