川端康成とか三島由紀夫のおすすめ作品2
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前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて
背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がつて、うなだれてゐる。わづかに左隅の
前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のやうに、こちらへ半ば暗い顔を向けてゐる。
そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をゑがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と
識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がつてつづいてゐる。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭を
しらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせてゐる。画面いつぱいに、何とも云へない
沈痛の気が漲つてゐるのはそのためである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向つて、波のやうに押し寄せる心を
捧げてゐるのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思ひが、
中央へ向つて、その重い鉄のやうな巨大な環を徐々にしめつけてゐる。……
古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないやうに思はれた。
三島由紀夫「春の雪」より 女がとんだあばずれと知つたのちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に描いて
ゐただけだと知つたのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋心を味はふことができるだらうか?
できたら、すばらしいと思はんかね? 自分の心の本質と世界の本質を、そこまで鞏固に
結び合せることができたら、すばらしいと思はないか? それは世界の秘密の鍵を、
この手に握つたといふことぢやないだらうか?
歌留多(カルタ)の札の一枚がなくなつてさへ、この世界の秩序には、何かとりかへしの
つかない罅(ひび)が入る。とりわけ清顕は、或る秩序の一部の小さな喪失が、丁度時計の
小さな歯車が欠けたやうに、秩序全体を動かない靄のうちに閉じ込めてしまふのが怖ろしかつた。
なくなつた一枚の歌留多の探索が、どれほどわれわれの精力を費させ、つひには、
失はれた札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪のやうな世界の一大緊急事に
してしまふことだらう。彼の感情はどうしてもさういふ風に動き、彼にはそれに抵抗する術が
なかつたのである。
三島由紀夫「春の雪」より 夢のふしぎで、そんなに遠く、しかも夜だといふのに、金と朱のこまかい浮彫の一つ一つまでが、
つぶさに目に泛ぶのです。
僕はクリにその話をして、お寺が日本まで追ひかけてくるのは別の思ひ出でせう、と笑ふのです。
そのたびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気になつてゐます。
なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつて
われわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、
いづれも手で触れることのできない点で共通してゐます。手で触れることのできたものから、
一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないやうな美しい
ものになる。事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、われわれの指が触れるから、
それは汚濁になつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを
涜(けが)し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持つてゐるんですから。
三島由紀夫「春の雪」より 夢とちがつて、現実は何といふ可塑性を欠いた素材であらう。おぼろげに漂ふ感覚ではなくて、
一顆の黒い丸薬のやうな、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、さういふ思考を
わがものにしなくてはならないのだ。
法律学とは、まことにふしぎな学問だつた! それは日常些末の行動まで、洩れなく
すくひ上げる細かい網目であると同時に、果ては星空や太陽の運行にまでむかしから
その大まかな網目をひろげてきた、考へられるかぎり貪欲な漁夫の仕事であつた。
何故時代は下つて今のやうになつたのでせう。何故力と若さと野心と素朴が衰へ、
このやうな情ない世になつたのでせう。
一瞬の躊躇が、人のその後の生き方をすつかり変へてしまふことがあるものだ。その一瞬は
多分白紙の鋭い折れ目のやうになつてゐて、躊躇が人を永久に包み込んで、今までの紙の表へ
出られぬやうになつてしまふのにちがひない。
三島由紀夫「春の雪」より あたかも俥は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの崖ぞひの空地から、麻布三聨隊の営庭を
見渡すところへかかつてゐた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかつたが、突然、
清顕はそこに、例の日露戦没写真集の、得利寺附近の戦死者の弔辞の幻を見た。
数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがへした祭壇を遠巻きにして
うなだれてゐる。あの写真とはちがつて、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇は
ことごとく白く染められてゐる。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に
清顕は思つた。あそこに群がつた数千の兵士は、ただ戦友の弔辞のために集つたのではなくて、
自分たち自身を弔ふためにうなだれてゐるのだ。……
幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松の雪吊りの新しい縄の鮮やかな麦色に
雪が危ふく懸つてゐるさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の灯火を
にじませてゐるさま、などを次々と雪ごしに示した。
三島由紀夫「春の雪」より 百年たつたらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、
眺められる他はないだらう。美術史の各時代の様式のちがひが、それを容赦なく証明してゐる。
一つの時代の様式の中に住んでゐるとき、誰もその様式をとほしてでなくては物を見ることが
できないんだ。
様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。
貴様は感情の世界だけに生きてゐる。人から見れば変つてゐるし、貴様自身も自分の個性に
忠実に生きてゐると思つてゐるだらう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。
同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、
時代の様式の一番純粋な形をあらはしてゐるのかもしれないんだ。……でも、それを
証明するものも亦一つもない。
三島由紀夫「春の雪」より ナポレオンの意志が歴史を動かしたといふ風に、すぐに西洋人は考へたがる。貴様の
おぢいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したといふ風に。
しかし果してさうだらうか? 歴史は一度でも人間の意志どほりに動いたらうか?
たとへば俺が意志を持つてゐるとする……それも歴史を変へようとする意志を持つてゐるとする。
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どほりに歴史をねぢ曲げようと努力する。
又、さうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は
思ふままの枝ぶりになつてくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるひは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、
意志どほりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとほりの形を
とるかもしれない。俺の目が美しいと思ふかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、
俺の意志を嘲るかのやうに。
それが歴史といふものだ、と人は言ふだらう。
三島由紀夫「春の雪」より 俺が思ふには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも
生れ出たわけではないさういふ結果は、決して『成就』とは言へないんだ。それが証拠に、
歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
俺にはそんなことはよくわかつてゐる。わかつてゐるけれど、俺は貴様とちがつて、
意志の人間であることをやめられないんだ。意志と云つたつて、それはあるひは俺の
強ひられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰にも言へない。しかし人間の意志が、
本質的に『歴史に関はらうとする意志』だといふことは云へさうだ。俺はそれが『歴史に
関はる意志』だと云つてゐるのではない。意志が歴史に関はるといふことは、ほとんど
不可能だし、ただ『関はらうとする』だけなんだ。それが又、あらゆる意志にそなはる
宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみとめようとはしないけれども。
三島由紀夫「春の雪」より 聡子と自分が、これ以上何もねがはないやうな一瞬の至福の裡にあることを確かめたかつた。
少しでも聡子が気乗りのしない様子を見せれば、それは叶はなかつた。彼は妻が自分と同じ夢を
見なかつたと云つて咎め立てする、嫉妬深い良人のやうだつた。
拒みながら彼の腕のなかで目を閉ぢる聡子の美しさは喩へん方なかつた。微妙な線ばかりで
形づくられたその顔は、端正でゐながら何かしら放恣なものに充ちてゐた。その唇の片端が、
こころもち持ち上つたのが、歔欷(きよき)のためか微笑のためか、彼は夕明りの中に
たしかめようと焦つたが、今は彼女の鼻翼のかげりまでが、夕闇のすばやい兆のやうに
思はれた。清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があつたが、
耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の
龕のやうだつた。すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。
その奥にあるのは聡子の心だらうか? 心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んで
きらめく歯の奥にあるのだらうか?
三島由紀夫「春の雪」より 清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が
見られることを避けるやうに、顔を自分のはうから急激に寄せてきて接吻した。清顕は
片手をまはしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる
室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなに
よからうと想像した。聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、
完全な美の均整へ達しようとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の香りの
立ち迷ふなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい髪油の匂ひと
夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。夕あかりの前に、こまかく重なり、けば立つた
羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、底深く
ほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵(かく)してゐた。
三島由紀夫「春の雪」より 貧しい想像力の持主は、現実の事象から素直に自分の判断の糧を引出すものであるが、
却つて想像力のゆたかな人ほど、そこにたちまち想像の城を築いて立てこもり、窓といふ窓を
閉めてしまふやうになる傾きを、清顕も亦持つてゐた。
聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしてゐた。かがみ込んで巻物を書いてゐるとき、
熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい黒髪にもかまはず、その小さな細い指を
しつかりと筆にからませてゐたが、その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、
下唇をむざんに噛みしめた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらにすでにくつきりと遠つた
鼻筋などを、清顕は飽かず眺めてゐたものだ。それから憂はしい暗い墨の匂ひ、紙を走る筆が
かすれるときの笹の葉裏を通ふ風のやうなその音、硯(すずり)の海と岡といふふしぎな名称、
波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて
散らばつたのが、月影の散光のやうに見える永遠の夜の海……。
三島由紀夫「春の雪」より われわれは恋しい人を目の前にしてさへ、その姿形と心とをばらばらに考へるほど愚かなのだから、
今僕は彼女の実在と離れてゐても、逢つてゐるときよりも却つて一つの結晶を成した月光姫を
見てゐるのかもしれないのだ。別れてゐることが苦痛なら、逢つてゐることも苦痛でありうるし、
逢つてゐることが歓びならば、別れてゐることも歓びであつてならぬといふ道理はない。
さうでせう? 松枝君。僕は、恋するといふことが時間と空間を魔術のやうにくぐり抜ける秘密が
どこにあるか探つてみたいんです。その人を前にしてさへ、その人の実在を恋してゐるとは
限らないのですから、しかも、その人の美しい姿形は、実在の不可欠の形式のやうに
思はれるのですから、時間と空間を隔てれば、二重に惑はされることにもなりうる代りに、
二倍も実在に近づくことにもなりうる。……
優雅といふものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を。
三島由紀夫「春の雪」より 彼はまぎれもなく恋してゐた。だから膝を進めて聡子の肩へ手をかけた。その肩は頑なに拒んだ。
この拒絶の手ごたへを、彼はどんなに愛したらう。大がかりな、式典風な、われわれの
住んでゐる世界と大きさを等しくするやうなその壮大な拒絶。このやさしい肉慾にみちた肩に
のしかかる、勅許の重みをかけて抗(はむか)つてくる拒絶。これこそ彼の手に熱を与へ、
彼の心を焼き滅ぼすあらたかな拒絶だつた。聡子の庇髪の正しい櫛目のなかには、香気に
みちた漆黒の照りが、髪の根にまで届いてゐて、彼はちらとそれをのぞいたとき、月夜の森へ
迷ひ込むやうな心地がした。
清顕は手巾から洩れてゐる濡れた頬に顔を近づけた。無言で拒む頬は左右に揺れたが、
その揺れ方はあまりに無心で、拒みは彼女の心よりもずつと遠いところから来るのが知れた。
清顕は手巾を押しのけて接吻しようとしたが、かつて雪の朝あのやうに求めてゐた唇は、
今は一途に拒み、拒んだ末に、首をそむけて、小鳥が眠る姿のやうに、自分の着物の襟に
しつかりと唇を押しつけて動かなくなつた。
三島由紀夫「春の雪」より 雨の音がきびしくなつた。清顕は女の体を抱きながら、その堅固を目で測つた。夏薊の
縫取のある半襟の、きちんとした襟の合せ目は、肌のわづかな逆山形をのこして、神殿の
扉のやうに正しく閉ざされ、胸高に〆めた冷たく固い丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの
鋲のやうに光らせてゐた。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさまよひ出て
ゐるのが感じられた。その微風は清顕の頬にかかつた。
彼は片手を聡子の背から外し、彼女の顎をしつかりとつかんだ。顎は清顕の指のなかに
小さな象牙の駒のやうに納まつた。涙に濡れたまま、美しい鼻翼は羽搏いてゐた。そして
清顕は、したたかに唇を重ねることができた。
急に聡子の中で、炉の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、双の手が
自由になつて、清顕の頬を押へた。その手は清顕の頬を押し戻さうとし、その唇は押し
戻される清顕の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの余波で左右に動き、清顕の唇は
その絶妙のなめらかさに酔うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の
角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。
三島由紀夫「春の雪」より あの花々しい戦争の時代は終つてしまつた。戦争の昔話は、監武課の生き残りの功名話や、
田舎の炉端の自慢話に墜してしまつた。もう若い者が戦場へ行つて戦死することは
たんとはあるまい。
しかし行為の戦争がをはつてから、その代りに、今、感情の戦争の時代がはじまつたんだ。
この見えない戦争は、鈍感な奴にはまるで感じられないし、そんなものがあることさへ
信じられないだらうと思ふ。だが、たしかに、この戦争がはじまつてをり、この戦争のために
特に選ばれた若者たちが、戦ひはじめてゐるにちがひない。貴様はたしかにその一人だ。
行為の戦場と同じやうに、やはり若い者が、その感情の戦場で戦死してゆくのだと思ふ。
それがおそらく、貴様をその代表とする、われわれの時代の運命なんだ。……それで貴様は、
その新らしい戦争で戦死する覚悟を固めたわけだ。さうだらう?
三島由紀夫「春の雪」より 繁邦は思つてゐた。人間の情熱は、一旦その法則に従つて動きだしたら、誰もそれを
止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としてゐる近代法では、
決して受け入れられぬ理論だつた。
一方、繁邦はかうも思つてゐた。はじめ自分に無縁なものと考へて傍聴しはじめた裁判が、
今はたしかに無縁なものではなくなつた代りに、増田とみが目の前で吹き上げた赤い
熔岩のやうな情念とは、つひに触れ合はない自分を、発見するよすがにもなつた、と。
雨のまま明るくなつた空は、雲が一部分だけ切れて、なほふりつづく雨を、つかのまの
孤雨に変へてゐた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のやうにさした。
本多は自分の理性がいつもそのやうな光りであることを望んだが、熱い闇にいつも
惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかつた。しかしその熱い闇はただ魅惑だつた。
他の何ものでもない、魅惑だつた。清顕も魅惑だつた。そしてこの生を奥底のはうから
ゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながつてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より 海はすぐそこで終る。これほど遍満した海、これほど力にあふれた海が、すぐ目の前で
をはるのだ。時間にとつても、空間にとつても、境界に立つてゐることほど、神秘な感じの
するものはない。海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思ひは、あたかも一つの時代から
一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会つてゐるやうな気がするではないか。そして本多と
清顕が生きてゐる現代も、一つの潮の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかつた。
……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見てゐれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであへなく
終つたかがわかる。そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きはまる企図が徒労に
終るのだ。
……しかし、それにしても、何となごやかな、心やさしい挫折だらう。波の最後の
余波(なごり)の小さな笹縁は、たちまちその感情の乱れを失つて、濡れた平らな砂の鏡面と
一体化して、淡い泡沫ばかりになるころには、身はあらかた海の裡へ退いてゐる。
三島由紀夫「春の雪」より あの橄欖(オリーブ)いろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱であり、怒号で
あつたものが、次第に怒号は、ただの叫びに、叫びはいづれ囁きに変つてしまふ。大きな
白い奔馬は、小さな白い奔馬になり、やがてその逞しい横隊の馬身は消え去つて、最後に
蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。
退いてゆく波の彼方、幾重にもこちらへこちらへと折り重つてくる波の一つとして、白い
なめらかな背(せびら)を向けてゐるものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、
一せいに歯噛みをしてゐる。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えてゐた渚の
波も、実は稀薄な衰へた拡がりの末としか思はれなくなる。次第次第に、沖へ向つて、
海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の
水平線にいたつて、無限に煮つめられた青が、ひとつの硬い結晶に達してゐる。距離と
ひろがりを装ひながら、その結晶こそは海の本質なのだ。この稀いあわただしい波の重複の
はてに、かの青く凝結したもの、それこそは海なのだ。……
三島由紀夫「春の雪」より 本多は、頭のよい青年の逸り気から、やや軽んずるやうな口調で断定した。
「それは生れ変りの問題とはちがひます」
「なぜちがふ」とジャオ・ピーは穏やかに言つた。「一つの思想が、ちがふ個体の中へ、
時を隔てて受け継がれてゆくのは、君も認めるでせう。それなら又、同じ個体が、別々の
思想の中へ時を隔てて受け継がれてゆくとしても、ふしぎではないでせう」
「猫と人間が同じ個体ですか? さつきのお話の、人間と白鳥と鶉と鹿が」
「生れ変りの考へは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体が連続しなくても、妄念が
連続するなら、同じ個体と考へて差支へがありません。個体と云はずに、『一つの生の流れ』と
呼んだらいいかもしれない。
僕はあの思ひ出深いエメラルドの指環を失つた。指環は生き物ではないから、生れ変りはすまい。
でも、喪失といふことは何かですよ。それが僕には、出現のそもそもの根拠のやうに思へるのだ。
指環はいつか又、緑いろの星のやうに、夜空のどこかに現はれるだらう」
三島由紀夫「春の雪」より 本多はその言葉を聴き流しながら、さつきジャオ・ピーが言つたふしぎな逆説について思ひに
耽つてゐた。たしかに人間を個体と考へず、一つの生の流れととらへる考へ方はありうる。
静的な存在として考へず、流動する存在としてつかまへる考へ方はありうる。そのとき
王子が言つたやうに、一つの思想が別々の「生の流れ」の中に受けつがれるのと、一つの「生の流れ」が別々の
思想の中に受けつがれるのとは、同じことになつてしまふ。生と思想とは同一化されてしまふ
からだ。そしてそのやうな、生と思想が同一のものであるやうな哲学をおしひろげれば、
無数の生の流れを統括する生の大きな潮の連鎖、人が「輪廻」と呼ぶものも、一つの思想で
ありうるかもしれないのだ。……
それは正しく琴だつた! かれらは槽の中へまぎれ込んだ四粒の砂であり、そこは
果てしのない闇の世界であつたが、槽の外には光りかがやく世界があつて、竜角から雲角まで
十三弦の弦が張られ、たとしへもなく白い指が来てこれに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、
琴をとどろかして、底の四粒の砂をゆすぶるのだつた。
三島由紀夫「春の雪」より ……いつか時期がまゐります。それもそんなに遠くはないいつか。そのとき、お約束しても
よろしいけれど、私は未練を見せないつもりでをります。こんなに生きることの有難さを
知つた以上、それをいつまでも貪るつもりはございません。どんな夢にもをはりがあり、
永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思ふのは愚かではございませんか。
私はあの『新しき女』などとはちがひます。……でも、もし永遠があるとすれば、それは
今だけなのでございますわ。
清顕は皆に背を向けて、夕空にゆらめき出す煙のあとを追ひながら、沖の雲の形が崩れて
おぼろげなのが、なほ一面ほのかな黄薔薇の色に染つてゐるのを見た。そこにも彼は聡子の影を
感じた。聡子の影と匂ひはあらゆるものにしみ入り、自然のどんな微妙な変様も聡子と
無縁ではなかつた。ふと風が止んで、なまあたたかい夏の夕方の大気が肌に触れると、
そのとき裸の聡子の肌がそこに立ち迷つて、ぢかに清顕の肌に触れるやうな気がした。
少しづつ暮れてゆく合歓(ねむ)の樹の、緑の羽毛を重ねたやうな木蔭にさへ、聡子の断片が
漂つてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より 「君はのちのちすべてを忘れる決心がついてゐるんだね」
「ええ。どういふ形でか、それはまだわかりませんけれど。私たちの歩いてゐる道は、
道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終つて、海がはじめるのは仕方がございませんわ」
彼はかねて学んだ優雅が、血みどろの実質を秘めてゐるのを知りつつあつた。いちばんたやすい
解決は二人の相対の死にちがひないが、それにはもつと苦悩が要る筈で、かういふ忍び逢ひの、
すぎ去つてゆく一瞬一瞬にすら、清顕は、犯せば犯すほど無限に深まつてゆく禁忌の、
決して到達することのない遠い金鈴の音のやうなものに聞き惚れてゐた。罪を犯せば犯すほど、
罪から遠ざかつてゆくやうな心地がする。……最後にはすべてが、大がかりな欺瞞で終る。
それを思ふと彼は慄然とした。
「かうして御一緒に歩いてゐても、お仕合せさうには見えないのね。私は今の刹那刹那の
仕合せを大事に味はつてをりますのに。……もうお飽きになつたのではなくて?」
と聡子はいつものさはやかな声で、平静に怨じた。
「あんまり好きだから、仕合せを通り過ぎてしまつたのだ」
と清顕は重々しく言つた。
三島由紀夫「春の雪」より 落着き払つたこの老女の、この世に安全なものなどはないといふ哲学は、そもそも保身の
自戒であつた筈が、それがそのまま自分の身の安全をも捨てさせ、その哲学自体を、冒険の
口実にしてしまつたのは、何に拠るのだらう。蓼科はいつのまにか、一つの説明しがたい快さの
虜になつてゐた。自分の手引で、若い美しい二人を逢はせてやることが、そして彼らの
望みのない恋の燃え募るさまを眺めてゐることが、蓼科にはしらずしらず、どんな危険と
引きかへにしてもよい痛烈な快さになつてゐた。
この快さの中では、美しい若い肉の融和そのものが、何か神聖で、何か途方もない正義に
叶つてゐるやうに感じられた。
二人が相会ふときの目のかがやき、二人が近づくときの胸のときめき、それらは蓼科の
冷え切つた心を温めるための煖炉であるから、彼女は自分のために火種を絶やさぬやうになつた。
相見る寸前までの憂ひにやつれた頬が、相手の姿をみとめるやいなや、六月の麦の穂よりも
輝やかしくなる。……その瞬間は、足萎えも立ち、盲らも目をひらくやうな奇蹟に充ちてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より 実際蓼科の役目は聡子を悪から護ることにあつた筈だが、燃えてゐるものは悪ではない、
歌になるものは悪ではない、といふ訓(をし)へは綾倉家の伝承する遠い優雅のなかに
ほのめかされてゐたのではなかつたか?
それでゐて蓼科は、何事かをじつと待つてゐた。放し飼の小鳥を捕へて籠へ戻す機会を
待つてゐたとも云へようが、この期待には何か不吉で血みどろなものがあつた。蓼科は毎朝
念入りに京風の厚化粧をし、目の下の波立つ皺を白粉に隠し、唇の皺を玉虫色の京紅の照りで
隠した。さうしてゐながら、鏡の中のわが顔を避け、中空へ問ふやうなどす黒い視線を放つた。
秋の遠い空の光りは、その目に澄んだ点滴を落した。しかも未来はその奥から何ものかに
渇いてゐる顔をのぞかせてゐた。……蓼科は出来上つた自分の化粧をしらべ直すために、
ふだんは使はない老眼鏡をとりだして、そのかぼそい金の蔓を耳にかけた。すると老いた
真白な耳朶が、たちまち蔓の突端に刺されて火照つた。……
三島由紀夫「春の雪」より 聡子は意外なことを言つた。
「私は牢に入りたいのです」
蓼科は緊張が解けて、笑ひだした。
「お子達のやうなことを仰言つて! それは又何故でございます」
「女の囚人はどんな着物を着るのでせうか。さうなつても清様が好いて下さるかどうかを
知りたいの」
――聡子がこんな理不尽なことを言ひ出したとき、涙どころか、その目を激しい喜びが
横切るのを見て、蓼科は戦慄した。
この二人の女が、身分のちがひもものかは、心に強く念じてゐたのは、同じ力の、同じたぐひの
勇気だつたにちがひない。欺瞞のためにも、真実のためにも、これほど等量等質の勇気が
求められてゐる時はなかつた。
蓼科は自分と聡子が、流れを遡らうとする舟と流れとの力が丁度拮抗して、舟がしばらく
一つところにとどまつてゐるやうに、現在の瞬間瞬間、もどかしいほど親密に結びつけられて
ゐるのを感じた。又、二人は同じ歓びをお互ひに理解してゐた。近づく嵐をのがれて頭上に
迫つてくる群鳥の羽搏きにも似た歓びの羽音を。
三島由紀夫「春の雪」より 「お髪を下ろしたのね」
と夫人は、娘の体を掻き抱くやうにして言つた。
「お母さん、他に仕様はございませんでした」
とはじめて母へ目を向けて聡子は言つたが、その瞳には小さく蝋燭の焔が揺れてゐるのに、
その目の白いところには、暁の白光がすでに映つてゐた。夫人は娘の目の中から射し出た
このやうな怖ろしい曙を見たことはない。聡子が指にからませてゐる水晶の数珠の一顆一顆も、
聡子の目の裡と同じ白みゆく光りを宿し、これらの、意志の極みに意志を喪つたやうな幾多の
すずしい顆粒の一つ一つから、一せいに曙がにじみ出してゐた。
聡子は目を閉ぢつづけてゐる。朝の御堂の冷たさは氷室のやうである。自分は漂つてゆくが、
自分の身のまはりには清らかな氷が張りつめてゐる。たちまち庭の百舌がけたたましく啼き、
この氷には稲妻のやうな亀裂が走つたが、次には又その亀裂は合して、無瑕になつた。
剃刀は聡子の頭を綿密に動いてゐる。ある時は、小動物の鋭い小さな白い門歯が齧るやうに、
ある時はのどかな草食獣のおとなしい臼歯の咀嚼のやうに。
三島由紀夫「春の雪」より 髪の一束一束が落ちるにつれ、頭部には聡子が生れてこのかた一度も知らない澄みやかな
冷たさがしみ入つた。自分と宇宙との間を隔ててゐたあの熱い、煩悩の鬱気に充ちた黒髪が
剃り取られるにつれて、頭蓋のまはりには、誰も指一つ触れたことのない、新鮮で冷たい
清浄の世界がひらけた。剃られた肌がひろがり、あたかも薄荷を塗つたやうな鋭い寒さの
部分がひろがるほどに。
頭の冷気は、たとへば月のやうな死んだ天体の肌が、ぢかに宇宙のかう気に接してゐる感じは
かうもあらうかと思はれた。髪は現世そのもののやうに、次々と頽落した。頽落して無限に
遠くなつた。
髪は何ものかにとつての収穫(とりいれ)だつた。むせるやうな夏の光りを、いつぱい
その中に含んでゐた黒髪は、刈り取られて聡子の外側へ落ちた。しかしそれは無駄な収穫だつた。
あれほど艶やかだつた黒髪も、身から離れた刹那に、醜い髪の骸(むくろ)になつたからだ。
かつて彼女の肉に属し、彼女の内部と美的な関はりがあつたものが残らず外側へ捨て去られ、
人間の体から手が落ち足が落ちてゆくやうに、聡子の現世は剥離してゆく。……
三島由紀夫「春の雪」より ああ……「僕の年」が過ぎてゆく! 過ぎてゆく! 一つの雲のうつろひと共に。
すべてが辛く当る。僕はもう陶酔の道具を失くしてしまつた。物凄い明晰さ、爪先で弾けば
全天空が繊細な玻璃質の共鳴で応じるやうな、物凄い明晰さが、今世界を支配してゐる。
……しかも、寂寥は熱い。何度も吹かなければ口へ入れられない熱い澱んだスープのやうに熱く、
いつも僕の目の前に置かれてゐる。その厚手の白いスープ皿の、蒲団のやうな汚れた鈍感な
厚味と来たら! 誰が僕のためにこんなスープを注文したのか?
僕は一人取り残されてゐる。愛慾の渇き。運命への呪ひ。はてしれない心の彷徨。あてどない
心の願望。……小さな自己陶酔。小さな自己弁護。小さな自己偽瞞。……失はれた時と、
失はれた物への、炎のやうに身を灼く未練。年齢の空しい推移。青春の情ない閑日月。
人生から何の結実も得ないこの憤ろしさ。……一人の部屋。一人の夜々。……世界と
人間とからのこの絶望的な隔たり。……叫び。きかれない叫び。……外面の花やかさ。
……空つぽの高貴。……
……それが僕だ!
三島由紀夫「春の雪」より ――さうして、寝苦しい夜をすごして、二十六日の朝になつた。
この日、大和平野には、黄ばんだ芒野に風花が舞つてゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて、
羽虫が飛ぶやうな降りざまであつたが、空が曇つてゐるあひだは空の色に紛れ、かすかに
弱日が射すと、却つてそれがちらつく粉雪であることがわかつた。寒気は、まともに雪の
降る日よりもはるかに厳しかつた。
清顕は枕に頭を委ねたまま、聡子に示すことのできる自分の至上の誠について考へてゐた。
本多は、決して襖一重といふほどの近さではないが、遠からぬところ、廊下の片隅から一間を
隔てた部屋かと思はれるあたりで、幽かに紅梅の花のひらくやうな忍び笑ひをきいたと思つた。
しかしすぐそれは思ひ返されて、若い女の忍び笑ひときかれたものは、もし本多の耳の迷ひで
なければ、たしかにこの春寒の空気を伝はる忍び泣きにちがひないと思はれた。強ひて抑へた
嗚咽の伝はるより早く、弦が断たれたやうに、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝はつた。
今、夢を見てゐた。又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で。
三島由紀夫「春の雪」より 本多にとつて青春とは、松枝清顕の死と共に終つてしまつたやうに思はれた。あそこで
凝結して、結晶して、燃え上つたものが尽きてしまつた。
もろもろの記憶のなかでは、時を経るにつれて、夢と現実とは等価のものになつてゆく。
かつてあつた、といふことと、かくもありえた、といふことの境界は薄れてゆく。夢が現実を
迅速に蝕んでゆく点では、過去はまた未来と酷似してゐた。
ずつと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、
年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして
過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついてゐるやうに思はれるので、夢との堺目は
一そうおぼろげになつてしまふ。それほどうつろひやすい現実の記憶とは、もはや夢と
次元の異ならぬものになつたからだ。
きのふ逢つた人の名さへ定かに憶えてゐない一方では、清顕の記憶がいつも鮮明に呼び
起されるさまは、今朝通つた見馴れた町角の眺めよりも、ゆうべ見た怖ろしい夢の記憶のはうが
あざやかなことにも似てゐた。
三島由紀夫「奔馬」より そこでは、本多の耳朶を搏つ「裂帛の」気合は、わづかな裂け目から迸つた少年の魂の
火のやうにきこえてきた。(中略)
それは時といふものが人の心に演じさせるふしぎな真剣な演技だつた。過去の銀にかけた
記憶の微妙な嘘の銹を強ひて剥がさずに、夢や願望の入りまじつた全体の姿を演じ直して、
その演技をたよりに、むかしの自分も意識してゐなかつたもつと深い本質的な自分の姿へ
到達しようとする試みだつた。かつて住んでゐた村を、遠い峠から望み見るやうに、そこに
住んだ経験の細部は犠牲にされても、そこに住んだことの意味は明らかになり、住んでゐた間は
重要なことに思はれた広場の甃の凹みも、遠目にはそこの水たまりの一点の煌きだけに
よつて美しい、何らこだはりのない美になるのであつた。
飯沼少年が最初の雄叫びをあげた瞬間に、かうして三十八歳の裁判官は、その叫び自体が
矢尻のやうに少年の胸深く刺つて残つてゐる、鋭いささくれた痛みにまですぐに思ひ至つた。
三島由紀夫「奔馬」より 乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから
立ち現はれ、手に手に百合の花束を握つてゐる。
奏楽につれて、乙女たちは四角に相対して踊りはじめたが、高く掲げた百合の花は危険に
揺れはじめ、踊りが進むにつれて、百合は気高く立てられ、又、横ざまにあしらはれ、会ひ、
又、離れて、空をよぎるその白いなよやかな線は鋭くなつて、一種の刃のやうに見えるのだつた。
そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかに優雅であるのに、
あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれてゐるやうに見えた。
……見てゐるうちに、本多は次第に酔つたやうになつた。これほど美しい神事は見たことが
なかつた。
そして寝不足の頭が物事をあいまいにして、目前の百合の祭ときのふの剣道の試合とが混淆し、
竹刀が百合の花束になつたり、百合が又白刃に変つたり、ゆるやかな舞を舞ふ乙女たちの、
濃い白粉の頬の上に、日ざしを受けて落ちる長い睫の影が、剣道の面金の慄へるきらめきと
一緒になつたりした。……
三島由紀夫「奔馬」より 水平線上で海と空とが融け合ふやうに、たしかに夢と現実とは、はるか彼方では融け合つて
ゐることもあらうが、ここでは、少なくとも本多その人の身のまはりでは、人々はみんな
法の下にをり、又、法に護られてゐるにすぎなかつた。本多はこの世の実定法的秩序の
護り手であり、実定法はあたかも重い鉄の鍋蓋のやうに、現世のごつた煮の上に押しかぶさつて
ゐたのである。
『喰べる人間……消化する人間……排泄する人間……生殖する人間……愛したり憎んだり
する人間』
と本多は考へてゐた。それこそ裁判所の支配下にある人間だつた。まかりまちがへばいつでも
被告になりうる人間、それこそは唯一種類の現実性のある人間だつた。嚏をし、笑ひ、
生殖器をぶらぶらさせてゐる人間、……これらが一つの例外もなしにさういふ人間であるならば、
彼が畏れる神秘はどこにもない筈だつた。よしんばその中に一人ぐらゐ、清顕の生れ変りが
隠れてゐても。
三島由紀夫「奔馬」より それにしても、本多は何と巧みに、歴史から時間を抜き取つてそれを静止させ、すべてを
一枚の地図に変へてしまつたことだらう。それが裁判官といふものであらうか。彼が
「全体像」といふときの一時代の歴史は、すでに一枚の地図、一巻の絵巻物、一個の死物に
すぎぬではないか。『この人は、日本人の血といふことも、道統といふことも、志といふことも、
何もわかりはしないんだ』と少年は思つた。
『全体像だつて』勲は先程の手紙の文句を思ひ出して、ちよつと微笑した。『あの人は
火箸が熱くて触れないといふので、火鉢だけに触らうとしてゐるんだ。しかし火箸と火鉢とは
どこまでもちがふんだがなあ。火箸は金、火鉢は瀬戸物。あの人は純粋だけど、瀬戸物派なんだ』
純粋といふ観念は勲から出て、ほかの二人の少年の頭にも心にもしみ込んでゐた。勲は
スローガンを拵へた。「神風連の純粋に学べ」といふ仲間うちのスローガンを。
三島由紀夫「奔馬」より 純粋とは、花のやうな観念、薄荷をよく利かした含嗽薬の味のやうな観念、やさしい母の胸に
すがりつくやうな観念を、ただちに、血の観念、不正を薙ぎ倒す刀の観念、袈裟がけに
斬り下げると同時に飛び散る血しぶきの観念、あるひは切腹の観念に結びつけるものだつた。
「花と散る」といふときに、血みどろの屍体はたちまち匂ひやかな桜の花に化した。純粋とは、
正反対の観念のほしいままな転換だつた。だから、純粋は詩なのである。
すべての屈折した物言ひ、註釈、「しかしながら」といふ考へ、……さういふものは勲の
理解の外にあつた。思想はまつ白な紙に鮮やかに落された墨痕であり、謎のやうな原典であつて、
飜訳はおろか、批評も註釈もつきやうのないものだつた。
爆弾は一つの譬(たと)へさ。神風連の上野堅吾が、主張して容れられなかつた小銃と
同じことだ。最後は剣だけだよ。それを忘れてはいけない。肉弾と剣だけだよ。
三島由紀夫「奔馬」より 勲のはうへ向けた目は、やさしく、母性的な慈愛に潤んで、夜の庭の濡れた草木のどこかに
潜んでゐる血の夕映えの残滓を探るやうに、彼を見るとも、彼の背後の庭を見るともない
遠い視線になつた。
「悪い血は瀉血(しやけつ)したらいいんだわ。それでお国の病気が治るかもしれない。
勇気のない人たちは、重い病気にかかつたお国のまはりを、ただうろうろしてゐるだけなのね。
このままではお国が死んでしまふわ」
神風連が戦つたのは、ただ軍隊を相手といふわけではありません。鎮台兵の背後にあつたものは、
軍閥の芽だつたんです。かれらは軍閥を敵として戦つたんです。軍閥は神の軍隊ではなく、
神風連こそ陛下の軍隊だといふ自信を持つてゐたからです。
勲は自分の言葉が未熟なことをよく承知してゐたが、志がその未熟を補つて、焔のやうに
相手の焔と感応することをも信じてゐた。とりわけ今は夏だつた。毛織物のやうな厚い重い
息苦しい熱気の裡に対坐してゐて、何かが爆ければ忽ち火が移り、何もはじまらなければ
そのまま熔けた金属のように、あへなく融け消えてしまひさうに思はれた。
三島由紀夫「奔馬」より 涙は危険な素質である。もしそれが必ずしも理智の衰へと結びついてゐないとしたら。
壁には西洋の戦場をあらはした巨大なゴブラン織がかかつてゐた。馬上の騎士のさし出した
槍の穂が、のけぞつた徒士の胸を貫いてゐる。その胸に咲いてゐる血潮は、古びて、
褪色して、小豆いろがかつてゐる。古い風呂敷なんぞによく見る色である。血も花も、
枯れやすく変質しやすい点でよく似てゐる、と勲は思つた。だからこそ、血と花は名誉へ
転身することによつて生き延び、あらゆる名誉は金属なのである。
その御目と勲の目が、一瞬、ごく古い鉄の鈴が永らく鳴らずに錆びついてゐたものが、
何かの震動によつて舌がほぐれて、正に鳴らんとして鈴の内側に触れるやうに、触れ合つた。
そのとき宮の御目が何を語つたか勲にもわからなかつたし、宮御自身も御存知ではなかつたで
あらう。しかしその一瞬に交はされたものは、並の愛情を超えたふしぎな結びつきの感情で、
宮の動かぬおん瞳には、何か遠来の悲しみが刹那に迸つて、勲の火のやうな注視を、宮は
その悲しみの水で忽ち消されたやうに思はれた。
三島由紀夫「奔馬」より 「はい。忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握つて、ただ陛下に
差し上げたい一心で握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。その結果、もし陛下が
御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、あるひは、『こんな不味いものを喰へるか』と
仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことがあつた場合も、顔に飯粒を
つけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。又もし、陛下が
御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上つても、直ちに退つて、ありがたく腹を
切らねばなりません。何故なら、草莽の手を以て直に握つた飯を、大御食として奉つた罪は
万死に値ひするからです。では、握り飯を作つて献上せずに、そのまま自分の手もとに
置いたらどうなりませうか。飯はやがて腐るに決まつてゐます。これも忠義ではありませうが、
私はこれを勇なき忠義と呼びます。勇気ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に
作つた握り飯を献上することであります」
三島由紀夫「奔馬」より 「罪と知りつつ、さうするのか」
「はい。殿下はじめ、軍人の方々はお仕合せです。陛下の御命令に従つて命を捨てるのが、
すなはち軍人の忠義だからであります。しかし一般の民草の場合、御命令なき忠義はいつでも
罪となることを覚悟せねばなりません」
「法に従へ、といふことは陛下の御命令ではないのか。裁判所といへども、陛下の裁判所である」
「私の申し上げる罪とは、法律上の罪ではありません。聖明が蔽はれてゐるこのやうな世に
生きてゐながら、何もせずに生き永らへてゐることがまづ第一の罪であります。その大罪を
祓ふには、涜神の罪を犯してまでも、何とか熱い握り飯を拵へて献上して、自らの忠心を
行為にあらはして、即刻腹を切ることです。死ねばすべては清められますが、生きてゐるかぎり、
右すれば罪、左すれば罪、どのみち罪を犯してゐることに変りはありません」
三島由紀夫「奔馬」より 同志は、言葉によつてではなく、深く、ひそやかに、目を見交はすことによつて得られるのに
ちがひない。思想などではなく、もつと遠いところから来る或るもの、又、もつと明確な
外面的な表徴であつて、しかもこちらにその志がなければ決して見分けられぬ或るもの、
それこそが同志を作る因に相違ない。
寡黙と素朴と明快な笑顔は、多くの場合、信頼のおける性格と、敢為の気性と、それから
死を軽んずる意気とのあらはれであり、弁舌、大言壮語、皮肉な微笑などはしばしば怯惰を
あらはしてゐた。蒼白や病身は、或る場合には、人を凌ぐ狂ほしい精力の源泉だつた。
概して肥つた男は臆病でゐながら慎重を欠き、痩せて論理的な男は直観を欠いてゐた。
顔や外見が実に多くのことを語るのに勲は気づいた。
勲は綱領を作らなかつた。あらゆる悪がわれわれの無力と無為を是認するやうに働らいて
ゐる世なのであるから、どんな行為であれ、行為の決意が、われわれの綱領となるであらう。
三島由紀夫「奔馬」より 「どうしてみんな帰らんのだ。これだけ言はれても、まだわからんのか」
と勲は叫んだが、これに応ずる声は一つもなく、しかも今度の沈黙はさつきのとは明らかに
ちがつて、何かの闇の中から温かい大きな獣が身を起したやうな感じのする沈黙だつた。
勲はその沈黙に、はじめてはつきりした手応へを感じた。それは熱く、獣臭く、血に充ち、
脈打つてゐた。
「よし。それぢや、のこつた君らは、何の期待も希望も持たずに、何もないかもしれない
ところへ命を賭けようにいふんだな」
「さうです」
と一人の凛々しい声がひびいた。
芦川は立上つて、勲へ一歩歩み寄つた。ずつと顔を寄せなくては見えないほどの闇の中で、
芦川の涙に濡れた目が迫つて来て、涙が咽喉に詰つた、ひどく低い野太い声でかう言つた。
「僕も残ります。どこへでも黙つてついて行きます」
「よし、では神前に誓ひ合はう。二拝二拍手。それから俺が誓ひの言葉をのべる。一つづつ
みんなで唱和してくれ」
勲、井筒、相良とのこる十七人の柏手が、闇の海に白木の船端を叩くやうにあざやかに
整然と響いた。
三島由紀夫「奔馬」より 勲がかう唱へた。
「ひとつ、われらは神風連の純粋に学び、身を挺して邪神姦鬼を攘(はら)はん」
一同の若々しい声が唱和した。
「ひとつ、われらは神風連の純粋に学び、身を挺して邪神姦鬼を攘はん」
勲の声は、おぼろげな白い社の御扉にぶつかつて反響し、強い深い、悲壮な胸腔から、
若さの夢幻的な霧が噴き上げられるやうに聴かれた。空にはすでに星があつた。市電の響きが
遠く揺れた。彼は重ねて唱へた。
「ひとつ、われらは莫逆の交はりをなし、同志相扶(あひたす)けて国難に赴かん」
「ひとつ、われらは権力をねがはず立身をかへりみず、万死以て維新の礎とならん」
――誓がすむとすぐ、一人が勲の手を握つた。双の手を重ねて握つたのである。それから
二十人がこもごもに手を握り合ひ、又、争つて勲の手を握つた。
目が馴れて、ものの文目が明らかになりかけた星空の下で、手は次々とまだ握らぬ手を求めて、
あちこちでひらめいた。誰も口をきかない。何か言へば軽薄になるからである。
三島由紀夫「奔馬」より 心の一部はすでにそれが誰であるかを認めてゐる。しかし心の大部分が、今しばしそれが
誰であるかを認めぬままに、保つておきたいと望んでゐる。幽暗に泛ぶ女の顔にはまだ名が
つけられず、名に先立つ匂ひやかな現前がある。それは夜の小径をゆくときに、花を見るより
前(さき)に聞く木犀の香りのやうなものである。勲はさういふものをこそ、一瞬でも永く
とどめておきたい心地がしてゐる。そのときこそ、女は女であり、名づけられた或る人では
ないからだ。
そればかりではない。それは、秘し匿された名によつて、その名を言はぬといふ約束によつて、
あたかも隠された支柱で闇に高く泛んだ夕顔の花のやうに、一そうみごとな精髄に化してゐる。
存在よりもさきに精髄が、現実よりもさきに夢幻が、現前よりもさきに予兆が、はつきりと、
より強い本質を匂はせて、現はれ漂つてゐるやうな状態、それこそは女だつた。
勲はまだ女を抱いたことがなかつたけれども、かうして、いはば、「女に先立つ女」を
ありありと感じるときほど、自分も亦、陶酔の何たるかを確かに知つてゐると強く感じる
ことはなかつた。
三島由紀夫「奔馬」より 大正初年の、思ふがままに感情の惑溺が許された短い薄命な時代の魁であつた清顕の一種の
「英姿」は、今ではすでに時代の隔たりによつて色褪せてゐる。その当時の真剣な情熱は、
今では、個人的な記憶の愛着を除けば、何かしら笑ふべきものになつたのである。
時の流れは、崇高なものを、なしくづしに、滑稽なものに変へてゆく。何が蝕まれるのだらう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおほひ、滑稽が
内奥の核をなしてゐたのだらうか。あるひは、崇高がすべてであつて、ただ外側に滑稽の塵が
降り積つたにすぎぬのだらうか。
清顕において、本当に一回的(アインマーリヒ)なものは、美だけだつたのだ。その余のものは、
たしかに蘇りを必要とし、転生を冀求(ききう)したのだ。清顕において叶へられなかつたもの、
彼にすべて負数の形でしか賦与されてゐなかつたもの……
もう一人の若者の顔は、夏の日にきらめく剣道の面金を脱ぎ去つて、汗に濡れ、烈しく息づく
鼻翼を怒らせ、刃を横に含んだやうな唇の一線を示して現はれた。
三島由紀夫「奔馬」より 蔵原は何かこの国の土や血と関はりのない理智によつて悪なのであつた。それかあらぬか、
勲は蔵原についてほとんど知らないのに、その悪だけははつきりと感じることができた。
ひたすらイギリスとアメリカに気を兼ねて、一挙手一投足に色気をにじませて、柳腰で歩く
ほかに能のない外務官僚。私利私慾の悪臭を立て、地べたを嗅ぎ廻つて餌物をあさる巨大な
蟻喰ひのやうな財界人。それ自ら腐肉のかたまりになつた政治家たち。出世主義の鎧で
兜虫のやうに身動きならなくなつた軍閥。眼鏡をかけたふやけた白い蛆虫のやうな学者たち。
満州国を妾の子同然に眺めながら、早くも利権あさりに手をのばしかけてゐる人々。……
そして広大な貧窮は地平の朝焼けのやうに空に反映してゐた。
蔵原はかういふ惨澹たる風景画の只中に、冷然と置かれた一個の黒い絹帽(シルク・ハット)だつた。
彼は無言で人々の死を望み、これを嘉してゐた。
悲しめる日、白く冷え冷えとした日輪は、いささかの光りの恵みも与へることができず、
それでも、朝毎に憂はしげに昇つて空をめぐつた。それこそは陛下の御姿だつた。誰が再び、
太陽の喜色を仰がうと望まぬ筈があらうか?
三島由紀夫「奔馬」より 勲の百合は?
留守中に捨てられたりせぬやうに、彼はそれを一輪差に活けて、硝子の戸のついた本棚の中に
納めてゐた。はじめは毎日水を換へてゐたのが、このごろは忘れて、水換へを怠つてゐることを
勲は愧(は)ぢた。観音開きの硝子戸をあけ、数冊の本を引き出して覗き込んだ。百合は
闇のなかにうなだれてゐる。
灯火に引き出された百合の一輪は、すでに百合の木乃伊(ミイラ)になつてゐる。そつと指を
触れなければ、茶褐色になつた花弁はたちまち粉になつて、まだほのかに青みを残してゐる茎を
離れるにちがひない。それはもはや百合とは云へず、百合の残した記憶、百合の影、不朽の
つややかな百合がそこから巣立つて行つたあとの百合の繭のやうなものになつてゐる。
しかし依然として、そこには、百合がこの世で百合であつたことの意味が馥郁と匂つてゐる。
かつてここに注いでゐた夏の光りの余燼をまつはらせてゐる。
勲はそつとその花弁に唇を触れた。もし触れたことがはつきり唇に感じられたら、
そのときは遅い。百合は崩れ去るだらう。唇と百合とが、まるで黎明と尾根とが触れるやうに
触れ合はねばならない。
三島由紀夫「奔馬」より 勲の若い、まだ誰の唇にもかつて触れたことのない唇は、唇のもつもつとも微妙な感覚の
すべてを行使して、枯れた笹百合の花びらにほのかに触れた。そして彼は思つた。
『俺の純粋の根拠、純粋の保証はここにある。まぎれもなくここにある。俺が自刃するときには、
昇る朝日のなかに、朝霧から身を起して百合が花をひらき、俺の血の匂ひを百合の薫で
浄めてくれるにちがひない。それでいいんだ。何を思ひ煩らふことがあらうか』
神が辞(いな)んでをられるのではない。拒否も亦、明瞭ではないのである。
それは何を意味するのだらうと勲は考へた。今ここに、いづれも廿歳に充たない若さに
溢れた者どもが、熱烈にきらめく注視を勲の一身に鍾(あつ)め、その勲は高い絶壁の上の
神聖な光りを見上げてゐる。事態はここまで迫り、機はここまで熟してゐる。何かが
現はれねばならぬ。しかも、神は肯ふとも辞むともなく、この地上の不決断と不如意を
そのまま模したやうに、高空の光りのなかで、神の御御足(おみあし)からなほざりに
脱げた沓のやうに、決定は放棄されてゐるのである。
三島由紀夫「奔馬」より 勲の心には暗い滝が落ちた。自尊心がゆつくりと切り刻まれてゐた。彼が今差当つて大切にして
ゐるのは自尊心ではなかつたから、それだけに見捨てられてゐる自尊心が、紛らしやうのない
痛みで報いた。その痛みの彼方に、雲間の清澄な夕空のやうな「純粋」が泛んでゐた。
彼は祈るやうに、暗殺されるべき国賊どもの顔を夢みた。彼が孤立無援に陥れば陥るほど、
あいつらの脂肪に富んだ現実性は増してゐた。その悪の臭ひもいよいよ募つてゐた。こちらは
いよいよ不安で不確定な世界へ投げ込まれ、あたかも夜の水月(くらげ)のやうになつた。
それこそ奴らの罪過だつた、こちらの世界をこんなにあいまいなほとんど信じがたいものに
してしまつたのは。この世の不信の根は、みんな向う側のグロテスクな現実性に源してゐた。
奴らを殺すとき、奴らの高血圧と皮下脂肪へ清らかな刃がしつかりと刺るとき、そのとき
はじめて世界の修理固成が可能になるだらう。それまでは……。
三島由紀夫「奔馬」より 明るい軽信の井筒、小柄で眼鏡をかけた機敏な相良、東北の神官の息子でいかにも少年らしい芦川、
寡黙でしかも剽軽なところのある長谷川、律儀で絶壁頭の三宅、昆虫のやうな暗い固い乾いた
顔つきの宮原、文学好きで天皇崇敬家の木村、いつも激してゐながら黙りこくつてゐる藤田、
肺疾ながら岩乗な肩幅を持つた高瀬、柔道二段で柔和に見える大男の井上、……これが
選り抜かれた本当の同志だつた。死を賭するといふことが何を意味するか知つてゐる若者たち
だけが残つたのだ。
勲はそこに、この薄暗い電灯の下、黴くさい畳の上に、自分の焔の確証を見た。頽(くづ)れ
かけた花の、花弁は悉く腐れ落ちて、したたかな蕊だけが束になつて光りを放つてゐる。
この鋭い蕊だけでも、青空の眼を突き刺すことができるのだ。夢が痩せるほど頑なに身を
倚せ合つて、理智がつけ込む隙もないほどの固い殺戮の玉髄になつたのだ。
三島由紀夫「奔馬」より 佐和は壁に向つて、猫のやうに背を丸めて身構へた。
見てゐる勲は、さうして体ごとぶつかる前には、いくつもの川を飛び越えて行く必要があらうと
察した。人間主義の滓が、川上の工場から排泄される鉱毒のやうに流れてやまぬ暗い小川を。
ああ、川上には昼夜兼行で動いてゐる西欧精神の工場の灯が燦然としてゐる。あの工場の廃液が、
崇高な殺意をおとしめ、榊葉の緑を枯らしたのである。
さうだ。跳込み面だ。竹刀をかざした体が、見えない壁をしらぬ間につきぬけて、向う側へ
出てゐるあれだ。感情のすばらしい迅速な磨滅が火花を放つ。敵は当然のやうに、刃の先に、
重たく、自分から喰ひついて来る筈だ。藪を抜けておのづから袂についたゐのこづちのやうに、
暗殺者の着物にはいつのまにか血が点々とついてゐる筈だ。……
左翼の奴らは、弾圧すればするほど勢ひを増して来てゐます。日本はやつらの黴菌に蝕まれ、
また蝕まれるほど弱い体質に日本をしてしまつたのは、政治家や実業家です。
恋も忠も源は同じであつた。
三島由紀夫「奔馬」より 勲たちの、熱血によつてしかと結ばれ、その熱血の迸りによつて天へ還らうとする太陽の結社は、
もともと禁じられてゐた。しかし私腹を肥やすための政治結社や、利のためにする営利法人なら、
いくら作つてもよいのだつた。権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があつた。野蛮人が
病気よりも医薬を怖れるやうに。
『何故なんだ、何故なんだ』と勲は歯噛みをして思つた。『人間にはどうしてもつとも
美しい行為が許されてゐないんだ。醜い行為や、薄汚れた行為や、利のためにする行為なら、
いくらでも許されてゐるといふのに。
殺意の中にしか最高の道徳的なものがひそんでゐないことが明らかな時、その殺意を
罪とする法律が、あの無染の太陽、あの天皇の御名によつて施行されてゐるといふことは、
(最高の道徳的なもの自体が最高の道徳的存在によつて罰せられるといふことは、)一体
誰がことさら仕組んだ矛盾だらうか。陛下は果してこんな怖ろしい仕組を御存知だらうか。
これこそは精巧な《不忠》が手間暇かけて作り上げた涜神の機構ではないだらうか。
三島由紀夫「奔馬」より 俺にはわからない。俺にはわからない。どうしてもわからない。しかも殺戮のあと、直ちに
自刃する誓にそむく者は、誰一人ゐなかつた筈だ。さうなつてゐれば、われらは裾の端、
袖の片端でも、あの煩瑣な法律の藪の、下枝の一葉にさへ触れることなく、みごとに藪を
すり抜けて、まつしぐらにかがやく天空へ馳せのぼることができた筈だ。神風連の人々は
さうだつた。もつとも明治六年の法律の藪はまだ疎らだつたにちがひないが……。
法律とは、人生を一瞬の詩に変へてしまはうとする欲求を、不断に妨げてゐる何ものかの集積だ。
血しぶきを以て描く一行の詩と、人生とを引き換へにすることを、万人にゆるすのはたしかに
穏当ではない。しかし内に雄心を持たぬ大多数の人は、そんな欲求を少しも知らないで人生を
送るのだ。だとすれば、法律とは、本来ごく少数者のためのものなのだ。ごく少数の異常な純粋、
この世の規矩を外れた熱誠、……それを泥棒や痴情の犯罪と全く同じ同等の《悪》へ
おとしめようとする機構なのだ。その巧妙な罠へ俺は落ちた。他ならぬ誰かの裏切りによつて!』
三島由紀夫「奔馬」より 香煙が流れてきた。鉦や笛のひびきがして、窓外を葬列が通るらしかつた。人々の忍び泣きの
声が洩れた。しかし、夏の午睡の女の喜びは曇らなかつた。肌の上にあまねく細かい汗を
にじませ、さまざな官能の記憶を蓄へ、寝息につれてかすかにふくらむ腹は、肉のみごとな
盈溢を孕んだ帆のやうである。その帆を内から引きしめる臍には、山桜の蕾のやうなやや
鄙びた赤らみが射して、汗の露の溜つた底に小さくひそかに籠り居をしてゐる。美しく
はりつめた双の乳房は、その威丈高な姿に、却つて肉のメランコリーが漂つてみえるのだが、
はりつめて薄くなつた肌が、内側の灯を透かしてゐるかのやうに、照り映えてゐる。
肌理のこまやかさが絶頂に達すると、環礁のまはりに寄せる波のやうに、けば立つて来るのは
乳暈のすぐかたはらだった。乳暈は、静かな行き届いた悪意に充ちた蘭科植物の色、人々の口に
含ませるための毒素の色で彩られてゐた。その暗い紫から、乳頭はめづらかに、栗鼠のやうに
小賢しく頭をもたげてゐた。それ自体が何か小さな悪戯のやうに。
三島由紀夫「奔馬」より 一寸やはらげれば別物になつてしまひます。その『一寸』が問題なんです。純粋性には、
一寸ゆるめるといふことはありえません。ほんの一寸やはらげれば、それは全然別の思想になり、
もはや私たちの思想ではなくなるのです。
居並ぶ若い被告たちの中でも、とりわけ美しく凛々しく澄んだ勲の目へ、本多は心で呼びかけた。
事件を知つたとき、こよなくふさはしく思はれたその眥(まなじり)を決した目は、ふたたび
この場に不釣合な、ふさはしからぬものに思はれた。
『美しい目よ』と本多は呼んだ。『澄んで光つて、いつも人をたぢろがせ、丁度あの
三光の滝の水をいきなり浴びせられるやうに、この世のものならぬ咎めを感じさせる若者の
無双の目よ。何もかも言ふがよい。何もかも正直に言つて、そして思ふさま傷つくがいい。
お前もそろそろ身を守る術を知るべき年齢だ。何もかも言ふことによつて、最後にお前は、
《真実が誰によつても信じてもらへない》といふ、人生にとつてもつとも大切な教訓を
知るだらう。そんな美しい目に対して、それが私の施すことのできる唯一の教育だ』
三島由紀夫「奔馬」より 現在の日本をここまでおとしめたのは、政治家の罪ばかりでなく、その政治家を私利私慾のために
操つてゐる財閥の首脳に責任があると、深く考へるやうになりました。
しかし、私は決して左翼運動に加はらうとは思ひませんでした。左翼は畏れ多くも陛下に
敵対し奉らうとする思想であります。古来日本は、すめらみことをあがめ奉り、陛下を
日本人といふ一大家族の家長に戴いて相和してきた国柄であり、ここにこそ皇国の真姿があり、
天壌無窮の国体があることは申すまでもありません。
では、このやうに荒廃し、民は飢ゑに泣く日本とは、いかなる日本でありませいか。
天皇陛下がおいでになるのに、かくまで澆季末世になつたのは何故でありませうか。君側に
侍する高位高官も、東北の寒村で飢ゑに泣く農民も、天皇の赤子たることには何ら渝(かは)りが
ないといふのが、すめらみくにの世界に誇るべき特色ではないでせうか。陛下の大御心によつて、
必ず窮乏の民も救はれる日が来るといふのが、私のかつての確信でありました。
三島由紀夫「奔馬」より 日本および日本人は、今やや道に外れてゐるだけだ。時いたれば、大和心にめざめて、
忠良なる臣民として、挙国一致、皇国を本来の姿に戻すことができる、といふのが、私の
かつての希望でありました。天日をおほふ暗雲も、いつか吹き払はれて、晴れやかな
明るい日本が来る筈だ、と信じてをりました。
が、それはいつまで待つても来ません。待てば待つほど、暗雲は濃くなるばかりです。
そのころのことです、私が或る本を読んで啓示に打たれたやうに感じたのは。
それこそ山尾綱紀先生の「神風連史話」であります。これを読んでのちの私は、以前の私と
別人のやうになりました。今までのやうな、ただ座して待つだけの態度は、誠忠の士の
とるべき態度ではないと知つたのです。私はそれまで、「必死の忠」といふことがわかつて
ゐなかつたのです。忠義の焔が心に点火された以上、必ず死なねばならぬといふ消息が
わからなかつたのです。
三島由紀夫「奔馬」より あそこに太陽が輝いてゐます。ここからは見えませんが、身のまはりの澱んだ灰色の光りも、
太陽に源してゐることは明らかですから、たしかに天空の一角に太陽は輝いてゐる筈です。
その太陽こそ、陛下のまことのお姿であり、その光りを直に身に浴びれば、民草は歓喜の
声をあげ、荒蕪の地は忽ち潤うて、豊葦原瑞穂国の昔にかへることは必定なのです。
けれど、低い暗い雲が地をおほうて、その光りを遮つてゐます。天と地はむざんに分け
隔てられ、会へば忽ち笑み交はして相擁する筈の天と地とは、お互ひの悲しみの顔をさへ
相見ることができません。地をおほふ民草の嗟嘆の声も、天の耳に届くことがありません。
叫んでも無駄、泣いても無駄、訴へても無駄なのです。もしその声が耳に届けば、天は
小指一つ動かすだけでその暗雲を払ひ、荒れた沼地をかがやく田園に変へることができるのです。
三島由紀夫「奔馬」より 誰が天へ告げに行くのか? 誰が使者の大役を身に引受けて、死を以て天へ昇るのか?
それが神風連の志士たちの信じた宇気比(うけひ)であると私は解しました。
天と地は、ただ座視してゐては、決して結ばれることがない。天と地を結ぶには、何か
決然たる純粋の行為が要るのです。その果断な行為のためには、一身の利害を超え、
身命を賭さなくてはなりません。身を竜と化して、竜巻を呼ばなければなりません。
それによつて低迷する暗雲をつんざき、瑠璃色にかがやく天空へ昇らなければなりません。
もちろん大ぜいの人手と武力を借りて、暗雲の大掃除をしてから天へ昇るといふことも
考へました。が、さうしなくてもよいといふことが次第にわかりました。神風連の志士たちは、
日本刀だけで近代的な歩兵営に斬り込んだのです。雲のもつとも暗いところ、汚れた色の
もつとも色濃く群がり集まつた一点を狙へばよいのです。力をつくして、そこに穴をうがち、
身一つで天に昇ればよいのです。
三島由紀夫「奔馬」より 私は人を殺すといふことは考へませんでした。ただ、日本を毒してゐる凶々しい精神を
討ち滅ぼすには、それらの精神が身にまとうてゐる肉体の衣を引き裂いてやらねばなりません。
さうしてやることによつて、かれらの魂も亦浄化され、明く直き大和心に還つて、私共と
一緒に天へ昇るでせう。その代り、私共も、かれらの肉体を破壊したあとで、ただちに
いさぎよく腹を切つて、死ななければ間に合はない。なぜなら、一刻も早く肉体を捨てなければ、
魂の、天への火急のお使ひの任務が果せぬからです。
大御心を揣摩することはすでに不忠です。忠とはただ、命を捨てて、大御心に添はんと
することだと思ひます。暗雲をつんざいて、昇天して、太陽の只中へ、大御心の只中へ
入るのです。
……以上が、私や同志の心に誓つてゐたことのすべてであります。
三島由紀夫「奔馬」より 「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によつて罰せられたわけですね。……どうか
幻でないものがほしいと思ひます」
「大人になればそれが手に入るのだよ」
「大人になるより、……さうだ、女に生れ変つたらいいかもしれません。女なら、幻など
追はんで生きられるでせう、母さん」
勲は亀裂が生じたやうに笑つた。
「何を言ふんです。女なんかつまりませんよ。莫迦だね。酔つたんだね、そんなこと言つて」
みねは怒つたやうにさう答へた。
酔ひに赤らんだ勲の寝顔は苦しげに荒々しく息づいてゐたが、眠つてゐるあひだも、眉は
凛々しく引締めてゐた。突然、寝返りを打ちながら、勲が大声で、しかし不明瞭に言ふ寝言を
本多は聴いた。
「ずつと南だ。ずつと暑い。……南の国の薔薇の光りの中で。……」
三島由紀夫「奔馬」より 勲は湿つた土の上に正座して、学生服の上着を脱いだ。内かくしから白鞘の小刀をとり出した。
それが確かに在つたといふことに、全身がずり落ちるやうな安堵を感じた。
学生服の下には毛のシャツとアンダー・シャツを着てゐたが、海風の寒さが、上着を
脱ぐやいなや、身を慄はせた。
『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、
かがやく海もない』
と勲は思つた。
シャツを悉く脱いで半裸になると、却つて身がひきしまつて、寒さは去つた。ズボンを寛げて、
腹を出した。小刀を抜いたとき、蜜柑畑のはうで、乱れた足音と叫び声がした。
「海だ。舟で逃げたにちがひない」
といふ甲走る声がきこえた。
勲は深く呼吸して、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、
左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突つ込んだ。
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇つた。
三島由紀夫「奔馬」より 芸術といふのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です。
さしも永いあひだつづいた白昼の理性も、夕焼のあの無意味な色彩の濫費によつて台無しにされ、
永久につづくと思はれた歴史も、突然自分の終末に気づかせられる。美がみんなの目の前に
立ちふさがつて、あらゆる人間的営為を徒爾(あだごと)にしてしまふのです。あの夕焼の
花やかさ、夕焼雲のきちがひじみた奔逸を見ては、『よりよい未来』などといふたはごとも
忽ち色褪せてしまひます。現前するものがすべてであり、空気は色彩の毒に充ちてゐます。
何がはじまつたのか? 何もはじまりはしない。ただ、終るだけです。
そこには本質的なものは何一つありません。なるほど夜には本質がある。それは宇宙的な本質で、
死と無機的な存在そのものだ。昼にも本質がある。人間的なものすべては昼に属してゐるのです。
夕焼の本質などといふものはありはしません。ただそれは戯れだ。あらゆる形態と光りと色との、
無目的な、しかし厳粛な戯れだ。ごらんなさい、あの紫の雲を。自然は紫などといふ色の
椀飯振舞をすることはめつたにないのです。
三島由紀夫「暁の寺」より 社会正義を自ら代表してゐるやうな顔をしながら、それ自体が売名であるところの、
貧しい弁護士などといふのは滑稽な代物だつた。本多は法の救済の限度をよく心得てゐた。
本当のことをいへば、弁護士に報酬も払へないやうな人間に法を犯す資格はない筈なのに、
多くの人々はあやまつて必要から或ひは愚かしさから法を犯すのであつた。
時として、広大な人間性に、法といふ規矩を与へることほど、人間の思ひついたもつとも
不遜な戯れはない、と思はれることもあつた。犯罪が必要や愚かしさから生れがちなら、
法の基礎をなす習俗(ジッテ)もさうだとは云へないだらうか?
時代が驟雨のやうにざわめき立つて、数ならぬ一人一人をも雨滴で打ち、個々の運命の小石を
万遍なく濡らしてゆくのを、本多はどこにも押しとどめる力のないことを知つてゐた。が、
どんな運命も終局的に悲惨であるかどうかは定かではなかつた。歴史は、つねに、ある人々の
願望にこたへつつ、別のある人々の願望にそむきつつ、進行する。いかなる悲惨な未来と
いへども、万人の願ひを裏切るわけではない。
三島由紀夫「暁の寺」より 本多は自分が決して美しい青年ではなかつたことを知つてゐたから、こんな不透明な年齢の
外被が満更ではなかつた。
それに現在の彼は、青年に比べれば、はるかに確実に未来を所有してゐた。何かにつけて
青年が未来を喋々するのは、ただ単に彼らがまだ未来をわがものにしてゐないからにすぎない。
何事かの放棄による所有、それこそは青年の知らぬ所有の秘訣だ。
天変地異は別として、歴史的生起といふものは、どんなに不意打ちに見える事柄であつても、
実はその前に永い逡巡、いはば愛を受け容れる前の娘のやうな、気の進まぬ気配を伴ふのである。
こちらの望みにすぐさま応へ、こちらの好みの速度で近づいてくる事柄には、必ず作り物の
匂ひがあつたから、自分の行動を歴史的法則に委ねようとするなら、よろづに気の進まぬ態度を
持するのが一番だつた。欲するものが何一つ手に入らず、意志が悉く無効にをはる例を、
本多はたくさん見すぎてゐた。ほしがらなければ手に入るものが、欲するが為に手に入らなく
なつてしまふのだ。
三島由紀夫「暁の寺」より 日独伊三国同盟は、一部の日本主義の人たちと、フランスかぶれやアングロ・マニヤを
怒らせはしたけれども、西洋好き、ヨーロッパ好きの大多数の人たちはもちろん、古風な
アジア主義たちからも喜ばれてゐた。ヒットラーとではなくゲルマンの森と、ムッソリーニと
ではなくローマのパンテオンと結婚するのだ。それはゲルマン神話とローマ神話と古事記との
同盟であり、男らしく美しい東西の異教の神々の親交だつたのである。
本多はもちろんさういふロマンティックな偏見には服しなかつたが、時代が身も慄へるほど
何かに熱して、何かを夢見てゐることは明らかだつた。
十九歳の少年が自分の性格に対して抱く本能的な危惧は、場合によつてはおそろしく正確な
予見になる。
狷介な日本、緋縅(ひをどし)の若武者そのままに矜り高く、しかも少年のやうに
傷つきやすい日本は、人に嘲笑されるより先に自ら進んで挑み、人に蔑されるより先に自ら
進んで死んだ。勲は、清顕とはちがつて、正にこのやうな世界の核心に生き、かつ、霊魂を
信じてゐた。
三島由紀夫「暁の寺」より もし生きようと思へば、勲のやうに純粋を固執してはならなかつた。あらゆる退路を自ら絶ち、
すべてを拒否してはならなかつた。
勲の死ほど、純粋な日本とは何だらうといふ省察を、本多に強ひたものはなかつた。すべてを
拒否すること、現実の日本や日本人をすらすべて拒絶し否定することのほかに、このもつとも
生きにくい生き方のほかに、とどのつまりは誰かを殺して自刃することのほかに、真に
「日本」と共に生きる道はないのではなからうか? 誰もが怖れてそれを言はないが、
勲が身を以て、これを証明したのではなからうか?
思へば民族のもつとも純粋な要素には必ず血の匂ひがし、野蛮の影が射してゐる筈だつた。
世界中の動物愛護家の非難をものともせず、国技の闘牛を保存したスペインとちがつて、
日本は明治の文明開化で、あらゆる「蛮風」を払拭しようと望んだのである。その結果、
民族のもつとも生々しい純粋な魂は地下に隠れ、折々の噴火にその兇暴な力を揮つて、
ますます人の忌み怖れるところとなつた。
いかに怖ろしい面貌であらはれようと、それはもともと純白な魂であつた。
三島由紀夫「暁の寺」より しかし霊魂を信じた勲が一旦昇天して、それが又、善因善果にはちがひないが、人間に
生れかはつて輪廻に入つたとすると、それは一体何事だらう。
さう思へばさう思ひなされる兆もあるが、死を決したころの勲は、ひそかに「別の人生」の
暗示に目ざめてゐたのではないだらうか。一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようと
すると、人はおのづから、別の生の存在の予感に到達するのではなからうか。
死にぎはの勲の心が、いかに仏教から遠からうと、このやうな関はり方こそ、日本人の
仏教との関はり方を暗示してゐると本多には思はれた。それはいはばメナムの濁水を、
白絹の漉袋(こしぶくろ)で漉したのである。
清顕や勲の生涯が示した未成熟の美しさに比べれば、芸術や芸術家の露呈する未成熟、それを
以てかれらの仕事の本質としてゐる未成熟ほど、醜いものはないといふのが本多の考へだつた。
かれらは八十歳までそれを引きずつて歩くのだ。いはば引きずつてゐる襁褓(むつき)を
売物にして。
さらに厄介なのは贋物の芸術家で、えもいはれぬ昂然としたところが、独特の卑屈さと
入りまじつて、怠け者特有の臭気があつた。
三島由紀夫「暁の寺」より 酒がすこしづつ酢に、牛乳がすこしづつヨーグルトに変つてゆくやうに、或る放置されすぎた
ものが飽和に達して、自然の諸力によつて変質してゆく。人々は永いこと自由と肉慾の過剰を
怖れて暮してゐた。はじめて酒を抜いた翌朝のさはやかさ、自分にはもう水だけしか要らないと
感じることの誇らしさ。……さういふ新らしい快楽が人々を犯しはじめてゐた。さういふものが
人々をどこへ連れて行くかは、本多にはおよそのところがつかめてゐた。それはあの勲の
死によつて生れた確信であつた。純粋なものはしばしば邪悪なものを誘発するのだ。
インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、怖ろしい喜悦に
つながつてゐた! 本多はこのやうな喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が、
究極のものを見てしまつた以上、それから二度と癒やされないだらうと感じられた。
あたかもベナレス全体が神聖な癩にかかつてゐて、本多の視覚それ自体も、この不治の病に
犯されたかのやうに。
三島由紀夫「暁の寺」より 成功にあれ失敗にあれ、遅かれ早かれ、時がいづれは与へずにはおかぬ幻滅に対する先見は、
ただそのままでは何ら先見ではない。それはありふれたペシミズムの見地にすぎぬからだ。
重要なのは、ただ一つ、行動を以てする、死を以てする先見なのだ。勲はみごとにこれを果した。
そのやうな行為によつてのみ、時のそこかしこに立てられた硝子の障壁、人の力では決して
のりこえられぬその障壁の、向う側からはこちら側を、こちら側からは向う側を、等分に
透かし見ることが可能になるのだ。渇望において、憧憬において、夢において、理想において、
過去と未来とが等価になり同質になり、要するに平等になるのである。
歴史は決して人間意志によつては動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て
関はらうとする意志だ、といふ考へこそ、少年時代以来一貫して渝らぬ本多の持説であつた。
三島由紀夫「暁の寺」より 本多は、輪廻転生を、一つの灯明の譬を以て説き、その夕べの焔、夜ふけの焔、夜の
ひきあけに近い時刻の焔は、いづれもまつたく同じ焔でもなければ、さうかと云つて別の
焔でもなく、同じ灯明に依存して、夜もすがら燃えつづけるのだ、といふナーガセーナの説明に
えもいはれぬ美しさを感じた。緑生としての個人の存在は、実体的存在ではなく、この
焔のやうな「事象の連続」に他ならない。
そして又、ナーガセーナは、はるかはるか後世になつてイタリアの哲学者が説いたのと
ほとんど等しく、
「時間とは輪廻の生存そのものである」
と教へるのであつた。
生は活動してゐる。阿頼耶識が動いてゐる。この識は総報の果体であり、一切の活動の
結果である種子(しゆうじ)を蔵(をさ)めてゐるから、われわれが生きてゐるといふことは、
畢竟、阿頼耶識が活動してゐることに他ならぬのであつた。
その識は滝のやうに絶えることなく白い飛沫を散らして流れてゐる。つねに滝は目前に見えるが、
一瞬一瞬の水は同じではない。水はたえず相続転起して、流動し、繁吹を上げてゐるのである。
三島由紀夫「暁の寺」より 阿頼耶識はかくて有情総報の果体であり、存在の根本原因なのであつた。たとへば人間としての
阿頼耶識が現行するといふことは、人間が現に存在するといふことにほかならない。
阿頼耶識は、かくてこの世界、われわれの住む迷界を顕現させてゐる。すべての認識の根が、
すべての認識対象を包括し、かつ顕現させてゐるのだ。その世界は、肉体(五根)と
自然界(器世界)と種子(物質・精神あらゆるものを現行させるべき潜勢力)とから
成立つてゐる。われわれが我執にとらはれて考へる実体としての自我も、われわれが死後に
つづくと考へる霊魂も、一切諸法を生ずる阿頼耶識から生じたものであれば、一切は
阿頼耶識に帰し、一切は識に帰するのだ。
しかるに、唯識の語から、何かわれわれが、こちら側に一つの実体としての主観を考へ、
そこに映ずる世界をすべてその所産と見なす唯心論を考へるならば、それはわれわれが、
我と阿頼耶識を混同したのだと言はねばならない。なぜなら、常数としての我は一つの不変の
実在であらうが、阿頼耶識は一瞬もとどまらない「無我の流れ」だからである。
三島由紀夫「暁の寺」より 第七識までがすべて世界を無であると云ひ、あるひは五蘊悉く滅して死が訪れても、
阿頼耶識があるかぎり、これによつて世界は存在する。一切のものは阿頼耶識によつて存し、
阿頼耶識があるから一切のものはあるのだ。しかし、もし、阿頼耶識を滅すれば?
しかし世界は存在しなければならないのだ!
従つて、阿頼耶識は滅びることがない。滝のやうに、一瞬一瞬の水はことなる水ながら、
不断に奔逸し激動してゐるのである。
世界を存在せしめるために、かくて阿頼耶識は永遠に流れてゐる。
世界はどうあつても存在しなければならないからだ!
しかし、なぜ?
なぜなら、迷界としての世界が存在することによつて、はじめて悟りへの機縁が齎らされる
からである。
世界が存在しなければならぬ、といふことは、かくて、究極の道徳的要請であつたのだ。
それが、なぜ世界は存在する必要があるのだ、といふ問に対する、阿頼耶識の側からの
最終の答である。
三島由紀夫「暁の寺」より もし迷界としての世界の実有が、究極の道徳的要請であるならば、一切諸法を生ずる
阿頼耶識こそ、その道徳的要請の源なのであるが、そのとき、阿頼耶識と世界は、すなはち、
阿頼耶識と、染汚法の形づくる迷界は、相互に依拠してゐると云はなければならない。
なぜなら、阿頼耶識がなければ世界は存在しないが、世界が存在しなければ阿頼耶識は自ら
主体となつて輪廻転生をするべき場を持たず、従つて悟達への道は永久に閉ざされることに
なるからである。
最高の道徳的要請によつて、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、
阿頼耶識も亦、依拠してゐるのであつた。
しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識で
あるならば、同時に、世界の一切を顕現させてゐる阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の
交はる一点に存在するのである。
ここに、唯識論独特の同時更互因果の理が生ずる、と本多は辛うじて理解した。
三島由紀夫「暁の寺」より われわれの世界構造は、いはば阿頼耶識の種子を串にして、そこに無限の数の刹那の横断面を、
すなはち輪切りにされた胡瓜の薄片を、たえずいそがしく貫ぬいては捨て、貫ぬいては
捨てるやうな形になつてゐるのである。
輪廻転生は人の生涯の永きにわたつて準備されて、死によつて動きだすものではなくて、
世界を一瞬一瞬新たにし、かつ一瞬一瞬廃棄してゆくのであつた。
かくて種子は一瞬一瞬、この世界といふ、巨大な迷ひの華を咲かせ、かつ華を捨てつつ
相続されるのであるが、種子が種子を生ずるといふ相続には、前にも述べたやうに、業種子の
助縁が要る。この助縁をどこから得るかといふのに、一瞬間の現行の熏に依るのである。
唯識の本当の意味は、われわれ現在の一刹那において、この世界なるものがすべてそこに
現はれてゐる、といふことに他ならない。しかも、一刹那の世界は、次の刹那には一旦滅して、
又新たな世界が立ち現はれる。現在ここに現はれた世界が、次の瞬間には変化しつつ、
そのままつづいてゆく。かくてこの世界すべては阿頼耶識なのであつた。……
三島由紀夫「暁の寺」より 生きてゐる人間が純粋な感情を持続したり代表したりするなんて冒涜的なことです。
彼女は本多の物語を聴くときと同様、自分の肉体がたえず語りかける言葉を、いい加減に
聞き流してゐるやうに見えた。あまり大きくてあまり黒い瞳が、知的なものを通りすぎ、
何だか盲目のやうに見える。形態のふしぎ。ジン・ジャンが本多の前で、さうした、いくらか
強すぎる芳香を放つやうな感じのする肉を保つてゐるのは、ここ日本までたえず影響を
及ぼしてくる遠い密林の暈気のおかげであり、人が血筋と呼んでゐるものは、どこまでも
追ひかけてくる深い無形の声のやうな気がする。ある場合は熱い囁きになり、ある場合は
嗄れた叫びになるその声こそは、あらゆる美しい肉の形態の原因であり、又、その形が
惹き起す魅惑の源泉なのだ。
この世には道徳よりもきびしい掟がある、と本多が感じるのはその時だつた。ふさはしく
ないものは、決して人の夢を誘はず、人の嫌悪をそそるといふだけで、すでに罰せられてゐた。
三島由紀夫「暁の寺」より ただ自足してゐなくて、不安に充ち、さりとてすでに無知ではない。知りうることと
知りえないこととの境界を垣間見たといふだけで、すでに無知ではない。そして不安こそ、
われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。本多はすでに清顕と勲の人生に立会ひ、
手をさしのべることの全く無意味な、運命の形姿をこの目で見たのだつた。それは全く、
欺されてゐるやうなものだつた。生きるといふことは、運命の見地に立てば、まるきり詐欺に
かけられてゐるやうなものだつた。そして人間存在とは? 人間存在とは不如意だ、
といふことを、本多は印度でしたたかに学んだのである。
さるにても、生の絶対の受身の姿、尋常では見られない生のごく存在論的な姿、さういふものに
本多は魅せられすぎ、又さういふものでなくては生ではないといふ、贅沢な認識に染まり
すぎてゐた。彼は誘惑者の資格を徹底的に欠いてゐた。なぜなら、誘惑し欺すといふことは、
運命の見地からは徒爾だつたし、誘惑するといふ意志そのものが徒爾だつたからである。
三島由紀夫「暁の寺」より 純粋に運命自体によつてだけ欺されてゐる生の姿以外に、生はない、と考へるとき、どうして
われわれの介入が可能であらう。そのやうな存在の純粋なすがたを、見ることさへどうして
できよう。さしあたつては、その不在においてだけ、想像力で相渉るほかはない。一つの
宇宙の中に自足してゐるジン・ジャン、それ自体が一つの宇宙であるジン・ジャンは、
あくまでも本多と隔絶してゐなければならない。彼女はともすると一種の光学的存在であり、
肉体の虹なのであつた。顔は赤、首筋は橙いろ、胸は黄、腹は緑、太腿は青、脛は藍、
足の指は菫いろ、そして顔の上部には見えない赤外線の心と、足の蹈まへる下には見えない
紫外線の記憶の足跡と。……そしてその虹の端は、死の天空へ融け入つてゐる。死の空へ
架ける虹。知らないといふことが、そもそもエロティシズムの第一条件であるならば、
エロティシズムの極致は、永遠の不可知にしかない筈だ。すなはち「死」に。
三島由紀夫「暁の寺」より 自分の中ですでに公然と理性を汚辱してゐた彼が、危険をかへりみない、といふことは
ありえない。なぜなら、真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ
生れるからだ。
慶子は急に何か思ひついたやうに、手提から固形香水をとりだして、翡翠の耳飾りを
垂らした耳朶にこすりつけた。
これが何かの合図になつたみたいに、ロビーの灯火がのこらず消えた。
「ちえつ、停電だ」
と克己の声が言つた。停電のときに、停電だと言つて、一体それが何になるのだらう、
と本多は思つた。怠惰の言訳としてしか言葉を使はぬ人間がゐるものだ。
あの目なしには、今西と椿原夫人の結びつきには、贋物の匂ひが拭はれず、野合の負け目が
除かれぬ。あれこそはもつとも威ある媒酌人の目だつたからだ。寝室の薄闇の一隅に
光つてゐたあの女神のやうな犀利な瞳こそ、結びつけながら拒絶し、ゆるしながら蔑む
証人の目、この世のどこかに安置されてゐる或る神秘な正義の、いやいやながらの承認を
司る目なのであつた。
三島由紀夫「暁の寺」より 必要から生れたものには、必要の苦さが伴ふ。この想像力には甘美なところがみぢんもなかつた。
もし事実の上に立つて羽搏く想像力なら、心をのびやかにひろげることもあらうに、事実へ
無限に迫らうとする想像力は、心を卑しくさせ、涸渇させる。ましてその「事実」が
なかつたとしたら、その瞬間にすべては徒労になるのだ。
しかし、事実はたしかにどこかにある、といふ刑事の想像力ならば、わが身を蝕むことは
あるまい。梨枝の想像力は二つのものを兼ねてゐた、すなはち、事実がたしかにどこかにある、
といふ気持と、その事実がなくてくれればいい、といふ気持と。かうして嫉妬の想像力は
自己否定に陥るのだ。想像力が一方では、決して想像力を容認しないのである。丁度過剰な
胃酸が徐々に自らの胃を蝕むやうに、想像力がその想像力の根源を蝕んでゆくうちに、
悲鳴に似た救済の願望があらはれる。事実があれば、事実さへあれば、自分は助かるのだ!
攻めの一手の探究の果てに、かうしてあらはれる救済の願望は、自己処罰の欲望に似て来てしまふ。
なぜならその事実は、(もしあるとすれば)、自分を打ちのめす事実に他ならないからだ。
三島由紀夫「暁の寺」より 無知によつて歴史に与り、意志によつて歴史から辷り落ちる人間の不如意を、隈なく
眺めてきた本多は、ほしいものが手に入らないといふ最大の理由は、それを手に入れたいと
望んだからだ、といふ風に考へる。一度も望まなかつたので、三億六千万円は彼のものに
なつたのである。
それが彼の考へ方だつた。ほしいものが手に入らない、といふことを、自分の至らぬためとか、
生れつきの欠点のためとか、乃至は、自分が身に負うてゐる悲運のためとか決して考へる
ことがなく、それをすぐ法則化し普遍化するのが本多の持ち前だつたから、彼がやがて
その法則の裏を掻かうと試みはじめたのにふしぎはない。何でも一人でやる人間だつたから、
立法者と脱法者を兼ねることなぞ楽にできた。すなはち、自分が望むものは決して手に
入らぬものに限局すること、もし手に入つたら瓦礫と化するに決つてゐるから、望む対象に
できうるかぎり不可能性を賦与し、少しでも自分との間の距離を遠くに保つやうに努力すること、
……いはば熱烈なアパシーとでも謂ふべきものを心に持すること。
三島由紀夫「暁の寺」より 身の毛もよだつほどの自己嫌悪が、もつとも甘い誘惑と一つになり、自分の存在の否定自体が、
決して癒されぬといふことの不死の観念と一緒になるのだ。存在の不治こそは不死の感覚の
唯一の実質だつた。
自分の人生は暗黒だつた、と宣言することは、人生に対する何か痛切な友情のやうにすら
思はれる。お前との交遊には、何一つ実りはなく、何一つ歓喜はなかつた。お前は俺が
たのみもしないのに、その執拗な交友を押しつけて来て、生きるといふことの途方もない
綱渡りを強ひたのだ。陶酔を節約させ、所有を過剰にし、正義を紙屑に変へ、理智を家財道具に
換価させ、美を世にも恥かしい様相に押しこめてしまつた。人生は正統性を流刑に処し、
異端を病院へ入れ、人間性を愚昧に陥れるために大いに働らいた。それは、膿盆の上の、
血や膿のついた汚れた繃帯の堆積だつた。すなはち、不治の病人の、そのたびごとに、
老いも若きも同じ苦痛の叫びをあげさせる、日々の心の繃帯交換。
三島由紀夫「暁の寺」より 彼はこの山地の空のかがやく青さのどこかに、かうして日々の空しい治癒のための、
荒つぽい義務にたづさはる、白い壮麗な看護婦の巨大なしなやかな手が隠れてゐるのを感じた。
その手は彼にやさしく触れて、又しても彼に、生きることを促すのであつた。乙女峠の
空にかかる白い雲は、偽善的なほど衛生的な、白い新らしいまばゆい繃帯の散乱であつた。
甚だゆつくりした物腰、やや尊大な物の言ひつぷり、日常生活にまで安全運転のしみ込んだ
この男の、決して動じない態度には苛立たされる。人生が車の運転と同様に、慎重一点張りで
成功するなどと思はれてたまるものか。
或る感情の量を極度まで増してゆくとおのづから質が変つて、わが身を滅ぼすかと思はれた
悩みの蓄積が、ふいに生きる力に変るのだ。はなはだ苦い、はなはだ苛烈な、しかし俄かに
展望のひらける青い力、すなはち海に。
本多は妻がそのとき、曾て見も知らぬ苦いしたたかな女に変りつつあるのに気づいてゐなかつた。
不機嫌や黙りがちの探索で彼を苦しめてゐた間の梨枝は、実はまだその蛹にすぎなかつた。
三島由紀夫「暁の寺」より >>26の後
「ぢやあ、気をつけて」
と言つた。言葉にも軽い弾みを持たせ、その弾みを動作にも移して、聡子の肩に手を置かうと
思へば置くこともできさうだつた。しかし、彼の手は痺れたやうになつて動かなかつた。
そのとき正(まさ)しく清顕を見つめてゐる聡子の目に出会つたからである。
その美しい大きい目はたしかに潤んでゐたが、清顕がそれまで怖れてゐた涙はその潤みから
遠かつた。涙は、生きたまま寸断されてゐた。溺れる人が救ひを求めるやうに、まつしぐらに
襲ひかかつて来るその目である。清顕は思はずひるんだ。聡子の長い美しい睫は、植物が
苞をひらくやうに、みな外側へ弾け出て見えた。
「清様もお元気で。……ごきげんよう」
と聡子は端正な口調で一気に言つた。
清顕は追はれるやうに汽車を降りた。折しも腰に短剣を吊り五つ釦の黒い制服を着た駅長が、
手をあげるのを合図にして、ふたたび車掌の吹き鳴らす呼笛がきこえた。
かたはらに立つ山田を憚りながら、清顕は心に聡子の名を呼びつづけた。汽車が軽い
身じろぎをして、目の前の糸巻の糸が解(ほど)けたやうに動きだした。
三島由紀夫「春の雪」より 飛翔するジン・ジャンをこそ見たいのに、本多の見るかぎりジン・ジャンは飛翔しない。
本多の認識世界の被造物にとどまる限り、ジン・ジャンはこの世の物理法則に背くことは
叶はぬからだ。多分、(夢の裡を除いて)、ジン・ジャンが裸で孔雀に乗つて飛翔する世界は、
もう一歩のところで、本多の認識自体がその曇りになり瑕瑾になり、一つの極微の歯車の
故障になつて、正にそれが原因で作動しないのかもしれぬ。ではその故障を修理し、歯車を
取り換へたらどうだらうか? それは本多をジン・ジャンと共有する世界から除去すること、
すなはち本多の死に他ならない。
今にして明らかなことは、本多の欲望がのぞむ最終のもの、彼の本当に本当に本当に
見たいものは、彼のゐない世界にしか存在しえない、といふことだつた。真に見たいものを
見るためには、死なねばならないのである。
覗く者が、いつか、覗くといふ行為の根源の抹殺によつてしか、光明に触れえぬことを
認識したとき、それは、覗く者が死ぬことである。
認識者の自殺といふものの意味が、本多の心の中で重みを持つたのは、生れてはじめてだと
云つてよかつた。
三島由紀夫「暁の寺」より 「今夜が最後と思へば、話なんていくらだつてあります。この世のありとあらゆることを
話し合ふんですね。自分のやつたこと、人のやつたこと、世界が体験したこと、人類が今まで
やつてきたこと、あるひは置きざりにされた一つの大陸が何千年ものあひだじつと夢み
つづけてきたこと、何でもいいのです。話の種子はいつぱいあります。今夜限りで世界は
終るのですからね」
「信心をお持ちになつたらどうなんです」
「信心なんて。裏切る心配のない見えない神様などを信じてもつまりませんわ。私一人を
いつもじつと見つづけて、あれはいけない、これはいけない、とたえず手取り足取り指図して
下さる神様でなければ。その前では何一つ隠し立てのできない、その前ではこちらも浄化されて、
何一つ羞恥心を持つことさへ要らない、さういふ神様でなければ、何になるでせう」
「おたのしさうね、皆さん。こんな時代が来るなんて、戦争中に誰が想像したでせう。
一度でもいいから、暁雄にこんな思ひをさせてやりたかつた」
三島由紀夫「暁の寺」より かういふ動悸には馴染がある。夜の公園に身をひそめてゐる折、目の前に待ちかねてゐたものが
いよいよはじまるといふ時に、赤い蟻が一せいに心臓にたかつて、同じ動悸を惹き起す。
それは一種の雪崩だ。この暗い蜜の雪崩が、世界を目のくらむやうな甘さで押し包み、
理智の柱をへし折り、あらゆる感情を機械的な早い鼓動だけで刻んでしまふ。何もかも
融けてしまふ。これに抗はうとしても無駄なことだ。
それはどこから襲つて来るのだらう。どこかに官能の深い棲家があつて、それが遠くから指令を
及ぼすと、どんな貧しい触角も敏感にそよぎ、何もかも打ち捨てて、走り出さなければならない。
快楽の呼ぶ声と死の呼ぶ声は何と似てゐることか。ひとたび呼ばれれば、どんな目前の仕事も
重要でなくなり、つけかけの航海日誌や、喰べかけの食事や、片方だけ磨いた靴や、鏡の前に
今置いたばかりの櫛や、繋ぎかけたロープもそのままに、全乗組員が消え去つたあとを
とどめてゐる幽霊船のやうに、すべてをやりかけのまま見捨てて出て行かねばならない。
三島由紀夫「暁の寺」より 動悸はこのことの起る予兆なのだ。そこからはじまることはみつともなさと醜悪だけと
知れてゐるのに、この動悸には必ず虹のやうな豊麗さが含まれ、崇高と見分けのつかないものが
ひらめいてゐた。
崇高と見分けのつかないもの。それこそは曲者だつた。どんな高尚な事業どんな義烈の行為へ
人を促す力も、どんな卑猥な快楽どんな醜怪な夢へそそのかす力も、全く同じ源から出、
同じ予兆の動悸を伴ふといふことほど、見たくない真実はなかつた。もし下劣な欲望は
下劣な影をちらつかせるにすぎず、そもそもこの最初の動悸に崇高さの誘惑がひらめかなければ、
人はまだしも平静な矜りを持して生きることができるのだ。ともすると誘惑の根源は
肉慾ではなくて、この思はせぶりな、このおぼろげな、この雲間に隠見する峯のやうな銀の
崇高さの幻影なのだつた。それは一先づ人をとりこにし、次いで耐へきれぬ焦燥から広大な
光りへあこがれさせる、「崇高」の鳥黐だつた。
三島由紀夫「暁の寺」より うすくにじみ出す煙のなかから、火が兇暴な拳をつき出して、焔の吹き出す口をあける
移りゆきの、ほとんど滑らかな速度には、夢よりも巧妙なものがあつた。
本多は肩や袖にふりかかる火の粉を払ひ、プールの水面は、燃え尽きた木片や、藻のやうに
蝟集した灰におほはれてゐた。しかし火の輝やきはすべてを射貫いて、マニカルニカ・ガートの
焔の浄化は、この小さな限られた水域、ジン・ジャンが水を浴びるために造られた神聖な
プールに逆しまに映つてゐた。ガンジスに映つてゐたあの葬りの火とどこが違つたらう。
ここでも亦、火は薪と、それから焼くのに難儀な、おそらく火中に何度か身を反らし、
腕をもたげたりした、もはや苦痛はないのに肉がただ苦しみの形をなぞり反復して滅びに抗ふ、
二つの屍から作られたのである。それは夕闇に浮んだガートのあの鮮明な火と、正確に同質の
火であつた。すべては迅速に四大へ還りつつあつた。煙は高く天空を充たしてゐた。
ただ一つここにないものは、焔のかなたからこちらを振り向いて、本多の顔をひたと見据ゑた
あの白い聖牛の顔だけである。……
三島由紀夫「暁の寺」より 乳海攪拌のインド神話を、毎日毎日、ごく日常的にくりかへしてゐる海の攪拌作用。たぶん
世界はじつとさせておいてはいけないのだらう。じつとしてゐることには、自然の悪を
よびさます何かがあるのだらう。
五月の海のふくらみは、しかしたえずいらいらと光りの点描を移してをり、繊細な突起に
充たされてゐる。
三羽の鳥が空の高みを、ずつと近づき合つたかと思ふと、また不規則に隔たつて飛んでゆく。
その接近と離隔には、なにがしかの神秘がある。相手の羽風を感じるほどに近づきながら、又、
その一羽だけついと遠ざかるときの青い距離は、何を意味するのか。三羽の鳥がさうするやうに、
われわれの心の中に時たま現はれる似たような三つの思念も?
海、名のないもの、地中海であれ、日本海であれ、目前の駿河湾であれ、海としか名付けようの
ないもので辛うじて統括されながら、決してその名に服しない、この無名の、この豊かな、
絶対の無政府主義(アナーキー)。
三島由紀夫「天人五衰」より 刹那刹那の海の色の、あれほどまでに多様な移りゆき。雲の変化。そして船の出現。
……そのたびに一体何が起るのだらう。生起とは何だらう。
刹那刹那、そこで起つてゐることは、クラカトアの噴火にもまさる大変事かもしれないのに、
人は気づかぬだけだ。存在の他愛なさにわれわれは馴れすぎてゐる。世界が存在してゐるなどと
いふことは、まじめにとるにも及ばぬことだ。
生起とは、とめどない再構成、再組織の合図なのだ。遠くから波及する一つの鐘の合図。
船があらはれることは、その存在の鐘を打ち鳴らすことだ。たちまち鐘の音はひびきわたり、
すべてを領する。海の上には、生起の絶え間がない。存在の鐘がいつもいつも鳴りひびいてゐる。
一つの存在。
船でなくともよい。いつ現はれたとも知れぬ一顆の夏蜜柑。それでさへ存在の鐘を打ち鳴らすに
足りる。
午後三時半、駿河湾で存在を代表したのは、その一顆の夏蜜柑だつた。
波に隠れすぐ現はれ、浮いつ沈みつして、またたきやめぬ目のやうに、その鮮明な
オレンヂいろは、波打際から程遠からぬあたりを、みるみる東のはうへ遠ざかる。
三島由紀夫「天人五衰」より 堤防の上の砂地には夥しい芥が海風に晒されてゐた。コカ・コーラの欠けた空瓶、缶詰、
家庭用の塗装ペイントの空缶、永遠不朽のビニール袋、洗剤の箱、沢山の瓦、弁当の殻……
地上の生活の滓がここまで雪崩れて来て、はじめて「永遠」に直面するのだ。今まで一度も
出会はなかつた永遠、すなはち海に。もつとも汚穢な、もつとも醜い姿でしか、つひに人が
死に直面することができないやうに。
見ることは存在を乗り超え、鳥のやうに、見ることが翼になつて、誰も見たことのない領域へ
まで透を連れてゆく筈だ。そこでは美でさへも、引きずり朽され使ひ古された裳裾のやうに、
ぼろぼろになつてしまふ筈だ。永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海といふものが
ある筈だ。見て見て見抜く明晰さの極限に、何も現はれないことの確実な領域、そこは又
確実に濃藍で、物象も認識もともどもに、酢酸に涵された酸化鉛のやうに溶解して、もはや
見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきつとある筈だ。
三島由紀夫「天人五衰」より 微笑は同情とは無縁だつた。微笑とは、決して人間を容認しないといふ最後のしるし、
弓なりの唇が放つ見えない吹矢だ。
どんな男だつて、私を見たとたんに、獣になつてしまふんだもの、尊敬しやうがないぢや
ありませんか。女の美しさが、男の一番醜い欲望とぢかにつながつてゐる、といふことほど、
女にとつて侮辱はないわ。
おそらく絹江の発狂のきつかけは、失恋させた男が彼女の醜い顔を露骨に嘲つたことにあるので
あらう。その刹那に、絹江は自分の生きる道を、その唯一の隘路の光明を認めたのであつた。
自分の顔が変らなければ、世界のはうを変貌させればそれですむ。誰もその秘密を知らぬ
美容整形の自己手術を施し、魂を裏返しにしさへすれば、かくも醜い灰色の牡蠣殻の内側から、
燦然たる真珠母があらはれるのだつた。
追ひつめられた兵士が活路をひらくやうに、絹江はこの世界の根本的な不如意の結び目を
発見して、それを要に、世界を裏返しにしてしまつた。何といふ革命だつたらう。
内心もつとも望んでゐたものを、悲運の形で受け入れたその狡智。……
三島由紀夫「天人五衰」より 自分はいつも見てゐる。もつとも神聖なものも、もつとも汚穢なものも、同じやうに。
見ることがすべてを同じにしてしまふ。同じことだ。……はじめからをはりまで同じことだ。
……いひしれぬ暗い心持に沈んで、本多は、あたかも海を泳いで来た人が、身にまとひつく
海藻を引きちぎつて陸に上るやうに、夢を剥ぎ落して、目をさました。
日はまだ現はれないが、現はれるべきところのすぐ上方に、肌理のこまかい雲が、あたかも
低い山脈の連なりのやうな、山襞の褶曲そつくりの形を高肉浮彫にしてゐる。この山脈の上には
ところどころに仄青い間隙のある薔薇いろの横雲が一面に流れ、この山脈の下には薄鼠いろの
雲が海のやうに堆積してゐる。そして山脈の浮彫は、薔薇いろの雲の反映を山裾にまで受けて、
匂うてゐる。その山裾には人家の点在まで想ひ見られ、そこに薔薇いろに花ひらいた幻の国土の
出現を透は見た。
あそこからこそ自分は来たのだ、と透は思つた。幻の国土から。夜明けの空がたまたま
垣間見せるあの国から。
三島由紀夫「天人五衰」より だんだん幼時の夢や少年時代の夢を見ることが多くなつた。若かつたころの母が、或る雪の日に、
作つてくれたホット・ケーキの味をも、夢が思ひ出させた。
あんなつまらない挿話がどうしてこんなに執拗に思ひ出されるのだらう。思へばこの記憶は、
半世紀もの間、何百回となく折に触れて思ひ出され、何の意味もない挿話であるだけに、
その想起の深い力が本多自身にもつかめないのである。
(中略)
本多が夢にたびたび想起するのは、そのときのホット・ケーキの忘れられぬ旨さである。
雪の中をかへつてきて、炬燵にあたたまりながら喰べたその蜜とバターが融け込んだ美味である。
生涯本多はあんな美味しいものを喰べた記憶がない。
しかし何故そんな詰らぬことが、一生を貫ぬく夢の酵母になつたのであらう。(中略)
それにしてもその日から六十年が経つた。何といふ須臾の間であらう。或る感覚が胸中に
湧き起つて、自分が老爺であることも忘れて、母の温かい胸に顔を埋めて訴へたいやうな
気持が切にする。
三島由紀夫「天人五衰」より 六十年を貫ぬいてきた何かが、雪の日のホット・ケーキの味といふ形で、本多に思ひ知らせる
ものは、人生が認識からは何ものをも得させず、遠いつかのまの感覚の喜びによつて、
あたかも夜の広野の一点の焚火の火明りが、万斛の闇を打ち砕くやうに、少くとも火の
あるあひだ、生きることの闇を崩壊させるといふことなのだ。
何といふ須臾だらう。十六歳の本多と、七十六歳の本多との間には、何事も起らなかつたと
しか感じられない。それはほんの一またぎで、石蹴り遊びをしてゐる子供が小さな溝を
跳び越すほどのつかのまだつた。
そして、清顕があれほど詳(つぶ)さにしたためた夢日記が、その後効験をあらはすのを見て、
たしかに本多は夢の生に対する優位を認識したけれども、自分の人生がかうまで夢に
犯されるとは想像もしてゐなかつた。タイの出水に涵される田園のやうに、夢の氾濫が
自分にも起つたといふふしぎな喜びはあつたが、清顕の夢の芳醇に比べると、本多の夢は
ただ返らぬ昔のなつかしい喚起にすぎなかつた。
三島由紀夫「天人五衰」より なるほど空襲下の渋谷の焼址で蓼科が語つたところによれば、聡子は泉が澄むやうにますます
美しくなつたといふが、さういふ無漏の老尼の美もわからぬでもなく、事実、大阪の人から
輓近の聡子の美しさを感嘆を以て語る声をもきいた。それでもなほ本多は怖い。美の廃址を
見るのも怖いが、廃址にありありと残る美を見るのも怖いのである。
それはあたかも彼の認識の闇の世界の極みの破れ目から、そそいで来る一縷の月光のやうな寺に
他ならなかつた。
そこに聡子のゐることが確実であるなら、聡子は不死で永久にそこにゐることも確実のやうに
思はれる。本多が認識によつて不死であるなら、この地獄から仰ぎ見る聡子は、無限大の
距離にゐた。会ふなり聡子が本多の地獄を看破ることは確実なのである。又、本多の不如意と
恐怖に充ちた認識の地獄の不死と、聡子の天上の不死とは、いつも見合つてをり、均衡を
保つやうに仕組まれてゐると感じられる。それなら今いそいで会はなくても、三百年後でも、
よしんば千年後でも、会ひたいときには随時に会へるではないか。
三島由紀夫「天人五衰」より いつ降るともしれぬ梅雨空の下を、車は金融関係の新らしいビルが櫛比する迂路を
八〇キロほどの速度で走つた。ビルといふビルは頑なで、正確で、威嚇的で、鉄とガラスの
長大な翼をひろげて、次々と襲ひかかつた。本多はいづれ自分が死ぬときには、これらのビルは
全部なくなるのだ、といふ想ひに、一種の復讐の喜びを味はつた、その瞬間の感覚を思ひ出した。
この世界を根こそぎ破壊して、無に帰せしめることは造作もなかつた。自分が死ねば確実に
さうなるのだ。世間から忘れられた老人でも、死といふ無上の破壊力をなほ持ち合せて
ゐることが、少し得意だつたのである。本多はいささかも五衰を怖れてゐなかつた。
ベナレスでは神聖が汚穢だつた。又汚穢が神聖だつた。それこそは印度だつた。
しかし日本では、神聖、美、伝統、詩、それらのものは、汚れた敬虔な手で汚されるのでは
なかつた。これらを思ふ存分汚し、果ては絞め殺してしまふ人々は、全然敬虔さを欠いた、
しかし石鹸でよく洗つた、小ぎれいな手をしてゐたのである。
三島由紀夫「天人五衰」より 祈りの手ほど謙虚ではなく、見えないものを愛撫しようと志してゐる手。宇宙を愛撫するために
だけ使はれる手があるとすれば、それは自涜者の手だ。『俺は見抜いたぞ』と本多は思つた。
(中略)
見るがいい。この少年こそ純粋な悪だつた! その理由は簡単だつた。この少年の内面は
能ふかぎり本多に似てゐたからである。
これはすべて本多の幻想だつたかもしれない。が、一目で見抜く認識能力にかけては、
幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあつた。欲望を抱かない限り、
この目の透徹と澄明は、あやまつことがなかつた。まして自分にとつて不本意なことを
見抜くことにかけては。
悪は時として、静かな植物的な姿をしてゐるものだ。結晶した悪は、白い錠剤のやうに美しい。
この少年は美しかつた。そのとき本多は、ともすると我人共に認めようとしてゐなかつた自分の
自意識の美しさに、目ざめ、魅せられてゐたのかもしれない。……
三島由紀夫「天人五衰」より あなたのお話は、私も癒(なほ)したわ。私はこれでもせい一杯戦つてきたつもりだけれど、
戦ふ必要もないことだつた。私たちは一人のこらず、同じ投網の中に捕へられた魚なのですね。
それを知つた人の顔には、一種の見えない癩病の兆候があらはれるのだ。神経癩や結節癩が
『見える癩病』なら、それは透明癩とでもいふのだらうか。それを知つたが最後、誰でも
ただちに癩者になる。印度へ行つたときから、(それまでにも病気は何十年も潜伏して
ゐたのだが)、私はまぎれもない『精神の癩者』になつたのだ。
人間の美しさ、肉体的にも精神的にも、およそ美に属するものは、無知と迷蒙からしか
生れないね。知つてゐてなほ美しいなどといふことは許されない。同じ無知と迷蒙なら、
それを隠すのに何ものも持たない精神と、それを隠すのに輝やかしい肉を以てする肉体とでは、
勝負にならない。人間にとつて本筋の美しさは、肉体美にしかないわけさ。
三島由紀夫「天人五衰」より しかし何者が本多にこんな夢を見せたのであらう。
慶子との会話を知つてゐるのは、慶子と本多の二人しかゐないのであるから、その「何者」は、
慶子でなければ本多にちがひない。が、本多は自分でそんな夢を見たいと決して望んだ
わけではない。本多に何のことわりもなく、その希望を一向参酌せずに、勝手な夢を見させたものが、本多自身であつてよい筈はない。
もちろん本多はウィーンの精神分析学者の夢の本は色々読んでゐたが、自分を裏切るやうな
ものが実は自分の願望だ、といふ説には、首肯しかねるものがあつた。それより自分以外の
何者かが、いつも自分を見張つてゐて、何事かを強ひてゐる、と考へるはうが自然である。
目ざめてゐるときは自分の意志を保ち、否応なしに歴史の中に生きてゐる。しかし自分の
意志にかかはりなく、夢の中で自分を強ひるもの、超歴史的な、あるひは無歴史的なものが、
この闇の奥のどこかにゐるのだ。
三島由紀夫「天人五衰」より 「…僕は君のやうな美しい人のために殺されるなら、ちつとも後悔しないよ。この世の中には、
どこかにすごい金持の醜い強力な存在がゐて、純粋な美しいものを滅ぼさうと、虎視眈々と
狙つてゐるんだ。たうとう僕らが奴らの目にとまつた、といふわけなんだらう。
さういふ奴相手に闘ふには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張つてゐるからだ。
はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言ひなりになつてやるんだ。さうして
ゆつくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。ここぞと思つたところで反撃に出るためには、
こちらも十分力を蓄へ、敵の弱点もすつかり握つた上でなくてはだめなんだよ。
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだといふことを忘れてはいけない。奴らの戦ひが
有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れてゐるからだ。
三島由紀夫「天人五衰」より 奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手を
ゆるめないだらう。だから僕らは、いざとなつたら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければ
ならない。むやみに突張つて、踏絵を踏まなければ、殺されてしまふんだからね。さうして
一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。
でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしつかり保つてゆかなければね」「わかつたわ、透さん。私、何でもあなたの言ふなりになる。その代りしつかり私を支へてね。
美しさの毒でいつも私の足はふらふらしてゐるんだから。あなたと私が手をつなげば、
人間のあらゆる醜い欲望を根絶し、うまく行けば全人類をすつかり晒して漂白してしまへる
かもしれなくつてよ。さうなつたときは、この地上が天国になり、私も何ものにも脅えないで、
生きてゆくことができるんだわね」
三島由紀夫「天人五衰」より ――絹江が去つたあとでは、透はいつもその不在をたのしんだ。
あれだけの醜さも、ひとたび不在になれば、美しさとどこに変りがあるだらう。すべて
絹江の美しさを前提にして交はされたあの会話は、その美しさ自体が非在のものだつたから、
絹江がこの場を去つた今も、少しも変らずに馥郁と薫つてゐた。
……遠いところで美は哭いてゐる、と透は思ふことがあつた。多分水平線の少し向うで。
美は鶴のやうに甲高く啼く。その声が天地に谺してたちまち消える。人間の肉体にそれが
宿ることがあつても、ほんのつかのまだ。絹江だけが醜さの罠で、その鶴をつかまへることに
成功したのだつた。そして又、たえまない自意識の餌で、末永く飼育することにも。
三島由紀夫「天人五衰」より 競技を終つた競技者の背中から急速に退いてゆく汗のやうに、黒い砂利のあひだを退いてゆく
白い飛沫。
無量の一枚の青い石板のやうな海水が、波打際へ来て砕けるときには、何といふ繊細な変身を
見せることだらう。千々にみだれる細かい波頭と、こまごまと別れる白い飛沫は、苦しまぎれに
かくも夥しい糸を吐く、海の蚕のやうな性質をあらはしてゐる。白い繊細な性質を内に
ひそめながら、力で圧伏するといふことは、何といふ微妙な悪だらう。
一瞬レンズの中に現はれた、天にも届かんばかりの一滴の白い波の飛沫があつた。
これほどまでに一滴だけ高く離れた波しぶきは、何を目ざしたのか。この至高の断片は、
何のためにさうして選ばれたのか。彼一滴だけ?
自然は全体から断片へと、又、断片から全体へと、たえずくりかへし循環してゐた。
断片の形をとつたときのはかない清洌さに比べれば、全体としての自然は、つねに不機嫌で
暗鬱だつた。
悪は全体としての自然に属するのだらうか?
それとも断片のはうに?
三島由紀夫「天人五衰」より 波は少しづつ夕影を帯びると共に、険のある硬質のものになつた。光りはますます悪意に
染まり、波の腹の色は陰惨味を増した。
さうだ。砕けるときの波は、死のそのままのあらはな具現だ、と透は思つた。さう思ふと、
どうしてもさう見えて来る。それは断末魔の、大きくあいた口だつた。
白いむきだしの歯列から、無数の白い涎の糸を引き、あんぐりあいた苦しみの口が、
下顎呼吸をはじめてゐる。夕光に染つた紫いろの土は、チアノーゼの唇だ。
臨終の海が大きくあけた口の中へ、死が急速に飛び込んでくる。かう無数の死を露骨に
見せることをくりかへしながら、そのたびに海は警察のやうに大いそぎで死体を収容して、
人目から隠してしまふのだつた。
そのとき透の望遠鏡からは、見るべからざるものを見た。
顎をひらいて苦しむ波の大きな口腔の裡に、ふと別な世界が揺曳したやうな気がしたのである。
透の目が幻影を見る筈はないから、見たものは実在でなければならない。しかしそれが
何であるかはわからない。
三島由紀夫「天人五衰」より 海中の微生物がたまたま描いた模様のやうなものかもしれない。暗い奧処にひらめいた光彩が、
別の世界を開顕したのだが、たしかに一度見た場所だといふおぼえがあるのは、測り知られぬ
ほど遠い記憶と関はりがあるのかもしれない。過去世といふものがあれば、それかもしれない。
ともあれそれが、明快な水平線の一歩先に、たえず透が見通さうと思つて来たものと、
どういふつながりがあるのかわからない。砕けようとする波の腹に、幾多の海藻が纏綿して、
巻き込まれながら躍つてゐたとすれば、つかのまに描かれた世界は、嘔気を催ほすやうな
いやらしい海底の、粘着質の紫や桃いろの襞と凹凸の微細画であつたかもしれない。が、
そこに光明があり、閃光が走つたのは、稲妻に貫かれた海中の光景だつたのだらうか。
そんなものが、このおだやかな西日の汀に見られよう筈はない。第一、その世界がこの世界と
同時に共在してゐなければならぬといふ法はない。そこに仄見えたのは、別の時間なので
あらうか。今透の腕時計が刻んでゐるものとは、別の時間の下にある何かなのであらうか。
三島由紀夫「天人五衰」より 自分に向けられる他人の善意や悪意が、悉く誤解に基づくと考へる考へ方には、懐疑主義の
行き着く果ての自己否定があり、自尊心の盲目があつた。
透は必然を軽蔑し、意志を蔑してゐた。
時折鏡を見て、自分の微笑の漂ひをよく調べると、鏡にさしかかる光りの加減で、少女の微笑に
似てゐると感じられることがあつた。どこか遠い国の、言葉の通じない少女は、こんな微笑を、
他人との唯一の通ひ路にしてゐることがあるかもしれない。自分の微笑が女らしいといふ
のではない。しかし媚態でもなければ羞らひでもない、夜と朝との間の薄明に、白みかかる道と
川との見分けのつかない、一つへ足を踏み出せば溺れるかもしれない、さういふ危難を
相手のためにしつらへて、ためらひと決断の間のもつとも微妙な巣の中で待つてゐる鳥のやうな
微笑は、ちやんとした男の微笑とは云へない。透は、ふとして、この微笑を父親からでも
母親からでもない、幼時にどこかで会つた見知らぬ女から受け継いだのではないかと
思ふことがある。
三島由紀夫「天人五衰」より それにしても相手の動機は、一体それほど不可解だつたらうか? これにも何ら不可解な
ものはない。透は知つてゐた、退屈な人間は地球を屑屋に売り払ふことだつて平気でするのだと。
自由主義の経済学から美しい予定調和の夢が崩れたのはずいぶん昔だつたが、マルクス主義
経済学の弁証法的必然性もとつくに怪しげなものになつてゐた。滅亡を予言されたものが
生きのび、発展を予言されたものが、(たしかに発展はしたけれども)、別のものに
変質してゐた。純粋な理念の生きる余地はどこにもなかつた。
世界が崩壊に向つてゆくと信ずることは簡単であり、本多が二十歳ならそれを信じもしたらうが、
世界がなかなか崩壊しないといふことこそ、その表面をスケーターのやうに滑走して生きては
死んでゆく人間にとつては、ゆるがせにできない問題だつた。氷が割れるとわかつてゐたら、
誰が滑るだらう。また絶対に割れないとわかつてゐたら、他人が失墜することのたのしみは
失はれるだらう。問題は自分が滑つてゐるあひだ、割れるか割れないかといふだけのことであり、
本多の滑走時間はすでに限られてゐた。
三島由紀夫「天人五衰」より 人々はさうやつて財産が少しづつふえてゆくと思つてゐる。物価の上昇率を追ひ越すことが
できれば、事実それはふえてゐるにちがひない。しかしもともと生命と反対の原理に立つものの
そのやうな増加は、生命の側に立つものへの少しづつの浸蝕によつてしかありえない。
利子の増殖は、時の白蟻の浸蝕と同じことだつた。どこかで少しづつ利得がふえてゆくことは、
時の白蟻が少しづつ着実に噛んでゆく歯音を伴ふのだ。
そのとき人は、利子を生んでゆく時間と、自分の生きてゆく時間との、性質のちがひに
気づく。……
自意識が、自我だけに関はつてゐる、と考へてゐたあひだの本多はまだ若かつたのだ。
自分といふ透明な水槽の中に黒い棘だらけの雲丹のやうな実質が泛んでゐて、それのみに
関はる意識を、自意識と呼んでゐた本多は若かつた。「恒に転ずること暴流のごとし」。
印度でそれを知得しながら、日々のくらしに体得するまでには三十年もかかつた。
三島由紀夫「天人五衰」より 老いてつひに自意識は、時の意識に帰着したのだつた。本多の耳は骨を蝕む白蟻の歯音を
聞き分けるやうになつた。一分一分、一秒一秒、二度とかへらぬ時を、人々は何といふ
稀薄な生の意識ですりぬけるのだらう。老いてはじめてその一滴々々には濃度があり、酩酊さへ
具はつてゐることを学ぶのだ。稀覯の葡萄酒の濃密な一滴々々のやうな、美しい時の滴たり。
……さうして血が失はれるやうに時が失はれてゆく。あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。
ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせてゐた
すばらしい時期に、時を止めることを怠つたその報いに。
さうだ。老人は時が酩酊を含むことを学ぶ。学んだときはすでに、酩酊に足るほどの酒は
失はれてゐる。
絶頂を見究める目が認識の目だといふなら、俺には少し異論がある。俺ほど認識の目を休みなく
働らかせ、俺ほど意識の寸刻の眠りをも妨げて生きてきた男は、他にゐる筈もないからだ。
絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。
三島由紀夫「天人五衰」より 意志とは、宿命の残り滓ではないだらうか。自由意志と決定論のあひだには、印度の
カーストのやうな、生れついた貴賤の別があるのではなからうか。もちろん賤しいのは
意志のはうだ。
……それにしても、或る種の人間は、生の絶頂で時を止めるといふ天賦に恵まれてゐる。
俺はこの目でさういふ人間を見てきたのだから、信ずるほかはない。
何といふ能力、何といふ詩、何といふ至福だらう。登りつめた山巓の白雪の輝きが目に
触れたとたんに、そこで時を止めてしまふことができるとは! そのとき、山の微妙な心を
そそり立てるやうな傾斜や、高山植物の分布が、すでに彼に予感を与へてをり、時間の
分水嶺ははつきりと予覚されてゐた。
……詩もなく、至福もなしに! これがもつとも大切だ。生きることの秘訣はそこにしか
ないことを俺は知つてゐる。
時間を止めても輪廻が待つてゐる。それをも俺はすでに知つてゐる。
透には、俺と同様に、決してあんな空怖ろしい詩も至福もゆるしてはいけない。これが
あの少年に対する俺の教育方針だ。
三島由紀夫「天人五衰」より 「洋食の作法は下らないことのやうだが」と本多は教へながら言つた。「きちんとした作法で
自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。一寸ばかり育ちが
いいといふ印象を与へるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』と
いふことは、つまり西洋風な生活を体で知つてゐるといふだけのことなんだからね。
純然たる日本人といふのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。これからの日本では、
そのどちらも少なくなるだらう。日本といふ純粋な毒は薄まつて、世界中のどこの国の人の
口にも合ふ嗜好品になつたのだ」
さう言ひながら、本多が勲を思ひうかべてゐたことは疑ふべくもない。勲はおそらく
洋食の作法などは知らなかつた。勲の高貴はそんなこととは関はりがなかつた。だからこそ、
透は十六歳から洋食の作法に習熟すべきだつた。
三島由紀夫「天人五衰」より 世間が若い者に求める役割は、欺され易い誠実な聴き手といふことで、それ以上の
何ものでもない。相手に思ひきり喋らせることができればお前の勝ちなのだ。それを片時も
忘れてはいけない。
世間は決して若者に才智を求めはしないが、同時に、あんまり均衡のとれた若さといふものに
出会ふと、頭から疑つてかかる傾きがある。お前は先輩を興がらせるやうな或る無害な偏執を
持つべきだ。機械いぢりとか。野球とか、トランペットとか、なるたけ平均的抽象的で、
精神とは何ら縁のない、いはんや政治とは縁のない、それもあんまり金のかからない道楽をね。
それを発見すると、先輩たちは、お前の余剰エネルギーのはけ口が確認できて、安心するのだ。
それについては多少大袈裟に自負心を示してもいい。
高校に入つたら、勉強の邪魔にならぬ程度のスポーツもやるべきで、それも健康が表面に浮いて
見えるやうなスポーツがいい。スポーツマンだといふと、莫迦だと人に思はれる利得がある。
政治には盲目で、先輩には忠実だといふことぐらゐ、今の日本で求められてゐる美徳は
ないのだからね。
三島由紀夫「天人五衰」より ――大人しい透に向つて、かうして執拗に説き進めながら、いつしか本多は、目の前に
清顕と勲と月光姫を置いて、返らぬ繰り言を並べてゐるような心地にもなつた。
彼らもさうすればよかつたのだ。自分の宿命をまつしぐらに完成しようなどとはせず、
世間の人と足並を合せ、飛翔の能力を人目から隠すだけの知恵に恵まれてゐればよかつたのだ。
飛ぶ人間を世間はゆるすことができない。翼は危険な器官だつた。飛翔する前に自滅へ誘ふ。
あの莫迦どもとうまく折合つておきさへすれば、翼なんかには見て見ぬふりをして貰へるのだ。
のみならず、
『あの人の翼はあれはただのアクセサリーですよ。気にすることはありません。附合つてみれば、
ごくふつうの、常識的な、信頼できる人ですからね』
とあちこちへ宣伝してくれるのだ。かういふ口伝ての保証はなかなか莫迦にならない。
清顕も勲も月光姫も、一切この労をとらなかつた。それは人間どもの社会に対する侮蔑でもあり
傲慢でもあつて、早晩罰せられなければならない。かれらは、苦悩に於てさへ特権的に
振舞ひすぎたのだつた。
三島由紀夫「天人五衰」より しかし自殺によつて別段、自分を猫に猫と認識させることに成功したわけぢやなかつたし、
自殺するときの鼠にも、それくらゐのことはわかつてゐたにちがひない。が、鼠は勇敢で
自尊心に充ちてゐた。彼は鼠に二つの属性があることを見抜いた。一次的にはあらゆる点で
肉体的に鼠であること、二次的には従つて猫にとつて喰ふに値ひするものであること、
この二つだ。この一次的な属性については彼はすぐ諦めた。思想が肉体を軽視した報いが
来たのだ。しかし二次的な属性については希望があつた。第一に、自分が猫の前で猫に
喰はれないで死んだといふこと、第二に、自分を『とても喰へたものぢやない』存在に
仕立て上げたこと、この二点で、少くとも彼は、自分を『鼠ではなかつた』と証明することが
できる。『鼠ではなかつた』以上、『猫だつた』と証明することはずつと容易になる。
なぜなら鼠の形をしてゐるものがもし鼠でなかつたとなつたら、もう他の何者でもありうる
からだ。かうしてこの鼠の自殺は成功し、彼は自己正当化を成し遂げたんだ。……どう思ふ?
三島由紀夫「天人五衰」より 「ところで鼠の死は世界を震撼させたらうか?」と、彼はもう透といふ聴手の所在も問はず、
のめり込むやうな口調で言つた。独り言と思つて聴けばいいのだと透は思つた。声はものうい
苔だらけの苦悩を覗かせ、こんな古沢の声ははじめて聴く。「そのために鼠に対する世間の
認識は少しでも革まつたらうか? この世には鼠の形をしてゐながら実は鼠でない者が
ゐるといふ正しい噂は流布されたらうか? 猫たちの確信には多少とも罅が入つたらうか?
それとも噂の流布を意識的に妨げるほど、猫は神経質になつたらうか?
ところが愕く勿れ、猫は何もしなかつたのだ。すぐ忘れてしまつて、顔を洗ひはじめ、それから
寝ころんで、眠りに落ちた。彼は猫であることに充ち足り、しかも猫であることを意識さへして
ゐなかつた。そしてこの完全にだらけた昼寝の怠惰のなかで、猫は、鼠があれほどまでに熱烈に
夢みた他者にらくらくとなつた。猫は何でもありえた、すなはち偸安により自己満足により
無意識によつて、眠つてゐる猫の上には、青空がひらけ、美しい雲が流れた。風が猫の香気を
世界に伝へ、なまぐさい寝息が音楽のやうに瀰漫した……」
三島由紀夫「天人五衰」より 老人はいやでも政治的であることを強ひられる。七十八歳はたとへ体のふしぶしが痛くても、
愛嬌を見せ、上機嫌であることによつてしか、無関心を隠すことができない。本当の大前提は
無関心だつた。この世界の莫迦らしさに打ち克つて生きのびるには、それしかなかつた。
それは終日波と雑多な漂流物とを受け入れる汀の無関心だつた。
お追従とおちよぼ口に囲まれて生きるには、まだ自分にすりへつた圭角が残つてゐて、些かの
邪魔をする、と本多に感じられることもあつたが、それも徐々になくなつた。あるのは圧倒的な
莫迦らしさだけで、卑俗が放つ匂ひは混和されて、すべて一ト色になつてゐた。この世には実に
千差万別な卑俗があつた。気品の高い卑俗、白象の卑俗、崇高な卑俗、鶴の卑俗、知識に
あふれた卑俗、学者犬の卑俗、媚びに充ちた卑俗、ペルシア猫の卑俗、帝王の卑俗、乞食の卑俗、
狂人の卑俗、蝶の卑俗、斑猫の卑俗……、おそらく輪廻とは卑俗の劫罰だつた。そして卑俗の
最大唯一の原因は、生きたいといふ欲望だつたのである。本多もその一人にはちがひなかつたが、
人とちがつてゐるのは自他に対する異様に鋭い嗅覚だけだつたらう。
三島由紀夫「天人五衰」より 何かを拒絶することは又、その拒絶のはうへ向つて自分がいくらか譲歩することでもある。
譲歩が自尊心にほんのりとした淋しさを齎(もた)らすのは当然だらう。僕は愕かない。
ところでこの世は不完全な人間の陽画(ポジティブ)に充ちてゐる。
百子は、急に食欲を失くした飼禽を見るやうに、心配さうに僕を見つめてゐた。彼女は幸福は
大きなフランス・パンのやうにみんなで頒つことができるといふ、低俗な思想に染つてゐたので、
この世に一つ幸福があれば必ずそれに対応する不幸が一つある筈だといふ数学的法則を
理解しなかつた。
僕は人の行かぬ一角を求めて、寝覚め滝のそばへ下りた。小滝は涸れ、滝の落ちる池は澱んで
ゐるのに、水面がたえずちり毛立つてゐるのは、無数のあめんばうが水面を縫つて、あたかも
糸の引きつれのやうな紋様を描いてゐるからだつた。
感情さへ持たなければ、人間はどんな風にでも繋り合ふことができるのだ。
三島由紀夫「天人五衰」より 僕は雪崩る。
雪が僕の危険な断面を、あまりに穏和なふりをして覆つてゐるのに、いや気がさすから。
しかし僕は自己破壊とも破滅とも縁がない。僕がこの身から振ひ落し、家を壊し、人を傷つけ、
人々に地獄の叫喚を上げさせるその雪崩は、ただ冬空がかるがると僕の上へ齎らしたもの、
僕の本質とは何の関はりもないものだからだ。しかし雪崩の瞬間に、雪のやさしさと、僕の
断崖の苛烈さとが入れかはる。災ひを与へるのは、雪であつて、僕ではない。やさしさであつて、
苛烈さではない。
ずつと昔から、自然の歴史のもつとも古い時点から、僕のやうな無答責の苛酷な心が
用意されてゐたのにちがひない。多くの場合は、岩石といふ形で、その至純なものが
すなはちダイアモンドだ。
しかし冬の明るすぎる日は、僕の透明な心にさへしみ入る。何ものも遮るもののない翼を
わが身に夢みながら、僕の人生では何事も成就するまいといふ予感にとらはれるのは
かういふ時だ。
僕は自由を得るだらう。が、それは死とよく似た自由にすぎない。この世で僕が夢みたものは
何一つ手に入るまい。
三島由紀夫「天人五衰」より 僕の明晰を見ると、すべての人間が裏切りの欲望を感じるだらう。僕ほどの明晰を
裏切ることぐらゐ、裏切りの勝利はないからだ。僕に愛されてゐないすべての人間が、
僕に愛されてゐると信じ切つてゐるだらう。僕に愛された者は、美しい沈黙を守るだらう。
世界のすべてが僕の死を望むだらう。同時にわれがちに、僕の死を妨げようと手をさしのべる
だらう。
僕の純粋はやがて水平線をこえ、不可視の領域へさまよひ込むだらう。僕は人の耐へえぬ苦痛の
果てに、自ら神となることを望むだらう。何といふ苦痛! この世に何もないといふことの
絶対の静けさの苦痛を僕は味はいつくすだらう。病気の犬のやうに、ひとりで、体を慄はせて、
片隅にうづくまつて、僕は耐へるだらう。陽気な人間たちは、僕の苦痛のまはりで、
たのしげに歌ふだらう。
僕を癒す薬はこの世にはなく、僕を収容する病院は地上にはないだらう。僕が邪悪であつたと
いふことは、結局人間の歴史の一個所に、小さな金色の文字で誌されるだらう。
三島由紀夫「天人五衰」より そのまま老人は同じ歩度で遠ざかつた。老人自身は気がつかなかつたのではないかと思ふが、
家の門をすぎて五米ほど行つてから、大きな墨滴を落したやうに、外套の裾から何かが
雪の上に落ちた。
黒い、鴉らしい鳥の屍骸が落ちてゐた。九官鳥だつたかもしれない。僕の耳にさへ、瞬間、
ばさつと、落ちた翼が雪を搏つやうな音がきこえる錯覚さへあつたのに、老人はそのまま去つた。
そこで永いこと、まつ黒な鳥の屍が僕の難問になつた。その位置はかなり遠く、前庭の梢に
遮られ、しかもふりしきる雪がものの影を歪めてゐるので、いくら瞳を凝らしても、目が
確かめる力には限りがあつた。双眼鏡でも持つて来ようか、それとも外へ出て行つて
確かめようか、といふ考へにとらはれながら、何か圧倒的な億劫さに制せられてゐて、それが
できなかつた。
何の鳥だつたらう。あまり永く見詰めてゐるうちに、その黒い羽根の固まりは、鳥ではなくて、
女の鬘のやうにも思はれだした。
三島由紀夫「天人五衰」より 美女だと信じてゐる絹江も、愛されてゐると信じてゐる百子も、現実を否定してゐる点では
同じだつたが、他人の助力が要る百子に引きかへて、絹江にはもう他人の言葉さへ要らなかつた。
百子をあそこまで高めてやることができたら! それが僕の教育的情熱、いはば愛だつたから、
「愛してゐる」といふことはまんざら嘘でもなかつた。しかし百子のやうに、現実肯定の魂が
現実を否定したがるのは方法的矛盾ではないだらうか。彼女を絹江のやうな、全世界を相手に
闘ふ女にしてやるには、並大抵のことでは行くまい。
しかし「愛してゐる」といふ経文の読誦は、無限の繰り返しのうちに、読み手自身の心に
何かの変質をもたらすものだ。僕はほとんど愛してゐるかのやうに感じ、愛といふ禁句の
この突然の放埒な解放に、心の中の何ものかが酔つてゐるやうにも感じた。下手な初心者の
操縦に同乗して、万一の場合を覚悟せねばならぬ飛行機訓練士に、誘惑者といふものは
いかに似てゐることか。
三島由紀夫「天人五衰」より 九月のはじめ家へかへつたとき、百日紅の満開の花が、そのあたかも白癩の肌のやうに円滑に
磨き上げた幹に映じたのを見るのを、たのしみにしてゐたのに、いざかへつてみると、
百日紅のない庭があつた。前の庭とはまるでちがつてしまつたその新らしい庭を作つたのは、
他ならぬ阿頼耶識にちがひない。庭も変転する、と感じた瞬間に、別のところからどうしても
制御できない怒りが生じて、本多を叫ばせたのだが、叫んだときから本多は怖れてゐた。
(中略)
「あの木はもう年寄になつたから、要らないんだ」
透は美しい微笑をうかべた。
かういふとき、透は厚い硝子の壁をするすると目の前に下ろすのである。天から下りてくる硝子。
朝の澄み切つた天空と全く同じ材質でできた硝子。本多はもうその瞬間に、どんな叫びも、
どんな言葉も、透の耳には届かないことを確信する。むかうからは開け閉てする本多の
総入歯の歯列が見えるだけだらう。すでに本多の口は、有機体とは何の関はりもない無機質の
入歯を受け入れてゐた。とつくに部分的な死ははじまつてゐた。
三島由紀夫「天人五衰」より 何もかも知つてゐる者の、甘い毒のにじんだ静かな愛で、透の死を予見しつつその横暴に
耐へることには、或る種の快楽がなかつたとはいへない。その時間の見通しの先では、
蜉蝣の羽根のやうに愛らしく透いて見える透の暴虐。人間は自分より永生きする家畜は
愛さないものだ。愛されることの条件は、生命の短かさだつた。
「…でも本当のところ何と思つて?……己惚れていらしたんでせう? 人間つて、自分にも
何かの取柄があるといふことは、すぐ信じたがるものですからね。それまであなたが心に
抱いてゐた子供らしい夢と、私たちの申し出とが、うまい具合に符合したやうな気が
したんでせう? あなたが子供のときから守つてゐたふしぎな確信が、いよいよ証拠を
見せたやうな気がしたんでせう? さうでせう?」
透ははじめて慶子といふ女に恐怖を抱いた。階級的圧迫などはみぢんもなかつたが、多分
世の中には、何か或る神秘的な価値といふものに鼻の利く俗物がをり、さういふ人間こそ
正真正銘の「天使殺し」なのだ。
三島由紀夫「天人五衰」より 人はそれぞれ目的を持つて生きてゐて、自分のことしか考へないのですよ。尤も、一番自分の
ことしか考へないあなたが、ついその点で行きすぎて、盲らになつてゐたのでせうが。
あなたは歴史に例外があると思つた。例外なんてありませんよ。人間に例外があると思つた。
例外なんてありませんよ。
この世には幸福の特権がないやうに、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もゐません。
あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に
美しかつたり、特別に悪だつたり、さういふことがあれば、自然が見のがしにしておきません。
そんな存在は根絶やしにして、人間にとつての手きびしい教訓にし、誰一人人間は
『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、といふことを人間の頭に叩き込んで
くれる筈ですわ。
あなたはそんな償ひの要らない天才だと、自分を思つて来たんでせうね。何か人間世界の上に
泛んでゐる一片の、悪意を含んだ美しい雲のやうに、自分を想像して来たんでせうね。
三島由紀夫「天人五衰」より 精神的屈辱と摂護腺肥大との間に何のちがひがあらう。或る鋭い悲しみと肺炎の胸痛との間に
何のちがひがあらう。老いは正しく精神と肉体の双方の病気だつたが、老い自体が不治の
病だといふことは、人間存在自体が不治の病だといふに等しく、しかもそれは何ら存在論的な
病ではなくて、われわれの肉体そのものが病であり、潜在的な死なのであつた。
衰へることが病であれば、衰へることの根本原因である肉体こそ病だつた。肉髄の本質は
滅びに在り、肉体が時間の中に置かれてゐることは、衰亡の証明、滅びの証明に使はれて
ゐることに他ならなかつた。
人はどうして老い衰へてからはじめてそのことを覚るのであらう。肉体の短い真昼に、耳もとを
すぎる蜂の唸りのやうに、そのことをよしほのかながら心に聴いても、なぜ忽ち忘れて
しまふのであらう。たとへば、若い健やかな運動選手が、運動のあとのシャワーの爽やかさに
恍惚として、自分のかがやく皮膚の上を、霰のやうにたばしる水滴を眺めてゐるとき、その
生命の汪溢自体が、烈しい苛酷な病であり、琥珀いろの闇の塊りだとなぜ感じないのであらう。
三島由紀夫「天人五衰」より 今にして本多は、生きることは老いることであり、老いることこそ生きることだつた、と
思ひ当つた。この同義語がお互ひにたえず相手を謗つて来たのはまちがひだつた。老いて
はじめて、本多はこの世に生れ落ちてから八十年の間といふもの、どんな歓びのさなかにも
たえず感じてきた不如意の本質を知るにいたつた。
この不如意が人間意志のこちら側またあちら側にあらはれて、不透明な霧を漂はせてゐたのは、
生きることと老いることが同義語だといふ苛酷な命題を、意志がいつも自ら怖れて、
人間意志自体が放つてゐた護身の霧だつたのだ。歴史はこのことを知つてゐた。歴史は
人間の創造物のうちでもつとも非人間的な所産だつた。それはあらゆる人間意志を統括して、
自分の手もとへ引き寄せながら、あのカルカッタのカリー女神のやうに、片つぱしから、
口辺に血を滴らせて喰べてしまふのであつた。
三島由紀夫「天人五衰」より われわれは何ものかの腹を肥やすための餌であつた。火中に死んだ今西は、いかにも彼らしい
軽薄な流儀を以て、このことに皮相ながら気づいてゐた。そして神にとつても、運命にとつても、
人間の営為のうちでこの二つを模した唯一のものである歴史にとつても、人間が本当に
老いるまで、このことに気づかせずにおくのは、賢明なやり方だつた。
しかし本多は何たる餌だつたらう! 何たる滋養のない、何たる味のない、何たるかさかさの
餌だつたらう。本能的に美味な餌であることを避けて周到に生きてきた男は、人生の最後の
ねがひとして、自分の不味な認識の小骨で、喰ひついてきた者の口腔を刺してやらうと
狙ふのだが、この企図も亦、必ず全的に失敗するのだ。
ベナレスで本多が見たものは、いはば宇宙の元素としての人間の不滅であつた。来世は、
時間の彼方に揺曳するものでもなく、空間の彼方に燦然と存在するものでもなかつた。
死んで四大に還つて、集合的な存在に一旦融解するとすれば、輪廻転生をくりかへす場所も、
この世のここでなければならぬといふ法はなかつた。
三島由紀夫「天人五衰」より 清顕や勲やジン・ジャンが相次いで本多の身辺にあらはれたのは、偶然といふもおろかな
偶然だつたのであらう。もし本多の中の一個の元素が、宇宙の果ての一個の元素と等質の
ものであつたとしたら、一旦個性を失つたのちは、わざわざ空間と時間をくぐつて交換の手続を
踏むにも及ばない。それはここにあるのと、かしこにあるのと、全く同じことを意味する
からである。来世の本多は、宇宙の別の極にある本多であつても、何ら妨げがない。糸を切つて
一旦卓上に散らばつた夥しい多彩なビーズを、又別の順序で糸につなぐときに、もし卓の下へ
落ちたビーズがない限り、卓上のビーズの数は不変であり、それこそは不変の唯一の定義だつた。
我が在ると思ふから不滅が生じない、といふ仏教の論理は、数学的に正確だと本多には今や
思はれた。我とは、そもそも自分で決めた、従つて何ら根拠のない、この南京玉(ビーズ)の
糸つなぎの配列の順序だつたのである。
三島由紀夫「天人五衰」より 狐はすべて狐の道を歩いてゐた。漁師はその道の薮かげに身をひそめてゐれば、難なく
つかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることがわかつてゐながら狐の道を歩いてゐるのが、
今の自分だと本多は思つた。
『自分は今日はもう決して、人の肉の裏に骸骨を見るやうなことはすまい。それはただ
観念の想である。あるがままを見、あるがままを心に刻まう。これが自分のこの世で最後の
たのしみでもあり、つとめでもある。今日で心ゆくばかり見ることもおしまひだから、
ただ見よう。目に映るものはすべて虚心に見よう』
『劫初から、今日このとき、私はこの一樹の蔭に憩ふことに決まつてゐたのだ』
本多は極度の現実感を以てさう考へた。
自分はすでに罠に落ちた。人間に生れてきたといふことの罠に一旦落ちながら、ゆくてに
それ以上の罠が待ち設けてよい筈はない。すべて愚かしく受け容れようと本多は思ひ返した。
希望を抱くふりをして。印度の犠牲の仔山羊でさへ、首を落されたあとも、あのやうに
永いことあがいたのだ。
三島由紀夫「天人五衰」より 「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに
見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」
「しかしもし、清顕君がはじめからゐなかつたとすれば」と本多は雲霧の中をさまよふ
心地がして、今ここで門跡と会つてゐることも半ば夢のやうに思はれてきて、あたかも
漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去つてゆくやうに失はれてゆく自分を
呼びさまさうと思はず叫んだ。「それなら、勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンも
ゐなかつたことになる。……その上、ひよつとしたら、この私ですらも……」
門跡の目ははじめてやや強く本多を見据ゑた。
「それも心々ですさかい」
これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るやうな蝉の声が
ここを領してゐる。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ
何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……
三島由紀夫「天人五衰」より 皆さんは月に一つぺん位、大きな入道雲を御覧になるでせう。入道雲はおどけた人のやうな顔を
してゐます。あれは、淋しく弟と暮らしてゐるお母さんを笑はせてなぐさめるために、
月に一度来るときには必らずお面をかぶつて来る男の子の姿なのです。
一度あのお面をとつて見たいものですね。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳(推定)「大空のお婆さん」より
悲しみといふものを喜劇によそほはうとするのは人間の特権だ。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「彩絵硝子」より
死のもたらす不在はそのすみずみまでが、あらけない不吉な確信にみたされてゐる。それは
はげしい風のやうにすべてをそのなかに見失はせてしまふ。だがそこからは再びなにものも
生れてはこないのであらうか。それらのおもひでを耕す鍬を人はもう失くしてしまつたので
あらうか。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「青垣山の物語」より
ほんのつまらぬ動機からも、子供にありがちな移り気と飽きつぽさは、なにかおおきな意味を
みつけたがるものでございます。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「祈りの日記」より 恋のはじめといふものは鞦韆(ぶらんこ)の下の花のやうなものである。自分で鞦韆を
うごかしておきながら、花をつむことの難しさに、わざと大きくゆらして花をとりたい気持を
自分自身に隠さうと見栄を張るのだ。
愛情の爆発でない嫉妬といつたら、形式的な虚栄(みえ)の混つたものではないだらうか。
わづかにのこつた薄い愛情からも嫉妬は炎え出すものであるが、愛情が薄ければうすいほど、
その形式的な気持や虚栄が濃くなつてくるものとはいへないだらうか。世の人の、
「最も激しい嫉妬」といふものこそ純粋な嫉妬の姿なのである。
恋敵への嫉妬は帰するところ、盗人への怒りである。恋人への嫉妬はそんな単純なものではない。
寛容と憤怒、失望と敗者の自己嫌悪、その他のあらゆるものが激し合ひ融け合ひ、彼あるひは
彼女の上に注ぎかゝる。
平岡公威(三島由紀夫)14歳「心のかゞやき」より >>135の前
女は愛するだけが最大の幸福だ――何といふ腹だゝしい定理であらう。
いかさま恋といふものは自分の想像も及ばないやうな深いところに現はれて来るものなのである。
真実の恋とは自分では気付かないものなのだ。恋の最初の身振はいささかの無理を伴つて来る。
人々は強ひて、自分の狂ほしい気持をその深い井戸のなかへもつて行かうとする。
恋は保護色であらゆる色のなかにしみいつてゐるものなのだ。すべての女たちのやうに
恋人に対してわれ知らず自分の印象をよく見せようにしてゐる天性が彼女のなかに果して
少しもなかつたか。恋といふものは決して裸かでは為されないものである。身につけあつてゐる
さまざまな鎧がいつか鎧ではなくなつて、それが攻撃の道具となり手引となり、身体の
一部と相手に思はせるやうになるものなのだ。
平岡公威(三島由紀夫)14歳「心のかゞやき」より 儂がまだまだずつと若い頃のことぢや。勿論、こんなに腰も曲つて居らんでな。白いひげなんか、
一つもなかつた時分ぢや。いつ頃のことか忘れて了うたが、その晩は全く妙な夜ぢやつた。
月はうまさうな朧月ぢやつたとおぼえとる。星が沢山々々儂の家の屋根にあつまつての、
まるで話しでもしとるやうぢや。
儂はひよんな事ぢやと思うたから、下駄をつつかけて庭へ出て、一生懸命星を見とつたが、
どうも不思議でならん。それでな、上を見て、ぼんやりしとつた所が、おやおや何と
気味の悪いことぢや、足下の叢から人の声が聞えてござらつしやる。
じーつと見て居つたらの。竜胆(りんだう)の葉のかげで、小人どもが踊つてゐるのぢや。
真中に、角力の土俵のやうなものが有つて、一人が踊ると、踊らん小人らは恰好をなほしたり、
注意したりして、まあ、やかましいのなんのつてお話にならんのぢやが、その中の一人が
こんなことを言ひよつたのぢや。
『今晩“萩ヶ丘”でやる舞踏会はな、十二時きつかり始まるで、それまでによう練習
しとかんといかん』
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「緑色の夜」より なんというたらいゝぢやらうか。
その綺麗なことこと。錦の布の金糸、銀糸をほどいて、それを細う切り、ぱアーつと
散らばしたやうぢや。
気の早い連中がこんなにも多いと見えて、未だ一時間あるのにもう踊りのけいこをしとる。
大分長い間たつた。十二時十分前頃にな。ほれ、珍客どもが揃つてござつたわ。
湖底の洞にすむ竜の背中で暮してゐる小人は、竜のキラキラする鱗をつづつて作つた
甲冑のやうな洋服を着て来居つた。
橄欖(かんらん)の木に居る妖精は、葉の面を剥いで仕立てた、つやのある、天鵞絨
(ビロード)のやうなのを、大きな樹の叉に住まつて山蚕を飼つとる小人は、そのまゆで
こしらへた良い肌ざはりの絹の衣裳を着て来るのぢや。
水晶の沢山ある山に住んどる奴は赤い木の実をつぶして染めた紅衣裳に、水晶の粉を
ちりばめて来たが、まあ、その美しかつたことと云つたら。口では話せんわい。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「緑色の夜」より 祖母は神経痛のために風にあたるのを嫌つたので、障子は悉く閉め切られ、光は殆ど得られなかつた。
わたしは祖父のところへ行き、書籍をよみをはつたのをうかゞつて「おぢいさまはこんなに暖かいのに何故
こたつなんかに這入つていらつしやるの」と言ふと、祖父は小さく笑ひ乍ら私を見た。わたしは炬燵蒲団の上に
細々と砕けてこぼれてゐる正午に近い陽光を指さした。祖父とわたしとでゆつくりと庭へ下りる前にわたしは、
祖母の居間の障子をそうおつと明け放つた。風は草の葉を揺がす程もなく、祖母は徐ろに庭先を眺めた。そこには
新緑が春光に反射されて、さふあいやのやうな光を放ち、庭木は逞ましい腕をさしのべて蒼穹に向つて伸び
行きつゝあつた。その木の間に真赤なひらひらするものが、こまかい枝々をとほして見えた。祖母が何ときいたので、
山椿ですよ、と答へた。まあ、山椿! もう山椿が咲き出す時分になつたかねえ。
平岡公威(三島由紀夫)13歳「春光」より わたしはその下に行つて、手頃な小枝を二三本手折つた。びろうどのやうな不透明な柔かさがしつとりと指先に
吸ひついた。――祖母は女中に一輪差を持つてこさして自分がさし、顔をそうーつと花のそばへ持つて行つた。
葩一枚一枚には、春光がすつかりしみ込んでゐた。祖母の面(おもて)は、眼(まなこ)は俄かに若々しくなり
再び一輪差の中からそれをとり出していつまでももてあそんだ。
祖父は涼亭(ちん)へ行つて了つたので、わたし一人芝生の上にとりのこされた。芝の匂ひはむせるやうに
激しくて、一匹の蟻がよたよたと嬰子のやうな恰好して歩いて来た。怪我をしてゐるらしかつた。わたしは急に
いとほしくなり、そうおつと掌にのせてやつて蠢(うご)めいてゐる小さな生物の生命のよろこびをたのしんだ。
祖父は涼亭の石段をことことと下りて来た。
平岡公威(三島由紀夫)13歳「春光」より 三島由紀夫のレター教室。
セクースのお誘いの手紙が妙にエロくてなまなましくて良かった。 「やあ子」が泊りに来るときはその八畳の中央に床をならべた。康子の「す」の音がうすつぺらな感じを与へるので、
「やあ子」といふ彼女の撫肩そつくりな発音の愛称を、私は好いた。風呂から上るとこの小さな女の子は、洋服を
きちんと畳んで枕許におくので、おまんはそれを模範として私にも所謂「いゝ癖」をつけさせようとした。
癪にさはつて私がいふのである。
「お床にいれる方があつたかくなるからボクがいれてあげよう、やあちやん」
気のいゝ彼女はこの親切にさからへない。翌朝、私の床のなかに筋目も何もなくなつたしわくちやな洋服を
見出だして、おまんは憤慨し、やあ子は泣き出すのだつた。
大人つぽく肱で頬つぺたを支へながら、やあ子は心臓を下にし、私は左肩を上にして向ひあひ、お互に床ふかく
埋つて千代紙みたいな会話を交はした。それは千代紙のやうに稚拙な色をもち、金粉をかけ、皺がより、断片的な、
子供特有のあの会話の型式なのだ。私は「天井の木目」がこはくなくてすむところから、かうした夜々を好きに思つた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より ひどく心配さうな目附で彼女が云ふのである。「沙漠のね」
「沙漠の?」
「なんだつたかしら」
「え?……」
「ラクダにのつかつて」
「隊商!」
「隊商がね、ラクダでザックザックつてくるでせう。その音がとほくからきこえるの」
「ほんたう?」
「やめようとおもつてもきこえるの。上をむくときこえないけれど枕を耳にあてるときこえてよ。近くなつて
くるわよ、だんだん」
「きこえない」
「あらへんね。やあ子とおんなじ方むいたら?」
「きこえない」
「へんね、やあ子ずつときこえてゝよ。また近くなつた……こはあーい」
さう云ふなり彼女は耳をおさへて私の床へはひつてきた。私は強がらないわけにはいかなくなり、
「大丈夫」とおまんの口真似をするのだつた。
その幻聴はやあ子の貧血の前駆症状だつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より 玩具をみるときの子供の目つきは、ちやうど美しくめづらしい石をみつけたときの原始人の目付に似てゐる。
子供が大人からその玩具の使用法をおそはつて暫く無意識に何度もねぢを廻しては殆ど目的のぼやけた「興味」を
傾けたのち、はじめて子供はその玩具の本当の使用法を知るに到るのだ。玩具は玩具函のなかにあるものではない。
玩具は子供のなかにゐるものなのだ。母親たちはわづか二、三日でその玩具の機械(からくり)をまはさなく
なつた子供に悲観してはならない。玩具がもつてゐる不変の機械作用は、ほんの外面のものに過ぎないのだ。
玩具を了解する瞬間に子供にとつてそれは有形のものではなくなり、無形の抽象物……即ち消極的に生活の一部を
支配し、ある重要なつとめを有(も)つものと変る。かくして私のまはりの透明体の城壁の一部――それを
見透かすときあらゆる生物が植物のやうにみえ、あらゆる事物が不自然に拡大されてみえる城壁の一部として、
その玩具があらたに加はつたのを、私はすぐさま感じた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より 召使たちの別棟は、塀近い御長屋風の二階建で、おまんは塀へむいた二階の二間を占有してゐた。私の部屋の傍から、
長い覆附の渡廊下が、その棟に続いてゐた。祭の日に行列の通る時刻を予め問ひ合はせ、その半時ばかり前から、
おまんが私を迎ひに来るのだつた。これといつて刺戟のない日々に引き比べて、その前の晩、私はなかなか
ねつかれなかつた。ことにおまんが自分の部屋を「仕度し」にいつてゐる小一時間、私はひとりでそこへ行つて
了つてはつまらない気がするので、あのお年玉を待つときそつくりな気持でおまんの迎ひを待ちこがれてゐた。
倦怠と焦慮の様子は、両者とも時間をもてあましてゐる点で大へんよく似てゐるものである。(中略)
おまんの袖に抱かれるやうにして、「御前様にみつかりなさると大変でございますよ」いふおまんの声に
せきたてられて、一気に駈けぬける廊下は長かつた。杜鵑花(さつき)の植込の、非常に赤いのが目に残つた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より 几帳面で綺麗好きなおまんは、自分の部屋へ私が来るといふので、女の部屋特有な調度類は皆片附けて、隅々まで
掃除したうへ、道路に面した窓を一杯にあけはなしておいてくれた。なかんづく懐かしかつたのは、その時
用意してくれるウエファースだつた。ふだんの「お茶」にはウエファースなぞあまりつかないのに、祭のたびに
おまんが揃へておいてくれるのは決つてウエファースだつた。それも子供じみた秘密な儀式の、たのしい
「しきたり」の一つになつた。
私は窓ぎはにちよこなんとすわつて、祭のさきぶれの、ひどくあけつぱなしな雑踏をながめながら、うすい
九重(ここのへ)に頻りにウエファースをひたしては喰べてゐた。さうしてゐる私は、また自分の背中いつぱいに
注がれてゐる、いとしくてたまらないといふおまんの目附をあたゝかく感じて幸福に思つた。
疎らな竹藪と丈の高いひばの並木は街道のざわめきをよく見せた。裏二階はどこも開け放され、物干は満員だつた。
乾物のいろどりの間に、人の顔がいつぱい詰つてゐるのがゴシック模様のやうだつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より 焼けた河原から河原へ大きな橋がかゝつてゐて、その下を清い多摩川の流れが、昨日の雨に水量を増して大速力で
走つて居ました。
私も河の中を海へ海へと走つてゐました。ところが“流れ”は私達“水”を海へ運んで行きはしませんでした。
陽はかんかんと照りつけて、私達の冷たい体も、ぽかぽかとあたゝかくなりました。両側の河岸では、麦藁帽子を
被つた人々が、呑気さうに、けれども如何にも暑さうに釣をして居ました。白いペンキで塗つた新らしいボートが
するすると水面をすべつて行くのも気持のよいものでしたが、古い昔からの渡船がのんびりと、ろを動かし動かし、
眠さうに走つて行くのも何となくいゝ気持になりました。
やがて、私達はごうごうといふ音を立てゝ、何やら暗い所へ入つて了ひました。
これは、かねがね噂に聞いた“海”といふものではなささうでした。第一、しほつからくもありませんし、
《常に頭の上にある》と云ふ太陽さへ、今はどこにも見出だせません。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より 体が何度か上へ押し上げられ、激しく落とされました。随分長い時間でしたが、やつと日の目を見ることが出来ました。
そこは、浄水池といふところでした。けれども、暫くの間でまた暗い暗い道に入らねばなりませんでした。
道は私達の前居た多摩川とは比べものにならない程窄(せま)くて、ひどく曲りくねつてゐるものですから、
体のもまれやうが大変でした。
やがて妙な音がして私達の体がぐぐつと押し上げられました。
そして、せまい器の中へ納まりました。
さて私達が浄水池へ行つて体を見た時にはあんなにすきとほつて美しかつたのが、今、水道の口金から出て、
器へ入つた拍子に、真白で、すきとほらなくなつて了ひました。
それは、お米をといでゐる女中さんが、お釜の中へ私達を入れたのでした。その為、ぬかにそまつてこんなに
なつて了つたのです。
私は絶えず掻きまはしてゐる女中さんの手の間から、台所の中を見まはしました。向側に瓦斯があつて、薬鑵が
のつかり、白い湯気を一杯出してゐました。私が湯気と云ふものを見たのは、これが始めてでした。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より 面白くなつて一生懸命覗いてゐますと、すぐ私達を、じやあつと捨てゝ了ひました。
捨てられた私達(水)は、白い体のまゝいやな臭ひのする下水へと急がねばなりませんでした。下水には、
黒い大きな泥溝鼠が、我物顔に走つてゐました。
泥溝鼠は新入の私達を迎へて、私達の流れる速さと同じにかけながら、白い私に話しかけました。
「君は多摩川で、鼠の死んだのを見かけなかつたかね」
私は多摩川をそんな汚ない所に思はれるのがいやでしたので、返事をしないで居ましたが、彼は更に云ひました。
「実は僕の弟が、三人とも居なくなつて了つたのでね」私達はそれを聞いて、少し可哀さうになつたとは云ふものゝ、
この下水と多摩川とがつながつてゐるやうに考へてゐる泥溝鼠を可笑しくもなりましたので「そのうちに、
さがし出して上げませう」と云つて別れました。
やがて下水は、大きな深い穴で終りました。そしてまた、暗い鉄管の中を通つて行きました。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より 闇の中にぽつんと明るい点が見えたと思つたのは、嬉しいこと、河へ注いでゐる出口でした。私達の流れは急に
早くなりました。そしてボシャンといふ音を立てゝ川に落ちこみました。
川は広かつた。そして水はきれいでした。ゆるやかにゆるやかに私達は動き、そして、ふつと自分の体を見たら、
多くの水が混り合つて、すつかり元のやうに美しく透通つてゐたではありませんか。
それからの毎日毎日は楽しい時がつゞきました。
ある時はかはいゝ鵞鳥の子が大勢で泳ぎました。
又、小さな子供が笹舟を、そのやはらかい紅葉(もみぢ)のやうな手で作つて、そつと水に浮ばせたときも
ありました。私はさゝぶねを乗せて、ごくゆつくりと歩いてあげました。
小さな子供は、赤いほゝをしてゐて、それはそれは可愛く、さゝぶねが流れるのを追つて面白さうにかけました。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より それは春のことでした。いつの間にか河底で生れた鮎の子は、元気にかろやかに泳ぎました。河辺には荻が茂つて、
私達はするすると、荻の間を進みました。
やがて朝の霧がうすくうすくわからないやうにはつてゐる向うに、土も、それから樹も、丘も山も何も見えないのに
気付いたのです。
そして、なんとなくしほつからくなつて来たやうに思へます。
海へ出たのでした。私は、あんなに多摩川からすぐ海へ行つた友達をうらやましがりましたが、海へ出るのに
こんな方法もあつたのでした。
春の日は、水面、もう海面である私達の頭に、金色のこてをあてました。こてにかゝつた髪のうねりは次第に
高まつて、始めて知つた波となつて、白砂の浜にうちつけました。
私は、気持よく、ゆりかごにのつたやうに、波打つてゐたのです。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より 川端やお堀端やどれもこれも同じ顔立をしてゐるところがふるさとのかなしい人々を思はせるゆがんだ軒並や、
築泥や舟板塀だのに沿うて走つてゐる電車は、ハンドルをまはしつゞけると何度も同じ汽車が鉄橋のうへに
出てくるあの玩具にも似て、かうした退屈な町ではどの電車も一台だと信じてうたがはぬだらうと思はれるほど、
みな同じにいたましくペンキが褪せ、いつしんにはしつてゐた。お客の影は、ものゝ二三人しかみえない。
凸凹なみどりのシイトが、まのびした長さでひろがつてゐる。わたしはかうした町へきてふるい空々(ガラガラ)な
電車にのるたびに、もう何年もあはぬなつかしい人にあへるやうな気がしてならない。稚ないころすでに
としとつてゐたそれらの人たちは、あるひはもうこの世にゐないのかもしれないけれど、昔よりもつと若い、
さうして古風な皃立(かほだち)に地味な小紋の着物をきた束髪の姿で、おせんかなにかの土産包を片手にしながら
よろよろと急な乗降口を、のぼつてくるやうな気がしてならない。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より 髪を高い「行方不明」に結ひあげたあの上品な吃りのお婆さんは、祖父時代の芸者あがりの富士見町の秋江さんは、
それからいつも植木をみやげにもつてくる昔道楽ものでならしたといふへうきんな小父さんは、いつたいどこへ
行つてしまつたのだらう。聞かぬ名前のひつそりとした停留所を、わき目もふらず電車がすぎてしまふと、
その停留所ちかくの町の一廓にあゝいふ人々の表札がのきごとにかけつらねてあるやうな気がする。生垣や
ひくい板塀ごしに、さういふひとたちのひいてゐるもう拙なくなつた三味線の音が、なにかおどけたものゝやうに
きこえてきはしないか。……だがその停留所をすーつとすぎてしまつたことに、悔いやのこり惜しさを感じつゝも、
何だかそれをみきはめずにおいたことが、ひどく安心なやうな気持がうまれてくる。と、それにしたがつて益々
つよい色彩でさうした空想がにじみ出てくるのであつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より ひとむかしまへ西片町時代の奉公人であつたのが、すこしへんになつて暇をやつてからといふもの、ちかごろは
大分よくなつたと毎年々々たづねてくるその男に、幼な心にも「まだヘンだ」といふ気持をすぐかんじた。
勝手口から女中連を大声でからかひながら、それでも小綺麗な唐草の棉風呂敷片手にはひつてきて、奥へ挨拶に
ゆくまではよいのだが。……
「けふらは大奥様のお好きな枝豆をうんともつてめえりやした」といふ。この寒さに枝豆もないものだと祖母が
おもつてゐると、すばやく兼さんは包をあけひろげてゐた。中味といふのが汚ない菜つ葉と小如露と、子供の
バイである。みるなり「そらいつもの兼さんがはじまつた」と祖母と女中が笑ひくづれるのへ「ほうれ女房め
いれまちがひしよつたわい」と頭をかきながら一旦調子をあはせるものゝ、またすぐけろりとして十五、六分
話しこんだすゑ、ふいにかへつてゆくのであつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より 落語の「堀之内」を地でゆくやうだと、奉公人たちは笑ひあつたが、その兼さんも、「死んだ」といふあやふやな
風聞(うはさ)ばかりのこして、祖母の死後つひぞ姿をみせなくなつてしまつた。
どこの河畔の何町だかすつかりわすれたあひかはらずガラ空きの電車に足をふみいれてぎくりとした。
古半纏(ふるはんてん)の兼さんがこつちむきにすわつてゐるのだ。妙なことにひとのかほさへみれば
「坊ッさ、大きなられましたなあ」と大声でいふ筈のが、目の前にみてゐながら声ひとつかけようとしない。
大体目のピントがすつかりはづれてゐるのだ。少々頬のあたりなど狂暴でうすきみわるかつた。前歯が一本
戸まどひして、唇の間からたれてゐた。胃癌になつた鷄といふ感じがした。車掌が前をとほると首にぶらさげた
合財袋から無意識的に小銭をとりだす。なれつこになつてゐるとみえて車掌はつりを袋のなかへおしこんだ。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より 終点で下車してわたしはしばらく尾(つ)けてやらうとおもつて、ちやうど同じ方向であるのをさいはひに川端を
あるいていつた。川に映つた空のなかには燻製のやうな太陽がいぶつて流れてゐた。空にうつつたその川のやうに、
曇天のなかにひときは濃い、ひとすぢの雲が澱んでゐた。半纏を柳と平行になびかせてうつむきながら狂人は
あるいた。それがふいに立ち止つたのでわたしはびつくりした。
川のなかをそはそはのぞきこんでゐる。
ときふに膝をたゝいて廻れ右をして、おどろくわたしを尻目にもかけず、すたすた目のまへをすどほりし、
折から今来た方向へ走つてゆくかへりの電車にとびのつて了つたのである。この一幅のカリカチュアのなかの自分に
苦笑してふりかへつたわたしの視界を、電車はいつもの暗い音をひゞかせながら、不器用にとほのいて行つた。……
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より お父さんが大阪へ転任したので、それからちよいちよい関西旅行をするやうになつたある夏のこと、お父さんは
わたくしをお役所へつれていつてくれました。仔熊をみたいとせがんだからです。その仔熊は――若しおぼえて
いらしたら、大阪の新聞や、その社のコドモニュウス映画で、ごらんになつた方々も、ずいぶん多い筈だと思ひます。
お父さんは仔熊をうつした写真を、よく東京へもつてきました。お役所の女のひとだのお父さんだのが、
眩しいやうなコンクリイトの空地のうへで、熊にお菓子をやつてゐるところでした。さうしてどの写真の熊も
チンチンをして一寸首をかしげて、まだ小つぽけな両手の爪を、全部だらしなく出してゐました。
赤か、それとも派手な模様のリボンを、首につけてやりたいやうでした。
お役所のAさんは話してくれました。
「あんまり深い山でも有名な山でもありませんけど、大阪近県の山おくで、きこりが木をきつてゐたのです。
するとどつかで、コリッコリッといふ音がしてきました。…
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より (中略)
ふいに明るいところへ来て眩しかつたものか、目をしよぼしよぼさせた仔熊が、耳だのあるかないかわからないほどな
尻尾だのをぴくぴくうごかして、両手でつかんだきいろい木片をコリッコリッと噛みながら出てまゐりました。
さきほどからの音はこの音だつたんです。
おいしくもなさゝうなその木片を、さも大事さうにカジつたりシャブつたりなめたりしてゐるのをみると、
きこりはかはいらしくつてふきだしさうになる一方、大へんかはいさうにも思ひました。きつとたべるものが
なくなつたので空きぬいたお腹をだますために、そんなものをかじつてゐたのに相違ないのです。きこりは熊を
抱き上げました。すると真暗な、小さな革コップをかぶせたやうな鼻先を、しきりにきこりのえりだのふところだのに
つつこみました。手を出してやるとふんふんといひながら、ふざけるつもりか喰へ物と思つたのか、そつと
やはらかく指をかみます。
ありあはせの縄で傍らの木にひとまづつないでおき、お弁当なんぞを分けてやつたのち、仕事がすむとそれを抱へて、
村里へ下りてゆきました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より (中略)
営林署の大竹さんがあるいてきました。
『へ、だんな熊ッ子です』ときこりは、いちぶしじゆうつかまへた話をしました。どれどれとわらひながら
大竹さんは熊を抱かうとして手をのばしました。すると口にくはへてゐた煙草をおとしてしまひました。大竹さんが
ちよつと惜しさうにしてそれをみますと、熊も心配さうな顔をして、自分が落し物をしたやうに下をみました。
大竹さんはアハヽハと笑ひました……」
Aさんはそこまで話して自分もをかしさうに笑ひながら、
「営林署でゆづりうけてそれから大阪の、この営林局へつれてこられたんですよ……」といひました。
背のひくい女のひとゝAさんとの案内で、わたくしは熊を見に行きました。廊下の両側にはタイプライタアの音が
つつかゝるやうにやかましく響いてゐました。(中略)
小さいドアをあけて二三段下りると、地べたへぢかの屋根付廊下がまはりを囲み、バラックがみえてゐて、
ちよつとペンキの匂ひもする、一面セメントのたゝきのやゝ広い場処へ出ました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より 仔熊はそのはじつこの岩乗な檻のなかでオォン・ウォンとないてゐました。営林局へ来てからといふもの世話を
一ト手に引き受けていちばん懐かれてゐる小使さんが、わたくしたちを待つてゐました。(中略)
やがて小使さんが小さな金だらひに御飯でつくつた糊をたんといれたのをもつてきて、をりの戸をあけますと、
熊はなれなれしく小使さんにすりつきました。それをいれてやるとみるまにパクパクたべてしまひましたが、
いよいよ手が要用になつて前脚でたらひを抱へ、顔をすつかりつつこんで隅から隅まできれいにしてしまひました。
お食後には林檎をひとつやりました。一寸爪先で皮をむくやうなまねをしましたけれども、思ひ直したやうに
ガブリとかみついて芯から何からみなたべてしまひました。
「熊を出しませう」と小使さんが云ひました。わたくしはもうちつとも熊がこはくなくなつてゐましたから、
ニコニコ笑ひました。
「あんよはお上手」なんぞと言はれながら小使さんに前脚を持たれると熊は困つたやうな顔をして立つたまんま
危なつかしげに出てきました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より 足の裏のぶよぶよした灰色が、そのとき日に光つてまつしろに濡れてみえました。鎖をつけて小使さんが引つぱつて
あるきました。
「また梯子のぼりさせようぜ」と云つて別の小使さんが梯子をもつてきて屋根にかけました。満腹で御機嫌に
なつたので、熊は云ふとほりになりました。ウヴォオンと呟やいて梯子のまへにチンチンすると、屋根のうへの方を
まぶしげに眺めながら、手招きしつづけてゐるやうな前脚をそつと梯子にかけ、それからはすらすらと三四段
上りました。
もうそれ以上はのぼれないとわかると熊は恨めしさうにトタン屋根のまぶしい反射を見上げて、かへりはひどく
用心ぶかく下りてきました。
……そのときむかうの出口から給仕さんがやつてきました。「お父さんがお呼びですよ」
……わたくしは何度も何度も熊のはうを見ながら、のこりをしさうにその扉の前の段段を上つてゆきました。
熊はねぶられたやうな眩しい目付をして一寸わたくしを見ましたが、なんだつまらないと云つた顔付で、また
むかうを向いて歩いて行きました。……
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より (中略)
あるときお父さんが大阪からかへつてきて夕食のときに申しました。
「あの仔熊は室垣さんとこへ払下げちやつたよ」
「まあ何につかふんでせう、まさか毛皮にするんぢやないんでせうね」とお母さんがいひました。(中略)
室垣さんといふのはお父さんの高等学校時代からのお友達で、温泉の会社をやつてゐました。その会社では
温泉地に宿屋なんぞを経営してゐるのださうで、そんなところへ仔熊は買はれて行つたものとみえます。
「こんどつから大阪行つてもつまんないな」とわたくしが言ひましたらお母さんは、
「熊の毛皮は冬ころしたんぢやないと毛がぬけてだめなんですつて」と別なことをいひ出しました。それをきくと
なんだかあの仔熊はどうしても皮をはがれなけりやならないやうな気がして来て可哀さうで御飯がたべられませんので、
水ばかりのんで流しこんでゐました。
お父さんは新聞に夢中になつて活字のうへにひとつごはん粒をこぼしました……。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より 十二月のなかごろに室垣さんは久し振りにたづねてきました。そしてあしたから××といふ山の温泉へいきませうと
いひました。お正月もそこですごすつもりで、学校が早くお休みになつたわたくしはお父さんと室垣さんとで
さきに行き、妹や弟たちもお休みになつてから、お母さんといつしよにやつてくることになりました。(中略)
駅には宿の番頭さんや二、三人のひとが迎へに来てゐました。鈴蘭灯がつゞいてゐる町をぬけると、そのへんは
大へん静かでした。早くも梅のつぼみがふくらんでゐました。宿はまつしろい谷川をみおろして、古びた土橋の
よこにたつてゐました。
わたくしはお風呂にはひるまへに、熊をみにいきました。
「さあさあどうぞ、こちらですわ」とお女将さんが案内してくれました。いちど玄関においてお客さまにみせて
ゐたのですが、おびえてちゞこまつてばかりゐるので、人の少ないこつちの内庭へ、移したのだといつてゐました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より それは宿屋から渡り廊下でつゞいてゐるお女将さんたちの家の、ごく内輪な庭で、茶梅(ささんくわ)の白と
鴾(とき)いろの花が、落ちついた濃みどりの葉のあひだに、少しちりかけてゐました。文鳥がかつてありました。
三万を棟に囲まれた庭の隅に、営林局のころよりはずつとしやれた檻にいれられて熊はゐました。銅板に彫つた
トミィといふ名札がうちつけてあるところをみると、この仔熊も「トミィ君」になつたとみえます。わたくしが
トミィ、トミィや、と呼びますと、寄つてきて前とおんなじのクスンクスンフンフンをやりましたから、
かはいらしくてだつこしてみたくさへなりましたが、何分大へん大きくなつてゐてかみつかれる心配もなくは
なささうでした。
おかみさんは、
「オヤオヤはじめてン人には見向きもしないのにお坊ちやんばかりには大へんな甘つたれですわ」と云つてゐました。
わたくしがさいしよにそれを見たとき感じたのがほんとになつて、熊は首にまつ赤な絞りの首巻をしてゐました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの
自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて
生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。
*
告白とはいひながら、この小説のなかで私は「嘘」を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰はせる。
すると嘘たちは満腹し、「真実」の野菜畑を荒さないやうになる。
*
同じ意味で、肉まで喰ひ入つた仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は「告白は
不可能だ」といふことだ。
*
私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考へるが、もしかすると
私は詩そのものなのかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから。
三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」より 私は永遠の少年だ。永遠の十六歳だ。どうか私を、私の好きなやうにさせてくれ。その代り私の言ふことを一切
本気にしないでくれ。
*
この醜怪な告白に私は自分の美学を賭けたつもりだ。
*
比喩を用ひる。――私は鏡の中に住んでゐる人種だ。諸君の右は私の左だ。私は無益で精巧な一個の逆説だ。
*
逆手の一つ。――私は自伝の方法として、遠近法の逆を使ふ。諸君はこの絵へ前から入つてゆくことはできない。
奥から出てくることを強ひられる。遠景は無限に精密に、近景は無限に粗雑にゑがかれる。絵の無限の奥から
前方へ向つて歩んで来て下さい。
(中略)
*
私は豹や狼を気取らうといふのではない。私は植物的な人間だ。しかし植物の魂といふものは、ひよつとすると
極めて残忍なものかもしれない。樹木が静かな様子をしてゐるのはそのせゐかもしれない。
*
この本を書かせたのは私の見栄坊な心だ。
三島由紀夫「序文(『仮面の告白』用)」より お伽噺のなかで犬が歌ひ茶碗が物語り草木や花が物を言ふやうに、芸術とは物言はぬものをして物言はしめる
腹話術に他ならぬ。この意味でまた、芸術とは比喩であるのである。物言はんとして物言ひうるものは物言はして
おけばよい。そこへ芸術は手を出すに及ばぬ。それはそもそも芸術の領分ではなく、神が掌(つかさど)る所与の
世界の相(すがた)であるから。――しかし処女は物言はぬ。一凡人の平坦な生涯は物言はぬ。そこに宿つた
平凡な幸福は物言はぬ。ありふれた幸福な夫婦生活は物言はぬ。ありふれた恋人同志は物言はぬ。要するに
類型それ自体は決して物言はない。すぐれた芸術は類型それ自体をゑがかずして、しかもその背後にはもつとも
あり来りの凡々たる類型が物言はしめられてゐることを注意すべきだ。幸福は類型的なるものの代表である。
それゆゑにこそわれわれは過去の芸術のなかに、喜劇と比べて量に於ても質に於てもはるかにすぐれた悲劇を
持つてゐる。してみればロマンティスムの象徴せんとするものは生れ生き恋し結婚し子をまうけ凡々たるノルマルな
生活それ自体に他ならないかもしれない。
三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』について」より ――物言はぬものをして物言はしめる意慾は、自ら物言はぬものとなつては果されぬ。物言はぬもの、それが作品の
素材である。川端康成の生活にはこの素材の部分が全く欠如してゐる。書かれる自我はない。彼の書く手の周囲、
彼の書く存在の周囲に、物言はぬもの、即ち処女や恋人同志や夫婦や、踊子たちがむらがつた。彼らはやさしい
媚びるやうな目でこの詩人的作家をみつめてゐる。彼らは処女が「自ら歌へぬ」存在であることを誰よりも切なく
知悉してゐるこの不幸な作家をみつめてゐる。その限りで、彼らはお伽噺のなかの犬や茶碗に等しい。処女たちは、
踊子たちは禽獣であつた。ここに川端康成の孤独がはじまる。自己の中に存する物言はぬもの(即ち書かれるもの)と、
外界の物言はぬものたちとの、共感や友愛やはたまた馴れ合ひや共謀やは、彼の場合はじめからありえぬことだつた。
三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』について」より (中略)
作品を読むことによつてその内容が読者の内的経験に加はるやうに、一人の女の肉体を知ることはまた一瞬の裡に
その女の生涯を夢みその女の運命を生きることでもある。作品が存在した故に作品の内容が内的体験となつて再び
生の実在に導き入れられるのではなく、生をして夢みさしめ数刻を第二の生のうちに生かしめたが為に芸術作品は
存在しはじめるのかもしれない。してみれば女が先づ在つて運命が存在しはじめるのではなく、われわれが生を
運命として感じ歌ひ描き夢みること、その行為の象徴として女が存在しはじめたのかもしれないのだ。その時
われわれが自らの自我の周囲におびただしい物言はぬ存在を――つまりはわれわれ自身の孤独の投影を――
感じることは、やがて芸術の始源を通して芸術を見、一つの決定された作品としての運命を蝕知することだ。
少くともその瞬間、われわれは川端康成と共に、自己の存在が一つの作品に他ならないことを感じるであらう。
彼の文学を知る道も、この他にはないのである。
三島由紀夫24歳「川端康成論の一方法――『作品』について」より 「学習院の連中が、ジャズにこり、ダンスダンスでうかれてゐる、けしからん」と私が云つたら氏は笑つて、
「全くけしからんですね」と云はれた。それはそんなことをけしからがつてゐるやうぢやだめですよ、と云つて
ゐるやうに思はれる。
川端氏のあのギョッとしたやうな表情は何なのか、殺人犯人の目を氏はもつてゐるのではないか。僕が「羽仁五郎は
雄略帝の残虐を引用して天皇を弾劾してゐるが、暴虐をした君主の後裔でなくて何で喜んで天皇を戴くものか」と
反語的な物言ひをしたらびつくりしたやうな困つたやうな迷惑さうな顔をした。
「近頃百貨店の本屋にもよく学生が来てゐますよ」と云はれるから、
「でも碌(ろく)な本はありますまい」
と云つたら、
「エエッ」とびつくりして顔色を変へられた。そんなに僕の物言ひが怖ろしいのだらうか。
雨のしげき道を鎌倉駅へかへりぬ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「川端康成印象記」より 川端さんの寡黙は有名である。(中略)或る新米の婦人記者が、川端さんを訪問してまづ名刺を出しお辞儀をした。
川端さんは名刺をうけとつて会釈された。婦人記者は用件を切り出す前に、何か世間話をと考へたが、なかなか
思ひ切つてものが言ひ出せない。何か話のきつかけを作つて下さるのを待つほかはなかつた。十分たつた。
川端さんは黙つたままである。廿分たつた。やはり黙つたままである。新米記者は心細くなつて、胸がどきどきし、
冷汗が出て来た。ますますこちらから切り出すのがむつかしくなる。卅分たつた。婦人記者がわつと泣き出した。
すると川端さんは「どうしたんですか」と訪ねられたさうである。
別の話。私がお訪ねしたときにトーストと牛乳が出た。行儀のわるい癖で、トーストを牛乳に浸してたべてゐた。
すると川端さんがちらと横眼でこちらを見て、やがて御自分もトーストを牛乳に浸して口へ運ばれだした。
別段おいしさうな顔もなさらずに。
三島由紀夫24歳「現代作家寸描集――川端康成」より 大体明治以来の作家を、文章に於て、三大別することができる。独創的なスタイルを作つた作家と、体質的な
スタイルを身につけた作家と、人工的なスタイルの作家と三種類である。小説はスタイルばかりで値打が
決るものではないから、俄かにこの三種類の優劣を定めるわけにはゆかないが、第一類の総代が森鴎外で、
ずつと下つて、小林秀雄や堀辰雄がこの系列に入る。第二類の総代が夏目漱石で、武者小路実篤や丹羽文雄や
武田泰淳までがこの系列に入る。第三類の総代が、泉鏡花あるひは芥川龍之介で、横光・川端はほぼこの系列の
作家である。
しかし鏡花と龍之介を一緒に第三類にぶちこむには異論があるにちがひない。事実、この第三類はもつとも厄介な
問題を蔵してをり、人工的な天性をそのまま人工的文体に生かした鏡花のやうな、第二類の変種のやうな作家も
ゐれば、人工的な天性から逆の自然的なスタイルを生み出さうとして苦闘した龍之介もある、といふ風である。
横光はどちらかといふとこの龍之介型、苦闘型であり、川端は、鏡花型、人工的天性型だといへるであらう。
三島由紀夫「横光利一と川端康成」より (引用略)
「機械」のラストの文章である。
故意に句読点と段落を極度に節約し、文脈には飜訳調を故意にとり入れてゐる。すべてが、この小説の主題の
展開にふさはしいやうに作り上げられた文章である。これだけの引用ではわからないが、「機械」一篇を読了して
この結末に来ると、実際「機械の鋭い先尖がぢりぢり」読者を狙つて来るやうに感じられるのである。
われわれは日本人である以上、日本語の文章を書くわけだが、日本語の一語一語が持つてゐる伝統的ニュアンスと
いふものは否定しがたく、多くはそのニュアンスによりかかつて文章を書くわけである。手紙の候文などは
その極端なものであらう。
横光が「機械」の文章で試みた実験は、日本語から歴史や伝統を悉く捨象して、意味だけを純粋につたへるところの
いはば無機質の文章を書くことであつた。右の引用文でも、かういふ試みの極点に達してゐることがみとめられよう。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 一 横光利一」より 明治の哲学者は、ドイツの観念論哲学の用語をそれぞれ飜訳して、該当する漢語を作りだし、それを組み合はせて、
今までにない抽象的な日本文を作つた。ところがさうして作られた言葉も、何十年かたつと、苔が生えるやうに、
日本語としての複雑なニュアンスを帯びてくるから、ふしぎである。
しかしさういふ意味では、「機械」の文章は、今日も日本の歴史の苔のつかないふしぎな乾燥した抽象的性格を
保持してゐる。それはまた題材乃至主題との幸福な出会ひでもあり、横光はかうして作つた文体でいくつかの
短編を書くが、それが彼の固有の文体にまではならないのである。
(中略)横光の到達しえた最もリアリスティックな文章は、したがつて、「機械」の文章――氏の技法上の冒険が、
人間性探求の冒険と、最も無垢に歩調を合はせたときに生れた文章――であるといへよう。
氏の晩年の作品では、「微笑」が傑作と思はれ、又その文章は、青春時代の叙情をよみがへらせたふしぎな
みづみづしさをもつてゐるが、紙数の関係で割愛する。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 一 横光利一」より 横光と比べると、川端康成は自己批評の達人であり、どうにもならない自分の資質に対して、これほど聡明に
身を処して来た人はめづらしい。氏の文章も、それをよくあらはしてゐる。(中略)
氏の文章は、感覚だけでしか、外界とつながらうとしないのである。つまり自分の長所、得手によつてしか。
(中略)
氏の文章を、横光利一のやうに、段階的に分けて見ることはむづかしい。又その必要もなささうに思はれる。
芸術家としての氏にはかつて自己革命といふのがなかつたから、文章にもそれのあるわけがないのである。
かうした事情は、最も幸福な、又、最も不幸な芸術家の宿命である。氏の文章を初期から最近までずつと見て
来た者は、実際、真の芸術家には、自己革命なんてある筈がないといふ奇妙な逆説的確信にとらはれてしまふ。
なるほど、例へが突飛だが、スタンダールにはそんなものはなかつた。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 二 川端康成」より 川端康成の文章の極意は、一行から一行への神秘な転調にあるので、構文そのものにあるのではない。構文
そのものには特色がないことが、私をして、決して独創的な文章ではないと言はしめる所以である。
(中略)
文章といふものには、どんなそつけない散文にも、内的な音楽といふものがある。氏の文章にはそれがない。
これは実におどろくべきことだ。ためしに氏の小説を朗読してみるがいい。たとへば永井荷風の小説などに比べたら、
朗読の快感といふものはほとんどない筈である。
しかし強ひて言へば、この世のものならぬ音楽性といふものはある。それは琴の絃が突然切れたひびきや、精霊を
よび出す梓弓の弾かれた弦の音のやうなものである。氏の小説にたびたび用ひられる頻繁な改行の技巧は、実は
かうした音の突然の断絶の効果ではあるまいか。してみればさういふ改行の配慮は、氏の音楽性に対する配慮と
いへるかもしれない。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 二 川端康成」より 川端さん、新年おめでたうございます。
毎年一月二日には、御年賀に上つて、賑やかな賀宴の末席に連なるのが例ですが、はじめて伺つてから、今年で
もう十年になります。(中略)
それは寒い日で、大塔宮裏のお宅までは、まだバスも通じてゐなかつたころと思ひます。廿一歳の私は、いろいろ
生意気なことを口走つたとおぼえてゐますが、内心はびくびくして、無言に堪へることができなかつたのでした。
失礼なことを申しますが、川端さんが黙つたまま、私をじろじろ見られるので、身のすくむ思ひでありました。
(中略)
いつのお正月でしたか、あまり御酒を嗜(たしな)まれぬ川端さんが、子供のお客たちにまじつて、テレヴィジョン
ばかり見てゐられたのを思ひ出します。テレヴィジョンの画面には、踊り子たちが、寒中、裸の脚をそろへて
上げて、右に左に顔を向けては踊つてゐました。
三島由紀夫31歳「正月の平常心――川端康成氏へ」より 川端さんが名文家であることは正に世評のとほりだが、川端さんがつひに文体を持たぬ小説家であるといふのは、
私の意見である。なぜなら小説家における文体とは、世界解釈の意志であり、鍵なのである。混沌と不安に対処して、
世界を整理し、区劃し、せまい造型の枠内へ持ち込んで来るためには、作家の道具とては文体しかない。
フロオベルの文体、スタンダールの文体、プルウストの文体、森鴎外の文体、小林秀雄の文体、……いくらでも
挙げられるが、文体とはさういふものである。
ところで、川端さんの傑作のやうに、完璧であつて、しかも世界解釈の意志を完全に放棄した芸術作品とは、
どういふものなのであるか? それは実に混沌をおそれない。不安をおそれない。しかしそのおそれげのなさは、
虚無の前に張られた一条の絹糸のおそれげのなさなのである。ギリシアの彫刻家が、不安と混沌をおそれて
大理石に託した造型意志とまさに対蹠的なもの、あの端正な大理石彫刻が全身で抗してゐる恐怖とまさに反対の
ものである。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より (中略)
川端さんのかういふおそれげのなさ、自分を無力にすることによつて恐怖と不安を排除するといふ無手勝流の
生き方は、いつはじまつたのか?
思ふに、これはおそらく、孤児にひとしい生ひ立ちと、孤独な少年期と青年期の培つたものであらう。氏のやうに
極端に鋭敏な感受性を持つた少年が、その感受性のためにつまづかず傷つかずに成長するとは、ほとんど
信じられない奇蹟である。しかし文名の上りだした青年期には、氏が感受性の溌剌たる動きに自ら酔ひ、自ら
それを享楽した時代もあつたことはたしかである。氏がきらひだと言つてをられる「化粧と口笛」のやうな作品では、
氏の鮮鋭な感受性はほとんど舞踊を踊り、稀な例であるが、感性がそのまま小説中の行為のごとき作用をしてゐる。
氏の感受性はそこで一つの力になつたのだが、この力は、そのまま大きな無力感でもあるやうな力だつた。何故なら
強大な知力は世界を再構成するが、感受性は強大になればなるほど、世界の混沌を自分の裡に受容しなければ
ならなくなるからだ。これが氏の受難の形式だつた。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より しかしそのときもし、感受性が救ひを求めて、知力にすがらうとしたらどうだらう。知力は感受性に論理と
知的法則とを与へ、感受性が論理的に追ひつめられる極限まで連れて行き、つまり作者を地獄へ連れて行くのである。
やはり川端さんがきらひだと言はれてゐる小説「禽獣」で、作者がのぞいた地獄は正にこれである。「禽獣」は氏が、
もつとも知的なものに接近した極限の作品であり、それはあたかも同じやうな契機によつて書かれた横光利一の
「機械」と近似してをり、川端さんが爾後、決然と知的なものに身を背けて身を全うしたのと反対に、横光氏は、
地獄へ、知的迷妄へと沈んでゆくのである。
このとき、川端さんのうちに、人生における確信が生れたものと思はれる。(中略)情念が情念それ自体の、
感性が感性それ自体の、官能が官能それ自体の法則を保持し、それに止まるかぎり、破滅は決して訪れないといふ
確信である。虚無の前に張られた一条の絹糸は、地獄の嵐に吹きさらされても、決して切れないといふ確信である。
これがもし大理石彫刻なら倒壊するだらうが。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より かうして川端さんは、他人を放任する前に、自分を放任することが、人生の極意だと気づかれた。その代り
他人の世界の論理的法則が自分の中へしみ込んで来ないやうに警戒すること。しかしその外側では、他人の
世界の法則に楽々と附合つてゆくこと。……実際、快楽主義といふものは時には陰惨な外見を呈するものだが、
ワットオと共に、氏の芸術を快楽的な芸術だと云つても、それほど遠くはなからう。
(中略)
ここまで言へば、冗く言ふ必要もないことだが、川端さんが文体をもたない小説家であるといふことは氏の
宿命であり、世界解釈の意志の欠如は、おそらくただの欠如ではなくて、氏自身が積極的に放棄したものなのである。
(中略)
さういふ川端さんが、完全に孤独で、完全に懐疑的で、完全に人間を信じてゐないかといふことになると、それは
一個の暗黒伝説にすぎないことは、前にも述べたとほりである。氏の作品には実にたびたび、生命(いのち)に
対する讃仰があらはれ、巨母的小説家であつた岡本かの子に対する氏の傾倒は有名である。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より しかし川端さんにとつての生命とは、生命イコール官能なのである。この一見人工的な作家の放つエロティシズムは、
氏の永い人気の一因でもあつたが、これについて中村真一郎氏が、私に面白い感想を語つたことがある。
「この間、川端さんの少女小説を沢山、まとめて一どきに読んだが、すごいね。すごくエロティックなんだ。
川端さんの純文学の小説より、もつと生なエロティシズムなんだ。ああいふものを子供によませていいのかね。…」
(中略)
氏のエロティシズムは、氏自身の官能の発露といふよりは、官能の本体つまり生命に対する、永遠に論理的帰結を
辿らぬ、不断の接触、あるひは接触の試みと云つたはうが近い。それが真の意味のエロティシズムなのは、対象
すなはち生命が、永遠に触れられないといふメカニズムにあり、氏が好んで処女を描くのは、処女にとどまる限り
永遠に不可触であるが、犯されたときはすでに処女ではない、といふ処女独特のメカニズムに対する興味だと
思はれる。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より ここで私は、作家と、その描く対象との間の、――書く主体と書かれる物との間の、――永遠の関係について
論じたい誘惑にかられるが、もう紙数が尽きた。
しかし乱暴な要約を試みるなら、氏が生命を官能的なものとして讃仰する仕方には、それと反対の極の知的な
ものに対する身の背け方と、一対をなすものがあるやうに思はれる。生命は讃仰されるが、接触したが最後、
破壊的に働らくのである。そして一本の絹糸、一羽の蝶のやうな芸術作品は、知性と官能との、いづれにも
破壊されることなしに、太陽をうける月のやうに、ただその幸福な光りを浴びつつ、成立してゐるのである。
戦争がをはつたとき、氏は次のやうな意味の言葉を言はれた。「私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の
美しさしか歌ふまい」――これは一管の笛のなげきのやうに聴かれて、私の胸を搏つた。
三島由紀夫31歳「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より 川端康成はごく日本的な作家だと思はれてゐる。しかし本当の意味で日本的な作家などが現在ゐるわけではない
ことは、本当の意味で西洋的な作家が日本にゐないと同様である。どんなに日本的に見える作家も、明治以来の
西欧思潮の大洗礼から、完全に免れて得てゐないので、ただそのあらはれが、日本的に見えるか見えないか
といふ色合の差にすぎない。
(中略)
作家の芸術的潔癖が、直ちに文明批評につながることは、現代日本の作家の宿命でさへあるやうに思ふはれ、
(永井)荷風はもつとも忠実にこれを実行した人である。なぜなら芸術家肌の作家ほど、作品世界の調和と統一に
敏感であり、又これを裏目から支える風土の問題に敏感である。ところで現実の投影の作品世界を清掃してゆくには、
雑然たる東西混淆の日本の現実、日本の不可思議な雑種文明そのものを批評して行かなければならない。
三島由紀夫「川端康成の東洋と西洋」より (中略)
今の東京は、よかれあしかれ、明治以来の継木文化そのままの都市的表現であつて、東京のグロテスクは、
そのまま、われわれ知識人と称するものの内面のグロテスクの反映である。これに対立するものとして、荷風の
江戸のイメーヂがあり、久保田(万太郎)氏の古い東京のイメーヂがある。共に作家の批評の果てに結実した
イメーヂであつて、現実とは断絶してゐる。たゞ荷風が「冷笑」その他の、あらはなエッセイの形でこの批評を
行つたのに対し、久保田氏は、作品だけで批評を行つたにすぎぬ。だから一見、久保田氏の作品は、批評的に
見えない。しかし舞台の上のわびしい朝顔の花一輪にも、批評が、すなはち西洋が結実してゐるのである。
悲しいことに、われわれは、西欧を批評するといふその批評の道具をさへ、西欧から教はつたのである。
西洋イコール批評と云つても差支へない。
三島由紀夫「川端康成の東洋と西洋」より さて、日本の現実の、かかる文化的混乱状態の結果として、日本における芸術家の特異な運命がはじまる。
日本では、芸術家肌の作家ほど、極度に批評的にならねばならないのである。これは本当に困つたことで、
芸術創造の機能と批評の機能とは、本来、相反するものなのである。モオツァルトの音楽がどうして批評であらうか。
日本で何故かくも小説といふジャンルが隆盛を極めてゐるかを考へて、私は、その一つの理由に、小説がもつとも
批評的な芸術であるといふ理由を数へずにはゐられない。(中略)
かくて、日本に生れた芸術家は、不断に日本の文明批評を強ひられ、この東西の混淆のうちから、自分の真の
風土と本能にふさはしいイメーヂをみつけ出し、それを的確に結実させた人のみが成功する。(中略)
さて、私はやうやく、川端康成の問題に戻つて来られたやうである。
川端氏は俊敏な批評家であつて、一見知的大問題を扱つた横光(利一)氏よりも、批評家として上であつた。
氏の最も西欧的な、批評的な作品は「禽獣」であつて、これは横光氏の「機械」と同じ位置をもつといふのが
私の意見である。
三島由紀夫「川端康成の東洋と西洋」より 二十代の新感覚派時代の氏の作品は、当時のモダニズムの社会的風潮のスケッチであり、それを独自な感覚で
裁断したものであつて、最もハイカラな文学だつたと云へよう。ただ氏の場合の特色は、自分の鋭敏な感覚を発見し、
それに依拠して、それ以外のものにたよらぬ潔癖のおかげで、作品世界の調和を成就したことである。(中略)
私がことさら、昭和八年、氏が三十五歳の年の「禽獣」を重要視するのは、それまで感覚だけにたよつて縦横に
裁断して来た日本的現実、いや現実そのものの、どう変へやうもない怖ろしい形を、この作品で、はじめて氏が
直視してゐる、と感じるからである。氏は自分の作品世界を整理し、崩壊から救ふべく準備しはじめるが、
いふまでもなくこれは氏の批評的衝動である。
そのとき氏は、はじめて日本の風土の奥深くのがれて、そこで作品世界の調和を成就しよう、西欧的なものは
作品形成の技術乃至方法だけにとどめよう、と決意したらしく思はれる。そして昭和十年に、あの「雪国」が
書きはじめられる。
三島由紀夫32歳「川端康成の東洋と西洋」より 少年期の特長は残酷さです。どんなにセンチメンタルにみえる少年にも、植物的な酷さがそなはつてゐる。
少女も残酷です。やさしさといふものは、大人のずるさと一緒にしか成長しないものです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 教師を内心バカにすべし」より
正直すぎると死ぬことさへある。
ワシントンは子供心に、ウソをついた場合のイヤな気持まで知つてゐたので、正直に白状したのかもしれません。
たいてい勇気ある行動といふものは、別の或るものへの怖れから来てゐるもので、全然恐怖心のない人には、
勇気の生れる余地がなくて、さういふ人はただ無茶をやつてのけるだけの話です。
本当にウソをつくには、お体裁を捨て、体当りで人生にぶつからねばならず、つまり一種の桁外れの正直者で
なければならないやうです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 大いにウソをつくべし」より 一口に非処女と云つても、一ぺん何かのいはゆる「あやまち」を犯しただけの非処女と、男を百人も遍歴した
非処女とのあひだには、天地雲泥の相違がある。かりに処女を神聖と考へるとしても、処女だけを神聖と考へるのは
まちがひでして、女の神聖さには無数の段階とニュアンスがあるのです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 処女・非処女を問題にすべからず」より
お節介は人生の衛生術の一つです。(中略)お節介焼きには、一つの長所があつて、「人をいやがらせて、
自らたのしむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗つかつて、それを安全に行使することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないといふ人の人生は永遠にバラ色です。なぜならお節介や忠告は、
もつとも不道徳な快楽の一つだからです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 うんとお節介を焼くべし」より
現代では何かスキャンダルを餌にして太らない光栄といふものはほとんどありません。
世間には、外貌と内側の全然一致しない人もある。
三島由紀夫「不道徳教育講座 醜聞を利用すべし」より 友人を裏切らないと、家来にされてしまふといふ場合が往々にしてある。大へん永つづきした美しい友情などと
いふやつを、よくしらべてみると、一方が主人で一方が家来のことが多い。(中略)人間関係の動物的本質に
とつては、このはうがむしろ自然ですから、裏切りがないかぎり、いくらでも永つづきします。
三島由紀夫「不道徳教育講座 友人を裏切るべし」より
己惚れといふものがまるでなかつたら、この世に大して楽しみはありますまい。
謙遜といふことはみのりのない果実である場合が多く、又世間で謙遜な人とほめられてゐるのはたいてい犠牲者です。
(中略)高い地位に満足した人は、安心して謙遜を装ふことができます。
己惚れとは、一つのたのしい幻想、生きるための幻想なのですから、実質なんぞ何も要りません。(中略)
己惚れ屋にとつては、他人はみんな、自分の己惚れのための餌なのです。
恋愛から己惚れを差引いたら、どんなに味気ないものになつてしまふことでせう。
三島由紀夫「不道徳教育講座 できるだけ己惚れよ」より どうでもいいことは流行に従ふべきで、流行とは、「どうでもいいものだ」ともいへませう。
流行は無邪気なほどよく、「考へない」流行ほど本当の流行なのです。白痴的、痴呆的流行ほど、あとになつて、
その時代の、美しい色彩となつて残るのである。
浅薄な流行は、一度すばやく死んだのちに、今度は別の姿でよみがへる。軽佻浮薄といふものには、何かふしぎな、
猫のやうな生命力があるのです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 流行に従ふべし」より
世間に尽きない誤解は、
「殺人そのもの」と、
「殺つちまへと叫ぶこと」
と、この二つのものの間に、ただ程度の差しか見ないことで、そこには実は非常な質の相違がある。
三島由紀夫「不道徳教育講座 『殺つちまへ』と叫ぶべし」より
洋食作法を知つてゐたつて、別段品性や思想が向上するわけはないのですが、こんなものに影響をうけた女性は、
スープを音を立てて吸ふ男を、頭から野蛮人と決めてしまひます。
エチケットなどといふものは、俗の俗なるもので、その人の偉さとは何の関係もないのである。
三島由紀夫「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より 全く自力でやつたと思つたことでも、自らそれと知らずに誰かを利用して成功したのであり、誰にも身を
売らないつもりでも、それと知らずに身を売つてゐるのが、現代社会といふものです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 美人の妹を利用すべし」より
男といふものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めてゐたのだとわかると、一等自尊心を鼓舞されて、
大得意になるといふ妙なケダモノであります。
女の人が自分の体に対して抱いてゐる考へは、男とはよほどちがふらしい。その乳房、そのウェイスト、その脚の
魅力は、すべて「女たること」の展覧会みたいなものである。美しければ美しいほど、彼女はそれを自分個人に
属するものと考へず、何かますます普遍的な、女一般に属するものと考へる。この点で、どんなに化粧に身を
やつし、どんなに鏡を眺めて暮しても、女は本質的にナルシスにはならない。ギリシアのナルシスは男であります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 痴漢を歓迎すべし」より 私は猫が大好きです。理由は猫といふヤツが、実に淡々たるエゴイストで、忘恩の徒であるからで、しかも猫は
概して忘恩の徒であるにとどまり、悪質な人間のやうに、恩を仇で返すことなどありません。
人に恩を施すときは、小川に花を流すやうに施すべきで、施されたはうも、淡々と忘れるべきである。これこそ
君子の交はりといふものだ。
三島由紀夫「不道徳教育講座 人の恩は忘れるべし」より
人を悪徳に誘惑しようと思ふ者は、大ていその人の善いはうの性質を百パーセント利用しようとします。善い性質を
なるたけ少なくすることが、誘惑に陥らぬ秘訣であります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 沢山の悪徳を持て」より
若いくせにひたすら平和主義に沈潜したりしてゐるのは、たいてい失恋常習者である。
およそ自慢のなかで、喧嘩自慢ほど罪のないものはない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 喧嘩の自慢をすべし」より 「洗練された紳士」といふ種族は、必ず不道徳でありますから、お世辞の大家であつて、「人間の真実」とか
「人生の真相」とかいふものは、めつたに持ち出してはいけないものだ、といふことを知つてゐます。
ダイアモンドの首飾などを持つてゐる貴婦人は、そのオリジナルは銀行にあづけ、寸分たがはぬ硝子玉のコピイを
首にかけて出かけるのが慣例です。人生の真実もこれと同じで、本物が必要になるのは十年にいつぺんか二十年に
いつぺんぐらゐ、あとはニセモノで通用するのです。それが世の中といふもので、しよつちゆう火の玉を抱いて
突進してゐては、自分がヤケドするばかりである。
権力者も女性も人生や社会の真実から自分の目がおほはれてゐることに喜びを見出す人種であります。その点で、
権力者と女性は似てをり、又、どちらも実においしい栄養十分な果物であり餌であるといふ点でも、似てゐます。
三島由紀夫「不道徳教育講座 空お世話を並べるべし」より 男と女の一等厄介なちがひは、男にとつては精神と肉体がはつきり区別して意識されてゐるのに、女にとつては
精神と肉体がどこまで行つてもまざり合つてゐることである。女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いづれも
肉体と不即不離の関係に立つ点で、男の精神とはつきりちがつてゐる。いや、精神だの肉体だのといふ区別は、
男だけの問題なのであつて、女にとつては、それは一つものなのだ。
五百人の男と交はつた女は、心をも切り売りした哀れな娼婦になり、五百人の女と交はつた男は、単なる放蕩者に
止まつて、精神の領域では立派な尊敬すべき男であるといふ事態も起り得る。
女性にとつては、本当のところ、御用聞きとの高笑ひといふ程度の浮気から、実際に良人以外の男と寝る浮気までの
間には、程度の相違、量的相違があるだけで、質的相違はないのだといふのが私の考へです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より 「よろめき」が罪だとしても、どこからどこまでが罪で、どこまでが罪でないかといふ本当の目安はないのです。(中略)
この「罪」とは、女性の「宿命」と言ひかへてもいいので、精神と肉体をどうしても分けることのできない女性の
特有そのものを、仮に「罪」と呼んだと考へればよい。そして一等厄介なことは、女性の最高の美徳も、最低の
悪徳も、この同じ宿命、同じ罪、同じ根から出てゐて、結局同じ形式をとるといふことです。崇高な母性愛も、
良人に対する献身的な美しい愛も、……それから「よろめき」も、御用聞きとの高笑いも、……みんな同じ宿命から
出てゐるといふところに、女性の女性たる所以があります。
虚栄心、自尊心、独占欲、男性たることの対社会的プライド、男性としての能力に関する自負、……かういふものは
みんな社会的性質を帯びてゐて、これがみんな根こそぎにされた悩みが、男の嫉妬を形づくります。男の嫉妬の
本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。
三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より 人生は、たつた一つの小さな歯車が外れたばかりに、とんでもない大事件が起ることがある。戦争も大事件も、
必ずしも高尚な動機や思想的対立から起るのではなく、ほんのちよつとしたまちがひから、十分起りうるのです。
そして大思想や大哲学は、概して大した事件もひきおこさずに、カビが生えたまま死んでしまひます。
運命はその重大な主題を、実につまらない小さいものにおしかぶせてゐる場合があります。そしてわれわれは、
あとになつてみなければ、小さな落度が重大な結果につながつてゐたかどうかを知ることができません。
人間の意志のはたらかないところで起る小さなまちがひが、やがては人間とその一生を支配するといふふしぎは、
本当は罪や悪や不道徳よりも、本質的におそろしい問題なのであります。われわれが意識して犯す悪は、ただの
まちがひに比べれば、底が知れてゐると云へるかもしれません。
三島由紀夫「不道徳教育講座 0の恐怖」より われわれは死者のことをなるたけ早く忘れたいのです。憎まれ嫌はれてゐた死者ほど早く忘れたいのです。
そのためにはほめるに限る。ですから死者に対する賞賛には、何か冷酷な非人間的なものがあります。
死者に対する悪口は、これに反して、いかにも人間的です。悪口は死者の思ひ出を、いつまでも生きてゐる人間の
間に温めておくからです。
ですから私は死んだら、私の敵が集まつて呑んでゐる席へ行つて、みんなの会話をききたいと思ふ。(中略)
私はどうしても、ピンシャン生きてゐるうちに私が言はれてゐたのと同じ言葉を、死後もきいてゐたいそれこそは
人間の言葉だからです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 死後に悪口を言ふべし」より
親や兄弟の千万言のしんきくさい教訓よりも、青年男女に社会の過酷な法則を、骨の髄まで味はせる場所としては、
映画界ほどよく出来たところはない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 映画界への憧れ」より ケチな人と附合つて安心なのは、かういふ人には、まづ、やたらと友だちに「金を貸してくれ」などと持ちかける
ダラシのないヤカラはゐないことです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 ケチをモットーにすべし」より
(キャッチ娘やキャッチ息子の、気取つた喋り方は)喋つてゐるのではなくて、出来合ひの言葉に喋らされて
ゐるのであり、現代マスコミ文化といふ神さまの託宣が、その口を借りて滔々と流れ出す神がかりの霊媒の
やうな存在なのです。
それは意見が自分の意見でないばかりではない。感情も他人の感情で代用されてしまふので、キャッチフレーズばかり
並べながら、キャッチ娘とキャッチ息子が、どこかの喫茶店で恋を語ることも可能なら、そのままサカサくらげへ
直行することも可能である。(中略)かうなると、人形芝居の人形の恋みたいで、ちよつとした怪談です。
なまじつかな「意見」なんかよりも、自然な「機知」のはうが、ずつと人生の知恵として高度なものなのであります。
マスコミにおいて最も涸渇してゐるのは、かういふ自然な機知であります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 キャッチフレーズ娘」より あらゆるソゴに対して、人はまづ笑ひで対応し、次に批評で対応し、次に悪意で対応する。批評は笑ひと悪意の
両方にまたがり、したがつてソゴの性質を十分に味はひ理解する余裕がある。それは又、自分の笑ひと悪意を
分析することでもあつて、「悪意から出た親切心」といふものに充ちてゐます。
三島由紀夫「不道徳教育講座 批評と悪口について」より
人間とバカとは、そもそも切つても切れぬ関係のあるもので、この病気は人間の歴史と共に古く、どんな賢者と
いへども、バカの病菌を体内に持つてゐない人はありません。
利口であらうとすることも人生のワナなら、バカであらうとすることも人生のワナであります。そんな風に人間は
「何かであらう」とすることなど、本当は出来るものではないらしい。利口であらうとすればバカのワナに落ち込み、
バカであらうとすれば利口のワナに落ち込み、果てしもない堂々めぐりをかうしてくりかへすのが、多分
人生なのでありませう。
三島由紀夫「不道徳教育講座 馬鹿は死ななきや……」より 告白癖のある友人ほどうるさいものはない。もてた話、失恋した話を長々ときかせる。
やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。それは社会的無礼であつて、
われわれは自分の弱さをいやがる気持から人の長所をみとめるのに、人も同じやうに弱いといふことを証明して
くれるのは、無礼千万なのであります。
そればかりではありません。
どんなに醜悪であらうと、自分の真実の姿を告白して、それによつて真実の姿をみとめてもらひ、あはよくば
真実の姿のままで愛してもらはうと考へるのは、甘い考へで、人生をなめてかかつた考へです。
現実生活では、彼は彼、私は私であつて、彼がどんなに巧みな告白をしても、私が彼になり切ることはできません。
ですから、むやみやたらにそんな告白をする人間は、小説と人生とをごつちやにしてゐるのです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 告白するなかれ」より 北欧諸国で老人の自殺が多いのは何が原因かね。社会保障が行き届きすぎて、老人が何もすることがなくなつて、
希望を失つて自殺するのである。
青年男女の自殺といふのはママゴトのやうなもので、一種のオッチョコチョイであり、人生に関する無智から来る。
生れてから死ぬまで激甚なる生存競争にさらされてゐるといふことは、生物の世界の法則であつて、この法則に
逆らはうとすると、人間には生物としての力がなくなる。動物精気が消失してしまふ。
スペインや日本のやうな古風ゆかしき国で、女房を家にとぢこめて、亭主ばかり外出するのは、まことに当を
得た美風である。(中略)大体、男女といふものは、色事以外は、別種類の動物であつて、興味の持ち方から
何からちがふし、トコトンまでわかり合ふといふわけには行かないのであるから、どこへも男女同伴夫婦同伴などと
いふのは、人間心理をわきまへぬ野蛮人の風習である。
三島由紀夫「不道徳教育講座 日本及び日本人をほめるべし」より どんな功利主義者も、策謀家も、自分に何の利害関係もない他人の失敗を笑ふ瞬間には、ひどく無邪気になり、
純真になります。誰でも人の好さが丸出しになり、目は子供つぽい光りに充たされます。
人類愛などといふものは、何といふ冷え冷えした、おちよぼ口の、情ない社交辞令であらう!
ソ連だの中共だのといふ国は、妙に可愛げがない。それは彼らのお題目が、みんな人類全体のつながりを
強調するやり方で、それについて自分のはうは何も支払はないからです。これらの国が、もつと人の目の見える
ところで、滑稽な失敗を演じたら、どんなに愛されるかしれないのに、ソ連も中共も、未だかつて失敗したことの
ないやうな顔をしてゐます。
友情はすべて嘲り合ひから生れる。
「あいつが女にふられたつて? あいつ、何てバカだらう! 何てバカだらう! 何て間抜けだらう」
と涙を流さんばかりき笑つてくれるのが、真の友であります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 人の失敗を笑ふべし」より 人生には濃いうすい、多い少ない、といふことはありません。誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。
三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多くについて知つてゐるとはいへないのが、
人生の面白味ですが、同時に、小説家のはうが読者より人生をよく知つてゐて、人に道標を与へることができる、
などといふのも完全な迷信です。小説家自身が人生にアップアップしてゐるのであつて、それから木片につかまつて、
一息ついてゐる姿が、すなはち彼の小説を書いてゐる姿です。
三島由紀夫「不道徳教育講座 小説家を尊敬するなかれ」より
どうも、日本人が見かけばかり国際的になつて、外人と平気で友だち附合をし、時には英語で喧嘩もし、外人に
対して卑屈にならず、日本人に対して傲慢にもならず、……といふ風に、近ごろの若い人ほどさうなつてゆきますが、
それで立派な日本人ができつつあるかといふと、さうもいへないのです。卑屈な日本人のはうがずつと勉強家で、
ずつと立派な業績を残したとあつては、私は「オー・イエス」でも何でもいいぢやないか、といふ気になります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 オー・イエス」より 神経が疲労してゐるとき病的に性欲が昂進するのは、われわれが、経験上よく知つてゐることである。これを
「強烈な原始的性欲」とか、「本能の嵐」とかに見まちがへる人がゐたら、よつぽどどうかしてゐるのである。
これはむしろ本能から一等遠い状態です。
三島由紀夫「不道徳教育講座 性的ノイローゼ」より
今のところまだ落ちるか落ちないかわからぬ水爆よりも、目の前のナメクジのはうが怖い! 実はこれが
われわれの住む世界の本質的な姿なのです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 自由と恐怖」より
怪力乱神は、どうもどこかに実在するらしい、といふのが私のカンである。仕事をしてゐるときでも、ふと自分が
怪力乱神の虜になつてゐると感じることがある。しかしこの世に知性で割り切れぬことがあるのは、少しも知性の
恥ではない。知性を、電気洗濯機や冷蔵庫並みの、生活の便利のための道具と考へてゐるのは、本当の知性の
人ではなく、知性の人とは、知性自体の怪力乱神的な働きに、本当の恐怖を感じてゐる人のことをいふのですから。
三島由紀夫「不道徳教育講座 お化けの季節」より 大体卵が先か鶏が先かよくわからぬが、政治家がみんな腰抜けになつたので暗殺がなくなつたのと同時に、
暗殺がなくなつたから、政治家はますます腰抜けになつた。命の危険がなくて、金がフンダンに入つて、威張り放題に
威張れるといふのでは、こんな好い商売はないといふわけである。これでせめて、自分の政見に忠実に行動すれば、
暗殺されるといふスリルがあつたら、もう少し、嘘八百を並べられなくなるだらうと思ふ。イノチガケといふことが
なくなつたので、政治家といふ職業は、もう全然、男らしい仕事ではなくなつたと私は考へます。もしかしたら、
現在の日本で一等女性的な職業は、男性洋裁師や、男性美容師と共に、政治家かもしれない。それは、お客に
対する媚びを忘れないで、手先だけでコチョコチョと綺麗事を作成する仕事なのである。命の心配と云つたら、
脳溢血とガンぐらゐなものである。
三島由紀夫「不道徳教育講座 暗殺について」より 人間対人間では、いつも勝つのは、情熱を持たない側の人間です。あるひは、より少なく情熱を持つ側の人間です。
セールスマンの秘訣は決して売りたがらぬことだと言はれてゐる。人が押売りからものを買ひたがらぬのは、
人間の本能で、敗北者に対して、敗北者の売る物に対して、魅力を感じないからであります。
人を待たせる立場の人は、勝利者であり成功者だが、必ずしも幸福な人間とはいへない。駅の前の待ち人たちは、
欠乏による幸福といふ人間の姿を、一等よくあらはしてゐるといへませう。
三島由紀夫「不道徳教育講座 人を待たせるべし」より
言葉がテキメンに怪物的な力をふるふのは、われわれ自身の内奥にふれて来る場合で、しかもそれが第三者の口から
出た場合です。
「Aさんがね、あなたのことを、イヤラシイ奴だつて言つてましたよ」
かう言はれただけで、もう、何の証拠もないのに、われわれはAを憎みはじめます。
三島由紀夫「不道徳教育講座 言葉の毒について」より いくら禿頭でも、独身の男といふものは、女性にとつて、或る可能性の権化にみえるらしい。男にとつていかに
独身のはうがトクであるかは、言ふを俟ちません。かく言ふ私でも、結婚したとたんに、女性の読者からの手紙が
激減してしまひました。
孤独感こそ男のディグニティーの根源であつて、これを失くしたら男ではないと云つてもいい。子供が十人あらうが、
女房が三人あらうが、いや、それならばますます、男は身辺に孤独感を漂はしてゐなければならん。(中略)
男はどこかに、孤独な岩みたいなところを持つてゐなくてはならない。
このごろは、ベタベタ自分の子供の自慢をする若い男がふえて来たが、かういふのはどうも不潔でやりきれない。
アメリカ人の風習の影響だらうが、誰にでも、やたらむしやうに自分の子供の写真を見せたがる。かういふ男を
見ると、私は、こいつは何だつて男性の威厳を自ら失つて、人間生活に首までドップリひたつてやがるのか、と
思つて腹立たしくなる。「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、人に示すべきものでは
ないらしい。
三島由紀夫「不道徳教育講座 子持ちを隠すべし」より 日本も三等国か四等国か知らないが、そんなに、「どうせ私なんぞ」式外交ばかりやらないで、たまにはゴテて
みたらどうだらう。さうすることによつて、自分の何ほどかの力が確認されるといふものであります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 何かにつけてゴテるべし」より
現代は一方から他方を見ればみんなキチガヒであり、他方から、一方を見ればみんなキチガヒである。これが
現代の特性だ。アメリカからソ連を見ればみんなキチガヒであり、ソ連からアメリカを見ればみんなキチガヒである。
近ごろはもつとも、東西のキチガヒ代表が仲よく会議して、お互ひの病状を無邪気に交換するほど、時代が
進歩してきましたが……。
三島由紀夫「不道徳教育講座 痴呆症と赤シャツ」より
この世の中には「悔悟した青春」などといふものはないのです。「自分はまちがつてゐた」などといふ青春は
ないのです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 若さ或ひは青春」より 男が持つてゐる癒やしがたいセンチメンタリズムは、いつも自分の港を持つてゐたいといふことです。世界中の港を
ほつつき歩いても最後に帰つて身心を休める港は、故里の港一つしかない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 恋人を交換すべし」より
大体日本には、西洋でいふやうなおそろしい道徳などといふ代物はないのです。この本質的に植物的な人種は、
現在、国をあげて動物のマネをしてゐるけれど、血なまぐさい動物の国の、動物の作つた掟なんかは、あんまり
植物にはピッタリ来やしないのです。
人間のあらゆるつながりには、親子にも、兄弟にも、夫婦にも、恋人同士にも、友人同士にも、結局のところ
殺意がひそんでゐるので、大切なことは、この殺意をしつかり認識するといふことです。
悪が美しく見えるのは、われわれがつまり悪から離れてゐることであつて、悪の只中にどつぷり浸つてゐたら、
悪が美しく見えやう筈もありません。
三島由紀夫「不道徳教育講座 をはり悪ければすべて悪し」より 氏の「雪国」や「千羽鶴」が外国で歓び迎へられたのには理由があると思ふ。たとへば西洋では、どんなデカダンでも、
どんなニヒリストでも、「人間的情熱」といふやうな言葉を先験的に信じてゐるところがある。西洋では、多分
キリスト教の影響だらうと思ふが、善悪の二元論をはじめとして、あらゆる反価値は価値の裏返しにすぎぬ。
無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の
裏返しにすぎぬ。近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。
私は大体、十九世紀の観念論哲学の完成と共に、西欧の人間的諸価値の範疇が出揃つたものと考へる。それ以後の
人間は、どうころんだつて、この範疇の外に出られないのである。たとへば情熱、たとへば理想、たとへば知性、
……何でもかまはないが、人間によつて価値づけられたもののかういふ体系を、誰も抜け出すことができない。
逆を行けば裏返しになるだけのことだ。
三島由紀夫「川端康成再説」より 日本の十九世紀も、かういふ人間によつて定立された価値概念をのこらず輸入した。その網羅的体系が、かりに
人間主義と呼ばれるところのものである。しかし日本では、それらの価値概念は粗い網目のやうなもので、
そのあひだに、ポカリ、ポカリと、黒い暗黒の穴があいてゐる。網目に指をつつこんでも、ヒヤリとする夜気に
ふれるだけで、そこには何もない。
さて川端さんの小説は、かういふ暗黒の穴だけで綴られた美麗な錦のやうなものである。西洋人はこれをよんで
びつくりし、こんな穴に自分たちが落ち込んだらどうしようと心配し、且つさういふ穴の中に平気で住んでゐる
日本人に驚嘆したのである。
たとへば西洋では、ずいぶん珍奇な小説の主人公もゐるけれど、「雪国」の島村のやうに、感覚だけを信じて、
情熱などといふものを先験的に知らない人間は、その存在すら想像することがむづかしいだらう。彼らは時には島村を、
キリスト教の見地から、地上最大の悪人とみとめるだらう。ところが大まちがひで、島村は、心やさしいとは
云へないが、感覚とその抑制とを十分に心得た、ものしづかな耽美的享楽家なのである。
三島由紀夫34歳「川端康成再説」より ペンクラブ会長としての公人の川端氏を、世間的常識の側からながめる人は、氏の人望といひ、人格識見といひ、
そこらの政治家や実業人が足もとにも及ばぬ人物であるところから、文化勲章も遅すぎた、と思ふにちがひない。
しかしそれだけの判断で授勲されるのだつたら、氏の文学に対する侮蔑といふほかはない。
一個の精神のますます純化されますます深められた孤独が、国家的に顕彰されるといふことは、ふしぎな、
気味のわるい事態である。どうしてもクツ下を脱がない人間にクツ下をはいたままフロに入ることを強ひるやうな
ものである。しかし川端氏は、そんな場合、自若としてクツ下をはいたまま、栄光のフロに入つてしまはれる
だらうと思ふ。そこに川端氏と氏の文学の真面目(しんめんもく)もあるので、それといふのも、本当のところ
「文化勲章」などといふものは、氏にとつて、どうでもよい事柄に属するからである。どうでもよいことに
こだはつて何になるものか。
三島由紀夫「川端康成氏と文化勲章」より 私は何も文化勲章及びその制度自体を蔑するのではない。ただ作家にとつて、栄光といふものは、奇妙な
疥癬(かいせん)みたいなもので、その痒みは一種の快感であり、それをかくことは一種の快楽にほかならないが、
それは仕方なしにくつついて来たものにすぎない。この「仕方なしに」といふことに、川端文学の一種の主調音が
ひびいてゐるので、私にはますます氏の受勲がおもしろく思はれるのである。氏の処女作「十六歳の日記」を
読んだ人は、かうして「仕方なく」小説を書きだした孤独な、とどまることを知らぬ精神が、やがて「仕方なく」
文化勲章を受けるにいたる、長いまつすぐな道程を予見することができる。それはあれほどにも「老い」を
美化した中世芸術に親しみながらつひに「老い」をわがものとすることのできなかつた、永遠に若々しい一つの
精神の歴史である。
三島由紀夫36歳「川端康成氏と文化勲章」より よく小学校などで、
「あの子、イヤな子だよ。すぐ先生にいひつけるんだから」
などと一人がいふと、忽ち噂が伝播して、「あの子」はクラスぢゆうから爪はじきにされる。
かういふのは原始的な集団ほど甚だしいので、村八分なんていふのは、東京のまんなかでは行はれない。しかし
実際のところ、小さな集団の中では村八分はいつもあつて、丸ノ内の近代的なオフィスの内部にだつて、
一寸した悪い噂から生じた村八分の雛型は、いくらも見られる。
この間ある週刊誌の編集長と話してゐて、スキャンダルといふやつは、どのくらゐ迄、宣伝に役立ち、どのくらゐの
度を過ぎると、本人にとつて致命的になるか、といふ問題をいろいろ考へた。長嶋選手の女の問題などは、
明らかに前者に止まり、衆樹選手の悪評判は、悲しいかな後者に接近してゐる、といふのが編集長の意見だつたが、
これも編集長の主観的意見にすぎず、そこのところの境界は、時と場所によつて、又当人の人柄によつて
まちまちであつて、結局はつきりした客観的な目安はつかないといふ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より (中略)
さて、スキャンダルの本質は、社会的人気者や、社会で紳士淑女とみとめられてゐた人が、思ひがけなく露出する
馬脚にあるので、はじめから悪人ならスキャンダルにならない。前科七犯の強盗が、十人や二十人の女を
だましたところで、スキャンダルとはいへない。ニュース・ヴァリューとスキャンダルとは同一ではないのである。
スキャンダルの特長は、その悪い噂一つのおかげで、当人の全部をひつくるめて悪者にしてしまふことである。
スキャンダルは、「あいつはかういふ欠点もあるが、かういふ美点もある」といふ形では、決して伝播しない。
「あいつは女たらしだ」「あいつは裏切者だ」――これで全部がおほはれてしまふ。当人は否応なしに、
「女たらし」や「裏切者」の権化になる。一度スキャンダルが伝播したが最後、世間では、「彼は女たらしではあるが、
几帳面な性格で、友達からの借金は必ず期日に返済した」とか、「彼は裏切者だが、親孝行であつた」とか、
さういふ折衷的な判断には、見向きもしなくなつてしまふのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より ――さて、スキャンダルは、人間ばかりでなく、食品にも起る。かつての原子マグロ事件以来の、最大の
食品スキャンダルが、このハウレンサウ事件であつた。
さつき、村八分は原始的な集団のなかで甚だしいと言つたが、マス・コミといふものが、近代的な大都会でも、
十分、村八分を成立させるやうになつた。ハウレンサウはその哀れな犠牲者だつたのである。そしてハウレンサウは、
スキャンダルのあらゆる条件をそなへてゐた。
第一に、ハウレンサウは、これまで社会に有益な役割をしてゐると考へられ、紳士的な野菜と見なされてゐた。
彼ははじめからナラズ者や、殺人犯人だつたのではなかつた。はじめから青酸加里だの、ネコイラズだつたのでは
なくて、善良な食品だつたのである。おまけに、彼には隠れた善行の噂があり、しかもその善行は誇張して
伝へられてゐた。それがすなはち、有名なポパイの漫画である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より 誰も彼も、ハウレンサウ氏を信用してゐた。ハウレンサウ氏は、わづかな費用で、冬のさなかにも家庭を気易く
訪問し、みんなに愛されてゐた。その紳士が、実は、こつそりと、少量づつの毒物を家庭へ運び入れてゐたといふ
スキャンダルが出て、みんなびつくりしたのである。
昨年十月末から十一月はじめにかけて、一流新聞が一面全部の大記事を出したのは読者もよくご記憶であらう。
「ハウレンサウで大騒ぎ。
喰べすぎると“結石”に。
有害なシウ酸が含まれる」
(中略)
それ以来、ハウレンサウ氏は、善人の仮面をかぶつた陰険な悪人の代表にされてしまつた。(中略)
世間では急にハウレンサウを喰べなくなつた。それを私は、へんなこだはり方だと思ふのである。なるほど
結石が出来るのは不快にちがひないが、結石は死亡原因のランクに入つてゐるやうな病気ではない。キャラメル
自動販売機みたいに、上の穴からハウレン草を入れると、下の穴からコロリと結石がころがり出す、といふやうな
ものではない。もし病気や死の原因になることなら、われわれはもつといろいろ不養生を他にいつぱい重ねてゐる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より (中略)
日本で放射能雨の被害が喧伝されてゐたとき、銀座に出てゐて、俄か雨でもあると、いい若者が、あわてて頭に
新聞やビニールふろしきをかぶつて駈けた。
そのころニューヨークへ行つた私は、雨が降つてゐても、平然と濡れて歩く人々におどろいた。ところが
ニューヨークでは、タバコが肺癌の原因になるといふ説が有力で、ふつうのタバコを吸つてゐる人はほとんどなく、
パーティーなどへ行くと、十人のうち八人までが、吸口のついた、ニコチン止めの、まるで味のないタバコを
吸つてゐた。私にはあんな味なしタバコは我慢できないので、平気でラッキー・ストライクなんか吸つてゐると、
みんな私の勇気におどろいた。
かういふふうに、人間の恐怖心は、万遍なくすべてに及ぶわけには行かない。もしさうなつたら、恐怖のあまり、
みんな発狂してしまふだらう。だから、大しておそろしくない一つの恐怖に集中して、ほかの恐怖をみんな忘れて
しまふ傾きがある。
ハウレンサウを怖がつてゐる人は、少くともその間だけ、原水爆の恐怖を忘れてゐられるのであらう。その点では
ハウレンサウは、やつぱり有益な食品といふべきなのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より 大学といふものが、看板どほり、真理探究の象牙の塔であるなら、よほどの変り者しか大学へ行きたがらぬ筈だが、
実際は就職と出世の必要な段階と考へられてをり、又今のところ世間の大体の仕組もさうなつてゐる。
さて、出世とは何かといふのに、私は京都の坊さんからこんな話をきいた。
江戸時代には名僧知識が多かつた。それは一般の平民にとつては、出世をする道とては坊さんになるほかなかつたので、
幾多の秀才が、仏門に入つたわけだが、明治時代になると、誰でも大臣宰相になれる世の中になつたので、
坊さんに秀才が出にくくなつたといふのである。
(中略)
明治以後、日本はうんと近代化し、うんと民主主義化したわけだが、同時に職能的社会の特色と誇りを失くして
しまつた。誰も彼も腕に何かの技能をつけるのを面倒がつて、ホワイト・カラーのサラリーマンになりたがる。
サラリーマンといふのは、技術者を除いて、腕に何の技能も持たない事務屋の集まりで、本当のことを言へば、
「誰でもつとまる商売」なのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より さうなると、学校の成績や出身校ぐらゐで人間の優劣を決めなければ、決めやうがない。もしこれが桶屋の試験なら、
桶を作らせてみて巧ければ、学歴もヘチマもないわけだが、目に見えない能力をためすには、学校以外に判断の
基準がない。そこで、いはゆる「いい大学」へ入つて「いい成績」をとるために、親も本人も狂奔するといふわけだ。
(中略)
しかし世間の親の九分九厘は親馬鹿で、親バカといふときこえがよいが、その実、子供はそつちのけで、親としての
エゴイズムと虚栄心にとらはれてゐる。有名校を何度も受けさせて、たうとう落第を重ねた子供がノイローゼになつて
自殺したなどといふのがこの手合で、こんなことなら、裏口入学に秘術を尽くし、ありたけの金とお世辞笑ひを
使つて、低脳息子を有名校へ入れる親のはうが、よつぽど立派である。よつぽどヒューマニスティックである。
ヒューマニズムとは、命をかける代りに金を使ふといふ精神だからだ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より 資本主義社会では、金持のはうがトクに決つてゐる。金を持つてゐない親の子に生れれば、自分で自分の能力を
切りひらいて、社会の上層部へのし上るしかない。社会の生存競争の何十年にわたる激闘に比べれば、試験勉強なんぞ、
屁のカッパである。
子供に、こんな苛烈な生存競争を味はせるのは可哀想だ、などといふのは文明人の感傷であつて、未開人の社会の
成人儀式の苛烈さはものすごい。先頃シネラマで、高い高い櫓の天辺から藤蔓で体を巻いて飛び下りる成人式を
見た親は、これと試験地獄とどつちがましか考へてみるがいい。
社会には危険な株なら、いくらでもころがつてゐて安く買へる。安全で将来性のある株にばかり集中するから、
その株が高くなる。試験地獄もこの法則と同じで、子供のために安全で将来性のある株を買はうとするから、
子供も苦しむのである。しかし或る意味では、さういふ株を狙ふ代価として、多少の苦しみは仕方があるまい、
といふほかはない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より 世間には、変り者の親もゐて、子供のためにわざわざ危険な株を買ふ親がゐる。子供を天才画家や、天才
ヴァイオリニストや、第二の美空ひばりに仕立てようといふ親である。かういふ親に比べれば、試験地獄に子供を
かり立てる平凡尋常な親のはうが、よほど子供にとつて仕合せである。
私は永い目で見ると、試験地獄も緩和されるのではないかといふ楽観的意見を持つてゐる。(中略)
何世代かを経て、親がみんな高等教育を受けてゐるやうな世の中になれば、「子供に自分より高い教育を
受けさせたい」といふ夢もなくなるし、同時に、学士様も一向チヤホヤされなくなり、子供に同じ好い目を見せて
やらうといふ夢もなくなる。社会全体の幻滅がもつとひどくなれば、試験地獄も緩和され、再び職能制社会の
理想的な形ができてくるかもしれないのである。すでにその兆候は見えて来てをり、子供は正直なもので、
大臣宰相になることに出世の夢を抱く子供なんか一人もゐず、「えらくなる」とはプロ野球の選手になること
なのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より 大体私は現在のオウナー・ドライヴァー全盛時代に背を向けて、絶対に自分の車を持たぬといふ主義を堅持してゐる。
何のために車を持つか? 一刻も早く目的地へ到達するためだらう。ところが私の家から都心までは、ラッシュ・
アワーでも、バスと国電を使つて三十五分で確実に行くのに、車を利用すれば早くて四十五分はかかる。これでも
なほ車に乗るのは、どうかしてゐる。
こんな時間の問題を見ても、東京はますますニューヨークに近づきつつある。ニューヨークのラッシュ・アワーには、
地下鉄で十五分で行くところを、タクシーで四十五分もかかる。(中略)
もう一つばからしいのは、車の中で新聞や雑誌を読めば、動揺のおかげで忽ち目が悪くなり、気分が悪くなるが、
電車なら、推理小説だのスポーツ新聞だのに読み耽つてゐるうちに、あつといふ間に目的地へ着いてしまふ。
一切あなたまかせだからイライラすることもないのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より 都会生活の真髄は能率とスピードだらう。車を持つこと、いやただタクシーに乗ることさへ、今や能率とスピードに
背馳しつつある。あとにのこる車の御利益と言つたら見栄だけだが、かう猫も杓子も車を持つやうになつたら、
一向見栄にもならない。見栄にも実用にもならぬことに、どうしてお金を使はなければならないのだらう。
(中略)
しかし時代の勢ひといふものは仕方がないもので、こんな駄文を草してゐるあひだにも刻々オウナー・ドライヴァーは
ふえつつあり、さなきだにせまい東京の悪路を身動きもできないやうにしつつある。(中略)
自動車はふえる一方、怖ろしき女性ドライヴァーもふえる一方、道路は減る一方、ときたま東京都あたりが発作的に
新道路を作つても焼石に水、といふのが実状であらう。こんなことは困つた困つたと言つてるうちに何とか
破滅的状態が来てやつと解決がつくのだが、それまで高見の見物を決めこむには、まづ自分が自動車を持たないことが
第一条件であり、それより何より、まづ人の車に轢かれないことが肝要なのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より 子供はみんな遊びの達人である。
「遊びをせんとや生れけん
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声をきけば
わが身さへこそゆるがるれ」
といふ古い今様があるが、子供の遊びの純粋さに対する大人の感動と郷愁がよく出てゐる。
大人の遊びは結局この子供の純粋な遊びをまねることであるが、子供の遊びも、チャンバラからお医者様ごつこまで、
結局すべて大人の真似事であるから、遊びといふ点では、大人と子供は別々にあそんでゐても、結局、お互ひの
マネを演じてゐるにすぎない。大人の遊び場所から子供は完全に閉め出されてゐるが、その中で大人のやつて
ゐることは、要するに子供に帰らうとする身振りである。賭け事も、ダンスも、性行為そのものも。
なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、
何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より (中略)子供とちがつて、酔ふためには手続が要り、金がかかる。だから遊ぶためにアクセク働らかねばならず、
遊ぶために緊張過多にもなつてしまふ。これでは本末転倒といふものだ。折角レクリエーションと称して郊外へ
出かけても、混雑した電車や自動車ラッシュで、ヘトヘトになつてしまふ。
遊び人といふ人種がゐて、このごろの用語ではプレイ・ボーイといふ。私より二つ先輩の名高いプレイ・ボーイに、
この間久しぶりに銀座でパッタリ会つたが、あひかはらず上等な洋服を着て、一分の隙もない身なりで、きれいな
女の子を連れて歩いてゐた。(中略)この男は三百六十五日、ナイトクラブ通ひをしてゐる金持息子だが、よくも
飽きないものだと思つて、私はまづその体力に感心するのである。ヤキモチでいふのではないが、いくら女を
とりかへたところで、よほど想像力と空想力が貧しくなければ、三百六十五日ナイトクラブ通ひなんかできる
ものではない。ナイトクラブなんていふものは、映画の張りぼてのセットみたいなもので、ひたすら、高級めいた
セクシーな雰囲気をかもし出すために作られた造花にすぎない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より そんな造花的雰囲気がどうしてもこの男にとつて必要な点では、しかし、三百六十五日、縄のれんの呑屋に通ふ
をぢさんと大差ないかもしれないのである。
誰でも固有の、遊びの条件といふものを持つてゐる。ある人は金をばらまかねば遊んだ気にならず、ある人は
人にタカらなければ有効に遊んだ気にならない。これは貧富の問題といふよりは、気質乃至趣味の問題で、
ハリウッドの大スターでも、決して人の煙草しかのまないといふ「がめつい奴」がゐるさうだ。
大体日本人は家へ人を招く習慣が少ないが、これは日本の家の貧しさばかりでなく、日本料理が作る手数のかかる
ことと、人を招いたらムヤミと御馳走を並べなければならぬといふ旧習のなせるわざであらう。西洋人は自宅へ
人を招くのを最高の礼儀と考へてゐるが、日本では花柳界の料理屋へ招くのがもつとも手厚い接待だらう。
アメリカ人などは、大さわぎをして自宅へ招くが、ろくな御馳走を出しはしない。大ていお料理は一いろか二いろだ。
カクテルなどでは、よくまアこれでお客をするものだ、と思ふほど、ポテト・チップスと南京豆ぐらゐの肴で
すまして、ケロリとしてゐる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より しかし自宅へ西洋人を招くとわかるが、彼らが実にたのしみ上手遊び上手だといふことである。知らない同士も
たちまち十年の知己のやうになり、少しも人みしりをしないでたのしく話し、たちまちたのしげな雰囲気を
作つてしまふ。
それを見てゐると、いかにも遊び上手のやうにみえるが、彼らが本当に内心たのしいのかどうかわかつたものではない。
たえず知つた同士で呼びつ呼ばれつして、家庭的なたのしみをくりかへし、いつも夫婦同伴で、単調な交際の外へ
出ず、ポーカアをやるにも、ダンスをやるにも、顔ぶれが決つてゐるやりきれない小市民生活は、アメリカ映画で
皆さんもよく御存知であらう。「ア・ロット・オヴ・ファン」(面白かった)とか、「エンジョイした」とか、
しきりに言ふが、どこまで口先のお世辞かわかつたものではない。アメリカ流のカクテル・パーティーの
せはしない附合は、私には、何だか浅い、中途半端な、悲しい遊びに思はれる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より 遊び、娯楽、といふものは、むやみと新らしい刺戟を求めることでもなく、阿片常習者のやうな中毒症状を
呈することでもなく、お金を湯水のやうに使ふことでもなく、日なたぼつこでも、昼寝でも、昼飯でも、散歩でも、
現在自分のやつてゐることを最高に享楽する精神であり才能であらう。この点でも日本人はテンション族で、
遊びにまで緊張過多なのは前にも述べたとほりだ。
プロ野球見物と庭の水まきと、どつちが現在の自分にとつてもつともたのしいか、といふことに、自分の本当の
判断を働らかすことが、遊び上手の秘訣であらう。世間の流行におくれまいとか、話題をのがさぬやうにとか、
「お隣りが行くから家も」とか、「人が面白いと言つたから」とか、……さういふ理由で遊びを追求するのは、
人のための遊びであつて、自分のための娯楽ではないのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より さて今回はカメラの悪口を言はせてもらふ。私はカメラを持つてゐないからである。国内の旅行はもとより、
二度の海外旅行にも、カメラを持つて行つたことがないといふのが、私のヘソまがりの自慢である。(中略)
私がカメラを持たないのは、職業上の必要からである。カメラを持つて歩くと、自分の目をなくしてしまふ。
自分の目をどこかへ落つことしてしまふのである。つまり自分の肉眼の使ひ道を忘れてしまふ。カメラには、
ある事実を記録してあとに残すといふ機能があるが、次第に本末転倒して、あとに残すために、現在の瞬間を
犠牲にしてしまふのである。
ゲーテの生きてゐたころは、カメラなんかなかつたから、彼は、
「お前は実に美しい! しばし止まれ!」
などと言つてゐた。こんなことは今ならお茶の子サイサイで、天然色フィルムを仕込んだカメラを向ければ、
その美しいものは、「しばし止まれ」どころか、永遠にとどまつてゐる筈である。
とどまつてゐる筈である。しかしさうではないかもしれない。
美しいものは、カメラを向けた瞬間に逃げ去つてゐるかもしれない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より まあ一例が、湖水のかたはらを歩いてゐて、白鳥が今正に飛び立つところを見たとしよう。これは実に美しい
瞬間である。思ふがはやいかカメラを向け、手練の早わざ、見事に白鳥の飛び立つ瞬間をとらへるかもしれない。
いよいよ現像して、友だちにも自慢する。アルバムに貼り込む。何度もくりかへして眺めては、
「ああ、よかつた。あのとき撮つておいて」
とたびたび自己満足の嘆賞を洩らす。
ところで、アルバム上の一枚の天然色写真には何が映つてゐるか。湖面から飛び立たうとしてゐる一羽の白鳥である。
なるほど写真としては美しい。しかし、それが本当に、その瞬間美しいと思つた印象と同じものかどうかと
いふと疑問である。
それから先は、われわれ文士といふものの考へ方だが、そこに写つてゐるのは一羽の白鳥にすぎない。しかし
美しさの印象といふものは、一羽の白鳥よりも大きなものである。写真は一羽の白鳥しか写さないが、われわれの
目は瞬間にもつと大きなものを写す。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より たとへば、撮影者が、その瞬間に、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の一小節を思ひうかべてゐたとする。写真には
そんなものは写らない。しかしわれわれの肉眼には、目に見えてゐる対象、一羽の白鳥以外に、音楽も写つてゐれば、
歴史も写つてをり、さういふものが渾然として美的印象を形づくつてゐるのである。
アルバムに貼られた一羽の白鳥の写真は、彼自身は美しいと思つて何度も眺めるかもしれないが、それは彼自身が
そのときの美的印象を思ひ出しながら見るからである。何度も見るうちに、その印象もだんだん忘れられて、
一羽の白鳥そのものしか目に映らなくなる。まして、ただ写真を見せられる人が、誰も彼も、それを美しいと
思ふかどうか疑問である。
われわれ文士は、実物の証拠よりも、そのときの印象のはうを大切にする。なぜなら、写真は万人にそのときの
私の印象同様のものを与へるわけには行かないから、文士としての私のやるべきことは、そのとき現在の私の
美的印象を心ゆくまで味はひ、その上で、それを強め、深め、分析し、言葉を通じて、何とか私の印象を万人に
伝へなければならないからである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より このとき、あわててカメラを向けて写真をとつたりすれば、美的印象はスルリと私の手から脱け出してしまふ。
飛び立つ白鳥はフィルムに残されても、それはもう私にとつては、ただの剥製の白鳥にすぎない。
――以上は、私の、小説家としての、写真不信の原則論である。
しかし写真にもいろいろな利点はあつて、その利点と限界をよくわきまへてゐれば、カメラきちがひも悪くないと思ふ。
よく人の家へ呼ばれて、家族の成長のアルバムなんかを見せられることがある。ところがこんなに退屈な
もてなしはない。人の家族の成長なんか面白くもなんともないからである。写真といふものには、へんな魔力がある。
みんなこれにだまされてゐるのである。ある家族が、自分の家族の成長の歴史を写真で見れば、なるほど血湧き
肉をどる面白さにちがひない。しかもそれが写真といふ物質だから、物質である以上、坐り心地のよい椅子が
誰にも坐り心地よく、美しいガラス器が誰が見ても美しいやうに、面白い写真といふものは、誰が見ても
面白からうといふ錯覚・誤解が生じる。そこでアルバムを人に見せることになるのであらう。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より しかし写真といふものは、そんなものではないことは、さつきの白鳥の写真の話でもわかるとほりである。
大部分の写真は、不完全な主観の再現の手がかりにすぎない。それは山を映しても、ふるさとの懐しい山といふ
ものは映してくれない。ただ「ふるさとの懐しい山」を想ひ起す手がかりを提供してくれるにすぎない。
「ふるさとの懐しい山」といふものは、あくまでこちらの心の中にあるので、その点では、われわれ文士の
用ひる言葉といふやつのはうが、よほど正確な再現を可能にする。
いちばんいい例が赤ん坊の写真である。
他人の赤ん坊ほどグロテスクなものはなく、自分の赤ん坊ほど可愛いものはない。そして世間の親がみんな
さう思つてゐるのだから世話はない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より 公園で乳母車を押した母親同士が出会つて、
「まあ、可愛い赤ちゃん」
「まあ、お宅さまこそ。何て可愛らしいんでせう」
などとお世辞を言ひ合ふが、どちらも肚の中では、
『なんてみつともない赤ん坊でせう。まるでカッパだわ。それに比べると、うちの赤ん坊の可愛らしいこと!
どこへ行つたつて、こんなにキリャウのいい子はゐやしない。誰でも《まア可愛らしい》つて言ふから、誰が
見たつて、きつとさうなんだわ。(中略)』と、自分の言つたお世辞はみんな忘れて、さう思つてゐる。
カメラはこの「可愛い赤ん坊」を写すのである。実は、本当のことをいふと、カメラの写してゐるのは、
みつともないカッパみたいな未成熟の人間像にすぎないが、写真は、言葉も及ばないほど、「可愛い赤ん坊」の
手がかりを提供する。なぜかといふと、赤ん坊の可愛さなどといふものは、あまりにも主観的で、あまりにも
エゴイスティックで、あまりにも普遍性のない感情だから、さすがの言葉も追ひつけず、写真ぐらゐが丁度
いいところだからである。しかしかへすがへすも注意すべきことは、自分の赤ん坊の写真なんか、決して人に
見せるものではない、といふことである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より 私どもの少年時代にも、「少年倶楽部」なら読んでいいが「譚海」は読んではいけない、といふのが、親の与へる
ひとつの基準になつてゐた。それだから「譚海」を親にかくれて読むのはたのしかつたが、それにはいつもながら、
「寄らば斬るぞッ」
とか、
「エーイッ! ギャアーッ!」
とか、
「やられたッ! ウ、ウーム」
とか、動物園の叫喚に似た擬音詞がいつぱい詰つてゐた。子供たちは擬音詞を好む。そして残忍殺伐は、遺憾ながら、
子供たちの重要な趣味の一部である。
ところで、このごろでは赤本漫画は姿を隠すどころか、大人の読者をも吸引してゐるらしい。(中略)
日本にも、この種の「大人」の激増しつつあるのが昨今で、赤本漫画、アクション漫画も、そのはうの需要を
充たしてゐるらしい。まさか学校を出て背広を着るやうになつて、路上でチャンバラもできないから、テレビや
映画のアクション物の見物から、ピストルの蒐集、射撃の練習にうつつを抜かしてゐる大人は増える一方である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より ここに男の大人の哀れな見果てぬ夢がある。女は、子供のころ夢みた、お嫁さんごつこや台所ごつこやお人形ごつこを、
大人になれば正々堂々と実現できるので、結婚して台所仕事をして赤ん坊を生めば、同時に子供時代の夢も
充たされる仕組になつてゐる。男はさうは行かない。そこで銀行につとめながら、銀行ギャングの映画に
熱中したりする妙なことになる。哲学を講じながら、こつそりチャンバラもの映画を見に行くやうなことになる。
男にとつては、幼児期の夢は、やがてその実現不可能を思ひ知らされ、夢としてのままに生き長らへる他はないことを
知らされるのである。これがすべての男の残酷な運命だ。
先頃私もアクション物映画に出演して、ピストルをふりまはしたが、このピストルといふものの持心地のよさと
云つたら、筆舌に尽しがたいもので、これでは自分の子供が成長してピストルいぢりをはじめても、とても
鹿爪らしい教訓などはできまいと思はれた。今もあのひやりと掌に重たいピストルの触感、弾倉をしらべるときの
手応へは、私の夢路に通ふのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より (中略)
それはそれとして、低俗、幼稚、残忍、粗悪、などと世間の最低の悪口を浴びてゐるこれらの赤本漫画は、
ひとたび子供に対する悪影響といふ問題を除けて考へれば、却つていろんな面白い問題を提起してゐる。
かういふものを一生けんめい読んでゐる大人の顔は(もちろん私の顔も含めて)、全然白痴的かといふと、
さういふものでもなく、カントの哲学書に読み耽つてゐる顔と、そんなに大差ないのではあるまいかと思はれる。
(中略)
ただ世の女性方は、たとへイギリス製の生地の背広を着こなした紳士の中にも、「ガーン!」「ガバッ!」
「ガシーン!」「バシーン!」などの擬音詞に充ちた低俗なアクションへの興味が息をひそめてゐることを、
知つておいて損はなからう。男にとつては、いくつになつても、そんなに「バカバカしい」ことといふものは
ありえない。「バカバカしい」といふ落着いた冷笑は、いつも本質的に女性的なものである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より このごろデパートを一トめぐりしておどろくのは、いはゆる「グッド・デザイン」の大量進出である。手術室の
メスのやうなナイフやフォーク、紙屑籠のやうな椅子や、椅子のやうな紙屑籠、マナ板まで雲形定規みたいな形を
してゐる。ガス・ストーヴ一つでも、昔風なルネサンス様式模倣の古式ゆかしい形のガス・ストーヴなんか、
東京中探したつてありはしない。(中略)日本座敷にモダンなテレビが置いてあると、何とも醜悪な感じがするが、
さりとて仏壇形のテレビなんてどこにも売つてやしない。一体何を以てグッド・デザインといふか。日本間といふ
ものが消滅せぬ以上、日本間むきの、観音びらきの扉に紫の房なんかのついたテレビ・キャビネットこそ、
グッド・デザインといふものではないか。
こんなことを言へば、進歩的デザイナー諸氏に叱られるに決つてゐるが、私自身が、近来の「機能主義にあらざれば
人にあらず」といふ風潮に逆らつて、もつとも反機能主義的な家を建て、もつとも反機能主義的な家具を誂へた
人間だから、敢て言はせてもらふ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より 大体今のグッド・デザインといふやつは、古くさい様式だの、古くさい装飾過剰だのに反抗して生れたものである。
殊に、家具や生活器具は、様式や装飾にとらはれてゐれば、必然的に、使ひ心地のわるいものになつてゐる。
昔の人は、使ひ心地のよさや快適さよりも、様式や装飾のはうを愛してゐたから、前者を犠牲にして、お尻の
痛い椅子や、持ちにくいフォークを我慢して使つてきたわけである。
機能主義といふと、バカに働き者らしく威勢よくきこえるけれども、その実、現代人のナマケ性にマッチしてゐる
やり方かもしれないのである。三度の食事も、コソコソと、昔なら男子禁制の台所の一隅で、リビング・キッチン
とやらのおちつかない合成樹脂の棚の上で、大いそぎですませる。さういふと働き者みたいだが、私に言はせれば、
そんなやり方は、御飯のたべ方を怠けてゐるのである。むかしの人は御飯をたべるのにも、煩をいとはず、
全身全霊をこめて作り且つ喰べた。西洋人のはうが今でも昔流で、フランス人は昼飯も、晩飯も、ゆつくり
二時間ほどかけて喰べる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より グッド・デザインとは、生活に対する一生けんめいな、こまごました、わづらはしい意慾と関心が薄れて来た時代の
産物である。さういふ関心をみんな機械が代用してくれる時代の産物である。
ところで、西洋ではグッド・デザインも意味があるので、ルイ式の家具調度や、曾祖母ゆづりの食器一式に
飽きた人たちが、かういふ簡素なデザインに魅力を感じる意味もわかる。古くさい家具や食器に対する、離れがたい
なつかしさと同時に、不便な憎たらしさがつのつてくると、新デザインの家具や食器がほしくなるのもわかる。
はるかに快適で、便利で、使ひよい。明るく清潔で、手入れも面倒でない。
しかし日本では、そこらへんが微妙である。日本の家ほど機能主義的な家はないので、一間が寝室にも客間にも
居間にも茶の間にもなる。ナイフやフォークやスプーンの代りに、箸が二本あれば足りる。襖は、壁とドアを
兼用してゐる。作りつけのベッドの代りに、ふとんがあり、くたびれたらタタミの上へぢかに寝ころぶことも
できる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より ……機能主義やグッド・デザインの狙ひはとつくに卒業してゐるので、日本における西洋風とは、最新のモダン・
リビング、最新のグッド・デザインでも、旧来の日本風よりいくらか反機能的な生活形態をいとなむことに他ならない。
(中略)
日本人は、様式の統一といふことをやかましく云はない。スキヤ建築の座敷にテレビを置くなら、どうしても、
紫檀か何かの箱でなくちや納まらない箸だし、芸者屋の茶の間にテレビを置くなら、ツゲの箱かなんかでなくては
をかしいのに、平気で新式デザインのテレビを置いてゐる。日本座敷の縁側に、パイプを折り曲げた椅子なんかを
置いてゐる。かういふ様式無視は、明治以来の日本人の美意識欠如と進取の気象をよくあらはしてゐる。(中略)
(グッド・デザインは)あくまで商業的成功であつて、「革命」ではないのである。グッド・デザインの販路拡大を、
「革命」だと思つてるデザイナーがゐたら、よほど考へが甘いのである。何もないところを占領するのは
革命ではありません。
その上、その商業主義的成功は誤解を生む。西洋式生活は簡便で安いといふ誤解である。こんな誤解は戦前には
なかつた。あきらかにアメリカ占領後の現象である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』より 西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。その上、生活における
様式の統一といふことを重んじる。手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風に
デザインしなければならん。コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用な
ことは、西洋人にはできない。(中略)
早い話が、日本でも、デパートで一人前数百円でメス式ナイフとフォークを買ひ込んで来て、さて、それに
合はせてグッド・デザインのディナー・セット、グッド・デザインの椅子、家具一式、ベッド、それに
ふさはしい家、(中略)……と様式の統一を心がけたら、大へんな金がかかるのである。だから大部分は、
様式の統一をあきらめて、断片だけで我慢する。
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。これが日本式ゼイタクであり、西洋への
あこがれといふダンディズムである。裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ美的で
あるといふことが、どうしてもわからないのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より 空にはときどき説明のつかぬふしぎな現象があらはれることはまちがひがない。それが大てい短かい間のことで、
目撃者も少なく、その目撃者の多くには科学的知識も天文学的知識も期待できないから、堂々たる科学的反駁を
加へられると、自分の見たものに自信がなくなつて、はつきりこの目で見たものも妄想のやうな気がして来るで
あらう。かうして葬り去られた目撃例は少なくないにちがひない。
或る日のこと、北村小松氏から電話があつて、五月二十三日の朝五時ごろ、東京西北方に円盤が現はれるかも
しれない、といふ情報が入つた。
(中略)
いくら待つても、空には何の異変もあらはれなかつた。飛行機一つ通らず、ときどき屋上をかすめて飛ぶ朝の
小鳥たちの、白いお腹を見るだけであつた。空がこんなに静かで何もないものだとは知らなかつた。
(中略)
五時二十五分になつた。
もう下りようとしたとき、北のはうの大樹のかげから一抹の黒い雲があらはれた。するとその雲がみるみる西方へ
棚引いた。
「おやおや異変が現はれたわ。円盤が出るかもしれなくつてよ」
妻が腰を落ちつけてしまつたので、私もその棚引く黒雲を凝視した。
三島由紀夫「社会料理三島亭 宇宙食『空飛ぶ円盤』」より 雲はどんどん西方へむかつて、非常な速さで延びてゆく。西方の池上本門寺の五重塔のあたりまでのびたとき、
西北方の一点を指さして、妻が、
「アラ、変なものが」
と言つた。見ると、西北の黒雲の帯の上に、一点白いものが現はれてゐた。それは薬のカプセルによく似た形で、
左方が少し持ち上つてゐた。そして現はれるが早いか、同じ姿勢のまま西へ向つて動きだした。黒雲の背景の
上だからよく見える。私は、円盤にも葉巻型といふのがあるのを知つてゐたから、それだな、と思つた。
三、四秒、肉眼で追つたのち、私はあわてて双眼鏡を目にあてたが、妻も写真機のファインダーをのぞいてゐる。
私が双眼鏡から目を離したとき、すでにその姿はなかつた。妻はファインダーの中にキャッチしてゐたが、
シャッターを切る自信がないままに、出現してから五、六秒で、西方の雲の中へ隠れたのである。
――これを見て、われわれが鬼の首でも取つた気になつたのは言ふまでもない。
しかし周囲は意外に冷静で、父の如きは、夫婦が共謀してデッチ上げをやつてゐるんだ、と頭から信じない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 宇宙食『空飛ぶ円盤』」より 肝腎な目撃者の妻も、
「あれ、きつと円盤よ。信じるわ、私も。でも一度見たから、又見なくてもいい」
とケロリとしてゐる。
日を経るにつれて、私の自信も何だか怪しくなつてきた。それが果して円盤だつたかどうか、科学的に証明する
方法はないし、北村小松氏も風邪で寝てをられて、目撃されなかつた。
日ましに私は、自分で見たものが信じられなくなつてゐながら、人が「そりや目の錯覚だらう」などと言ふと、
腹が立つのである。とにかくわれわれ夫婦が、ヘンなものを見たのはたしかである。それを誰にも信じさせることが
できないのは、妙に孤独な心境に私を追ひ込んだ。(中略)しかしもしあれが円盤だとしたら、乗つてゐた宇宙人は、
今ごろ私のあやふやな心境を、嘲り笑つてゐることであらう。「ここに俺がゐるのに、あいつは地球人の
つまらん常識にとらはれてゐる」といふ彼らの笑ひ声が耳にきこえてくるやうな気がする。
哲学的見地から云ふと、かうしてここにわれわれ人間が生存してゐるといふ事実も、宇宙人の存在以上に確実な
ものといへるかどうか、甚だあやしいのである。夏の星空がそのことを教へてくれてゐるやうだ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 宇宙食『空飛ぶ円盤』」より 去る六月二十二日のこと、読売新聞の「夫の注文」といふ欄に、「いい年をしてミーハー趣味」といふ題の
投書が載つた。その投書は、「テレビといへば鶴田浩二にうつつをぬかし、タンスの上の写真立てには仲代達矢が
ニンマリ笑つてゐる。茶の間のガラス戸には大川橋蔵があつちを向いたりこつちを向いたり。そんなミーハー趣味より、
少しは知性を高める本でも買つたらどうか。子供が大きくなるといふのに、おばあさんになつても石原の
ユウちやんはいいねなどといふことになるのではイウウツだ」といふ趣旨のものだつたが、その反響は俄然
ものすごく、百通近くの投書が来た。(中略)
こんなつまらないことに賛成したりムキになつて反対したりする投書族の心理はさておき、この種のミーハー
奥さんは、百通の投書を氷山の一角として、日本全国に無数にちらばつてゐると考へてよからう。ブロマイド
ぐらゐで満足してゐるあひだはいいが、若い映画俳優や歌手の後援会には、三十代以上の奥さんも、相当なる
パーセンテージで参加してゐる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より さて、ブロマイドを飾るのが低俗かどうかなどと論ずるより先に、ブロマイドといふものが何を意味するかを
考へたはうが早い。
鑑賞用美男などといふと体裁がいいが、ブロマイドは明らかに人気にもとづいてをり、その人気とは、悲しいかな、
芸よりもむしろ、その俳優の性的魅力にもとづいてゐる。だから、身もフタもないところ、女性にとつての、
男優の顔のブロマイドは、男性にとつての女のヌード写真とさしてちがはない意味を持つてゐると云つていい。
ただ女性にとつては、男の顔だけで十分なので、女性ヌードに対抗して、ハリウッドで、男優の水着姿の
ブロマイドを一杯売り出したところ、案に相違して、ちつとも売れなかつたさうである。
もし芸や人格や名声にあこがれてのことなら、乃木大将や坂東三津五郎や、毛沢東の写真を飾ればいいわけで、
ブロマイドの男優たちは、若くて美男であるといふことを、全然内容ヌキで買はれてゐるわけだが、顔といふものは
おのづから人間の気質を暗示するから、何とでも言ひのがれができる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より この「言ひのがれ」といふことが、女性にとつてのブロマイドの魅力の一つである。
「仲代達矢つて、孤独で、ニヒルで、どこか悪の漂ふ魅力だわ」
などとブロマイドを見ながら言つてるが、それは映画の作つたイメージにすぎず、仲代君が本当に孤独でニヒルで
悪党であるかどうか、本人にきいてみなければわからない。いや、本人にもよくわからないだらう。性格はよく
顔と反対の場合があるのである。しかしかう言つてる分には、
「仲代達矢の顔見てると、シビれて来るわ」
などと旦那様に告白するよりは無難である。旦那様も、どうにもシビれさせやうのない自分の顔は棚上げにして、
何とか奥さんの要望にこたへて、「孤独で、ニヒルで、悪の漂ふやうな魅力」を身につけようと努力するかもしれない。
その結果、旦那様が、本当に手形偽造や公金費消にでも手を出したら、それは奥さんの責任といふものだが……。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より しかしミーハー奥さんがブロマイドを飾り立ててゐたら、まづ旦那様は、自分の若さと性的魅力をすでに失つたか、
あるひははじめから持つてゐなかつたか、に気づかなければならない。そのくらゐの敏感さもなくて、
「少し知性を高める本でも買つたらどうか」
などと言つてるのでは、現代の亭主として落第である。
若い美男俳優のブロマイドは、奥さんよりも旦那に向つて、不断に、
「お気の毒ですなア。別に僕はお宅の御夫婦仲の邪魔をしてるわけでもなし、薄つぺらの無害の紙きれですが、
旦那よ、あなたの確実に持つてゐないものを、僕は全部持つてゐるんですからなア」
と話しかけてゐるやうなものである。亭主たるもの、豈(あに)奮起せざるべけんや。
しかし、深夜ひそかに亭主も耳をすまして、ブロマイドが何を独り言を言つてるか、ちよつときいてみる必要がある。
奥さんの鏡台の上で、あるひは茶ダンスの上で、かれらはかう言つてゐるのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より 「僕も商売だから、かうしてお宅のガタガタの鏡台や、安物の茶ダンスの上で、歯を見せて御愛想笑ひをしてゐるが、
あなたにして上げられるのは、これだけですよ、奥さん。もしあなたがヘンな気を起して、僕の家を突然訪ねてでも
来られたら、うちの玄関番が、うやうやしくお引取りねがふほかはないでせう。何しろ僕は、ひどく忙しくて、
ひどく疲れてゐるんですからね。今は僕も独身ですが、いづれ結婚するときは、十代か二十代はじめの、ピチピチした
若いきれいな娘をもらひますよ。奥さんと僕ぢやね、年もちがひすぎるし、生活感情も何もかもちがひすぎますもの。
くれぐれも己惚れてヘンな気を起さないで下さいね。僕たちの付合はこれだけにしておきませうね」
――もちろん知的な女も、美男俳優のブロマイドを見て、心を動かされることはあるだらう。しかし彼女が一切
その意志を表明せず、ブロマイドなんかを身辺に近づけないのは、右のやうな深夜のブロマイドの独り言を、
ちやんときいてゐるからぢやないかと思はれる。知的な高尚な女は、耳がとてもよく利くのだ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より さて本題に戻つて、いはゆるミーハー奥さんは可愛らしい。彼女の耳にはそんな独り言は永遠にきこえないのである。
しかもきこえないから、暴走するかといふと、さにあらず、適当なところで止まつて、よそへ行けば亭主の
惚気を言ひ、年をとれば、それこそ孫を相手に「裕ちやんはいいね」などと言つてゐる。
ミーハー奥さんのブロマイド道楽は、女性が無意識に出してゐる小さな可愛らしい尻尾であつて、かういふ尻尾を
出してゐる女性は、無意識の美徳を持つてゐるから、永遠に可愛らしい。おばあさんになつても可愛らしい。
男性はこの尻尾に感謝すべきである。こんな尻尾のどこにも見えない知的で高尚な女こそ本当の魔物である。
しかし、男性もへんないたづらつ気を出して、奥さんのこんな無意識の尻尾を気にして、その尻尾をギュッと
引張つたりしないはうがいい。引張られた尻尾は忽ち九尾に裂け、おそるべき魔性をあらはし、目は怒り、口は裂けて、
女性の怖るべき本質をむき出しにするであらう。賢明な男とは、女をして、女の本質に目をひらかせないやうに、
いつもうまく誘導してゆくことのできる男である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より 川端さんは、暗黒時代に生きる名人で、川端さんにとつて「よい時代」などといふのはなかつたにちがひない。
「葬式の名人」とは、川端さんにとつて、「生きることの名人」の同義語に他ならなかつた。この世は巨大な
火葬場だ。それなら、地獄の火にも涼しい顔をして生きなければならないが、現代はどうもそればかりではないらしい。
地獄の焔が、つかんでも、スルスル逃げてしまふのである。そして頬に当るのは生あたたかい風ばかりである。
これには川端さんも少し閉口されたらしい。「眠れる美女」は、そのやうな精神の窒息状態のギリギリの舞踏の
姿である。あの作品の、二度と浮ぶ見込のなくなつた潜水艦の内部のやうな、閉塞状況の胸苦しさは比類がない。
そこで川端さんの睡眠薬の濫用がはじまり、濫用だけに終つてゐればよかつたが、その突然の停止が、あたかも、
潜水夫が急に海面に引き上げられたやうな、怖ろしい潜水病に似た発作を起した。精神を海底に沈下させたまま、
肉体だけ急速に浮き上らうとした結果と思はれる。――医学的に云へば、何のことはない、睡眠薬中毒の禁断
症状である。
三島由紀夫「最近の川端さん」より (中略)
――さて、川端さんは間もなく無事退院され、健康も旧に復されたが、(中略)或る文学全集に私の巻が出て、
口上代りに冒頭の文句に、「葉隠」から引用して、
「定家卿伝授に歌道の至極は身養生に極り候由」
と禿筆をのたくつたのが、川端さんのお目にとまつたらしい。
(中略)定家のこの言葉には、妙な暗い秘儀がひそんでゐるやうな気が私にはしてゐる。
なぜなら、幼少のころ病弱で、このごろになつてバカに健康第一になつた私などには、殊に健康の有難味が
わかる一方、生れつき健康な人の知らない、肉体的健康の云ひしれぬ不健全さもわかるのである。
健康といふものの不気味さ、たえず健康に留意するといふことの病的な関心、各種の運動の裡にひそむ奇怪な
官能的魅力、外面と内面とのおそろしい乖離、あらゆる精神と神経のデカダンスに青空と黄金の麦の色を与へる
傲慢、……これらのものは、ヒロポンも阿片も、マリワーナ煙草も、ハシシュも、睡眠薬も、決して与へない
奇怪な症状である。
私に悪筆の書を要求された川端さんは、夙にその秘密を見抜いてをられたのかもしれないのである。
三島由紀夫37歳「最近の川端さん」より 氏ほど秘密を持たない精神に触れたことがないと私が言つても、おそらく誇張にはなるまいと思ふ。秘密とは何か?
一体、人間に重大な秘密なんてものがありうるのか? われわれに向つてすぐさまかう問ひかけてくるのが、
氏の精神なのである。これは破壊的な質問であるが、氏は決して論理を以て追究することはない。問ひかけただけで
相手が凍つてしまふことが確実であるとき、どうして論理が要るだらう。
氏自身はダリの画中の人物のやうに、風とほしのよい透明きはまる存在であるのに、私は氏に接してゐると、
氏が自分の外部世界のお気に入りの事物へ秘密を賦与してゆく精妙な手つきが見えるのであつた。そこで氏が
世間の目に半ば謎のやうにみえてゐる理由も判然とする。氏自身の精神には毫も秘密がないのに、氏は自ら与へた
秘密の事物に充ちた森に囲まれてゐるからだ。その森には禽獣が住んでゐる。美しい少女たちが眠つてゐる。
眠つてゐる存在が秘密であるとは、秘密は人間の外面にしかないといふ思想に拠つてゐる。その存在を揺り
起してはならない。
三島由紀夫「川端康成読本序説」より 揺り起せば、とたんに秘密は破れ、口をきく少女や口をきく禽獣は、たちまち凡庸な事物に堕するのだ。なぜなら
そこから、心が覗けてしまふからだ。そして心には美も秘密もない。川端文学が、多くの日本の近代小説家が
陥つた心理主義の羂(わな)に、つひに落ちずにすんできたのには、こんな事情がある。――これは存在に対する
軽蔑だらうか? 軽蔑から生れた愛だらうか? それとも存在に対する礼儀正しさと賢明な節度だらうか?
そこに保たれる情熱だらうか?……この二つの見方で、川端文学に対する見方はおそらく劃然と分れる。
前者の見方を固執すれば、氏の文学は反人間主義の文学で、厭世哲学の美的な画解きのやうに思はれてくる。
また後者の見方を敷衍すれば、「川端先生の小説つて素敵だわ」と言ふ若いセンチメンタルな女性読者の、
「清潔好き」の嗜好までも含めることになる。氏の文学の読者層の広汎なことは、かういふさまざまな誤解を
ゆるすところにあるのであらう。それはそれでいいので、いささかの誤解も生まないやうな芸術は、はじめから
二流品である。
三島由紀夫「川端康成読本序説」より 私の考へでは、氏の文学の本質は、相反するかのやうにみえるこの二つの見方、二つの態度の、作品の中でだけ
可能になるやうな一致と綜合であらうと思ふ。もしわれわれが畏敬すべきものだけを美とみとめるなら、美の世界は
どんなに貧弱になるだらう。のみならず、畏敬そのものに世間の既成の価値判断がまざつてゐるならば、美の世界は
どんなに不純なものになるだらう。それならむしろ、やさしい軽蔑で接したはうが、美は素直にその裸の姿を
あらはすだらう。しかし軽蔑が破壊に結びつき、美の存在の形へづかづかと土足で踏み込むやうなことをしたら、
この語らない美は瞬時にして崩壊するだらう。われわれは美の縁(へり)のところで賢明に立ちどまること以外に、
美を保ち、それから受ける快楽を保つ方法を知らないのである。こんなことは人間の自明の宿命であるが、現実の
世界では、盲目の人間たちがたえずこの宿命を無視し、宿命からしつぺ返しを喰はされてゐる。川端氏は作品の
中でだけ、この宿命そのものを平静に描いてみせるのである。
三島由紀夫37歳「川端康成読本序説」より 処女も小鳥も犬も、自らは語り出さない、絶対に受身の存在の純粋さを帯びて現はれる。精神的交流によつて
エロティシズムが減退するのは、多少とも会話が交されるとき、そこには主体が出現するからである。到達不可能な
ものをたえず求めてゐるエロティシズムの論理が、対象の内面へ入つてゆくよりも、対象の肉体の肌のところで
きつぱり止まらうと意志するのは面白いことだ。真のエロティシズムにとつては、内面よりも外面のはうが、
はるかに到達不可能なものであり、謎に充ちたものである。処女膜とは、かくてエロティシズムにとつては、
もつとも神秘的な「外面」の象徴であつて、それは決して女性の内面には属さない。
川端文学においては、かくて、もつともエロティックなものは処女であり、しかも眠つてゐて、言葉を発せず、
そこに一糸まとはず横たはつてゐながら、水平線のやうに永久に到達不可能な存在である。「眠れる美女」たちは、
かういふ欲求の論理的帰結なのだ。
三島由紀夫39歳「解説(『日本の文学38川端康成集』)」より 宝塚滞在のための目算は立つてゐたが、大阪へ到着当夜の宿に困つた私は、親戚のものの紹介状をさし出して、
一夜の宿の世話を駅長に懇望した。(中略)
ホテルは土地に不案内の私にもすぐに見つかつた。四階建の小ぢんまりしたビルである。
入口は日本映画に出てくるセットの安ホテルによくあるやうな奴である。入るとすぐ右にフロントがある。
靴のまま上らうとした私はたしなめられた。
「靴はね、御自分でもつて上つて下さい」
破れたスリッパが、海老いろの絨氈とは、一応不似合である。
私はうけとつた鍵をポケットに入れ、二つの鞄と一足の靴を持余して三階へゆく階段の途中で一休みした。
『靴つて奴は、手に持つとなると、何て不便な恰好をしてゐるんだらう』
私はかう考へて、靴紐を解いて一緒に結んで、その結び目の輪を指にかけた。
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より 空のビール罎と残肴の皿を盆にのせて下りて来た女中が、私にぶつかりさうになつて、アレエといふ古風な悲鳴を
口の中で叫んだ。私はひがみではないが、この女中の目つきにも、何となく自分が客扱ひをされてゐないのを感じる。
故なくしてダブルベッドを一人で占領する私のやうな客は、汽車の坐席に横になつて二人分の空間を占領する
乗客のやうに社会的擯斥に会ふものらしい。私は昇りがけに、上から盆を見下ろしたが、不味さうに残つた
メンチボールらしいものの皿は二つある。そのちぎれて残つたメンチボールは、何かとてもいやらしい喰べ物の
やうに思はれる。
三階の廊下は森閑としてゐた。つきあたりの窓の空が駅近傍のネオンサインのために火事のやうに紅い。
私の部屋は三一四号である。入ると、六畳にしてはひろい八畳にしては狭い殺風景な全景があらはれる。(中略)
床は安つぽい紋様の緑いろのリノリュームで張つてある。壁紙は臙脂(えんじ)と白の花もやうであるが、別段
色あせてゐるやうにも見えないのは、一日中日光の射しこまない部屋だからであらう。
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より 見上げると、天井から、裸電球が臆面もなく下つてゐて、部屋のなかで今しがた何かが動いたやうな気がしたのは、
揺れてゐる電灯のおかげで、私の影が揺れたのである。
早速顔を洗はうとすると、部屋の一方の壁をおほふ薄汚れたボイルのカーテンが目に入る。そのカーテンの
万遍ない汚れ方といふものは、人工的に汚れを染めたとしか思はれない。その片方をあけると、鏡と洗面器があり、
片方をあけると真鍮の棒から洋服掛が下つてゐる。
私はたつた一つの三等病室のやうな窓をあけた。
その硝子といふのがまた、厚い緑がかつた磨硝子の中に金網を仕込んだ奴である。
午後九時だつた。窓の下の錯雑した家の二階の窓には目かくしがない。薄暗い部屋のなかでほつれ毛をしきりに
掻き上げながら、ミシンを踏んでゐる女のすがたが見える。横顔が妙に骨ばつて、尖つてみえる。狐かもしれない。
……空の遠くには大小さまざまのネオンサインがいそがしく活動してゐる。ここからは中の島の方角が見えるの
かしらん。
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より 忽ち扉がノックされた。
女中が入つてくる。ひどくだらしのない風態で、はらわたのはみでた桃いろの草履を引きずつて歩いてゐる。
手には土瓶と茶碗をのせた盆を持つてゐるが、すすめられた茶碗から呑まうとすると、御丁寧に縁が大きく
欠けてゐる。
お茶をのむ。無言の対峙。呑みをはる。
「御勘定!」
間髪を容れずしてかう言はれては、いくら私が剛胆でも好い加減おびやかされる。
「いくらだい」
茶代の催促かと考へて私はたづねた。
「七百五十円!」
ずいぶん高い番茶もあるものである。呆気にとられてゐると、重ねてかう言つた。
「朝食とコミで七百五十円」
つまり彼女は、このホテルの合理的な慣習に従つて、宿泊料・茶代・食費を含むお会計全額を前金で請求して
ゐるのである。
女中が行つてしまふと私は退屈した。廊下へ出た。
(中略)
……私は緑いろのリノリュームの上を巡査のやうに何となく歩いた。
『案内人のないホテルといふのは洒落れたものだなあ』と私は考へた。『前金制、……案内人なし、……その他に
どんな規約があるのかしらん』
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より 私は壁に不細工に貼られてゐる注意書を丹念に読んだ。
(中略)
余談になるが、かういふ注意書に興味をもつのが私の道楽である。
学士会館の喫煙室の椅子の背には、いちいち札がぶら下つてゐて、その札にどんな馬鹿なことが書いてあつたかを
おぼえてゐるのは、この道楽のおかげである。覚えてゐる人もあるかもしれないが、椅子毎にぶら下つてゐた
木札にはかう書いてあつた。
「この椅子の位置を動かした方は、お忘れなく元の位置に戻しておいて下さい」
また余談になるが、東京大学法学部の厠には、磁器の板に刷つたこんな文句が壁にはめてあつた。
「この便所は水洗便所で、特別の装置をもつたものですから、固い紙類、異物、セルロイド等を投下すると、
パイプが梗塞状態になり故障を惹起すことになりますから、十分注意の上、使用して下さい」
六法全書をめくると、こんな法律がある。
「動物の占有者は其動物が他人に加へたる損害を賠償する責に任ず。但し動物の種類及び性質に従ひ相当の注意を
以て其保管を為したるときは此の限に在らず。占有者に代はりて動物を保管する者も亦、前項の責に任ず」
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より ……たまたまこんな馬鹿らしいことを私が思ひ出したのには理由がある。椅子に下つたあの妙な木札は、椅子の
上での安楽な休息と別物であるやうに、便所の掲示は生あたたかい糞尿と、法律の規定はよく跳びまはる元気な
フォックステリヤと、一応別物でありながら、そこには何かしら「ありうべき場合」を網羅しようとして陥つた
抽象の中に、異様に生々しいものが横たはつてゐる。生きてとびはねてゐる現実の犬よりも、もつと生々しい
抽象的な犬がそこに想定される。
ホテルの規定は、いふまでもなく馬鹿らしいものの一つである。しかしこの注意書のおかげで、この殺風景な
部屋には、妙に生々しい実質が与へられてゐるやうに思はれる。連れ込みのお客も部屋へ入つた以上、こんな
規定に則つて行動し、その限りではみんな劃一的な、身も蓋もない存在になつてしまふ。その限り……、それが
生活といふものだ。それなしには誰も実質を失つてしまふ場所で、この注意書が「生活」の教訓を垂れてゐるのだ。
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より 朝の食事には規定に従つて地下室の食堂がアベックで溢れるだらうと考へた私の目算は外れた。行つてみると、
タイル張の冷え冷えとした部屋に、タイル張の大きな柱がいくつも立つてゐる。タイルの柱はあらかた剥げてゐて
汚ならしい。配膳机のやうな長方形のテーブルが並んでをり、椅子がひつそりと並んでゐる。
「何番さん?」
と出て来たコックがたづねた。
「三一四番」
と私は答へた。私はこんな取扱には一向平気だ。
渦巻の凸凹のあるアルミニュームの丸盆に満載した朝食が運ばれて来て、盆ごと私の前に置かれた。
日向水のやうな味噌汁をすすつてゐると、疲労困憊したスリッパの足音がして、着流しの老人がやつて来て、
私の目の前のテーブルに背を向けて坐つた。
坐りかけて右方の柱のかげへ、やあ、おはやう、と嬉しさうに挨拶した。今まで見えなかつたが、そこには
もう一人食事をしてゐる人があるらしい。私のところからは依然見えにくい。
間もなく柱のかげの人は立上つて、コックに、おつさん、ごちそうさん、と声をかけてゐる。
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より 見ると、四十を越したか越さないかの荒んだ肌の女である。寝間着に伊達巻ならまだしものこと、細紐一本が
ゆるゆると浴衣の胴中を締めてゐる。細紐はぬるま湯のやうにほどけてしまひさうで、もしかするとこんな
着こなしは、寝起きに水おしろいを刷いた衿元を見せようためかもしれない。女は立つたまましばらく楊枝を
使つてゐたが、煙草に火をつけると、一吹きしては、大袈裟に指さきであたりの煙を払ふやうにしながら食堂を
出て行つた。
あとには老人の入歯の歯音が、人気のない朝の食堂できかれる唯一の音である。
『全くへんな旅行の振出しだ』と私は考へた。
『早く逃げ出さなくてはいけない』
こんな風変りな宿に永くゐたら、予測することもできない不幸に引止められて、あの老人の年まで居つづけなければ
ならぬやうにならないとも限らない。朝飯をすませたら、すぐ出てしまはう』
……さうして私は地上へ向けられた地下室の天窓を見上げるが、こいつも例の金網入りの青い磨硝子である。
硝子を透して来る光は明るいけれども、その上をひつきりなしに流れてゐる淡緑色の水の影は、今朝になつて
降りだした雨らしかつた。
三島由紀夫「大阪の連込宿――『愛の渇き』の調査旅行の一夜」より この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。
別に化物が出たといふ話ではない。
ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、
九時ごろ床についたのがいけなかつた。
宿の表てつきは、丁度、芝居の「一本刀土俵入」の取手の宿とそつくりで、いかにも古雅なものだが、道の往来は
芝居のやうには行かず、すぐ県道に面してゐるので、石材を積んだトラックや大型バスが通るたびに、宿全体が
家鳴震動する。
それでまづ寝つきを起され、又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、
酒宴がはじまつた。
と、それにまじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも
へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より 更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついたやうな
騒ぎになつてしまつた。
やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。
しばらく音がしないで、寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に
一トさわぎがある。
西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。
一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に
眠りを破られた。
「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」
それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より (中略)
――かうして一日たち二日たつた。
最初の一夜は、「これは大変だ」と思つたのに、馴れといふものは怖ろしいものである。
二日目にはもう隣室の話し声は気にならず、トラックやバスの響きに眠りを破られることがなくなつた。
三日目になると完全にコツをおぼえ、宿中全員が寝静まらぬうちは眠らぬことにきめ、女中を呼ぶにも大音声を
張りあげ、食事がおそいときは、
「おそいぞ!」
と怒鳴り、よその子供がバタバタ廊下をかけまはれば、
「うるさいぞ!」
と怒鳴つて、夜寝不足ならば十分昼寝をし、ほぼ快適な生活を送れるやうになつた。
――それはさておき、かりにも都会で、プライヴァシィを重んずる「近代的」生活を、生活だと思ひ込んで
ゐる人間には、人の迷惑などを考へずにのびのびと暮してゐるかういふ旧式の日本人の生活は、おどろくべき
ものであつた。
都会なら、となりのうるさいラヂオを容赦しないが、ここではラヂオはすべて音の競争であつて、隣りのラヂオが
うるさかつたら、家のラヂオの音をもつと大きくすればそれですむのである。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。
西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない孤独がひそんでゐるのである。
(中略)
そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、
何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつたはうが
賢明なのかもしれない。少くとも、さうしておけば、U2機事件みたいなのは、起りやうがないのである。
しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが
そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を
発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。
三島由紀夫35歳「プライヴァシィ」より 朝刊一面をふさいだ三億円強奪事件
http://s1.shard.jp/rabbit1/02/2/24_1.html
本来なら、ノーベル文学賞受賞の川端康成の記事で朝刊一面は埋まっていたはず。 男は一人のこらず英雄であります。私は男の一人として断言します。ただ世間の男のまちがつてゐる点は、
自分の英雄ぶりを女たちにみとめさせようとすることです。
「何くそ! 何くそ!」
これが男の子の世界の最高原理であり、英雄たるべき試練です。
「足が地につかない」ことこそ、男性の特権であり、すべての光栄のもとであります。
子惚気ばかり言ふ男は、家庭的な男といふ評判が立ち、へんなドン・ファン気取の不潔さよりも、女性の好評を
得ることが多いさうだが、かういふ男は、根本的にワイセツで、性的羞恥心の欠如が、子惚気の形をとつて
現はれてゐる。
動物になるべきときにはちやんと動物になれない人間は不潔であります。
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
三島由紀夫「第一の性」より 女は「きれいね」と、云はれること以外は、みんな悪口だと解釈する特権を持つてゐる。なぜなら男が、
「あいつは頭がいい」と云はれるのは、それだけのことだが、女が「あの人は頭がいい」と云はれるのは、概して
その前に美人ではないけれどといふ言葉が略されてゐると思つてまちがひないからです。
「積極的」といふのと、「愛する」といふのとはちがふ。最初にイニシァチブをとるといふことと、「愛する」と
いふこととはちがふ。
相手の気持ちをかまはぬ、しつこい愛情は、大てい劣等感の産物と見抜かれて、ますます相手から嫌はれる羽目になる。
愛とは、暇と心と莫大なエネルギーを要するものです。
小説家と外科医にはセンチメンタリズムは禁物だ。
男性操縦術の最高の秘訣は、男のセンチメンタリズムをギュッとにぎることだといふことが、どの恋愛読本にも
書いてないのはふしぎなことです。
三島由紀夫「第一の性」より 変り者の変り者たる所以は、その無償性にあります。世間に向つて奇を衒ひ、利益を得ようとするトモガラは、
シャルラタン(大道香具師)であつて、変り者ではありません。
変り者と理想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。どちらも、説明のつかないものに対して、第三者からは
どう見ても無意味なものに対して、頑固に忠実にありつづける。
男の性慾は、ものの構造に対する好奇心、探求慾、研究心、調査熱、などといふものから成立つてゐる。
男には謎に耐へられない弱さがある。
男に与へられてゐる高度の抽象能力は、この弱さの楯であつたらしい。抽象能力によつて、現実と人生の謎を、
カッチリした、キチンと名札のついた、整理棚に納めることなしには、男は耐へられない。
人間は安楽を百パーセント好きになれない動物なのです。特に男は。……こればかりは、どんなにえらい御婦人たちが
矯正しようとかかつても、永久に治らない男の病気の一つであります。
三島由紀夫「第一の性」より スタアといふものには、大てい化物じみたところがあるものです。
政治家の宿命は、死後も誤解を免かれないところにあるのでせう。
俳優といふショウ・アップ(見せつける)する職業には、本質的にナルシスムと男色がひそんでゐると云つても
過言ではない。
宗教家ほどある意味では男くさい男はありません。そこでは余分の男がギュウギュウ抑へつけられ、身内に溢れて
ゐるからです。
宗教家といふものには、思想家(哲学者)としての一面と、信仰者としての一面と、指導者、組織者としての一面と、
三つの面が必要なので、それには、男でなければならず、キリストも釈迦も、男でありました。
三島由紀夫「第一の性」より 息子が大きくなれば全学連にならぬかとおそれをののき、娘が大きくなれば悪い虫がつきはせぬかとひやひやする、
親の心配苦労をよそに、息子ども娘ども、
「お前の高校は処女が一割だつていふぜ」
「アラ、わりかしいい線行つてるわね」
などとほざき、オートバイのマフラーをはづして、市民の眠りをおどろかし、雨の日には転倒して頭の鉢を割り、
あわてた親が四輪車を買つてやれば、たちまち岸壁から海へどんぶり。山へ出かけては凍え死に、スキーへ
出かけては足を折る。身体髪膚、父母からもらつたものは一つもないかの如くである。
三島由紀夫「贋作東京二十不孝――井原西鶴」より 蔭では親のことを「あいつ」と呼び、働きのない親は出てゆけがしに扱はれ、働きのある親とは金だけのつながり。
いつも親に土産を買つてかへる今どきめづらしい孝行者と思へば、万引きの常習犯で、親が警察へ呼び出されて、
はじめてそれと知つてびつくり。これなどは罪の軽い方で、いつ息子に殺されるかと、枕を高くして寝られない
親もあり、こどもの持つてゐる凶器は、鉛筆削りのナイフといへども、こつそり刃引きをしておいたはうが
無難である。
日曜日も本に読みふける子は、あつといふ間にノイローゼになり、本を読まぬ子はテレビめくら。親父の代には
不良は不良でも、硬派の不良となると世間も認めたが、今は硬軟とりまぜの時代で、親の目には一向見当もつかず、
軟派とおもへばデモ隊で声を嗄らし、硬派とおもへばいつのまにやらプレイボーイとかになり下がり、娘が
「オレ」と言ひ、息子は「あのう……ぼく」と言ふ世の中。
三島由紀夫37歳「贋作東京二十不孝――井原西鶴」より 恋してはいけない!
恋したら怖ろしいことになる!
恋したらだれかが死なねばならぬ!
これが姦通のダイゴ味であつて、みんなに祝福される恋なんか、これに比べたら日向水にすぎません。この怖ろしさが、
また、恋のダイゴ味の絶頂ですから、かくも永いあひだ、文学や演劇で、姦通は恋愛の代表の役目をつとめて
来られたのです。
不貞を働いた女房を愛するもつとも男性的な愛し方は、彼女を殺すこと以外にはありません。
厳粛さ、三つ巴にガッチリ組まれた人間おのおのの純粋さ、これが姦通の真の美しさであります。女は青年を
愛して、夫もこどもも金も平和もすべてを投げ捨て、青年は女を愛して命を投げ出し、夫はそのとき二人を
殺すことしか考へない……。
姦通とは、恋愛対社会のもつとも純粋な公式なのです。世間的に尊敬されてゐる夫も、ひとたびこのドラマに
組み込まれた以上、社会の掟もものかは殺人犯にならなければならない。
三島由紀夫「反貞女大学 第一講 姦通学」より 女性はともすると、自分の力でもないものを楯にして、相手を軽蔑する。
ひよつとすると、夫への軽蔑には、母性愛の別なあらはれがあるのかもしれません。これはもつとも愛すべき、
おだやかな軽蔑といふものです。
私の知つてゐる奥さんで、亭主が脳溢血で倒れて生死の境をさまよつてゐるとき、オリンピックの開会式へ
出かけた人がありますが、これなんか、軽蔑学の最高段階といふものです。
妻の軽蔑病は、ぜいたくと暇と退屈から生まれることが多く、その経済的裏づけは夫のおかげなのですから、
多くの場合、夫は働くことによつて、自分に対する妻の軽蔑を助長してゐることになります。これが夫婦と
いふものの、かなり情ない実態であります。
軽蔑とは、女の男に対する永遠の批評なのであります。
三島由紀夫「反貞女大学 第二講 軽蔑学」より 女性の特徴は、人の作つた夢に忠実に従ふことでせうが、何よりも多数決に弱いので、夫の意見よりも、つねに
世間の大多数の夢のはうを尊重し、しかもその「視聴率の高い夢」は大企業の作つた罠であることを、ほとんど
直視しようとしません。
「だつて私の幸福は私の問題だもの」
たしかにさうです。しかし、あなたの、その半分ノイローゼ的な、幸福への夢へのたえざる飢ゑと渇きは、実は
大企業が、赤の他人が作つてゐるものなのです。
三島由紀夫「反貞女大学 第三講 空想学」より
大昔の男は、女が妊娠と育児のために、平和な静かな場所と栄養を必要とすればするほど、それを確保してやる
ために、夫婦愛から戦争をおつぱじめたものである。なぜなら男は何かを得るためには、戦ひ取るほかに方法を
知らないからです。
一から十まで完全に良い趣味の男といふのは、大てい女性的な男ですし、ニヒリズムを持たない男といふのは、
大てい脳天パアです。
三島由紀夫「反貞女大学 第四講 平和学」より 貞女とは、多くのばあひ、世間の評判であり、その世間をカサに着た女の鎧であります。
一夫一婦制が存在し、社会のモラル感覚がそんなに飛躍しないかぎり、「貞女」といふ看板は、表むき、どこでも
役に立ちます。
三島由紀夫「反貞女大学 第五講 嫉妬学」より
芸術および芸術家といふものは、かれら自身にとつては大事な仕事であるものが、女性からは暇つぶしに使はれる
といふ宿命を持つてゐる。モーツァルトがどんなにえらからうと、暇がなければ、誰がモーツァルトをきく気に
なるでせう。トルストイがどんなに天才だらうと、暇がなければ「戦争と平和」なんて読めたものではない。
ところで女性は、自分の暇を、何かきよらかな、美しい、崇高な時間に変へてくれたものに対して感謝を忘れません。
亭主はそれに反して、彼女の暇を、掃除だの、授乳だの、おむつの洗濯だので充たしてくれましたが、何ら
精神的に高めてくれたことがない。
そこで彼女たちの幻の芸術崇拝、芸術家崇拝がはじまります。
三島由紀夫「反貞女大学 第六講 芸術学」より 芸術家といふのは自然の変種です。
角の生えた豚は、一般の豚から見れば、たしかに魅力的かもしれませんが、何も可愛いわが豚娘に、わざわざ
角を生やしてやるには及ばない。
三島由紀夫「反貞女大学 第六講 芸術学」より
ちよつと考へると、「ものを食はせたがる女」は母性型貞女で、「もの食ふ女」は浪費型貞女のやうに思はれますが、
一概にさうともいひきれません。
三島由紀夫「反貞女大学 第七講 食物学」より
方向オンチを特色とする女性が、どこかの地理を意外によく知つてゐたら、あやしいと思つてよろしい。それは
彼女がその土地、その場所に、よほど特殊な思ひ出を持つてゐると考へてよいからです。
恋愛のやうな感覚的高揚状態では、理性的な地理学を超越することがしばしばある。もう一度あの人に会ひたい、
とどちらも思つてゐるばあひ、ひろい東京の中でも、ふしぎと偶然に出あはすことがあるものです。確率から
いつたら、おそらく何億分の一のチャンスでせう。
三島由紀夫「反貞女大学 第八講 地理学」より 夫婦同伴の社交といふのは、本当のところ、ひとの奥さんをただの芸者がはりに使つて、会合に色どりと潤ひを
添へようといふ目的にほかならない。
女の社交能力には、いくばくの娼婦性がひそんで来ることは、当然であつて、この点古代ギリシャや日本のやうに、
女をはつきり娼婦と母性に二分し、芸者的なものと家女房的なもの、くろうととしろうととに分けてしまつて
きた社会とは、そこにおのづから相違がある。多少の精神的娼婦性が美徳とされるやうな社会でなくては、
夫婦同伴システムによる社交は、じゆうぶんに開花するはずがないのです。
愚連隊仲間がそれぞれスケをつれてピクニックに出かけ、イザコザのあげくに、血の雨を降らす、……などと
いふ事件をきくと、みんなは「バカだなァ」と笑つてゐるが、日本の現在の夫婦同伴型社交には、スケ同伴の
愚連隊の社交と、思想的に五十歩百歩なのがずいぶんある。
三島由紀夫「反貞女大学 第九講 社交学」より 同性の讃辞は、大てい「ほめ返し」を暗々裡に要求してをり、また、うつかりしてると、思はぬ皮肉のトゲを
含んでゐることがありがちである。
そこへ行くと、異性の賞讃ほど耳に快いものはない。西洋人の男はその点敏感で、ご婦人の靴までほめるが、
日本の男はたうていそこまで行かないにしても、目で、暗黙のうちに、彼女の全体をほめることを知つてゐる。
大体、男は女の着物などには大した関心はないので、顔や肉体のはうがよほど関心事なのであるが、正直に
それをいへば、失礼だし、Hと思はれる心配があるので、黙つてゐる。さうかといつて外国人の男みたいに、
ネックレスや靴までほめて女を喜ばす技術がないから、仕方なしに黙つてゐる。
日本的ドン・ファンが、高らかなラッパの音と共に登場するのは、まさにこの瞬間です。
(中略)ハタではきいてゐられないやうなキザな言辞を平気で弄し、つひには、足、つひには、胸まで、
言葉による愛撫の手をのばすのです。(中略)日本的ドン・ファンは、本格的日本語の素養なんか、なければ
ないほど成功する。
三島由紀夫「反貞女大学 第九講 社交学」より 表向きこそレディ・ファーストながら、家の中では、アメリカ人の男はさいふのひもをガッチリ握り、支出を
細かくつけ、さいふをとほして女房を支配し監督してゐるのがふつうの例で、そこでは、ベッドの中では
百パーセントの愛が交換されても、経済面では、お互ひに百パーセント信用できない、といふ人間関係が
成り立つてゐる。
相互不信といふことが、西洋の近代社会の原則であつて、それが日本の義理人情の社会とちがふところです。
それは夫婦の間だつて同じことです。
日本の月給袋を預ける亭主が、女性の「母性化」のために全力をあげてゐるとすれば、アメリカの亭主は、
さいふをガッチリ握ることによつて、女性の「娼婦化」に全力をあげてゐるといつても過言ではない。
三島由紀夫「反貞女大学 第十講 経済学」より
同性たちに好かれる女性は年をとるにつれて人間的魅力を増し、いふにいはれぬおもしろいパーソナリティーを
形成します。
彼女たちには必ずどこか抜けたところがある。これは男の魅力にも通じるもので抜けたところのない人間は、
男でも女でも、人気を博することはむづかしい。
三島由紀夫「反貞女大学 第十一講 同性学」より ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切るのである。
女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐるが、男に比して、すぐ肥つたり
すぐやせたりしやすいところもお月さまそつくりである。
三島由紀夫「反貞女大学 第十二講 整形学」より
知性の性質は、ほかのいろんな人間の能力と同様に、抵抗を求める、といふところにあります。
多少とも知的に進歩した女性は、尊敬されることよりも、いつか尊敬することをのぞむやうになる。
知的女性は、やたらむしやうに「先生」をほしがりはじめるのです。有益な「先生」のお話をききたがつたり、
えらい「先生」のお弟子になつたりしたがる。
愛から嫉妬が生まれるやうに、嫉妬から愛が生まれることもある。
三島由紀夫「反貞女大学 第十三講 尊敬学」より
サービス業の女性と結婚して興が褪めるのは、彼女たちの技巧が鼻について来るのと、一方、その技巧と素顔の
ギャップが耐へられなくなるからです。
三島由紀夫「反貞女大学 第十四講 技巧学」より アメリカ風の夫婦単位、夫婦中心の生活が一般的になつてくると、貞女たるの条件は、だんだんむづかしく
なりました。(中略)結婚してからも、「女」であることをないがしろにできないし、したがつて女の技巧も
忘れてはならない。昔なら、夫への愛はともかくとして、姑と子供に一心に尽くしてゐれば、あつぱれ貞女で
通つたものが、今は、それだけではすまなくなつた。このごろの若い奥さんたちの服装はますます派手になり、
商売女と区別がつきにくくなつた。昼間からチャラチャラ、イヤリングを下げて歩いてゐるのも珍しくない。
さうなると困つたことに、家庭の妻も、サクラの造花を天井からぶら下げたやうなかつかうになり、玄人みたいな
愛の技巧を弄し、……家庭外の女性と変はりばえがしなくなる。貞女であらうとしてはじめたことが、魅力を
失ふ結果に終はりがちです。
三島由紀夫「反貞女大学 第十四講 技巧学」より ちやうど年寄りの盆栽趣味のやうに、美といふものは洗練されるにつれて、一種の畸型を求めるやうになる。(中略)
そして、さういふ奇妙な流行を作るのは、たいてい男の側からの要求であり、パリのデザイナーもほとんど男ですし、
ほかのことでは何でも男性に楯つくことの好きな女性が、流行についてだけは、素直に男の命令に従ひます。
三島由紀夫「反貞女大学 第十五講 栄養学」より
人間、至りつくところは狂人の姿である、といふのは、あんまり楽しい哲学ではありませんが、一片の真理が
含まれてゐます。
貞女も反貞女も、極致の姿は、狂女の形に象徴されるやうであります。
人がまづまづ安心して「彼女は純真な愛を捧げてくれた」などといへるのは、彼女が死んだか、狂人になつたかの時に
限られてゐます。
反貞女であればこそ、健康で、欲が深くて、不平不満が多くて、突然やさしくなつたりするし、魅力的で、
ピチピチしてゐて、扱ひにくくて、まあまあ我慢できる妻でありうるのです。いくら貞女でも、狂人や死人では
困ります。
三島由紀夫「反貞女大学 第十六講 狂女学」より 離婚なるものには、きれいも汚ないもありはしない。どんな別れ方をしようと、世間体がわるいことには変りが
ないのです。
それが証拠に、結婚式なるものはあつても、離婚式なるものはない。
結婚のをはりを美しくする一番いい方法は、今まで結婚してゐたことをだれにも内緒にしておくことで、十何年も
それをやつてゐた男を私は知つてゐます。
三島由紀夫「をはりの美学 結婚のをはり」より
電話の声といふやつは、それだけで立派に人の感情をかきみだす力があるくせに、姿は見せない忍者的存在である。
電話は一種の心理的凶器になり、その会話の殺人的幕切れは、人間の言葉・声・抑揚などがみごとに総合的な力を
発揮しながら、しかも「顔が見えない」といふ謎を残す。
テレビ電話の時代になつたら、電話のをはりは、テレビ・ドラマのをはりのやうに、「をはり」の字幕と
それにつづくコマーシャルで、お祭りさわぎでをはるやうになり、こんな心理的余韻の怖ろしさはなくなるでせう。
三島由紀夫「をはりの美学 電話のをはり」より 流行の妙な点は、家来のはうが主人に飽きて、次々ととりかへるといふ点です。
主人のはうが家来に飽きて、次々とクビにするなら話はわかるが、流行の場合は、平伏し、あがめ奉り、尊敬し
身も心も捧げてゐる側が、突然気分がかはつてソッポを向いてしまふことです。
清潔なものは必ず汚され、白いシャツは必ず鼠色になる。人々は、残酷にも、この世の中では、新鮮、清潔、真白、
などといふものが永保ちしないことを知つてゐる。だから大いそぎで、熱狂的にこれを愛し、愛するから忽ち
手垢で汚してしまふ。
しかしどんな浅薄な流行でも、それがをはるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部分を、その流行と一緒に、
時間の墓穴へ埋めてしまふ。二度とかへらぬのは流行ばかりでなく、それに熱狂した自分も二度とかへらない。
三島由紀夫「をはりの美学 流行のをはり」より 童貞のをはりは、たしかに長いあひだの熱烈な知識欲の満足だが、男の知識欲はそれでをはつてしまふわけではない。
その第二回、第三回、第四回……第百八十七回などの満足は、童貞のをはりほどの大満足ではないかもしれないが、
性質は似たやうなもので、五十歩百歩のちがひしかない。だから、男の性的知識欲と性的満足とのドラマには、
永久に、「童貞のをはり」のくりかへしがあるだけで、性的技巧の上達など、末の問題にすぎないとはいへない
だらうか。
性に熟練した男といふのは、実は同じ芝居、たとへば「父帰る」とか「沓掛時次郎」とかの芝居を何千回くりかへして、
くりかへすうちに巧くなつた、しがない旅芝居の役者みたいなものです。
男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ。
得意の鼻をうごめかして、童貞を失つた話をしてゐる若者は、生でも死でもないコンニャクにぶつかつただけの
ことであり、彼は一生そのコンニャク演技をくりかへすことでありませう。
三島由紀夫「をはりの美学 童貞のをはり」より 美は、尊敬に値ひするものの一つです。美しければ、バカでも一向かまはないのだが、女性が同性に対するふしぎな
矛盾した心理として、美しさに対する憧れももちろんあるが、嫉妬もあり、自分の尊敬心を十分満足させるだけの、
ほとんど不可能なほどのきびしい条件を相手の美人に課する。
三島由紀夫「をはりの美学 尊敬のをはり」より
はつきりいつてしまふと、学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。(中略)
先生たちも何割か、学生時代のまま頭がヘンな人たちがそろつてゐて、かういふ先生は学生たちとよくウマが合ふ。
本当の卒業とは、
「学校時代の私は頭がヘンだつたんだ」
と気がつくことです。学校をでて十年たつて、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、
「大学をでたから私はインテリだ」
と、いまだに思つてゐる人は、いまだに頭がヘンなのであり、したがつて彼または彼女にとつて、学校は一向に
終つてゐないのだ、といふよりほかはありません。
三島由紀夫「をはりの美学 学校のをはり」より もちろん年齢にしたがつて、いはゆる精神的な美しさは加はつてゆくけれど、身も蓋もない話だが、五十歳の美女は
二十歳の美女には絶対にかなはない。
美女と醜女とのひどい階級差は、美男と醜男との階級差とは比べものにならない。
美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と。一度目の死のはうが恐ろしい本当の死で、
彼女だけがその日付を知つてゐるのです。
「元美貌」といふ女性には、しかし、荒れ果てた名所旧跡のやうな風情がないではありません。
三島由紀夫「をはりの美学 美貌のをはり」より
手紙は遠くからやつてきた一つの小舟です。(中略)私たちは、空間の海をとほつて流れて来た小舟を、読み
をはると間もなく、時間の海の沖のはうへ、すなはち忘却へと、流し去つてやるのです。それは施餓鬼の灯籠の
やうに、ちらちらと水に灯を流しながら、遠ざかつて行きます。
その遠ざかる灯籠の灯影がちらりとまたたいて、岸にゐる私たちに、忘れがたい思ひを残すことがある。それが
手紙の結びの文句です。
三島由紀夫「をはりの美学 手紙のをはり」より 芝居は必ずをはり、幕は必ずしまり、お客は必ずかへつてしまふ、といふ点で、人生のをはりと芝居のをはりは
そんなにちがはないのかもしれません。
三島由紀夫「をはりの美学 芝居のをはり」より
人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終つてくれないのが人生といふものである。
三島由紀夫「をはりの美学 旅行のをはり」より
喧嘩のをはりを、男性相手に、しつこく、心理的に小むづかしく演出してたのしむのも、女性の大きなたのしみの
一つである。
三島由紀夫「をはりの美学 喧嘩のをはり」より
個性とは何か?
弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。
私は「私の鼻は大きくて魅力的でしよ」などと頑張つてゐる女の子より、美の規格を外れた鼻に絶望して、
人生を呪つてゐる女の子のはうを愛します。それが「生きてゐる」といふことだからです。だつて、死ねば
ガイコツに鼻の大小高低など問題ではなく、ガイコツはみんな同じで、それこそ個性のをはりですからね。
三島由紀夫「をはりの美学 個性のをはり」より 正気の世界は、プールのとび板の端のやうな危険な場所で、をはるのではありません。
それは静かな道の半ば、静かな町の四つ角のところで、すつと、かげろふのやうに消えてゐるのです。あなたは
大丈夫ですかね。
三島由紀夫「をはりの美学 正気のをはり」より
秘密はたいてい、おしやべりな見栄坊のお客の口からもれるのです。
三島由紀夫「をはりの美学 礼儀のをはり」より
顔から、体から、物の言ひ方から、すべてを含めて、「好き」か「嫌ひ」かといふ判断を下すことは、人間同士の
関係として、もつとも悽愴苛烈なものです。就職試験の比ではありません。
三島由紀夫「をはりの美学 見合ひのをはり」より
人間が宝石のまま、永遠にをはらない純潔を保つことは不可能でせうか。男の例なら、われわれは即座に、あの
特別攻撃隊の勇士を思ひうかべることができます。人間のダイヤを保つには、純潔な死しかないのです。
三島由紀夫「をはりの美学 宝石のをはり」より 自然は黙つてゐる。自然は事実を示すだけだ。自然は決して「宣言」なんかやらかさない。宣言なんかするのは
人間に決まつてゐます。
三島由紀夫「をはりの美学 梅雨のをはり」より
作品その他の形でちやんと文化的業績ののこつてゐる人に与へる「文化勲章」といふものは、本来の勲章からすると
邪道にちがひない。何も形の残らないもののために、勲章と銅像の存在理由があるのです。なぜなら英雄とは、
本来行動の人物にだけつけられる名称で、文化的英雄などといふものは、言葉の誤用だからです。
三島由紀夫「をはりの美学 英雄のをはり」より
悲しみとは精神的なものであり、笑ひとは知的なものである。
肉体関係があつたあとに、おくればせに、精神的恋愛がやつてくるといふことだつてある。
日本では、恋とは肉の結合のことであり、そのあとに来るものは「もののあはれ」であつた。
日本では「言ひ交はした」といふ言葉は、ただちに肉の結合を意味する。
三島由紀夫「をはりの美学 動物のをはり」より 体操といふものに、私は格別の興味を持つてゐる。それは美と力との接点であり、芸術とスポーツの接点だからである。
ほかのスポーツのやうに、芸術の岸から見て完全に対岸にあるものでない。
(中略)
はいつていきなり遠藤選手の床運動(徒手)を見たが、ひろいマットの上の空間に、ジョキジョキよく切れる鋏を
入れて、まつ白な切断面を次々に作つてゆくやうな美技にあきれた。私たちはふだん、自分の肉体のまはりの空間を、
どんよりと眠らせてはふつておくのと同じことだ。
あんなに直線的に、鮮やかに、空間を裁断してゆく人間の肉体、全身のどの隅々にまでも、バランスと秩序を
与へつづけ、どの瞬間にもそれを崩さずに、思ひ切つた放埒を演ずる肉体。……全く体操の美技を見ると、人間は
たしかに昔、神だつたのだらうといふ気がする。といふのは、選手が跳んだり、宙返りしたりした空間は、全く
彼の支配下にあるやうに見え、選手が演技を終つて静止したあとも、彼が全身で切り抜いてきた白い空間は、
まだピリピリと慄へて、彼に属してゐるやうに見えるからだ。
三島由紀夫「合宿の青春 『美と力』の接点――体操の練習風景」より (中略)
われわれには苦行である倒立でさへ、その一点で休むことができるとなれば、蝙蝠(かうもり)のやうなものだ。
スポーツの奇蹟は、人間の肉体といふものが、鍛へやうによつては、どんな思ひがけないところに、どんな
思ひがけない楽園を発見するかわからないといふ点だ。常人の知らない別世界の感覚の発見……。酒や阿片とは
反対のものだが、スポーツがやめられなくなるのは、やはりそれがあるからであらう。
(中略)
さつき神のやうだつた選手は、かうして会つてみると、風貌、態度のどこにも人間離れのしたところはない。
むしろ休息時の選手の顔に浮んでゐるその平均的日本人の日常的表情と、あの神業との間をつなぐ、「練習」といふ
苛酷な見えない鎖が感じられる。それは神と人間をむりやりに結びつける神聖な鎖なのだ。
三島由紀夫「合宿の青春 『美と力』の接点――体操の練習風景」より オリンピックの非政治主義は、政治の観念の浄化と見るほかなく、政治を人間の心から全然払拭することはできまい。
さて、今日の初日の第一戦は、昨日の抽選組合せによつて決つたことだが、韓国の鄭申朝選手と、アラブ連合の
H・ファラグ選手の対戦であつた。(中略)
「オリンピック東京大会、第一日目を開始いたします」
といふアナウンスのあとで、登場したこの二人の試合は、アラブ連合がしばしばスリップダウンをし、韓国が
判定で勝つたが、判定を待つあひだ、レフェリーを央にして、選手が二人直立して正面に向つてゐた姿は、プロ・
ボクシングを見馴れた目には、すがすがしく、気持がよかつた。
これで最初の日の勝敗が決まつたのであるが、韓国選手の謙虚な勝利者としての表情と共に、アラブ連合選手の
心を思つて、私はシャルル・ビルドラックの「兵卒の歌」の最後の聯を思ひ出して、一種の羨望を感じた。
「私は、むしろ私はなりたい、
戦争の第一日目に
第一に倒れた兵卒に。」(堀口大学氏訳)
三島由紀夫「競技初日の風景――ボクシングを見て」より 何といふ静かな、おそろしいサスペンス劇だらう。(中略)
それは冷たく、鉄の敵意にみちた重量を保ち、ものすごい圧力を放射してゐる。人間が「物」の世界と、一対一で
対決するのだ。一番重量あげに似てゐるのは、あるひはロック・クライミングかもしれない。
だから、もちろん選手がバーベルを高くさしあげたときの感動もさることながら、私は、いよいよバーベルに
とりつく前の選手の緊張に興味があつた。多少ともウエート・トレーニングをした人間には、この瞬間の恐怖と
逡巡がわかるはずだ。韓国のキン・ヘナム選手は必ずバーベルのぐあひをたんねんにしらべ、ポーランドの
コズロスキー選手は、手をかけてから長いこと腕の筋肉をふるはせ、日本の三宅選手は相撲の仕切りのやうに
長い時間をかけて、何度か天を仰いだ。
これはおのおのの就寝儀式のやうなものであつて、それをやらなければ安眠できない。
三島由紀夫「ジワジワしたスリル――重量あげ」より ひとたび眠ることができれば、完全に眠ることができれば、眠りの中では、丸ビルを持ち上げることだつて
可能だらう。精神集中の究極の果てに、一つの自由な空白状態がポカリと顔を出すのだらう。そのとき力が、
おそらく常の人間の能力を超えるのだらう。
地球を負ふアトラスの忍苦に似た、あくまで押へに押へぬいた努力のいるこのスポーツは、たしかに日本人の
一面に適してゐる。三宅選手は、リングの上ではむしろのんきに見え、豪放に見えるが、こんなに綿密な力の
計算を積み上げてゆくには、青空の下のスポーツとちがつて、研究室の中の科学者みたいな内向的な長い努力が
いつたはずだ。彼は金メダルを本当に計算づくでとつたのだと思ふ。鉄のバーベルの暗い、やりきれない、
うつたうしい圧力と戦ひながら。
(中略)
金メダルを受けた三宅選手は、実に自然なほほゑましい態度で、そのメダルを観衆の方へかかげて見せた。彼は
そのとき、あの合計397.5キロの鉄の全量に比べて、金のたよりない軽さを感じたかもしれない。美麗の
その黄金の羽根のやうな軽さを。
三島由紀夫「ジワジワしたスリル――重量あげ」より
川端康成は、聖徳太子になりたかった。
http://s1.shard.jp/deer/02/2/24.html
ノーベル賞受賞式会場で、羽織袴を着用することで主催者側と物議をかもしたが、
実は、その日は、聖徳太子の一万円札発行10周年記念日だった。
本当は、聖徳太子の恰好で受賞したかったのだろう。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html ) 日本の選手の出ない飛び板飛び込みの決勝から見たが、体操でも、この飛び板飛び込みでも、落下のほんの瞬間に、
人体が地球の引力に抗して見せるあの複雑な美技には、ほとほと感嘆のほかはない。あの落下の一秒の間に、
花もやうを描いてみせるその人間意志のふしぎな働きとその自己統制力は、自然(引力)へのもつとも皮肉な
反抗であり、犬が人間にじやれつくやうに人間がきびしい自然にじやれつく最高の戯れだらうが、十二日ソ連から
打ち上げられたウォスホート号もまた、引力に対するかういふ人間の反抗の究極的な形であつて、われわれは、
もう人間であると同時に、自然に対して従順さを失ふといふわけだ。その意味でオリンピックはやはり「文化的」な
お祭りであり、スポーツもまたホイジンガの説のとほり、遊戯としての文化なのであらう。
三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より 重量あげなどの、ジワジワと胸をしめつけるドラマチックな競技とちがつて、水泳競技は、単純なまつすぐな
人間意志の推進力を、美しくさはやかに見せるだけだから、その印象はひたすら直截で、ドラマといふより、
青いプールを縦に切るあの白いロープのやうに、一行の激しい白い叙情詩だ。女子百メートル背泳の決勝で、
ただ一人日本人選手として登場した田中嬢は、白い長いガウンに水泳帽、その長い髪のほのめくさまが、遠くからも
見えた。プールぎはの朱いろの椅子にかけた嬢は、つつましく膝をすぼめて、どの選手よりも優雅に見えた。
しかしガウンを脱ぎ捨てて黒い水着姿になつた彼女は、その強靭な、小麦色の体躯に、こまかいバネがいつぱい
はりつめてゐるやうな感じで、それはただ一人決勝に残つた日本女性の、しなやかな女竹のやうな姿絵になつた。
田中嬢が泳ぎはじめる。もうあと一分あまりの時間ですべての片がつく。
三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より 彼女は長い長い練習の水路をとほつて、ここにやつとたどりついた一艘の黒い快速船になる。水しぶきの列のなかで
帰路、彼女の水しぶきは少し傾いて、ともするとロープにふれる。……それにしても八本のコースに立てられた
八つの水しぶきが、みんな女の腕の立てるしぶきだと思ふと、すさまじい。これは女性八人のもつとも崇高な
おしやべりといふべきだらう。
泳ぎ終つた田中嬢は、コースに戻つて、しばらくロープにつかまつてゐたが、また一人、だれよりも遠く、
のびやかに泳ぎだした。コースの半ばまで泳いで行つた。その孤独な姿は、ある意味ですばらしくぜいたくに見えた。
全力を尽くしたのちに、一万余の観衆の目の前で、こんなにしみじみと、こんなに心ゆくまで描いてみせる彼女の
孤独。この孤独は全く彼女一人のもので、もうだれの重荷もその肩にはかかつてゐない。一億国民の重みも
かかつてゐない。
田中嬢は惜しくも四位になつたが、そのときすでに彼女はそれを知つてゐたにちがひない。
三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より 日本選手でただ一人決勝に残つた佐々木があらはれて、プールぎはの朱色のプラスチックの椅子に脱衣する。(中略)
かういふ日常生活の動作は、こんな晴れの舞台でも、実に孤独なものだ。紺と白のパンツをつけた、きつね色の
よく引き締つた裸体があらはれる。ここからやうやく、輝やかしいオリンピック選手が、日常性のモチから
身を引き離して出発するのだ。
スタート台の上で、一コースの選手をチラと見てから、手首を振る。両手を楽に前へさしのべたフォームで、
柔らかに飛び込む。競技はこんなふうに、どんな会社よりも事務的にはじまるのだ。
水が佐々木の体を包んだ。それから先は、彼はもう重い水と時間と距離とを、一心に自分のうしろへかきのけて
ゆくしかない。
高い席からながめてゐると、八つのコースの選手たちの立てる音は、さわさわといふ笹の葉鳴りのやうな水音に
すぎない。ひるがへる腕は、みんな同じ角度で、褐色のふしぎな旗のやうに波間にひらめく。
――四百メートル。
佐々木は大分引き離された。ターンするところで、あと残つてゐる回数の札を示される。
三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より その大きなあきらかな数字は、おそらく水にぬれた目に、水しぶきのむかうに、嘲笑的に歪んで映るのだらう。
出発点の水にぬれたコンクリートの上には、選手たちの椅子が散らばつてゐる。佐々木の椅子には、赤いシャツと、
足もとの白い運動靴とが、かなたに水しぶきを上げて戦つてゐる主人の帰りを、忠犬のやうにひつそりと待つてゐる。
これらの椅子のずつとうしろには、記録員たちが控へ、さらに後方に、今日はすでに用ずみの飛込用プールが、
いま水の立ちさわぐメーン・プールとは正に対照的に、どろんとしたコバルト・グリーンの水をたたへてゐる。(中略)
――六百メートルに近づき、佐々木は六位を保つてゐる。
出発点へ選手が近づくたびに、大ぜいの記録員たちはおのがじし立ち上り、ぶらぶらと水ぎはへ近寄り、
スプリット・タイム(途中時間)を記録し、また、だるさうに席へ戻る。必死で泳いでゐる選手と記録員とは、
こんなふうにして、十五回も水ぎはで顔を合せるわけだ。そのときほど、この世の行為者と記録者の役割、
主観的な人間と客観的な人間の役割が、絶妙な対照を示しながら、相接近する瞬間もあるまい。
三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より ――千メートル。
オーストラリアのウィンドル、11分16秒3といふ途中時間のアナウンス。
千五十メートルのところで、あと九回といふ9の札が示される。
佐々木はひたすら泳ぐ。水に隠見する顔は赤らんでみえる。あの苦しげな、目をつぶり口をあいた顔、あのぬれた顔、
ぬれた額の中に、どんな思念がひそんでゐるか? あんな最中にも、人間は思考をやめないのは確実なことで
「ただ夢中だつた」などといふのは、嘘だと私は思ふ。それこそ人間といふ動物の神秘なのだ。たとへそれが、
一点の、小さな炎のやうな思念であらうとも。
最後の百メートル。真鍮の鈴が鳴らされ、選手はラスト・スパートをかける。
佐々木は六位だつた。平然と上げてゐる顔を手のひらで大まかにぬぐひ、出発の時と同様、左の手首をちよつと振つた。
それが彼の長い旅からの、無表情な帰来の合図だつた。この若者はまた明日、旅の苦痛を忘れて、つぎの新しい
旅へ出るだらう。
三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より 陸上競技はオリンピックのもつともオリンピック的なものであらう。それは明るい青空の下で、人間の影を大地に
小さく宿して、整然と、明朗に、数学的に進行する。もちろんスポーツだから、熱狂はある。情熱はいる。
必死の闘志はいる。それは競技場高く、淡い黒煙を引き、雲を背景に風にあふられてゐる聖火の炎が代表してゐる。
その白昼の炎は、この理智的な世界の、唯一の許された狂気なのだ。
(中略)
競歩ははじめて見たが、これはいかにもユーモラスでおもしろい競技であり、日本人選手も小柄で、出場者は概して
アスリートらしくなく、全体が商店連合会の運動会といふ感じがする。駈けるに駈けられぬその厄介な制約は、
ちやうど夢の中で悪者に追ひかけられるときの動きのやうで、上半身は必死に急いでゐるのに、下半身はキチンと
一定の歩度を守るのだ。
この一群が、喝采に送られながら北口から出てゆくと、やがて、今日のハイライトである百メートルの決勝が
はじまる。
三島由紀夫「空間の壁抜け男――陸上競技」より 三時半、フィールドはもう三分の一ほど影の中に包まれてゐる。走路の手直しのために多少時間がおくれ、
四十分ごろ、アメリカのヘイズが第一コース、ドイツのシューマンが第二コースに、といふぐあひに、選手たちが
スタート・ラインについた。
それから何が起つたか、私にはもうわからない。紺のシャツに漆黒な体のヘイズは、さつきたしかにスタート・
ラインにゐたが、今はもうテープを切つて彼方にゐる。10秒フラットの記録。その間にたしかに私の目の前を、
黒い炎のやうに疾走するものがあつた。しかも、その一瞬に目に焼きついた姿は、飛んでもゐず、ころがりもせず、
人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のやうな、その四肢を正確に動かして、正しく「人間が走つて
ゐる姿」をとつてゐた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神速に駆け抜けることが
できるのだらう。彼は空間の壁抜けをやつてのけたのだ。
しかし、十秒間の一瞬一瞬のそのむしろ静的な「走る男」の形ほど、金メダルの浮彫の形にふさはしいものは
なかつた。
三島由紀夫「空間の壁抜け男――陸上競技」より 選手たちの登場。宮本がそのすらりとしたからだと、栗鼠を思はせるかはいらしい顔で、機械人形のやうに
おじぎをする。
東側の選手家族席では、宮本のおとうさんがなくなつたおかあさんの大きな写真を膝に抱いて観戦してゐる。
練習がはじまる。お祭りの風船のやうに、たくさんのボールが空に浮ぶ。七時三十分。琴の音楽がはじまり、
いよいよ日本のアマゾンたちと、ソ連のアマゾンたちとの熱戦が開始される。
バレーボールの緊張は、ボールが激しくやりとりされるときのスリルにあることはいふまでもないが、高く
投げ上げられたボールが、空中にとどこほつてゐる時間もずいぶん長く感じられる。そのボールがゆつくりと
おりてくる間のなんともいへない間のびのした時間が、実はまたこの競技のサスペンスの強い要素なのだ。ボールは
そのとき、すべての束縛をのがれて、のんびりとした「運命の休止」をたのしんでゐるやうに見えるのである。
第一セットでやや堅くなつてゐた日本は、第二セットでははるかにソ連を引き離し、余裕のあるゲームを見せたが、
なかんづく目につくのは河西選手の冷静な姿である。
三島由紀夫「彼女も泣いた、私も泣いた――女子バレー」より 彼女が前衛に立つとき、水鳥の群れのなかで一等背の高い水鳥の指揮者のやうに、敵陣によく目をきかせ、アップに
結ひ上げた髪の乱れも見せず、冷静に敵の穴をねらつてゐる。ボールは必ず一応彼女の手に納まつたうへで、
軽くパスされて、ネットの端から、敵の盲点をつくやうに使はれる。
河西はすばらしいホステスで、多ぜいの客のどのグラスが空になつてゐるか、どの客がまだサラに首をつつこんで
ゐるかを、一瞬一瞬見分けて、配下の給仕たちに、ぬかりのないサービスを命ずるのである。ソ連はこんな手痛い、
よく行き届いた饗応にヘトヘトになつたのだつた。
しかしソ連のルイスカリ選手はすごかつた。この、金髪を無造作に束ねたクリクリした少女、大きな胸を突き出した
少女は、いつも赤い炎の矢のやうに飛んできて、強烈なボールを返した。
――日本が勝ち、選手たちが抱き合つて泣いてゐるのを見たとき、私の胸にもこみ上げるものがあつたが、
これは生れてはじめて、私がスポーツを見て流した涙である。
三島由紀夫「彼女も泣いた、私も泣いた――女子バレー」より 体操ほどスポーツと芸術のまさに波打ちぎはにあるものがあらうか? そこではスポーツの海と芸術の陸とが、
微妙に交はり合ひ、犯し合つてゐる。満潮のときスポーツだつたものが、干潮のときは芸術となる。そして
あらゆるスポーツのうちで、形(フォーム)が形自体の価値を強めれば強めるほど芸術に近づく。どんなに
美しいフォームでも、速さのためとか高さのための、有効性の点から評価されるスポーツは、まだ単にスポーツの
域にとどまつてゐる。しかし体操では、形は形それ自体のために重要なのだ。これを裏からいへば、芸術の本質は
結局形に帰着するといふことの、体操はそのみごとな逆証明だ。
十月二十日の夜、東京体育館の記者席から、まばゆい光りの下、マット上に展開される各国選手の、人間わざとも
思へぬ美技をながめながら、私はそんな感想を抱いた。
双眼鏡で遠い鉄棒の演技をながめてゐると、手を逆に持ちかへるときに、掌にいつぱいまぶしたすべりどめの粉が
パッと散る。それは人体が描く虚空の花の花粉である。
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 徒手体操では、人体が白い鋏のやうに大きくひらき、空中から飛んできて、白い蝶みたいに羽根を立てて休み……
ともかく、われわれの体が、さびついた蝶番(てふつがひ)の、少ししか開かないドアならば、体操選手の体は、
回転ドアのやうなものだ。そして、極度の柔らかさから極度の緊張へ、空虚から突然の充実へ、力は自在に変転して、
とどまるところを知らない。もつともバランスと力を要する演技が、もつとも優美な静かな形で示される。そのとき、
われわれは、肉体といふよりも、人間の精神が演じる無上の形を見る。
ポオル・ヴァレリーが「魂と舞踊」の中で、肉体が「魂の普遍性を真似ようとするのだ」と書いてゐるのは、
この瞬間であらう。
「おお、とうとう彼女は例外の世界にはいった。ありえないもののなかへ突入したのだ!」
「理性そのものが見る警戒と緊張の夢! (中略)夢ではあるが、左右均斉の妙をきわめ、すべてが行為であり
脈絡である夢!」
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より ――しかしスポーツとしての体操は、意地のわるい減点による競技であり、批評による競技なのだ。
小野は徒手で、遠藤はあん馬で、見のがしえぬミスをやつたが、実際、人間なら、あやまちを犯すはうがふつうで、
あやまちを犯さないのは人間ではない。それらのミスにこそ、むしろわれわれと共通した人間の日常感覚が
ひらめいてゐる。ほんのちよつとよろめくこと、ちよつと姿勢が傾くこと、ほんのちよつと足があん馬にさはること、
ほんのちよつと演技の流れが停滞すること……これこそわれわれが「人間性」と呼んでゐるところのもので、
半神であることを要求される体操競技では、人間性を示したら、たちまち減点されるのである。
この世に、ほんの数秒の間であらうと、真のあやまりのない秩序を実現するのはたいへんなことだ。体操選手たちは、
その秩序を、少なくとも政治や経済よりはるかに純度の高い形で、人間世界へもたらすために努力する。
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 遠藤選手のあん馬のあとで、十数分のものいひがついたあと、五月人形のやうな無邪気な顔と体をした三栗選手が
登場して、おちついた、正しい演技を示して九・六五をとつたのには感服した。
小野選手の右肩の負傷にめげぬ敢闘にも心を搏たれ、同じ三十代の私は、年齢と肉体のハンディキャップを
越えたその闘志に拍手を送つた。練習時間のあひだから、鉄棒は彼の肩を冷酷に責めてゐた。そのとき肩は、
彼の目ざす秩序の敵になり、敵軍に身を売つたスパイのやうに彼を内部から苦しめてゐた。
優勝者遠藤さへ、退場の際、心なしか暗い目をしてゐたのを考へると、体操選手を悩ます「完全性」の悪夢が、
どれほどすさまじいものであるかがうかがはれる。
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 私はこの世に生を承けてより、只の一度も赤い羽根を買つたことがない。そのシーズンの盛期に、大都会で、
赤い羽根をつけないで暮すといふ絶大のスリルが忘れられないからだ。赤い羽根をつけないで歩いてごらんなさい。
いたるところの街角で、諸君は、何ものかにつけ狙われてゐる不気味な眼差を感じ、交番の前をよけて通る
おたづね者の心境にひたることができる。自分は狙われてゐるのだといふ、こそばゆい、誇らしい気持に陶然と
することができる。もし赤い羽根をつけて歩いてごらんなさい。誰もふりむいてもくれやしないから。
冗談はさておき、私は強制された慈善といふものがきらひなのである。(中略)
駅の切符売場の前に女学生のセイラー服の垣根が出来てゐて、カミつくやうな、もつとも快適ならざるコーラスが、
「おねがひいたします。おねがひいたします」と連呼する。
私がその前を素通りすると、きこえよがしに、
「あの人、ケチね」
などといふ。
「アラ、心臓ね」
「図々しいわね」
と言はれたこともある。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より これは尤も、通るときの私の態度も悪いので、なるべく悪びれずに堂々とその前をとほるのが、よほど鉄面皮に
見えるらしい。しかし、ただ胸を張つてその前を通るだけのことで、鉄面皮に見えるなら、それだけのことが
できない人は、単なる弱気から、あるひは恥かしさから、醵金箱に十円玉を投じてゐるものと思はれる。一体、
弱気や恥かしさからの慈善行為といふものがあるものだらうか? それなら、人に弱気や羞恥心を起させることを、
この運動が目的にしてゐると云はれても、仕方がないぢやないか?
大体、弱気や恥かしさで、醵金箱にお金を入れる人種といふものは、善良なる市民である。電車で通勤する人たちが
その大半であつて、安サラリーの上に重税で苦しめられてゐる人たちである。さういふ人たちの善良なやさしい魂を
脅迫して、お金をとつて、赤い羽根をおしつける、といふやり方は、どこかまちがつてゐる。もつと弱気でない、
もつと羞恥心の欠如した連中ほど、お金を持つてゐるに決つてゐるのだから、おんなじ脅迫するなら、そつちから
いただく方法を講じたらどうだらう。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より 大体、私のやうに、赤い羽根諸嬢の前を素通りすることで鉄面皮ぶつてゐる男などは甘いもので、もつと本当の
鉄面皮は、ひよこひよこそんなところを歩いてゐるひまなんぞなく、車からビルへ、ビルから車へと、ひたすら
金儲けにいそがしいにちがひない。(中略)
本来なら、慈善事業とは、罪ほろぼしのお金で運営すべきものである。さんざん市民の膏血をしぼつて大儲けを
した実業家が、あんまり儲かつておそろしくなり、まさか夜中に貧乏人の家を一軒一軒たづねて、玄関口へコッソリ
お金を置いて逃げるのも大変だから、一括して、せめて今度は罪ほろぼしに、困つてゐる人を助けようといふ気で
金を出す。これが慈善といふものだ。ところが日本の金持は、政治家にあげるお金はいくらでもあるのに、
社会事業や育英事業に出す金は一文もないといふ顔をしてゐる。藤原工大を建てた藤原銀次郎氏などは例外中の例外である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より ちつとも世間に迷惑をかけず、自分の労働で几帳面に仕入れたお金なんかは、世間へ返す必要は全然ないのである。
無意味な税金を沢山とられてゐる上に、たとへ十円でも、世間へ捨てる金があるべきではない。その上、赤い羽根
なんかもらつて、良心を休める必要もないので、そんな羽根をもらはなくても、ちやんと働らいてちやんと
獲得した金は、十分自分のたのしみに使つて、それで良心が休まつてゐる筈である。
さんざんアクドイことをして儲けた金こそ、不浄な金であるから、世間へ返さなければ、バチが当るといふものである。
ところで、昔から、民衆といふものは、ちつとも悪いことをしないのに、神仏の罰ばつかり心配し、えらい人たちは、
悪いことをさんざんしてゐても、罰なんか心配しない。その上、民衆には濃厚なセンチメンタリズムや古くさい
相互扶助精神があつて、自分に金もないくせに人に恵みたがる。さういふところにつけこんで来る「愛の運動」式の
ものは、警戒しなければならぬ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より 社会保障は、憲法上、国家の責務であつて、国が全責任を負ふべきであり、次にこれを補つて、大金持が金を
ふんだんに醵出すべきであり、あくまでこれが本筋である。しかし一筋縄では行かないのが世間で、大金持だけに
慈善行為の権利があるとは何だ、われわれにも平等の権利を与へろ、といふ主張もある。助けられる立場にゐながら、
人を助けたい人もある。
赤い羽根も無用の強制をやめて、さういふ人たちを対象に、静かに上品にやつたらいいと思ふ。
さて、赤い羽根の審美的存在価値はあまり香しくない。あれは何に似合ふか。背広に似合はず、スーツに似合はず、
似合ふのは、還暦の赤いチャンチャンコぐらゐであらう。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より 人間の恋愛は動物の恋愛と違つて、みな歴史、社会、環境、いろいろなものに制約されてゐるわけです。
われわれが一つ恋愛をすると、その恋愛の中に全人類の歴史、全人類の文化が反映してゐるのです。これは、
われわれといふ存在が、ちやうど歴史の一端に大ぜいの先祖と、大ぜいの文化の趨勢の上に生まれてきたのと同じに、
今あなたないし私のする恋愛も、決してひとりでまるで天から落ちかかつてくる隕石のやうに、恋愛が始まるといふ
ものではなく、みな何ものかに規約されてゐるといふことができます。
キリスト教の恋愛には、やはりマリアへの愛が、いつも基本になつてゐる。これは、宗教にエロチシズムが、
幾ら除いてもこびりついてくるといふ、一つの証拠です。
キリスト教のやうな欲望否定の宗教が、あれだけ勢力を占めたといふことの裏には、ヨーロッパ人が、それだけ
動物的な本能の強い人種だといふこともいへないことはありません。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 日本人の一番健康な恋愛らしきものが描かれてゐるのは「万葉集」ですが、「万葉集」の恋といふのは、この
ヨーロッパ、ギリシャのやうな、哲学的背景を持つた恋愛ではありません。ただ古い民族のすなほな肉体的欲望が、
日本人のやさしい心持ちとか、繊細な生活感情の中に溶け込んで、そこに、美しい別離の情とか、恋人に久しぶりに
会つた喜びとか、さういふものが素朴に、しかし正直に述べられてゐます。
「源氏物語」の「もののあはれ」といふ大きな主題、この「もののあはれ」の中には、いろいろ仏教的な考へも
ないわけではないのですが、根本的には、日本人が恋愛をただ感情の形でだけ浄化してきた、その一つの完成した
形が見られます。
概して少年期には、年上の異性を愛するやうになります。
われわれは皆、好ききらひがあつて、どんな美人でも、ある人にとつては、ちつとも魅力のない場合があり、
どんな醜女でも、ある人の目から見ると、非常に魅力的な場合があるのです。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 恋愛の嗜好といふのは、実は、だれでも先天的に持つてゐるものではないので、ある人にとつては母親の
イメージがあり、ある人にとつては、早く死んだお姉さんのイメージがある。しかし異性のイメージはその人個人
のみでなく、祖先から民族全体から、どこかに深く積み重ねられたものがあつて、それがその人の心の中に
出てくるといふことが言へるのです。つまり、何かその原形がある。
自分の官能的なものと自分の人生とがぶつかり合ふ、結びつき合ふ、自分の肉体と精神とが初めてぶつかり合ふ、
自分のおぼろげに感じてゐた性欲的なものと、自分がだんだんに修練して得た理知的なものが、重大な関連を
持つてゐることを、一挙に発見するのが初恋です。
戦争は、原始的な形では、恋愛の一つの形式のやうなものである。民族的恋愛のやうなものであつたのです。
これはあくまで、他民族がその民族にとつては他者であるからであります。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 人生が、自分のよい意図、正しい意図、美しい意図だけでは、どうにもならないといふことを学んで、それに
絶望して、だめになつてしまふ人は、人間としても伸びて行けない人だといはなければならない。それからまた、
それですべてをあきらめてしまつて、自堕落に一生を送らうといふ人、これはまた、人間としてゼロだと
いはなければならない。
ですから、けつきよく、人間が成長する途上で初恋の幻滅に会つても、それに打ちひしがれないで、なほ積極的な
態度で人生に向つていくといふ力強さ、さういふものが、試金石としての初恋の値打だらうと思ひます。
恋愛は、相手の当人を特別な存在に見せ、たとひ、人から見て値打のないものでも、自分にとつて世界中で
かへがたいものに見せる心の働きですから、悲観的な考へ方をする人は、恋愛のことを全部錯覚にすぎないと
言つてゐます。恋愛は病気と同じやうに、診断をすることもできるし、また分析することもできると考へたのが、
プルーストといふ二十世紀の小説家であります。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 情熱は、人間の心の中で一番崇高な、一番価値のある感情で、情熱があればこそ人間は生きていくかひがある。
私は恋愛といふものを、プルーストのやうに悲観的には考へてをりません。なぜなら、恋愛が錯覚であるならば、
人生も錯覚であるし、一人の女をあるひは一人の男を美しいと思つて恋することは、人間が自分の仕事を美しいと
思つて、それを熱愛して、一つの仕事を完成するのと同じことです。
恋愛中には、恋人はお互ひに愛し合つた上でも、やはり千変万化の働きをしなければならない。なぞのない恋人は
魅力を失つてしまふのです。それはわれわれの幻想を描く力を失はせてしまふからです。
人間同士の信頼感といふものは、恋愛のほんたうの要素ではありません。信頼感ならば、友だち同士の友情の方が
強いでせうし、また、長いこと連れ合つた夫婦の間の愛情も、信頼感といふ点では恋愛よりずつと強いのです。
恋愛は結局、わからないことがどこかにひそんでゐなければならない。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 人間には心があるから、心で証拠を求めようとしても、からだで求められない。からだで求めようとしても、
心で求められない。かういふ、人間独特の分裂状態から、恋愛が生まれてくる。それが、人間的なものの一つの
特徴になるのであります。
そして情熱の法則は、自分で自分を裏切るといふふうに傾くもので、理性の法則とはまるで違つてゐます。
ですから、うそもうそでなくなる。真実も真実ではなくなつてしまふわけです。
よく、結婚したときに夫に向つて、自分の過去の恋人のことを全部告白してしまふ奥さんがありますが、これが
誠実といふものかどうかは疑はしい。それによつて夫は、いつまでも悩むことになるでせうし、彼女は、自分に
誠実であつたことによつて、実は自分にだけ誠実であつたことになるのです。すべて人間の愛の感情では、
自分にだけ誠実であるといふことが、必ずしもその恋愛に誠実であるといふことにはならないといふ皮肉な
法則があります。
誠実さとは結局、自分の真心を押しつけることではなくて、むしろ自分を捨てて相手のためを思ふことであり、
そのためには、うそも誠実になつてくるのです。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 同性愛の原因については、いろいろの学者が学説を述べてゐますが、ほんたうのところははつきりつかめません。
現在ではフロイドの考へで、結局後天的な、心理的な原因だといふふうに考へられてゐます。つまり生まれつき
同性愛の人はゐない。なぜかといふと、性ホルモンと同性愛とは関係がないことがわかつてきて、女性ホルモンの
多い女性も十分同性愛になり得るし、女性ホルモンの少ない女性も十分異性愛になり得る。そして、女らしい
女性でも、同性愛に陥るし、ごく生理的に男らしい男でも同性愛に陥ります。結局、フロイドが述べてゐるところの
心理的な、いろいろな錯綜から生じた一種の病気であつて、その原因に、快感が加はると、その快感を習慣的に
追ふことによつて、だんだん深みに落ちていくといふふうにいはれてゐます。しかし同性愛の人たちは、それを
自分たちは宿命的と考へてゐて、自分たちだけの小さな王国を作らうとし、さういふ王国がだんだん地上に
広がつていくことを望むやうになるのです。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 一つの習慣がついたからといつて、それがすぐ全人生を支配するものでもない。もし誘惑される立場にあつたならば、
自分がそれにおぼれない用心をしてかかるほかはないのであつて、あくまでも同性愛のほかに広い世界があると
いふことを忘れないで、育つていくことが大事だと思います。若くてさういふ世界に誘惑された少年少女は、
それだけが全世界だと思ひがちですが、人生には、もつと広い世界があるといふことを忘れなければ、必ずその
広い世界へまた出ていくことができるのです。さう言ふと、私は何も解決を与へてないやうですが、同性愛は、
すべて心理的な原因ですから、心理的に自分で解決していくことです。
私の思ふのに、もし同性愛に対して欲求を持つた青少年がゐるならば、初めは思ふ存分それに向つて突進したら
いいでせう。人間の欲望は押へようとしても押へ切れるものではなく、彼は自分の思ふままに欲望に走る。
そしてそれにぶつかつて失敗するなり成功するなりしたらいい。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 自分が自分の欲望を追求して、その欲望を突き抜けて、人生に対して同性愛といふものもあるんだといふやうな
のどかな気持で、もう一度自分を客観的に見るやうな余裕が持てるところまでいかなければ、どんな医者が
どう言つても無理だと思ふのです。そして今一般的には根治しがたい、不治の病のやうにいはれてゐる精神病の
中でも、一番治しにくいのが同性愛であつて、なぜならば、それは快感を伴ふから治りにくいのだといはれて
ゐるのですが、さういふこととは別に、女性ならば女性であるといふ誇りを、男性ならば自分が男性であると
いふ誇りを、いつでも持つてゐれば、決してゆがめられた、グロテスクな同性愛の底に沈んでしまふといふことは
あり得ないと思ひます。そして自分の本来の性の誇りが、自然に彼を引き戻すであらうと私は思ひます。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 人間は生まれてから年をとるまで、いつも嫉妬と親しい関係にあります。
嫉妬は必ず、ある瞬間にもせよ、負けた側の人間に生じるものであります。
嫉妬といふことは、一番端的な現はれは、“安心のない愛”と定義できるでせう。いつか逃げていきはしないか。
いつか自分から去つていきはしないか。かういふ不安がなければ、嫉妬といふものは生まれてきません。
嫉妬は愛の表現ではあるが、しかしむづかしい言ひ方をすると、愛するといふことの不可能の表現だとも言へると
思ひます。なぜなら、われわれは他人を、そんなに簡単に自分のものにすることはできません。
人間は残酷なやうですが、やはり一人一人孤独に生きてゐるのです。そこで、愛は相手を所有することだとしても、
簡単に所有するといふ形は、われわれにはほんたうはできない。相手が眠つてゐるときか相手が死んでゐるときしか
できないのです。相手の自由を完全に自分のものとすることは、相手を殺してしまふか眠らせてしまふしか
ないのであります。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 盲腸炎にかかつた人でなければ盲腸といふものの痛みもわからない。また歯が痛んだことのある人でなければ、
歯の痛みもわからない。それと同時に、嫉妬の苦しみも、自分が一度味はつたことのある人でなければ、決して
わからないのであります。
私は、情熱といふものを尊敬しますが、同時に理性も尊敬します。そして美しい愛情はやはり情熱と理性とが
適当に折れあつてゐなければならないので、情熱だけがいつも正しいと言つて、相手を責めることはできません。
恋愛は完全に健康なもの、そして円満な人格、欠点のない人がら、さういふことものを見きはめて愛するものでは
ありません。結局、欠点を愛することになるのが恋愛の一般の法則であり、その欠点ないし弱味は、ともすると
人の同情をそそる形で現はれます。
相手の同情をよぶことが何かの効き目を持つのは根本法則ですが、相手に自分の与へてゐる魅力がまづなければ
ならない。魅力のないところに同情を持ちかけても、何もなりません。魅力とミックスされるところに、初めて、
同情されることが愛において持つ値打がある。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 私は、ここにちやうど現代の社会における性の行為が、実は皆さんの考へてゐるほどロマンチックなものでは
ないといふことを言はなければならない。なぜなら、今まで述べたやうに、性的な幻滅とか、性的な荒廃とか
不良化とか堕落とかいふものは、実は、性そのものに関する無知ではなくて、私には人間そのものに関する無知と、
よく現代の社会の構造を見きはめないといふ無知からくるもののやうに思はれるからです。なぜ現代社会で
あんなに早く人間が動物的に成熟しながらも、結婚がだんだんおくれていく傾向にあるか。これは現代社会の
矛盾ですがしやうがない矛盾なのです。つまり性的結合は、経済的独立が伴はなければ社会の公然たるものとして
認められない。これが現代社会の一つの鉄則と言つていいものです。もし経済的独立が伴はないで性的結合が
行はれれば、必ずそこにいろいろな不調和が生じる。そして無理に無理が重なつて、堕落と、おそらく犯罪が
待ちかまへてゐることになります。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 男の秘訣は、女に対しては、からだの交渉を持つまでは、決して女の欲望を認めてはいけないといふことです。
あたかも、相手には欲望がないやうに、ふるまはなければなりません。それは、女性の羞恥心を、悪く刺激する
ことになるからです。少なくとも、処女は自分の欲望を認められることを、大へんきらふものです。
世間には浮気を浮気としてやれる人と、本気でなくてはやれない人とがあります。そしてそれは、必ずしも前者が
不まじめな人間で、後者がまじめな人間だとは限りません。後者の中には、三人でも四人でも同時に愛するといふ
離れわざのできる人間もあるからです。
男性の場合における恋愛のエチケットは、たとへ相手を自分が捨てた場合でも、自分が捨てられたやうな振りを
することであります。つまり、世間的な体面において、相手を勝利者のやうに見せてやることです。自分が
しよつちゆう振られたと言つて歩く男は、実はいつも恋愛の成功者である場合が多い。そして、あの女を振つて
やつたと言つて歩いてゐる男は、実は捨てられてばかりゐる男である場合が多いのであります。
三島由紀夫「新恋愛講座」より 945 :名無しさん@12周年:2011/10/12(水) 01:52:09.21 ID:VoTeE6IY0
マスコミが取材に来た時、フジテレビだけ禁止する!って言う人が出てきそう。
マスコミ会社のクセ、3.を出してる時点で終わってる。
そういえば、川端康成が、生前、マスコミが取材に来た時、「朝日新聞は出て行け!」って感じのことを言って激怒していたのを
子どもながらに覚えていた。
子どもの俺でも解ったもんな。
「ああ、三島由紀夫のことを悪く書いた朝日新聞のことが嫌いなんだな。」と。
これから、フジテレビ取材を拒否する連中が出て来ても、おかしくはない
【ウジTV】何が何でも論点をすげ替えて韓国批判にしたい日本のマスゴミ
http://www.youtube.com/watch?v=-xYvC1jlLno&feature=related
爆弾発言!韓国大統領「北朝鮮の復興は日本に金を出させる」と YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XDBQTtO0gYk&NR=1
張り合ひのない女ほど男にとつて張り合ひのある女はなく、物喜びをしないといふ特性は、愛されたいと思ふ女の
必ず持たねばならない特性であつて、かういふ女を愛する男は、大抵忠実な犬よりも無愛想な猫を愛するやうに
生れついてゐる。
(中略)
冷たさの魅力、不感症の魅力にこそ深淵が存在する。
物理的には、ものを燃え立たせるのは火だけであるのに、心理的には、ものを燃え立たせるものは氷に他ならない。
そしてこの種の冷たさには、ふしぎと人生の価値を転倒させる力がひそんでゐて、その前に立てば、あらゆる価値が
冷笑され、しかも冷笑される側では、そんな不遜な権利が、一体客観的に見て相手にそなはつてゐるかどうかを、
検討してみる余裕もないのである。
こんないら立たしい魅力も、しかし心を息(やす)ませないから、実は魅力の御本尊の自負してみるほど、
永続きはしないものである。
三島由紀夫「好きな女性」より (中略)
ありがた迷惑なほどの女房気取も、時によつては男の心をくすぐるものである。かういふ女性の中には、どんなに
知識と経験を積んでも、自分でどうしても乗り超えられない或る根本的な無智が住んでゐて、その無智が決して
節度といふことの教へを垂れないから、いつも彼女自身の過剰な感情のなかでじたばたしてゐるのである。
(中略)
恋愛では手放しの献身が手放しの己惚れと結びついてゐる場合が決して少なくない。しかし計量できない天文学的
数字の過剰な感情の中にとぢこめられてゐる女性といふものは、はたで想像するほど男をうるさがらせてはゐないのだ。
それは過剰の揺藍(ゆりかご)に男を乗せて快くゆすぶり、この世の疑はしいことやさまざまなことから目を
つぶらせて、男をしばらく高いいびきで眠らせてしまふのである。
私は時には、さういふ催眠剤的な女性をも好む。
これはさつきの議論と矛盾するやうでもあるが、一方、認識慾のつよい男ほど、催眠剤を愛用する傾きも強く、
その必要も大きいといふことが云へるだらう。
三島由紀夫「好きな女性」より この世にはいろんな種類の愛らしさがある。しかし可愛気のないものに、永続的な愛情を注ぐことは困難であらう。
美しいと謂はれてゐる女の人工的な計算された可愛気は、たいていの場合挫折する。実に美しさは誤算の能力に
正比例する。
(中略)
可愛気は結局、天賦のものであり天真のものである。
そしてかういふものに対してなら、敗北する価値があるのだ。
ほんのちよつとした心づかひ、洋服の襟についた糸屑をとつてくれること、そんなことは誰しもすることであるが、
技巧は、かういふ些細なところでいつも正体をあらはしてしまふ。
私は小鳥を愛する女の心情の中にさへ、暗い不可解な無意識の心理を、忖度せずにはゐられない不幸な人間であるが、
たまには、(時には気候の加減で)さういふ時の女にかけがへのない天真さを発見する。
何かわれわれの庇護したい感情に愬へるものは、おそらく憐れつぽいものではなくて、庇護しなければ忽ち
汚れてしまふ、さういふ危険を感じさせる或るものなのであらう。ところが一方には何の危険も感じさせない
潔らかさや天真さといふものもあり、さういふものは却つて私を怖気づかせてしまふから妙である。
三島由紀夫「好きな女性」より 文学史とは一体何なのか。千年前に書かれた作品でも、それが読まれてゐるあひだは、容赦なく現代の一定の
時間を占有する。
われわれは文学作品を、そもそも「見る」ことができるのであらうか。古典であらうが近代文学であらうが、
少くとも一定の長さを持つた文学作品は、どうしてもそこをくぐり抜けなければならぬ藪なのだ。自分のくぐり
抜けてゐる藪を、人は見ることができるであらうか。
それははつきりわれわれの外部にあるのか。それとも内部にあるのか。文学作品とは、体験によつてしか
つかまへられないものなのか。それとも名器の茶碗を見るやうに、外部からゆつくり鑑賞できるものなのか。
もちろん藪だつて、くぐり抜けたそのあとでは、遠眺めして客観的にその美しさを評価することができる。しかし、
時間をかけてくぐり抜けないことには、その形の美しさも決して掌握できないといふのが、時間芸術の特色である。
この時間といふことが、体験の質に関はつてくる。なぜなら、われわれがそれを読んだ時間は、まぎれもない
現代の時間だからである。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より 美、あるひは官能的魅惑の特色はその素速さにある。それは一瞬にして一望の下に見尽されねばならず、その速度は
光速に等しい。それなら、長篇小説のゆつくりした生成などは、どこで美と結ぶのであらうか。きらめくやうな
細部によつてであるか。あるひは、読みをはつたのち、記憶の中に徐々にうかび上る回想の像としてであるか。
(中略)文学史は言葉である。言葉だけである。しかし、耳から聴かれた言葉もあれば、目で見られることに
効果を集中した言葉もある。
文学史は、言葉が単なる意味伝達を越えて、現在のわれわれにも、ある形、ある美、ある更新可能な体験の質、
を与へてくれないことにははじまらない。私は思想や感情が古典を読むときの唯一の媒体であるとは信じない。
たとへば永福門院の次のやうな京極派風の叙景歌はどうだらうか。
「山もとの鳥の声より明けそめて
花もむらむら色ぞみえ行く」
ここにわれわれが感じるものは、思想でも感情でもない、論理でもない、いや、情緒ですらない、一連の日本語の
「すがた」の美しさではないだらうか。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より (中略)
われわれは文学史を書くときに、日本語のもつとも微妙な感覚を、読者と共有してゐるといふ信念なしには、
一歩も踏み出せないことはたしかであつて、それは至難の企てのやうだが、実はわれわれ小説家が、日々の仕事を
するときに、持たざるをえずして持たされてゐる信念と全く同種のものなのである。
かくて、文学史を書くこと自体が、芸術作品を書くことと同じだといふ結論へ、私はむりやり引張つてゆかうとして
ゐるのだ。なぜなら、日本語の或る「すがた」の絶妙な美しさを、何の説明も解説もなしに直観的に把握できる人を
相手にせずに、少くともさういふ人を想定せずに、小説を書くことも文学史を書くことも徒爾だからである。
享受はそれでよろしい。
しかしいかに作者不詳の古典といへども、誰か或る人間、或る日本人が書いたことだけはたしかであり、一つの
作品を生み出すには、どんな形ででもあれ、そこに一つの文化意志が働らいたといふことは明白である。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より (中略)
文化とは、創造的文化意志によつて定立されるものであるが、少くとも無意識の参与を、芸術上の恩寵として
許すだけで、意識的な決断と選択を基礎にしてゐる。ただし、その営為が近代の芸術作品のやうな個人的な
行為にだけ関はるのではなく、最初は一人のすぐれた個人の決断と選択にかかるものが、時を経るにつれて
大多数の人々を支配し、つひには、規範となつて無意識裡にすら人々を規制するものになる。私が武士道文献を
文学作品としてとりあげるときに、このことは明らかになるであらう。
文化とは、文化内成員の、ものの考へ方、感じ方、生き方、審美眼のすべてを、無意識裡にすら支配し、しかも
空気や水のやうにその文化共同体の必需品になり、ふだんは空気や水の有難味を意識せずにぞんざいに用ひて
ゐるものが、それなしには死なねばならぬといふ危機の発見に及んで、強く成員の行動を規制し、その行動を
様式化するところのものである。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より 今もなほ、私は、「古事記」を晴朗な無邪気な神話として読むことはできない。何か暗いものと悲痛なもの、
極度に猥褻なものと神聖なものとの、怖ろしい混淆を予感せずに再読することができない。少くとも、戦時中の
教育を以てしても、儒教道徳を背景にした教育勅語の精神と、古事記の精神とのあひだには、のりこえがたい亀裂が
露呈されてゐた。儒教道徳の偽善とかびくささにうんざりすればするほど、私は、日本人の真のフモールと、また、
真の悲劇感情と、この二つの相反するものの源泉が、「古事記」にこそあるといふ確信を深めた。日本文学の
もつともまばゆい光りと、もつとも深い闇とが、ふたつながら。……そして天皇家はそのいづれをも伝承して
ゐたのである。
(中略)
これ(教育勅語)に比べると、「古事記」の神々や人々は、父母に孝ならず、兄弟垣にせめぎ、夫婦相和せず、
朋友相信ぜず、あるひは驕慢であり、自分本位であり、勉強ぎらひで、法を破り、大声で泣き、大声で笑つてゐた。
三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より (中略)
戦時中の検閲が、「源氏物語」にはあれほど神経質に目を光らせながら、神典の故を以て、「古事記」には一指も
触れることができず、神々の放恣に委ねてゐたのは皮肉である。ともすると、さらに高い目があつて、教育勅語の
スタティックな徳目を補ふやうな、それとあらはに言ふことのできない神々のデモーニッシュな力を、国家は望み、
要請してゐたのかもしれない。古事記的な神々の力を最高度に発動させた日本は、しかし、当然その報いを受けた。
そのあとに来たものは、ふたたび古事記的な、身を引裂かれるやうな「神人分離」の悲劇の再現だつたのである。
(中略)
これ(倭建命〈やまとたけるのみこと〉の挿話)がおそらく、政治における神的なデモーニッシュなものと、
統治機能との、最初の分離であり、前者を規制し、前者に詩あるひは文化の役割を担はせようとする統治の意志の
あらはれであり、又、前者の立場からいへば、強ひられた文化意志の最初のあらはれである、と考へられる。
三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より 古代において、集団的感情に属さないと認められた唯一のものこそ恋であつた。しかしそれがなほ、人間を
外部から規制し、やむなく、おそろしい力で錯乱へみちびくと考へられた間は、(たとへば軽王子説話)、なほ
それは神的な力に属し、一個の集団的感情から派生したものと感じられた。このことは、外在魂(たまふり)から
内在魂(みたましづめ)へと移りゆく霊魂観の推移と関連してゐる。万葉集は、(中略)夥しい相聞歌を載せてゐる。
相聞は人間感情の交流を意味し、親子・兄弟・友人・知人・夫婦・恋人・君臣の関係を含むが、恋愛感情がその
代表をなすことはいふまでもない。
記紀歌謡以来、恋の歌は、別れの歌であり遠くにあつて偲ぶ歌であつた。(中略)
別離と隔絶に、人間精神の醇乎としたものが湧き上るのであれば、統一と集中と協同による政治(統治)からは、
無限に遠いものになり、政治的に安全なものであるか、あるひはもし政治的に危険な衝動であつても、挫折し、
流謫されたものの中にのみ、神的な力の反映が迫ると考へられた。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より (中略)われわれは、ふしぎなことに、太古から、英雄類型として、政治的敗北者の怨念を、女性的類型として、
裏切られた女の嫉妬の怨念を、この二種の男女の怨念を、文化意志の源泉として認めてきたのであり、成功した英雄は
英雄とみとめられず、多幸な女性は文化に永い影を引くことがなかつた。政治的にも亦、天皇制は堂々たる
征服者として生きのびたのではなかつた。いかに成功した統治的天皇も、倭建命以来の「悲劇の天皇」のイメージを
背後に揺曳させることによつて、その原イメージのたえざる支持によつて、すなはち日本独特の挫折と流謫の
抒情の発生を促す文化的源泉の保持者として、成立して来たのである。
さて、相聞歌は、非政治性の文化意志の大きな開花になつた。それは、統治が集中的になればなるほど、そして、
「万葉集」のやうな文化的集大成が行はれれば行はれるほど、この求心性に対して、つねに遠心力として働らき、
拡散と距離と漂泊を代表した。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より (中略)
万葉集は、人が漠然と信じてゐるやうな、素朴で健康な抒情詩のアンソロジーなのではない。それは古代の巨大な
不安の表現であり、そのやうなものの美的集大成が、結果的に、このはなはだ特徴的な国民精神そのものの
文化意志となつたのである。それなくしては又、(文化に拠らずしては)、古代の神的な力の源泉が保たれない、
といふ厖大な危機意識が、文化意志を強めた考へられる。のちにもくりかへされるやうに、一時代のもつとも
強烈な文化意志は、必ず危機の意識化だからである。
(中略)
芸術行為は、「強ひられたもの」からの解放と自由への欲求なのであらうか。相聞歌のふしぎは、或る拘束状態に
おける情念を、そのままの形で吐露するといふ行為が、目的意識から完全に免かれてゐることである。「解決」の
ほかにもう一つの方法があるのだ、といふことが詩の発生の大きな要素であつたと思はれる。その「もう一つの
方法」の体系化が、相聞だつたのである。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より それにしても、この歌は美しい。沈静で、優雅で、嫉妬に包まれた女性が、その嫉妬といふ衣裳の美しさに自ら
見惚れて、鏡の前に立つてゐるやうな趣がある。自己に属する情念が醜くからうなどとは、はじめから想像も
できない、といふ点では、女性は今も昔も変りはしない。(中略)一人の悩める女の姿を描き出すことで、
磐姫皇后は、卓抜な自画像の画家であつた。しかしそれは、何ら客観視を要しない肖像画であり、皇后は、一度も
自分の情念を、客体として見てゐるわけではないのである。
情念にとらはれた人間にとつて、解決のほかにもう一つの方法がある。しかもそれは諦念ではない。……これが詩、
ひいては芸術行為の発生形態であつたとすれば、「鎮魂」に強ひて濃い宗教的意識を認め、これを近代の個性的
芸術行為と峻別しようとする民俗学の方法は可笑しいのである。表現と鎮魂が一つのものであることは、人間的
表出と神的な力の残映とが一つのものであることを暗示する。それはもともと絶対アナーキーに属する情念に属し、
言語の秩序を借りて、はじめて表出をゆるされたものである。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より しかしこれを慰藉と呼んでは、十分でない。それは本来、言語による秩序(この世のものならぬ非現実の秩序)に
よつてしか救出されないところの無秩序の情念であるから、同時に、このやうな無秩序の情念は、現世的な
秩序による解決など望みはしないのである。相聞は、古代人が、政治的現世的秩序による解決の不可能な事象に、
はじめから目ざめてゐたことを語つてをり、その集大成は、おのづから言語の秩序(非現実の秩序)の最初の
規範になりえたのである。人はこの秩序が徐々に、現世の秩序と和解してゆく過程を「古今和歌集」に見、さらに
そのもつとも頽廃した現象形態として、ずつと後世、現世の権力を失つた公家たちが、言語の秩序を以て、現世の
政治権力に代替せしめようとする、「古今伝授」といふ奇怪な風習に触れるだらう。そして「古今和歌集」と
「古今伝授」の間には、言語的秩序の孤立と自律性にすべてを賭けようとした「新古今和歌集」の藤原定家の
おそるべき営為を見るであらう。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より はじめそれはもちろん一種のダンディズムだつた。ダンディズムは感情を隠すことを教へる。それから生な感情を
一定の規矩に仮託することによつて、個の情念から切り離し、それ自体の壮麗化を企てることができる。漢文による
表現が公的なものからはじまつたのは当然であり、公的生活の充実が男性のダンディズムを高めると共に、ますます
それが多用されたのも当然だが、政治的言語として採用されたそれが、次第に文学的言語を形成するにいたると、
支那古代詩の流れを汲む「政治詩」の萌芽が、はじめて日本文学史に生れたのだつた。
しかし「離騒」以来の慷慨詩の結晶は、「懐風藻」においては十分でなかつたのみならず、はるかはるか後代の
維新の志士たちの慷慨詩にいたるまで、その自然な発露の機会を見出すことができなかつた。きはめて例外的に、
又きはめてかすかに、それが窺はれるのは「懐風藻」の大津皇子の詩である。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より その数篇の詩に、「離騒」のやうな幾多の政治的寓喩を読むことも不可能ではないが、私はこれを読み取らうとは
思はぬ。しかし、ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日のわれわれの
胸にも直ちに通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、人は最終的実行を以てしか、つひにこれを
癒やす術を知らぬ。遊猟の一見賑やかな情景の中にも、自然の暗い息吹は吹き通うてゐる。恋によく似て非なる
この男の胸の悶えを、国風の歌は十分に表現する方法を持たなかつた。外来既成の形式を借り、これを仮面として、
男の暗い叛逆の情念を芸術化することは、もしその仮面が美的に完全であり、均衡を得てゐれば、人間感情の
もつとも不均衡な危機をよく写し出すものになるであらう。それはあの怖ろしい蘭陵王の仮面と、丁度反対の
意味を担つた仮面なのだ。
七世紀後半のこの叛乱の王子は、天武天皇の長子であつた。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より (中略)
支那の詩文学から日本人がいかなる詩情を探り出したかは、返り点を使つた日本的な読み下しといふ読み方の
発明と無縁ではないと思はれる。読み下し自体が一種の翻訳であり、原典の韻律はそれによつて破壊され、或る
舌足らずな翻訳文体のリズムは、そのまま日本語の文体として日本語の中へ融解されてしまふ。漢詩がかくて、
音楽化される極点が謡曲の文体である。
韻律は失はれても、一そう美しい廃墟のやうに、構造とシンメトリーは残つてゐた。大体、支那原典から見れば、日本人の漢詩鑑賞は、
廃墟の美の新らしい発見のやうにさへ思はれる。
(中略)
対句的表現によるシンメトリー自体が新らしい美の発見であり、詩のサロン化の大きな布石であつた。やがて
これが国風暗黒時代ともいふべき平安朝初期の、純支那風な官吏登庸制度に基づく官僚機構のシンメトリーを
用意するのである。すなはち詩を通じて、政治的言語と文学的言語は相補ひ、政治的言語は詩情を培ひ、培はれた
新らしい詩情は、さらに整然たる政治的言語の形成に参与するのであつた。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より もし秩序がなかつたら、何ら抒情の発想をもたらさぬものが、秩序の存在によつて焦燥や怒りや苦痛が生み出され、
それが詩の源泉になることを自覚するとき、われわれはすでに古今集の世界にゐるのである。
(中略)
われわれの文学史は、古今和歌集にいたつて、日本語といふものの完熟を成就した。文化の時計はそのやうにして、
あきらかな亭午を斥すのだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も頽廃も知らぬ完全な均衡の勝利である。
日本語といふ悍馬は制せられて、だく足も並足も思ひのままの、自在で優美な馬になつた。調教されつくしたものの
美しさが、なほ力としての美しさを内包してゐるとき、それをわれわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。
制御された力は芸術においては実に稀にしか見られない。(中略)そして古今集の歌は、人々の心を容易く
動かすことはない。これらの歌人と等しく、力を内に感じ、制御の意味を知つた人の心にしか愬へない。
これらの歌は、決して、衰へた末梢神経や疲れた官能や弱者の嘆きをくすぐるやうにはできてゐないからだ。
三島由紀夫「日本文学小史 第五章 古今和歌集」より 文化の白昼(まひる)を一度経験した民族は、その後何百年、いや千年にもわたつて、自分の創りつつある文化は
夕焼けにすぎないのではないかといふ疑念に悩まされる。明治維新ののち、日本文学史はこの永い疑念から
自らを解放するために、朝も真昼も夕方もない、或る無時間の世界へ漂ひ出た。この無時間の抽象世界こそ、
ヨーロッパ文学の誤解に充ちた移入によつて作り出されたものである。かくて明治以降の近代文学史は、一度として
その「総体としての爛熟」に達しないまま、一つとして様式らしい様式を生まぬまま、貧寒な書生流儀の卵の殻を
引きずつて歩く羽目になつた。
古今和歌集は決して芸術至上主義の産物ではなかつた。(中略)この勅撰和歌集を支へる最高の文化集団があり、
共通の文化意志を持ち、共通の生活の洗練をたのしみ、それらの集積の上に、千百十一首を成立たしめたのだつた。
或る疑ひやうのない「様式」といふものが、ここに生じたとてふしぎはない。一つの時代が声を合せて、しかも
嫋々たる声音を朗らかにふりしぼつて、宣言し、樹立した「様式」が。
三島由紀夫「日本文学小史 第五章 古今和歌集」より 源氏物語の、ふと言ひさして止めるやうな文章、一つのセンテンスの中にいくつかの気の迷ひを同時に提示する文体、
必ず一つのことを表と裏から両様に説き明かす抒述、言葉が決断のためではなく不決断のために選ばれる態様、
……これらのことはすでに言ひ古されたことである。紫式部が主人公の光源氏を扱ふ扱ひ方には、皮肉も批判も
ないではないが、つねに、この世に稀な美貌の特権をあからさまに認めてゐる。他の人ならゆるされぬが、
他ならぬ源氏だから致し方がない、といふ口調なのである。何故なら、源氏にさへ委せておけば、どんな俗事も
醜聞も、たちどころに美と優雅と憂愁に姿を変へるからだ。手を触れるだけで鉛をたちまち金に変へる、この
感情と生活の錬金術、これこそ紫式部が、自らの文化意志とし矜持としたものだつた。
それは古今集が自然の事物に対して施した「詩の中央集権」を、人間の社会と人間の心に及ぼしたものだつたと
云へよう。実際、藤原道長が地上に極楽を実現しようとしたことは、日本文学史平安朝篇に詳しい。
三島由紀夫「日本文学小史 第六章 源氏物語」より 日本の伝統文化には、官能の多様性はみごとに鏤(ちりば)められてゐる。しかし、それを分析するとなると、
日本人はいつも間違ふ。日本人ぐらゐ性の自己分析の不得手な国民はなからう。それは又一般的自己分析の
あいまいさといふ国民的特色と相俟つてゐる。
(中略)
人間の結ぶ性的関係は、(中略)次の三種に分けてよからう。すなはち、第一に、異性愛の男女関係、第二に、
同性愛の同性同士の関係、第三に、サド・マゾヒズムのサディストとマゾヒストの関係である。(中略)
何故、この三種に分けるかといふと、この三種は、人間の社会集団のおそらくもつとも根元的な三種別の
「関係」と照応してゐる、と考へられるからである。すなはち、第一種は生殖を基本にした社会秩序、第二種は
同志的結合を基本にした戦闘集団、第三種は権力意志を基本にした支配・被支配関係と、それぞれ性欲を超克して
相渉つてゐるからであり、この三種の社会関係は、相互に根本的に矛盾してゐる。しかも相互に浸透し合つてゐる
といふところに問題の厄介さがあり、一人が三者を兼備することさへできるのである。
三島由紀夫「All Japanese are perceive」より (中略)
われわれの先人は、女をして女であることを主張させることが、いかに社会の男性的理智的原理を崩壊させ、
社会をアモルフなものに融解させてしまふか、といふ洞察力を持つてゐた。女は女であることを決して主張しない
ことによつて真の女になり、そこにこそ真の「女らしさ」が生ずるといふ女大学のモラルは警抜で、シニカルな、
水も洩らさない社会的強制(コンパルスン)であつた。つまらぬ風俗現象ではあるが、現代の風潮を、
「女性の男性化、男性の女性化」といふ言葉でとらへようとする論者の脳裡にはこの古いモラルが、裏返しの形で
貼りついてゐるのである。現代の風潮は、女が女であることを主張し、男は男であることを主張しない、といふ
だけの話であり、むかしの日本では、男が男であることを主張し、女は女であることを主張しなかつた。真の
根元的な、妥協をゆるさぬ両性の対立は、男が男であることを主張し、女が女であることを主張する、といふ
状況からしか生れないのである。もちろんそんな状況は、人類に平和と幸福をもたらすものではない。
三島由紀夫「All Japanese are perverse」より (中略)
日本人は、相手(パートナア)といふ観念を持たない。武道の稽古の相手は敵手であるが、拳闘のスパーリングの
相手はスパーリング・パートナアなのである。すなはちパートを受持ち、或る役割を演ずる対等者である。
この観念のないことが、同性愛やサド・マゾヒズムの「関係」を解明することを困難にし、異性愛のアナロジーでしか
見られないまちがつた観察を流布させることになる。
(中略)
サディズムが特に男性的特質でもなく、マゾヒズムが特に女性的特質でもなく、男性の側に限つて云へば、
サディズムは男の理智的批評的分析的究理的側面に結びつき、マゾヒズムは男の肉体的行動的情感的英雄的側面と
結びつき易いことが察せられ、精神はサディズムの傾向をひそめ、肉体はマゾヒズムの傾向を内包すると
考へられるであらう。もつと通俗的に云へば、サディズムは好奇心で、マゾヒズムは度胸なのである。
三島由紀夫「All Japanese are perverse」より 通例、サディズムは支配と統制と破壊の意志であり、マゾヒズムは忠誠と直接行動と自己破壊の傾向であるが、
性愛独特の逆説により、同時にこの逆をも内包する。(中略)サディズムもマゾヒズムも、いづれも他人を
道具視する「利用の性愛」であると同時に、一方又、いづれも、人間の自己放棄の根元的な二様のあらはれの
一つだからである。私がかう説明することによつて、政治学の領域に近づきつつあることを、すでに読者は
察せられたであらう。サド・マゾヒズムこそは、人間の性愛の、もっとも政治学的分野なのである。
因みにナルシシズムの直接的な延長上にマゾヒズムが位置することは多言を要しないが、もちろん、そのやうな
ナルシシズムは純肉体的ナルシシズムであつて、「身を隠したナルシシズム」すなはち知的精神的社会的
ナルシシズムは、往々サディズムへ傾くであらう。又、心理的マゾヒズムは、むしろナルシシズムの逆である。
三島由紀夫「All Japanese are perverse」より (中略)
性愛における表象の優位はフェティシズムにつながるが、ほとんど男にしか見られぬこの perversion は、
あらゆる perversion のうちでもつとも「文化的」なものであり、芸術や哲学や宗教に近接し、それらの象徴体系の
隠れた基盤をなしてゐる。表象固執と現実離脱の、これ以上みごとな結合は考へられぬであらう。何故なら、
フェティシズムが表象固執によつて果す象徴機能は、次のやうなものだからである。すなはち、表象は個々の
対象の個別的魅惑から離脱し、ある詩的共通項(物象あるひは観念)を足がかりにして普遍性に到達し、しかも
形容矛盾ともいふべき「フェティシュな普遍性」といふ形態においてのみ源泉的な「肉の現実」の官能的魅惑を
まざまざと現出せしめるのである。いはばフェティシズムは、冷たい抽象的普遍に熱烈な肉の味はひを添へるのだ。
あるひは又、死んだ「物」の世界を、肉の香りを以て蘇らすのである。かくて、教会はキリストの体になり、
聖餅はキリストの肉、葡萄酒はキリストの血になるであらう。
三島由紀夫「All Japanese are perverse」より 尾崎紅葉の「金色夜叉」の箕輪家の歌留多会の場面は大へん有名で、お正月といふと、近代文学の中では、まづ
この場面が思ひだされるほどです。
(中略)
三十人あまりの若い男女が、二手にわかれて、歌留多遊びに熱中してゐるありさまは、場内の温気に顔が赤くなつて
ゐるばかりでなく、白粉がうすく剥げたり、髪がほつれたり、男もシャツの腋の裂けたのも知らないでチョッキ姿に
なつてゐるのやら、羽織を脱いで帯の解けた尻をつき出してゐるのやら、さまざまですが、
「喜びて罵り喚く声」
「笑頽(わらひくづ)るゝ声」
「捩合(ねぢあ)ひ、踏破(ふみしだ)く犇(ひしめ)き」
「一斉に揚ぐる響動(どよみ)」
など、大へんなスパルタ的遊戯で、ダイヤモンドの指輪をはめた金満家のキザ男富山は、手の甲は引つかかれて
血を出す、頭は二つばかり打たれる。はふはふのていで、この「文明ならざる遊戯」から、居間のはうへ逃げ出します。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より ――むかしの日本には、今のやうなアメリカ的な男女の交際がなかつた代りに、この歌留多会のやうな、まるで
ツイスト大会もそこのけの、若い男女が十分に精力を発散して取つ組み合ひをする機会がないわけではありませんでした。
紅葉がいみじくも「非文明的」と言つてゐるやうに、かういふ伝統は、武家の固苦しい儒教的伝統や、明治に
なつて入つてきた田舎くさい清教徒のキリスト教的影響などと別なところから、すなはち、「源氏物語」以来の
みやびの伝統、男女の恋愛感情を大つぴらに肯定する日本古来の伝統に直につながるものでありました。百人一首の
歌の詩句は、古語ですから柔らげられてゐるやうだが、どれもこれも、良家の子女にはふさはしくない、露骨な
恋愛感情を歌つたものばかりでした。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より お正月といふと、日ごろスラックスでとびまはつてゐるはねつかへり娘まで、急に和服を着て、おしとやかに
なるのは面白い風俗ですが、今のお嬢さんは和服を着馴れないので、たまに着ると、鎧兜を身に着けたごとく
コチンコチンになつてしまふ。必要以上におしとやかにも、猫ッかぶりにも見えてしまふわけです。
私はさういふ気の毒な姿を見ると、ちかごろの日本人は、「日本的」といふ言葉をどうやら外国人風に考へて、
何でも、日ごろやつてゐるアメリカ的風俗と反対なもの、花やかに装ひながらお人形のやうにしとやかなもの、
ととつてゐるのではないかといふ気がします。
「日本的」といふ言葉のなかには、十分、ツイスト的要素、マッシュド・ポテト的要素、ロックンロール的要素も
あるのです。たださういふ要素が今では忘れられて、いたづらに、静的で類型的なものが、「日本的」と称されて
ゐるにすぎません。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より 実際、地球上どこでも、人間が大ぜい集まつて住んでゐるところで、やつてみたいことや、言つてみたいことに、
そんなにちがひがあるわけはなく、たまたま日本が鎖国のおかげで孤立的な文化を育て、右のやうな要素までも
すべて日本的な形に特殊化して、表現してきたのは事実ですが、今日のやうに、世界のどこへでもジェット機で
二十四時間以内に行けるほどになると、「日本的なもの」の中の、ツイスト的要素はアメリカ製で間に合はせ、
シャンソン的要素はフランス製で間に合はせ、……といふ具合に、分業ができてきて、どうにも外国製品では
間に合はない純日本的要素だけを日本製の「日本趣味」で固める、といふ風になつてくる。
それでは、一例がお正月の振袖みたいな、わづかに残されたものだけが、純にして純なる本当の「日本的なもの」で
あるか、といふと、それはちがふ。そんなに純粋化されたものは、すでに衰弱してゐるわけで、本来の
「日本的なもの」とは、もつと雑然とした、もつと逞ましいものの筈なのです。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より (中略)
今年はいよいよオリンピックの年ですが、今から私がおそれてゐるのは、外人に向つての「日本趣味」の押売りが、
どこまでひどくなるか、といふことです。振袖姿の美しいお嬢さんが、シャナリシャナリ、花束を抱へて飛行機へ
迎へに出ること自体は、私はあへて非難しませんが、一例が次のやうな例はどうでせうか?
日本の服飾美学の伝統はすばらしいもので、江戸の小袖の大胆なデザイン、配色など、今のわれわれから見ても、
超モダンに感じられます。日本人の色彩感覚はすばらしく、それ自体で、みごとな色の配合のセンスを完成して
ゐます。この感覚の高さは、決してフランス人にも劣るものではありません。しかし一方、先年、フランスから
コメディー・フランセエズの一行が来たとき、舞台衣裳の配色の趣味のよさ、調和のよさ、(中略)カーテン・
コールで、登場人物一同が手をつないで舞台にあらはれたときは、その美しさに息を呑むくらゐでした。しかし、
突然、日本のお嬢さん方の花束贈呈がはじまり、色彩の城はとたんに、見るもむざんなほど崩壊しました。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より 色とりどりの振袖姿、色とりどりの花、わけても花束につけた俗悪な赤いリボンの色、……これで、今まで
保たれてゐた寒色系統の色の調和は、一瞬のうちにめちやくちやにされ、劇の感興まで消え失せてしまひました。
かういふのを「日本的」歓迎と思ひ込んでゐる無神経さ、私はこれをオリンピックに当つてもおそれます。本当に
「日本的な」心とは、フランスの衣裳美にすなほに感嘆し、この感嘆を純粋に保つために、かりにも舞台上へ
ほかの色彩などを一片でも持ち込まない心づかひを示すことなのです。そこにこそ「日本的な」すぐれた色彩感覚が
証明されるのです。右のやうな仕打は、決して「日本的」なのではありません。
「日本的なもの」についていろいろと心を向ける機会の多いお正月に、今年こそ、ぜひ、本当の「日本的なもの」を
発見していただきたいと思ひます。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より 女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によつてろくなものはできず、透明な抽象的構造を
いつもべたべたな感受性でよごしてしまふ。構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の
現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。(中略)
実際芸術の堕落は、すべて女性の社会進出から起つてゐる。女が何かつべこべいふと、土性骨のすわらぬ
男性芸術家が、いつも妥協し屈服して来たのだ。あのフェミニストらしきフランスが、女に選挙権を与へるのを
いつまでも渋つてゐたのは、フランスが芸術の何たるかを知つてゐたからである。(中略)
道徳の堕落も亦、女性の側から起つてゐる。男性の仕事の能力を削減し、男性を性的存在にしばりつけるやうな
道徳が、女性の側から提唱され、アメリカの如きは女のおかげで惨澹たる被害を蒙つてゐる。悪しき人間主義は
いつも女性的なものである。男性固有の道徳、ローマ人の道徳は、キリスト教によつて普遍的か人間道徳へと
曲げられた。そのとき道徳の堕落がはじまつた。道徳の中性化が起つたのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 一夫一婦制度のごときは、道徳の性別を無視した神話的こじつけである。女性はそれを固執する。人間的立場から
固執するのだ。女にかういふ拠点を与へたことが、男性の道徳を崩壊させ、男はローマ人の廉潔を失つて、
ウソをつくことをおぼえたのである。男はそのウソつきを女から教はつた。キリスト教道徳は根本的に偽善を
包んでゐる。それは道徳的目標を、ありもしない普遍的人間性といふこと、神の前における人間の平等に置いて
ゐるからである。これな反して、古代の異教世界においては、人間たれ、といふことは、男たれ、といふことで
あつた。男は男性的美徳の発揚について道徳的責任があつた。なぜなら世界構造を理解し、その構築に手を貸し、
その支配を意志するのは男性の機能だからだ。男性からかういふ誇りを失はせた結果が、道徳専門家たる地位を
男性をして自ら捨てしめ、道徳に対してつべこべ女の口を出させ、つひには今日の道徳的瓦解を招いたものと
私は考へる。一方からいふと、男は女の進出のおかげで、道徳的責任を免れたのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より サディズムとマゾヒズムが紙一重であるやうに、女性に対するギャラントリィと女ぎらひとが紙一重であると
いふことに女自身が気がつくのは、まだずつと先のことであらう。女は馬鹿だから、なかなか気がつかないだらう。
私は女をだます気がないから、かうして嫌はれることを承知で直言を吐くけれども、女がその真相に気がつかない間は、
欺瞞に熱中する男の勝利はまだ当分つづくだらう。男が欺瞞を弄するといふことは男性として恥づべきことであり、
もともとこの方法は女性の方法の逆用であるが、それだけに最も功を奏するやり方である。「危険な関係」の
ヴァルモン子爵は、(中略)女性崇拝のあらゆる言辞を最高の誠実さを以てつらね、女の心をとろかす甘言を
総動員して、さて女が一度身を任せると、敝履(へいり)の如く捨ててかへりみない。(中略)
女に対する最大の侮蔑は、男性の欲望の本質の中にそなはつてゐる。女ぎらひの侮蔑などに目くじら立てる女は、
そのへんがおぼこなのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より (中略)
私が大体女を低級で男を高級だと思ふのは、人間の文化といふものが、男の生殖作用の余力を傾注して作り上げた
ものだと考へてゐるからである。蟻は空中で結婚して、交尾ののち、役目を果した雄がたちまち斃れるが、雄の
本質的役割が生殖にあるなら、蟻のまねをして、最初の性交のあとで男はすぐ死ねばよいのであつた。
omne animal post coitum triste(なべての動物は性交のあとに悲し)といふのは、この無力感と死の予感の痕跡が
のこつてゐるのであらう。が、概してこの悲しみは、女には少く、男には甚だしいのが常であつて、人間の文化は
この悲しみ、この無力感と死の予感、この感情の剰余物から生れたのである。したがつて芸術に限らず、
文化そのものがもともと贅沢な存在である。芸術家の余計者意識の根源はそこにあるので、余計者たるに悩むことは、
人間たるに悩むことと同然である。
男は取り残される。快楽のあとに、姙娠の予感もなく、育児の希望もなく、取り残される。この孤独が生産的な
文化の母胎であつた。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より したがつて女性は、芸術ひろく文化の原体験を味はふことができぬのである。文化の進歩につれて、この孤独の意識を
先天的に持つた者が、芸術家として生れ、芸術の専門家になるのだ。私は芸術家志望の女性に会ふと、女優か
女声歌手になるのなら格別、女に天才といふものが理論的にありえないといふことに、どうして気がつかないかと
首をひねらざるをえない。
あらゆる点で女は女を知らない。いちいち男に自分のことを教へてもらつてゐる始末である。教師的趣味の男が
いつぱいゐるから、それでどうにか持つてゐるが、丁度眼鏡を額にずらし上げてゐるのを忘れて、一生けんめい
眼鏡をさがしてゐる人のやうに、女は女性といふ眼鏡をいつも額にずらして忘れてゐるのだ。(時には故意に!)
こんな歯がゆい眺めはなく、こんな面白くも可笑しくもない、腹の立つ光景といふものはない。私はそんな明察を
欠いた人間と附合ふのはごめんである。うつかり附合つてごらん。あたしの眼鏡をどこへ隠したのよ、とつかみ
かかつてくるに決つてゐる。
もつとも女が自分の本質をはつきり知つた時は、おそらく彼女は女ではない何か別のものであらう。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 何がきらひと云つて、私は酒席で乱れる人間ほどきらひなものはない。酒の上だと云つて、無礼を働らいたり、
厭味を言つたり、自分の劣等感をあらはに出したり、又、劣等感や嫉妬を根にもつてゐるから、いよいよ威丈高な
嵩にかかつた物言ひをしたり、……何分日本の悪習慣で「酒の上のことだ」と大目に見たり、精神鍛練の道場だ
ぐらゐに思つたりしてゐるのが、私には一切やりきれない。酒の席でもつとも私の好きな話題は、そこにゐない
第三者の悪口であるが、世の中には、それをすぐ御本人のところへ伝へにゆく人間も多いから油断がならない。
私は何度もそんな目に会つてゐる。要は、酒席へ近づかぬことが一番である。酒が呑みたかつたら、別の職業の
人間を相手に呑むに限る。
何かにつけて私がきらひなのは、節度を知らぬ人間である。一寸気をゆるすと、膝にのぼつてくる、顔に手を
かける、頬つぺたを舐めてくる、そして愛されてゐると信じ切つてゐる犬のやうな人間である。女にはよく
こんなのがゐるが、男でもめづらしくはない。
三島由紀夫「私のきらひな人」より (中略)
私が好きなのは、私の尻尾を握つたとたんに、より以上の節度と礼譲を保ちうるやうな人である。さういふ人は、
人生のいかなることにかけても聰明な人だと思ふ。
親しくなればなるほど、遠慮と思ひやりは濃くなつてゆく、さういふ附合を私はしたいと思ふ。親しくなつた
とたんに、垣根を破つて飛び込んでくる人間はきらひである。
お世辞を言ふ人は、私はきらひではない。うるさい誠実より、洗練されたお世辞のはうが、いつも私の心に触れる。
世の中にいつも裸な真実ばかり求めて生きてゐる人間は、概して鈍感な人間である。
お節介な人間、お為ごかしを言ふ人間を私は嫌悪する。親しいからと云つて、言つてはならない言葉といふものが
あるものだが、お節介な人間は、善意の仮面の下に、かういふタブーを平気で犯す。善意のすぎた人間を、いつも
私は避けて通るやうにしてゐる。私はあらゆる忠告といふものを、ありがたいと思つてきいたことがない人間である。
三島由紀夫「私のきらひな人」より どんなことがあつても、相手の心を傷つけてはならない、といふことが、唯一のモラルであるやうな附合を私は
愛するが、こんな人間が殿様になつたら、家来の諫言をきかぬ暗君になるにちがひない。人を傷つけまいと思ふのは、
自分が(見かけによらず)傷つき易いからでもあるが、世の中には、全然傷つかない人間もずいぶんゐることを
私は学んだ。さういふ人間に好かれたら、それこそえらいことになる。
……ここまできらひな人間を列挙してみると、それでは附合ふ人は一人もゐなくなりさうに思はれるが、世の中は
よくしたもので、私の身辺だつて、それほど淋しいとは云へない。荷風も、一時は無二の親友のやうに日記に
書いてゐる人間を、一年後には蛇蝎の如く描いてゐるが、それはあながち、荷風の人間観の浅薄さの証拠ではなく、
人間存在といふものが、固定された一個体といふよりも、お互ひに一瞬一瞬触れ合つて光り放つ、流動体に
他ならぬからであらう。好きな人間も、きらひな人間も、時と共に流れてゆくものである。
三島由紀夫「私のきらひな人」より とまれ、誰それがきらひ、と公言することは、ずいぶん傲慢な振舞である。男女関係ではふつうのことであり、
宿命的なことであるのに、社会の一般の人間関係では、いろいろな利害がからまつて、かうした好悪の念はひどく
抑圧されてゐるのがふつうである。
第一、それほど、あれもきらひ、これもきらひと言ひながら、言つてゐる手前はどうなんだ、と訊かれれば、
返事に窮してしまふ。多分たしかなことは、人をきらふことが多ければ多いだけ、人からもきらはれてゐると
考へてよい、といふことである。私のやうな、いい人間をどうしてそんなにきらふのか、私にはさつぱりわからないが、
それも人の心で仕方がない。ニューヨークの或る町に住むきらはれ者がゐて、そいつは悪魔の如く忌み嫌はれ、
そいつがアパートから出てくると、近所の婆さん連がみんな道をよけて、十字を切つて見送るといふ男の話を
きいたことがあるが、きらはれ方もそこまで行けば痛快である。私も残る半生をかけて、きらはれ方の研究に
専念することにしよう。
三島由紀夫「私のきらひな人」より 女の声でもあんまり甲高いキンキン声は私はきらひだ。あれをきいてゐると、健康によくない。声に翳りがほしい。
いはばかあーつと照りつけたコンクリートの日向のやうな声はたまらないが、風が吹くたびに木かげと日向が
一瞬入れかはる。さういふしづかな、あまり鬱蒼と濃くない木影のやうな声が私は好きだ。
寒気のするもの天中軒雲月の声、バスガールの声、活動小屋の幕間放送の声、街頭の広告放送の声。
燻(くす)んだチョコレートいろの声も私は好きだ。さういふとむやみにむつかしくきこえるが、そこらで
自分の声をちつとも美しくないと思ひ込んでゐる女性のなかに、時折かういふ声を発見して、美しいなと思ふ
ことがある。
(中略)
時と場合によつては、女の一言二言の声のひびきが、男の心境に重大な変化をもたらす。電話のむかうの声の
たゆたひが、男に多大の決心を強ひる。「まあ」といふ一言の千差万別!
声が何かの加減で嗄れてゐて、大事な場合の「まあ」が濁つてしまふことがあつても、それをごまかす小さな咳の
可愛らしさが、電話のむかうのつつましい女の様子をありありと思ひ描かせることがある。
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より いくら声のいい人でも立てつづけに喋りちらされてはたまらない。そこで問題はおのづと声と言葉の関係に移る。
私はおしやべりな人は本当にきらひだ。自分がおしやべりだから、その反映を相手に見るやうな気持がして
きらひなのかとも思ふが、いくら私がおしやべりでも私は女のおしやべりには絶対にかなはない。女のおしやべりが
はじまると私はいかにも男らしく沈黙を守らねばならぬ。世の男女の役割は、習慣によつて躾けられ、かうなると
いやでも、男は男らしく、女は女らしくならねばならぬ宿命があるかに思へる。女のタイプライターのやうな
お喋りがはじまると、私は目の前に女性といふ不可解な機械が立ちふさがるのを感じる。
尤も、友達として話相手になれるやうな女性は、大ていおしやべりであるし、教養があつてしかもおしやべりで
ない女など、まづ三十以下ではゐないと言つていい。黙りがちの女性はいかにも優雅にみえるが、ともすると
細雪のきあんちやんのやうな薄馬鹿である。
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より 女はゆたかな感情の間を持つて、とぎれとぎれに、すこし沈んだ抑揚で、しかもギラギラしない明るさ賑やかさ
快活さの裏付けをもつて、大して意味のない、それでゐて気のきいた話し方をするやうな女がいい。批判、皮肉、
諷刺、かうした話題が女の口から洩れる時ほど、女が美しくみえなくなる時はない。痛烈骨を刺す諷刺なんてものは、
男に委せておけばいい。何かなるたけ意味がなくて洒落れたことを言つてゐればいい。若い女性の存在価値は、
何も意味がなくてありさうにみえるところにあるのであつて、これは若い男性の存在価値が頗る意味があつて
しかもなささうにみえるところにあることと対蹠的である。
(中略)
私は妙にあの「ことよ」といふ言葉づかひが好きだ。口の中で小さな可愛らしい踵を踏むやうに、「ことよ」と
早口でいふのが本格である。私がやたらむしやらこの用法に接するやうになつたのは、亡妹が聖心女子学院に
ゐた時からで、聖心では何でもかんでも、行住座臥すべて「ことよ」である。
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より 「そんなこと知らないことよ」
「そこまで行つてさしあげることよ」
「いいことよ」
「さうだことよ」
あまり「さうだことよ」がつづいてうるさい時は、軽くかう言つて逆襲する。
「さうだことか?」(中略)
女の言葉づかひだけはどんな世の中になったても女らしくあつてほしい。襖ごしに、カアテンごしにきこえる
姉妹の対話、女の友達同志の対話、それを耳にしただけで女の世界のふしぎな豊かさ美しさ柔らかさ和やかさ
滑らかさ温かさが、女の世界の馥郁(ふくいく)たる香りが感じられるのでなければ、男どもは生きてゐることが
つまらない。襖ごしにこんな会話がきこえてきたら、世をはかなみたくなるではないか。
「さういふ実際的問題とは問題が別よ。もつと全宇宙的な……」
「さうよ。あんたの主張は理解できるわよ。しかし、何といふかなあ、さういふデリケートな感覚的な没論理的な
主張は……」
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より 川端って単なる変態だよね。
文体は星新一みたいにシンプルであっさりしている。
内容は鬼畜。 2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
個人的には『美しさと哀しみと』が一番よかった。読んでいたら表題の意味がだんだん判ってくる小説だった。
作品としてはあまり有名ではないのだけれども、川端康成を知る上では必読の作品だと思う。登場人物に愛着を
感じた。とりわけ、最も病的なけい子には…。
あとは、『舞姫』。この作品は同じ表題で、森鴎外にもある。森鴎外の“舞姫”が有名なだけに、同じ名前であると
どうしても手が出しにくかった。しかし私が川端作品に興味を持ったのは、『雪国』、『伊豆の踊り子』でもなく、
『舞姫』だった。私の読んだ限りでは、彼の作品の中で最もドラマチックだった。新感覚派で、物語の構成を重視しない
川端作品の中では、構成がしっかりしているように思う。
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高松で川端康成展ttp://www.rnc.co.jp/f/nw/news.asp?n=2012061205
「雪国」など日本の伝統美を探る名作を数多く残し、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成の文学の軌跡を
たどる展覧会が、高松市のサンクリスタル高松で始まりました。
展覧会「川端康成展」の会場には、多くの文学ファンが訪れ、川端が38歳の時に刊行した小説「雪国」の直筆原稿などが
展示され、日本の心と美を表現した、川端の叙情の世界に浸っていました。
また、川端が少年時代、ノーベル賞を夢見ていた事などを描いた直筆の日記も飾られ、注目されています。
美術への深い関心を示した川端が、画家の猪熊弦一郎や東山魁夷などに依頼した小説の挿絵や装丁も紹介されて
いるほか、川端が菊池寛のために書いた墓石の直筆の書や、弔辞も飾られ、2人の交流の深さがしのばれる内容に
なっています。
展覧会は、サンクリスタル高松内にある菊池寛記念館の第21回文学展として企画され、来月22日まで開かれています。 川端康成の文学展06/17 19:25 ttp://www.ksb.co.jp/newsweb/indexnews.asp?id=32061
ノーベル文学賞を受賞した文豪、川端康成の文学展が高松市で開かれています。川端康成は『伊豆の踊り子』や
『雪国』など日本の美を多く描き、1968年に日本人で初めてノーベル文学賞を受賞しました。この文学展は、
市民に広く文学に親しんでもらおうと菊池寛記念館が毎年開いているものです。川端康成は生前、
菊池寛と親交が深く今年が没後40年にあたることから開かれました。こちらは代表作『雪国』の貴重な直筆原稿です。
丁寧に書かれた言葉のひとつひとつに繊細な性格が読み取れます。また、川端康成は芸術家とも交流が深く猪熊
源一郎や東山魁夷が手がけた本の装丁や挿絵も並べられています。川端康成展は高松市のサンクリスタル高松で
7月22日まで開かれています。 小泉八雲が日本人を「東洋のギリシャ人」と呼んだときから、オリンピックはいつか日本人に
迎へられる運命にあつたといつてよい。
祭には行列がつきもので、行列は空間と時間とを果物かごのやうに一杯に充たしてくれなくてはならぬ。
彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にも
しみたと思ふが、かういふ感情は誇張せずに、そのままそつとしておけばいいことだ。日の丸の
その色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれの心になにかを呼びさましても、それについて
叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。
オリンピックはこのうへなく明快だ。そして右のやうな民族感情はあまり明快とはいへず、
わかりやすいとはいへない。オリンピックがその明快さと光りの原理を高くかかげればかかげるほど、
明快ならぬものの美しさも増すだらう。それはそれでよく、光と影をどちらも美しくすることが必要だ。
オリンピックには絶対神といふものはないのであつた。ゼウスでさへも。
三島由紀夫「東洋と西洋を結ぶ火―開会式」より
新発見の林芙美子の手紙 公開ttp://www.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4004611941.html
尾道市ゆかりの作家、林芙美子が太平洋戦争中、当時、親交のあった、作家の川端康成に宛てた手紙の一部が
新たに見つかり、尾道市の文学館で公開されています。
小説「放浪記」などで知られる作家の林芙美子は、高等女学校時代を尾道市で過ごし、その頃から執筆活動をはじめ、
数多くの小説を残しました。
今回、発見されたのは、太平洋戦争中の昭和20年に、芙美子が、当時、親交のあった、作家の川端康成に宛てた
2枚つづりの手紙のうち、これまで所在が分かっていなかった前半部分の1枚目です。この手紙は、芙美子が疎開
していた長野県山ノ内町の角間温泉で投かんされたもので「三尺も雪に埋もれて郵便屋さんもめったに来ない村に
なりました。すずりの水も凍ります」などと雪深い信州の冬の生活がつづられています。
尾道市によりますと、この手紙は、長野県の美術館が、芙美子の企画展を開いた際に遺族から借り受けた資料の
中から見つかったもので、市がすでに保管していた2枚目の手紙と寸法や折り目などが一致したということです。
この手紙は、9月2日まで、尾道市の「おのみち文学の館」で公開されています。 息子が大きくなれば全学連にならぬかとおそれをののき、娘が大きくなれば悪い虫がつきはせぬかと
ひやひやする、親の心配苦労をよそに、息子ども娘ども、
「お前の高校は処女が一割だつていふぜ」
「アラ、わりかしいい線行つてるわね」
などとほざき、オートバイのマフラーをはづして、市民の眠りをおどろかし、雨の日には転倒して頭の鉢を
割り、あわてた親が四輪車を買つてやれば、たちまち岸壁から海へどんぶり。山へ出かけては凍え死に、
スキーへ出かけては足を折る。身体髪膚、父母からもらつたものは一つもないかの如くである。
蔭では親のことを「あいつ」と呼び、働きのない親は出てゆけがしに扱はれ、働きのある親とは金だけの
つながり。いつも親に土産を買つてかへる今どきめづらしい孝行者と思へば、万引きの常習犯で、親が
警察へ呼び出されて、はじめてそれと知つてびつくり。これなどは罪の軽い方で、いつ息子に殺されるかと、
枕を高くして寝られない親もあり、こどもの持つてゐる凶器は、鉛筆削りのナイフといへども、こつそり
刃引きをしておいたはうが無難である。
日曜日も本に読みふける子は、あつといふ間にノイローゼになり、本を読まぬ子はテレビめくら。親父の
代には不良は不良でも、硬派の不良となると世間も認めたが、今は硬軟とりまぜの時代で、親の目には
一向見当もつかず、軟派とおもへばデモ隊で声を嗄らし、硬派とおもへばいつのまにやらプレイボーイ
とかになり下がり、娘が「オレ」と言ひ、息子は「あのう……ぼく」と言ふ世の中。
三島由紀夫「贋作東京二十不孝――井原西鶴」より 息子が大きくなれば全学連にならぬかとおそれをののき、娘が大きくなれば悪い虫がつきはせぬかと
ひやひやする、親の心配苦労をよそに、息子ども娘ども、
「お前の高校は処女が一割だつていふぜ」
「アラ、わりかしいい線行つてるわね」
などとほざき、オートバイのマフラーをはづして、市民の眠りをおどろかし、雨の日には転倒して頭の鉢を
割り、あわてた親が四輪車を買つてやれば、たちまち岸壁から海へどんぶり。山へ出かけては凍え死に、
スキーへ出かけては足を折る。身体髪膚、父母からもらつたものは一つもないかの如くである。
蔭では親のことを「あいつ」と呼び、働きのない親は出てゆけがしに扱はれ、働きのある親とは金だけの
つながり。いつも親に土産を買つてかへる今どきめづらしい孝行者と思へば、万引きの常習犯で、親が
警察へ呼び出されて、はじめてそれと知つてびつくり。これなどは罪の軽い方で、いつ息子に殺されるかと、
枕を高くして寝られない親もあり、こどもの持つてゐる凶器は、鉛筆削りのナイフといへども、こつそり
刃引きをしておいたはうが無難である。
日曜日も本に読みふける子は、あつといふ間にノイローゼになり、本を読まぬ子はテレビめくら。親父の
代には不良は不良でも、硬派の不良となると世間も認めたが、今は硬軟とりまぜの時代で、親の目には
一向見当もつかず、軟派とおもへばデモ隊で声を嗄らし、硬派とおもへばいつのまにやらプレイボーイ
とかになり下がり、娘が「オレ」と言ひ、息子は「あのう……ぼく」と言ふ世の中。
三島由紀夫「贋作東京二十不孝――井原西鶴」より ここに一人の悪息子あり。これ以上りつぱな女はないといふほどの、心やさしい若い継母に育てられ
ながら、心のねぢくれた極道者、遊びの金に詰まつては父親の金庫をねぢあけ、勘当の一歩手前まで
行きながら、継母のとりなしで、どうやら息をつないで来た若者。
あるとき、父親が不治の病で一年も保たないとわかつたので、父の財産、生命保険、一切合財、三分の
一を継母に持つて行かれては一大事と、悪友に相談をもちかけるに、
「そりやおめへ、むざむざ、血のつながらねえ女に、財産をしよつぴいて行かれる手はねえよ。何とか早く
あの女のカタをつけなくちやいけねえな。それはさうと、おめへのおやぢは、あの女に惚れてることは
たしかなんだな」
「あの年で見られたザマぢやねえよ。惚れてるのもいいとこさ」
「そんならこの手はどうだ。西鶴といふ小説家の『本朝二十不幸』巻の四、『木陰の袖口』といふ短篇
小説に出てる手だよ。西鶴つていふのは、おめへも知らねえだろ、永いこと同人雑誌で苦労してゐる
古手の作家で、だれもあいつの本なんか読んでる奴はゐねえから、使へるよ。おい、うまくいつたら、
アイデア料これだけだぜ」
と両手をひろげてみせた。
三島由紀夫「贋作東京二十不孝――井原西鶴」より
息子は悪友からきいた手順を呑み込み、父親に或る日こつそり、
「おやぢさんの体の具合が悪くなつてから、お継母さんが俺に色気を出して困るんだよ」
「そんなばかなことがあるか」
「嘘だと思つたら、あしたの朝、出かけるふりをして、生垣からのぞいてごらん」
朝、庭の柿を実も色づいて、ちやうどもぎ時だと息子は木の下へゆき、継母も庭へ出てくると、息子は、
頚筋背中に急に虫が入つたふりをして、
「お継母さん、早くとつてくれよ」
と呼べば、継母も何気なく、シャツの袖口から手をさし入れ、しばらく探して、
「見つからないわ。でも心配だから、裸になつてごらん」
とシャツを脱がせ、ズボンの中へ落ちたかと探るところを、遠くから見てゐた父親は、やつぱりさうだと
怒りに狂ひ、継母の言ひ訳もきかず、その日のうちに離婚の手続き、継母は泣く泣く家を追ひ出され、
その後数ヶ月で父親も死去、財産を一人占めにして北叟笑(ほくそえ)んだ一人息子は、相続税の
巨額に大びつくり、俺より上手は税務署だと、カブトを脱いだといふことだ。
三島由紀夫「贋作東京二十不孝――井原西鶴」より
作者が自分の目で人生を眺め、人生がどうしてもかういふ風にしか見えないといふ場所に立つて
書くのが、要するに小説のリアリズムと呼ばれるべきである。ロマン派のネルヴァルも、心理主義の
プルウストも、自然主義リアリズムの二流作家よりも、ある意味では透徹したリアリストであつた。
三島由紀夫「解説(川端康成『舞姫』)」より
スレタイの「とか」が気になるが(笑
「不可能」
三島の作品ではないが三島が主役の最近の小説 >>408 あれは生前の三島の言動とか口癖をしらなければちょっとクドイ部分が多いとおもう 今、日本国内では、「戦争」が勃発している。その「戦争」とは、「女性」対「男性」の戦いである。
この「戦争」を仕掛けてきたのは女性であり、「女性は差別されてきた」あるいは「女性は差別されている」
などと称して、「聖戦」気取りで、際限のない「女権拡大」を目指している。
一方、男性にとって、この「戦争」は、自分たちの(当たり前の)権利を守る防衛戦である。
もし、あなたも、「今、内戦が起こっている」との認識をお持ちであれば、是非、私らの「戦い」に
参加していただきたい。この「戦い」は、むしろ、私ら(男性)にとっての「聖戦」である。
http://blogs.yahoo.co.jp/sabetsu5555 明治維新で、孝明天皇親子が暗殺され、北朝の血統が
理不尽に絶え、南朝末裔を自称する大室何某が皇室に入った
理不尽が、226事件を起こし、それに共鳴して三島由紀夫が
自衛隊に決起参加を呼びかけたが、失敗して切腹したのが
三島由紀夫事件の真相では?
science-basara.com/column/imperial-family/ 三島由紀夫氏と川端康成さん。
二人はある縁で結ばれていたんだろう。
作家になるということはそういうことだ。 ■■■
通名の方々:
テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・
■■■ 川端作品で定番は、伊豆の踊子、雪国、古都、山の音、千羽鶴、眠れる美女、あたり。
個人的には水晶幻想。
掌の小説、って短編集がある。
ゴーストライターの話題があり、眠れる美女は三島が書いた、なんて単なるうわさもある。
これも、売春と同じで、時代背景を考える必要があると思う。
今だと、他人に作品を書かせて自分の名前をつけるのは、うそだから、芳しくない、と
思うだろう。無能な作家が有能な作家の作品を盗んだ、って印象もあるのかも。
昔は、若手の作品発表に、名前貸し、と言うような形で発表させることが通用していた。
今よりすっと貧しい、ネットもない時代だ。無論自分の弟子スジの作品なわけで、
無名の新人の名前よりは、名前の売れた作家の名前のほうが、本が売れる、と言う
経済的な理由も大きかったことだろう。無論倫理的にいいことではないし、
作家としては代作するほうに不満が残る部分もあることは当然だ。
川端にもそういう話はあって、龍胆寺雄がM子への遺書、だっけか、その中で代作
批判をしている。師匠スジとしてはいい気分ではないはず。
単なる想像だけれど、龍氏は川端によって文壇から干された、って話も
根拠がまったくないわけではないだろう。
まあ、自分が生きていない時代のことだから、当時の空気も読まずに、今の価値基準で
判断するのは、だから、ちょっと危険な気はする。
川端作品の愛好者なら、あんまり聞きたくない話を書いてみた。 詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 294 :無名草子さん:2012/03/30(金) 21:21:34.66
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 153 :無名草子さん:
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 4 名前:名無しさん :
作品社より刊行されている文部省推薦図書
名作『図説 ホモセクシャルの世界史』の第二刷が出たらしい。
誤植が訂正されているから、
いっそう信頼できる良書となっている筈だ。
一家に一冊は備えて置くべき書籍だろう。
お薦めしたい! 私も京都大学学術出版会から刊行された大作
『西洋古典学事典』の愛読者の一人です。
傑作なエピソードが満載ですよネ!
最高です。
作品社『図説 ホモセクシャルの世界史』も大好きですよ。 http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1993&lang=jp
朗報で〜す!
『西洋古典学事典アプリ』
が出ていますよ。
ヴァージョン・アップしている上、携帯に簡便です。
私は、これを愛用・愛読しています。
i-padで読める世界初のCLASSICAL DICTIONARYです。
購入は App Store からOK!
古代ギリシア・ローマはもとより、地中海世界やオリエント史を知る必須のアイテムですね 8 :名無しさん@お腹いっぱい。
今日のランチはホテルだったんだけど、
すぐ隣りの席に米良美一が来てやがったゼッ!!!
醜い小人の米良に
長身でイケメンの筋肉美ビルダーの俺、
とんだ好対照だったのサッ!!!!!!!!!
三島由紀夫の『春の雪』にも、こんな対蹠的な侯爵の息子どうしの場面があったよナッ!
閑話休題
もしも、アイツが言い寄って来やがったら、
「俺、真珠は入れて無えぞ」と答えて、峻拒してやるところだったのサッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! もしも「三島由紀夫が存命ならば、絶賛したであろう」
と謳われる評判の書物がある。
それは、京都大学学術出版会から刊行されている傑作
『西洋古典学事典』
なる大作だ。
高橋睦郎その他の諸氏も、異口同音に称讃しているぞ。
http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?isbn=9784876989256
なお、上記の書物が、電子書籍版
『西洋古典学事典アプリ』
として読める。
ヴァージョン・アップされていて、しかも廉価で携帯至便と来ているぞ。
http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1993&lang=jp
参考までに こちらも三島由紀夫にオススメ。
アレクサンドロス大王
ユーリウス・カエサル
マールクス・アントーニウス、等々。
歴史上の名だたる英雄は、誰も彼も男色好きだったよ。
作品社より刊行されている名作『図説・ホモセクシャルの世界史』を参照。
http://www.sakuhinsha.com/history/20793.html
必読書だよ! もう少し詳しく
アレクサンドロス大王
ユーリウス・カエサル
マールクス・アントーニウス、等々。
歴史上の名だたる英雄は、誰も彼も男色好きだったよ。
そして、
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ミケランジェロ
シェイクスピア、etc.の天才たちも揃って男性が好きだった!
作品社より刊行されている名作『図説・ホモセクシャルの世界史』を参照。
http://www.sakuhinsha.com/history/20793.html
必読書だよ! プルースト、ワイルド、ジッド、ヴェルレーヌ、コクトー、三島由紀夫らに限らず、
アレクサンドロス大王
ユーリウス・カエサル
マールクス・アントーニウス、
フリードリヒ大王、等々
歴史上の名だたる英雄は、誰も彼も男色好きだったよ。
そして、
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ミケランジェロ
ボッティチェッリ
カラヴァッジオ
シェイクスピア、
エラスムス、etc.の天才たちも揃って男性が好きだった!
作品社より刊行されている名作『図説・ホモセクシャルの世界史』を参照。
http://www.sakuhinsha.com/history/20793.html
必読書ですよ! 内野泰輔アナは、水球をやってたから、
ガタイはしっかりしているものの、
キレ、すなわち筋肉のカット、ディフィニションが無いゼッ!!!
その点、バルクもディフィニションもプロポーションも何もかも理想的な俺は、
「男性の肉体美イケメン・ビルダーの頂点を極めた人物だ!!!」と
よく絶賛されるのサッ!!!!!!!!!!!!!!!
分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
榎並大二郎、今日のペケポンでは腰をヒクッ、ヒクッと上下に動かせて見せろヨッ!!!!!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
P.S. 衣装の下に穿くのは、サポーターだけにしておけ。 いいナッ!!!! 今、番組表見てて見つけたので一応書いとく
直前になってしまい役立たないだろうけど
NHK総合 12月3日(土)
午前5時40分〜午前5時50分
「川端康成(作家)」
日本人初のノーベル文学賞を1968年に受賞。受賞決定直後のインタビューの他、
1961年放送の番組から61歳の時の貴重なインタビュー映像も紹介する。
川端康成は、常にインタビューの中で、自分は「怠け者」であり、川端文学は
「怠け者の文学」であると語る。どんな時も決して力むことなく自然体で
創作を続けた川端の姿勢を示す言葉であろう。剣道で言えば一番強いタイプで、
無構えの構えと、三島由紀夫が解説する。
以上 川端康成の『散りぬるを』は、芸術家小説でありながら、オタクの臆病な心を震わせずにおかない。 深川図書館特殊部落
同和加配
人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 川端のあとが大江だからなあ…。
おかげで、ノーベル文学賞の価値が激下がり。 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
FO56U 江東区立深川図書館特殊
銅和加配
在特
奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る 見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る 見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る 見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談 見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用
翌日、被害者を公務員が脅していた この前メロディアスライブラリーというラジオ番組で紹介された川端康成の「みずうみ」は変態ストーカーの話で面白そう 美輪の美は評価してるのは知ってるが沢田研二は評価してたであろうか? 江東区立深川図書館特殊B
銅和加配
在目特券
奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る 見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る 見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る 見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談 見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用
翌日、被害者を公務員が脅していた 日本的な美といっても川端康成はしょせん現代の紫式部ということだろ
そんな単純な古代の美で納得できるような時代じゃない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています