【ものぐさ】岸田秀【精神分析】
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スレとどういうのがどこまで関係あるのかは微妙だね。
岸田理論ではどうなるんだ? >>780
自然の情というのは本能が壊れた人間がほっとくと
身近なものに性欲を向けると言うことだけど。
フロイトも言ってるだろう >>782
4つ質問
・身近なものってたとえば何を指してるわけ?
・本能=自然
人間は本能が壊れた→自然な存在ではありえない
岸田はこう言ってるんだけど、「自然な」情ってなんなの?
岸田の本で「人間には自然な情があってほっとくと身近なものに性欲を向ける」なんてあいまいな記述は見たことないので。
・>文化はそうした自然の情をある程度断ち切らなけりゃ成立しない
文化を成立させるために自然の情を断ち切るの?
岸田理論だと人間は自然のままだと生きていけないから文化を作って、人工的に性欲に道をつけてあげる…って話なんだけどな
因果関係が逆になってるけど、これ説明願います
誰理論ですかこれは
・「自然の情」ってものがあって誰かとくっついたり自然にできるならば、なんでわざわざ文化みたいなもんを作ってそれを切らなきゃいけないの?
自然にできるなら文化なんて作らないで自然に生きてればいいじゃない
なぜですか? 自然の情というのは自然の情のごとく見えるってことだよ。
あのね。岸田も性欲は本能ではないと言ってるけど
皆が普通に使うようにつかうときもあるよ
それにならって普通に自然の情ってつかったんだけどね。
それから身近なものってのは「母親」だろうね。
フロイドが「幼児は母親と性交したがってる。」とか言って
顰蹙をかったんだろ?
まあ、一体化したがってるってことだけどこの一体化は性的な意味を持つんだろう。
あのさ自然の情といういう言い方は文化ができたあとにそう呼んでるもんで
岸田秀の言葉を借りれば退行現象のようなものだよね。
一次的ナルシズムに帰ろうとする。
性本能は本能的形式を失ったときエロティシズムに変質した。
「本能が壊れたのであってなくなったのではない」
という岸田の言葉があるけどだとしたら自然の情みたいなのも
なくなったのではないだろう
本能の形式を失っているのでほっとけばその情はどこへ向かうかわからないのだろう。 >>783
自然のままに生きていけないと自覚したことが
自然の情をそのままに生きれば死に至るってことと
変わらないんじゃない。
ずっと泣いてたけど泣き止んだようなものだよ。 試しに自然の情って単語を使わないで説明してみてくれない?
>自然の情のごとく見えるもの
なんてどうとでもとれちゃうでしょ
リビドーなの?本能のエネルギー部分なの?
他にもあやふやなとこあるけど、まずはこれからはっきりさせよう
専門的な用語使って説明してくれたほうがありがたい
意味がはっきりするから、いちいち定義合戦する手間が省けるよ あ、やっぱり説明いらないや
別に聞く必要もなかった おれ専門家じゃないから。俺も説明する気ないや
だって岸田の「ものぐさ精神分析」のエロスの発達も
読んでないのか覚えてないのかわかんないんだもん。この人。 自然の情っていうのはいわゆる情ってやつでしょう。
世話してくれる人に子供が信頼を置いたり
愛情を持ったり。
そういう人に性欲を向けるってことね。
社会規範と対比して便宜上、自然と言ってるわけね。 ちょっとよろしいでしょうか?
自然 という語義の曖昧さにより議論が混乱しているようです
自然=大自然・自然現象、いわば本能が壊れている人間に関わりなく存在する自然
自然=人間であるならば 当然 ありうるべき感情・行動としての自然
この二つの意味の違う自然が錯綜しているいるために議論が噛み合っていないようですが
〜近親相姦タブーと例の女性について〜
メモ帳に3分割したものを投稿する用意があります
スレ汚しになるからやめろ、といわれるなら投稿はしませんけれども
私としては、現状かなりデリケートな問題を抱えていると判断しておりますから
あまり関与したくないというのが本音にありますので >>791
人間のなかに自然に流れる情でしょうね。
大自然の情とか思う人いたんですか?
髪さんのそのメモみたいですね(笑)
「セックスの幻想が広がったから、人間関係が希薄になり
自閉的になったのか、人間関係が希薄になったから、セックスの幻想が
多様化したのか、どちらが先なのかはわかりません。両面があるのでしょう。
いずれにしても、人間関係を支える強い共同幻想を持ち得ないから、
自分にしか関心がなくなって、閉じこもる傾向が強くなっているのです。
性的幻想の多様化と「本当の自分」を求めるような傾向とは、
まさに現代の人間関係の希薄化を現しているのです。」岸田 秀
これ16年前くらいの文章ですけどねえ。 この(岸田秀の)文章の後、岡田斗司夫との対談とか読むと
個人的には面白いなあ。テーマがつながってるのかなあとか
思うんだけど。 この対談も気楽なようでむつかしいものがあるような
気がする。
岡田氏も岸田氏もやっぱりそれぞれの理念があるんだろうな。 >>793
珍しくアンカーがついたので、返信します
自然 という単語について補足を
自然=自然界、つまり気象現象や動植物の生態を指し示す自然
かたや
自然=人間なら当然なことだろ?=人間なら自然なことだろ?、と日常用語で使われる自然
この意味合いの違う二つの自然を混同したのでは議論が破綻するのではないでしょうか?
引用されておられる岸田先生の文章については
浅学非才の私としては即座に文意を理解しきれない
見解を書き込むかは別としても
時間をいただいて考えてみようと思います
用意してある文章については、いまだに投稿することを躊躇しております
臆病者ですので 自然の情というのは皮肉も入って使ってるんだと思います。
日本人は「親が子を思うのは自然の情だ」
というようなことをよく言っていた。
そういう次元での情だということですよ。
子供が親に向ける情もね。
そういう次元を言ってるんでこれがほんとに本能=自然
というような意味ではない。
これは佐々木孝次と伊丹十三の「快の打ち出の小槌」
からの引用で岸田理論とどうつながるのかなあと常日頃思っていたので。
確かにこれに該当する岸田秀の用語はそのままでは
見当たらないですね。 「親が子を思うのは自然の情だ」を
「親が子を思うのは当然の情だ」と言い換えても語義矛盾は生じないというのがひとつ
もうひとつは
親が子を思うのは天賦の情だ、本能によるものだ、という考えを信じているということ
「親が子を思うのは自然(から与えられた)情だ」と、当の親が信じるということ
これは、岸田唯幻論とは相容れない考えといえましょう
実際には、子による家庭内暴力・虐待親・親殺し・子殺しというものが存在するのですから
唯幻論的見方をとるならば、親子の情は本能によるものだという考え方は
その親・その子の思い込み・幻想であると解釈できますまいか?
ところで、例のスレdat落ちしたようなので
近親相姦タブーと例の個別事案を分析する必要もなくなったとも思われますが
どんなものでしょうか? >>798
そうでしょうね。そういう思い込みですが幼児は
親はそういう情を投げるわけです。
でその情に絡め取られてる状態では大きな社会規範は育たない
ので距離を置かせることをやるわけです。
それを切り離す断ち切ると少々物ものしい言い方ですが
言ってるわけです。 >>798
det落ちしたんですね。
髪さんのお好きなように。
彼女元気でいて欲しいです。 だけど岸田秀もすべて幻想とは言いながら
「現実が見えていない」とか「現実我」と「幻想我」
とかよく使ってんだけどな。
これもどうにかならんかな? 上記>>798の書き込みだけでは、いささか冷たすぎるようなので
少しフォローをさせていただきます
人間とは、感情に支配されやすい、あるいはされているものなのです
機械ではないのです
いとおしいものは、理屈抜きでいとおしいし
にくったらしいものは、理屈抜きでにくったらしい
家族間や恋人同士の愛情の前では
理屈とか分析とか唯幻論というものは無力にすぎないのかもしれません
>>799
私なりに端的にいいますと
かわいい子には旅をさせよ、と言うではないかということになりますね >>801
現実が見えていない 現実をそのまま見ることはできないので、自我というものを作りそれでもって周囲の世界を解釈して把握してる
その自我をさらに2つに分ける
現実我 周囲の世界に対応しようとする自我
幻想我 自分の一貫性や同一性をたもとうとする自我
こんな感じかな? 岸田のいう幻想もあのタームがそのまま妥当するのは共同幻想だけであって
つまりillusionという意味でね。上レスでいう私的幻想とかだと私的現実と
同じことでしょう。つまり私的な嗜好や好みや愛について、「これは幻想
なんだろうか。現実なんだろうか」と自問しても元々同じなんで、どうしよう
もない。吉本も言ってるし。そこの混同を岸田もまるまる引き継いでるので
上レスみたいにこんがらがってしまう。
「個人幻想とか対幻想とかは、特に個人幻想は、個人の錯覚や幻覚という意味
にとられるかもしれませんが、それとはまったく違う意味なんです。」
「共同の場合や制度的な場合と比較したらまったく違う意味になっちゃいます
。だから、本当は違う言葉を使わないといけないんでしょうね。僕は勝手に
使っちゃっているわけです」(『吉本隆明が語る戦後55年E』66頁)
前にもここで引用して吉本の幻想論も岸田の幻想論も同じ混乱をもってる
と指摘してるけどね。
岸田は吉本の概念をそのまま拝借したことで吉本の用語のまずさ、曖昧さ
までそのまま継承した。それを岸田の愛読者がそのまま継承して上レスの
ようなことになったと(笑)ちなみに人間には動物的神経系統では脳との
連繋で反射神経が作用し、植物的神経系統では内蔵や心が連携し、しかもそ
れら全体を内省する思考もありこれら3つの系統が相互に浸透する、という
のが吉本の90年代以降の展開で、人間のリアルな姿へはこの展開の方が妥当
していると思いますね。
岸田さんの唯幻論も個人幻想では幻想といっても現実と言っても同じで
しょう。個人にとっての世界を表しているだけのことで。愛情や憎悪やが
幻想といっても現実といっても個人の領域では何も解決はない。自我がある
から<私>もある、幻想もあるのと同じですからね。幻想といっても現実と
いっても単に言いなおしただけでね。同語反復にしかならない。まったく
不毛ですね。寄与するものは皆無でしょうね。 しかも岸田さんの場合、心的概念での幻覚・錯覚という意味でも>>801の
話だと幻想を使っている。まあ紛らわしいこと(笑)そこで幻想を使っちゃ読
者がよけいに混乱するに決まっているのにね。読者が気の毒だねえ。いたずら
に混乱してて。ちょっとした工夫にすぎないのに。 もう少し書かせてもらうとニーチェは真理について<それなくしては或る種
の生物が生き残ることができない誤謬である>と『権力への意志』で言ってま
すね。<真理の標識は権力感情の上昇のうちにある>とかね。よって<真理-
解釈-権力感情-支配>は連動している。あらゆる意味解釈には解釈者による
権力感情が内在している。ニーチェはこの場合の解釈を仮象とも言う。仮象
によって対象の有用性が測られるがそこには対象を有用性に還元する自己保
存の欲求がある。
岸田さんのいう幻想にはそれによって権力感情の上昇をはかるという意味
があると思える。中心に自己をおける体系なら何でもいい。自己を中心に
おくことこそが重要だからだ。真理の本質は自己を中心におくことにある。
本能が壊れたので自我が生まれたという場合、動物の本能は生物としての
自己保存欲求であるから、自我が意味付与をする場合、有用性に還元する
作用がそこに繰りこまれていくのは当然である。つまり岸田さんの幻想論
とは自我論でもあり、世界解釈をすることで自己を中心化する作用や自己
保存欲求と連結させることでもある。自我の役割の1つは解釈することで遠
近法を創造し、自己本位の世界を作り出し、自己をそこに位置づけることに
ある。
そうみてくると、岸田唯幻論にある厭世感や人間不信やはどこから起因する
のか。ニーチェと対照すると見えてくるところがあると思えますけどね。 『「日本人の不安」を精神分析する』を読むと、意外に岸田さんは国防問題
で日本がアメリカの言いなりでその代わり守ってもらっている、身売りして
良い思いをする売春婦みたいなもので、この屈辱感から目を逸らして生きて
きた。それを晴らすには国防で専守防衛するかこのままアメリカに守ってもら
うか決めなければならない。非武装中立は現実的ではない。とか、けっこう
言ってるんですね。これだと今の保守主義の政治家とそう変わらないよう
にも見える。
本能の壊れから自我を解いていく論では自我が権力欲求をもつところに着目
して色んな建前や主張や理想の内実を解いて行くわけだけど、国家の力の競り
合いから逃れられない現実にたいする日本人の態度決定が必要だとか、でな
いとアメリカへの屈辱感は消えないとか、保守主義政治家みたいになってきた
ところもチラと出ていますね。昔の吉本との対談では「西欧型の国家観では
日本人の国家観は掴めない」とか「占領されても良いことしてくれるなら
そのまま。それが日本人」とか政治家の煽りには乗らない、みたいだったのが
けっこう変わってきた。上で引用したような論は前は批判していたんだけど。
今は自分から言うようになってきてる。
自我が本能の代わりに生まれ、となると元々動物的欲求や理性の型式を
残したうえでの権力への意志へは透徹した目をもっていたはずなんだけど。
自我は国家でもあるので、「アメリカによる強姦」から自由になるには憲
法改正し国防軍を設立。でなければ誇りは回復されないとか言い出すかも
しれませんね。少なくともかつての「どうでもいい」みたいなスタンスでは
ないですね。生真面目に国家の誇りとか考えている。 だからそれは日本が西洋的な国家観に基づいて生きるなら、の話だろうね。 まあそういう例え話を繰り返しながら
「外圧がないと動かないのが日本人」というスタンスでしょう。
はっきり西洋的な国家観に基づいて日本人はこれから生きていくほうがいい
ときっぱり表明しないとこが
しどろもどろの日本人らしい。
それで岸田秀周辺にもだんだん熱気がなくなってきたんだろうねえ。 まあ外圧にしろ何らかの瓢箪からこまにしろ
日本がこれから新しい国家観や思想を持つのは至難の業というか
大変なことでしょうねえ。
国内で仲良くやっていればよかった時代アジアの風土の中で
息していればよかった時代とは違うんでしょうねえ。
わたしはこういうことよくわからないので困ってしまいます。 みんな岸田学歴詐称してたの知ってる?
本人の言い訳としては大学の事務手続きのミスなんだって 公表してたのと実際の記録?が違ってたらしいな
意識的にサバ読んでたのか、単に勘違いだったのかは知る由も無い >>812
そこに粘着してるキモい奴いるよね。
誰も岸田秀の学歴なんてたいして問題にしてないのに。 学歴と学歴詐称は問題が違うだろう。
ただ真偽の由は知るべくもないので黙っているのだろう。
いずれにせよ旧文部省からは精神分析学者とは認めてもらえず
講義をしてもいけないっておたっしがあったとか言ってたっけ。
テレビのニュースでやってた。 その後名誉教授にも推挙されてるから
もはやどうでも良かったんだろな フランスで授業にもほとんど出ず、エッセーみたいな論文出して学位もらえるとほんとに思ったのかね
詐称したと言われても文句言えない >>818
そのエッセーどこで読めるの?
見てみたい 「でがらし」の最後に掲載されてるやつかい?
私はむつかしくて読めなかった覚えがある。
岸田秀によれば「昔から同じようなことを言ってるようだ」とのことであったが。
論文とは違うが
岸田秀は共同幻想を「本能が壊れた人間」と結びつけたことは
評価しやすいのではないか?
誰かが岸田秀を読んでいたのでラカンも理解できた
みたいなことを言っていたが
たしかにラカンに「本能が壊れた人間」という発想が
あったらもっとわかりやすくなっていたのではないかと
思ったりもする。 >>815
精神分析学者なんて文部省の許可は要らないよ。そもそも大学教授なんて何の資格も要らないんだから。
精神科医は厚生省だし。 岸田は精神科医じゃないだろ。
文部省のおっ達しだかがあったので新入生らは私の講義が
聞けないと言ってたのは岸田自身だよ。
大学教授なんてなんの資格もいらないのと
岸田が学位をとったと勘違い?してたのは別だろ。
学歴詐称を意図していたわけではないというのならわかるけど。 少ない時は4人ぐらいじゃない。
多い時は7、8人じゃない
いない時は誰もいない。
いつもいるのはスレ主(笑) ロムってる人が五万人とか(笑)
私もいつも参加してるわけじゃないしな 俺はずっとロムってるが(長文は読み飛ばしてるが)
回してるのは二人かと思ってた ふうん。長文読み飛ばして二人でやってるスレ
ずっとロムってたのか?
感心々 ニーチェは西欧が道徳を価値化することで権力化したこと。畜群を権力化
したとみなすが、岸田幻想論でも社会や共同体を成立させる根底に様々な
道徳・中庸があり共同幻想化したことが言われる。これも畜群の権力化と
みなすことができる。
自我を権力への意志だとすると本能の代補という役割は妥当する。本能も
また自己保存の欲求を自然に発露させるものだからだ。結局岸田のいう幻想
とは自己保存欲求のための表象でありそのための解釈、自己中心の遠近法
である訳で、権力への意志である。岸田幻想論にイカれた人間がやたらと
醒めた風になる理由もそこにある。他人の権力意志である表象にどこまでも
付き合う義理はないからだ。自我の代補としての幻想という意味はそれである
。
しかし自我が人間にとってどこまでも選べる対象ではないこと、またその
自我とは内実が有限な可能性をもち、よって運命的過程をたどって行くもの
である。このことについて岸田幻想論はどこまでその人間の責任かという
1点で曖昧であり曖昧である典型が酒鬼薔薇事件のような中学生の起こした
凶悪犯罪である。岸田はこれを「自己がそういうパーソナリティを選択した
」とするが、そう云えるためにはそうならない自由もなる自由も同等にあっ
たことが言えなければならない。しかし殺傷することでのみ射精するという
性意識が形成されてしまっている段階で、これを言うのは-そうならない
自由もあった、は-ちょっと難しい。というより岸田の理屈は妥当しない。 830つづき
特異な母子関係にあったことが伺えるし、でなければそういう性意識は生
まれようはない。人間の自我とは何か。どういう生成過程をたどるの
か。どこまでそこには自由はあるのか。その考察があって初めて自由も語れ
るはずなわけで、岸田にはその考察自体が乏しい。「環境と遺伝ですべて
還元していいのか」と岸田は言う。この疑問は性意識がどのように生長する
のかというこの事件のポイントを等閑にすることで生まれる疑問であり、
どこまでが人間にとって決定的な要素になり得るか、という点も岸田では
等閑にされている。よって保守派の論客や社会不安におびえる一般人に近く
なっていくしかない。
岸田の幻想論の本領は建前としての道徳や善悪やが国家や社会やの権力意志
の表現であることを看破する場面、未曾有の事件が出て社会不安が増す
場面、で社会や隣人や子供についての共同幻想を指摘することで安定したい
心性が事実を見ないことを促すとし、一定の破壊力を機能させる。その意味は
ある。しかし自我そのものについては一般教養以上のことは言えない。文明批
判が中心の批評でありそれ以上は難しいということだ。 確かに自我を選ぶというのはおかしな話だね。むしろ自我が選ぶわけだから。
読んで字のごとく、選ぶ主体を「自・我」と呼ぶわけだから。 >>831
おまえほんとバカだよな
自我なんて寝てるときはなくなるんだぞ、そんなたいしたものじゃないんだよ
おまえはもっと科学の勉強したほうがいいよ、物を知らなすぎる >>833
寝てる時なくなっても起きたら戻るなら同じじゃないか。 >>833
よくあんなトンチンカンな文読む気になるなぁ
偉いわ >>836
よくトンチンカンってわかるなあ
ご教授を
君の頭がトンチンカンかあの文が本当にトンチンカンか
よくわからん >>837
よくわからんなら黙ってろ
質問があるならそれを書けば答えてやってもいいよ。
あれば書け
どうせ聞きたいことなんて別に無いだろ >>838
よくわからんから聞いているんだが
君がトンチンカンと思ったわけを 岸田秀を金太郎飴といった人もいたので
その人にも聞いてみたんだが >>831
の文は私にはトンチンカンのとこもあるが
私の知識不足か理解力の無さかも知れんと思っていたのでね。
それに岸田についてあるときから抱いていた印象が
彼によって少し納得してしまったとこもあるので。 だから具体的に質問しなって
どこがどうわからないの?
唯幻論に関することなら答えるよ
トンチンカンな文章について理解したきゃ書いた本人に問いただしてくれ
あれは書いた彼の意見なんだから俺に聞かれても困るし、俺が答えられるのは唯幻論についてであって、彼の話の内容の正誤なんかじゃないのよ いやトンチンカンって感じたのは君なんだろ?
だから君に聞いてるんだよ。
彼も彼の唯幻論について語ってるんだろう。
そのどこがトンチンカンなんだよ。
君の唯幻論があるならそのトンチンカンがどこにあるかを語ればいいんだろう。
それとも機械的に岸田秀の言ったことを繰り返すだけかい? >>842
>俺が答えられるのは唯幻論についてであって彼の話の正誤なんかじゃないんだよ
それでトンチンカンというのはどういうわけだ? 長すぎて誰も読まねえんだよ
バカなんだよ、おまえは >>843
・彼には彼の唯幻論があって君には君の唯幻論があるんだろ
なーんて言ってるから話が噛み合わない
俺は彼の唯幻論なんて知らないし、俺独自の唯幻論なんてもんも持ってねえよ
彼の語ってる唯幻論について知りたきゃ彼に聞け
岸田の唯幻論についてなら俺は知ってるから質問があれば答えられるところは答える
あの文章読んで得るものがあるならそれはそれで別にいいんじゃないの
どこがトンチンカンなの?どこがどこが?ばかりじゃなく聞きたいことがあるなら具体的に聞いてくれ
どうせ聞きたいことなんて無いだろうけど 彼には彼の結言論観があると言ってるの
岸田の唯幻論なら岸田を読むよ。
君に何を聞けって?その知ってる唯幻論で自分すら展開できないで
喚いてるだけのくせに 847
>彼には彼の唯言論観 →彼には彼の唯幻論観 岸田信者にとってやはり唯幻論は教義なのかな?
ただ唱えるだけのもので対話の道具ではない。
「フロイドの精神分析を自家薬籠中のものとし
卑小な我々の自我を快刀乱麻のごとく断つ。こんな面白い文章を書く
心理学の先生はいない」これはものぐさ精神分析の帯に
渋沢龍彦が送った言葉だが
昔は遠くなりにけりだ。
岸田の言ってることを教えるってさ。スポークスマンか?
具体的に答えるのは君だろう?
どこがトンチンカンなんだ?責任持てよ
の帯に 宗教とか教祖の御付きや後継者にこういう人がいて、それで通俗的に世間に広まって、
個人の思想があたかも普遍的で唯一絶対な真理の信仰とされるんでしょうな
ここで「何がトンチンカンなんだ?俺が俺が」と鼻息荒い人を見てなんとなくそう思った >>851
誰のこと言ってんの?
文章の前2行と3行目がつながらないんだが。
言葉の詐術としか思えないんだが。 >>851
君が>>842について言ってるなら異論はないよ。
「俺が俺が」って言ってるのは彼だもんな
まあ真面目なんだろ
彼はトンチンカンと言ったのは何となく癪に障る人物だったのかも知れない。
「どうせ聞きたいことはないんだろ?」というのは
「俺なんかに」というのが後に続いてけっこう謙虚なところもあるのかも
知れない。
私はほんとにトンチンカンと感じた理由が確固としてあるのなら
聞いてみたかったんだけどね。 851です
即レスついてちょいびっくり
↑IDもコテハンもないスレで、しかも引用の多い長文が連発なので自分でも誰のことかよくわからん
トンチンカン論争をしている人たち全般ということかな?
長文連発からはかなり適当な流し読みしかしてないから、誰がというのがわかりにくくなった
画家がモチーフの大まかな明暗を確かめるときのように遠目で目を細めてスレをザッと見た印象です >>855
は?
リテラルな子が多いのかね?ここは >>856
唯我独尊か
そういえば、ものぐさ精神分析だかで、岸田は日本のアジア侵略を投影の概念で説明していたなぁ
うっすらとそのことを思い出したわ >>860
そうくると思いました
まあ、「俺に言わせれはナントカは!」とか鼻息荒いのはいかにもみっともないなと
他山の石としたいところですな >>863
じゃあ自分だけでもコテでもつけろよ
ボヤくばっかりだなあ >>861
従来の日本人通りのご意見ですなあ
自己主張はみっともないとか
個々のレスには配慮せずざっと見渡した印象とか
集団主義を彷彿とさせるようなご意見で。
そして「俺が俺が」と人に対しては言いながら俺の言うことだけは聞けという
そうした意図が見え見えのご主張で。
ラクですなあ。そういう伝統主義は確かに。
日本で幻想〃と言ってると行き着く先はやはり其処ですかな。はは
気に食わない人間に
我が強いとか鼻息荒いとか言ってればいいわけで。 ようやく返したレスがこれとは泣けるなぁ。
サッカー協会のW杯の総括を思い出したわ。
プアで身勝手でズレてて。
あの独りよがりな長文や意地っ張り小学生の口喧嘩みたいなトンチンカン応酬を精読し、
順や誰の発言かまで追って読む人がいると本気で思っているのだろうか?
「これだから日本は」とかな。
外国の掲示板でも同じことをすれば「おいおい」とレスがつくだろうね。 >>866
ようやく返したレス?
何よそれ?
だからどこが独りよがりなのかな?そういう印象はどこからきてるのかな?
説明無用。問答無用
あなただけが達観してるみたいなレスばっかりでご苦労。
「これだから日本は」みたいな言い方もしてないが。
日本の構造はこうかなと言ってるだけで。 >>866
「そういうことはどういうわけで独りよがりだ」という説明や
分析もなく印象だってさ。
ズレてるのはあなたなんだが 分析や説明以前の通読や理解を自ずから拒むような文章を、独りよがりと呼ばずに何と呼ぶかね? >>869
拒まれているのは(あるいは拒んでいるのは)
あなたじゃない? >>869
かれはそれなりに問題提起をしていると思うが。
それを理解し得ないのはあなただろう。
しかも本人に言わずざっとみた印象だとか
ほとんど逃げだね。
あなたこそ読まれるのを拒み憤りだけ書き散らしているんだよ。 トンチンカン論争はどうなったんだろう?
誰が何をトンチンカンと言い、それに誰がどう反論して、結果どうなったのかさっぱりわからん。
自分なりの問題提起らしいが、端から見てトンチンカンと言われたことを根に持ち感情でやりとりしているようにしか思えん。
やりとりの当事者はともかく、第三子にはスレのマップでもないとわからんね。
連投される長文も、岸田の引用、他の住人の引用と自己主張がゴッチャでわかりにくい。
一方的に排泄するだけでなく、見物人にも多少はわかりやすくしようという社会性はないのかしらん?
社会性イコール悪しき集団主義なんかね? >>872
トンチンカンは「どうしてそんなこと言うのか?」というそれだけの
話じゃない。
なにをそんなにむつかしく考えてんだ?
岸田の引用とほかの住人の引用と自己主張がごっちゃでわかりにくい?
そんなにむつかしい概念使ってる?矛盾があればわかる程度だろう。
「社会性=悪しき集団主義なんかね?」
何言ってるんだ?
俺に分かるようじゃないと社会性じゃないってか?
共同幻想についてかれは言ってるだけだろう。 引用は鉤括弧でくくるとか、改行や行開けとか、地の文の文体を帰るとかの文章作法はあるけどね >>872
絵の例えでざっと印象を語ってた人の
どこがわかりやすいんだ? >>874
そういうのが下手な人もあるだろう
内容がわかればいいよ。
わからなければ聞くね。興味があれば。 子供のケンカは、VIPででもやってもらえんもんかな 「トンチンカン」とか「ざっと絵を書くときの印象」とか
子供みたいなこと言うから叱られてるんだろう >>863
>>879
IDのないスレだからトンチンカン君も混乱しとるのねw
長文で繰り返しマジな岸田論を披露したいのならコテハンつけてほしいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています