830つづき

 特異な母子関係にあったことが伺えるし、でなければそういう性意識は生
まれようはない。人間の自我とは何か。どういう生成過程をたどるの
か。どこまでそこには自由はあるのか。その考察があって初めて自由も語れ
るはずなわけで、岸田にはその考察自体が乏しい。「環境と遺伝ですべて
還元していいのか」と岸田は言う。この疑問は性意識がどのように生長する
のかというこの事件のポイントを等閑にすることで生まれる疑問であり、
どこまでが人間にとって決定的な要素になり得るか、という点も岸田では
等閑にされている。よって保守派の論客や社会不安におびえる一般人に近く
なっていくしかない。

 岸田の幻想論の本領は建前としての道徳や善悪やが国家や社会やの権力意志
の表現であることを看破する場面、未曾有の事件が出て社会不安が増す
場面、で社会や隣人や子供についての共同幻想を指摘することで安定したい
心性が事実を見ないことを促すとし、一定の破壊力を機能させる。その意味は
ある。しかし自我そのものについては一般教養以上のことは言えない。文明批
判が中心の批評でありそれ以上は難しいということだ。