【amazonレビュー】醜い嫉妬レビュー【1つ星】
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2ちゃんねらーとかぶってるよな
現実の社会では何一つ貢献できないゴミ人間が匿名になると異様に攻撃になる スウェーデンのある地方では、ゴミを分別しないで捨てている。「どんなゴミ」でもだ。そしてそのまま焼却場へ運ばれる。
そこには鉄ですら一瞬で燃やしてしまう程の超火力の焼却炉がある。中途半端な熱ではダイオキシンが発生するためと、
下手に分別するよりは一緒に燃やすほうが、リサイクルよりコスト的に優れ、引いてはエコロジーにつながるからだ。
ただ、その炉の内壁が一体何で出来ているのか、誰も知るものはいない。そしてそれは今日も実在し稼動している。 学者ノーツは長年の研究の結果「戦争に勝利する方程式」を発見した。
だが彼は発見した後もその式を研究し続けた。なぜなら彼はその式に見覚えがあったからだ。
そして数ヵ月後、彼は「ああ、なんてことだ」と友人に電話で言い残し、そのまま失踪した。
後日警察が彼の家を捜索すると、彼の机の上にはなぜか算数の教科書が散らばっていたという。 「あの世への誘い」という18世紀初頭に書かれた曲がある。
作曲者は不明。予測では一般市民が書いたものとされる。
噂によれば、この曲が演奏されているときに寝ると、死んだ友人・知人・家族に会えるとか。
ちなみにこの曲の楽譜の2ページ、紛失をしてしまって弾けないそうだ。 1928年2月米、ユタ州でボンハムという男が一軒家に押し入り女を強姦して射殺した。
家に火をつけ逃走しようとしたが拳銃を忘れたことに気づき取りに戻ろうとしたその瞬間
家の中から一発の銃声が聞こえ、ボンハムの頭を打ち抜いた。調査の結果、ボンハムの
拳銃が加熱のため発弾し運悪(良?)く彼の頭に命中したことが判明した。 目を閉じ自分の家を想像する。その中で玄関から入って、部屋を全て見て回り、
家を出る。その過程で部屋のどこかに人が立っていれば、現実にその部屋には
幽霊がいる有名な心霊テストのひとつである。しかしこのテスト、
最後に家を出ようとしたらドアが開かない、という例がたびたびあるのが問題だ。 「村の真ん中にそびえる山には、神々が住んでいる」
こんな言い伝えがある村があった。
しかしその村は平野に位置し、山などある筈も無かった。
彼らのは一体何を見、後世に語り継いだのだろうか。 寛永の頃、土佐の朝比奈某なる武士が鬼を斬ったと言う。秋口から山から奇妙な音が
響いてくるというので、村人に請われて検分に行ったらしい。朋輩と数人で分け入ると、
山中で奇怪な容貌の大男に出会ったため斬り伏せたそうだ。死骸は南蛮人に似ていたが、
布とも紙ともつかぬ衣服を身にまとい、燃やすとひどい臭いがしたとのことだ。 1980年頃、東京の某大学学生寮に、宛先不明の封書が大量に返送されたことがあった。
住人ほぼ全員に返送があったが、奇妙なことに中身はどれも見知らぬ男性と一緒に映った写真だった。
写真裏には住人それぞれの筆跡で、「決して忘れない」などと誓いの言葉らしきものが書いてあったが、
誰一人として自分と一緒に映ってる人物が何者か覚えているものは無かった。 1972年、ルーマニアの片田舎で3名の女学生が行方不明になる事件が起きた。数日後、付近の丘で
奇妙な中年女性の死体が発見される。死体は動物の革製のひどく粗末な服を身につけていたが、
なんと女学生の一人と指紋が一致したのだ。その後の調査で、その女性は生涯に何度もひどい栄養失調を
経験していることなどが分かったが、今では指紋の一致は鑑定技術の未熟さによるものとされている。 19世紀末、北極海でロシアの捕鯨船カタリナ号が遭難した。食糧が尽きた船員達は氷原の上を歩いて
脱出を試みたが、2ヶ月後、8名のうちわずか2名だけが奇跡的に救助された。食料もなしにどうやって
生き延びたのか聞かれた彼らは、途中で倒れた仲間の遺体の一部を食べたことを涙ながらに告白した。
ところが、後に見つかった死体はすべて五体満足であり、しかも船の中に残っていた。 1988年。茨城県に住む女子大生・米村香織さん(仮名)の部屋に何者かが侵入した。
通報を受けて駆けつけた警官は、異様な光景を目の当たりにする。
何も盗まれていない代わりに、タンスや冷蔵庫、炊飯ジャーの中などに「土」が敷き詰められていたのだ。
鑑定の結果「北海道南部の土」だと判明したが、どうやって持ち込み、何故こんな事をしたのか未だに不明のままである。 第二次大戦中、日本の軍部はアメリカ軍に裏をかかれる事態に何度も遭遇した。
「情報が漏れている!」当時の暗号文は人間に解析できる物ではなかったので、
技術者達は敵に超能力者がいるのだ!と考えた。やがてスパイ、その報告で、
多数の女性の名が浮かび上がる。一人の技術者がその女性ら?を使いこなしていたらしい。 第二次大戦中、日本の軍部は連合軍に暗号が漏れているとしか思えない事態に何度も遭遇した。
そのため大敗が続き、ついには本土決戦が迫っていた。
業を煮やしたある関係者が修験者に依頼したところ、暗号の漏洩はストップ。
これで反撃作戦が展開できると喜んだ翌週、広島に核が投下されたという。 ある二次元世界には勘違いが甚だしい男性の外人がいる。
彼は3、4年周期で現れ、時の学徒を困惑させたと言う。
その評判のため彼は今後その世界に二度と出現しないと思われた。
しかし、この年に彼は現れたのだ。
さらに性転換までしていた。
彼にいったい何があったのだろうか。 人間が作る作品には時々”ツクモガミ”と言う魂が宿る事がある。機械も同じ、
木彫りの像なども該当。所でパソコンの規格と言うのもその作品に該当する。
その作品には込められた願いがある。例えば「”私”が素晴らしい事を証明したい!」
ある規格を古くて使い物にならないから”殺そう”とした奴が居た。彼は不可思議な死を遂げた。 ある場所で殺人事件が起こった
それは酒に酔った男性の頭部のみを持ち去ると言う猟奇的な事件だった
警察が調べたがその事件は迷宮入りとなった
ただその男性が酔って寝ていた場所には「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた看板があったという モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が邦訳されたのは古く、1807年のことである。
京都の蘭学者、海上髄鴎の弟子である藤本宵啓が、その歌詞部のみを訳し、「轟君曇天記」と題して著したものだ。
だがしかし。この「ドン・ジョヴァンニ」がオランダ語に初めて訳されたのは、1949年になってからなのだ。
藤本宵啓はいったい、何語から訳したのだろうか? 2004年12月、山口県の某企業に勤めている夜間警備員の男性が解雇された
彼が夜勤時、勤務時間中に詰め所で携帯電話でのサイト閲覧に熱中し、定時巡回を度々怠っていた事が発覚したためである
後日 その詰め所で彼の解雇に関する処理を進めていた彼の上司は、書類に解雇理由の詳細を記入している時にふと気が付いた
この詰め所は地下3階…当然”圏外”にあると ある年の冬、岩手県の山中で男性の遺体が発見された。別の行方不明者を捜索している時、偶然に発見されたのだ。
顔以外の部分を土に埋めた状態で「溺死」していたが、遺留品の日記を根拠に「事故」として片づけられた。
雪山で遭難した男性は、寒さをしのぐために顔だけ出して埋まる「土のベッド」を作ろうとしたらしい。
彼にとって計算外だったのは、顔に積もった雪が呼吸で溶け、どんどん鼻から肺へと入っていったことだった。 キリスト教が、現代欧米文化の根底にあることを否定するものはいない。
イエス・キリストの肖像は、グレコ、ジョット、ルーベンス等、ヨーロッパの
さまざまな画家によって描かれ、その姿はクリスチャンでない私たちにも
馴染み深いものとなっている。画家によってイメージに若干の差異はある
ものの、欧米文化を支える神の子イエス・キリストに共通している特徴が
ただひとつ。アラブ人に特有の長く縮れた黒髪である。 発明家トーマス・エジソンは白熱電球を始め、様々な物を発明したことで有名だ。
ある日彼は「知能を計測する機械」を完成させ、試しに飼っていた犬の知能を計測した。
すると驚くべき結果が出た。なんとその犬は人間より知能が高かったのだ。
だが犬がその機械を壊してしまい、彼はその後同じ機械を作ることは出来なかった。 太宗が晋書をわざわざ作った理由、
それも晩年に急がせた理由、
それぞれ推測される。
その理由は、
太宗が父李淵の後継者であった兄を排除して、
皇帝になったという点を正当化するため、
太宗の後継者李治、後の高宗の正統性を確立するためと
言われる。 それを西晋武帝司馬炎が、恵帝司馬衷を選んだ理由に模しているなどと言われる。
八王の乱が勃発し、西晋が滅亡したのは、この後継者選定に由来があり、
年長者ではなく、然るべき後継者を選んで皇帝を継がせることが
王朝の存続につながるというロジックである。 そのため、太宗は後継者李治の正統性を補完するために、
晋書を急ぎ晩年に完成させたというわけである。
私はこれはこじつけだと考える。
晋書の目的はこの程度ではない。
晋書はもっと大きな意義があると私は考える。 そもそも太宗だったり高宗だったりが後継者になれたのは結果論で、
その後の唐皇帝たちに引き継がれる伝統ではない。 ここで唐太宗が、
西晋から五胡十六国、南北朝の歴史をまとめる意義は何なのか。
それは、鮮卑出身の唐の太宗が、
異民族の地・漠北と、漢民族の地・中華の両方を支配し得た歴史を
明示する、その役割が晋書である。 西晋の八王の乱に始まり、
異民族と漢民族が入り乱れる状況から、
南北に明確に政権が分かれて、
異民族・鮮卑出身の人物が、
中華を統一するという物語。 隋文帝楊堅が偉大だが、煬帝が世を保てず、
李淵が受け継ぐも、この漠北、中華を保つには足らず、
唐の太宗がそれを受け継ぐという歴史だ。 現代の我々にはぼんやりとしか伝わらないが、
唐の太宗が鮮卑であるという事実は当時は周知の事実であった。 異民族、鮮卑出身の太宗が、
中華、漠北を支配する、その正統性。 それを明示するのが、晋書なのである。
西晋から、300数十年乱れに乱れたこの天下を
唐の太宗が支配する由来。
それは今後の王朝維持には非常に重要である。 それで、唐の太宗は晩年に急いだ。
拙速であろうが、
完成を急いだのは、王朝維持のためである。 唐太宗を初めとした異民族が侵略者ではない理由を作りたい。 ここで、重要なのは本来は中華を支配すべきではない、
異民族が中華に入ってきた由来である。
異民族は、
単なる侵略者なのではないか。
そう思われてしまったら、
唐太宗も同類となってしまう。
そうではない伝説を作りたい。 こち亀で
警視庁は警視長警察官に該当する人物はいないと発表 唐太宗は侵略者ではない。
その理由。
見つけた理由が、
劉淵が白頭山の戦いに由来して、
漢を名乗ったということであったと私は考える。
ここで話が変わったのだ。 異民族=漢、なのかもしれないと思わせるロジックの出現 劉淵存命当時においては、
非常に攻撃的なこのストーリーは、
唐の太宗の時代になると、異民族が漢民族と融合できた由来と
なり得る。
唐の太宗時代には、融和の象徴になる。 異民族の唐や唐太宗の視点から考える。
前200年に白登山の戦いにおいて、
漢高祖劉邦が匈奴冒頓単于に負けた時点から、
漢と匈奴は兄弟である。 西晋の末期、その由来に則って、
始めて異民族が中華の伝統に従って、漢風の王号を名乗った。 異民族の漢化の第一号、劉淵にそれを言わせた。
しかし劉淵の死後、匈奴は漢化しきれず、滅亡。
紆余曲折を経て、鮮卑拓跋氏が北魏を建て、その志を引き継ぐ。 このスレッドは1000を超えました。
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