福田和也 part2
蓮華草
『SPA!』の福田和也・坪内祐三「これでいいのだ」終了への反応をあちらこちらで目にして、
あ、あれ私以外に読んでいた人いたのか、という。あれが終わったらいよいよ私のなかで福田和也は消える。
2018年3月28日 90年代
福田和也/小林よしのり
10年代
古谷経衡/KAZUYA 罰パラの頃と比べたら、異様なやる気の無さだったからなぁ。最近は枯れた文章を書いているという話も聞くので、読んでみたいけど。 中身ないものを勢いだけで書いてたからな
勢いすらなくなったら何も残らない
当然の帰結じゃないか 醜い顔したデブが気取って他人を見下しても、格好悪さが際立つだけ。
元パンクスなんてわざわざ自慢する恥知らず。
愛されたくないと言う前に、愛されないんだよ。 >>490
アルコール依存症なんだろうなぁ。
最近の老化の激しさはどこか身体が悪いのかもしれないね。
作家の値打ちで散々有名な作家たちをこき下ろしてたけど、本人は何も残せない残念な文芸人だったな。
これから先なにも実績を残さずに生涯を閉じそうだなぁ
合掌 蓮實重彦
「批評を吉本隆明以前に退行させ
江藤淳の悪いところばかり引き継いだ」 体調もあるんだろうけど喧嘩を売ってた大御所が消えていったり
師匠の江藤がいなくなった事で段々弛緩していった気がする
もう一回ハスミと喧嘩しろよ 「作家の値うちは」は日本批評史に残すべき偉業だよ
ただ出版社であれを再刊してくれるところがあるのかという問題
柄谷や蓮実の批評は高踏的で一般の読者の価値判断に影響与えない
また蓮実の「絶対文芸時評宣言」は「ジャーナリスティックな批評を目指した」と宣言されたけど「作家の値うち」に完敗している
個々の評価は異論が多いが(鹿島田真希の超駄作を絶賛して三島賞与えたり)、個々の作品作家を揶揄したり、けなす技術は超一級だった
あれこそ批評家の仕事だと思ったし、ああいうことをやりたい書き手は多いんじゃないかな
影響受けている人もいるだろうし 現代の作家101人
百目鬼 恭三郎 (著)
出版社: 新潮社 (1975)
皆殺し文芸批評―かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル
柄谷 行人 (著), 福田 和也 (著), 清水 良典 (著), 富岡 幸一郎 (著),
東 浩紀 (著), スガ 秀実 (著), 島 弘之 (著), 大杉 重男 (著)
出版社: 四谷ラウンド (1998/06)
作家の値うち
福田 和也 (著)
出版社: 飛鳥新社 (2000/04)
文芸時評―現状と本当は恐いその歴史
吉岡 栄一 (著)
出版社: 彩流社 (2007/10)
芥川賞の偏差値
小谷野 敦 (著)
出版社: 二見書房 (2017/2/13) 辻や柳や石原などを戦略だかなんだか知らないが持ち上げた時点で批評家としてインチキだ。 アルコール依存症の文士って古風でいいね
(家族はたいへんだろうけど) フランス文学なんてやっちゃったのが運の尽きだったんじゃないかな
アメリカ文学全盛の時代にフランス文学は話題にならない
日本純文学も死んでいるし
エンタメ語れないと書くこともないだろうし 東大仏文
1901渡辺一夫
1902小林秀雄
1909大岡昇平
1911中村光夫
1928澁澤龍彦
1935大江健三郎
1936蓮實重彦
1948加藤典洋
1949鹿島茂
1950内田樹
1953新保祐司
早大仏文
1930秋山駿
中大仏文
1957富岡幸一郎
應大仏文
1960福田和也
1968若松英輔
1974田中和生 この人はケンカ売っといて
プロレスだからって逃げちゃう人だからな
つまらない人だったね。 きほん繊細系だろうというかんじで、
一時期保守系タフガイぶりっこしてたりとか
(でもそのころ流行っててたからそれでだろうくらいの印象しかない)
なんか向いてないもの書いてるなってのがあって
でもそれだけだな。
あの野中広務についての文章とか、
こういうのだったら他にもっといいの書ける人がいるのにと、いらいらしたけど
あのころはこの人が売れてたってことなのか 矛盾した断言を繰り返したツケを払わずにデブ死にする。
同じ属性のビートたけしより下。 丸山 孝 2001/05/21
よくあれだけの分量を、あれだけ幅広いジャンルを書けるものだということは、
誰もが福田和也という人物に持っているイメージではないでしょうか。
近著『作家の値うち』では現役作家100人の主要作品574冊をとりあげ話題となりましたが、
その執筆の9カ月間は、1日平均2・5冊の小説を読み、ときには1日に12冊を読破。
しかし、それを含めないで、ひと月に最低100冊の本を読む毎日。
また執筆のほうでは、10本近い連載を抱え、加えて毎月30枚から50枚のスポット原稿を書く。
すなわち四百字詰めにして、ひと月に300枚を執筆。
それでいて8時間睡眠。週に3〜4日は飲み歩く。
……そんな便利な方法があるのなら、真似しない手はない。教えてほしい。というわけで、執筆をお願いしました。
読み方、書き方、情報の集め方、などすべて具体的に書いていただきました。
著者の手帳や、資料整理のファイルなど、初公開の写真も掲載しました。
知的生産のノウハウとして、きっと読者の役にたつであろう「目からウロコ」のヒントが満載の1冊です。 初期のは批評も評論も面白い
今読んでも色褪せない
30手前で「遥かなる日本ルネサンス」を書いたのは凄い 江東区立深川図書館特殊
銅和加配
在目特券
奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る 見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る 見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る 見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談 見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用
翌日、被害者を公務員が脅していた 福田に感化されたのか、渡部も昔エロ本で連載やってたな 基準を勝手に変えれば確かに何事に対しても「好き放題」言えるけど
それは福田本人の世渡りに役立つだけで、何にも言ってない(誹謗された相手には迷惑かかるが)に等しい。
小ぶりのビートたけしみたいなものだ。 蓮實重彦は福田に攻撃されてまともに対応できなかったからなあ 「饗宴」なんてタイトルつけたの揶揄されちゃそりゃぐうの音も出ないわな
まさかそんな事言われるとは思ってもいなかったろうし issaku
水道橋博士×康芳夫でやっと腑に落ちたのは
福田和也が『週刊新潮』連載でヤン・イクチュン『息もできない』を評価したついでに
影響を与えた北野武をくさしたのは津川雅彦が武を嫌いだったからだというもの。
博士によると福田と津川は当時、私生活で交流があって京都で社交していたのではないかとのこと
2018年7月5日
2009-02-21
闘う時評
ブクマコメントでも指摘されてるんだけど、昨日の飲み会で『週刊新潮』のコラムで
福田和也が『旭山動物園』を絶賛していると聞き、思わず買ってきてしまった。
いや、福田和也が政治で人を褒めることはあるのわかってるんだけど、
津川雅彦を「現役最高」とまで書いて、どういう政治的利得があるというんだ!?
しかもルビッチやヒッチコックを引き合いに出してまで!
ちなみに福田は「どんな監督だって、ルビッチであれ、ワイルダーであれ、ヒッチコックであれ、
なかなかデビューから三作連続して傑作を世に問えるものでありません」とか書いてるわけだが、
あんた、ルビッチの監督第三作って見てるの?
たぶん1915年の短編一巻ものだと思われるわけですが(もちろん、ぼくは観ていません)。 辻や柳や石原なんかを誉めてる時点で何を言ってもインチキにしか聞こえないが
保守を名乗るわりに、あとに残る作品を何一つ生み出せなかったのが最大の失敗。 福田和也って今何してるの?
あんまり本も書いてない見たいだしメディアにも出てこないし。
少し前に小谷野さんが福田が離婚したという噂を流してたけど実態はどうなの?
詳しい人教えて。 慶応義塾大学教授ってのはやはりデカい
世間的には名士の部類 こんなに一気にフェードアウトしていくとは想像してなかったね。 当人が書くの飽きたからじゃだめなの?
大学教授なら本無理に出さなくても死なないわけだし メシが食えなくなって、連動して書けなくなった、と自分で言ってたが、なんか病気したのかね。単に加齢で食欲が落ちたのか…
坪内との対談も最後の時期は坪内ばっかり元気で寂しかったね。 >>534
大学教授は論文書かないとアウトですよ本来は
「実務家教員」()枠ならさにあらずだが >>536
SFCは論文書かなくても問題ないんじゃないかな?
大木聖子がSFCの准教授になったとき驚いたもん。今でも論文数の少なさには唖然とされるけど。
査読付き論文の数も10ないし被引用数も少なすぎる。
SFCの教授選考はどんな基準なんだろう?
コネとか顔がかわいいとかそういうので決まるんだろうか?
いずれにしても実績のない馬鹿が教鞭をとる大学には行く価値なしだろ? >>537
大木? 女性活用()のたまものの若手ならこんなもんなんじゃないの?
テニュアかどうかわからんけどさ
女ってそもそもそれだけでアカデミックは信じられん位利益有る。ドクター直後あたりだと男の業績の半分くらいでも普通に選考通って行く
さすが「Shine!」 といってもアベがそんなこと言い出すその前からそれはあったが >>538
女性活用は20世紀にアメリカで失敗に終わってるのになぁ。
なんで日本は失敗例を真似するんだろう?
ロースクールなんてアメリカの真似して失敗した代表格だよね(´∀`) >>538
女性活用で国立大学の教授選でも女性を教授にした方が補助金を受けられるので敢えて能力に関係なく女性を受け入れるところが最近多いと聞いたことがある。 小説は好きではないけど辻仁成カッケーな
福田よりよっぽど気骨がある 小川なんとかっていうよくわからん
自称保守、自称文芸評論家のの炎上で、
福田和也の不在を感じた。
(いや、不在どころか新潮45にも書いてたみたいだけど)
他ではあまり見ないよね。
批評家的な鼻につくところはもちろんあるが
できればずっと現役でいてほしい人。 >>542
小川は文芸春秋の左傾化に対して批判的な文章を書いていた
影響力大きいし自身が寄稿した事もある雑誌だから勇気いったと思う
それで目を付けられてて今回この機会にやられたわけ
モリカケで朝日を正面から批判して訴えられたり(その代わり本は売れた)、
イキがってても文壇(論壇)ギルドから出る気がない福田には無理な芸当
福田和也が「不在」なのには理由がある >>542
ということは、新潮45消滅で
もう出場所が消えた?
昔週刊新潮に連載してたように記憶してるのだが
あれはもう続いてないの?
(つか、わたしが見てないのな、何も orz) >>544
>>>542
>小川は文芸春秋の左傾化に対して批判的な文章を書いていた
>影響力大きいし自身が寄稿した事もある雑誌だから勇気いったと思う
>それで目を付けられてて今回この機会にやられたわけ
>モリカケで朝日を正面から批判して訴えられたり(その代わり本は売れた)、
>イキがってても文壇(論壇)ギルドから出る気がない福田には無理な芸当
>福田和也が「不在」なのには理由がある
かなり変わったものの見方をする人ですな
月刊Hanada12月号の小川榮太郎独占手記は必読 教養以前の福田和也先生の仕事は無くなると思っていた。
台形の面積がわからないという。
学者なのになぜ考えないのか。
哲学がわかるというのも嘘だろう。 スパの対談連載切られちゃったの?
浅田と康夫ちゃんの対談みたいに雑誌変えて続けてくんないかな? 以前は旺盛に書いて居たトンカツ氏が最近勢ひがないのは、
昭和天皇伝や乃木大将伝などを愛人がゴーストライターにな
つて書いたのが出版社に露見した為と聞く。代償は高くつい
たやうで、苦しんだ妻が真正保守の老評論家に相談した挙げ
句慶應大学の教室に乗り込んで講義中の夫にビンタを食らは
せたとも。
不倫や愛人による代作疑惑などで有名出版社から本が出せ
なくなつた文藝評論家。完結しなかつた連載がやうやく今にな
つて本になるやうだな。印税も入るしよかつたではないか。し
かし、どんなに売れつ子でも、女で身の破滅を招くのは自身の
愚かさによるものであるのは、洋の東西を問はないやうだ。
旺盛に書いて居ると思ひきや、愛人がゴーストライターを務め
て居たのが発覚し、妻や娘に去られただけでなく、出版社から
の信用も失墜したのは、おそらく御本人も予想しなかつた事態
ではなかつたか。苦しんだ妻は西部邁に相談したさうだが、西
部は内心、距離を置いて正解であつたと安堵して居たのでは。 飯島愛や福田和也は嫌いだが要領よく立ち回るのだろうなと諦めていた。 いやぁ、昔福田先生にお世話になっていたものですが…
ここに書かれている、虚勢的な話はたしかにその通り。その通りだけど…
20代末から30半ばくらいまでの「奇妙な廃墟」「日本の家郷」「遥かなる日本ルネサンス」「甘美な人生」まではやはり、とても素晴らしく高級なものだよ。
その後の政治評論や映画評論はまぁ、見事に…
ここまで本質や見通しを外すか、というものが多かった。あとしょーもない、ゼミ出身作家を贔屓した批評と。とりわけ佐藤和歌子や寸。
まぁそれでも筆力で読ませた。
大学人になったのは良かったが、そこで書くのをセーブすればよかった。
が、消費と飲酒のために、書き散らして散々に言われる…というところまでが、この人の作品か。しょーもないといえばその通りだが、なかなか誰にでも出来ることでも無い。
福田風に書くなら、神経内科に通っている現在、もう自殺でもしてもらっても構わないし、また生きてもらっても構わないだろう。
ここからの、枯れた作風で書いてみせる、かつてのように勢いだけで書かない、という、本当の体力、しぶとさってものを、みせてくれてもいいものだ。
みせてくれなくともよいが、今の論壇、ちょっと寂しくはある。 結局アル中でダメになったのか?
勝谷も亡くなったし酒は怖いな。 もう一冊忘れてた、「保田與重郎と昭和の御代」。
とにかく、日本がまだ景気がマシだった時代から、保田やハイデガー、ヘルダーリンに依りながら、普通の人が感じないような、根源的な寂しさを見つめていたんだよ。
擁護だけど。
この人が、一定の達成ののち、それでも埋められないものを、酒で埋めるしかなかったのはよくわかる。
もう、とても、何も書けないだろうし、
書くことも残っていないかもしれないし、
ご本人としても自分を待つようなタイプのわこうどはもういないと思ってるかもしれない。
それでも同じように虚無と戦ってる若人は今の時代にもいるので、
なんとか声を絞り出してほしい…。 慶応ではまだ教えてる?本書かないだけで授業はやってんのかな。 ウィキペディアが出て来て、福田みたいな中途半端な物知りが不要になっただけ。 物知りだけの偽物なのは、若いころから見透かされていたがね。 何年かぶりにこのスレに来たら、>>552 >>557 みたいなレスが。
機縁と思い少し書く。
とりあえず、自分のなかでこの人は、保守論壇でヘブライ的な〈絶対的他者〉の感覚をちゃんと理解していた唯一の人物。佐伯啓思や中島岳志などとは一線を画する。
もちろんそれはデビュー作の『奇妙な廃墟』で、氏がハイデガーの反近代主義の思想を取り込んでいたことにさかのぼる。
ハイデガーがユダヤ的であるかどうかはともかく、存在論を語りながら存在から逸れていく「他なるもの」に触れるような思考を後期ハイデガーが展開していた面はあり、『奇妙な廃墟』や『保田與重郎と昭和の御代』はそれを換骨奪胎して書かれている。
そこには否定神学を敢えて右派の構えに注入するというイロニー=倫理があった。こういう人は、今はもういない。っていうか本人が〈絶対的他者〉の感覚を手放したところもあるだろう。 文芸批評家としては、ゼーバルトの『アウステルリッツ』やヴィットリーニの『シチリアでの会話』の翻訳が出た瞬間に文脈を押さえた的確な評価をしたりと、00年代前半までは、衰えていなかったなという印象。
ラテンアメリカ文学の新刊が出るたびキャッキャッはしゃぐような文芸ジャーナリストとは同断にできない存在感はあった。
気になるのは、同時期に進行していたベンヤミンやドルゥーズの復権とか、アガンベンやユベルマンの美学方面からのアプローチとかに、全然キャッチアップしているように見えなかったこと。
(結果、例えば、同年生まれの田中純氏(思想史学者)が、『政治の美学』(2009年)や、「ムネモシュネ・アトラス」の日本語版(2012年)といった大きな仕事をものにした頃には、福田氏は知識人としては影が薄くなっていた。)
また、『イデオロギーズ』みたいな題の本を出すわりには、アルチュセール-ジジェクの線すら追っていなかったように見えるのも気になる。
(結果、自分自身のリベラル逆張りの露悪的な態度を凝縮したような在特会みたいなのが出てきたときに、思想的に批判できず、単に趣味的に切り捨てることしかできなかった。)
私生活については知らない。が、売れて以降、易きに流れたという印象は否めない。 どの辺りの時代からゴーストにたよるようになったんだろうか? >>550
98/5 恐妻家の福田和也が最近は柳美里に飽きてなぜか横森理香に夢中との噂
00/1 福田和也が愛妻にせがまれてトルコイスタンブール旅行をようやく実現
02/8 福田和也のカンヅメと称するホテル滞在は作家志望の愛人との密会場所
02/11 福田和也が打ち合わせ出張先にも作家志望の愛人を連れ回るほどの溺愛
03/7 福田和也が話題の六本木ヒルズへ引っ越しを画策するも資金難で断念説
04/4 福田和也の愛人は「新潮」に小説を発表した元編集者・緒形圭子との噂が
「福田和也さんの個人事務所(株)FKラボの緒形圭子さん」
http://freepaperdictionary.com/article/interview-165-1/ 新潮2月号くらい手にとってやれよ
薄情なやつらだなぁ >>569
金も妻も人望も大学も全て失ったんだから、
もっと正直に書けよと思ったなw >>568
本当のことですか?
ゴーストライターとか愛人とか病気とかアル中とか
今、大学に出ているんですかね?
そういうことも含めて本当のこと知りたいです
なんか、急に消えるっておかしいもんね 飲酒や病気でダメになったのではなく、弛緩したから病気やアル中になったのだと思う
本当に「根源的な寂しさ」を見つめてる人は逆に節制してでも書き続けると思うよ
福田がそうだと評論してた村上春樹みたいに このスレッドを読んで初めて知ることばかりでしたが
なんといいますか、恐妻家?
とにかく奥さんが怖かった(いまでも怖い)みたいですね
普遍的な小説になりそうな実体験をお持ちのようなのですが、
べたすぎていまさら小説にしても、という、袋小路感。 >>569
書いているんですね。
だったらだいじょうぶでしょう 福田和也コレクション 第一巻
福田 和也
出版社名 ベストセラーズ
発売予定日 2019年7月3日 著作集が文藝春秋、新潮社からではなくベストセラーズからってのが
良い感じでうらぶれてて(・∀・)イイ!!ね ミス慶應SFC 長内 あや愛
今まで研究会でした、お腹すいた〜
ということで、自己紹介4笑
大学で所属している研究会(ゼミ)は、福田和也研究会!
コラムを書いて、文章を勉強←
一緒に写真撮ってくださった研究会のみなさん、先生ありがとうございます!
https://pbs.twimg.com/media/DEsLOMyUwAAOl89.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DEsLOMyUIAAHKPB.jpg
2017年7月14日 新潮の「小林旭という旅」(前・後)
とりあえず
小林信彦の影響下にあったことはわかった
(知ってたけど)
(あと矢作俊彦か)
しかし
ひでーな、これは
評伝と感想だけじゃないか
それで読ませる部分は評伝だけ
(そもアキラの人生だから粗筋でも面白いわけで) 福田和也bot
(フランスの国立図書館で)四十人近い日本人たちが肩を並べて一心に、
(プルーストの)薄汚れた手書き原稿を点検している光景は、私を絶望的な気分にした。
(略)私は文学の本質といったこととは別の、もっと宿命的な異常さ、奇怪さを感じた。
『「内なる」近代の超克』
2019年12月29日
spartacus
この主旨にまったく異論はないが、しかし、昔も今も、日本に40人ものプルースト研究者がいたことは一度もない。
福田和也は、日本の仏文学研究が辰野・渡辺一夫以来の自由闊達さを失い、
仏政府給費留学生で留学してあちらで学位を取り(蓮實重彦以来の「伝統」)、
日本でもフランスのアカデミズムに伍して研究をするなどという、
後進国の立身出世主義に堕していることを、いちはやく痛撃した批評家だった。
実際、小林秀雄や蓮實重彦らそれぞれの時代を引っ張る批評家を輩出してきた仏文から、福田は放逐されたのだった。
それは90sのもっとも優れた批評家だった福田の栄光だと思う。
にもかかわらず、上のbotのような「主観主義」的誇張を、私は不健全だと思ってきた。
問題は、草稿に群がるプルースト研究者の数ではない。こうして日本近代を「廃墟」として崇高化し、
そこから身を引き剥がしながら対決を図るという、福田のロマン主義的身振りこそが「不健全」だ、と。
日本近代は「廃墟」として崇高化・卓越化すべきではなく、単に索漠とみすぼらしいものであり、
自分もまたその一部にほかならない。ここから出発しなければ、話は結局日本文化論になり
(福田はこの点「ネトウヨ」に先駆したと思う)、このみすぼらしさそのものについて考えることができない。
2019年12月29日 坪内が死んだし、そろそろ福田もかな
不養生っぽいし