ワークス卒だが、ぶっちゃけていうと、内部表現の書き換えというのは可能。だがその内部表現という言葉を自体ワークスでは使わないようにしてきている。(俺が参加したの2年くらい前は)
なぜなら内部表現という言葉は、外部があるということを暗示してしまうからだそうだ。
世界は脳内の情報の世界に存在しているのであり、外部世界があるかないのかはわからないと言うようなことを言っていた。外部と内部の区別はしたくないと

だが、わかりやすく、ここで便宜的に内部表現という言葉を使うとするが。

内部表現の書き換えというのが曖昧な言葉だが、内部表現、内部世界というのは外部の情報とリンクしあっている。
寒ければ心の状態も変わるし、相手の言葉や本を読んで考えが変わっただけでも
それは内部表現が変わったと言える。催眠的な手法を用いれば、誇大広告な部分もあるが
被暗示性の高さに依存するが、一時的に大きな心の状態の変化を引き起こせる事もある。それがアンカーや、トリガーによるループによる人格変容にまで至るかと言うと
それは個人差や諸説あり、苫米地のオウムの洗脳をトリガーとアンカーで説明しようとした試みにはだいぶ事実との矛盾があり
多くの批判が出ているのもまた、事実である。

また、おそらくここで言及されている、内部表現の書き換えというのは、気功や、ホメオスタシスの同調によるものについて言及していると思われるが。
それに関してはぶっちゃけて言えば、師範代や苫米地自身もうまく扱えてないというか
本当は使えないのに、ハッタリで商売道具としてうまく利用して、参加者をうまく言葉で丸め込んで
使えると錯覚させているフシがある。実際気功で相手を吹き飛ばしたり、病を治したりといったものを
現実的に明確に実用レベルで運用できている、コーチはいない、苫米地自身もおそらくそう