【サビシイデスネ】二十歳の原点3【高野悦子】
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>>101
それは日記に出てる分だけで判断してるでしょ
未公開の部分を想定して言ってるんだけど
彼女のパターンなら、一緒に何度も飲んでる辺り
何かあったと思う。
でなきゃ彼がずっと無言を守ってる理由がない。 歴史を見れば、ときに変なことや、変な思想や宗教が出てくることがある。
1970年前後には社会主義が流行った。
私有財産の否定とか、生産手段の社会化、というもの凄く広く、そして長い歴史時間が
必要な概念を、狭小短絡に理解し、国有化とか集団所有などにしてしまった。
私的所有を廃すこと、大会社の経営ができなくすることが革命だと勘違いしていた。
だから大企業への大学生の人材供給を止めて経営が成り立たないようにしようと、
学生に大学を辞めるよう勧めたのが、全共闘だった。
その影響を受けて悦子さんは授業料を納入しなかった。
当時の大学生は頭が良さそうなことを言ってたが、もうバカとしか言いようがない。
というか、反社会的なカルト存在となっていった。 >>97
そのへんのことは>>2のこの分析が的を得ていると思う。
9.彼女は中村にアナーキズムの本を手渡そうとした。これは何故か?
彼女は、自己の思想性を理解してもらおうとしていたが、この男は単なる遊びであり、
アナーキズムなど何の関心もない。彼から見れば、一夜を伴にしたからといって、
変な思想を押し付けられ迷惑である。おそらく「ドン引き状態」であったと思われる。
しかし、彼女には、プライドが高く、一夜の遊びという関係に納得出来ず、
自分の思想性を相手が認めてくれた、その上で関係をもった。という自己満足が
欲しかったのだと思う。(12月17日自らが確認した男女間の原則)
自分の革命闘争の中での恋であって欲しかったのだと思われる。それは奥浩平の
『青春の墓標』を愛した彼女の夢であった。(奥浩平氏の「青春の墓標」は
革命と恋に生きた青春という内容がひしひしと伝わってくる)しかし高野悦子さんの恋は、
革命とは何ら関係なく、淋しさを紛らわすため、単に男を求めた結果に見える。
割り切った交際と思っていた中村に、自己の憧れである『青春の墓標』の筋書きを
彼に求めることは無理であり、彼は逃げまくったため、彼女は大きく傷つき、
自己破壊していく。 >>105
日記に書かれているが、彼女はその愚かな考えや行為をしようとした自分に呆れ
自己嫌悪している。
彼女は最後まで自分を客観的に見つめようとしていたが、
もう少し彼女が鈍い人であれば、もう少し行動力が無ければ、怠惰であれば、
自殺はできなかっただろう。
そういう意味であまりにも主観的な人であり、軽はずみな人であった。 プライド、自尊心、
悦子さんはプライド、自尊心がかなり高かったのかもしれない
民青系自治会から離反したきっかけとして、彼女が片思いした他の学部の男に、それを
計算してなにかの大会への誘いの電話をさせた、というのが例の案内ブログにあった。
過去の個人的な感情を利用したことに対して日記に反感と怒りを書いている。
私を相手にしなかった、求めて来なかった民青系自治会の男達への反感やリベンジが、
全共闘系への参加の要因のひとつにあったかもしれない。
二十歳前後の年齢では恋愛感情がなにかのきっかけになることが往々にしてある。 そうするとあれかい、
要するに、よく出来た彼氏が一人いれば、彼女の運命は全く変わっていたと
その一点のみで、彼女が日記に並べた小難しいごたくの数々は一気に吹き飛ぶと
愛読者として認めたくないが、I have to admit it だな 確かに
女は付き合う相手によってかなり変わる。
よく出来た彼氏が居れば自殺することもなかったろうね ごく普通の女子大生でしょ。普通ではないのは文章力だけ。
恋愛がしたかったが上手くいかず自分をこじらせた。
焦って初体験の冒険を決行し、更にこじれた。
この自己棄損的な私生活の土台の上で学生運動に参加し、更にこじれていく。 日記の最後の日の文章を読み終わった後、この女性はその二日後に自殺したのだと
考えると身に迫るものがあったことを覚えている。
生きている人が死んでしまう、というのは永遠の別れであり、どこかで暮らしていて
、またどこかで偶然に会えるかもしれない、という想像さえもうできないのだ。
部落研の人のブログを読んだが、彼女が中村を求めたにも関わらず拒否されたことが、
彼女のプライドを深く傷つけた。そのことが学生運動とバイトで疲れ切っていた体の
中で増幅し、絶望感を深めた。望みを自ら絶った。
流れる水の如くさらりさらりと他人と接することさえも放棄した。 結論としては、しっかりと食べ、ぐっすりと眠ること。
簡単に異性と体の関係を持ってはいけない。 どうも皆さんすべての根源を男性関係に帰着させがちだが、
彼女の持って生まれた「気質」というものをもっと重視したほうがいい
中学生のときから自殺願望を語る人というのは珍しい
何かにつけて自己否定したがる傾向も、猪突猛進する傾向も、おそらくかなりの部分先天的なものだろう
男性関係も、学生運動も、バイトも、勉強も、クラブも、すべてうまく行かないのは原因ではなく結果。 理想を掲げすぎなんだよ彼女
ギャップに耐えられなくなるんでしょう。 青春の墓標にはまったのも結果、酒とたばこに溺れたのも結果、小林も結果、中村も結果、自殺も結果 >>113
それにこのスレでもたびたび話題になっているように、彼女はよく言えば行動力があり、悪く言えば何かにつけて
軽率な人だったということ。普通なら、最後の一線を越える前に、立ち止まってよく考えるべきところを、
彼女はその場の勢いで、立ち止まらずに一線を越えて、はるか先まで飛んで行ってしまい、後になって後悔する
ということが度々発生している。男関係しかり、学生運動しかり、酒・たばこしかり。しかしそうしたことは、
一線を越えて、結果的に自分が傷つき、ひどい目にあったとしても、まだ人生をやり直すことは可能だったが、
残念ながら、自殺については、勢いで一線を越えてしまうと、もうやり直すことはできなかった。 >>116
まあ、それも結局は彼女の気質なんだよ。
究極的にはお父さんの言うように「生まれ星が悪かった」ということなんだよ。
牧野さんも救えなかった、お父さんお母さんをもってしても救えなかった
ただ一人救えた人がいたとすれば、それは出来の良い彼氏。
しかしあれほど可愛くてもてたのに、まともな彼氏が出来なかったのは彼女の気質によるところが大きい。
つまり、生まれたときからああなる運命だったということかな。残念だけど。 皆さん人生経験を重ねた大人だね。本質を突いている書き込みが多いと思う。
高野悦子論も大詰めに入っている。
悲劇のヒロイン化ではなく等身大の悦子さんを見ようとしている、そして見えてきた。
これは彼女自身が書いた日記だけを見ていては分からない部分があるが、例のブログ
の中での友人知人達の証言があって始めて分かってきたこと。 那須文学9号(1970年)2-7頁「失格者の弁」と文庫本新装版(カンゼン)202-217頁「失格者の弁」(1971年記述)との相違点
1:那須文学版の出だしは死亡日(6月24日)の京都新聞夕刊社会面の自殺を報じる記事の引用から始まり、
「いつもは読み流す社会記事が我が家に起ころうとは、まさに青天の霹靂であった」とある。
一方文庫本は6月25日の警察から職場への電話の話から始まっている。
2:那須文学は「故人の手記を発表してほしい・・」で始まる段落の最後のほうに
「このへんの経緯と親父失格者の弁をきいて、他山の石としていただけたら・・」という箇所があり、
これは文庫本にはない。
3:「第一回は立命館大学への入学です」で始まる段落。
文庫本には「でも、あれほど切望していた立命館史学なのに、2年足らずで失望してしまったのは何故なのでしょう。
大学問題について云々するつもりはありませんが、改善されるべき何ものかがあるようです。」という記載があるが、
那須文学には無い。 >>119 続き
4:文庫本には「失恋の痛手・・」で始まる長い段落があるが、那須文学には無い。
5:「それらの何れもがあたっているのでしょうが・・」で始まる段落の最後に、
那須文学では「どうぞ皆さんのご感想をおよせ下さい」とあるが
文庫本では「皆さんのご判断に委ねます」となっている。
6:文庫本には「以上が私なりの総括ですが・・」で始まる段落があるが、那須文学には無い。
代わりに、那須文学には「絶対自由なんて求めたのが・・」で始まる1969年5月18日の詩が掲載され
「これがあの娘の遺書だと思うのです。」とある。
7:那須文学では最後に「心から世の御批判御高見を仰ぎたくお待ちしております。」と結んでいるが、文庫本には無い。
逆に文庫本は「最後に、本書は故人の遺志を尊重・・」「なお、故人に対しまして・・」の2段落があるが、那須文学には無い。 以上、お父さんの心境の変化等をうかがい知る一次資料として、ご参考ください。 お父さんやお母さんの言動を見ると、悦子さんは本当に親不孝をしてしまった。
両親や家族を一生苦しめることになった。どんな思いで産み育てたか悦子さんに
はまだ理解できなかっただろう。
そこには小難しい理論も思想もない。あるのは親としての愛情だけだ。
運動の破綻、失恋、そして死ぬ一週間程前に母が上洛した際にしたと思われる親
からの独立宣言。
冷静になって自分の状況と力を考えれば、生きていくことに寒々とし怖くなっただ
ろう。学生ではなくなった私には生きる意味があるだろうか?
最後に掴もうとした中村という藁も消えた。
究極の刹那の中で線路上を歩き、列車を前に横たわった。
とんでもない、取り返しのできない間違いを犯してしまった。 本当に誠実に生きようとしたら悦子さんのようになるのが必然ですよ。
どこかでごまかしているから、俺たちは生き残れただけのこと。
そして自己に対してどこまで誠実に生きた人を、こうやって気楽に論評しているんだ。 >>123
死が必然の誠実なら、そんな誠実に近づきたくない。
というか、そういった抽象的な議論をこねくり回してもは無意味だと思う。
少なくとも悦子さんは誠実だから死んだのではないと思うのです。
悦子さんがしたような過ちや不十分さ、迷いや遠回り、多少の不道徳な行い、
失恋や傷つき、など、そんなことはほとんどの人がやってる、経験してること。
それでも生き続けている。20年も経てば気恥ずかしい程度の思い出になる。
違うのは死んでしまったことで、こればかりは経験を活かすことができない、
その時点ですべてが止まり消えてしまう。
繰り返すが、悦子さんは誠実だから死んだのではない。 美人というか可愛い、それを自分でも分かっているんだが、
それでもなお、女性として何かコンプレックスを感じていたのではないだろうか?
それは男でも、イケメンでもそんな感じの人がいる。
だから、女として真っ向勝負するのではなく思想で自分を演出しよとしたのでは
ないか? 当時の学生の価値観が反映していたはずだ。
中村にアナキズム本を渡そうとしたのはそういう背景もあると思う。
中村に思想的な興味があったかどうかは不明だが、悦子さんが熱く語る理論に耳を
傾けることもあったんだろうと、悦子さんの日記から読み取れる。
>>今度は中村に学問の私有制を教えてあげよう>> などと書いていたはず。
私は彼女を批判しようとは思わない、そんな資格もないし、そんな立派な立場でも
ない。
誰しもが持つ弱さで自殺してしまったことが残念でならないのだ。
二十歳であのような文章力、表現力を持つ人はそんなに多くはない、才能としても
惜しい。 >>119 >>120
ここから読み取れることは
1:お父さんの立命館大学史学科に対する怒りは、事件直後よりも2年経ったときのほうが大きくなっていた
2:事件直後は自殺の原因としての失恋・男性関係をタブー視していた。少なくとも外面上はそうであった。
3:事件直後は日記の内容について読み手がどう感じたか積極的に知ろうとしていた。 映画を観ると自殺には見えないんだけどな。
びっくりして反射でよけたみたいに見える。 お父さんの気持ちは理解できるが、大学も学内の学生運動トラブルだけならともかく、
学外での学生の恋愛や失恋についてまではどうしようもないと思う。
彼女が属していた大学を舞台として学生運動が行われていて、そこで学生同士の様々
な争いがあり、彼女がそれに巻き込まれて激しい行動をしていたという背景があった
のは事実だろう。しかし、その争いが直接の原因で亡くなったわけではない。
激しい活動と乱れた生活で疲れ切り、また学生身分の放棄で将来展望を失い、そこに
失恋が重なったことによる、複合的な要因のストレス死だっただろう。
ただ、運不運を言ったら切りが無いが、東京の大学に行っていたら、あるいは京都の
他の大学だったら、学生の彼氏ができていたなら、、バイト先が違っていたら、中村
と出会わなかったら、中村と飲に行かなかったなら、、、、、、、、
また別の運命が、パラレルワールドが存在しているだろう。
あるいは、彼女のすべての選択と偶然が彼女が自殺するように向かって動いていた。
つまりは、自殺の原因は彼女自身の中に弱さとか性格として、種として潜在していた。
そして、状況の厳しさ、偶然の不運、などにより種が発芽してしまった。 >>128
すでに中学生時代から、あるいは物心ついたころから自殺願望があったと
大学進学前、高3のときの日記(序章、66.11.26)に本人が書いているくらいだから、
失恋や学生運動の挫折がなくても、あるいはまともな彼氏ができていたとしても、
遅かれ早かれ、何かちょっとしたきっかけで、悦子さんが自らの命を絶っていた可能性は
それなりにあったように思う。
「正直なことをいって、生きることはめんどうでたいへんなことだ。時々私は、
自殺しようかと思う。生きていることから逃避したくなるのだ。私の場合、
これは中学生のころから何かいやなこと、苦しいことがあるとそう思うように
なってきている。もの心ついたころからである。」(序章、66.11.26)
それにしても、この自殺願望というか、非常に冷めた人生観はどこから生まれたのだろうか?
彼女の略歴を一見すると、心臓に持病があったことや、「青春の墓標」を読んだことが、
死生観に何らかの影響を与えたように見えるが、日記の記述が事実だとすると、
そうしたことよりはるか前、中学生のころから彼女はすでに自分の死について考えていたことになる。 自殺する人は、普段から自殺という言葉を口にしている人に多い、と
いうのをどこかで見た。
悦子さんは自殺する1週間ほど前に自殺しちゃいけないと自分に言い
聞かせてる。
もうひとつの自分の中に重力のように自殺に落ちていく動きを感じて
怖くなったんだろう。妄想だった自殺が目の前に見えてきてしまった。
日記やアジビラの処分を考える。自殺するとしたら、という試行想定か?
中村が他の女と寝ている想像、火の狐という記述、惨めな姿で雨に濡れた
からってなんなんだ、等々、自らを死へと煽り追い込もうとしていた?
やはり中村との関係破綻が最後に背中を押したようだ。
そして、その背後には、もう大学生に戻れない、女ひとりで生きていかね
ばならない、という厳しい現実を悦子さんが気が付き始めたこともあった
だろう。
こういうときには普通は親元に逃げ帰ることもありなんだろうが、1週間
前に下宿を訪れた母に独り立ち宣言をしてしまっている。
学生運動理論に縛られ、精神疾患のような片思いの執着で、その場と時間
から逃げ出す考えも浮かばなかったのか。 >>128
当時の立命館のガバナンス、相当ひどかったんじゃない?お父さんはそういうことを指摘しているんじゃないかな。
特に文学部は看板教授が次々辞めたりして、カッコちゃんも「立命は事実上崩壊しつつある」と書いてるじゃない。
そういう大学の状況に対する怒りというのが、彼女を学生運動に走らせた要因の一つだったことは間違いない。 もちろん、だからといって、立命だけが悪いとは言わない。いろんな原因があった。失恋もその一つだろう。
ただ親としては、立命ひどいじゃないか、中村さんちゃんと説明してよ、小林ふざけるな、となるのは分かる。 あと一つ申し上げたいのは
ここのスレは、2ch,5chとしてはまったく荒れていないし、まともな議論ができていると思う。
これは稀有なことであるし、カッコちゃんの人徳のなせるわざなのかもしれない。
また、ここに参加してご意見くださっている方々に感謝したい。 >> そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
>> 暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
旅に出よう の詩の中で、上記引用の通りタバコのことを書いている。
現在の 日本たばこ産業株式会社 は当時は 日本専売公社 という名前だったよう
だが、この公社を悦子さんは 独占 と表現している。
ネットで検索すると、マルクス主義経済学に独占資本という用語があるが、これと煙
草の専売公社とは内容が異なる。たしかに日本で煙草を独占的に製造し販売する大きな
独占公社/企業だが、マルクス経済学でいうところの独占とは質が違うようだ。
悦子さんが、独占企業と独占資本を区別していたかどうかは不明。
そんな細かいことはどうでもいいが、一本のタバコ=独占の機械工場で というイメージが
浮かぶということに、悦子さんが生きた時代を、学生運動という特異な時代を感じさせる。
このフレーズは、死に場所に向かう途中での一服、一休みだろうか。
そして、独占に反対する私が、その製造した煙草を吸っているというイメージ。
当時の学生達はなにかとても幼稚で皮相で狭量な理論を信じ混んで生活してたのではない
だろうか?
頭の中が抽象的な概念と価値観でいっぱい。その概念を何にでも適用して価値判断していた
ように見える。煙草=独占。
そして、それは生活する上でとても窮屈な物差しになっただろう。
巡り巡って、学生という身分や階層の自己否定まで行ってしまった。 >>134
塩ですら独占だったのに、そこはスルーですか 二十歳の原点 案内ブログからペースト
>>大学には人間はいない。そこにあるのは商品化した学問と労働力だけである。
>>大学そのものは人間の意志とは関係なく資本の意志に従って労働力を生産し続ける。
>>そのような中で「良心的」にことを解決しようとするものはわれわれ人間を主張する
>>ものの敵なのだ。
>>われわれ日本史闘争委員会、文闘委は人間を解放するために、自己を解放するために、
>>徹底的に現行大学制度の解体を目指し闘うことを宣言する。
こんな抽象的な理論に影響されて、憧れた大学生になったのに辞めてしまい展望を失
った。
悦子さんは書く、絶対的自由を求めたのが誤りだったのか?
その通りだ、絶対的自由などあり得ない、人間の、自己の解放とは具体的に何なのか?
時間や場所や具体性を欠いた抽象的理論をそのまま身近な出来事に当てはめても正解は
得られない。
「大学にあるのは商品化した学問と労働力だけである」?
語れば語るほど幼稚性理想論が出てくる。あるいは美しい動機と心を求めて暴れていた
のか?
芸術は爆発だ!! を本気にして爆発したらアホだろ。 「私学」に「授業料」を払う時点で商業化されたものなのにね
闘争では自己解放なんて出来ないよ まあ結局、>>2で部落研の先輩が指摘していたとおり、悦子さんは高校時代に読んだ
「青春の墓標」や「人しれず微笑まん」の世界に憧れ、奥浩平や樺美智子に感情移入して、
同じようなこと(特に革命家どうしの恋愛)をしてみたかっただけで、革命運動なり学生運動の
思想的な部分を正しく理解していたかは極めて疑問であり、単にまわりの空気に流されて
革命ごっこをしていたにすぎない、というのが本当のところなんだろう。さらに>>2の先輩は
次のように分析している。
「彼女には失礼ながら、本当は革命なんか全く分からなかったと思われる。彼女の生き方は、
まさに反抗期の娘のような反発であり、裕福な厳格な家庭に育ち、(お父さんは京大卒であり、
県庁の官僚でもあった。)おそらくその威厳さの前で反発できず、大学に入って反抗期のような振る舞いを、
革命と関連付けて表したように見える。」 >>139
その部落研の先輩のブログだけど、別の男の人を批判している文章で、とんでもない
時代錯誤のことを書いていた。
ある政党による介入がなかったのは何故か?とね。大学運営に関係の無いある政党が
大学人事に介入しなかったのが不満があるかのような文章だった。
民主主義を謳いながら、頭にあるのはある政党による介入が当然であるかのような、
50年前の時代錯誤的発想そのもの。未だに1970年代の学生のつもりでいるかのよう。
このブログの人の立場からの悦子さん批判は、その人の政治的立場からの批判であり、
50年という社会の変化を受け入れていない。
たしかに悦子さんは弱かった、軽率だった、でも二十歳前後の女子なんだから、それは
無理からぬこと、むしろ当たり前ではないだろうか?
高校出たばかりの19歳に、政治的は疑問を投げつけ、君はこっちかあっちか、さぁ選
べと、下宿まで来て働きかけた異常な時代。
それを革命というものが分かってなかったとか、自分の世界の価値観を押しつけてる
だけ。宗教団体にありがちなような独善が見事に表れている。
悦子さん達の学生運動はカルト的なものだったが、このブログの人達の学生運動は、
それに対するカウンターでしかなかったのではないか?
つまりは、どちらも何も生み出していない。大学にとって、また多数の学生にとって
弊害あるのみ。大学は政争の具でもなければ勢力獲得の場でもない。
日本全国、この時代に大学に入学した純粋な学生にとっては不幸な時代だった。
それが、高野悦子という純粋で弱い個人に、より増幅した分裂と崩壊として表れた。 >>2のブログからは
当時の立命館大学の状況(特に文学部)が克明に書かれてることは
評価すべきだと思う。
その大学の状況に巻き込まざるを得なかった
悦子さんの姿も分かる。
しかし、いくら下宿まで押しかけてきてオルグしようとも
それに乗らないノンポリの人が大勢いたはず。
実際、全共闘の主立った人間はしっかり大学を卒業して
社会に入っていった人が多いのだから。
その点、悦子さんは弱すぎたし純粋だったのだろう。 1970年から50年経過。
結果として正しい対応をしたのは当時のノンポリ学生だった、ということになる。
大学で革命ごっごをやるほうが間違いだったんだよ。
同じ学生同士で敵味方に分かれて集団で争ったり喧嘩したりでお馬鹿そのもの。
ヘルメットに軍手に角材、工事現場に行けばよかったのに。 学生闘争が行き着いたのが浅間山荘事件だからなぁw
もしくは成田闘争
反社会的なことやる私かっこいいって当時は思えたんだろうが
浅間山荘の実態を知って、あれは間違いだったと
大勢の人が運動から離れたそうだよ
内ゲバ・リンチ・殺人・監禁が正しい訳あるかよw カッコちゃん、「スカボローフェア」好きだよね。シアンクレールで聴いて、歌いながら下宿に帰るシーンがある。
あれは映画「卒業」に出てくるサイモン&ガーファンクルの曲で、カッコちゃん大学1年生頃に日本で上映されてるはずなんだけど、観たのかなあ。
カッコちゃんと一緒に観て、感想とか聞きたかったな。 昨日、池上さんの番組で
マハリャジャクソンのことをちらっと取り上げてた
(キング牧師の告別式に歌った、と)
確か、かっこちゃんが好きな歌手だったなぁと
なんか感慨深かった カッコちゃんと一緒に読みたかった本もいっぱいある。
あの当時に生まれて、出会っていたかったな。 >>145
それ凄いね、さすがカッコちゃんが一目置いた歌手だね。 悦子さんが自殺する3日前だったか、シアンクレールで女の人とサイクリングの約束
をした、しかしすぐに断ったと書く、どうしてかと言うと、約束を守れるかどうかわ
からない、裏切ってしまうかもしれないから、と。
この女性と思い切ってサイクリングに行っていたなら生きる方向への展開もあったか
もしれないと感じた。、
なぜなら、学生運動でもなく、異性でもなく、同性と嵯峨野とか嵐山にサイクリング
するのは健康そのもので、悦子さんが嵌まっていた蟻地獄的な精神状態から抜け出す
きっかけになったと思うからだ。新たな友人関係をつくれた可能性があった。
そのときの女性は、あのときの女性が悦子さんだと、後で知った可能性が高い。
その時の話しを聞ければいいのだが。
人選なんてちょっとした偶然から、良い方向にもそうでない方向にもどんどんの変わ
っていってしまう。こわいぐらいに。
私達が知っているこの世界では、悦子さんは亡くなったが、他のパラレルワールドで
は、たくさんの孫に囲まれて幸せに生きているだろう。
そして、その世界では私もあなたも生きていないかもしれない。 じゃあそのパラレルワールドで俺はカッコちゃんとお付き合いする。そして結婚して子供つくって孫もつくる! 民青って部落研・・・
高校生とか若い子をターゲットにした共産党の活動の一つと思っていた
共産党って闇だな・・・今更ながら 神や仏などの超自然の存在を想定していなくとも宗教として機能する理論はある。
マルクス主義や共産主義が日本へローカライズされたときに、理想主義や禁欲主義が
ベッタリと付着して導入されたのではなかろうか?
それは全共闘の小市民批判という、極私的な自虐的で道徳的な自己批判にも出ている。
本来、共産主義とか社会主義と、倫理や道徳や人格など関係のないものなのに、労働者
的なるもの、資本家的なるものを、勝手に絵を描いて理想としたり叩いたりしていた。
太って堕落した資本家、痩せてたくましく正義の労働者、そんな絵空事を無批判的に受
け入れていたのではないか。
悦子さんはそんな労働者の絵を中村に投影していた。知識の無い労働者の中村を教育
しようとした感じもある。
勉強すればするほど現実から遠くなる、あるいは現実が見えなくなる、そんな理論や
宗教や思想もあるのではないか?
抽象的な概念や理論が邪魔をして目の前にある現実を別のものに描いてしまう。
現実と理想、本音と立前、自利と他利、客観と主観、そういった対立が激しくなり、
悦子さんは分裂し崩壊していった。
悦子さんが自らの脳に造り出した理想やイメージは、客観的な事実や現実や人間像とは
まったくかけ離れ違ってしまっていた。
悦子さんはまったくの主観主義のユートピアで日々生活をし、現実によって破滅させら
れた。 悦子さんは大学に授業料を納めるかどうか自問自答している。
大学を解体すれば資本の循環を止められる、そして資本主義が崩壊する?
そんなこと本当に悦子さんは考えていたのだろうか?
あるいは、大学生であり、小市民である自分を自己批判/自己否定したかったのか?
現実や自分の力を無視し、思いっきり背伸びをしてしまった、あるいは宙に舞った。
その結果として、背骨を折ったか地面に墜落してしまった。
結果として絶望だけが残ったのではないか? 雲の上で理想を追い求め、天使だった悦子さんは、自分の思い込みによって羽根を失い
死の世界に落ちていってしまった。
一週間近く食べてない、煙草と酒と眠剤、睡眠不足、学生運動への違和感と後悔、将来
不安そして失恋。
最後の最後には、心身共に疲弊の極地、正常な状態ではなかっただろう。 醜いアヒルの子
水面下では足掻いて足掻いてしていたんでしょ >>153
そんな抽象的な話じゃないでしょ。
教授のいない大学に学費を納める必要ない、みたいなこと書いてたじゃん。
学費に見合う教育がなされていないから払うの拒否したんじゃないの?立命の教育環境やガバナンスが腐ってたの事実でしょ。
そんな感じのアジテーションも日記に書いてたし、お父さんもその箇所を長々と引用してた。怒りをこめてね。 立命の腐敗を棚に上げてカッコちゃんの未熟さのみを糾弾するのは筋違いだと感じる 立命どころか、当時大勢の大学が似たような問題を
抱えていた。
なのに彼女だけ神聖化するのはおかしい。
姉のヒロコちゃんが行った日大は
更に運動が激しかったはず。
しかし、ヒロコちゃんはちゃんとして大学を卒業してる。 >>159
なにしろ日大紛争として歴史に名を残すくらいだからね。その上、日大は明治、中央と並んで
1968年の神田カルチェラタン闘争を先導しているし。1968〜69年ごろの御茶ノ水界隈の大学は
授業どころではなかったはず。 >>1157
私もその当時をリアルに生きていた年齢ではありませんが、当時の活動家学生は
本当にそんな抽象的な理論で動いていたようですよ。
マルクスの資本論やヘーゲルの哲学を、その上っ面だけを勉強して 適用 をす
るのが当時の学生の習性らしいです。
上のほうにあるレスの」コピペを再掲しますね。
137無名草子さん2018/11/26(月) 21:15:53.18
二十歳の原点 案内ブログからペースト
>>大学には人間はいない。そこにあるのは商品化した学問と労働力だけである。
>>大学そのものは人間の意志とは関係なく資本の意志に従って労働力を生産し続ける。
>>そのような中で「良心的」にことを解決しようとするものはわれわれ人間を主張する
>>ものの敵なのだ。
>>われわれ日本史闘争委員会、文闘委は人間を解放するために、自己を解放するために、
>>徹底的に現行大学制度の解体を目指し闘うことを宣言する。 現行大学制度を解体すると、自己が解放される、人間が解放される?
資本の意志ではなく、人間の意志に従う?
文学部だからか、やはり文学的、詩的で、最終的には宗教的な感じがする。
とにかく 解放 されたかったんだということがわかる。
とにかく 抑圧 されていたんだろうことがわかる。
Yahoo!知恵袋
学生運動って何がしたかったのでしょう?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11136409221 学問ってさ、
自分の為にするものだよね。
大学の為ではない。
大学は学生を商品化してると言うが
それは自分次第だと思う。
結果的に、資本主義社会の奴隷になるのかもしれないが
奴隷で終わるか、人間らしく生きるか
その選択肢は自由。本人次第。
そういうことを履き違えてるよね 人間を解放して、自己を解放して
目指すことは一体何だったんでしょう。
自分が自分らしく生きること
それが一番大事ではないですか?
学費未納で学生の身分を失って
そのままウェトレスで生活ですか。
親からの仕送りも受けて。
それが彼女が本当にしたかったことなのでしょうか?
ブルジョアのお嬢様のおままごとではないですか。 日大が腐敗してたかどうかは関係ないでしょう。立命の話をしているのです。他所が腐っていたから自分とこも腐ってOK、責任ありません、というのは全くもっておかしい。
なぜ文学部長以下、5教授1助教授が次々辞職したのか、それなりの理由があるのではないか。
大学当局がゲバ棒とヘルメットを民青系の学生に買い与えて全共闘と戦わせてていたなんて、ひどすぎだろ。
冷戦中の米ソじゃないんだから。
そういう立命の酷いガバナンスを棚にあげてちゃいかん。
カッコちゃんの日本史同級生は半分が中退している。全員が抽象的な観念をこねくり回したわけじゃないはずだ。大学にもかなりの責任があった。 カッコちゃんカッコちゃんってなんか地下アイドル奉ってるオタクのような・・・
彼女に失礼だと思いますよ
ちゃんと高野さん、悦子さんでいいんじゃないでしょうか 立命館も、日本中の大学も、
党派を問わず社会主義幻想に影響された左翼学生はカルト的存在となった。
そして、欧米の大学でも激しい学生運動があった。
背景には第二次世界大戦への反省と社会主義や共産党への幻想や反感があった。
彼等はユートピアや全知全能を求めた。それを抑圧するものは資本主義だと考えた。
商品存在としての学生を解放して人間になる、とか抽象的にロマチックに考えた。
当時の本人達の本気度は本物だっただろうが、とても未熟で愚かな思想や行動だった。
トランス状態で熱狂していた高学歴の本物のお馬鹿学生。自滅は必至だった。
トランス状態が消えたら、ボクって何、ボクは何をしてたんだろう?
ふと吾にかえり、絶対的自由を求めたのがいけなかったのか? と自問する悦子さん。 とどのつまりは恋愛もうまくいかず
学業も行き止まり
酒飲んで逃げて、挙句に自死
美化することも神格化することもない 美化とか神格化なんてとんでもない、
それどころかごく普通の人、もっと言うと不器用で不幸な人だからこそ悦子さんに
感情移入ができ、同情されているのです。
ボク達、私達も悦子さんと同じような しくじり や失敗を繰り返しているのです。
彼女を批判しながら自分自身を批判し反省しているのです。
違うのは私達はまだ生きているということです。 >>166
自分で「カッコは・・」と言ってるんだから、一読者がそう呼んでも構わんだろう。議論の本質とは関係ないことだ。 「二十歳の原点案内」サイト(1969年 1月25日の項)より抜粋
「22日夜、大学当局から黄色ヘルメット500個が配給され、…中略…ゲバ棒部隊約200人が封鎖された中川会館に突撃した」
((鈴木沙雄『特集・新局面を迎えた大学問題─関西にみる東大紛争の衝撃』「朝日ジャーナル1969年2月9日号」(朝日新聞社、1969年))。
「文学部教授の梅原猛は「これは大学の責任者が角材や黄色いヘルメットを買って学生たちに与えている事実をみても明白で、
ここには大学本来の使命をみることはできない」(『失った対話の場─一部の人が制圧=x「京都新聞昭和44年1月25日」(京都新聞社、1969年))と話し、
文学部教授の奈良本辰也は「大学は、すでに攻撃用の諸器具を用意して学友会に与えているのである。それらはすべて、学生の授業料によって購入された」
(奈良本辰也『立命館大学教授に未練はない』「潮昭和44年4月号」(潮出版社、1969年))としている。」
このゲバ棒で突撃された相手がカッコちゃんだよね?
これでも立命に非はないと? 悦子さんは今風に言えば能年玲奈に雰囲気が似ていたと知り、
失恋し学生運動に挫折したあと、自殺などせずに、北三陸に行って海女になり、
自分を取り戻していくというストーリーを妄想したが、心臓に不安がある悦子さんが
海で素潜りをするのはちょっと無理だな。 全共闘 https://ja.wikipedia.org/wiki/全学共闘会議
>> 「実力闘争」を前面に出し、デモでの機動隊との衝突では投石やゲバルト棒
>> (「ゲバ棒」)も使われた。特定の党派が自己の思想や方針を掲げる組織運
>> 動というよりは、大衆運動との側面があったともされる。大学により、個人
>> により、多様であったと言える。
悦子さんもそんな個人として参加したひとりだったんだろうね。中核派からの働
きかけを断っている。
悦子さんが授業料を払うか迷っていたのは、全共闘の大学解体論に影響されたか
らだろう。
例の案内ブログに全共闘の先輩が、これについて反省らしきことを書いていたが、
個々の学生のその後の人生を遠回りや紆余曲折させただろう。
悦子さんはそれに加えて失恋もあり自殺してしまったが。 1970年前後の異常さが分かる。
悦子さんはたまたまそんな時代に学生になり自ら無謀な学生運動に飛び込んでいった
犠牲者。
犠牲者といってもほとんどの学生は自殺などしなかったのだから、生き死にまでの犠
牲はまた別の理由があった。
その荒んだ時代の上に悦子さんの個人的理由がいくつか重なっての自殺だろう。 悦子さんには若干のアスペルガー症候群の傾向があったのではないか?
なんとなくそんな感じがする。 全共闘=カッコちゃんを愚かだとすると
そのカッコちゃんをゲバ棒で殴った民青の連中は同等以上に愚かだし
さらにそのゲバ棒を支給した立命館大学当局はありえないほど愚かだということになる 大学紛争で一番先に暴力装置を使ったのは
全共闘じゃなかった?
立命と民青は、目には目を歯には歯をを実地でやってしまったがw 悦子さんが学生運動に参加したのは、社会を変えようとか大学を変えようとかいう思想に影響されたり、
何か使命感を持った上でというより、高校時代に読んで憧れていた「青春の墓標」のまねごとをしてみたかったという
動機のほうが強いように見える。 >>179
その通りだと思う。
その当時に社会主義幻想に影響されたすべての勢力がアホだったと思うね。
ヘルメットに手拭いマスクに軍手に角材、あまりにも滑稽で愚か。
どれだけの人達が傷ついたり死んだりしたか。学生も警官も。
一見もっともらしいことを言いながら、無意味な党派争いでしかない。
友人を敵にしたり、裏切っただのなんだの、まったく愚か。
プチブルだの小市民だの好き好んで自虐的自己批判してみたり。 いろんなことが日本で起きてきたが、残念ながら日本はそう遠くない時期にほぼ終了する。
南海トラフが動けば、日本土木学会?が言うとおり、アジアの最貧国になるだろう。
そして、彼等の管轄外なのか言及されなかったが原子力発電所で事故が起きれば、過去
の日本が幾たびか災害から立ち上がってきたような歴史は終わってしまうかもしれない。
社会の法則的必然性は疑問符が付くが、自然法則は100%働く。 >>181
日記を読むかぎり、社会問題や大学問題を彼女なりに一生懸命情報を集め、いろいろ真剣に考えていた。
その延長線上にバリケードがあり、全共闘があったたように見える。
それを「幼稚」だの、「バカ」だの、「奥浩平ごっこだ」だのか言うのはその人の勝手だ。
だが、ではそう言っている連中が、当時彼女よりひたむきに物を考え、利害得失を考えず生きていたと胸張って言えるのか?
死人に口なしだ。彼女は反論できない。そのことをよく認識しておくべきだ。 >>184
そんなことは百も承知だ。
彼女を責めたり批判しているのではなく、その当時の学生達の全体が批判されている。
そして、個々の学生達はたとえ自ら飛び込んでいったとしても、時代に捲き込まれた
犠牲者という側面があることもたしかだ。
彼女をその当時の「歴史的」人物として象徴し話題にしている、ということになる。 たいへん抽象的でかつほぼ妄想なのだが、彼等は 人間の解放 を求めた。
人と人との関係で上も下もなく、支配も従属もない解放された関係。
労働力商品ではなくひとりの人間として存在したい、生きたい、そんな感じか?
たぶん彼等が目指した共産主義がそんな感じのユートピアに感じたのだろうか?
そのユートピアにするには革命が必要だ!しかしその革命というのがよく分からない。
とりあえずは道路でデモ行進し機動隊とぶつかり、大学を占拠して騒ぐしかなかった。
弱者に優しい政治を、あらゆる差別を無くそう、そんな運動で良かったのではない
だろうか? 民主主義や自由を拡げよう現実化しよう、そんな運動で良かったので
はないか。それこそが優しい悦子さんに相応しい。ヘルメットも角材も必要なかった。
共産/社会主義社会なんてとてつもない生産諸力の発展の結果として出てくるもので、
無理して求めても実現できるものではない。生産手段の所有関係を変えたからって、
国有化したり集団化したからってできるものでもない。
人間は歴史の鎖とともに、また生き物としての鎖とともに生きている、つまりは大き
な制限や限界の中で生きていくしかない。
ユートピアを目指すのは勝手だし、究極の自由を求めるのも勝手だが、残念ながら
そんなものはどこにもないのだ。 一つ言えることは、カッコちゃんは自分の言葉をミリオンセラーの形で世に残したが、同時代のその他大勢はほとんど何も残さなかったということだ。
カッコちゃんは確かに未熟だったし、独りだったし、少しエキセントリックなとこがあった。でも同時代の他の誰も無し得なかったことを成し遂げたんだ。
50年間読み継がれる本を書けた人が当時世の中何人いたのか。これから先100年読み継がれる可能性のある作品書けた人どれだけいたか? サビシイデスネ 自己否定 jikohitei
ウソッポイデスネ 自己否定 jikohitei
クウリクウロン 自己否定 jikohitei
ヤマイデスネ 自己否定 jikohitei
https://www.takanoetsuko.com/hoyo.html#simbuncolumn
こんな一知半解の上っ面の言葉遊びをエネルギーにして動き回っていたわけだ。
リロン? シソウ?
ジブンヲ カシコイト オモッテル ホンマモンノアホ
ワカゲノイタリ ヨイシレテ ホンマモンノカルト >>朝五時頃から全共闘の集会が行われた。
>>正門のバリケードで二時間の坐りこみの間、何故自分はここに坐っているのか、
>>こんなことどうでもいいことではないかという考えにおそわれた。
悦子さんの直感は正解だった。バリケードなど何の意味も無く、どうでもいいこと
だった。大学を封鎖するなんてまったく愚かなことだった。
50年の年月がそれ証明している。
なにがそんな無意味なことを彼等にさせたかと言えば、空理空論のカルト脳症だった
としか言いようがない。 否定という重層的で抽象的な哲学用語を、暴力的破壊とすり替えてしまった。
目の前にある人も物も、資本主義的か社会主義的かと、愚かしくも単純に選別をした。
友人や知人や恋人を敵か味方に分けて人間関係を分断していった。
本当に不幸な時代に悦子さんは大学生になってしまった。
生真面目で遊び心のない、直情的な学生ほどカルトにはまっていった。
カルトだと断定したら間違いだろうか? また、否定という用語を、禁欲とすり替えた。
自己否定とは小市民的自己の否定=労働者的自己の確立。つまりは禁欲である。
なんのこっちゃわからんが、労働者として禁欲しなくてはいけないらしい。
この当たりがかなり宗教的なのである。
意識改革的な倫理主義、というか、とても宗教チックなのである。 「私は慣らされた人間ではなく、創造する人間になりたい。高野悦子自身になりたい。」
時代に翻弄された以上の、人間として普遍的な価値があるだろ。 大半の若者と変わらん程度の人間が書いたものがベストセラーになるなんて不思議ですねw あなたも徒然にノートにチラシの裏に書きなぐって
スカイツリーから飛び降りてみたら?
なぜここから・・と遺作が脚光浴びるでしょうよ
お父上かだれかに出版の労とってもらってね 俗人には天才を理解することが出来ないんだろうな。
まあ、そんなもんだろ。不思議もない。 評論家の佐藤忠男が、
『読書と人間形成―孤軍奮闘のたのしみの発見』(千曲秀版社 1978.3.31発行)
で、このようなことを書いていた。
p.157「若者が、観念的で抽象的でつきつめた思索的な本を好むことは、かつても
今も変わりはない。ただ、そこに一九六〇年代以後、とくべつに偉い人でも権威
ある先生でもない、自分たちと同じような仲間の書いたものが大きく割り込んで
くるようになったのである。」 もし高野さんが
悩み苦しみ慟哭しても死ななければ日記やチラシの裏は
日の目を見なかった
死に方が異様だったからだ
同じように大島みち子さん
愛と死を見つめてのミコ
あの人も病気闘病で死ななければ日記や書簡は日の目を見なかっただろう
生きざまというかこれらの場合は死に様なんだと思うよ >>「若者が、観念的で抽象的でつきつめた思索的な本を好むことは、かつても
>> 今も変わりはない。
それでは、なぜ、若者は 観念的で抽象的 な理論を好むのだろうか?
なににつけ若い時は性急に答えを求めようとする。
そして、その答えに沿って考え生きていこうという焦りのようなものが
あるのではないだろうか?
つまりは価値観の立脚点を求め理論や思想、そして宗教に辿り着く。
悦子さんには自分が まだ二十歳にすぎない という考えや余裕はなく、
もう人生の終わりかのようにただひたすら焦っている。
当時の大学生は全般的に焦りや焦燥感が全身から湧き出ている、そんな
感じがする。
そして、時間や期限を区切って若者の危機感を煽るやり方はカルトの手法
でもある。その煽りに乗せられたのが当時の活動家学生だったのではない
だろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています