>>267
お父さんによる後書き「失格者の弁」より
「翌日、赤旗なびき騒然たる京大医学部に安置された遺体を引き取り・・」
とある。
案内サイトには
「1969年6月25日(水)朝、・・父・高野三郎は・・直ちに京都へ向かい、京都府西陣警察署で本人の身元を最終確認した。
 6月26日(木)、三郎と、悦子の母・アイは、京都大学医学部霊安室で悦子の遺体を引き取り・・」
とある。

普通に考えて、当日は警察で身元確認、翌日は京都大学で司法解剖という流れでしょう。
監察医による検視だけであれば、警察署からわざわざ京都大学まで遺体を移す必要はない。