ボランティアで老人ホームとかでいろんな話をしてるんだけども。
児童文学や国語の教科書って、共通言語としての機能もある。
ボケつつあるお年寄りも、自身の子供の教材の覚えはあるらしく、誰でも知ってる物語って会話の糸口になる。
思想性のない話とか小学校の音楽とかは誰もがわかるから、だからこそ社会の繋ぎ目にもなる。

教育って高みを目指すだけではないし、事情があって高等教育で学べない子が、再度学ぶ時の手がかりなんだよね。
今の時代だからこその教科書も必要だけど、世代や育ちとか関係なく話す土台があるって素敵な話だし、そういう視座を大学の先生方に語って欲しくはある。

小学校でいた特殊学級の子や家が特殊な子はいつしか周りにいなくなるんだよね。エリート的な道を歩むと一段とね。
でも、彼ら彼女らも社会に生きてる。
単に我々が見ない生活に慣れただけ。
そんな人たちが何処かで繋がれる材料として、世代を超えて分かり合える為の道具としての教科書の役割はある。

変えた方がいい部分もあるよ、勿論ね。