新進の作詞作曲家である宮川悠三は新曲を完成させた。
「部屋とワイシャツと私と酒と泪と男と女と俺とお前と大五郎」
という長いタイトルの昭和歌謡風の曲だ。
宮川は何気ない気持ちでその曲をレコード会社に提出すると、担当の秋埼は一瞬だけ片眉を吊り上げ、「取りあえず預かります」と言って、初音ミクの歌っている録音データを持っていった。
宮川は一仕事終わった脱落感を背負って帰宅した。
宮川は、家でアイロンのかかっていないワイシャツを脱ぎ捨て、大五郎をちびちびと飲み干していた。するとそこに意外な訪問者が現れた――
「宮川悠三さんですね。我々はこういう者です」二人組の一人が公安の身分証明書を見せた。
「公安? 何の用ですか」酒に酔った宮川は赤ら顔で質問した。
「あなたが先程作った『部屋とワイシャツと私と……』以下略しますが、あの曲が日本言語保安委員会に引っかかったんですよ」
「なんですと?」宮川は飛び上がった。酔いも吹っ飛んだ。
「既にタイトルには並立助詞が9個使われているようですが、曲全ての並立助詞の『と』を合計すると960個使用されています。人間の脳は一定以上の同意語を耳にすると処理ができなくなり異常をきたします。それを歌謡曲にして広められるとマズいのですよ」
もう一人が付け加えた。
「洗脳に使われたり、聞いた者が犯罪や何らかの作業ミスを犯したりするリスクが増加するんです。でも宮川さん、確か、最新バージョンの初音ミクでは保安委員会に抵触する歌詞は創作不可になるはずですが」
「す、すいません」宮川は平謝りした。
宮川は出不精であると同時に大変ケチな音楽家で、もう五年以上初音ミクを更新していなかったのだ。
――こうして、芸能界から宮川悠三の名が消えた。しかし新しいクリエイターは次々と世に出て、誰も宮川の失踪を気にも止めない。