「プロットを書かなければならない」みたいな「やらなきゃならないリスト」を作って
創作活動がうまくいくとは思えない。
プロットをつくる方法のほうが自分には合ってる、それがやりやすいという人なら良い。
だがそうでない人なら、無理やりプロットをつくる必要はないと思う。
自分のやりやすい方法、自分にしっくりいく方法がベスト。創作活動なんだから。

しかし、映画や舞台や、雑誌の企画なんかは、チーム作業なので、ちょっと違う。
テレビの生放送たとえば「笑っていいとも」を思いだせばわかるが、撮影は計画どおりに
いかず「押してる」状況になる。そのときは、後半のコーナーはカットする。

映画やテレビドラマも、ある時点まで進んで、おもいのほか役者のギャラに金を使ったとか
撮影のやりなおし、NGの連続で、日数が伸びたとか生じる。それだけ予算は超過する。
この状況で、たとえば「主人公がポルシェに乗って移動する」というシーンがあったとする。
制作側は、ポルシェでは予算がかかる。もっと安くしてほしいと思う。
そこでプロットが出てくる。

このポルシェが、父親の形見で、どうしてもポルシェでなければストーリーが成立しない
つまりプロットにポルシェが書かれてるときは、ポルシェで行くしかない。
この場合、プロデューサーは、予算をもっと増やしてほしいと上に談判する。

このポルシェがプロットに書かれてないときは、カローラでもいいし、自転車でもいい。
だから監督は、ポルシェを自転車に変える方向で考える。これは監督の裁量、現場の判断で出来る。
プロットはそういう場合にそなえて必要だ。