結局、小説ってのは主観で評価されるものじゃね? [転載禁止]©2ch.net
ある小説が、「面白いかどうか」は、結局は、
読む人の「主観」がすべてですよ。
ということは、ある人が面白いと思っても、
別の人はつまらないと思うわけで、
新人賞の一次選考を通るか通らないかは、
「自分の趣向を面白いと思う選考委員に出会えるかどうか」で
決まるわけで、運の要素が、すごく強い。
ただし、主観も、1000人なり10000人なりが、
「面白いとなれば、「客観」になりうるわけで、無視は
決してできないだろうけれども・・・
最初のとっかかりとしては、「運(主観)」に左右されることは
言うまでもない。 だから今の新人賞デビューという出版制度が時代に合わないんだろ。
こんなバカみたいな制度を堅持しているのは日本だけ。
誰でも出版できる。売れるか売れないかで審判を受ける。これが文化としてもビジネスとしても当然の姿。
そして電子出版がそれを可能にする。だからこそ電子書籍の普及を促すべきだ。一人でも多くの政治家に働きかけろ。 そうだよ
主観で評価されるもの
客観的な良し悪しの評価ができる絶対的な根拠なんてだせない
にもかかわらず、なぜか良い悪いを話し合い、時に多くの人がこれは良い、これは悪いと納得し合える瞬間がある
それはなぜだろう?
そうした合意形成に至る理由を考えることもまた小説や詩にとって大切なことだと考える
売れているから、読者がバカだから、と決めつけるのは簡単だけどつまらない 創作ってのは、
模倣、翻案、換骨奪胎、オマージュ、パロディ、二次創作、引用、借用、盗作、剽窃、パクリ
のことを言う
「怪盗は鮮やかな手口で獲物を華麗に盗み出す芸術家だが、探偵はその跡を見て難癖を付ける批評家に過ぎないんだぜ」 「怪盗は鮮やかに獲物を盗み出す創造的な芸術家だが、 探偵はその後を見て難癖をつけるただの批評家に過ぎねえんだぜ?」 お前はやたら盗みたがるな。
泥棒癖は子供の頃治しておくべきだった。
窃盗がやめられないのは精神の病気だからな。
真面目に医者に相談しろ。お前が心配だ。 >>8
>>9
盗むことが前提のメンヘラ。
中村文則の小説みたいだな。 蓮實重彦 菊地成孔 北野武 松本人志 宮台真司 東浩紀 宇野常寛 古市憲寿 岡田斗司夫 浅田彰 堀江貴文 坂本龍一 柄谷行人 荻上チキ 佐藤優 津田大介 小飼弾 高橋弘二 千乃裕子 大川隆法 麻原彰晃 池田大作 押尾学 村上春樹 村上隆 非アリストテレス的に考えれば「存在意義ゲーム」にはならない そもそもスレタイが主客二元論的なのが気に食わん
パラメーターの組み合わせは無限
諸行無常
無我の境地 因果関係、存在意義、必然性
これらの考えから脱却せよ ありきたりなキャラ、ありきたりなシチュエーション
を1000本書く >>1
そうだよ
だから枕や金で簡単にデビュー出来る
真面目にやっている奴が馬鹿を見る世界 新人賞に送られてくる小説は
コネ作家のために使われる
つまり、俺らは永遠にタダ働きって訳だ >>35
それを「万年盗作作家」が適当に選んで金に変える 人気商売ってのは全部そうだろ。
小説だって、漫画だって、
アイドルだって、芸人だって、
「人気」ってのは、イコール「主観」だ。
デビューして大舞台に立つに至るまでには、
極少数の「主観」者から合格を貰わねばならんというのは、
どんな分野だって同じ。 客観的に小説が読めるとか言ってるのは予備校講師くらい
今日はセンター試験だな 人間には、やはり「主観」しか無いのだ
客観的視点で物事を見るのは難しい
だから執筆や推敲が捗らない、上手くいかない 主観をどのように定義するかによるけど決して《面白いかどうか》だけで小説は評価や批評されていないよ
例えば夏目漱石にしてもあれが個人の好みではないとしても後世の小説に多大な影響を与えたのは事実なわけで
文芸に関わらず芸術全般に言えることだけどそういう《面白いかどうか》以外の評価基準も多分にあるのだよ
歴史小説なんてわかりやすいけどあれはまず《正しいかどうか》も厳密に議論されて評価基準に含まれるから
あと芸術の場合は技術や形式の新規性も個人の好き嫌いと無関係に評価基準にされることがよくよくある
例えばダヴィンチのモナリザをいくら嫌いなんだとわめいても芸術作品の評価を陥れることはほぼ不可能
だから芸術作品というのは投資の対象としてもよく選ばれているの、時代に流されて価値が上下ないから
意外かもしれないけどそういうもんで主観なんて度外視して評価基準が数百年かけて制度化してるわけよ
むしろ評論家でモナリザを個人的に好きなひとなんているのかな?とすら思うし因みに俺は嫌いだからね
でも芸術作品においては《嫌いだから価値がない》とは言えないわけで主観がむしろ無視されすぎている
想像以上に理詰めの世界でまるで裁判みたいな議論を通して良くも悪くも作品の価値を決めているわけ
文芸の分野は比較的商業に近くて民主的といえるけどそれでも日本でいえば純文学がこの典型だよ >大阪府三島郡島本町のイジメはいじめられた本人が悪い
>みんなそう思ってる
>うんこ食っとけ!
>はよ死ねクズ
↑
いじめの加害者を擁護し被害者を非難するスレを公然と立てる
島本町という町は日本最低の町だな >>46 島本町という町には部落地域だったから潜り込んだ在庫パスが多い クズみたいな作家も、文学賞を受賞して入って来る。
それを入れたのは、クズみたいなセンスがある人間なのか。
それじゃ、この業界が良くなることがないな。 >>1
ちょい違う。出版社にとって部数売れるかどうかだ。
のびしろも見つつ、この先、この作家で儲けが出るとふんだら受賞する。 おーぷん2ちゃんねるのオカルト板に行って
意味不明って検索してから260番のレス見てみ。
きっと必要なことが書いてある。 主観である、というのは半分正解。
でもね、たくさんの作品に触れて目が肥えてる人にはわかるんだよ。
好み云々置いといて、良し悪しが。
一次すら通ったことがない人は、いろいろ本を読んでみたらわかってくると思うんだけど。 主観=個人的感情・好き嫌いで評価してくれないと困るだろ。
それはイコール、作品の中身で勝負ってことだからな。
それなら落とされても納得できる。
下読みだって、出版後の客だって、読者は読者だ。
「読者にウケるか否か」で判定するのは正しい。
というか、それ以外の判定基準があってはならない。
「歳が若いから、将来有望だから通そう」とか、
「東京に住んでて、直接会いやすいから通そう」とか、
そういう「出版社の都合」で決められたりしたら、
たまったもんじゃないわ。