☆日本インターネット作家連盟2☆ [無断転載禁止]©2ch.net
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日本インターネット作家連盟 (Japan Internet Writers League) の本部スレです。
【理念】
1. [自覚] 各々が、ネット作家としての自覚を持って活動する事。
2. [奉仕] ネット上の読者の為に、より良きコンテンツの制作に励む事。
3. [向上] 創作技術の発展・向上の為に尽力する事。
4. [育成] 有能なネット作家の育成・発掘の為に助力する事。
5. [協力] 連盟の発展の為に一致団結し、協力し合う事。
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☆日本インターネット作家連盟1☆
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/bun/1495260326/ し、の講釈はネットに書かれた内容を盗用して
ちょっと弄って、さも自分が書いたかのように見せてるだけだな。
酷いやつだ。 たとえば村上春樹『羊をめぐる冒険』の「羊」とか登場人物の「ねずみ」とか大江健三郎の『万延元年のフットボール』の「蜜」「鷹」「虎」「四国の森」等々。
それらは何かと結びつく。社会のなかの何かと。それが何を象徴しているのか、ということ。
今ちょっと古くなったがオリラジの「パーフェクトヒューマン」をユーチューブで見ていたのだが、あれこそ社会のなかの諸々の物事を象徴していておもしろい。
中田あっちゃんが「パーフェクトヒューマン」だという意味。藤森が崇めるあっちゃんという存在が「パーフェクトヒューマン」
構造主義的には王のように押し上げられた存在として藤森は社会構造の支配者という言い方をしている。まあ言ってみれば『貨幣』のような高価な値打ちのある象徴存在として、ロボットみたいな硬質なダンスを踊っている。
支配者という存在は天才でなければならず、藤森にとっては色々なものが備わった中田あつとしの存在を王に押し上げようとする意図まで意味している。
中田といえばサッカーの中田英寿。彼なんかも「パーフェクトヒューマン」に相応しい。そうやって考えていくといろいろなものが結びつきすぎて宇宙的な縁起まで拡大していく。
「事事無礙法界(じじむげほっかい)」 xネットで見つけた文をコピペして、パッチワークのようにつないだだけなので
「し」の文章は、筋が通ってなくて、話があっちこっち飛びすぎ。 小中学生のころいじめられてて学校行けてないらしく
そのせいで基本的な日本語能力特に文法が苦手らしい 周りに嫌われて友だちがいなかっただけじゃない?
掲示板で見ただけでも、上から目線で人間関係を上手く作れるタイプに見えない 友だちづきあいは小中高大、普通だと思うが。
学的には小3まで通信簿体育が4もしくは時々5(数回)で、あと1か2だった。本当に勉強のできない子だった。
だから基礎が抜け落ちてる感じ。公立中学でようやく中の中か中の下まで回復した感じ。 小学校の時の運動ができたといってもかなり中途半端。身体能力のズバけたのの次の次くらいのレベル。
マラソン大会は120人中19位とか。クラス選抜リレーでは6人の選抜のうち5番手とかだった。
ちなみに美術は1以上取ったことなく絵心は今もひどい。音楽も2とかだったかな。何より小学生中学生の国語は2か3だったのでその頃の基礎的なものが抜け落ちてるかもしれん。
結構この頃の国語の基礎学力は後々の筆力に影響があるかもしれんな。 関係築いたり会話したりするのは人と人とのキャッチボールなのに
しの場合は見てると、「俺、博識だろ?」と言わんばかりに自慢げに
一方的に相手が望んでもないような哲学や宗教の話を延々し始める。
相手の気持ちを汲んでのキャッチボールが出来ていないのに
「なんで俺を嫌うんだ、こいつら。俺何も悪くないのに」と立腹する。
自身の言動がもとで敵を作ってるということに気づかきゃ。 しは女性蔑視をはじめ偏見な考えが文章にストレートに出過ぎて共感しない人から拒絶されがち たかだか2ちゃんでなんか書き殴ったくらいで、コミュニケーションができないとか、相手の立場とか…… その、たかだか2ちゃんで
敵を作って言い負かしてしてやろうと
必死になって言い争いしてるのもどうなんだろうね 女性蔑視というか、むしろ男の方から女というものに歩み寄っていっている優しさなのだが(。-_-。) >>320
でも言語とは差異なんだよな、シンボリックではないのだ。
シンボリックでピタリと表現し切れないから難しい、社会も。 >>323
まあ、それはこじつけだよな。
自分の作品に社会的な意味があるかのように見せ掛けているだけだ。
でも、もうその段階は終わっている。
文学とはメタファーであるという時代は。
そして、カフカはメタファーではない、城も毒虫も実体である。
村上とは似て非なるもの。 なんだこれ
「し」の言い訳がましい独白の場か
で、童貞なの?女を知ってるの? >>331
じゃあお前には「し」以上の何があるのだ?
ここで書いて話のきっかけになるような何が。
そうやって他人のあら捜しをするだけで、自分はネットの匿名の中に隠れている。
そんな者がどうして有名になれるのだ?
少なくとも「し」はここで有名、その個性も明確に打ち出している。
お前はここですら無名なのだ。
他人のあら捜しをする暇があったら、何か意味のある、価値のあるレスを一つでもしてみろ。 >>331
「嫌われる勇気」がなければ表現者にはなれないぞ。
周りと調子を合わせているだけでは。 >>334
必死になるから、議論の内容が高まる
自分の全力を出そうとするからね >>341
でも、目標は有名戦士だろ
その準備を今からしておけよ
ここで、その予行演習を 一生無名の足軽=ワナビ
で良かったら、そのままでいいが なんで名無しのくせに名無しを馬鹿にしているの?
あっ! それは先にお前が自分以上の「し」をバカにしようとしたからだ
だから、お前の方が下だよと教えてやっただけ
勘違いしてるみたいだからね 名無しを特定の人物だと思って叩くのはなぜかな?
君は誰と戦っているの? 「君は誰と戦っているの?」
創作にとって無意味なレスしかしない人間と、とだよ 「君は誰と戦っているの?」
自分の意見を言えない人間、個性のない人間
他人のあら捜しをすることを意見だと勘違いしている人間
そういった人たちとだよ 文学賞の下読みとか?
でもそれは戦いじゃないよな、媚びへつらいだからw 待て待て
ここにいるのはコテハン名乗る自意識過剰と
それも見守る文藝界の若手だけだと思ってる?
そんなわけないよね > 戦ってない
> ぼーっとしているよ
へー、なのに作家志望なの?
そんなんで勝ち残れる訳はないよねw 名無し同士で争うのはやめろ
し、かせめて大畑を叩け 中田あつとしの「パーフェクトヒューマン」は確かに参考になる
アレは確かに現在だよ
でも決っしてシンボリックな意味、存在としての「パーフェクトヒューマン」ではないよね
だからこそ意味があり面白いのだ 「し」は虎の威を借る狐なんだよ
そして「し」に乗っかって名無しのくせにガタガタ言ってるのは
狐の威を借るエキノコックス
有害 中田あつとしの「パーフェクトヒューマン」
アレが、これからの小説のための一つの答え、ヒントだ 結局こうやってコテつけたり名無しにしたり
コロコロ立場変えて自演してるだけのクズ
それがパーフェクト無能、しの姿だ 中田あつとしは決っして「パーフェクトヒューマン」ではない
「パーフェクトヒューマン」になろうとしているのでも
「パーフェクトヒューマン」を演じようとしているのですらない
ただ「パーフェクトヒューマン」という言葉だけが浮遊しているだけだ
それは中身のないただの入れ物である
だからこそ、面白い 言葉とそれの指し示している物が何の関連性もないから面白いのだ
この時、言葉は中身から自由になる
シニフィアンはシニフィエから開放されて自由になるのだ
これは、言葉の未来である さっさとサンドイッチの馬鹿小説の続き書けよ
もうあきらめたのか?捨てたのか?
あの薄っぺらい人物たちを殺したのか? こういった言葉の機能を認識し
それを使いこなせるのが21世紀の作家の条件である
中身から自由になった言葉の機能を 中田あつとしの「パーフェクトヒューマン」は、明らかに一つの答えである
我々が目指すべき一つの目標である
小説でもきっと同様のことが出来る筈だ
高橋源一郎が目指したのもそういうことだろうが
実作ではそれを実現することは出来なかった 高橋源一郎の名を出すなよ
大畑が乗っかってくるから 「パーフェクトヒューマン」は、ある種のシミュラークルだろうな シミュラークル以上かも知れない
ただ言葉しか存在しないから
シニフィエから解放された容器だけのシニフィアン
究極のシーニュだから
これが、我々が小説で実現しなければならないものである ハイパーリアルならぬ、ハイパーエグジステンス
実体なき虚体
言葉の世界だけに存在する存在
カフカの城、毒虫もそういった物かも知れないね
それはエグジステンスであって、決してメタファーなどではない ここから、文学は実数から虚数の世界に入るのかも知れないね
実体から虚体の世界へ どうかなあ、大して面白くねえなあ
何かズラし方がイマイチ ホワイトと赤でひねってるつもりか?
ただ変な動きで笑わそうとしてるだけだし
レベルが低い ホワイト赤マンは実体として存在してしまってるじゃん
「パーフェクトヒューマン」は中田敦彦とイコールではないよ
彼が「パーフェクトヒューマン」だとは誰も言っていない 下品であるからこそフェティッシュな感情が生まれる。 ホワイト赤マンはレベルの低い笑い
こんなのは目標にも参考にもならない まあそこそこの人気しかでんわなw
日本人が特に嫌う笑いの芸風。 芸もそこそこで人気が特に突出したのがオードリーだな。三四郎もそう。おもしろいってほどおもしろくない。 〇〇マンのバリエーションには過去にも一杯あったじゃん
変なスーツ来て「〇〇マンです」って言うだけで一定の笑いは取れる
その捻り方が21世紀としては甘すぎると言っているんだよ オードリーは、まあ春日のキャラだな
あれはオンリーワンだから良いと思うわ 古くはダウンタウンやロンブー、クリームシチュー、バナナマン、おぎやはぎなどMCにまで登りつめた連中は、まあおもしろい。
オードリーや三四郎はそんなでもないが、小宮と春日ってのは存在自体がおもしろいのかもしれないな。 お笑いは、もうあまり参考にはならない
テレビの完全にメインストリームになっちゃったからな
ボケから完全にツッコミ主流に転換したし
世の中のボケに対してボケの松本がツッコミを入れなければならなくなった お笑いが人工的なボケをやっても
世の中の天然のボケに負けて、もう笑えないんだよ だから、小説としてはさらに高度な人工的なボケ、ツッコミをやることは可能だな
お笑いは、実際の肉体の制限を受けてやり切れない訳だから 小説としてはボケだよな、ボケキャラ設定
それに対して読者がツッコミを入れながら読む
意識の上でね これからは、カクヨムとか投稿サイトが主流になる
早くその時代に適応した方がいい
文学賞は過去の遺物となるだろう 小説は中身って言うよりスタイルだよな
それがどれだけオリジナリティを持っているか
例えば宮沢賢治なんて凄いよね
一目で誰かわかるもん スタイルのオリジナリティに到達できるかどうかが
本物とそうでない物の境目だと思う
音楽、絵画、全部そうでしょ
小説だって同じだよ さあ、明日は、はてなとFC2にブログアカウント作ろ >>414
添削大先生、世界の北島、お待ち申し上げております また、サーバー換えかよ、なんでこんなコロコロ変わるんだ? >>418
面白いけど、人を選ぶジョークだなぁw
俺はわかった >知人の編集者も公募2000あれば1950位が文章の体を成してないって嘆いてたわ
文学賞総合に貼ってあったわ
つまり、95%は文章として読めるレベルにすらないってことだな
かろうじて作品として読めるのが5% ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています