よろしくお願いします (1)

 特に酒が飲みたいという気分では無かったが、なんとなく近所にあるバーに行ってみた。僕は一人でバーや居酒屋などには行ったことが無いため少し緊張しながらドアを開ける。外は秋も終わりに近づき冷たい風が吹いていたが、バーの中はエアコンが効いており暖かい。
客も僕以外誰もいない。少しほっとした。入り口から近いカウンターに腰掛け、僕の親ぐらいの年齢のバーテンにビールを注文した。店内は静かにオアシスのワンダーウォールが流れている。注文してから運ばれてくるまで、僕はじっと壁に備え付けてある時計を見ていた。
注文したのは夜の八時十五分で、カウンターに置かれたのは八時十七分だった。
僕は煙草に火をつけ、一服した後またビールを一口飲むと、奥のほうから女性が歩いてくるのが見えた。僕以外にも客がいたのだ。女性は右手は真っ黒なボブカットの髪の毛を触りながら、左手はカクテルらしきものが入ったグラスを持っていた。スーツを着ている。
あまり注目しすぎないことを心がけながら女性を見ていた。
「あれ、佐藤君じゃない?」
 スーツ姿の女性が僕に話しかけてきた。店内が薄暗いので、顔を見ても誰だかわからない。女性は少し酔っているのだろうか、「久しぶりだね」と言いながらふらふらと歩いてきた。僕の隣に座り、バーテンに「この子と同じのちょうだい」と注文した。
「あれ、覚えてないの、長野だよ」
 その名前を聞いてようやく思い出した。高校三年の時の書道の教科担任だ。当時はロングヘアで化粧も薄かったので気づかなかった。それに黒縁の眼鏡を掛けている。

 僕は高校二年の時、アルバイト先で出会った一つ年上の女性と付き合っていた。関係はただ一つを除いて上手くいっていたが、三年になり先生が現れ、関係は破綻した。
僕が先生に惚れてしまったのだ。その件については言わず、単純に「他に好きな人ができたから」と言って当時の彼女とは別れた。
 書道の教室は本館からは離れたところに位置し、僕は放課後、掃除をするという面目で毎日書道の教室に通っていた。一般的には高校の授業で書道があるのはおかしいかもしれないが、事実あったのだから仕方が無い。