>>306

>ゴール線に入ると、地面に倒れこむ生徒たちを先生たちが腕を掴んで、起き上がらせて、生徒にそれぞれ順位を記した紙を渡す。

視点の変更が紛らわしい。
この「ゴール線に入ると」は、一つ前の文で描写される「藤波」の動作が続いている様に読めるが、実際は「生徒たち」の説明。

>ようやく藤波は起き上がり体育座りしているところにポンと肩をひとつ叩くものがいた。

文が成立していない。

>最後の力を振り絞って、前を走る生徒を最後の最後で追い抜いていく藤波の負けん気の強さは人一倍だ。

「最後」の重複がくどい。
あと、この内容は既に文中の「最後の最後でマラソンの順位を上げるのは、藤波の真骨頂だ」によって事前に説明されており、冗長だとも感じる。

>支度が整わぬままに母親に「あんたのクラスメイトの星崎君が迎えにきたわよ」と言われ狼狽した藤波が玄関をチラと見ると、そこに立っていた星崎が満面の笑みを浮かべて「おはよう!」とまっすぐに身体を射抜くような声で、元気いっぱいに挨拶した。

ここは分割した方が良い。
「藤波」「星崎」に対して、これでもかと修飾語がかかっている上に、二人の行動をあらわす文が一つに結合していてヘタクソな書き方に見える。

>この時の顔が今でも藤波の印象に残っている。

どんな表情なのか読む方には分からん。

通して読んで、文章として騒ぐ程おかしいという気はしなかった。
しかし、予定調和でひたすら面白くない。冒頭だとすると、引きは大事だぞ。
こういう場合は不穏な話になりそうな予兆をどこかに挿し込んで関心を引くのが楽な手だと思うが、
まあそんな展開じゃないと言うなら、例えば「なぜ藤波は五位以内に入りたかったのか」という動機から描く。
それで「藤波」を掘り下げながら、マラソンのシーンを盛り上げるのはどうかと思う。