>>715
遅くなった。講評。

死別を中心に書かれている。
作者は執筆直前で猫に死なれたとのことだから追想記なのかもしれない。
全体を通し筆致に疵は少ないが、蛇足と感じる文は多い。

>結局、貰い手を探し得ないまま今日にいたり、そして最期を迎えたのだ。
>痛い思い、苦しい思い、そんな時間がなかったであろうことだけが、少し私を慰めた。

他多数。目立つのは言わずもがなの文言および肝心な場面での感情表現である。
物語作者の仕事が読者に感動を与える事だとすれば、その情動の振動は語句と語句との空隙に存在する。
読者が想像と共感を巡らせるための余白を残す、そのために字面を作り、リズムを作る事に手を尽くすのが書き手の技術だ。

話の組み立ては明確に失敗と言えよう。課題ワードであった「こそROM」は題材に結び付いているとは言い難い。
読者であれば誰もが直感する事だろう、下の句の登場は急劇に過ぎる働きを持っている。

>どうか、こそこそROMっていてくれ。

何故ここで「こそROM」が出てきたのか読者には不明のままで結末がぶつ切りになっている。
小説は一に計算、二に計算の言語芸術である。
ある種平坦とも言えるこのストーリーを後半まで追ってきた読者の溜飲を下げるためには構成の腕力が求められる。
もし作者が課題語句「こそROM」をこの文脈に即して使用したいならば、前段で「突如の発言が不自然にならぬよう主人公が掲示板に書き込みをする」など振りを作っておく必要があった。
さらに「名無しのこそROMねこ」というラストに繋げるのであれば、前振りで猫を絡ませなければならないだろう。
通常、短篇であるほど計算の必要性は明らかであり、その表出は、叙述トリックに見られる様な文脈が複数の意味を帯びて読者を裏切る重層性や、「山月記」の様な余韻を残す滋味として落とし込まれる。
ひとえに読者の感動のためである。
今回、課題提示の中で落ちを作るべしという制限を課したが、これは言うまでも無く作者の構成能力を測るためのものだ。

さて意外な筆力に感心もしたが、余りにフィクションとして低空飛行だという感もある。
架空であるがゆえに計算は働く。ここに留意して再度課題「こそROM」にあたってみてはどうか。期限、一週間。