どんな質問でも誰かがマジレスするスレ61
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・応募関係のことが分からない
・執筆関係のことが分からない
・物体は分かるが正式な名前が分からない
・あれってどうやって使うのか分からない
等々、
創作文芸に関係なさそうなどんな質問でもいいので、聞けば誰かがマジレスしてくれるはずのスレです。
どんな質問でも誰かがマジレスするスレ60
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bun/1509455159/ >>635
逆です。
アニメーターというのは、実写映画で言えば俳優に相当するはずです
俳優としてどうあるべきかをステラ・アドラー的に熟考していれば、
監督になった時に深みに欠けたりはしないはずです >>636
逆です。
アニメーションは表現手法の一つであって、
娯楽になることもあれば、芸術になることもあります
一方的に決めつけることはできません
分かりますね? >>637-638
エンタメは芸術性を考慮すると完成できなくなります。
締め切りがあるので、そういった気持ちを満たそうとすると必ず失望します。だから最初から考えないのです。もちろん多少は考慮します。
あなたが自作を完成できないのもそのへんに原因があるのではないでしょうか。顧みてみるといいでしょう。 とこかで小説の大会?があると思うのですがどこか分かりますか?
ちらっと見ただけで思い出せず。
・大賞は100万円!さらに書籍化!
・2位は10万円(くらい低かった気がする)
・確か3末締切
・ジャンルも思い出せず。
改めて探したものの見つからず。
なにかヒントだけでもあればお願いします。 >>639
エンタメと芸術を切り離す意味が分かりません
エンタメの中にも芸術性はありますし、
芸術の中にも娯楽性はあります メアリと魔女の花の件ですが
動物を助けるのに使った無効化魔法をラストでも使うというのは分かりやすい失敗ですよね?
決定的な解決が、ついさっき使った方法と同じものによってなされるというのは >>632と絡めていうと
伏線と回収の間隔が小さすぎる、ということですね
そのために意外性がなく、回収のために伏線を拙速に準備した印象になってしまう
これはありがちな失敗ですよね?
自分も思い当たります >>642もおそらく作り手としては伏線のつもりだったのでしょうね?
でも距離が近く、使われ方も大差ないので、
同じ方法を二回使ってるようにしか見えなかった 氷河期についてですが
氷河期には海水の水位が下がって今よりも陸地が広く、
日本も大陸の一部となっていましたよね?
そして海に注ぎこんでいる分の水も陸地の上で凍ってたんですよね
つまり氷河です
それってどういう風景でしょうか?
氷河になる前の水は雨や雪となって空から降ってきますね
それが川となり海に注ぐ前に、凍っていると。
その氷はやはり川状になっているのでしょうか?
なんとなく氷河というと氷がブロック状になって地表面より上に出ているイメージがありますが
水が下に流れることを考えると、おそらく川状になっていたのでしょうか? 海水面が下がるほどなんですから
あきらかに地表面より上に氷が載ってる状態ですよね?
川だけが凍っているというよりも、
降り積もった雪がそのまま凍っている状態でしょうか
川はむしろ、流れているから凍っていない? 氷河期といっても地球全体が凍っているわけではありません。
地球の傾きが垂直方向になると夏でも日照時間が短くなって氷が溶けない地域が広がり、
イメージするなら、現代の極寒の地である北極と南極の面積が広がっている、という感じでしょうか。
陸地の上が凍っているので、どういう状況か知りたければ、南極付近に行ってみればいいのです。
ちなみに北極には陸地はありません。 >>645
詳しくはないがそんなに深く考える必要はないと思う。
人間が綺麗に平らにして、ツルツルにしても野ざらしで放っておいたら溝ができたり、割れたりする。
それに天然の地盤は柔らかい所と堅い所、脆い所とそうでない所がある。
デコボコがあればその溝は深くなるだろうし、川のようになるのは不思議ではない。 >>647
ありがとうございます
人類や動植物が生き延びたことを考えると
現在の極地方のような状態は標準ではなかったのでは?
ああいうほとんど動植物のいない氷の大地が今よりも広かったのは確かでしょうけど 氷河期のビジュアルブックみたいな本をぽちってみました
ありがとうございました アンナ・カレーニナって何歳ですか?
たしか八歳くらいの男の子がいたので、その子を18〜20歳くらいで生んだとすると、
26〜28歳くらいじゃないかと思いますが、どうなのでしょうか? 一次落ちが続いてる場合、ブラックリストとか何かありますか? ないでしょう
主催者としては、投稿者にだんだんと成長していって欲しいと考えるのが当然なので
名前ではじいたりすることは考えにくいです それは良かったです。
知り合いに作家がいて、実は喧嘩してて、お互いすごく怒っています。
編集にテを回してはじくように大げさに立ち回っていないか急に心配になったのです。
両成敗なところなのですが。 >>632の件ですが
原作を読んだところ、助けた動物が助けに来る、というのは原作にあるものでした
映画にある欠点の多くは、原作に由来していると感じました
たとえば魔法大学の学生がただの背景になっている、というような批判を見ましたが
原作では映画以上にそうでした
ただ原作はもともとスペクタクルというよりも、
突然魔法が使えるようになった女の子が一夜の冒険を体験する、
というくらいのサイズ感なので、それらが欠点といえるかどうかは微妙ですが。
ちなみに原作にあるのは魔法による動物の改造だけで、
人間の魔法使いへの改造というモチーフは映画で盛り込まれたものでした
サイズの小さな物語を映画にするに当たって問題を大きくしたのでしょう 魔女の宅急便って、舞台設定とキャラクターが同じなだけで
ストーリー自体はほとんど完全にオリジナルですよね?
多分、あれくらいやらないといけなかったのでしょうね >>650の件ですが
「ビジュアル版 氷河時代」という本が届きました
これによると氷河期はずっと冬だったわけではなく、
一年に三ヶ月ほどは夏で、その時期は気温が10度ほどになっていたそうです
氷河期というと一様なイメージで、
周年変化のことを想像したことがありませんでしたが 「ゼロ年代」っていう言葉は、
なんとなくかっこつけた感じがして好きではなかったのですが
2000年代だと2000〜2009年なのか、2000〜2099年なのかがはっきりしないので、
別にかっこつけてるわけでもない、普通の言葉ですね
1900〜1909年も、当時は「ゼロ年代」か、
それに類する呼び方をしていたと思いますが、
「ゼロ年代」でなければ何と呼んでいたのでしょうか? 90年代を1990年代、00年代を2000年代、10年代を2010年代と認識することが大切ですよね?
100年単位の歴史のスケールの上に置きなおさないと、
「あれから何年かー」みたいに出来事をあくまで個人的な時間間隔でしか捉えられないので NHKラジオの「実践ビジネス英語」を聴いていたら、
スマホ依存にはグレースケール化が有効だと言っていました
個人的に、電子ペーパーディスプレイを使っている時は気が散りにくいと思っていたのですが
一般性のある傾向のようです
色というのは思っているより人間の知覚を強く刺激しているのかもしれませんね? 想像力を使って世界を探究する、ということをしていると
自然とエクストリームな事象へと興味が向きます
具体的には犯罪者などです
ですが、犯罪者を内面から理解しようと思うと、
新聞記事じゃ全然足りないですよね?
新聞記事というのは犯人を理解するようには全く書かれていない
むしろ人ごととして書かれている
wikipedia などで事件のアウトラインを読んでみても、
やはり新聞記事と大差ありません
犯罪者の内面を自らの体験のように理解するためのいい資料はないでしょうか?
そういう仕事は芸術家しかしてないんじゃないか?
と思ってきました >>664
読んだことないけど、永山則夫の「無知の涙」とかどうだろう? >>665
ありがとうございます
永山則夫という名前は聞いたことがある程度ですが
文学者でもあったという点が興味深いですね
それだけ内面を語り得ていると期待できますので
kindle版をぽちりました 「無知の涙」を読んでいますが
作者が二十歳の時の日記なので、思想的な深さなどはありませんが
「書くこと」を信じているということは分かります
書くことが書く人間に作用すると信じている人の文章です
そういう意味で強いシンパシーを感じますね
自分もそうなので 今という時代を理解するために
戦前、戦中のことも勉強しなくちゃなーと思っていたのですが、進捗は芳しいとは言えないものでした
ですが、ある人物に着目して、
その人物を理解しようと思うと、その人物が生きてきた時代への理解も求められるので、
自然と歴史的な知識も付いていきますね?
しかも人間を通してみると、歴史的な知識がモノクロームの知識ではなく、
ライブ感のある知識になるので、一層好ましいです A・よくこんな問題が解けるね
B・こんな問題がよく解けるね
A・よくここまで来たね
B・ここまでよく来たね
「よく〜」を使った文章で質問なんですが、この例文の前者と後者の意味の違いって、どうなんでしょうか?
Aは題材(問題・場所)そのものの大変さ、Bは解決方法(解答・到達)の難しさを表しているって解釈でいいんでしょうか? 副詞が何を修飾するかという問題ですよね
Aは被修飾語候補が多いので、解釈に幅があるのでは
その幅の中にはBと同じ解釈も含まれている感じがします
AとBを完全に排他的な関係とかんがえるのは難しいのでは >>670
どうもです。例文の二組ですと、解釈にそれほどの違いはないってことでしょうか。
どうにも最近、副詞の使い方が気になってしまって…… 何故家だと外に比べて集中できないんだろう?と思ったのですが
選択肢が多すぎるからだと気づきました
ポモドーロ法は集中力を増すというよりも
時間を日常から切り離して他の選択肢を捨てるためにやるべきなのでしょうね?
実際、そう意識したら時間が濃密になりました
あと、作業中にラジオなどを聴くのが習慣だったのですが、
「ながら聴き」をすると日常の時間に引き戻されてしまいがちなので、
それもやめました
時間を特別にする、自分の意思で特別な時間を作ることができる、
ということが作家にとって(作家以外にとっても)大切な技術なのではないでしょうか? 全米図書賞に多和田葉子さんの「献灯使」 翻訳文学部門
https://digital.asahi.com/articles/ASLCH4Q06LCHUCVL00G.html
聞いたことのある名前だと思ったら、エクソフォニーの方だったのですね
>全米図書賞は1950年創設。フォークナーやフィリップ・ロスら米文学を代表する作家を選んできた。
ということなので、こそこそ真のホルホル案件ですよね?
まぁ、安倍一味は触れもしないでしょうけどもw イスラエル国防相が辞任 ガザ停戦に反発
http://www.afpbb.com/articles/-/3197667
>イスラエルのアビグドル・リーベルマン(Avigdor Lieberman)国防相は14日、
>同国がパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)などと交わした停戦合意に反発し、辞任を表明
>リーベルマン氏は自身が率いる極右政党「わが家イスラエル(Yisrael Beitenu)」を連立政権から離脱させる考えも示した
イスラエルの政治状況についての知識は皆無に等しいのですが
今までは極右政党の党首が国防相をしていたのでしょうか?
それって相当やばい状況だったのでは? 「なめことわたし」に応募しました。
11月16日ごろ発表と書いてあったのですが、去年は予告日に発表されましたか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
お願い致します。 語り手が語りながら身を置いている時間軸のことを何と言いますか? 想像力によって他人を理解するように、
理想の自分のことも理解できるのではないかと思いました
未来の自分は現在の自分とは条件が違うので、
現在の自分の条件を前提にして考えると必ず的外れになる、という問題がありましたが、
他人を理解しようとするように想像力を使えば、
現在とは異なる条件を持った未来の自分のことも理解できるのではないでしょうか? >>678の件ですが
未来の理想を考える時に、
よく現在や過去に実在する誰かをモデルにしたりしますよね
でも、そこに想像力があるのかと言えば、ない。
ある種非常に安易に、「理想」のイメージを借りてきている。
これは作家にあるまじき態度と言わざるを得ませんね? virtualboxにwindows10をインストールしてみたのですが
使ってないwindows7のプロダクトIDを入力したら、
普通に通りました
7に限らず、windows10へのアップデート対象だったvistaやxpのプロダクトIDも
普通にwindows10のプロダクトIDとして使えたのでしょうか?
だとしたら、最近パッケージを処分してしまったので、もったいなかったですね 〔アイデアの種を探すには〕
好き嫌いをはっきり自覚する/不満を解消できないか/常識を疑ってみる
/物事の基本に目を向ける/始まりの歴史を調べる
/予期せぬ失敗の中から見つける/遊び心といたずら心を発揮
/専門家と素人、両方の目を持つ。
とストーリーの書き方botが言っていました
納得できますね?
特に「専門家と素人、両方の目を持つ」が大切だと思います
まじめになりすぎると「そもそも何で作らなければいけなかったんだっけ?」となるので
芸術は遊びでもある、という一方の極を忘れないことが肝要ですね >>680の件ですが
windows10への無償アップグレードが可能なのは7以降でした
何故かxpから出来ると思い込んでいました 長編小説は、ワンテーマでは書けません。
いくつかのテーマが複合的に絡み合っていかないと成り立たない。
一つか二つしか構成要素がないと、
話はどこかで必ず分厚い壁に突き当たってしまいます。
(村上春樹)
とストーリーの書き方botが言っていました
これは経験ある作家でないと分からないことで
そうなのか・・って思いますね? >>681の件ですが
他の作品の中にある、特別な瞬間やニュアンスや構図を再現したい、
という動機が生産的でないのは(一度もそれが作品として結実したことがないのは)
そこには真実があるかもしれないが、遊びとしては不十分だからでしょうね? 真実を再現したら真実になるのは当たり前ですよね
でも、それだと作品にならなかった
何故かがやっと分かりました 「少国民世代」というのは、1941〜1945年に小学生だった世代、
つまり1941年に12歳だった1929年生まれから
1945年に6歳だった1939年生まれ、
という認識でいいでしょうか?(早生まれはないものとする) PCはやはり意識を拡散する性質がありますね
何か調べたくなって、ノートPCを開いたら、
いつのまにか5chとかツイッターを見ていて、
そもそも何をしようとしていたのかすら忘れてるみたいことが少なくありません
そうなるといかにノートPCを開かないかが重要になりますね?
PCでやることを単機能、低機能な複数のガジェットに振り分けた方がいいのでは?
と以前にも書きましたが、
やはりそっちだと思います マルチタスキング、マルチウインドウから、マルチガジェットへ、
とでも言いましょうか >>689の件ですが
マルチガジェット環境では
ソニーのデジタルペーパーが大きな役割を果たしてくれていますが
デジタルペーパーで付箋紙を扱えるようになったら神の上になりますよね?
平面的に考えたいなぁっていう時があって、
そういう場合には付箋紙はうってつけです
しかもデジタルペーパーなら付箋紙の台紙にもものを書けるので、
従来の付箋紙ソフトより便利になりそうです 最近の若い人はスマホがあるのでPC持ってない、嘆かわしい
みたいな論調がありますが
案外その方が捗るんじゃないでしょうか?
作業単体ではPCの方が効率が高いのは確かでしょうが
それで何でもできてしまう弊害はその効率以上に大きいのではないでしょうか?
PCはそういう問題が出てくる前に生まれたので
何でもできる方がえらい、という思想が根底にあります
そういう思想がそろそろ終わりつつあるのでしょうね?
PCが終わるというよりも新しい思想に基づいたPCが生まれそうな気配ですね
iPad Proの延長線上に >>687->>691
うざいからコテつけて
NGにするから
無意味でどうでもいい長文かくなよアホンダラ 以前は「つくる」を「創る」と書くのは
なんかかっこつけてる感じがして恥ずかしく、
必ず「作る」と書いていましたが
最近は「作る」だとしっくり来なくなり、
「創る」と書くようになりました
そういうことってありますね? 目標や懸案は、毎日少しでも進むのが大切ですね?
少しというのは、たとえば1メートルでも、10cmでも。
何とかしたいと思いながら進捗0mm、っていう目標や懸案が
どれほど多いことか。
目標や懸案から1メートルや10cmを切り出すことに慣れないといけないのでしょうね? >>694の件ですが
全然やってないことって
1ポモドーロ(25分)すら重く感じるんですよね
時間で切り取るんじゃなくて、例えば本なら2ページだけとか
そういう切り取り方が大切なのでしょうね? どんなに難解な本だったとしても、最終的には一日25ページは行かなきゃ。
大事なのは量だから。ただし速読ではいけない。 1ページでいいと思いますよ
むしろ一行でもいいでしょう
それでも0とは全然違うのです いや有意な量というのがある。
そこに達していなければ意味はない。 逆です。
ずーっと一日1行読むというのではありません
慣性が生まれるようにするにはどうするかという問題です
進捗には偏りがあるので、進捗する時には一気に進捗しますが
そのようなタイミングを待つためには、少しずつでも進んでいなければならないのです
1mmでもいい。進んでいるということが重要なのです
分かりますね? 確かに、あまりノルマに縛られない方がいいな。
それで結果的に有意な量を読めてるならいいんじゃないか。
最低でも20ページ、などとした方がより堅い気はするが。 それにやっていくと、結局毎日コツコツが一番だと判るだろうよ。 ただノルマは、自分の60%、40%でもいいぐらいだな。
結局100%やって損した気分になるもんだよ。 >>688の件ですが
何故Windowsを使っていると意識が拡散し、
iOSではそういうことはないのか?と思い
Windowsをタブレットとして使ってみたらいいんじゃね?と考えてタブレットモードにしてみたところ、
タスクバーが一気にシンプルになり、意識を拡散させる性質がはっきりと減りました
一番大きいのは起動中のアプリがタスクバーに表示されないことです
普段はタスクバーは非表示にしているのですが、
それでもタスクバーを表示した時に他のアプリが目に入り、それが気を散らしていたようです
PCではマウスとキーボード、タブレットではタッチを操作に使うところに秘密があるんじゃないかとも思ったのですが、
それはほとんど関係ないようです
以前はなんでWindowsはデスクトップOSとモバイルOSを融合したんだ?あほなのか?と思っていたのですが
むしろそれは賢明な判断だったようですね? iOSのchromeはタブバーやツールバーを必要なくなった段階でサッと消したり小さくしたりして、
集中力に寄与していますね
Windowsのchromeはタブバーとかツールバーとか出しっ放しで、情報が騒々しいです
こういうものがいかに集中力を削いでいるか。
早く新しいパラダイムが一般化して欲しいですね? >>703の件ですが
タブレットモードには「デスクトップ」というものがないのですね
言われてみれば、デスクトップというのは、デスクトップOS固有の比喩だと思います
じゃあモバイルOSにおける「とりあえずのファイル置き場」は、どこなのでしょう? いずれにしろ、重要なのは、PC/タブレットといったフォームファクタの違いではなく
パラダイムの違いですね?
タブレットが代表しているパラダイムをPCの上で実現できるなら、それが一番使いやすいものになるのは間違いないんですから。
ただWindows10をタブレットモードにしても、
アプリは旧来のパラダイムに則って作られたものなので、今ひとつ残念な感があります
iPadの延長線上に現れるであろう「新しいPC」は、そういうことを解決したものになるでしょうね? >>704の件ですが
タブバーを消せるブラウザはないものだろうかと探して、
名前を小耳に挟んだことのあるVivaldiをインストールしてみたら、まさにそういう機能がありました
作り手が新しいパラダイムを捕捉しているという点で頼もしく、
しかも、Chrome用の拡張機能をChromeウェブストアから普通にインストールできます
つまり、Chromeで出来ることはだいたいできて、Chromeでできないこともできる、というスゴいブラウザでした・・
これはもっとざわつかれてもいいのでは?
ニュース系の板でブラウザスレが立ってても、ほとんど名前出てこない気がします VivaldiがIE6に迫る - 10月デスクトップブラウザシェア
https://news.mynavi.jp/article/20181102-717456/
>シェアの上では0.13%および0.11%と小さい値だが、Vivaldiが20位にエントリし、19位のInternet Explorer 6に迫っている点も注目される
登場以来順調にシェアを伸ばしているようですが
0.13%って実力に比べていくらなんでも小さすぎますね?
パラダイムにおける優位性はどんな要素よりも重要なので、いずれティッピングポイントに達するでしょうけど
普及すればするほど枯れていくので、なるべく早い方が望ましいですね? >>706の件ですが
このパラダイムを何と呼べばいいのだろうと思っていたのですが
「ミニマリズム」がそれに当たるでしょうね?
あるいは「禅」でもいいかもしれません >>703の件ですが
タブレットモードという名前がいかにもまずいですよね?
デスクトップで使っていてタブレットモードにしようと思う人は
ほとんどいないでしょうし。
ありがちな名称ですがZENモードとでも変えた方がよろしいでしょう
ミニマリズムをデスクトップ環境に引き込んだことが
Windows10の最大のイノベーションといっても過言ではないのですから
「こっちが未来やぞ!」とはっきり示した方がいいと思います Microsoft、EdgeからChromiumベースのブラウザに乗り換えか
https://www.softantenna.com/wp/windows/microsoft-new-chromium-browser/
MSもVivaldiのようにChromiumベースのブラウザを開発するようです
これはいいと思いますね?
Vivaldiは現状では最良に近いブラウザだと思いますが、
ミニマリズムに全身全霊で邁進しているとは現時点では言いにくいと、調べてるうちに分かってきました
MSのこの判断が、Vivaldiはいい線言っているがまだ足りない、という認識があることを期待したいです ×という認識があることを
○という認識に基づいていることを
でした >>687の件ですが
「葛藤」を作るのは、「願望」と「障害」ですよね?
で、物語=映画、みたいな感覚だと
その障害が多くの場合、視覚的に映えるものとして描かれているので、
そういうものに飛びつきそうになるのですが、
本当はあれって「延長線上にあるもの」なんですよね?
世界に存在するさまざまな障害を、
ある種の比喩として、視覚的に映えるものとして表したものなので、
いきなり考えるものじゃないんですよね
世界について、人間についての理解を深めた上で、
結果的に辿り着く表現だと思います
最近流行りの異世界ものも同じで、
初心者でも楽に魅力的にするための形式みたいな感じになってますが、
あれも本当は「延長線上にあるもの」だと思います
本当は、いきなり書くものじゃない
そうですね? >>703の件ですが
タブレットモードには「このウインドウの後ろには何枚ものウインドウが重なり合っている」という感覚がありません
重ねるのではなく、切り替えるという感覚です
思ったのですが、机の上に何枚も書類が重なり合っている状態ってそもそも集中しにくいですよね?
机の比喩として生まれたデスクトップOSというものには根源的な問題があったと言わざるを得ません
そしてそれを克服するためにはiOSの登場を待たなければならなかった、ということでしょう タブレットモードを使うようになってから画面を分割できるスナップという機能を知りました
前から、Windowsキー+カーソルキーでウインドウが綺麗に分割されるぞ?とは思っていたのですが、
その機能の名前や重要性を理解していませんでした
タブレットモードを使うと、基本的に画面全面が一つのアプリになるので、
あるアプリを見ながら別のアプリを使うには、スナップの使用が必須になります
このスナップというのはウインドウの重ね合わせを否定したところから生まれてるんですよね
デスクトップOSを使いながらスナップを使ってみても、その意義が分かるわけがなかったですね? 人間や動植物、物質といった「存在」に対して、
制度や習慣など実体を持たないもののことを何と言いますか? >>694の件ですが
一度も考えたことのないことを考えるというのも腰が重くなりがちですね?
考えようとしたらつい他のことをしてしまう問題があって、
別にそんなに難しい問題でもないはずなのに、なんでだろう?と思ったのですが、
一度も考えたことのないことだからでした
以前考えたことのある難しいことより、
一度も考えたことのない簡単なことの方が、腰が重くなる。
だからこそ、一度も考えたことのないことを考えることに慣れないといけませんね? amazonで高騰していたロバート・マッキーの書き方本「ザ・ストーリー」の新訳
「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」が12/20に出るようです
これは楽しみですね? 以前読んだ書き方本に、副詞は省けというアドバイスがありましたが
安倍が「しっかり」などの副詞を空疎なものとして連発するので、
副詞を書いた時に抵抗を感じるようになりました
いい傾向かもしれませんね? デジタルペーパーのペンなどの軽いデバイスのバッテリーが切れた時に
直接MicroUSB端子に接続できる、極小軽量のUSBモバイルバッテリーはないでしょうか?
ペンキャップくらいのサイズで、MicroUSBオス端子が付いているようなものです
容量は少なくなるでしょうが、当座しのげるだけでいいのでそれでOKです
AliExpressでlightweight usb batteryなどで探してみましたが、
軽さをうたっていてもそこまで割り切ったものはないようです・・ ものを作っていて行き詰まりを感じる時というのは
問いを発する→答える→その答えを元に問いを発する→答える、
の連鎖が切れた時ではないでしょうか?
また答えが分からない時よりも、問いが分からない場合の方が多いのではないでしょうか? >>722の件ですが
問いの意義は創作だけに限らないですよね?
時間の空費は、明確な問いが頭の中にない時に起きているのではないでしょうか?
自分に発する問いの絶対数がそもそも足りなかったのではないか、と思ってきました >>722の件ですが
答えは一つじゃなくてもいい、
そして答える時に現時点での可不可を棚上げにしてもいい、
というのは自問自答の有用な原則でしょうね? 問題解決法の有用性を確かめるのに、
ゲームほど適したものはないかもしれませんね?
ゲームというのはざっくり言うと問題解決を楽しむものなので >>723の件ですが
問いというのは行動が折りたたまれたものなので、
自分の中の問いさえ分かれば、自分が今どういう状態にあるのか、
簡単に確かめられますね? >>726の件ですが
逆も言えますね?
行動から、自分が自分にほとんど無意識のうちに発した暗黙の問いを突き止めることができる、と >>722の件ですが、
質問の技術についての本ないかな?と思って、
「すべては「前向き質問」でうまくいく 質問思考の技術/クエスチョン・シンキング」
という本をkindleで読みました。
(かつては良く読んでいて、今ではあまりいい印象のない)いわゆる自己啓発書ですが、
この本に書かれていることは、当たり前で、単純で、そして極めて効果的なことでした
一言で言うと、「質問には良きにつけ悪しきにつけ力がある」ということです
質問に力があることには、自分も気づいていました
もちろん、このスレを通していくつもの気づきを得ていたというのもその理由の一つです
しかし、質問に自分を損なう力があるとは考えてはいませんでした
自分を損なう質問とは、
「今がやるべき時なのか?」「なぜやらないといけないんだ?」「これ本当にやる意味あるのか?」
こういったものです
この本は、自分を損なう質問を、自分をエンパワーする質問に変えることを説きます
たとえば、「どうやればいいのか?」のような質問に。
たったそれだけのことですが、結果は180度異なります。
自分をエンパワーするための質問の後ろには、問題を解決する意志がありますが、
自分を損なう質問の背後には、できれば先延ばししたい、もうやめたい、放り投げたいといった気持ちがあります。
なので自分を損なう質問に「誠実に」答えようとすればするほど、問題は停滞していきます。
まぁ、当たり前ですよね?
つまり質問には、隠れていた事実を明らかにする力だけではなく、意志や願望を実現する力がある。
そしてより強力なのは、おそらく後者の力なのです。
したがって、損なう質問と、エンパワーする質問を見分けることが重要になってくるのですが、
これは難しくないですよね。
いわば「響き」の問題で、そういうことと格闘し続けるのが創作者というものなのですから。
質問、やばいですね? よし、答えてやろう。どうやら根本がわかっていないようだからな。
人は考える生き物だが、行動するマシーンでもある。
で、考えることと行動することは、相矛盾する。つまり、考えようとすれば行動が鈍る。行動しようとすれば考えがおろそかになる。
ようするに、「考えたら負け。」だ。
なに、これはホリエモンの言葉だ。べつにホリエモン信者ではないが、最近見かけて、これが的確だからこのフレーズを利用しているまでだ。
世の中あまり考えないほうがうまくいく。だから凡人よりすこし賢い連中ほど、生活にゆとりがない。というか、バカな奴ほど、金を稼いでいる。いい生活をしている。
成功したければ、まず行動しろ。あれこれ考えている暇があったら、やるべきことをやれ。――なのだが、頭が回る連中は行動しようとすると、不安になる。不安になって、考え込んでしまう。しかし、そこで、
考えたら負け、だ。
が、立ち止まるな、考えるな、行動を起こせ。といわれても、今ある「不安」を解消するために「考えること」がやめられない。そうだ、
「考えること」は一種の麻薬。
「考えること」は快楽だし、金がかからないから、最低限の生活ができていれば、人生、「考えること」のみで満足できてしまう。
だが、それでいいのか? よくないな? と、不安になると、またその不安が「考えること」をさせ、そこから「考えること」の連鎖が始まる。
この連鎖を断ち切るためには、「考えたら負け。」を意識しろ。わかるな? わからなかったら、おまえの時間はいつまでも止まったまま。 >>729
逆です。
たしかにクエスチョン・シンキングは表面的に考えると、理由や意味を問わずにとにかく実行するという
いわば「ホリエモン」的な態度になりがちです
ですが、ホリエモンシンキングとクエスチョンシンキングは決定的に違うところがあります
クエスチョンシンキングは、心の深い部分でそれをやることが正しいと知っていることを実行する、ということです
心の深い部分ではやった方がいいと知っているのに、つい避けたり先延ばししたりしてしまうことがありますが
クエスチョンシンキングは、そういうスタックから抜け出るための技術なのです
著者がそう書いていたわけではありませんが、自分はそう理解しました 外形的には「意味」や「理由」や「時期」を問うているようでありながら、その根底には「やめたい」という願望が横たわっているような、
そういう問いをやめる、ということです
ですから質問の外形からは単純に同定できないんですよね、
エンパワーする質問と損なう質問は。
でも自分の心の中のことなので、自分の質問の根底に何があるのかを見つけるのは、
さほど難しいことではないと思います 文学作品のテーマを集めた辞典はないでしょうか?
そういうのあるだろうと思って探したのですが見当たりません
「児童文学テーマ全集内容総覧」というくそ高い本はありましたが・・ テーマの面白さというのは、可用性の高さにあるのではないでしょうか?
テーマは一般的にジャンルを規定しないので、
同じテーマで、純文学も、サスペンスも、SFも、ホラーも、ラブストーリーも書けます
さらに同じテーマ、同じジャンルでも、時代の変遷によって描き方が変わります
そういう鏡のような性格がテーマにはあって、だからこそ面白いですよね? >>719の本が届きましたが
きわめて真っ当な本ですね
たとえば次のような一文の中に、その真っ当さと特別さが表れています
すぐれた脚本家は、その人独特の語りのスタイルを持ち、それは本人の思考のあり方と切り離せないばかりか、深い意味において思考そのものとなっている。
(ロバート・マッキー「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」)
その通りですね? >>721の件ですが、
極小バッテリーは見つかりませんでしたが、
OLAF Magnetic Cable For iPhone USB Type C Micro USB Cable 8 pin Fast Charging Adapter Plug Micro-usb Type-C Magnet Charger Cord
https://ja.aliexpress.com/store/product/OLAF-Magnetic-Cable-For-iPhone-USB-Type-C-Micro-USB-Cable-8-pin-Fast-Charging-Adapter/3626113_32868721015.html
このMicroUSBコネクタをMacBookのMagSafeみたいに磁石化&コンバーチブル化するやつを買ったら
ガジェットの充電が便利になりました
何も考えずにコードを近づけるだけで勝手に接続されるのでいいです ストーリーテラーは人生の詩人、つまり、日々の暮らしを、人生の内側と外側を、夢と現実を詩に変える芸術家だ。
その作品は、ことばではなく出来事を組み立てて生み出され、「人生とはこんなものだ」と二時間で語る隠喩である。
(ロバート・マッキー「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」)
ストーリーは、言葉ではなく出来事で語る詩だと。
その通りですね?
出来事の言葉化といってもいいかもしれません ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています