今日は手配が無かったので、事務所に行って打ち合わせと三日分の給料を貰いに秋葉原に行ってきた。ステレオイヤホンが寿命だったので、ヨドバシアキバで同じモノを買い換えた。
コロナ前で、10月まで勤めた物流センターがマトモな人間ばかりいたら、AIサーバーを構築する、とかサーバーの自作と構築を考えて居た。
コロナ禍と、物流センターの人間の低レベルさで、だんだん人間が単調になったのと、そんな逆風の中でもPaypalの実装までやって、そこでBlueirisという出版社の型枠工事が終わったように感じて、今はIT系の設備の拡充とか全然先の話にしている。
PCが作れる部品は全て揃っていたので、Amazonでケースを買い、組み立てて使っているのが今のPCで、corei7は今も大体スピードにおいて満足している。

なんか知らないけど、「こうしたいな」と言うのは、私には、ほとんど成就出来ない。
東京の、電通に大金積んで企業イメージをばらまいている企業とか銀行とか、本当に私の邪魔をする。もう、3年で骨身に染みて解っている事だから、本当に計画をあんまり立てない。

「会社員という制約を外して、業務委任契約で、電通の仕事もすれば、自分の意思で、自分の仕事を開拓できる。ちょっと自由になった」と思う元社員と、「うえー、大企業に勤めて、定年までと定年後も安心して生きていたい。個人事業主なんてクソ」と二通りの人間に別れる。
そして、埼玉・千葉・茨城・東京・神奈川から東京の企業に通い続ける事しか頭にない人間は、後者の感想になるだろう。
私は前者のタイプになったのは、春日部で朝日印刷という片田舎のチラシ印刷屋にアルバイトで4年半勤めている時にちょっと思っていた事は「この社長より、俺が社長やったほうが、IT時代に会社を対応させる事が出来る」と思っていた。
、株式会社化を目論んで、1年後、個人事業開業届を書いて、税務署に提出したのが、2001年だった、と言う歴史であった。