人の死を扱う話は邪道
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
死なんて究極の課題を使ったら何もしなくても感情揺らぐだろ
本当は読者の理性をあの手この手で突破して、ようやく心にフレーズを叩き込めるのに
死とかいう理性が通用しない生物の絶対的概念を使ったら邪道だ >>1
ああごめんちょっと反省した。
ところで今年は芥川賞の候補に文學界からは無かったん? 扱い方にもよるな
死んだことによって死んだ本人の魅力が後から浮かび上がるような死は良い死
死ぬのが普通の世界設定で唐突に死ぬのはまあ納得できる死
主人公を苦悩させるための駒として薄っぺらなまま殺したら悪い死
それなりに活躍させてても明らかにストーリー上邪魔だから殺したっぽいのも悪い死 死を安直だってんなら
病院も警察も探偵も推理も葬儀屋の話も全部駄目じゃん
いいですか
死ってのは誰にでも訪れる平等普遍のもの
だから描く意味がある
死を描くことによって生が輝く訳で、だから死の描写があるの。目的はそっちなの。
死んでお涙頂戴のワンピースみたいな事言ってんじゃねーよ 直木賞選考「3時間の大激論」 林真理子さんの講評
2021/7/14 21:09(最終更新 7/14 22:52)
皆さんご想像の通り、佐藤さんの「テスカトリポカ」を受賞作とするかどうかで大激論となり、時間がかかりました。あまりにも暴力シーンが多く、子どもの臓器売買という読む人にとっては嫌悪感をもたらすような内容で、直木賞という賞を与えて世に送り出してもよいものか。その是非についてさまざまな意見があがりました。
「こんな描写を文学として許してよいのか」「文学とは人に希望と喜びを与えるものではないのか」といった意見があがった一方、「描かれたことは現実世界のこと。目を背けてよいのか」との意見もありました。とても根本的で深い論争ができました。女性委員に支持する声が大きかったことも興味深いですね。希望の物語であるという見方も少なくありませんでした。
https://mainichi.jp/articles/20210714/k00/00m/040/320000c 馬鹿じゃねえの、こいつは。
臓器売買ってスペインやメキシコやフィリピンの現実だろ。
人類という種は本質的に食人なんだよ。 「こんな描写を文学として許してよいのか」→いいに決まってるだろ
「文学とは人に希望と喜びを与えるものではないのか」→違うにきまってるだろ
『推し、燃ゆ』の方がよっぽどグロいわ。精神的にグロいわ。
現実問題から逃げてアイドルに走る人間を描写する方がよっぽどグロいし絶望的だよ。 やる気のない教師と性同一性障害の娘の話「愛を適量」とかじゃどうなんだ?
よっぽどこっちの方がグロいよ。
スモールワールズは無視かよ?
日本人は精神的に残酷で人の痛みが分からないサイコパスじゃねえのか? 死ネタというと、
医師として数万人の兵士を死に追いやって平気な人間が、
「高瀬舟」みたいな命をテーマにした小説を書くって、
凄げぇなぁ。
どんな心理なんだろう。自分の思想と作品は別物なのかな お涙頂戴を馬鹿にするのも違うぞ
善良な少年が皆を助けて自分は犠牲になって死ぬ
というありきたりど真ん中を書くにしても相当上手くかけてなければ
シラーとなる反応も十二分に考えられる
お涙を頂戴出来てるなら人間心理をかなり上手く扱えてるということが言えるのだ
創作の一つの核心だ 死ネタ映画だけど
「死ぬまでにしたい10のこと」
https://www.youtube.com/watch?v=j6fsPg5D-o0
「おみおくりの作法」
https://www.youtube.com/watch?v=UR5C_lExOSw
心に残る良い物語だった
もう一つ
「くちづけ」
https://www.youtube.com/watch?v=CY7nURq7zF0
結末は心の中にモヤモヤが残って少し不快感
同じ死ネタでも、
・人の死と真っ向から向き合って、命を温かく見つめるか
・いろいろな物語の展開ができる中で、親子心中という結末で安直なお涙ちょうだいに走ったか
その違いかもしれない 当事者になれるような物語なら死をあつかっても
ええやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています