トルシエは曽ヶ端を妙に好んでいた。
1999年U20では南>榎本>曽ヶ端という序列だったのに、
1999年U22では、なぜか曽ヶ端はJの試合に出場していないにもかかわらず起用。

南は明らかにトルシエは曽ヶ端を好んでいるのがわかり、
シドニーは実は早い段階で諦めていたと聞いたことがある。

2大会連続出場GK、U20準優勝GK、高卒1年目からレギュラーGKなのに、
上記すべて持たない同級生の曽ヶ端に1999年に抜かれた南であった。

いうても、シドニー以降もA代表候補の合宿には召集していたから、そこまで評価は低くななかったと思うけど。