>>581続き)

雨の次の日とか、すごい匂いで、歩いていると、道路脇で「パグパグ」という料理が売っているんですけども、
これはファーストフードの残飯の中から鶏肉などを集めて、再び油で揚げたものです。 
日本円にして、30円ぐらいだったと思います。
 
そこで子供達と遊んだり、一緒にご飯を食べたりしていると、ある違和感を覚えるんです。 
何かと言うと、子供達の目がキラキラしていて、笑顔も溢れていて、
「貧困」に対してのストレスをあまり感じて無さそうに見える。
 
絶対的貧困ではあるんだけど、その世界しか知らないから、そうなっちゃうのかもしれない。 
「ここから早く抜け出したい」という気持ちが芽生えにくいのかもしれない。
 
それはそれで一つの幸せなのかなぁと思いきや、大人はそうじゃないんですね。 
大人は「食っていかなきゃいけない」「家族を守っていかなきゃいけない」というリアルな問題を抱えていて、
貧しさもちゃんと把握している。 
 
これは「ラオス」という国に行った時もそうでした。
 
ラオスには小学校を寄贈しに行ったんですけども、小学校を寄贈する前にも何度か通ったんですね。 
ララ村という山奥の小さな村では、子供達が無邪気に走り回っているんですけども、
大人は自分達の村の貧しさを知っていて、頭を抱えています。
 
で、そんな地域の大人が求めているのは「子供達の教育の機会」なんです。 
お金が無いので、子供達を「労働力」として使わざるをえなくて、
おかげで子供達は「教育」を受けずに大人になる。
 
教育を受けずに大人になった子供達は、知識や技術を身につけていないので、
安い賃金の仕事にしかつけなくて(仕事の選択肢が少ない)、
結局、自分の子供を「労働力」として使わざるをえなくて、子供に「教育の機会」を与えてやれない。 
そうやって「貧困の世代間連鎖」が起きるんですね。