おそらく千田有紀のツイートを受けて

江口某@eguchi2017
記述概念と分析概念っていう対立ってどういうもんかな。分析概念ってのはいわゆる説明概念かな?


「家父長制」っていうフェミニスト独特の概念が、スピヴァク先生やバトラー先生の影響であんまり使われなくなった、っていう話はしらなかった。

そんなことあったかな。

私の理解では、ふつうに見るとフェミニスト的用語法での家父長制=男性優位社会、っていうそのまんまの意味なので、まあ家父長制という言葉が
実際の制度とかをあらわしているように見えてよくないからやめよう、ぐらいはあったかもしれんけど、バトラー様とかと関係があるだろうか。

さっきの記述概念/説明概念の話は、まあ「われわれの社会は男性優位である」っていうのの別の表現として「われわれの社会は家父長制に
もとづいている」とかって使ってるだけであって、「男性優位なのは家父長制だからだ」とかいうのがなにも説明になってませんよ、っていう話だと理解してよいのだろう

まあ誤解をまねきやすい表現だから家父長制はやめて男性優位社会とかそういうのでやった方がいいだろうっていうのはまあそれだけど、
ふつうに問題になってるのは、「ほんとに男性優位なんすか?」だわよね。

「どの分野・領域で、そしていつも?」とか

議席クォータの話はあれで、たとえば低所得者議席とか障害者議席とかそういうのを確保することは許されないだろうか。許されないだろうね。
でもそれはなぜだろう。

さっきのがカンにさわったのは、スピヴァク先生とかバトラー様とか、ふつうの人間には読めない人々がなんか権威として使われてるように読んじゃったから。

むしろなぜ使われなくなったのかの理由の方がありがたいというか。まあ要求する気はない。