今のRPGってストーリーなぞるかお使いしかないの?
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自由度の先にはお使いしかないのか
なら一本道でいいやって最近思うようになってきた 選択肢ループはギャグとしても、ちゃんと前フリや演出できるのが一本道のメリットだから
自由度の高いゲームのほうが唐突な選択になりやすいのかもしれないね。
Aの演出を見る前にAの選択にたどり着けるのが自由度の高さとされてる事も多いし。
でも出来れば唐突な選択にならないようにしたほうが面白くなるとは思うけど。
Aの選択の前提条件にAの演出を設定するとかさ。いわゆるフラグを踏むってやつ。 とりあえずは起承転結の「起」から始まってほしいってのはあるよね。
いきなり「長老を助けてくれ →はい/いいえ」じゃ味気ないもんな。 >>578
「それでも……それでもだ!頼む!
いざ!というときのため ストーンを受けとってくれい!」
最初見たときはその人物に言わせる台詞かと我が目を疑った 申し出るとか要求するって行動がプログラムで作りにくいのが全ての原因なんじゃね >>583
A村にて
「重要人物さんはB村に行ったわ」
B村にて
「重要人物さんはA村に帰ったよ」
A村にて
「重要人物さんはまたB村に行ったわ」
B村にて
「一足違いだったね。重要人物さんはA村に帰ったよ」
A村にて
「重要人物さんは帰ってきてないわ。まだB村にいるんじゃない?」
B村にて
「重要人物さんは忘れ物をして一度ここに戻ってきたが今度こそ帰ったよ」
A村にて
「私が重要人物です」
こんなん? あるクエストを純粋に人助けで引き受けても良いし、
別の目的の口実に引き受けてもいいとなったら
おもしろいんじゃないかな。
大きなクエストを達成するために小さいクエストを利用できる。
村人A「村長が病気だから洞窟へ薬草を取りに言ってくれ」
というクエストがあったとして
村に立ち寄った商人でのプレイなら
「人脈作りのために引き受けるか…」と展開できるし
都会に行きたい村の子供でのプレイなら
「薬草採りを口実に脱走できるな…」と展開できる。
手段と目的が多様化すれば、おつかいもグンと楽しくなる。 クエストの成功失敗だけでなく、過程による評価でクエストが連鎖するっていうのはどうだろう
例えば、薬草を取ってくるというクエストで
採集→冒険者
売買→商人
強盗→極悪人
栽培→農家
みたいに分岐する、あるいは、それぞれの職の名声・悪名値が増減するとか
ユニークな解決をした場合、名前が売れて依頼が舞い込むなんてのも面白いかも 一応解決手段でオチが変わるとか評価が変動するレベルなら既存ゲームでもあるぞ SFC版のロマサガみたいなひとつの世界を多人数の主人公が独自の視点で、世界を楽しむRPGが出て欲しい
勿論おつかい要素はおまけで、善悪の判断はプレーヤー任せ レベルアップ&ゴリ押しで勝てるような戦闘でいい
気を抜いたら負けるようなFF13みたいなのはいらない >>588
ルート分岐とか評価とか例が悪かったかも
オチが変わるとかじゃなくて、プレイ内容によって次に受けられるクエストが変わるってイメージ
ロマサガとかTESとか、どんなキャラでも共通のサブクエストを処理していく感じになるじゃん?
それはそれで好きなんだが、何回もやってると作業感が強いから、いっそ共通のクエストはやめようぜってこと それってキャラによってクエストが変わるゲームになるような。
どっちかというと、共通でランダムのほうが意外性あると思うが。
それとトレードオフしても面白い要素があるならいいと思うけど。 ※592
キャラに特性があって、それを活かしたプレイをすると必ずそのルートになるような分岐の仕方だとそうなるな
ただ、それはあくまで分岐の仕方の問題だと思う
理想はプレイ内容でNPCの反応も変わるようなの
それも例えば村の危機を救ったら一律に英雄扱いされるとかじゃなくて、それぞれのNPCに独立した反応を持たせられるようなもの
要はプレイヤーの操作がレベルなどのシステム面以外の方法で、ゲーム世界を動かしたと思わせてほしい
まあこれは技術的にもコスト的にも難しいだろうが
その考えの延長線上でいくと、今のクエスト制は並列されててやってもやらなくてもいいって感じだし、一本道は論外
一方、プレイ内容による分岐なら、多次元的な樹形図になって、スレタイから外れる操作感になるんじゃないかな >>593
個人的にはストーリーの分岐やストーリーラインの変化ではなくて
定型のセリフを、プレイヤーキャラが例えば男性か女性か、戦士か盗賊かによって
〜語変換みたいに言い回しを変化させるくらいでいいんじゃないかなと思ったんだけど。
ストーリー自体は変わらないけど、プレイヤーキャラが変化することで周りの反応も変化する。
プレイヤー的にはプレイヤーキャラをカスタマイズすることでストーリーもカスタマイズできると言うか。
キャラを演じる事でちゃんと反応してくれるコンピューターゲーム。
それであれば共通のサブクエスト並列で十分じゃないかな。 >>593
・悠久幻想曲みたいにNPCの数が限られている
(ドラクエのような諸国漫遊ゲーだと事実上無理か、一度去った場所には戻れない仕様にするかのどちらか)
・一部のルナドンみたいに自キャラの行動が“世界に影響する”(データの受け皿としては影響先は一つ)
でないと無理だろうなあ。
>>594
B&Bのキャラメイキングで
口調(熱血、無口、高飛車、ジジむさいガキくさいとか)と
自分のことをどう呼ぶか(キャラ性別とは別なのでボク少女とかオネエとか作れる)
とかやれるのを思い出すな。 クエスト達成すると勢力との友好度みたいのが上がって出来るクエストが増えるというのはあるな ゼルダの伝説みたいにアイテムを取得してスキルを増やす的な方向性もあるけどな。
別にアイテムとか行き止まりを使おうって話じゃなくて。
例えばドラクエ3で岩を押すアクションがあったけど。それを町の人に見せると
「それならこの邪魔な岩もどかしてくれ」みたいなクエストが発生するとかね。
そのスキルが無きゃ無いで、そのスキルが要らないクエストが発生するって感じで。 ストーリーが分岐するような奴だったらパワポケみたいな制限時間決まっている方が合いそう
サブストーリーがたくさんあるんじゃ無くてメインストーリーがたくさんあるゲームはないのかね お使いクエストとかオンラインゲームにいらねーんだよなぁ >>598
つ「ソーサリアンクロニクル」
メインストーリーを「最後までこなしたらゲームがエンディングを迎えるストーリー」と解釈すればだけどね。 ティルナノーグ悠久の仁を忘れてた。メインストーリー8個もあるぞ。 RPGは好きで結構遊んだけど、好きなRPGでもストーリーなんてほとんど覚えてないな ワンパターンでレベル上げる作業が、苦痛でうざい
RPGはオワコン、時間の無駄 なんだかんだで派閥争いが見ていて一番面白い。
せっかく世界設定を用意してるのに自分探しとか始めちゃうのは作家に素養が無いんでしょうね。特に歴史。 テイルズあんな裸も無いゲームもう要らないナムコ潰れろ早く続く ナムコさん、なりきり金の無駄何でやめて…………………………………本当につまらからあれ……………………………続く その…………………テイルズのなりきりとか作ってる暇あるんならテイルズのエロゲーか何かでも作った方が……………でもナムコに任せてもまた人災とエロ一切無ししかやらないから素人にやらせた方が良いな作るんなら続く ナムコのゲームは裸があると思ってやると馬鹿を見る導き温泉出すなら素っ裸とか出せば良いのにしかも裸抜いたせいでコレットが地味に嫌な事言うし覗くとあれじゃ子供やらないわなそりゃ引くわあははははははははざまぁナムコあははははははは続く つーかコレットは裸とか無理やり外して生真面目なキャラにするからかえって湿検になってるし続く ストーリーなぞっておつかい じゃないRPGってあるんだろか ストーリーをなぞる行為を"お使い"と呼ぶかどうかによる >>53
>>574
違う
よいお使い
主人公:川の向こう岸に渡れば冒険の目的に必要な伝説の石を手に入れられる
主人公:川の向こう岸に渡りたい
情報1「川の向こう岸に渡る船が出ているらしい」
情報2「船長は今不治の病で寝ている」
情報3「不治の病を治す薬草が山の奥で取れるらしい」
情報4「山にはとても恐ろしい怪物が出るらしい」
情報5「船長は頑固らしい」
情報としてそれを聞いただけで、主人公は別段、川の向こう岸に渡る必要も無い
川の向こう岸に渡らなかったとしても、先に進む事は出来る
何をするか選択それ自体は自由の判断
でもさまざまな全体像を見れば川の向こう岸に渡って石をとろうと思える状態にきっとなる
"自発的に"
川の向こう岸に渡りたいと自分で思ったらやればいい
誰も強制はしない
(裏)
開発者「じゃどうしたら、自発的に川を渡りたいと思うか」
悪いお使い
主人公「自分は川の向こう岸に渡りたいんだ!」これからする行動の熱意を語る
主人公は川の先の石をとらなければ"いけない"(強制)
そのためには船長の治療をしなければいけない(強制)
そのためには山の強敵を倒さなければいけない(強制)
全てそれ以外に道は無い
それをやらなければもっといい考えをプレイヤーが思いつこうが乗り気にならなかろうがその順番でそれをやるしかない
それをやらなければストーリーは一切進まない
プレイヤーに自由意志は考慮しない、主人公が今川を渡りたいと言ったら今渡るのだ
プレイヤーは思考する必要は無い
いった事を言った順番でやれ 「じゃどうしたら、自発的に川を渡りたいと思うか」
自由に進んだその先
進んだ先の王様「もしも前が本物のOOだったら伝説の石を持ってるはずだ、それを出したら何かしてやる」(勿論それを無視して飛ばして進められる・・・最終的に行き詰るまでは)
とか何とか、それを持ってないと不利益になる
とか
そもそもゲームは大まかに最初に与えられた当初の目的と、それ以外のそれを達成する為の小さな目的で行動する
魔王を倒すのだ(当初の目的)→魔王の城の場所まで行かなければ行けない(それ以外)→そのためには何が必要だ(それ以外)
プレイヤーの目的は魔王を倒す事で、魔王の城に到達する事ない
逆に言えば魔王の城を目指さなかったとしても、魔王が目の前に現れて討伐できるならそれはそれでOKな訳で
それなのに魔王の城に向かう事を強制されれば強制されたと感じるのは当然で
小さな目的は当初の大きな目的達成のために必要性が出て初めてそれをやろうと言う気持ちになる
だから自分から「それを必要だ」とプレイヤー自身が思ってもいないうちに、「次する事はこれだ」
と勝手に決めれば反発するのは当然で
プレイヤーが自分からそれを「必要だ」と思って自分からそれを挑戦するまでは見守って待ってる(放置する)のは必要かと 「プレイヤーが見つける」→「先の展開に進む」
最低限の手順さえ踏んでれば、あとは工夫しだいでいいと思うけど。
まあ、最近は「自動発動(強制)」→「先の展開に進む(またはムービー挿入)」が
多くなってきてるから安易になっちゃってるってのはある。 「プレイヤーが見つける」→「先の展開に進む」でもその「見つけたもの」は作り手の用意したものだから
「強制」なのは同じで
結局そのとおりにだけ進まなきゃいけないのは変りない
要するに無言での強制になるだけで
行き場所を指示されるか、行き場所は決まっているけど無言でいるかの違いでしかないと思う
だからどうしても
「プレイヤーが見つける」→「プレイヤーがそれを実行してみようと自ら思う」→「先の展開に進む」
にしておかないと
自分で見つけても「何でこんな事やらなきゃいけないんだろう?」と言う気持ちを解決しないでそのまま残して先に進む
先の展開を作っているのは作り手なので、プレイヤーが自分の意思で決断して「やってみよう」と思って自発的にやったと言う関係にしなければ
先の展開の押し付けにしかならない
作り手は遊び手と同一人物ではないんだから作り手の思ってる事なんてプレイヤーは知らない
なのに無言で開発者の思考だけを無理やりたどらされる事になると
一番重要なのは「自分で見つける」より「自分の判断でそれをやり始める」「自分がやりたいからそれをやった」と言う状態に持っていこうとする事かと
要するにゲームには目的が一番最初に与えられる「魔王を倒す」とか
その目的の為にはそれをする事が必要になったり、それをすると近道になったりすする事を何か遠回り的な手段で示唆して
「自分の意思と判断で」それをやろうと思ったと言う構図に何とか持っていかないと 長々書いてるが抽象的すぎてなんにも伝わらない
具体的な例の一つでも挙げないと話が進まない
"それ"を使いすぎて文章としても稚拙
ゲームの作り方について論じようとしてるのに
作り手側の視点にまったく立っておらず
プレイヤー本意の話しかしてないからダメ
RPGのフォーマットを使ってそれをどうやって実現するのかというのは
作り手側の視点に立たない限り論じることは不可能
これは実際にゲームを作ったことがあるかどうかは問題ではない
方法を模索するためには視点を変えて話をする必要があるということ
とにかく自分が提案をしないといけないところをすっ飛ばして他人に丸投げするな 作る話をしてるんだから作り手の視点で論じているのは当たり前で
その上でゲームの作り方を考える時こそ遊ぶ側の視点で論じないとおかしな作品にしかならないと思う
むしろその視点が決定的に不足してるから開発者本位の独りよがりの内容になるのでは
ストーリーをなぞるっていうのだって
そもそも作り手の視点に立つ事は遊び手の視点に立つ事ではないかと
「ストーリーをなぞる事から脱却したい」と言う前提条件で話しているんだから
「プレイヤーは作り手の考えた展開をなぞる事から脱却したい」と言う同じ意味の言い換えを前提で話すのは当然で
これを作り手の視点じゃないと言ったら話しにならない
例えば、プレイヤーの次にする事は北の町に行って広場にいる体格のいい町人に話しかける事だとして
言葉によって指図はしなかったとしても、その町に向かう為のルートは崖や壁によってその町に向かうしか出来ない
それかその町に進む以外では何も展開が起こらない、そうするしかない
体格のいい町人に話しかける以外一切出来なければそれはプレイヤー自分でそれを発見しても言葉で強制されているのと同じな訳で
プレイヤーは他にもする事は何でもできる、けど、北の町にいって町人に話しかけると言う選択をした
と言う構図に持っていかない限り「ストーリーをなぞる」「お使い」という構図からは逃れられない
例えば悪い例えですけど、詐欺の手口で、例えば30万円の枕を特定の人に売りつけたい
ではその売りつけられる対象は自由意志で生きてる訳でその客は購入しない選択も自分で決めて自宅に帰る事も出来る
ではその上で枕を売りつけるには客が自分から「買いたい」と言う意思表示をするように運ぶしかない訳で
それを「客は自分から30万もする枕を買うしか道は無い物だ」「客は自分から30万もする枕を最終的には購入する物だ」と言う前提で売りつけようとするからおかしな話になる
プレイヤーに行動を強制しないなら「プレイヤーは自由意志で勝手に行動をする」その絶対に崩す事の出来ない前提で、ではどうしたらストーリーをきちんとたどるか?を考えるしかない
プレイヤーは、行動@と言う行動も、行動Aと言う行動も、行動Bと言う行動も取れる
その状態で自ら@を選ぶようにするにはどうすればいいのか?
プレイヤーのその行動@をとる動機が、「その行動@をとらないと次の展開に進まないから」なのか
それともプレイヤーにとってその行動@が「利害的によいと考えて自分からやった行動」または「必要だと自分で思いついて考えて」なのか、 「目的は魔王を倒す事だ」→「魔王を倒すには、船に乗る事が必要だ」→「船は町@から出ている」→「町@に入るには手形が必要だ」
「手形は町Aの体格のいい町人が偽造しているらしい」と言う情報を得る
こういう構図だったらプレイヤーにとって体格のいい町人の町に向かって、町人に話しかけるのは必要性や利害的にプラスで必要性は出るけど→→→
(もしもこの時点で本当にプレイヤーが船に乗りたいと思えば)
ちなみにこの時点で町BCにもいける
町Bに行けば領主に町人が苦しめられていてなんとかして欲しいと頼まれる、として
プレイヤーは幾つもの選択肢を自分は持っているように受け取る
「どうするか、何をするかはプレイヤーの自分の意思決定だ」と
その上でプレイヤーが自分で町Aに行って偽造手形を作ってもらう選択をするのを待つ、それか仕向ける
すると構図はプレイヤーは自分からストーリー展開した事になる訳で
さらに、この時点で出発点の城@に戻ると、大変な事件が発生していて・・・みたいに多面的にすればする程、その開発者と言う他人の考えた次の展開を自分で選択したと言う意識を得やすい
(手形を手に入れるまでの間に戻らないと起こらないのかそれ以後でもOKなのかどうするかは臨機応変に)
Cにもいけるけどレベルが全然足りない為入るので精一杯
勿論これ等は展開上今こなす必要性は無い(もしかしたら将来的にはこなさなければ先の展開に進めない場合も考慮)
→→→では
そういう背景を消して(魔王を倒したいと言う目的やそのために必要な要素の部分)
「体格のいい町人に話しかけると実は偽造手形を作る人物で、その人を偶然にも発見して話しかけるまで話は進まない」
としたら当然まだプレイヤーはそんな事したいと思っている訳でもないのにやらされる訳だから「ストーリーをなぞる」結果になりやすい
何故偽造手形を必要なのか?正規の手形は取れないのか?自分だったらこんな事はしない
そう考える可能性は?考慮してないからおかしい
プレイヤーが何を考えてるか?何をしたいか?そんなのは分からない
「開発者の作る次の展開」は「開発者の考え」で「プレイヤーの考え」ではないという事を分かってないからそうなる
「その開発者の考えた展開」をただたどるなら、それを言葉で指示されても、無言で指示されても結局は「他人の考えた展開をなぞってるだけ」で
「そういう事が出来るよ」と言う情報だけを与えて、それをいざ実行するかどうかはプレイヤーに委ねる
そしてそれを自分でやろうとする原因も作る
他にもやれる事や選択を許す
後は実行するのを待つ
これは一例でプレイヤーが自分からその決断を決めたと言う関係図を作れさえすれば何でもいい
その決断とは作り手の考えた次の展開の事
ストーリーをなぞるお使いから脱却するには「作り手の考えた次の展開=プレイヤーの次にやりたい行動」になるようにする以外に無い訳でその前提条件でどうしたらいいのか考えるしかない
極端な話、一緒に行動しているメンバーがしきりに次に進むべき場所を提案するけど、頑なに別の行動や逆らった行動をとり続けようとも出来る状態でも上の条件が成立するならOK
強制はされない、けれど自分でその決断をした、と言う関係図にする事だけ必要かと
出来る選択肢は多かったとしても、目的は決まっていて定まっているなら、その目的を達成する為には何をしたらいいのか?それは限られて来る
方程式と同じで
その方程式を自分で解決する事で得られる展開=自分の意思で進んだストーリー 要するに開発者の作った次の展開をプレイヤーが自分の判断で実行したと言う状態をどう作ったら良いかの部分だけ必要
主体性をプレイヤーに持って来るには?それだけ考えればいいと思う
プレイヤーの視点で物を考えない事が一番最初の問題で、思考の段階で主体性をプレイヤーに持ってきてないのに、主体性をプレイヤーに持ってきてない「作り手をたどるだけから」脱却する事を考えるという事がそもそも間違ってるのでは 何か妙な勘違いをしてるようなんだが、何か物を探すこと自体がゲームだからね。
ヒントを得たりフラグを踏むこと自体が。探して得るから面白くなるのよ。
だから、これが探さなくて自動発動で強制になったらゲームにならなくなる。
別に○○を探せってのはシナリオライターとかデザイナー、開発者の強制でいいのよ。
要は、そのシナリオが面白く作ってあるかどうかってだけ。
見つけただけで驚かせるようなインパクトを狙った出オチでもいいし
見つけるプロセスが謎解きやパズルになっててもいいし、シチュエーションが
ストーリー仕立ての伏線になっててもいい。
単純な例でいくとレースゲームで一位を取ったら見れるイベントなんてのも
「イベントが隠されてる」ってことでしょ。プレイヤーに見つけさせるの。
見つけたり探すプロセスで遊ばせればいいって話なんだよ。 何か物を探す事自体がゲームだけど
どの部分で探す事になるのかで変るし
はじめから結果を知っていれば探している事にはならないと思う
その条件だったら全てのゲームに既に当てはまっている
もし仮にただのお使いでも○○を持ってきなさい→次はどこどこに行きなさい
その○○、どこどこ、全て自分で探し出す事になる
物を探すだけで良いなら全てのゲームがお使いにはならないし実際今ゲームはたいていそう考えて作っていると思う
次は何々を探しなさい、次は何々を見つけなさい、これではお使いそのもの
むしろそこ(どう自分で見つけるか?)に気を使っていてそうする事がお使いからの脱却だと思っているからどんなに考えてもお使いをなぞるだけから脱却できないのでは
作り手は「どう物を探し出すか?」を考えてどんどんお題を出す、気を使うのは「プレイヤーが自分で発見すると言う感覚」
すると次々お題をこなすと言うお使いになると言う
レースゲームで1位をとったら見れる特別なイベントは楽しみになるだろうけど
それをただの途中経過にしたら感じ方も変って来る
次はこういう事をやってこういうイベントを見なさい
物を隠して見つけ出してもらう事を楽しむのはどちらかと言うと隠した側で
自分の意図通り苦労して見つけて来る=プレイヤーを自在に操れれば、隠した側にとっては嬉しいし楽しい
足りないのは遊ぶ側の見方かと
次は何々を探しなさい、次は何々を見つけなさい、次はどこどこを見つけてどこどこに向かいなさい
次に進む為にする事を自分で見つけなさい
プレイヤー自身自分で何に向かっているのかも理解していない状態で、作り手の作った「やれ」に終始振り回されるだけで
プレイヤーが「〜をしたい」と思っていてかつ、それを「自分で見つける」と言う状態だったらプレイヤーはモチベーションもテンションも高い
「〜をしたい」と言う部分が無い状態で、一方的に「〜を見つけなさい」「次に進む為の何かを自分で見つけてきなさい」と言っても自分の意思でそれを探している訳やないから
ただ命令を受けているだけになる
自分(作り手)の作ったシナリオに沿って自分(プレイヤー)で発見して下さいって言うのはただの作り手の自己満足で
プレイヤーが例えば洞窟の入り口を探したいと思ってる時に、自分の足で洞窟を見つけるっていうのは良いけど
プレイヤーが特に何も思ってもいない時に次は洞窟の入り口を見つける事と決まっていて、それだけが出来る、それ以外できない
開発者の思ったとおりの行動をとれと言ってもそれで面白みを感じるのは無理な話で シナリオはシナリオライターの強制でいいけど
最終的にプレイヤーがとらなければいけない行動はシナリオライターが強制する事
でもプレイヤーの行動に関しては強制したらゲームにならない
次の行動は決まっていてその行動だけをとる為にしかプレイヤーは介入できないなら
「物探し面倒なので全部やっといて下さい」とプレイヤーから要求来て結局全部その場所まで懇切丁寧に教えるゲームになる
「探す」事自体作業でしかないから
プレイヤーが何を思考していて、どう行動するか?それらとプレイヤーの最終的にたどらなければいけない道筋は別で
殆どの人はそこを勘違いしていると思う
だから「自由度」と言うとプレイヤーの好き勝手な行動をとってエンディングまで向かう事となってるけど
本当は、プレイヤーの自由思考がどれだけ許されるか
それと、プレイヤーの最終的にとるになる強制される道筋は異なる
プレイヤーは一人の人間なので自由に物を考えて自由に行動を決める
そこは大前提で崩す事は出来ない
その上で作り手はその自由に行動するプレイヤーを特定の道筋に強制しなければいけない
この条件を崩すから出て来る問題
作り手がプレイヤーから自由意志を奪ってプレイヤー側を操作しようとする
プレイヤーの次にする事は「これ」です
言葉でも無言でも、自分で探し出しても
次する事「これ」は開発者の思考回路で、プレイヤーの思考回路ではない
だから次に「これ」をする事はプレイヤーにとって別に当然の行動でも何でもない
でも決まっている また妙な勘違いをしてるようなんだが、
「右に行け」って言われて右に進むのは探すとは言わないから。
例えばレースで一位をとって一等賞を貰うことを「一等賞を探した」とは言わないから。
あれ持ってこい、どこどこへ行け、あれをやれ、これをやれ…
その通りにこなすことを「探す」とは言わないから。 物を隠して見つけて貰うこと自体はそんなに楽しくない。
そんなことは目的にもならないし。隠した物をどういう手順で探させるかを
工夫することで面白い遊びになりえる。
単純な例で言うと戦闘に勝ってガチャをまわしてるだけでも遊べるわけだしな。
最初から全て知ってることを他人に探させるよりは、何が出るかわからないものを
見つけるほうが100倍楽しいと思うんだけどさ。 「隠した物をどういう手順で探すか」と言うのは隠したものと言うものは確定してる訳で
それは実質は「これをやれをその通りにこなす事」になる
何が出るかは分かってる
それは答えで
探すからにはその答えを発見しろって事だから
特定のものを発見してもらう為に隠すって事はそもそも特定のこの行動をやれっていうのと同じ意味になるから
結局のところ特定の筋書きをただなぞる事に変りないと言う
まずこれを発見して次にこれを発見して次はこれ
次やる事を直接的に指示はしていないけれど、特定の行動だけを結局のところとる事になるのだから結局のところ指示されたように動かされているだけで
何か具体的な例が挙がればそれを意地悪に曲解して悪い例に出来るんだけど
例えば開発者がここではこの行動をする事を発見しなさい、発見したらはい次、今度はこの行動を発見しなさい、そしたらはい次・・・
次から次、次やる事の羅列をやらされる訳で
何でそう感じるかというと自分の意思でやってる訳でない為で
実質的には開発者の次やる事に振り回されてるだけになってる
要するに面白い遊びになりえるけれどなりえない場合もどっちもどっちなのではっきり言って隠すかどうかは重要な部分ではないかと
まず町を出たら次、洞窟にいって奥の宝箱を取ってきて戻ってきて次、中身を渡す
それと
自分で洞窟に行って宝箱を見つけ出したいと思っているから洞窟を探して洞窟に入り探索をする、何故かというと洞窟に入るがどれだけすごい事か、認識しているから、そのための情報や環境が作られているから
と 分かりいいように言い換えます
全体から見たストーリーの大局から見て
ゲームなら問題を出されている訳ですね
例えば「魔王を倒しなさい」とか
その問題に対してをれを解こうとしていてそのために隠されたものを見つける場合
それと大局的な問題はプレイヤーは自分自身では考えない、その末端で命じられた探し物だけをする場合
魔王を倒す為に船を捜す、それは自分の判断と結論で、何故なら船を使えば魔王の場所までいけると言う情報を得る事が出来たから
この場合は自分の意思でストーリーを進行している事になる
魔王を倒すには船を取るしかない、その行動しか取れない、する事が無い、それは指図によって決められた事だ、では船の場所を探し出すぞ(ここだけプレイヤーの考える事)、探しだしたら次の指示を受けよ
この場合は「お使い」または「作られた話をたどってるだけ」になる
自分で考えた事を自分でやり遂げる為に見つけ出そうとするか
それとも自分考えと無関係に決められた事を見つけ出さなきゃいけないか
極端な例で言えば
「子供が誘拐された」「これからその子を助けに行かなければ行けない」それしか出来ない、それをするしか次にする事はない→その子の居場所を探し出す
と言うのは自分で探してはいるけど、ただ「子供を探してきなさい」と言う命令(=お使い)を聞いているだけだけど
これに、「子供を捜してきなさい」と言う直接の指示を与えなかったとして、「子供を捜しにいけばストーリーは進む」としても
実質的にはお使いをしていると言う部分は同じで
プレイヤーが自分だったらそんな事はしないと一言言ってしまえばそれきり
もしもやってる人はそれをやる気は無いのに次する事を発見してそれをただたどっても
でも、それにプレイヤーを説得するという面を追加すればプレイヤーの自分の意思でそれをやったと言う事に出来る
まず最初にするのは、「プレイヤーをそれをやりたい(探するなら探したい)」と言う状態に持っていって
そうなるまでは、次する事を強要しない
プレイヤーが「それをやりたい」と思って初めて「自分でそれを見つける」形状を保つ
プレイヤーがプレイヤーにとって別にそれをやりたいとも見つけたいとも思ってもいない状態でやらなきゃいけない事、見つけなきゃいけない事が決められているその一点 例えば前情報で病弱の子供の治療を出来る薬をもってきたら沼で拾った城の裏口の鍵をもらえると思ってるなら
自分から子供を助ける為に「治療薬を探そう」と決断するんですよ
でも主人公が「自分は子供を助けるぞ」と言って、助ける事しか出来ない
とその助けると言う行動はプレイヤーにとって自分の意思じゃない
さらに、今度はそれも黙って、子供を助けたら突然鍵が手に入る
プレイヤーはこう思う「何故助けようと思った?」「何故それで偶然にも次必要なものが手に入った」と
こんな調子で次々不自然に進んでいると結局無意味で理解も出来ないストーリーをなぞってるだけ
と言う
プレイヤーはきちんと自分の打算や思考で動いているので
えさのようなものをつるさなければ自分からは動かない
魔王を倒す事が出来ると思っているから船を探そうとする
鍵をもらえると思っているから子供を助ける
逆に打算なしで人助けをするプレイヤーの心を試すようなものを作ってもいいけど
それでシナリオが基本的に進むようなゲームではストーリーに引っ張られるやらされ感強い
まれに入っていて、どうしても進めない困った困った、と思っているところにそういうシナリオと言う演出はOKだと思う
それか、メインの話からそれてこなさなかったとしてもいい展開としてだったら 人の作った話というのは最初から決められた内容で本に書かれたりするわけだが。
最初から決められた内容でそこに書かれてるからといって今からそれを読む人まで
最初から内容をわかってるわけではない。最初から決められた内容だけど
今まさに初めて読む人がいるわけなんだが。 逆を言えば、プレイヤーの思い通りの行動して思い通りの結果が出たところで
それはとてもつまらないことだと思うんだけど?
まあ、極端な例かもだがRPGツクールで自分が作ったシナリオを自分だけで遊ぶのが
それほど面白いことだろうか?
開発者が最初から仕込んであることを探せるから面白くなるんじゃないの? 3種類
・プレイヤーの思い通りの行動して思い通りの結果になる
・プレイヤーの思い通りの行動をできず話を作った人の道筋をたどる
・プレイヤーの思い通りの行動とれて話を作った人の道筋をたどる
ゲームではどちらも両立してる3番目でないといけない訳で
ゲーム的に物語り展開をきちんと作れていれば自分で作ったゲームを遊んでも面白いとは思う
プレイヤーは何だか分からないけど、ゲームが無言でこれをやれと言うのでやった(発見した)と言うのと
プレイヤーが開発者の作ったシナリオを自らやりたいと思ってやる違い
プレイヤーは高い山脈に囲まれた場所に入りたい
空を飛ぶものを手に入れたい
だから自分からそれを各地を渡り歩いて手に入れようとした結果手に入れ
無事山脈の中に入る
それと
何だか分からないけどゲーム的には次の行動は空を飛ぶものを探すらしい事を発見する
何だか分からないけど適当にいじっていたら、空飛ぶものが手に入って、何だか分からないけど山脈の中に入ったらストーリーが進んだ
何だか分からない事だらけだけど、次に進む為の条件を自分で見つけて進む
でも話の内容は付いていけてない
そして主導は製作者なのでお使いになってる
そういう違い プレイヤーは高い山脈に囲まれた場所に入りたい
何故そこに入りたいかと言うとそこに入ればゲームの目的「魔王を倒す」ために必要となる鍵か何かが眠っているからだ
では山脈の内側に入るには山脈を越えられる空を飛ぶものが必要だ
では空を飛ぶものはどうしたら手に入るか?
全部プレイヤーの頭で理屈で繋がってる
この理屈とはプレイヤーの行動した歴史でストーリーになる
お使いになるのは
はっきりいってプレイヤーは何をすればいいのか分かっていない
または、何かしたいという欲求または要求をそそられない
その状態で、命令文または無言命令が来る
「次する事」
自分だったらしない事を淡々とこなすなら、直接の命令を受けても
自分でそれを見つけるでもどっちでもお使いは同じ
必ず「自分でその行動を選んだ」と言う構図にする必要性
他に行動を選べるけど、それを選んだ
それか
その行動を選ばない事も出来たけどその行動を選んだ
それか
自分からやる気になってその行動を選んだ
主体性をプレイヤーに持ってこないとだめ いや、プレイヤーが面白そうだとか興味をもったからやってみようってだけじゃダメなの? ダンジョンの最深部にあるオーブを取ってこい
たったこれだけなのにFFなどのゲームより鮮明に冒険を覚えている
陳腐なメインストーリーだとかお使いだとかいらないんだよなあ
目標だけ用意されたゲームだけが自由で没頭して冒険できる 「面白そう」っていうのと「やりたい」「やらなければいけない」と言うのは違う
面白そうっていうのはカジノが設置されてるやってみたいっていうのでもOKだけど
そういうのはストーリーにはならない
「やりたい」「やらなければいけない」と言うのはそれをもってストーリー
何で「やりたい」「やらなければいけない」かと言うと理屈、整合性からの延長
「何故それをやるのか?」って部分がないとストーリーにはならないから
それとプレイヤーの自発性を両立しないと
ストーリーっていうのはシステムじゃないからシステム的に作ろうとしても無理で
何故ならばという理屈やプレイヤー自身の頭の中で繋がってないといけない
何故それをやるのか?の理屈がきちんと分かっていてそれをやる
と言う条件と
それをやるのは強制ではない、自分の自発性だ
と言う条件を両立
自分の意思で進んでいるのだから仮に色々な今できる選択が無数に存在していても必ず製作者の作った筋書きどおりに自分から進む
または最終的には自分から進む
またはどう進んでも筋書き通りになる(作者が意図的に統合するのとかを抜きにして)
そういう状態
無言で次の展開を見つけた場合の感覚は
ここでこういう事をしたら次に進んだ
次に進むにはここでこういう事をしろと製作者がおっしゃっているのでその通りにした
自分では何でそういう行動が必要なのか特に分かっていない
で、次の指図は?
一番の問題はお使いと言うのは、プレイヤーが何だか分からないけど進んでるって所かと
例えば主人公が鍵を探しているとして、動機は自分で鍵を必要だと思ってるから自分で見つけたいから探しているのか
それともそうすると次の展開に進むので何だか分からないけどその通りにやってるだけか どういうストーリーを鮮明に冒険を覚えているかというと
自分の判断で見ているストーリー
〜をするためにはオーブが必要だ(自分での自発性と自分で目的を認識する意味を持ってる)
そのオーブはダンジョンの最深部で手に入る
と言う条件
〜をするためにはという部分がないと
何だか分からないけど、次はオーブをとって来い
その次はどこにいけ
その次は何をしろ
それに付き合ってるだけになる
自分で「このオーブをとればどうなる」と言うのを知っていてとる
もっといえば、その後も大体理解している
このオーブをとったらそれを何に使って、するとどうなるから、そうしたら何をして・・・・・・・・・・
当然その前も理解している
何でオーブをとらなければいけないのか?そうなった理由
簡単に言うと、理屈として理解している
魔王を倒す為には、魔王の城まで行かなければ行けない
そのためには船が必要で
船を得るためには何が必要で
そのためにはこういう条件を満たす事が必要で
その洞窟に入るのはその歯車のひとつを満たすための一つの要素
というプレイヤーから見てきっちり理解している理屈 とりあえず、頭空っぽにして
ハイドライドスペシャルかシンプルTHE原始人でも遊んでみたらどうか。 >>574
要するにそれに無いのは「動機」で
ストーリーを自発性にするためには仮に別な道が存在しても自らそっちに進まなければいけない訳で
動機が無い事が最大の問題かと
「長老が病気で困っている」 (長老を直しなさい、何で?)
「特殊な薬草をもってれば病気はなおるんだが」 (薬草を持ってきなさい、何で?)
これだけだと命令されているように聞こえる
これに動機をつけると
例えば
・お城に入って王様に会って話をしなければいけないと言う目的を持たされている
・兵士や門番がいて王様のいるお城には門前払いされる
−−−−−ここまで現在の状況−−−−−
ここの長老に便宜を図ってもらえれば王様に会う準備をしてもらえるよいう情報を得る
長老は病気で困っていると言う情報(王様に会う為に長老に便宜を図ってもらう為に長老を治さなきゃ)
特殊な薬草の効果の情報(王様に会う為に長老に便宜を図ってもらう為に長老を治す為に薬草を探さなきゃ)
特殊な薬草の場所の情報(王様に会う為に長老に便宜を図ってもらう為に長老を治す為に薬草を探さす為にその場所に行かなきゃ)
これで自ら王様に会いたいからそのための手順をこなす
と言う構図が出来上がる
何の目的も打算も与えられていないのに命令するからお使いになってる 何で王様に会うのかと言うと、関所を通してもらう為で
何で関所を通りたいかと言うと、関所の先に船を譲ってもらえる人がいるからで
何で船が必要かというと、魔王のいる場所には船でなければつけないから
一番最初に与えられた目的「魔王を倒す事」の為に全ての行動は一貫して通ってる
一筋 「最深部にあるオーブをとってこい」←これがお使いではないとする理由がわからないんだが。
結局「○○をとってこい」が面白いと認めるなら、別にお使いだけでいいって話になる。 例えば「Aをとってこい」Aを持っていくと「Bをとってこい」Bを持っていくと
「Cをとってこい」…いわゆる、こういう一本道(メインストーリー)がウザいと言うなら
「Aをとってこい」「Bをとってこい」「Cをとってこい」を順番関係なく
どこからでもできるように並列に置けばいいって話になる。
その「○○をとってこい」だけのほうがゲームが面白くなると言うなら。 プレイヤーは一番最初に与えられた目的を達成しようとは目指しても
途中でころころ指示される目的を理由も分からずに達成しようとは考えない
最初の目的が与えられてないとプレイヤーは何をすればいいのか分からない
何もしようとしてないプレイヤーに次する事としてこまごま目的を与えても不愉快なお使いにしかならない
目的をとるだけで全然印象は変る
何だか分からないけど、次にする行動は長老を治す事で
長老を治すためには、何が必要で
その条件を満たすにはどこに行かなければ行けない
では行けと言っても
プレイヤーは長老を治す動機を持ってないので
それでしかストーリーは進まないならしぶしぶやらされるしかない
何故やらなければいけない?
だから作り手はそれを言葉で説明しようとする
「これはこんなに必要なんだ」って
そんな話の理屈プレイヤーは何も聞いてないし覚えてもいない
それは無言でやっても同じで
自分で発見したものはストーリー感より謎解きしたって感じになる
その謎解き感も、きちんと整合性やその他を作ってないと製作者のシナリオどおりに動かされてるだけって感じになる >>647-648
ああとってこいって書き方が悪かったかな、お使いを繰り返すゲームじゃないよ
そのまんまダンジョン潜ってオーブとって地上に戻れば終わり、ただのゲームクリア条件
作者が考えたストーリーやキャラはないし、指示もされない、クエストもない、攻略手順もない
アイテムに恵まれなかった、神装備を拾った、珍しい地形を引いた、キャラロストしかけた、こうやって攻略した、こんな縛りをしてた
そういった体験したことが全てだけど、自キャラに思い入れがあるし冒険が記憶に焼きついてる >>648
「最深部のオーブをとってこい」
とってきたら
「次はこれをやれ」
だったらお使い
「プレイヤーの目的は最深部のオーブとって来る事だ」
「そのためには何が必要だ」
目的を達成する為に何をする
「さらにそのためには何が必要だ」
だったら自主的な行動
ストーリーになるのは「のためには」で繋がる一連の目的
「魔王を倒しなさい」←最初の目的=ゲームの目的
「魔王を倒す為には」←「その為には@が必要」←「その為にはAが必要」←「その為にはBが必要」←「その為にはCが必要」←「その為にはDが必要(=最初にする事)」
最初の目的を無事達成したら感動のエンディング
最初に与えられた目的を達成する為に必要な事を自分でやってるだけになる
そこから目的を取ると
体感的には
何をするのか分からないでいると指示を受ける→
「Dをしてきなさい」→「次はCをしてきなさい」→「次はBをしてきなさい」→「次はAをしてきなさい」→「次は@をしてきなさい」→「最後の敵らしきものが出てきたので倒しなさい」→エンディング
プレイヤーは最終的に自分がどうなりたいのかも分からず、ただ何だか分からないけどゲームの進行する為に必要な事を探してその通りやってる
すると話が勝手に進んで気がついたらエンディング >>650
だから、途中に指示がない「○○をとってこい」が並列に置いてあればいいんだろ? 一つの目的を終始実行するのはゲームだけど
目的を明かされず、指示を一つ一つこなすのはお使い
それにストーリーを乗っけた場合
上はゲーム的なストーリー展開で
下はストーリーをなぞっているだけ
になる
ストーリーを乗っけなければ上はただのゲーム
一つの目的を解決しようと試行錯誤する遊びをゲームと言う >>652
ピーチ姫救ってこい、クッパ倒して来い、クッパ城最深部を目指せ
どれ選んでもゲームの内容は一切変わらないけど、並列に置く意味あると思ってるの? 昔(80年代PCゲー)だとマニュアルに読み物として書いてあったのを、
ゲーム機用ソフトだと紙面が足りないとか、そもそもマニュアルを読まずにやる子が多いとか
そういう事情でゲーム内説明いれるようになっただけだろう。 脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談脇腹くすぐり経験談 今的なストーリー展開は
一つは
遊び手から見て自分のやってる事を認識できない
脈絡を分からない
赤いペンキを持ってきなさい(または赤いペンキをとる事を自分で見つける)→そうしたら扉に爆弾を仕掛けなさい→強敵登場→倒す→エンディング
昔のゲームの展開は
自分の意思による展開
魔王をやっつけなさい
→魔王をやっつける為には魔王の城にいかないといけない:魔王の城を目指す
→魔王の城に入る為には船を手に入れなければいけない:船を目指す
→船を手に入れるためには港を目指さなければいけない
やりたい事を最初から見ている
その他にも
いける場所を歩いていたら高い山々に囲まれた塔を見つける
その塔に入ってみたい(まず最初やりたい結論を見える)
その塔に入る為にはどうしたら良いんだろう
何を必要で
このやりたい事なければただ、順番どおりにたどってるだけでやらされてると感じる
何だか分からないけれど、次は砂漠に行って、何だか分からないけど次平地にいって
何だか分からないけど敵を倒して
気付いたらスタッフロール
逆で砂漠に行きたいから砂漠に入る為の手段を探し出して、平地に入りたいから平地に入る為の手段を探して そして無事自分のやりたかった事を達成できたらスタッフロール
やりたかった事って言うのは作り手の決める事
プレイヤーの勝手に決める事じゃないから
どうすればプレイヤー(=他人)は自分(=作り手)の作ったそれに興味をそそるか?
いきたいと思うか?やってみたいと思うか?
そここそ一番の欠落
画面に未知の城を見つけたら入ってみたいと思うそれ
いじってみたらどうなるか?入ってみたらどうなるか?
何なのか?
じゃ、どうすれば入れるのか
入ったらどういう結論をやってる人に与えるのか?どういう結論付けするのか?
この洞窟はこの道に抜けるためのものでした
とか FF13とかあそこらへんかね。ゲームである意味がないって感じ 別にお使いでいいのにね。何がしたいのかようわからん。 この長文さん、きっとRPG原体験がハイドライドスペシャルだったんじゃないかと思う。 >>664
それはもうスクエニがゲーム会社だから、映画や漫画の企画は立てられないだけだとしか…
ニトロプラスみたいに元ゲーム(ただし18禁)会社、今脚本家集団
だったりしないし。 スクエニッて今から300年前の会社だ
ユイアートが今の主力だぞ?続く おつかいとかストーリーなぞるゲームって俺のひいおじいさんのころ頃の話しだぞ?続く 駄目なRPGの例
・進行が足止めタイプ
ある地域に到着したら、その地域でのイベントをこなさないと次へ進めず、
おまけに前のマップに戻れない。ステージクリア型というか、完全な一方通行。
うんこ、論外
・自動イベントが長い多い
操作が台詞送りくらいしか出来ないので、くっそイライラする。
・スキップできないムービーやOP、チュートリアル
さすがに今時これはねーか
・クリアしないと先に進めないミニゲーム
ダンジョンの仕掛けならともかく、シューティングや15パズルとかやらされたりする。
元からそういうシステムではなく突然挿入される。
なんか昔のゲームに多い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています