今のRPGってストーリーなぞるかお使いしかないの?
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自由度の先にはお使いしかないのか
なら一本道でいいやって最近思うようになってきた 聖剣3の神獣みたいにすればいいのかな。
最後の8匹目以外は倒す順番自由で
一体倒すごとに他の神獣が強くなって行く >>722
自由度の高さは必要だけど、自由度という概念を現代人は勘違いしているのではないかと
今の人の考える自由度が高いっていうのは、自分のやり方でやる事ができるように作っている事
ゲームでいう自由度っていうのはプレイングを許可しているという事
今の人が作る自由度というのはこんな感じ
・行きたい場所に行ける
・選択肢が多い
・分岐が多い
自分のやり方を選べる事
ゲームでいう自由度が高いっていうのはこう
・与えられた空間(場)は隅々までいじれる
・空間(場)と可動範囲に矛盾がない
与えられた空間を隅々までいじれる事
RPGで一つの大陸を与えられたら山や海などの進行を阻むものがなければ隅々まで探索できるはずだ
隅々まで探索したら(次進むべき場所とは無関係に)何か見つかるはずだ
また山など道を阻むものまでは必ず進めて然り(行き止まりまで探す事が許されている)
現代人の自由度が高い低いっていうのはフリーローミングか一本道かでしかないからその間でどう調節してもつまらない事が最初から決まってる 例えば、ゲームに一つのフィールド(場)を与えられたら
場を自由に動けなければ、ゲームの指定した行先にしか進行が許されないという事になる
それがストーリーをなぞるお使いだけのゲーム
要するにゲームでは特に制限がされていなければ自由に行動できるという前提になければいけない
(制限がなければ最初からゴール地点の魔王まで直通で行けてしまう自由)
実質的に行動する場所(通る場所、通過する場所)が次進むべきシナリオの場所だけっていうのがお使いのゲーム
では、自由すぎるプレイヤーにどう制限をかけるかっていうのがゲーム制作
プレイヤーに目的地まで直進されちゃ困る
だから目的地まで進めないよう行動範囲を山で囲む
するとプレイヤーの行動範囲はその範囲内に絞れる
西のフィールドに進むのを制限するために、西のフィールドに出る敵のレベルを上げる
また山で隔てて洞窟を通過しなければ向こうへいけないようにする
洞窟に入るには鍵が必要だ
自由なプレイヤーを様々な手段で制限をかけた事になる
そこを自由に歩いて、自由にいじって話を進める
それが普通のゲーム
現代人の言う自由っていうのはそういうのと全然関係無い
制限をとりました(主人公を阻む山をとったので直通で魔王の場所まで行ける)
仕事を自由に受けれる(仕事が一覧になっている)
選択肢を増やしました
分岐を増やしました
自由に動ける場が与えられていないのでゲーム的な自由度は実際のところお使いと同じ
ゴブリンを倒して来い⇒ゴブリンの洞窟まで一直線⇒報酬 場っていうのは、この目的を達成するためには、この範囲で自由に動いていいという範囲
ゴブリンを倒すという目的を達成するのにこの範囲を使っていい
この範囲には塔と洞窟、城がそびえている
ゴブリンは洞窟にいるが洞窟には鍵がかけられていては入れない 世の中のほとんどの人間は資本の奴隷
自分の意志で生きれているやつは1%も居ない
その自覚すらなく生かされている家畜みたいなもん
自由の無い状況を自覚すらできない者に
自由の本質など理解できない 「範囲内での自由」の代表例が戦闘
自分のHPが0になる前に敵のHP0にできれば過程は色々
何度も戦闘するならそれも含めてのリソース管理があるし
戦闘前の準備の段階から、限られた金や、成長に方向性つけられるならそれもどこにつぎ込むか
まーでも無限にレベル上げできて物理で殴ればいいようなゲームだと
過程に色々できたところで、ってのはあるね >>729
それは自由の代表ではない、のでは?
過程が変るっていうのは、道筋や選択肢を複数用意したから自由っていってるのと同じ
自由っていうのはようは自分の意思で動けるかどうか
西に行きたい時に西に行けるか
自由でないというのは、「北へ行かなければいけない」と自分以外のどこかから指図を受け自分の行き先が他人によって決められている事
範囲内での自由っていうのは自由のままに動けるプレイヤーに対し自由に動かれないように動ける範囲が制限されている状態
プレイヤーが西に向かえば目的地へ着いてしまう
直通で
これじゃゲームにならない
だから山でプレイヤーの行動範囲を囲って見る
するとプレイヤーは自由に動けても目的地へとはいけない
その山を越えた時にのみ目的地へといける
その山を越えるために必要なものはその山で囲まれ制限された範囲内で自由に行動する事で見つけられる
その山から抜けるためのものを直通で得られないようにさらに行動を細かに制限する
というように、自由というのを制限する事で基本的にゲームは成り立つ
要するに自由でないゲームっていうのは
制限されていないのに、自分の行きたい場所に行けない、行動をとれないゲームの事
自由なゲームっていうのは、自分は完全に自由だけど、制限されているから限られた範囲でしか動けない
西へ進む事ができず、指図された北へしか行けないのが不自由なゲーム
西へ向かうと山にぶつかりそれ以上進めない、北には何か先へ行けそうだ、ていうのが自由なゲーム
不自由なゲームはプレイヤーそのものを制御しようとする
次はどこへ行け、何をやれ
自由なゲームっていうのはプレイヤーそのものを制限しない
プレイヤーが自由に動いた結果、制限する壁にぶち当たるのが自由なゲーム
東西南北どこにでも自由に動ける >>730
あんた自分の思う自由度と多くのユーザーが求めてる自由度がズレてる自覚あるのに
何でしつこくダラダラ語ってんの? >>731
多数の人の求めている自由度が>>730
それで、一部の人間の言う自由度だけど、それを再現できる側にいる人物の提唱する自由度が選択肢や分岐の事
TES等のRPGを見て、これぞ足りなかった自由度だ、満たされたと言い出す人が一般側じゃないからこのスレが立ってる
自由度が足りない、選択肢を増やそう
この発想でいる限り何の解決もない
現代人の発想
自由度とは与える側がいて作り与えるもの
与える者が与えた選択の数だけ自由度が得られる
与えれば与えるだけできる事が増える
与えられた事だけができる
作者が与えなければプレイヤーは自由ではない
自由とは作者に与えられる物
本来の自由度
自由とは生まれながらに誰しもが持っている
自発的に動ける事が自由
自由とは人に与えられるものではない
自由に動かれてはゲームにならない
ゲームを作るためには自由を制限しなければいけない
現代人の発想による自由はプレイヤーは自分ではものごとを考えず与えられた行動しかとらないという前提
@の選択肢とAの選択肢を与えてやる、だから自由だ
本来の自由とは自由な事、プレイヤー側に立って考えたら、プレイヤーは好き勝手やるだろうその目線で作られているか
プレイヤーだったら、こんな事もこんな事も考えるだろう、だからこんな事をやったらそれをできないようにちゃんと栓を絞めておかなきゃいけない
また自由に動いてしまうならこんな抜け道も使うかもちゃんと気付いて蓋をしておかないとバグになる
ゲームというのはそもそも作者や管理の言った事だけをやる前提にできていない
だからルールに記載されるのはやってはいけない事
球に手で触れてはいけない、他のプレイヤーを押してはいけない
もし押した場合はこの処理を適応する
自由に行動するのが当然だからそれを制限する
今のゲームは球をけるという選択肢を与える
前と横に蹴る選択を作り与える
与えたとおりにだけプレイヤーは行動する
こういう処理 建物に閉じ込められたならプレイヤーは扉から外へ出ようとするだろう
窓からも出ようとするだろう
外部と連絡を取るかもしれない
そこをちゃんと分かっていれば自由度の高いゲームを作れる
自由度を分からない人の作るゲームはこうなる
建物に閉じ込められた、扉@と扉Aにどっちに進むか選べる権利を与えよう
@に進んだ場合こう分岐する、Aに進んだ場合こう分岐する
そこ以外はルート通り動かなればいけない >>730
東西南北なんてのも選択肢でしかないよ
戦闘の過程が複数の選択肢にしか見えないのに東西南北の移動がそう見えないのであれば
錯覚にはまり込んでいると言わざるを得ない 東西南北は選択肢ではない
全然別の要素
選択肢っていうのは作者から与えられるもの
この中から選んでよい
東西南北は進んでよいと与えられる訳ではない
自分でプレイヤーが好きに動いたら東西南北に行ったというだけで
正反対になるのは、東西南北はできない事
東西南北はそれぞれ栓がされていて通れない状態にされている 今のゲームでいう自由は、順番を並び替えられるのが自由だとか、選択肢から好きな場所に行けるのが自由だとか
そういうもの
本来の自由というのは、選択肢も順番もない状態
プレイヤーは自発的に好き場場所をいじってよい
というもの
それこそどこをいじられてもいいように徹底的に作りこまれる
今の自由というのは『与えられたものの中から』選んでよいという前提がついてる
昔の自由っていうのは完全に自由、行けるものなら好きなところに行ってすきにいじり倒していい >>734
人は生まれながらにして自由
コンピューター関係ない RPGに自由度が有った時代なんて無いだろ?
なんで昔はあったみたいな言い方がされるのかがわからん
メタルマックスにもドラクエにも自由度なんてねえよ 現状に不満があるならRPGツクールとかツールもあるんだし、それで「俺の理想のRPG」の叩き台でも作ればいいんじゃね?
頭の中だけの理想を語られても話が進まないから RPGというかゲームというものは
ゲーム側が特にプレイヤーを制限しなければ完全に自由が前提
プレイヤーは自分のやり方でやろうとする
製作側はむしろ制限こそすべきで
でも今のゲームは自由は製作者が与えないといけないと思っている これがもしゲームでなかったら、
ロトの血を引くものがラダトームに現れたと聞いた竜王は、
さっそくLV5にも満たない主人公にダースドラゴンやキラーリカントを差し向けるだろう。
主人公のLVと行動範囲に合わせて敵の強さを調整してくれる竜王様に乾杯! >>742
魔王側も力が戻っていないのでキラーリカントとかダースドラゴンとか作れません、残念!
・・・もしも、勇者VS魔王で対人戦ができるRPGがあったなら、こうなりそう
勇者はレベルアップで、魔王はターン経過と世界の制圧度で成長する
RPGvsタワーディフェンスみたいなゲーム 気になるのは東の海底洞窟に捕らえられドラゴンで塞がれていたローラ姫だ。
いったい何日間、いや何カ月間、あのただの通路の袋小路に過ぎない暗闇の小部屋に閉じ込められていたんだろうか。
食事はドラキーとかが運んでくれたのだろうか。
そして排泄物はどうなったのだろう。
風呂もずっと入れない状態で体も匂って垢もでてくる。
もしかして肌にまとわりついて汗や分泌物、垢を食べてくれるスライムとお友だちになって仲良くしていたのかもしれんし、排泄物もスライムやメーダのエサになっていたのだろうか。
勇者がドラゴンを倒しあの部屋に足を踏み入れた時、いったいあの部屋はどんな臭いがしていたのだろう。 >>737
昔のゲームって具体的にどれ?
昔のゲームになんでも弄れるほどの分量があったとは思えないが
用意されたコンテンツを消化するだけという点では古今変わるところはない >>746
まさか、倉庫番、ロードランナー、大戦略みたいに自作機能のあるゲームをあげてきたりせんよな、>>737は… >>746
違う
見てるものがそもそも違う
自由というのは与えられるものではない
自由というのはもともと生まれながらにして持っているもの
山で囲まれたマップ、山にぶつかるまで好きな場所へ行ける
というのが自由
山に少しでも隙間が空いていればその隙間から抜け出れる
プレイヤーが自由に動き回るのはゲームを作るうえでの大前提
プレイヤーが作り手の意図する範囲以外に出れないようにするためにはプレイヤーの自由を理由をつけ制限しなければならない
だから行ける範囲を山で囲う
すると自由にプレイヤーが進んでいっても山にぶつかり行動範囲が制限される
そのマップのどこかにその山を越え行動範囲を拡大できるための何かが隠されている
自由を行使して隅々まで調べればきっと見つかる
今の言う自由というのは、行ける場所に東と西と南と北をリストとして作った
その与え手の用意してやった中からお好きなものを選んでよい
というのが今の現代人のいうところの自由
作ってもらったものが4っつも作って与えてもらったからこんなに自由だ >>748
おまえの言い分を聞く限りはただのコマンド総当たり謎解きアドベンチャーしか思いつかないのだがw
解法が決まってんだから自由なんて欠片もねえよ
その山の隙間とやらが見つけられるか見つけられないか二つに一つだ
隙間の隠し方が面白いならそれは面白いゲームだろうが自由度とはなんら関係なし
さっさと具体的なタイトル挙げろよ その考えがそもそも自由度を勘違いしている
解が複数ついていてもそれは自由ではない
解というのは、作り手より与えられたただの「束縛」
このやり方で通れるという束縛
束縛が複数つけられてもそれは束縛でしかないので自由ではない
ゲームの自由というのはプレイングの事
自由というのは、行ける範囲を歩いて好きな事を試す事そのもの
北のお城にも行っていい、南の町にも行っていい
ってのは現代人の言う自由
本来の自由というのは
行ける範囲においてどこに行ってもいい
何をやってもいいというもの
どこに行ってもいいので、その結果北に行けばお城が見つかり
南に行けば町が見つかる
東西にも行ける
その中間にも行ける
現代人の言う自由にはできないという事がない不自然で不完全なもの
本来の自由にはできない事が伴い、できない事が大半を占める
自由に動ければできない事にぶつかって然り
北に行けば通れない山にぶつかる
南に行けば谷間にぶつかる
東西に行けば崖で通れない
その中途の中間にお城や町が存在する
自由に動けるというのはできない事の方が多い事で
逆に言えばできる事だけが数点存在するというのはどんなにそのできる事が多かったとしても非常に自由度が低い
さらに言えば、解は複数作ろうと、実際にプレイヤーが通るのは一つしかないのだから、そこまでの通路が一直線だったら殆ど自由に動けずに進むしかない事になる そんな抽象的な御託はいいから具体例をひとつ挙げろ
それで済む話
オープンワールドでも存在するクエストは限りがあるのだから、それを探し出し攻略するためにおまえの言う試行錯誤をする必要があるのだが
おまえのいう「不自由なゲームの定義」に該当するのはマインクラフトのような本当に特定の目的がないゲームぐらいしかない
現代でも主流ではない
サンドボックス系でも亜流ははっきりした目的があるのが大半だからな
DQビルダーズでもポータルナイトでも >本来の自由というのは
>行ける範囲においてどこに行ってもいい
>何をやってもいいというもの
>どこに行ってもいいので、その結果北に行けばお城が見つかり
>南に行けば町が見つかる
>東西にも行ける
>その中間にも行ける
>本来の自由にはできない事が伴い、できない事が大半を占める
>自由に動ければできない事にぶつかって然り
>北に行けば通れない山にぶつかる
>南に行けば谷間にぶつかる
>東西に行けば崖で通れない
>その中途の中間にお城や町が存在する
こんなゲーム、ゲーム売り場で石を投げて当てない方が難しいレベルだが
少なくともRPGなら現代のゲームでも全部できてるだろ
それこそ「RPGと名乗ってるスマホポチポチゲー」くらいしかできてないRPG思いつかん ゲームにその意味での自由はないよ。
すべてシステム上用意された想定内のシナリオどおり。
想定外はバグや改造だろう。 逆らう自由のあるゲームなんて電源非電源問わずどこにもない
逆らえるように見えてるだけで別ルートが用意されているか、単純に入力を受け付けないだけだ
将棋で歩を一度に2マス進めたらそれはルールに逆らったことにはなるだろうが反則負けになるだけだ
サッカーで意図的にオウンゴールしたやつはもう試合に出してもらえないだろう 製作者とプレイヤーの対決みたいな思想があるからこういうこと言い出すのかね
古臭いよな まあ逆らう自由はあるよ
MOD入れたり、非電源なら(参加者が了承すれば)勝手にいくらでもルールを変えられる
なんなら自分で一から作っても良い
実際に広く実行されてることだ
ゲーム外で自由な行動を取れない人間が、ゲーム内の自由に文句言うんだろう >>758
それは逆らってるんじゃなくて新ゲーム、新ルールを作成しているだけだ
フットボールや大将棋みたいなものだな ゲームに逆らうというのはcoopゲーでのトロールのようなものだ
TRPGなら原義通りの『マンチキン』を指す
ゲームに逆らうことは自由というより放縦というべきだな
あるいは端的に破壊というべきか ゲームとは「自由選択(プレイング)」「判定」で成り立つ
北のお城でバイトしてもいい
関所に行ってもいい
それぞれその先にはプレイヤーの自分の選択した道が続いているではゲームになっていないし、ただ一直線に進んだだけ
本来のゲーム形状では自由選択が存在する
自由選択にはゲームから返される結果が伴う
現在行ける場所(行動すると何か反応の起こる場所)がたった一つでなのが現代のゲーム
次進む場所(進むとプレイヤーの決めた場所)がたったの一つ、聖堂へ行きたいのなら聖堂へ一直線
本来のゲームの形状ではこう
結果はゲーム側が握っている
答えは次行かなきゃいけない場所は聖堂だ
でも現在行ける場所は、聖堂、洞窟、お城だ
でも洞窟は鍵が閉まっていては入れない
お城は兵隊に追い返される
聖堂に行った場合にだけ目的の道が前進する
これなら現在進むべき道(進もうとする道)に対してのできる事が3倍存在する事になる
聖堂へ行きたい、だから聖堂へ向かう、聖堂へしか行きようがない
これだと、動ける範囲が、または動いた範囲が、たった一つで一直線にしか進んでいない
こういう進み方をするのが現在のゲーム
聖堂へ行かなきゃいけないという目的一つに対して、可動範囲がたった一つ聖堂へ向かう事だけ
という関係図になってしまう事が問題
ゲームに必要なのは、一つの目的または行動に対して多数の可動範囲を持つ事
要するにその多数の可動範囲内のそれぞれの事象は実際には進めないのだから無駄になる
無駄を作れていない
聖堂に行きたいなら聖堂へ行けばいい
または、聖堂へ次は向かえ
一直線でそこに行けばいい
と一直線だとゲームにはなっていない
ゲームになるには
聖堂に行け
でも聖堂には行けない
ではどういう順をたどれば聖堂へ入れるのか
今行ける可動範囲は、王宮、洞窟、聖堂
これなら初めて行動が一直線にならない
聖堂に入るという一つの行動をとるために、プレイヤーの自由可動による不規則な経路を進む事になる
聖堂へ入るという一つの行動のためにできる選択は見かけ3に増えている
実際には3×2×1また実際は3×(3-n)×(3-n-m)(n,mは行動実行によりその後の行動領域の増減の数)の数だけ行動する、または行動パターンが存在する(見かけ及び実際にも)
もしも行動の中途に行ける場所に変化が出ればもっと格段に増える
単純計算でこれだけ増えるのだから実際はもっと
だから、行きたい場所と実際に行けばいいがイコールになる今のゲームは非常に自由度が少ないといえる そもそも人間は自由な生き物という認識自体が間違っている
人間の行動決定は経験の蓄積によるものでしかない
自由=何にでも逆らいたがる、という認識も狂っている
この時点ですでにだいぶ自由じゃないな
仮に人間が自由に何にでも逆らいたがる生き物ならゲームという概念自体が存在しなかっただろう
いやそれ以前に社会が存在してないか
こういう人間認識に至るのはこいつ自身が反社会性人格障害者だからなんだろうな
昨今の血なまぐさい事件を犯した連中と同質の存在 >>763
その自由に対する認識が間違っている
見ているものが違う
ゲームは逆らう事そのものだけど人間が逆らうものとは言っていない
人間がゲームという環境に投げ込まれると自由に動いてしまうという事
これはゲームという性質上の大前提で当然の事柄
むしろゲームという環境に投げ込まれてゲームに与えられた事だけをやるゲームはゲームでない
勝つためにどうすればいいのかをプレイヤーは自分で考えるなら自由に行動するのは当り前で
ルールにより制限されていない裏手の手段が使えるのならそれを使うのも当り前
サッカーで手で触れちゃいけないとなったら頭や胴で触れるのは当然
ここを読めば分かる
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1509174237/l50 >>757
壊レコさん自身「理解されたら負け」みたいに思っているところあるよね
まず「ちがう」から入って、じゃあ理解されやすいよう言い方変えるとかじゃなく理解されなかった言葉を繰り返す >>765
URL引用なんかしないで、あなた自身の頭でひねり出した言葉でレスを書けよ オープンワールドは自由とかいうけどさ
単にイベントやる順番とか選択が一本道より多いってだけだよな >>765
人間がゲームに入ったらまずやることは提示されたルールに従うことだろ
ルールを説明された端からいきなり歩をニマスも三マスも動かすおまえのような反社会性人格障害者はそもそも対局してもらえない
コンピューターゲームの場合はそもそも用意された入力しか受け付けないから論外なのだが
おまえの人間とゲームに関する認識は根底から間違っている
手段は膨大だが勝利条件がはっきり決まっているゲームがやりたいならストラテジーでもやれば?
civとか将棋並みに定跡が膨大だぞ ゲームサロンもおもしろけど自分で小遣い稼ぐ方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
AHJWF >>768
オープンワールドで重要なのは自由度じゃない
マップ間移動により生じるアイドル時間が消えたことだ
眺めるしかない時間なんてゲームにとって悪そのもの
待ってる間に相手の思考読む必要がある対人系だって長時間待たされるのは嫌だろ
だから大抵時間制限を設けてる 眺めるだけってのはあれな
プレイヤーが操作できないことはもちろん、そこに戦略性とか緊張感が一切皆無なシーンのことな でも眺めるだけなのも悪いことばかりじゃない
行動による結果が不安定の場合、間にわざとアイドル時間を入れてじらした方が緊張感はより高まる
しかし結果が分かりきってる場合は無意味 >>768
ゼロサムで「自由か否か」というより「自由度が(比較的)高い」ていうならそれでいいと思うけどな
自由度なんて言葉の時点であくまで比較の問題であることを表してる
選択肢が少ないよりは多い方が自由度は高い
一本道のRPGもノベルゲーよりは自由度が高い RPGでいう自由度って開始直後における探索可能範囲の広さでしょ
だから一本道でも、最初からどこへでも行けるなら自由度が高いといえる
でも一本道の癖に探す範囲広いとだるいから、攻略手順変更できたり何らかの分岐を設けてるってだけ イベント進行の手段が一つしかないのがお使い
これが最後まで続くのが一本道
前のエリア(町など)に戻れないのが一方通行
探索範囲の広さ=自由度の高さ オープンワールドは移動時間が退屈すぎる
面白いものを発見できることは稀だし、そもそも製作者が設置したものでしかない
それなら面白いものだけ作ってマップ選択で飛べるようにすればいい
どのみちファストトラベルばっか使うんだし 移動時の緊張感がないからそう感じるんだろうな
昔はランダムエンカウントで誤魔化していたが、最近はMOBが見えてて避けやすい
よってどこへ移動するか?を考えるだけになってしまってる
つまり暇 CRPGのランダムエンカウントって
旅の厳しさを全部戦闘に集約したものだと思うんだよ
長旅だから食料多く持っていこう→戦闘多いから薬草多く持っていこう
険しい山道だからそれなりの装備じゃないと→雑魚も強いし武装整えないと
雪国だから寒さ対策していこう→冷気系の敵が出るから冷気半減の防具着よう
みたいな感じで
ゲームの表現力が上がったんだから
戦闘以外で厳しい旅を乗り越える感じを出してもいいかもしれない そういうRPGもいくつかあった
しかしRPGプレイヤーの肌に合わず軒並み消えていった
食料システム→んなもん管理してられるか、いらね
気候や地形による装備変更→装備とかいちいち変えてられるか、いらね
状況に応じて行動を変化させるのが苦手っちゅうか
宝箱の罠や戦闘のように、リスクに見合う報酬がないのを嫌う
厳しい気候を乗り越えた達成感よりも、まず報酬みたいな PS1/SSの頃って、
世界を巡るのじゃなくて
広大ダンジョン一つ+そのふもとの町一つだけがゲームの舞台になってるってのも多かったしね ポリゴン化による容量の都合だろうけど、逆にそのおかげで適度に緊迫感を保てていた >>780-781
大航海時代シリーズみたいにそっちに主軸をおいたタイトルもあるしな
結局ゲームなんだから要素を詰め込みすぎても面白くならないわけで
ある程度見せたいものを絞って引き算しないとどっちつかずの見どころのぼけたゲームになってしまう 唯一の障害であるMOBが見えてたり怯ませたり出来て避けやすくなりすぎ
そりゃ移動が暇な時間になるわけだわ
冒険じゃなく散歩になってる
なんつーか全部が固定になりつつあるんよな
運の要素的なものが消えつつある
場所が固定になっちまったらドキドキワクワクなんて初回だけや >>781>>784
なるほどヒロイックファンタジーあるいはそれに類するような題材なら
むしろ戦闘に集約することこそ正解か
>>785
MOBを避けることもゲームとして成立させる…とかも考えたが
>>784で言うように見どころがぼけてしまうか
なんもかも運頼みもそれはそれでプレイヤーを脳死にしてしまう気はするが
ある程度法則、ルール、セオリー的なものはありつつも変化する部分に合わせて対応考えさせるようなものがいいな
数学の問題を解くように
値が変わっても同じ公式当てはめるだけ…とも限らない
値によっては例外があったり、より効率的な解き方があるかもしれないし
でも公式過去問などの知識はそれはそれで役に立つ、みたいな 暇な時間をいかになくし、緊張感をいかに演出するか
ランダムエンカウントに戻すだけでいいな それで不満が出なければいいけどねえとは思うから、
間をとって
自キャラのマップ移動中に、一歩ごとに遭遇判定して
判定が合えば自キャラの周囲5マス先(前だけでなく後や横でもよい)ぐらいに敵シンボルが出現する
というのはどうか ランダムエンカウントって緊張するか?
べつにプレイヤーが緊張感高めたからって確率が変動することは無いわけだろ? ランダムだとある程度敵出現パターンや出現間隔は掴んでいても、
実際エンカウントするまで何が出るか、いつ出るかは不明
また、特殊な方法を使用しない限り事前に避けることが出来ない、まさにアクシデントそのもの
だからこそ、準備の幅=戦略の幅が広がる 戦略の幅が広いということは、不安要素=緊張感もそれだけ大きい
不安をなるべく取り除く為に人は試行錯誤する
これがゲーム性に繋がる >アクシデントそのもの
>だからこそ、準備の幅=戦略の幅が広がる
ここにもうちょっと補足が欲しいかな
できれば具体的なシチュエーションで戦略の幅が出る例を挙げて欲しい
毒対策が必要な敵が出る可能性があるなら、戦略としては毒対策するのが唯一の正解だろう
運が良ければ毒対策必要な敵に合うことはないかもしれないが
それが完全に運頼みであればそれに頼るのは戦略的判断とは呼べない
みたいなことを俺は考えるわけだが シンボル
敵は見えてるので戦う場合はそいつに対する準備のみでよい
例えばそいつが攻撃力高い奴なら事前にHPを回復しておく、MPなければ避ける等
これを大体モンスター毎に行える
戦術的
衝突して逃走ミスったりでダメージ受けてようやく戦略に切り替える的な
ランダム
突然出現するので、出現しうるモンスターを考えあらゆる準備をする必要がある
逃走失敗のことも考え、目的地到達までにどれだけ薬草を使うか、MPを消費するか
あるいは運を天に任せて突っ切るか
戦略的 それシンボルでも何の敵かわからない曖昧な「敵影」にしたら関係ないし
実際具体的に何のモンスターかは戦うまでわからないゲームが多くないか? シンボルはメタルスライムだけど、接敵してみたらやばい呪文使いが付いていた、とか普通にありそうなのにね
>>793はシンボルエンカウントに対する認識が「夢幻の心臓II」で止まってるって人でもないだろうしなあ
(モンスターの群れが「シンボルで示された同一種モンスターの個体数だけが違う」という方式
なので、上記のような現象が起きない) 敵がいることは分かってるわけだから、少なくともワンクッションある
避けるか、とりあえず回復して衝突してみるか、等
ある程度ゆとりを持って戦闘に挑めるわけだ
つまり、その場その場での戦闘において戦術的に考えることが出来る
ランダムの場合は歩数で大体分かるにせよ、本当に出現するか不明
シンボルのようなワンクッションがない
だから移動時は後何回くらい戦うことになるか?回復はどのタイミングで?など、
一回一回の戦闘そのものよりも、道中を戦略的に考える必要がある すまんやはり俺の認識が古かった
接触=戦闘開始じゃなく、発見されたら戦闘開始でいいんだよな
つまり>>788でFAだ
歩数かなんかで敵シンボルをランダムに沸かせ、気づかれなければ避けて通れる
気づかれたら距離が離れていてもそのまま戦闘開始
Wizardry8なんかは参考になると思う というわけでランダムエンカウントがどうたら書いてる俺のレスは全て忘れてくれ >>797
ゾンビはドンクサいので見つかっても逃げれば振り切るのは容易、とか
透明化やサイレンスの呪文が活かせる
(味方全員にサイレンスの呪文を事前にかけておけば、視力がなくて足音で気付くモンスターに対するステルス効果あり、とか)
とかできたらいいね 最近はまってるRPG、放置系だけど面白いぞ
https://goo.gl/ngr4Eg >>799
アクション寄りだがダクソがそんな感じだなぁ もうアクションでいいと思う
RPGの時代は終わった アクションは敵の攻撃避けて殴るだけなのがな
考えながら戦うアクションとかが少なすぎる プリンスオブペルシャとかヤマニシさんのやつとか
ああいうアクション少ないよな
ひたすら爽快感追い求めてるアクションばっか >>804
ゲーム業界全体の処理速度をもっと落とさなきゃ >>802-803
ゲームオーバーにならない程度の(←ここすげえ重要)
痛い目にあいながら経験・学習していくってことが
RPGじゃないアクションだと、できないからね >>805
ダークソウル1作目がデモンズソウルよりもっさりしてたのはそういうのもあるんだろうな 仲間にショタ幼女出すRPGは軒並み糞(主役の場合を除く)
そいつらがメイン張ったらもう見るに耐えない クリアしたらあとやることは別ゲーいくか最初からまたやるか
しかしクリア後のやりこみ要素的なものを増やしてプレイ時間を延命してるのが実情
終わりがない果てがない 本編も無駄に長い
別ゲーいかせたくないなら最初から何度やっても楽しめるつくりにしてくれ ぶっちゃけそれでいい
やり込み要素とかマルチエンドとかいらん そうなると、ソフトを所有するんじゃなくて
ゲームセンターにやりに行くぐらいのレベルでしか遊ぶ人との接点がない方が
ゲーム1本あたりのの寿命長くなるかもね 放置ゲーによくある周回要素入れようぜ
そのままでもクリアは可能だが時間がかかる
途中で周回することでより強さを増し、うまくやれば時間を大幅に短縮みたいな とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
XIQ そもそもRPGとは何なのか
それは卓を囲んで語らう、パーティーゲームだったのだ
つまりはスマブラ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています