> 今までの言い草からすると私には娯楽以上の何かを求めてるような気しかしない

そんなに難しい話じゃない。「趣味と実益を兼ねる」ことができればそれに越したことはないし、そうすべき、という話。
TRPGは疑似体験をする遊びだ。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があるが、「経験」は何かを学ぶ上で、
手っ取り早く、愚者の心にも響きやすい方法だ。もちろん賢者にとっても、より深く学べることがあるだろう。

私の知人で、多数の小学生を相手に豊富なマスタリング経験を持つものがいるが、
「戦闘時の負傷描写」「窃盗・略奪行為とそのリスク」「NPCの心理描写」は特に気を使っているらしい。
小学生らはゲームの世界で、無神経で身勝手な失敗を繰り返し、いろいろな人をゲームの世界で、
物理的・精神的に傷つけながら反省し道徳的に成長するとのこと。
「他人の痛みに敏感になる」「他人を傷つけてでも、なすべきことがあることを知る」
子どもたちがダンジョンから持ち帰った最も尊い宝がそれだ。

上記はわかりやすいように子供の例にしたが、当然、大人にだって学べることは多い。
「心無い一言」をプレイ中に発してしまい、苦しんだ経験のあるPL諸氏も多かろう。
その経験はリアルで同じ愚行を繰り返さないために、きっと役立つ。
ある若い女性で「憲法9条」の支持者がいたが、俺のマスタリングやプレイング指導で改心し、
過去の自分を大いに恥じている人もいる。

人間は何歳からでも成長できる。そして成長の肥やしは経験。汲めども尽きぬ泉の如く、
「極限状態の経験」を生み出すTRPG文化を広めることで、社会全体の道徳的成熟を加速させ、日本の核武装にこぎつける。
それがゲーマーに課せられたミッションの一つだ。


>そもそも何をもってして“真剣に生きてる”と言える?
>仕事か?趣味か?それともTRPGに求める何かの探求か?

言うまでもなく「真剣な生」は各人の置かれた立場でケースバイケースだ。
ただ「死を意識し、いつ死んでも悔いの無い状況」を常に保つことは一つの目安だとは思う。
最善の意思決定の追求。明日、世界が終わるとしても、今日、敵を殺す覚悟。
日常の中で、磨き抜かれた信念をPCに乗せて激しく卓で衝突させる。それがTRPG。