ストーリーテラーではないRPGの問題点・方向性の議論Part17
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このスレは家ゲーRPG板で続いていた「RPGの問題点・方向性」シリーズの派生スレです。
既存の和製一人用RPGのうち、
「プレイヤーにストーリーを語ることに主眼が置かれたストーリーテラー型」を除いた
RPGの問題点を考察し今後の方向性を建設的に議論しましょう。
ストーリーテラーではないRPGの問題点・方向性の議論Part16 [無断転載禁止]©2ch.net
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1488597410/ >>336
人の認識や活動って、「脳が決めてそのように動く」だけではなくて、
「モノを受けてそれに反応するように人は認識・活動」するという側面がある
「能動性があるプレイヤー」をあらかじめ選別するような考え方は了見が狭い
自分では能動的に選択しているつもりが、
何かを選択する前に、人はモノの次元で何かを選択するようにいざなわれてる
「能動性があるプレイヤー」が存在するように思えるのは
モノによっていざなわれていることを無視してプレイヤー像を単純化した結果 >>339
ゲームのRPGはゲーム提供者とプレイヤーとの対戦
または対話
だから、その関係が崩れてる今のRPGがゲームになってないだけで本来はゲーム
今のゲームは完全に一人でやってる 他人の言うことにはまず否定から入り
自分の言うことを理解してもらうための努力も無く
長文垂れ流すようなのが対話だと思ってる人にしてみたら
「○○させない」ばかりな一本道ゲーこそが対話なんだろうな とにもかくにも、このスレで語る範囲でOWとそれ以外のゲームで差異が出てくるようには思えないんだよな
形式に対する偏見で話が進んでる
選択肢の網目でカチコチにしたけりゃOWもカチコチにできるし、
古典的RPGも「何にもない自由」みたいな状態は作れるわけで ドラクエ1をフル3Dにしたらオープンワールドと呼ばれるものになるかもしれんが
それでゲームとしての本質が変わるわけでもないしな >>340
ゲームの構図っていうのは
プレイヤーからの働きかけ→それに対する向こうからの反応→それに対するプレイヤーの更なる能動的な選択
基本的にプレイヤーは能動的な立場にいる前提
例えば、魔王を退治するゲームだったら
魔王退治のため、プレイヤーは魔王の城へ行かなければいけない
けれど魔王の城は周囲山に囲まれていては入れない
周囲を山で囲まれた魔王のお城への入り方を、自分の手足を動かして無から見つけ出す
山の周囲に入れる穴はないか?
無いのならどうすれば入れるのか?
どうすれば道がそこにできるのか?
そうやって探す事がゲームのプレイヤーの能動性
その能動性に対してゲームは必ず反応を返す
魔王のお城へ向かおうとするプレイヤーへ、お城は山に囲まれているという結果を返す
山の周囲を侵入出来る穴がないか能動的に確認するプレイヤーに対してゲームは穴はないという結果を返す
するとプレイヤーは穴は無い、と知り、別の道を能動的に探す
ではどうすれば入れるのか?
どういう行動をとれば、ゲームは山の中にプレイヤーを侵入を許可するのか?
それが本来のゲームの構図
今のゲームではそれが崩れていて成り立ってない
例えば、プレイヤーが能動的に行動選択をする必要に迫られない
次はここへ向かうんだ、と指示されるからそこへ向かい
そこにしか行けないからそこへ向かう
要するに命令されて初めて行動する
これは受動的な行動
また、指示が来ない場合する事が何もない状態になる
する事が完全にない状態
これもまた受動的になるような作り方 ゲームっていうのは、勝敗
ゴール条件達成の遊び
そのためには、ゴールするためには、どういう行動をとればいいのか?それを能動的に試行錯誤するのが大前提
だからこそプレイヤー毎にプレイングは異なる
プレイヤーのそれぞれのプレイングに応じてゲームはそれぞれの結果を返す
プレイヤー毎にプレイングが異なるからこそ結果もプレイヤー毎に異なる
では自分の成績は?
これがゲームの基本中の基本
RPGもそれを踏襲する
テニスではどうすればポイントを取れるか?を
サッカーではどうすればゴールできるかを
能動的に探す
カードゲームでは勝利条件となる札をどうすれば捨てられるのか
能動的に探す
完全に運のゲームですらゴール条件を能動的に探す
ゲームのプレイヤーは能動的なのが基本
勝利条件、ゴール達成を目指そうとするのがゲーム
能動的でないとそのスタートラインに立ってない 勝敗が無いとゲームじゃないってのなら、RPGは最初からゲームたり得ないと思うのだが
RPGはマスター対プレイヤーの勝負ではありませんって
D&Dルールブックの前書きでいってたぐらいだし 卓ゲー板でも散々言われてることやね。
残念ながら、TRPGが導入され30年以上経っても、未だにプレイヤーvsマスターの構図を作るヤツが多い。それがゲームだと思ってる連中もね。 ゲームとはもともと勝敗の事
ゲームという言葉の意味が勝敗の意味だから勝敗がないとゲームにならない
RPGでの勝ちとはゴールに到達する事
例えば魔王を倒す事がゴールだったら、魔王を倒す条件を満たす事が勝ち
TRPGではマスター対プレイヤーではないと言っているけど
それはマスターとプレイヤーが蹴落としとの戦いのようなものを言ってるだけで
実際のところはマスター対プレイヤーが正しい
マスターは最初からプレイヤーに負ける前提の勝負
マスターの用意したシナリオを見事達成するのが勝利
その大本は本気で阻もうとするマスターとそれを乗り越えようとするプレイヤーの対戦
現在もそのようなプレイは存在する 負けは魔王を倒すというゴールにたどり着けない事
またはゲームオーバーの存在する場合はゲームオーバー
勝敗がなければただのなれ合いの雑談になる
集団で小説作ってるのと同じで
ゴールが定められていて、プレイヤーはそれを達成する事ができるか?ってものが根底の遊び あとゲームの中に能動性に影響を与える水準が存在してるにもかかわらずそれを所与として扱うのはナンセンス 単純な言葉のすり替えで、最もらしく言ってるけど、全く同じことをオウムの様に繰り返すアホがいて笑える 野球はピッチャーとキャッチャーの勝負
その二人は勝負してないという人もいるがそれは互いを蹴落とすような戦いを言っているだけで
実際はピッチャーとキャッチャーの勝負
ピッチャーはキャッチャーミットにしっかり投げ込むことが勝利であり
キャッチャーは敗北するのが前提 >>346
>周囲を山で囲まれた魔王のお城への入り方を、自分の手足を動かして無から見つけ出す
DQ2オマージュがまさしくそれだからやってみたらどうでしょうか(^ω ^ ;)
http://zeldaclassic.ninja-web.net/DQ2Homage.html
当然攻略情報なんて見てプレイしませんよね(^ω ^ ;)? 今、Unityを学んでる途中
まだ2時間くらいしかやってないから形になってないけど
そのうちちゃんとしたの作る >>352
そもそも能動性とは与えられるもの
ゲームでは
潮干狩りを例にすると
貝を能動的に探すのが潮干狩り
それは能動的に貝を探そうとすると
貝がそのどこかから見つかるから
それは逆に言うと、何らかによって探すと貝が見つかるように貝を置かれているから能動的になれる
能動的に行動するっていうのは何らかの目的を持っていてそれを自分から探すって事
要するに能動的に行動するためには
前提として能動的に行動すると、探してる何らかの事柄が得られる前提だという事
例えば砂場で自分で好きに動いているという状態の事を能動的だという人はいない
貝を探すために能動的に動いているから能動的行動になる
能動的になるには、何かに対して能動的が必要
その何かは作られた世界では人が作らなきゃない
人為的に作らないといけない 受動的能動的というのは二者がいないと成り立たない
@とAがいて
@がAへ働きかけるのは@から見て能動的
Aから見ると受動的
だから要するに能動的っていうのは自分だけが勝手に何かをするって事じゃない
自分だけで成り立つものじゃない
[何に対して]能動的かが必要
何に対して能動的か
その[何か]は人が作るもの
ゲームでは人が人為的に、[能動的に行動するための何か]を作らなきゃ能動的行動が存在できない
能動的
[形動]自分から他へはたらきかけるさま。
他へ
要するに自分ひとりだけでは成り立たない
[他]という働きかける対象を用意しないと こういうと分かりいい
こっちが能動的になるからには、向こうは受動的になる
プレイヤーが能動的に行動できるようにするには、作る側はプレイヤーに対して受け身にならないといけない
プレイヤーが[こう行動してきたら]どのようにするか?
プレイヤーがどのようなものを発見するか?
をプレイヤーの行動に対して受け身に作る
するとプレイヤーは能動的に動けるようになる 具体的には
一面に砂漠が広がっている、砂漠の中を隅々まで探すとどこかに隠れた地下への入り口が見つかる
プレイヤーは能動的に砂漠の中を探す
↑これだと能動的プレイが成り立つ
隠された入り口を探そうと能動的にプレイしている
プレイヤーの前には砂漠が広がっている
砂漠にはお城が立っている
洞窟も立っている
それ以外は何もないし探す必要はない
そこで好きな場所に行ってよい
これだけだと能動的プレイではない
作者に与えられた、お城、洞窟、の中から選ばされている >>356
ちゃんと作られたRPGは攻略情報を読んでも自分でやっても面白さに変りはない
それは面白しろさの本体は織り込まれた攻略手順そのもので
それを攻略でたどっても自分で見つけても同じ感動を得られる >>363
攻略情報をなぞってプレイするだけなら、あっち行け次はこっち行けと指示されるRPGと何ら変わりなくなってしまうのでは(^ω ^ ;)?
それは貴方がいうにはプレイヤーの能動性が無く、ゲームとして成り立っていないんですよね(^ω ^ ;)? >>350-351
TRPGのリプレイを多少でも読んだことがあれば
そんな発言は出てこない >>364
それが同じじゃないのです
迷路は答えを見ながらやっても自分でやっても楽しめる
迷路は答え以外の行動のとりえるように作られている
その中で本当のゴールへの道を自分で探す
というのが骨格
迷路の答えを見ながら迷路の道をたどる事でも
試行錯誤して得られる道を辿るのでも、さまざまに自由に動ける答えの分からない中から答えの道を発見するという事に変りはない
なので自分で見つけても教えられて見つけても同じ感動を得られる
一本道RPGはそもそも答えも何もただ指示通り進んでいるだけなので
ストーリーを読む以外に楽しみがない
能動的に答えを探すものはその答えから見ても楽しめる
能動的に動いた行動を飛ばした答え
能動的に動かないものの攻略を見ても別に楽しめない
能動的に自分で答えを見つけるものだからこそ
答え側からそれを見ても楽しめる 周囲を山で囲まれた一見そこへは入れない魔王のお城への入り方は
その答えを見ながら本当にできるのか実際にやってみても楽しめる
魔王を倒す英雄のストーリーをたどるRPGは
そもそも答えを見ようと見まいと、能動的に魔王のお城への行き方を見つける楽しみ方はない
単にストーリーを読んで感動する以外にはない 能動性っていうのは一人で成り立っているものじゃない
必ず受動側が存在していて
能動側から見ても受動側から見てもそれは同じ一つのもので
能動的に答えを見つける側からものを見ても
答え側からそれを見てもそれは同一のもの
一般的にOW等で自分の思ったやり方で自分のやりたいようにやるっていうのは能動的なプレイの事じゃない >迷路は答えを見ながらやっても自分でやっても楽しめる
答えと同じルートをなぞるんでしょ?絶対楽しめないと思いますが(^ω ^ ;)
攻略手順をなぞるプレイスタイルの人が、一本道RPGを否定するってどう考えても理屈に合いませんよ(^ω ^ ;) 働きかける側になれるって事は
働きかけられる側も存在していて
そのどちらも対で存在して成り立っている
それは構造的なもので
構造自体を楽しむもの >一見そこへは入れない魔王のお城への入り方
ドラクエ1だな!
>魔王を倒す英雄のストーリーをたどるRPG
ドラクエ1だな! >>369
なぞなぞは答えを見ても楽しめる
知恵の輪も答えを見ても楽しめる
ジグソーパズルを答え見ながら組み立ててもそれは楽しめる
[逆上がりを50回達成する]のはその結果を見ても楽しめない
一回回るたびにドラマを見れるってやっても
自分で解けない知恵の輪の答えを見てその通りやってみて、解けたってやるのは楽しめる
逆上がりを50回やれと指示されてそれをやるのは楽しめない
の違い >>365
本来
RPGはそういうもの
リプレイはただのストーリー なんか…この人が「正解はひとつしかない」のにこだわる理由わかった気がする まずは逆上がりをやれ
それやったら次の指示をする
逆上がり回ったか
じゃその次は、懸垂を10回やれ
やったら次の支持をする
・・・ってのは苦行
教室の中に宝物を隠した
見つけた人には、ご褒美をやる
これは自力で探し当てても、どうしても分からず教えてもらっても
どちらでも同じように楽しめる >>375でその見つけ方の手順を順番に教えられ
その通りたどってみて実際宝物は見つかるかを実践
それでも十分楽しめる またその手順の答えが上で嫌だった、逆上がりを10回やった後懸垂を10回やる
これでも答えのためにそれをやり遂げようとやる気が出る >>372
先に答えを見てから問題をやるのと考えて分からないから答えを見るのとは違いますよ(^ω ^ ;)
RPGについてあなたが言っているのは前者です(^ω ^ ;) >リプレイはただのストーリー
スゲーな読んだこと無いにしてもなかなかこの発言は出てこないぞ もう例えすら意味不明で草
ここまで誰からも共感されてないのにようやるわ >>378
RPGは答えと問題が一体化していてそういう違いは出ないのでは
関所を通りたい
関所を通過するには通行許可証が必要
通行許可証は王様が発行する
王様は娘の病で悩んでいて通行許可証の発行どころじゃない
娘の病を治す医者の存在
これはどこまでが問題でどこが答えなのか一体化していて分からない
攻略を読む事は問題を読む事で、同時に答えを知る事にもなる
攻略を読めば、関所を通りたいという問題と同時にその答えも出て来る
物語に問題と答えが織り込まれているから
だから攻略を読めば、主人公はここでこういう問題が出て来て
その問題をこうやって超えるのか
そしてその後、ってすべて分かる 長文書いてるけど、全く中身のない話だな。頭の悪さが露見してるわ。 >>373
わかった、読んだことない上に読む気もないみたいだから
正解を言ってやろう
TRPGは、楽しいプレイの継続のために、
ガチでやったらキャラが死ぬところをサイコロの出目を嘘ついて手加減するのが
割と奨励されてるんだ
(ロードス島戦記でいうと、ドワーフ大トンネルの対ドラゴン戦でギムが死ぬところだったのが手加減されてる)
マスターVSプレイヤーで勝敗を決める競技なのならこういうことはしない >>381
駄目なRPGの見本のような例えですね(^ω ^ ;)
そういうお使いにウンザリした人が関所を強行突破できるRPGを作ったのでしょう(^ω ^ ;) >>383
現在はそうだけど本来的には
マスターVSプレイヤーの意味
今でもマスターVSプレイヤーの真剣勝負でやってるところも
もちろん事前の了解で >>384
例が悪いけどこちらが本来のの形式で
面白味をちゃんと作れる形状がこちら
それと、これはお使いではない
お使いっていうのは指示
自分の意志で進む場合はお使いにはならない
お使いの形状っていうのは、次はどこどこへ行けと命令され
それをこなすと次の指示が来る
それを繰り返す事
ゲームの回答は本来はお使いとは正反対
お使いはプレイヤーには最終目的は教えてもらえない
その上で次回する事だけを告げられる
これがお使い
ゲームは先に最終目的が教えられている
それが魔王を倒す事なら、プレイヤーは自分自身でそれを達成するために動こうとする
自分から進もうとするのでお使いにはならない
またお使いでは次回にするべき行動以外の行動は一切取れないし作られてない
次回する事が王様に会う事だったら王様に会うという行動だけをとれる
本来のゲームでは次回する行動というのは自分で見つける答えでそれ以外の行動もとれる
様々な自由にできる行動の中から、どうすれば関所を超えられるか?を自分で探し出す
という形状なのでお使いではない
またそれを攻略サイトを見てやってもその楽しさに変りは出ない
関所を強行突破するのは最初それを見てすごいと思うかもしれない
だけれど何の面白みもない事にすぐに気付かれる
単に壁を破って進んだというだけなので
単純に言えばただ壁を破るだけのゲーム
面倒だから関所を強行突破するのなら、関所自体面倒だから廃止して
そういう向き 何か文献の引用とか、具体的なゲームを挙げるとかせずに、
物事を「本来性」で語るっていうのは無理があるよ
文字量増やせば増やすほど無根拠さが浮かび上がるだけ 前もどこかで書いたけど、この人が書いてるの事実の記述しながら人を説得することではなく、
スローガンやマニフェスト的なものなんだよ
根拠を棚上げしつつ、ベタなテンションで「俺こそ本物だ、そうだろ?」と叫ぶ事はそういうことなので
でもその願望は具体的に世の中がそうなることでしかしか成就しないので、
この人が自分の願望を成就する方向性ってここじゃなくて作品を作ることだよ
自分で作品作って発表するか、作ってくれるチームを集めたほうがいい
少なくともここじゃない 統合失調症とかの頭の病気なんじゃない
まともな話はできない まともに読んでないしその気もないし、そもそも関わりたくもないので
直接的に関係した話ではなく、独立した話として提議するけど
そもそも一昔前の、非ストーリーテラーRPGにおける選択肢の問題の一つは
様々な問題に複数の解があり、様々な選択肢にも意味を持たせる方向に進化しすぎた結果
リプレイ性が上がりすぎてむしろ複数周回推奨みたいな構造になったり、情報量が増えすぎた事にあったよな
で、今はその反省からか、エッセンスは残しつつもスリムアップを図るようになってる感がある
開発コストに対するプレイ感のパフォーマンスから考えても、確かにこちらの方が効率的だろう
(件の人は流し見した感じ、1周どころか3周ぐらい遅れてる認識で居るみたいだが)
実際、どのぐらいが理想なんだろうね
ガチガチのRPerは「そんなもん、無限な方がいいだろ」って即答するだろうけど、
そして今やそれは実現可能な夢だと思うけど、そして俺もどちらかといえばそう思う方なんだけど、
一方で正直言って、一周で全部できるゲームの方が気楽に遊べて楽しい
同じゲームに「善人のみできる/できない」「悪人のみできる/できない」「特定職業のみ」等々……
二律背反、排他的要素を詰め込んでる系統も、RPGとしてそういう要素を入れる意義は分かるよ
そういう要素があった方が「そうだ!俺は剣士なんだ!!」みたいに入り込めてRPが捗る
でも、やっぱ面倒くさくない?そうでもない?
自分でも答えは出てない >>386
別に強行突破するのが面白い訳ではなく、王様に通行所を書いてもらうために娘の病を治す医者を探すってのが
まどろっこしくてつまらな過ぎるんですよ(^ω ^ ;)
下手したら、その医者にさらに薬草探しを頼まれますよ、そのRPG(^ω ^ ;) >>392
強行突破して、多数の強敵を相手する羽目にはなるが近道になるか
工作員に手引きさせて、少々の費用を支払う羽目にはなるが楽ができるか
盗賊を助けて協力を得て、余計な攻略が必要になるが他にない実利も得るか
はたまたそもそも攻略なんかせず、他の場所へ行くか
某レトロゲーに実際にある強行突破絡みの選択肢だが、どれもそれなりに意義と楽しさを備えているが、それ以上に
どれを選ぶか選ばざるを得ないか、すべてはプレイヤーの手にかかってるのがRPGなんだよな
たとえ「通行証のための医者のための薬草探し」みたいなつまらないクエストだろうと、絶対的解ではなく選択肢の一つであれば輝ける
UOが世に出た時、ゲームとしてはつまらないと思える要素にハマる現象が不思議がられたことがあった
曰く「木を切ってるだけなのに楽しい」「仕事でもないのに仕事してる」
これには正も負も様々な理由が考えられて、どの理由もこのスレ的に興味深いと思うが、そのうち一つは
ロールプレイとしての没入感にあるだろう
実利がどうとか、そういう事じゃない
仮想世界に生きているという実感、それこそが楽しさに繋がったのだ >>391
明白なルート分岐があって両方回収したくなる、っていうのは
実はストーリーテラー型のニーズなんじゃないかな
ノベルゲーのCG回収みたいな感じでね
非ストーリーテラー型としては、ベースとなるシステムに乗っかった変化が欲しいと思う
例えば武器を買うか防具を買うかなんてのも多少なりとも後の展開に影響与えるけど
じゃああらゆる武器防具買う買わないnの累乗全部試したいか、というとそういう人は少ないだろう
戦闘だけはシステム化が進んでいるというゲーム多いから武器防具を例に挙げたけど
メガテンの属性や会話、ガルパンのAIなんかによっては
NPCとの関りなんかも明確なルート分岐とは違う変化ができると思うし
マイクラ的なシステムなら水責めだのトンネル掘って突破だのも専用のイベントに頼らずできるだろう
同じ水責めでも上手い人と下手な人の差とかあるかもしれない
水責めは下手でもNPC交渉は得意な人とか、上手い下手じゃなく直接戦闘が好きじゃという人もいるだろう
プレイの幅を出すならそういうところに欲しい >>394
なんというか、どっちかというと逆かな、と思ってきたところだ
後の展開に影響を与えてほしくない
>>393の一段目の例は、基本的にそのイベント限りの影響なので、どれを選んでも構わない
だから自分の気分やプレイ方針などに従って、つまり自分が一番楽しめるものを選べる
……といいのだが、一般的なプレイ方針では盗賊協力ルートだと仲間候補が増えるので、これを選ぶ人が一番多い
(蛇足だが、他のルートも利点はある。増える仲間もそんなに強い訳ではない。心理的動機が大きいと思われる)
一つの場面で多様な選択肢があっても、後々の影響まで考えると自由に選べない
みたいなのも二律背反要素のようなものだと思える
実際、「善人のみできる/できない」「悪人のみできる/できない」というのは具体的には
「善人しか選べない選択肢がある」とかそういうものではなく、
手配度のようなシステムの影響で、システム的善人とシステム的悪人の実質選択肢が限られるようなものを想定してた
そして手配度の上昇量、影響範囲、下げ方、等々付随したシステムがついてきて、
しかもそういう独特なシステムが他にも多数組み込まれてて、それぞれが複雑に絡み合って
メインシナリオのみならずランダムイベントや日常生活にまで影響してくる
……といった具合で複雑化が進み過ぎると、把握しきれないし面倒くさくなってくる
多分同じように思う人が多くて、最近はオープン志向のゲームでもどこかスリム化を狙っているように感じられる(はっきりした根拠はない)
そういう複雑化も意義は分かるし楽しいんだけど、後々まで影響を与えない選択で気楽に遊びたいという気持ちもあるんだよ
これをもっと単純化すると、熟練度システムのような問題になる
「使えば使うほどその技能に熟練する」というシステムを持つゲームは多く、一見理にかなっているようにも見えるが、しかし
実際にはスキル上げのために、バカみたいに特定のスキルを連打し続けるプレイスタイルに繋がりやすい
本当はもっと自由に遊びたかったのではなかろうか >395
なるほど
そういう楽しみ方を突き詰めるとオムニバスみたいな形になるのかな
TRPGで言えばキャンペーンではなく単発のセッションをいくつもできる感じ
その方向性を進めていくと、キャラを成長させるというよりシナリオごとにキャラを作り直す形になるかもしれない
アーマードコアでクリア後ミッションを自由に選べる、機体構成もミッションごとにみたいな
同じキャラでやりたい人は同じカスタマイズでやりたきゃやってもいいし
縛りプレイで1ミッションだけやってもいい、それで他まで損にはならない、みたいな
キャラ作り直しまではいかんけど
TESなんかは個々のクエストの独立性が高いし難度もPCに合わせるしで
確かにOW系の作品でも連続した要素の結びつきより
大量にある要素のつまみ食いを魅力にしてるのはあるかも
俺はせっかく連続してるんだから結びつきが欲しいけどね >>392
これ
結局さ、バイオハザードのお使いは
「あそこ絶対ヤバいのに行かなきゃならんのか、こえーよー」
ってなるからOK
糞RPGのは「フラグ立てるのめんどくせー」だからダメ
ワクワクやドキドキ(心情に訴えかける)、
もしくは戦術や戦略など(知的好奇心や頭脳戦に訴えかける)
がなければ、お使いは単なる作業になる >>396
だから俺はずっと面クリ型のリプレイ性が高いゲームにしろってずっと言ってる リプレイ性が高いゲームを作ったとして、そこにRPGの要素を入れるとして、どうやったら面倒くささよりも面白さの方が上にできるんですか(^ω ^ ;)? それは凄く簡単な解決策があるよ
まず、武器を見つけると次回からその武器を持ち込めるようになる
クリアの条件によってスキンを貰える そのステージで見つけたアイテムも持ち込めるようにしよう
アイテムを使った攻略とか、多層的な楽しみ方ができるようになるね
マッパーは大変だろうけど RPG要素と言いつつ、成長はほぼアイテムや武器で表現すれば良い >>400
なんかクリアするたびに簡単になりそうですが、分かり切ったステージを繰り返しプレイして緊張感は持続するのでしょうか(^ω ^ ;)? >>403
クリアするたびに高難易度の扉が開くとも言えますよ >>396
>シナリオごとにキャラを作り直す形になるかもしれない
ダブルダンジョン
ただいま勇者募集中
こういった作品の方向性か >>387
前に見つけたサイトを探したけど見つからなかったので
見つかったら挙げる >>392
そうまどろっこしいと感じるのは場合による
王様に通行所を書いてもらうために娘の病を治す医者を探す
っていうのは答えを並べ立てただけで
まどろっこしいと感じるのは
直ちに、関所を渡りたいと感じている場合
かつ、そのための手順が長いから
直ちに関所を通過したいとなるのは、シナリオの先を急ぐようなスタイルでプレイしている場合
シナリオをさっさと進めたい、と感じるのはそれはストーリーを読む以外の楽しみがないから
それしかする事がないのでさっさと次へとストーリーを進めたい
なのにそのための手順がまどろっこしい
つまらない
となる
今の一本道のRPGでは手順しかない
だから答えだけ書いてもその手順を書いているようにしか見えない
どうすれば、そうならないかというと
先を急がないように作る
その場所に留まるような環境
興味本位で行ける場所を探索できる
探索すると興味を満たすものが発見できる等
強い武器や装備、興味を引き付ける鍵等
また興味本位の探索の結果が、同時にシナリオの進展につながる
ただ[医者を探して連れてこい]だと命令されてるとも感じる
でも、今行ける場所を探索すると興味を引き付ける建物が見つかる
その建物を興味本位に攻略すると医者を手に入れられる
すると、興味で見つけたダンジョンを攻略しただけの人が
また、変った装備を探していただけの人が気付いたらシナリオも一緒に進められてる
自ら行ける場所を隅々まで能動的に探索したいと思える環境では
自ら能動的に探索した結果が同時にシナリオを進めるという結果にもなる
なのでまどろっこしさが0
それが受動的なゲームでは与えられるストーリーをさっさと読むために
次する事をたどらなければいけない
それがまどろっこしい それとバランスの問題
プレイヤーの要求=関所を通過したい
それに対しての必要な動作かどうか?
関所の通過に王様の娘を治す医者探すのにさらに薬草を頼まれる
するとそれは本題からそれすぎる訳で
自分は関所を通過したいだけなのにそこまでするかという問題の
そこまですると、プレイヤーの自主的な行動を逸脱して、シナリオの通りに動かされている関係になる >>393
>輝ける
逆
基本は絶対的解でないといけない
ゲームは基本的に
×プレイヤーのやりたいやり方を尊重する
○プレイヤーに作者の思う正しい答えに強制する
これが旨味だから
正しい答え以外に通過できたらがばがばでゲームにならない
プレイヤーが作者の思う正しい答えを見つけられた場合
→合格
プレイヤーが作者の思う答えと違う行動をとった場合
→失格
これがゲームの基本
ゲームというのは基本、【プレイヤーの行いを裁定する遊び】
ちゃんと作者の思う答えにたどり着けたプレイヤーのみがゴールという栄誉を得られる
むしろプレイヤーの行いを採点した結果が合格か不合格か
合格=ゴール
不合格=ゲームオーバー
プレイヤーの行いは裁定され裁かれる
それがゲームの旨味
その採点結果を見て楽しむもの
作者の思う答えを全て見つけ出しゴール地点へたどり着いたプレイヤーがゴールというそのゲーム最大の栄誉をもらえる
それが裁定された採点結果
それはどんなゲームでも同じ
テニスでも、裁定され採点された結果勝利できたのか?
その裁定を見て楽しむもの >>409
君の言ってるのはテニスで言えば
最初のサーブで必ず特定の速度でボール一個分の特定の位置に特定のスピンをかけて打ち込まなくてはならない。相手の技量に関わらず
だ >>402
アイテムという表現をとるかはともかく成長要素は全部つけ外しできればいいかなーと思う
あくまで今話されてる面クリ型、めんどくささ排除の流れで言うなら >>410
違う
バスケでいうと分かりやすい
自分のやり方でやりたい
手でボールを持ったまま走って行きたいんだ
ドリブルで持っていきたいんだ
ドリブルをして途中で歩いてからドリブルをする事もできる
好きなやり方でやっていい
選択肢の一つなんだ
というのが自由なやり方の尊重
作者の思うやり方っていうのは
ボールを持ったら3歩以上歩いた場合失格だ
一度止まった後にもう一度ドリブルをしたら失格だ
ボールを運ぶ場合はドリブルで運ぶのが作者の思うやり方で必ずそのやり方を強制される
っていうのがゲーム
テニスでも基本的には同じ
作者の思うやり方に強制される
どんな行動をするかは作者の代行者の審判が常に見ていて裁定者になる
基本的に今の人が勘違いしているのは
自由度というと上記に書いたように好きにふるまう事を指し
自由度のないというと今度はそこで言っているような
サーブで必ず特定の速度でボール一個分の特定の位置に特定のスピンをかけて打ち込めという
まさに今のRPGそのもの
今の人の考えではOWか一本道かのどちらかにしかならない
本来はプレイヤーは自由だけど
作者のやり方は強制される >ボールを運ぶ場合はドリブルで運ぶのが作者の思うやり方で必ずそのやり方を強制される
パス回しをしろやボッチ 売れない人気の出ないオナニー設定を延々語ってるやつに言っても仕方がないだろうに
なろう辺りで勘違いしちゃったタイプに多そうだが 「この言葉はこう、こっちの言葉はこう」って提示されても
そう……としかならんよな
であればこうすると解決できる、みたいな方向に持っていかないと字面通り「ただ語る」だけで、収穫や合意が生まれない >>414
俺もそう思った。
「僕の考える究極のRPG論」だろ。
これって。
あーいえば、こーいう人って奴だから議論にならんわ。 判断基準が面白いRPGだからなぁ
別の判断基準で考えたほうが良いのでは
例えば、「時代の文脈に沿ってる」とか「時代の文脈が変わっても耐え得る」とか >>412
自分のやり方でやりたい
手でボールを持ったまま走って行きたいんだ
ドリブルで持っていきたいんだ
ドリブルをして途中で歩いてからドリブルをする事もできる
制限するな好きなやり方を自由に選択できる事が面白いんだ
作者の思うやり方っていうのは
ボールを持ったら3歩以上歩いた場合失格だ
一度止まった後にもう一度ドリブルをしたら失格だ
ボールを運ぶ場合はドリブルで運ぶのが作者の思うやり方で必ずそのやり方を強制される
作者の思うやり方で進めた場合にのみ勝利できる
これが本来のゲーム
プレイヤーの行いを制限や裁定される 何故自由にするとプレイヤーを制限しない
プレイヤーを作者のやり方で動かそうとすると自由度がないかというと
作者がプレイヤーを直接操作するものだと考えているから
プレイヤーは自由で、自分の意志を持ち、勝手に動き回るものだという概念がない
なので作者はプレイヤーを自分が動かそうとする
それが次はこれをやれ、その次はこれをやれ
サーブで必ず特定の速度でボール一個分の特定の位置に特定のスピンをかけて打ち込めという発想
本来はプレイヤーは自由なので、作者の思う通りに行動する訳じゃない
だから場合分けで、プレイヤーがこういう行動をとった場合失格にする
この行動だったら合格にする
そうやってプレイヤーの行動に裁定をつける事で
プレイヤーを作者の思うシナリオに誘導するしかない
この前提が分かっていない人間が作ると
プレイヤーはそんな事思っていないのに次はここへ行かなきゃいけない
次はこれをやらなきゃいけない
これが苦痛に感じる
この前提が分かっていれば
プレイヤーが自由に好きな事をやる中での、作者のやり方でのみ進めるを両立できて不快にならない 長すぎて論理関係が見えにくいから
3行の主部述部で、三段論法に落とし込んで見せてみて >>400
それ、どこのD&Dミスタラ英雄戦記?
(昔のD&Dコレクションにはない機能だけどPS3用のこの版で実装) 長文君はせめて相手の言葉を理解して論議でもしてくれればいいんだけど
自身が絶対正義を大前提として延々語ってるんで歩み寄る気が起こらない >>422
自分が正義どころか「他者は間違っている」というか
理解されたら負けとまで思っているふしがあるぞ
俺以前大分歩み寄ったことあるけど「それは違う」からの繰り返しだったし
彼の言う本来のRPGにしても否定否定で勝負とか言ってるし 他人の意見は全て間違っている、正しいのは世界で自分だけ、
ってかなり酷い病気だな
他人に理解してもらおう、ではなくどうせ理解できないだろうが言っておく、
という世界に生きているんだな 作者も時にはプレイヤーであり、逆もまた然りという発想がないもんな
自主性がなくただ与えられるものを享受するだけの引きこもりと会話できるスレと化した 自分の過去の主張を自分で否定していることに気づかないくらいだから触らんほうがええよ
1000に3つくらいは首肯できるところも有るけど あんな風に、他者との意見のやりとりが出来ないヤツがゲーム語って欲しくないね。 ヴァルハラナイツシリーズのリマスター出ないかな
国産ながら洋RPGぽさを追求してる、このスレ的に有望株だと思うのだが >>345
いろいろ変るけど
dq1ではフィールドとプレイヤーのキャラがすべて記号化されている
一入力に対しての結果
一マス北へ移動する→するとどうなるか?
敵が現れる
さらに一マス北へ移動→すると
北の端に洞窟が見える
さらに北へ入力して、その洞窟へ進むか?
それとも戻るか?
プレイヤーは決める
のようなゲーム性
3Dにしたら
一マス進める(どの方角に?)がまず消える
目線が上からではないので、入力した結果移動して、移動の結果、画面内に洞窟が入る事で洞窟を初めて発見するという関係が消える
先に洞窟やお城が3D目線で見える
その予め見えている洞窟へ、向かうかどうか
その他さまざまな点で >>431
ヴァルハラナイツ!(裏声で)
あのゲームは個人的に世界観やマップは大好物な類だなあ
ファンタジーの王道を若干SF寄りにした感じなのでリアル法則重視だとだとないわーだけど
そこが異世界らしい雰囲気を醸し出してて近年のファンタジーRPGより好み
ゲーム的にはまあエロ全盛期な影響でお察しな方向に進んでしまったので
あくまで個人的には許容できるのは2までかねえ ゼルダBotWで、3Dでは新たな構造物や地形を見つけるという要素が消えるなんて否定されてると思うけどなぁ
レベルデザインを工夫すれば、初めから何から何まで見えるなんてなくせるし、そもそも描画範囲の問題でしょ
初代DQの類型の仕様でも初めから全体が見えれば同じこと、調整の問題であって本質的な性質ではない BotWは地形を眺めた時の視覚的な手触りで人をそこへ向かわせようとしてるよね
ゆえにゲームを進める動機とプレイヤーが操作する動機の重なりが自然なものになってる >>432
そんな事より>>420-430は読めないの?
お前は議論相手として失格、と言ってるんだが改める気も会話する気もなく、本当に言われてる通り垂れ流し続けるのか?
ここ一応議論スレなんで、そういうつもりなら別にスレ立ててそこに書き込んでくれないかな? ちょっと長いですが、考えたこと書きます
RPGの移動は2つのフェーズに分けることができる
対象を認知してるフェーズと、移動してる時間のフェーズ
2つのフェーズは同時に起こりえるが考えるために分ける
ゲーム内だとこれは
・対象を認知しているフェーズは、周りを眺めるとか、マップを開いてピンを設置するとかそういうことをする時間
・移動するフェーズは、十字キーを押したり、スティックを傾け、画面内のキャラが動くのを見届ける時間
となる
実際、リアルで山登りとか散歩とかすると
・目標地点とか向かう方向を考えるとき
・坂道を歩き続けているとき
では、頭の中が違うはず
そういう違いがある
そして仮に、前者をドーパミン的、後者をセロトニン的とする
何かに注意を向けることをドーパミン的で、
同じ行為を続けることができることをセロトニン的とする
結論から先に言うと、
RPGって前者をデザインするのは得意なんだけど、後者を楽しくするのは不得意
二つのフェーズの内、対象を認知しているフェーズは2Dも3Dも変わりない
楽しそうな目標があるとか、アクシデントが発生するとか、
ゲームの歴史はそういう工夫については事欠かないはず
では後者はどうか
そもそも、人間が遠い距離を移動するとき、なぜそんな遠い距離を移動できるのか
人って普通に1時間ぐらい歩くことってできるけど、なんで1時間も「歩くだけ」をやっていられるのか
それは「歩く」という行為が反復運動だから
人は反復運動によって実際にセロトニンが放出され幸せな気分になる
歩いているうちにあること自体が楽しいから歩き続けることができる
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/life/113.html
だが、RPGでは上にも書いた通り、移動の際にやってるのは反復運動でなく、「キーを押して移動を見届ける」だ
そして古典的なRPGは移動フェーズ省略し、認知フェーズに特化していた
対して、オープンワールドは移動フェーズ割愛せずにそのまま与えているのにも関わらず、セロトニン的な快楽が与えられていない
古典的なRPGに対してオープンワールドが見劣りする点があるとすればそこだと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています