ストーリーテラーではないRPGの問題点・方向性の議論Part17
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このスレは家ゲーRPG板で続いていた「RPGの問題点・方向性」シリーズの派生スレです。
既存の和製一人用RPGのうち、
「プレイヤーにストーリーを語ることに主眼が置かれたストーリーテラー型」を除いた
RPGの問題点を考察し今後の方向性を建設的に議論しましょう。
ストーリーテラーではないRPGの問題点・方向性の議論Part16 [無断転載禁止]©2ch.net
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1488597410/ >>394
なんというか、どっちかというと逆かな、と思ってきたところだ
後の展開に影響を与えてほしくない
>>393の一段目の例は、基本的にそのイベント限りの影響なので、どれを選んでも構わない
だから自分の気分やプレイ方針などに従って、つまり自分が一番楽しめるものを選べる
……といいのだが、一般的なプレイ方針では盗賊協力ルートだと仲間候補が増えるので、これを選ぶ人が一番多い
(蛇足だが、他のルートも利点はある。増える仲間もそんなに強い訳ではない。心理的動機が大きいと思われる)
一つの場面で多様な選択肢があっても、後々の影響まで考えると自由に選べない
みたいなのも二律背反要素のようなものだと思える
実際、「善人のみできる/できない」「悪人のみできる/できない」というのは具体的には
「善人しか選べない選択肢がある」とかそういうものではなく、
手配度のようなシステムの影響で、システム的善人とシステム的悪人の実質選択肢が限られるようなものを想定してた
そして手配度の上昇量、影響範囲、下げ方、等々付随したシステムがついてきて、
しかもそういう独特なシステムが他にも多数組み込まれてて、それぞれが複雑に絡み合って
メインシナリオのみならずランダムイベントや日常生活にまで影響してくる
……といった具合で複雑化が進み過ぎると、把握しきれないし面倒くさくなってくる
多分同じように思う人が多くて、最近はオープン志向のゲームでもどこかスリム化を狙っているように感じられる(はっきりした根拠はない)
そういう複雑化も意義は分かるし楽しいんだけど、後々まで影響を与えない選択で気楽に遊びたいという気持ちもあるんだよ
これをもっと単純化すると、熟練度システムのような問題になる
「使えば使うほどその技能に熟練する」というシステムを持つゲームは多く、一見理にかなっているようにも見えるが、しかし
実際にはスキル上げのために、バカみたいに特定のスキルを連打し続けるプレイスタイルに繋がりやすい
本当はもっと自由に遊びたかったのではなかろうか >395
なるほど
そういう楽しみ方を突き詰めるとオムニバスみたいな形になるのかな
TRPGで言えばキャンペーンではなく単発のセッションをいくつもできる感じ
その方向性を進めていくと、キャラを成長させるというよりシナリオごとにキャラを作り直す形になるかもしれない
アーマードコアでクリア後ミッションを自由に選べる、機体構成もミッションごとにみたいな
同じキャラでやりたい人は同じカスタマイズでやりたきゃやってもいいし
縛りプレイで1ミッションだけやってもいい、それで他まで損にはならない、みたいな
キャラ作り直しまではいかんけど
TESなんかは個々のクエストの独立性が高いし難度もPCに合わせるしで
確かにOW系の作品でも連続した要素の結びつきより
大量にある要素のつまみ食いを魅力にしてるのはあるかも
俺はせっかく連続してるんだから結びつきが欲しいけどね >>392
これ
結局さ、バイオハザードのお使いは
「あそこ絶対ヤバいのに行かなきゃならんのか、こえーよー」
ってなるからOK
糞RPGのは「フラグ立てるのめんどくせー」だからダメ
ワクワクやドキドキ(心情に訴えかける)、
もしくは戦術や戦略など(知的好奇心や頭脳戦に訴えかける)
がなければ、お使いは単なる作業になる >>396
だから俺はずっと面クリ型のリプレイ性が高いゲームにしろってずっと言ってる リプレイ性が高いゲームを作ったとして、そこにRPGの要素を入れるとして、どうやったら面倒くささよりも面白さの方が上にできるんですか(^ω ^ ;)? それは凄く簡単な解決策があるよ
まず、武器を見つけると次回からその武器を持ち込めるようになる
クリアの条件によってスキンを貰える そのステージで見つけたアイテムも持ち込めるようにしよう
アイテムを使った攻略とか、多層的な楽しみ方ができるようになるね
マッパーは大変だろうけど RPG要素と言いつつ、成長はほぼアイテムや武器で表現すれば良い >>400
なんかクリアするたびに簡単になりそうですが、分かり切ったステージを繰り返しプレイして緊張感は持続するのでしょうか(^ω ^ ;)? >>403
クリアするたびに高難易度の扉が開くとも言えますよ >>396
>シナリオごとにキャラを作り直す形になるかもしれない
ダブルダンジョン
ただいま勇者募集中
こういった作品の方向性か >>387
前に見つけたサイトを探したけど見つからなかったので
見つかったら挙げる >>392
そうまどろっこしいと感じるのは場合による
王様に通行所を書いてもらうために娘の病を治す医者を探す
っていうのは答えを並べ立てただけで
まどろっこしいと感じるのは
直ちに、関所を渡りたいと感じている場合
かつ、そのための手順が長いから
直ちに関所を通過したいとなるのは、シナリオの先を急ぐようなスタイルでプレイしている場合
シナリオをさっさと進めたい、と感じるのはそれはストーリーを読む以外の楽しみがないから
それしかする事がないのでさっさと次へとストーリーを進めたい
なのにそのための手順がまどろっこしい
つまらない
となる
今の一本道のRPGでは手順しかない
だから答えだけ書いてもその手順を書いているようにしか見えない
どうすれば、そうならないかというと
先を急がないように作る
その場所に留まるような環境
興味本位で行ける場所を探索できる
探索すると興味を満たすものが発見できる等
強い武器や装備、興味を引き付ける鍵等
また興味本位の探索の結果が、同時にシナリオの進展につながる
ただ[医者を探して連れてこい]だと命令されてるとも感じる
でも、今行ける場所を探索すると興味を引き付ける建物が見つかる
その建物を興味本位に攻略すると医者を手に入れられる
すると、興味で見つけたダンジョンを攻略しただけの人が
また、変った装備を探していただけの人が気付いたらシナリオも一緒に進められてる
自ら行ける場所を隅々まで能動的に探索したいと思える環境では
自ら能動的に探索した結果が同時にシナリオを進めるという結果にもなる
なのでまどろっこしさが0
それが受動的なゲームでは与えられるストーリーをさっさと読むために
次する事をたどらなければいけない
それがまどろっこしい それとバランスの問題
プレイヤーの要求=関所を通過したい
それに対しての必要な動作かどうか?
関所の通過に王様の娘を治す医者探すのにさらに薬草を頼まれる
するとそれは本題からそれすぎる訳で
自分は関所を通過したいだけなのにそこまでするかという問題の
そこまですると、プレイヤーの自主的な行動を逸脱して、シナリオの通りに動かされている関係になる >>393
>輝ける
逆
基本は絶対的解でないといけない
ゲームは基本的に
×プレイヤーのやりたいやり方を尊重する
○プレイヤーに作者の思う正しい答えに強制する
これが旨味だから
正しい答え以外に通過できたらがばがばでゲームにならない
プレイヤーが作者の思う正しい答えを見つけられた場合
→合格
プレイヤーが作者の思う答えと違う行動をとった場合
→失格
これがゲームの基本
ゲームというのは基本、【プレイヤーの行いを裁定する遊び】
ちゃんと作者の思う答えにたどり着けたプレイヤーのみがゴールという栄誉を得られる
むしろプレイヤーの行いを採点した結果が合格か不合格か
合格=ゴール
不合格=ゲームオーバー
プレイヤーの行いは裁定され裁かれる
それがゲームの旨味
その採点結果を見て楽しむもの
作者の思う答えを全て見つけ出しゴール地点へたどり着いたプレイヤーがゴールというそのゲーム最大の栄誉をもらえる
それが裁定された採点結果
それはどんなゲームでも同じ
テニスでも、裁定され採点された結果勝利できたのか?
その裁定を見て楽しむもの >>409
君の言ってるのはテニスで言えば
最初のサーブで必ず特定の速度でボール一個分の特定の位置に特定のスピンをかけて打ち込まなくてはならない。相手の技量に関わらず
だ >>402
アイテムという表現をとるかはともかく成長要素は全部つけ外しできればいいかなーと思う
あくまで今話されてる面クリ型、めんどくささ排除の流れで言うなら >>410
違う
バスケでいうと分かりやすい
自分のやり方でやりたい
手でボールを持ったまま走って行きたいんだ
ドリブルで持っていきたいんだ
ドリブルをして途中で歩いてからドリブルをする事もできる
好きなやり方でやっていい
選択肢の一つなんだ
というのが自由なやり方の尊重
作者の思うやり方っていうのは
ボールを持ったら3歩以上歩いた場合失格だ
一度止まった後にもう一度ドリブルをしたら失格だ
ボールを運ぶ場合はドリブルで運ぶのが作者の思うやり方で必ずそのやり方を強制される
っていうのがゲーム
テニスでも基本的には同じ
作者の思うやり方に強制される
どんな行動をするかは作者の代行者の審判が常に見ていて裁定者になる
基本的に今の人が勘違いしているのは
自由度というと上記に書いたように好きにふるまう事を指し
自由度のないというと今度はそこで言っているような
サーブで必ず特定の速度でボール一個分の特定の位置に特定のスピンをかけて打ち込めという
まさに今のRPGそのもの
今の人の考えではOWか一本道かのどちらかにしかならない
本来はプレイヤーは自由だけど
作者のやり方は強制される >ボールを運ぶ場合はドリブルで運ぶのが作者の思うやり方で必ずそのやり方を強制される
パス回しをしろやボッチ 売れない人気の出ないオナニー設定を延々語ってるやつに言っても仕方がないだろうに
なろう辺りで勘違いしちゃったタイプに多そうだが 「この言葉はこう、こっちの言葉はこう」って提示されても
そう……としかならんよな
であればこうすると解決できる、みたいな方向に持っていかないと字面通り「ただ語る」だけで、収穫や合意が生まれない >>414
俺もそう思った。
「僕の考える究極のRPG論」だろ。
これって。
あーいえば、こーいう人って奴だから議論にならんわ。 判断基準が面白いRPGだからなぁ
別の判断基準で考えたほうが良いのでは
例えば、「時代の文脈に沿ってる」とか「時代の文脈が変わっても耐え得る」とか >>412
自分のやり方でやりたい
手でボールを持ったまま走って行きたいんだ
ドリブルで持っていきたいんだ
ドリブルをして途中で歩いてからドリブルをする事もできる
制限するな好きなやり方を自由に選択できる事が面白いんだ
作者の思うやり方っていうのは
ボールを持ったら3歩以上歩いた場合失格だ
一度止まった後にもう一度ドリブルをしたら失格だ
ボールを運ぶ場合はドリブルで運ぶのが作者の思うやり方で必ずそのやり方を強制される
作者の思うやり方で進めた場合にのみ勝利できる
これが本来のゲーム
プレイヤーの行いを制限や裁定される 何故自由にするとプレイヤーを制限しない
プレイヤーを作者のやり方で動かそうとすると自由度がないかというと
作者がプレイヤーを直接操作するものだと考えているから
プレイヤーは自由で、自分の意志を持ち、勝手に動き回るものだという概念がない
なので作者はプレイヤーを自分が動かそうとする
それが次はこれをやれ、その次はこれをやれ
サーブで必ず特定の速度でボール一個分の特定の位置に特定のスピンをかけて打ち込めという発想
本来はプレイヤーは自由なので、作者の思う通りに行動する訳じゃない
だから場合分けで、プレイヤーがこういう行動をとった場合失格にする
この行動だったら合格にする
そうやってプレイヤーの行動に裁定をつける事で
プレイヤーを作者の思うシナリオに誘導するしかない
この前提が分かっていない人間が作ると
プレイヤーはそんな事思っていないのに次はここへ行かなきゃいけない
次はこれをやらなきゃいけない
これが苦痛に感じる
この前提が分かっていれば
プレイヤーが自由に好きな事をやる中での、作者のやり方でのみ進めるを両立できて不快にならない 長すぎて論理関係が見えにくいから
3行の主部述部で、三段論法に落とし込んで見せてみて >>400
それ、どこのD&Dミスタラ英雄戦記?
(昔のD&Dコレクションにはない機能だけどPS3用のこの版で実装) 長文君はせめて相手の言葉を理解して論議でもしてくれればいいんだけど
自身が絶対正義を大前提として延々語ってるんで歩み寄る気が起こらない >>422
自分が正義どころか「他者は間違っている」というか
理解されたら負けとまで思っているふしがあるぞ
俺以前大分歩み寄ったことあるけど「それは違う」からの繰り返しだったし
彼の言う本来のRPGにしても否定否定で勝負とか言ってるし 他人の意見は全て間違っている、正しいのは世界で自分だけ、
ってかなり酷い病気だな
他人に理解してもらおう、ではなくどうせ理解できないだろうが言っておく、
という世界に生きているんだな 作者も時にはプレイヤーであり、逆もまた然りという発想がないもんな
自主性がなくただ与えられるものを享受するだけの引きこもりと会話できるスレと化した 自分の過去の主張を自分で否定していることに気づかないくらいだから触らんほうがええよ
1000に3つくらいは首肯できるところも有るけど あんな風に、他者との意見のやりとりが出来ないヤツがゲーム語って欲しくないね。 ヴァルハラナイツシリーズのリマスター出ないかな
国産ながら洋RPGぽさを追求してる、このスレ的に有望株だと思うのだが >>345
いろいろ変るけど
dq1ではフィールドとプレイヤーのキャラがすべて記号化されている
一入力に対しての結果
一マス北へ移動する→するとどうなるか?
敵が現れる
さらに一マス北へ移動→すると
北の端に洞窟が見える
さらに北へ入力して、その洞窟へ進むか?
それとも戻るか?
プレイヤーは決める
のようなゲーム性
3Dにしたら
一マス進める(どの方角に?)がまず消える
目線が上からではないので、入力した結果移動して、移動の結果、画面内に洞窟が入る事で洞窟を初めて発見するという関係が消える
先に洞窟やお城が3D目線で見える
その予め見えている洞窟へ、向かうかどうか
その他さまざまな点で >>431
ヴァルハラナイツ!(裏声で)
あのゲームは個人的に世界観やマップは大好物な類だなあ
ファンタジーの王道を若干SF寄りにした感じなのでリアル法則重視だとだとないわーだけど
そこが異世界らしい雰囲気を醸し出してて近年のファンタジーRPGより好み
ゲーム的にはまあエロ全盛期な影響でお察しな方向に進んでしまったので
あくまで個人的には許容できるのは2までかねえ ゼルダBotWで、3Dでは新たな構造物や地形を見つけるという要素が消えるなんて否定されてると思うけどなぁ
レベルデザインを工夫すれば、初めから何から何まで見えるなんてなくせるし、そもそも描画範囲の問題でしょ
初代DQの類型の仕様でも初めから全体が見えれば同じこと、調整の問題であって本質的な性質ではない BotWは地形を眺めた時の視覚的な手触りで人をそこへ向かわせようとしてるよね
ゆえにゲームを進める動機とプレイヤーが操作する動機の重なりが自然なものになってる >>432
そんな事より>>420-430は読めないの?
お前は議論相手として失格、と言ってるんだが改める気も会話する気もなく、本当に言われてる通り垂れ流し続けるのか?
ここ一応議論スレなんで、そういうつもりなら別にスレ立ててそこに書き込んでくれないかな? ちょっと長いですが、考えたこと書きます
RPGの移動は2つのフェーズに分けることができる
対象を認知してるフェーズと、移動してる時間のフェーズ
2つのフェーズは同時に起こりえるが考えるために分ける
ゲーム内だとこれは
・対象を認知しているフェーズは、周りを眺めるとか、マップを開いてピンを設置するとかそういうことをする時間
・移動するフェーズは、十字キーを押したり、スティックを傾け、画面内のキャラが動くのを見届ける時間
となる
実際、リアルで山登りとか散歩とかすると
・目標地点とか向かう方向を考えるとき
・坂道を歩き続けているとき
では、頭の中が違うはず
そういう違いがある
そして仮に、前者をドーパミン的、後者をセロトニン的とする
何かに注意を向けることをドーパミン的で、
同じ行為を続けることができることをセロトニン的とする
結論から先に言うと、
RPGって前者をデザインするのは得意なんだけど、後者を楽しくするのは不得意
二つのフェーズの内、対象を認知しているフェーズは2Dも3Dも変わりない
楽しそうな目標があるとか、アクシデントが発生するとか、
ゲームの歴史はそういう工夫については事欠かないはず
では後者はどうか
そもそも、人間が遠い距離を移動するとき、なぜそんな遠い距離を移動できるのか
人って普通に1時間ぐらい歩くことってできるけど、なんで1時間も「歩くだけ」をやっていられるのか
それは「歩く」という行為が反復運動だから
人は反復運動によって実際にセロトニンが放出され幸せな気分になる
歩いているうちにあること自体が楽しいから歩き続けることができる
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/life/113.html
だが、RPGでは上にも書いた通り、移動の際にやってるのは反復運動でなく、「キーを押して移動を見届ける」だ
そして古典的なRPGは移動フェーズ省略し、認知フェーズに特化していた
対して、オープンワールドは移動フェーズ割愛せずにそのまま与えているのにも関わらず、セロトニン的な快楽が与えられていない
古典的なRPGに対してオープンワールドが見劣りする点があるとすればそこだと思う >>439
リアル歩行とか何にも楽しくないけど、それはさておき
移動してるだけで楽しいのがオープンワールドだろ
動植物や隠し道を見つけたりハプニングが起きたりといった事が無数にあるし、最適な動線も見つけづらい事が多い
古典RPGはそれこそ、エンカウントぐらいしかない >古典的なRPGは移動フェーズ省略し、認知フェーズに特化していた
CRPGって昔から移動はプレイヤーに操作させてるもんだと思うが
それこそ戦闘と並んでRPGがテキストアドベンチャーと差別化できる最後の砦というか
OWと比べればまあ縮尺の差というのはあるんだろうが
省略という言葉が適当かどうかは疑問があるなぁ >>441
どうなんだろう
古典的なRPGの中にも移動フェーズは含まれているけど
OWと比較して記号的な分、その役割も限定的だったんじゃないかと思う
例えば音楽表現とかがカバーしていたのではと思う
そのカバーの仕方がセロトニン的なものなのか、ドーパミン的なのか考えると面白いと思う
「古典的RPGのフィールドBGMをオープンワールドのゲームでそのまま採用できるか」という問題
例えばクロノトリガーの「風の憧憬」とかどうだろうかみたいな 正直それらは演出に関する、評価が限定的なものとも言えそう
っていうのも、突発性/反復性っていう一般的でなくごく限られた物差しで測ってるから 現実の歩行運動における影響はまあ論文が出てるのでそれを見るのが早いとしか…
ゲームの場合だとVRにでもして脳に対して同類の反応を与えることができないと
長距離の歩行移動はまさに足かせというか単なる作業でストレスになるだけだろうな
オープンワールドが楽しいのは日常的な世界を自分の思った通りに探索できるからで
FF15なんかの評価がお察しだったのもまさに移動制限という足かせの多さゆえ
あの世界も街以外は基本ドライビングのみなんて制限が無けりゃもっと面白かった
当然イベントなど(クエストというよりエフェクト的な)は必須ではあるんだけどね OW化とはちょっと違うが
ドラクエ1のマップを3D化して縮尺を変えた(他にも色々あるが)ものとしてビルダーズがあるな
BGMはシリーズのBGMを使っておりドラクエ1当時のBGMもある
ゲーム性自体の違いもあるし一概に比較はできないが
昔のBGMだから3Dには合わんなー、とかは特になかったかと
基本的にはオーケストラバージョンで曲の情報量も上がっていたりするがね
一方でTESなんかは環境音楽というかあまり意識させない方向に行ってるよね
あれを昔のゲームでやったら物足りない、というのは確かにあるかも >>435
見つけるっていうより
出現するor出現しない
プレイヤーが北という入力をすると
それに対して、北の端から洞窟が出現する
これはプレイヤーが北へ一歩進むという入力をした事に対する
ゲーム側からの返答
どんな行動を選択した場合、どんな結果が表示されるのか?
自由に動きながら試してみる
北へ一歩動いた場合、お城という記号は出現するのか?
>>441
数歩で町から町まで町から洞窟まで行けるように省略
3Dでは時間がかかる
北へ5歩歩けば洞窟
のように記号化されている
3Dでは同じものを再現すると距離が実寸でお城からお城まではるばる長い
距離を歩かなければいけない
それを簡略化したものが5歩歩けば移動した事にしましょうねという記号化
何度も往復するとなるとただの移動が負担に
RPGで本当に大事な部分は移動しましたという事実や
移動した場合何が起きるかという結果の部分 >>447
1歩という絶対的単位で見てると、表面だけで本質を捉えられないと思うよ
世界の密度に対する相対的移動量を単位として取れば、一定移動量で見えなかったお城は参加者の目の前に出現すると言える 歩いて見えて来るっていうのと
行動に対する結果の、一歩という一行動に対する結果として返されるお城の出現はまた別の体感では いいえ
歩を進める時に、どちらも一歩一歩を意識して進む訳じゃないもの
経路を線で考える。とすると1歩だけを着目するのは意味薄で、一定移動量を単位として見た方が良い 音楽はケースバイケースすぎてな
ドラクエ1のフィールド曲は3Dフィールドでも似合うが
https://www.youtube.com/watch?v=iImauh_dQq4
ドラクエ3のフィールド曲は似合わない
https://www.youtube.com/watch?v=CXtAuYAAfx0
ゲームBGMは流れるシーンが明確に想定されている
2DRPG(特に古典的なもの)のフィールドと3DRPG(特にオープンなもの)のフィールドは、ゲーム的位置づけが明確に異なる
なので全く異なるシーンに音楽を"流用"して合うかどうかは、ほとんど運でしかない
2Dでも3Dでもやる事に変わりのない場面、例えば町の曲なんかはほぼ問題なく合うだろう
……最終的には好みみたいなとこもあるし、あまり実りのない話題だと思うな >>451
ちなみに上で挙げたビルダーズでは
最終章のフィールド曲がまさにその3のフィールド曲だw
シチュエーションのクライマックス感とかロト伝説だとかで合ってるが
まあ普通のフィールド曲として評価するにはフェアじゃない、かな 長文君へ
例え話をやめろ
長い上に意味不明で時間とスレ容量の無駄
短い文章で相手に理解できるように書け
他人の意見を聞け
お前は自分が作って楽しいゲームを語りたいのか?
それとも他人が遊んで楽しいゲームを語りたいのか?
前者ならここじゃなくSNSで鍵かけて流してろ
後者なら改善案を受け入れて進歩しろ
お前の理想のゲームはお前しか楽しくない代物だ
ゲームを遊べ
電源有り無しは構わん、とにかく遊んで体験しろ
レスに全く実体験が伴ってないし最近のゲームの流行がわかってない
未経験者の意見なんて誰が聞く耳持つ?
感情をこめろ
お前のレスは例え話と意見の否定だけで自分のアイデアに対する熱意や感情が全く伝わらない
定型文の垂れ流しならBOTで十分 ここは議論向けのスレでは無いな
幾ら意見交換しても議論の方向性すら決められない たまに建設的な意見が出ると暴言荒らしと長文と論議進展を嫌う馴れ合い派が
団結して追い出すっていうスレの意味が迷走してるスレ BGMなんてそれっぽくアレンジすればどうにでもなるのでは(^ω ^ ;)
スーパーでよくカラオケの曲のアレンジがかかってますしね(^ω ^ ;) 環境音で3Dゲームやるんだったら
のどかなのに殺戮が行われる緊張感とのミスマッチだろうな
油断してると突然襲われる
そういうの表現しないならウキウキするような音楽は必要 GTAがオープンワールドでなぜ成功したか?
それは車に乗って音楽をガンガンかけれたからだ それは副次的な要因に過ぎないな
音楽かけれないオープンワールドは全滅したか? フィールド曲が静かなTES4とかでも戦闘に入るとそれなりに激しい曲に切り替わるし
普段BGMの無いMGSTPPでも敵の近くや戦闘中はムードとしてBGMが流れたりしたな
ダクソなんかはBGMは基本ボス戦と逆に一部の平和なスポットが主
BGM無しで雑魚戦と探索を行うことになるがだからこその緊張感
まあそもそも殺伐とした雰囲気の狭いエリアばかりなので
戦闘中以外も雰囲気変わらんよねというかずっと戦闘中みたいなもんだが オープンワールドではないがシャドウタワーなんかはダクソとほぼ同じで環境音だけだが
雰囲気が出てるし別に音楽で盛り上げてほしいとも思わなかったな
というか盛り上がれやって必ず全エリアにBGMをつけて後押ししてもらわないとダメとか
そもそも自分で雰囲気を感じたり考えたりする力がないのかと
環境音だけでも平和さや緊張感等の状況変化は普通に出せるし感じられるはずなんだけど >>461
狭い場所ならそういう緊張感を出せるけど
無駄に広いオープンワールドは飽きる >>450
一歩ごとに様々な判定がされるなら?
一歩ごとにダメージを受けたり回復する
一歩ごとに敵が出て来る確率
それに現在の自分の強さと物資の量
何歩までだったら自分は進めるか
進んで何もなかった場合に引き返さなきゃいけない安全圏までの距離
自分は5回までの戦いに確実に耐えられ、6回以降の戦いに耐えられるかは運の要素が必要
敵は約3マスの移動に一回の確率で現れる
それで未開の場所を進むかどうか?
北には何か存在するのか?
上に見えるのが未知の町だったら強力な武器が買えるかもしれない
もし自分の実力以上の強力な武器を手に入れられたら多少の実力差を埋められる
また回復薬を所持していて一つ使うと体力の1割程度を回復できる
この回復薬は拠点の町で高額を出して購入する事もできる
貴重な予算をそこに費やすか?
代りにもっと高額な爆弾を買うと一つ消費するだけで敵を確実にやっつけられる
プレイヤーはどう予算を使うか?
というゲーム的な処理に2Dは向いている >>463
一定時間ごとに低体温/高温でダメージを受ける
一定距離ごとにスタミナが消耗する
一定距離ごとに敵に見つかる確率
:
:
結局は物差しの大きさの違いでしかない
古風なRPGの状況だけ並べるより、まずこれに対して反論なり同意なりしてみるべし >>464
物差しの大きさこそが大事では
ゲームで大事なのはどれだけ要点だけでまとめるかだから
城まで3Dを歩いて渡るより、マスで進む方がゲームとして勝ってる
マスで進み、計算で処理するようなものがよりゲーム的 それを3Dで表現するとゲームとしては間延びしてしまう もともと現実では、一定時間ごとに低体温/高温でダメージを受ける
だったものを、ゲームとしてまとめるのに、一マス進むごとにダメージ1受ける事にしようって作ってる
何故そうするかというと、プレイヤーがゲームとしての処理の全体像を全部把握できるようにするため
プレイヤーが全体を把握する事で、どうプレイングするかを決める
さらにどうプレイングしたかによってどのような結果になるかをゲームが決定する
と先の先まで決まる 2Dでは、北へ進むか、それとも西へ進むか
それとも南へ進むか?
という判断基準
北へ何マス進んだ場合何が出てきて
南へ何マス進んだ場合何が出て来る
と明確
3Dでは、どの地域を散策するか
○○地域を適当に散策
2Dでは移動した結果、城や洞窟が画面内に入れば一瞬で誰にでも分かる
3Dではプレイヤーが城や洞窟を発見するかは視界の直線に存在する前提で
仮に視界に入っていても他のオブジェに紛れて気付かない可能性も
また何の邪魔もないけどプレイヤーが意識してないだけでも3D空間では見過ごす可能性も
2Dでは一画面内を隅々まで見て認識するから
どこかに隠し道や隠れた入口を入れても発見はしやすい
3Dでは隠すと発見は困難
かといってマーカーをつけると自分での発見にはならない・・・ 2Dで一歩進むと見える世界の範囲が変る
いきなりお城が見えるようになったり
3Dで前進しても前方の物体に近付いて見えるだけ 悪い方向にだけ信念があるというか視野が狭いだけに考える必要がないから
必死になれるっていわゆるカルト宗教系の思考だからどうしようもなさそうだな
なろう方面で暴れてるキチもこいつっぽいけど 例えにしても北に行くの好きすぎて草
馬鹿の一つ覚えを見事に体現しているな 2Dは戦いは数値が明確に表れる
3Dは戦いは数値がどれだけ効果を持っているか分かり辛い
仲間のNPCが何か戦って援護してるように見えるが実際に役に立ってるかはなんだか分からない
だいたい、プレイヤーは自分の戦いに集中して味方の動きを見る余裕はない
数値を明確にすると人間には分かりやすい
どういう武器を持っていて
どういう薬を何個所持していて
どんな数値の仲間を雇ったか
プレイヤーの選んだ要素が
表現として如実に分かるのがゲームとしてのよさ 2D・3Dというか、上空からの固定の視点か、動かせる自分の視点かってことですかね(^ω ^ ;)
確かにアクション性が無いRPGなら前者の方がゲームの表現として優れている感じがしますね(^ω ^ ;) >>471
あまり人を悪く言いたくはないが
コイツだけは別かな
ホラーゲー、新旧ゲーム論辺りで
現在のモノは全てダメって自論を
延々と要領得ない長文で投下し続ける
通称 壊レコってキチガイさん
多分こいつ、ここで話題に上がったものどころか
自分で上げてるタイトルすらやったことない
スタイル真似た偽物なら荒らしでしかないし
本物なら正に壊れたレコードなんで議論するだけ無駄 うーん
本質を見ないよね、木を見て森を見ずなんて言うけど反対に森しか見てない
「2Dは何かと明瞭、3Dは不明瞭」なんてゲーム開発者の匙加減でしかない
例えばFE風花雪月は、出撃中いつでも細やか3Dと升目2Dを切り替えられる
それでも3Dモードで進行中も変わらず数値に厳格。当たり前だ、3Dと2Dという"描画手法"はゲームへの参加者が干渉具合に関係ないんだから 〉 ゲームへの参加者が干渉具合
じゃなくて、ゲームへの参加者の干渉具合、だわ 今の人は一人称の体験性を作りたがる
3Dにして、キャラの頭の位置に視点を持っていきたがるっていうのも
その視点での真に迫る表現を求める
プレイヤー個人しか必要ない
プレイヤー一個人が受ける真に迫る体験だけ作れればいい
スリリングな体験を自分個人が受ければそれでいい
自分一人で完結する
昔のゲームは二人称の体験性を求める
これは何だ?これは何々です
という二人称の体験性
このツボは何だ、何を意味するのか?
このツボは何の意味を持つのだ?
このツボを使うとどうなるんだ?
この塔は何だ?
この塔に入るとどうなるのだ?
それに対する作者からの答えは?
山の中にポツンと空いた入口この入り口はどこへと通じるのだ?
湖に囲まれた洞窟へ入ってみたいそこへの入り方は?
とプレイヤーは自分だけでは完結しない
自分にない外側を求める
これは何?
どんな意味を持つのか?
探究性 今の人のゲームはプレイヤーは世の中をすべて分かって物の視点で展開する
人を殴ればこれだけ怒る
これだけの技量を持っていたら人から物を盗める
全てを分かった上で行動
また、分かってる事以外は何も起きない
昔の人は世の中は未知で未体験のものがいっぱいという目線
ここをいじればどうなるのか?
この中へ入ればどうなるのだろうか?
この先には何が待つのだろうか?
面白いのは今の人の体験性でも
この中に何が待つのかを求めるけど
その手段が異なる
今の人の場合体験を通して驚かすサプライズという表現
昔の人の場合探究したものの答えを返す事
で表現する だから自分の腹の中で生んだ結論を並べるんじゃなく、その過程・根拠を書きなよ
ここは落書き帳じゃなく、認識の共有や同意の形成の為の場 長々と書いてるそれって、全部アスペルガーの症状にしか見えないんだが
それはそれで良いけど、それは好みであって絶対的なものじゃないよ >>481
アスペにはそれは理解できないよ
脱二元論が一般人より困難
アスペでもアスペなりに適応したりするもんだけど、重度だとそれも苦手 長文くんって自分で書いてる中身を自ら別のレスで否定するパターンの繰り返しだなあ
その場の感情だけで書いて理解はできてないんだろうなってのは察する このスレにおいては単独の最強のシステムを考えるよりも、
RPGってジャンルがより多様な方法や視点抱えて、ジャンルの持つ価値観がより分厚くなるような会話ができれば良いと思うな >>483
知的レベルは高くない書き込みだよ。同じことの繰り返しだし。 >>481
好きとか嫌いとか好みの事は書いてない
単に客観的に見た事実について
それが好きか嫌いかいいか悪いかは置いといて
客観的に見て、今の人の求める感性は臨場感とかキャラとの同一性
キャラとの一体感を伴った体験
キャラの目線でのなんか演出だったり
突発的な出来事に慌てるような出来事だったらプレイヤーに知られないように一緒に慌ててもらう
っていうのを再現する
それに体験性
ツボとかが置かれていたらツボを割れるように作られている事がすごい事で
そしてどのツボも一括して割れる
そしてプレイヤーから見たら好きなツボをどれでも割れる
プレイヤーはツボをたたけば割れる事をもう知っていて、それでいてそのツボを割るのが楽しいんだ
昔のは、そこから一歩離れてものを見る
ツボを見たらそのツボは何のために置かれているかが重要
ツボをいじるとどうなるかはプレイヤーから見たら分からない
それを分かるためにツボについて追及をする
その結果そのツボが何なのかを知る
何のために置かれているのかを知る
その何のためにを作者がどれだけ練ったのか?がプレイヤーにとっての楽しさだ
これが客観的に見た感覚 客観的に感じる……?
なる程人類が理解するには早過ぎるみたいだ ○○だ、✕✕だ、○✕だ、と感じる ← これは主観的な感性に基づいた結論であって
客観的、というのは数値や論理で整理するものだよ >>461
動画だけどシャドータワー見てきた
そして、昨日スカイリムを起動してみた
で、どちらも妙に足音が気になったんだよな
足音が移動の時間にリズムを与えてるような感覚
移動の単位量の話が出てたけど、足音が移動を時間的に分節して記号的にしているようにも思える
シャドータワーは足音がかなり目立つので「自分しかいない」って効果も与えてるように思う >>489
一歩離れて分析してみた結果感じた事
例えば、OWのゲームではできる事がまず最初に分かっていて
プレイヤーはその出来る事の中から行動を選んでいるだけで
これから未知の何かが起きるような構造ではない
ツボが割れるシステムを作ったのなら
ツボが割れるという事ができるという事をプレイヤーはもともと知っていて
ツボを割る
他人からものをすり取れるというのを作った場合それも知っていて
知っている事だけをできる
知っているできる事の中から選んで行動を決める
または、予め知っている事だけが起きる
まだ知らないこれから知るために何かをするという事ではない
昔の思考回路では
ツボをいじるとどうなるかはまだツボをいじる段階では分からない
ツボをいじってみて初めてそのツボが割れるという事をそこで初めて知る
またツボが割れるというのはそのツボに限った事で、別のツボをいじった場合どうなるかは分からない
やってみて初めてその結果が分かる
またはやってみた後に結果が分かる
要するに
今の思考回路は○と✕と△ができる
その中からやる事を選ぶ
昔の思考回路は
○をやった場合どうなるのか
✕をやったらどうなるのか
△をいじったらどうなるのか
それを自分でいじってみてまたは推察してこれから知る ツボを見つけた場合の違い
ツボを殴ったら割れる事を分かってるからツボを割る
ツボを調べたらどうなるのかを知りたいからツボを調べる
その結果ツボは割れる
そしてツボが割れた場合どうなるのか OWで住人を見つけた場合の反応は
主に意味のない雑談をする
プレイヤーは住人から気になる情報を聞き出すために話しかけてる訳じゃない
話を聞いて好感度を上げる等してその住人を思い通りに動かすため
昔のRPGでは住人に話しかけるのは、話の内容を知りたいから
話の内容を知る事でゲーム的に何らかの情報を得られると期待して
話を聞いてまだ自分の知らない未知の発見をするため 〜だ、〜ではない、〜のため、つまり〜……
ほら頭の中で出した結論しかない
その過程・根拠を書くべき
〜だから〜となっている。〜だと〜なるからだ。みたいな論理関係が無い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています