>>419
ゲームとは本来一回勝負
プレイングする前に「何をすれば勝ちか?」を推測出来たプレイヤーが勝利する

>>421
自由の認識が今主流のゲームの自由の考えは本来ゲームで自由度とされていた自由と別物
プレイヤーを惑すための障害の方がゲーム本来の自由度で
自分の好きな選択を選べるはゲームでの自由度ではない

ゲームでの自由度とは、裁定されるための自由だから
カードゲームで言えば、手札を5枚持っていたら5枚の中からプレイヤーは一枚選ぶ権利を持ってる
これがゲームでの自由度
その選んだカードは好きで選んでいる訳ではないし、好みのやり方を選んでいる訳でもない
そのカードで勝てるカードは基本限られており
出すカードによっては負け、出すカードによっては引き分ける
その中で自分が勝てるカードを選ぶ事が出来る権利がゲームでの自由度

ゲームでの自由度とはプレイヤーの出したカードをルールによって裁定するため
出したカードによって勝敗を決めるために選ぶ事が出来る

自由度のないと苦情の来るゲームではその自由がない
実質的に出す事ができるカードはたった一枚でそれを出すと勝利
好きなカードを出す事が出来どのカードを出してもゴール

なので「どのカードを出したら勝てるのか?何を出すと負けるのか?」そこを考えるゲームの構造が成り立たない

>>425
絶対に入れない場所を態々作るのはその通り
ゲーム作りとは本来「負け作り」
何をやったらプレイヤーは脱落するか?負けるか?を作る
なので、ゲーム作りの本質が「出来ない事の方を作るか?」
いかに魅力的な失格を作るか?がゲーム作り

でもそれは一面でしかない

入れない場所に入れる可能性も在るからはそこへの入り方をプレイヤーは探す
また、正規の失格と入れない場所とは別で
入れない場所が正規の失格の機能を兼ねる事も

この段階で直ちに入れない鍵のかかった扉
この段階で行けば行き止まりの機能を果たすけど
鍵を持っていれば入れる可能性を持つ訳で