>>695
結局、数学の例にしても学習行動の遺伝の話にしても「私は知らない、分からない」で有耶無耶にされてしまいますね。
まぁ、自分もそれを以て反証足り得るのかも分かってませんが。
話が脇道に逸れたりもしてますが、こちらは貴方の示した定義

> ゲームに限らず人間のやることはすべて既存の事物の再現にすぎません
> 人間にはゼロからの創造は行えず、見たことのあるものを模倣できるだけです

この「包括的な断定」に疑問があるわけで。
そうとは言えないんじゃないですか、と。

この定義を言い換えると、「人間はゼロからではない創造は行える」となりますが、
そもそも「すべて再現にすぎない・模倣できるだけ」と断定する定義の中に「新しいものを産み出す」という意味である「創造」を並べているのが矛盾してませんかね。

> 行為の反復と経験によって生み出されたものが否定されちゃうとなにも存在しえなくなる
> 否定したつもりはないんですが

「ゼロからの創造」という観点から否定してますよね。

> すでにあるものを利用している以上、発想の転換があろうと無からの創造ではないのでは?

とも言われてましたけど、これも暴論でしょ。
そこに無いものは利用できるわけがない。
「再現」と「模倣」に対して置かれている「ゼロ」という言葉の定義が極端過ぎやしませんか。
「ゼロ」とか「無」の定義が一義的過ぎるというか。

何を『ゼロからの創造』とみなすのか明確化してもらわないと
と確認された時に「貴方の定義の上で話している」と言いましたが、結局ここなんですよね。
「ゼロから」という言葉の認識のズレ。
こちらは「これまでに無いものを生み出す」のが「ゼロから」と認識してますから。

上でも少し触れましたが、改めて「創造」の定義の確認をさせて下さい。

【創造(そうぞう)とは、新しいものを産み出すこと。創作や発明、あるいは新しい考え方など、オリジナリティの強いものに対し使うことが多い。】
【これまでになかったものを新しくつくりだすこと。この概念は、既存の要素あるいは素材の独創的組合せによる新しいタイプの事物の産出から、まったくの無からの世界そのものの創出に至る広い範囲で使われる。】

人間が「再現」と「模倣」だけしかできないのなら、新しいものは作りだせないのではないでしょうか?
「ゼロから新しいものを作りだせる」という認識がされてなければ、「創造」にこのような定義はされないと思いますが。
この点については、どう思われますか?
自分は経験や工夫、閃き等から新しいものが作りだせれば、それは「ゼロからの創造」足り得ると思いますがね。

結局、貴方の言う「ゼロ」とは、物質的にも「無」、思考・経験・発想にも「無」を定義することなんですかね?
だとすれば「創造」という行為自体が行えるはずもない。
議論の余地も無い当たり前の話。
(まぁ、最初からそういうことなんでしょうが)

話はループしますが、再現と模倣「だけ」で、新しいもの・新しい考えは作りだせますか?
因みに「何かを組み合わせるという行為」は、「創造」に当たると考えます。