【チッパイ】貧乳はステータスだ希少価値だ【アネモネ】
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貧乳のひとは入ってよし。
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 読んだの。
『からかい上手の(元)高木さん 1-2』(稲葉光史 / 小学館(月産少年サンデーコミックス) / 2017-18)
『新編 百花譜百選』(木下杢太郎(前川誠郎・編) / 岩波文庫 / 2007)
『たのしい暮しの断片』(金井美恵子・文、金井久美子・画 / 平凡社 / 2019) 『からかい上手の(元)高木さん』、
山本崇一朗せんせいの『からかい上手の高木さん』スピンオフ。
高木さんと西片くんが結婚して、娘の「ちー」が生まれる。
ちーとお母さん(ときどきお父さん)のからかいからかわれの話。
ほのぼの。とてもよく描けてる。
明日はあと2巻読む。
『新編 百花譜百選』、
木下杢太郎の遺稿。身近にある植物を写生して、短い文を附したもの。
冒頭がマンサクで感慨深い。
昭和十八年三月十日、大学池畔に始めてまんさくの花を開けるを見る。
昨夜来気温甚だ低し。寒風袴を透して膚膩に逼る。
考えてみると、この記述は半月ほど遅い。
杢太郎がマンサクの開花に気がついてなかったのか、この年が 『たのしい暮しの断片』、
嫁さんが読んでた本を貸してもらった。
「家庭画報」や「暮しの手帖」に書いたエッセイをまとめたもの。
じわじわくる。
しばらくまえに5ちゃんでも「甘い豆が苦手」云々の話があったけれど、
オレ個人はそんなに拒否感はない。
昔の年寄りは甘く豆を煮つけていたし、オレもだいぶそういう豆料理に慣らされた感じがする。
この本に載ってるエッセイにも書いてあるけれど、
もともと豆は、豆腐や油揚げやみそやしょうゆなど加工食品や調味料に変わって、
つねに食卓にあがるようなものだった。
変哲ないし、豆腐や油揚げもだいたい塩味系統で煮含めるものだ。
だから、ときどき単体の豆類が手に入ったときは、
いつもと違う味、つまり甘く煮たりするってことは、とくにハレの日にはあったことなんだと思う。
小豆などはその筆頭になる。
それに異を唱えたのが、指摘通りの辰巳芳子せんせいで、彼女はいろんなレシピを開発した。
豆のカレー、豆のお粥、豆のオートミール…
これに対して金井美恵子はきっぱりと、「なじめない」と切って捨てる。
素敵だ。
ちょっと皮肉交じりに辰巳せんせいの論を
「宗教家とも言えそうなストイックな口調」と書いてるところもまたいい。
(オレは辰巳せんせいが嫌いなわけじゃないけど、ときに教条主義を感じることはある)
食に関してだけは、人間はエピキュリアンでないといけない。
それは今日読んだ木下杢太郎の本にもところどころかいま見えることだ。 聴いたの。その1
10年後には、こういうおっさんになっていたい。
ブラザーと言われたい。
思い出野郎Aチーム - 夜のすべて
(カクバリズム / Spotify / 2017)
https://i.imgur.com/sRagMtg.jpg
ダンスに間に合う
https://youtu.be/Knd6KuBuBPk
+++
80年代以降、メインストリームにおける日本のポップ音楽史は
フォークムーブメントの記述にあまりページを割かなかった。
だからこの異才の存在にまだ多くの人が気がついていない。
折坂裕太 - 平成
(Less+ Project. / Spotify / 2018)
https://i.imgur.com/F0ojYjb.jpg
さびしさ
https://youtu.be/-30skTZ6aEg 聴いたの。その2
UKのサイケバンド、スペースメン3のなかのひとが90年代にやってたバンド。
00年代初頭まで活動した。
意外とボトムが分厚い。
Alpha Stone - Stereophonic Pop Art Music
(BOMP! / Spotify / 1996)
https://i.imgur.com/cylmSeX.jpg
Special One
https://youtu.be/0fQMxbhl0us
+++
ドローン系のようでそうじゃない、プログレ風味もどこかに感じるアンビエント。
[Apollo]は、[R&S]傘下の超名門電子音楽レーベル。
bvdub - Drowning in Daylight
(Apollo / 2×LP / 2018)
https://i.imgur.com/Cic274a.jpg
Seas Of Shores, Forever Sweeping
https://youtu.be/qVGpuWMNYow 聴いたの。その3
第2期[Mille Plateaux]のカタログ初期の作品。
Yaporigami名義のほうが有名な山梨県人のグリッチ系作。
Yu Miyashita - Noble Niche
(Mille Plateaux / CD / 2011)
https://i.imgur.com/axuuwLN.jpg
Noble Niche
https://youtu.be/xwXTSrVaLps 辰巳浜子さんの本が実家に有って紅葉した柿の葉寿司が綺麗だったな
芳子さんは「譲り受けた母の味」までは参考にしていたけど
命のスープでしたっけ、恐ろしい雰囲気になっていて驚きましたよ 第2期[Mille Plateaux]は、これまであまり注意を払ってこなかったので
ちゃんとコレクトしたいと思ってる。
いまいち全体像がわからん。 >>859
鎌倉でお教室やってるんですが、知り合いがそのスープ教室に行ったんだけど、
なかなか厳しい雰囲気だったそうですな。
求道的というか、修行のような雰囲気だったそうな。
そりゃ辰巳せんせいは相当な年齢ですから、
食べ物が自分の寿命に直結してるともなると、そうなっちゃうんでしょうが、
もうちょっと気楽でもいいんですけどな。
オレなんか3食150円くらいで売ってるやっすいナポリタン、
すごく食べたくなって、日曜日に家人がいないときこっそり食ってたりしますけどなw あのナポリタン味の粉末ケチャップが好き。
これと冷やご飯とハムと玉ねぎとバターで作ったチキンライスとか超好き。
あの粉だけ売ってほしい。
魔法の粉だと思う。 それでは今日はこれにておしまい。
おやすみなさい。 広い鎌倉のお庭で浜子さんが、寿司職人の手元を見て覚えた江戸前寿司を子供達に振る舞った様子も愉快そうに書かれていましたよ
満開の桜の下で、毛氈を敷いて
月日は流れ子供だった芳子さんは厳しい先生になってしまった
んー、あれはきっとお父様の血だ(笑)
おやすみなさい >>864
文体もだいぶ違いますな。
浜子さんと芳子さんでは。
『料理歳時記』など読んでみると、文体がやはり丸い。
芳子さんのほうは、洗練されてますがストイックで、内容にはドグマティックですらある。
正確の差なんでしょうが。
『料理歳時記』には野草の取り扱い方とか載ってた記憶があります。
これからの時期に使い勝手がいい料理書かもしれない。
戦中世代の方々は野草の扱いもよく知ってたようで、
先日読んだ木下杢太郎の本にも、メモ書きのように食べた野草の名前が書いてあります。
芳子さんの本のなかに野草料理を扱ったもの、庭で採った野草料理の話だったかな?
そういうテクストもあったけど、野草を食べる必然性を失った時代になると
もはや食べるために野草を食べる時代ではないので、
やや高尚な扱いにしないと活字にできなかったということもあるかもしれませんにゃ。 朝食。
ベーコンエッグ
キャロットラペ
ミニトマトとレタスのスープ
ヨーグルト
トースト
コーヒー
(オレはベーコン抜き&トースト抜き) それでは行ってまいります。
みなさんよい火曜日を。 昼食。
あんぱん
ホットココア
夕食。
辛くない麻婆豆腐
イカとネギの冷菜
蒸し茄子の黒酢和え
レタスとセロリのサラダ
大根が入った中華スープ
ごはん
ビール 辛くない麻婆豆腐。
豆板醤は少しだけ。あとは甜面醤、豆鼓を普通に入れます。
辛い麻婆豆腐では入れないけど、子どもに合わせて甘く仕上げるために
オイスターソースも入れたそうです。
大人向けのコクと、子どもにもいい感じの甘みが加わって美味しいです。
麻婆豆腐は奥が深い料理。
いくつかコツがあるけど、いつかまた。
イカの冷菜。
湯引きしたアオリイカの上に、ごく細かくみじん切りした青ネギと生姜を乗せて
塩を適量振って、煙が立つまで熱した太白ごま油をじゅわっとかけるだけ。
ビールに合います。
粗びきの黒胡椒をかけてもいい。 >>870
くぅおおおおおおおんんんんんヴぁんわああああああああああっっっっす。
まだビール飲んでます。
ヱビスです。 harmonyって言葉がある。
ハーモニー。
「調和」って意味がある。もちろん音楽でも「和音」という意味でよく使う。
もともとは古典ギリシア語のharmonia(ハルモニアー)に由来する。
神話では擬人化されて女神になってるが、
むかしから「調和」とか「和音」の意味で、ピュタゴラスたちは使ってた。
しかし、神学や音楽や哲学にとりこまれるまえのハルモニアーはもともと、
「相反する反対向きの力(斥力)によって、ピーンと張られて静止してる状態」を言った。
たとえば、頭蓋骨頭頂部の縫合線、
あれはむかしのひとは、両方の顎から下向きに引っ張られて、
それが縫合線のところの「かみ合い」で強くピーンと張ってると考えた。
ギリシア人的には頭蓋骨の真上にはハルモニアーがある。
船を作るときの板の接合部、板を両方からぎゅっと引っ張ってかみ合ってる部分を
松ヤニやタールで防水してる。
これもハルモニアー。
竪琴のピンと張った弦、
これもハルモニアー。
引力ではなくて斥力でつながっていて、
しかも均衡してる状態、固くつながってる状態が、ハルモニアーなわけです。
人間関係のなかにも、引力でなく斥力でつながった、
緊張感に満ちた関係もある。
実はこれは一種の「調和」なのじゃないかと、最近は思うようになってる。 各シンクタンクの中国経済先行き予測は、
8割悲観的、2割現状維持というところ。
信用収縮の兆しが見えてるという指摘は、厳しい。 読んだの。
『からかい上手の(元)高木さん 3-4』(稲葉光史 / 小学館(少年サンデーコミックス) / 2018-19)
『甘々と稲妻 12』(雨隠ギド / 講談社(アフタヌーンKC) / 2019)
『牧神の祝福』(ロード・ダンセイニ(杉山洋子訳) / 月刊ペン社(妖精文庫) / 1981) 『からかい上手の(元)高木さん』、既刊分読了。
ネタが続く限り続けてほしい。
『甘々と稲妻』、つむぎが大学入学するところで完結。
あのつむぎがこんなに大きくなって(感涙)
ほんとうによいコミックだった。
すばらしかった。 『牧神の祝福』、
ダンセイニ卿の長編ファンタジー。というかホラー。
山の中の小さな村で、牧神の力を持った笛を吹く少年とひとり戦う司祭の話。
しかし「牧神」がいったいなにか最後までわからないままという、
スティーヴン・キングなみのモダンホラーになっている。
見方によっては、ラヴクラフト『宇宙からの色』のような異世界からの侵略もののようにも思える。
展開は淡々としてるものの
さすがに貴族たるダンセイニ卿のジェントリーで華麗な文体は推進力がある。
最終的に異界(非キリスト教世界)が勝利する(当時としてはセンセーショナルな)結末もよし。
なかなか手に入らない本なので、国書刊行会あたりが復刊して
いろんなひとに読まれてほしい。 聴いたの。
イギリス前世紀の作曲家、ハーバート・ハウエルズのディスク。
静謐な合唱曲集。
Conspirare, Craig Hella Johnson & Company of Voices - Herbert Howells: Requiem
(Harmonia Mundi / Spotify / 2009)
https://i.imgur.com/Lnkok4u.jpg
Herbert Howells: Requiem
https://youtu.be/E1hBco-7y6M
+++
アメリカの近現代の作曲家、ガーシュウィン、コープランド、プレヴィンの作品集。
プレヴィンのヴァイオリン・ソナタをはじめて聴いた。
ギル・シャハムのヴァイオリンが情感たっぷりでこれもいい。
Gil Shaham, Andre Previn - American Scenes
(Deutsche Grammophon / Spotify / 1998)
https://i.imgur.com/f8R0ITi.jpg
Previn: Sonata for Violin and Piano "Vineyard"
II. Slowly - Fast, shadowy - Tempo I
https://youtu.be/kJ9E3sqHaww 今夜は、嫁さんが刺繍しながら鼻歌を歌ってるのを聴きながら
本を読んでいた。
なんだろな、嫁さんの鼻歌は、いつもフラット気味な気がする。
そこがいいんだが。 でも和声は引力と斥力で進行しますよね
ドミナントがトニックに解決するように
不協和音の構成音は特に美しい解決をすると感じます
だからインターバルを正確に見定める構成音であって欲しいなと思ったり… そういうことですなw
思うに、名無しなどが入れる合いの手というのは、
楽理で言うところの「非和声音」というものです。
それが挿入されることで、深い緊張感がもたらされたり、やたら気持ちよくなったりする。
そして、たいていは「解決」が必要となるわけでふ。
非和声音を使いこなせるだけのスキルが
必ずコテには必要なのですにゃw
それを失敗すると、あそこで火だるまになってるおじさんのようになってしまう。 >>886
そう、「解決」なのですよ。
いかに「解決」させるか。
引力と斥力、ドミナントとトニック、それらを投入するタイミング。
これらは一見ロジックのように見えて、実は経験則から得られた技法なのです。
オレがフレームだの枠だのさんざん言うのは、
その技法に関わることなのですな。
音楽(楽理)というのは、実は経験則の集合体なのであって、
体系が異なれば、
(つまりフレームが異なれば、たとえば、四半音を扱うインドやアラブの音楽では)
当然異なった経験則と技法が立ち現われ、
異なった「解決」が求められる。
ということでふ。 オレが常に求めている「死ななければいい」「度を越えた傷つき方をしなければいい」というのは
もちろん現実の死や傷つき方も意味するけれど、
この枠やフレーム、形式を破壊しなければいいということでもあって、
その大きな原則が維持されるのであれば、
刀で斬り合おうが石礫を投げ合いしようが戦争しようが、
どうということもない。
ただ、この原則を破壊する/破壊されそうな事態を見かけたら、
これは生存の美学に反するので動かなくてはならなくなるわけでふにゃ。 名無しの声は参加型ハミングと雑音とがありますよね
人と人との関係の進行は、引力と斥力のもたらすものかもというイメージをレスから頂きました
全ての人がハーモニーに必要な構成音ですが、音程を聴く力がなければ資格はないので叩かれて鍛えられているのかも(笑) 私はいわゆるアーメン終止でやってきたのですよ(笑)
それとフレームを壊せば本体も壊れる場合があるかも知れませんよ
それでようやく生きている人もいる コテが偉いわけじゃまったくないが、
結果的にパートリーダーとかコンマスみたいな役割を担ってしまうわけでしょうw
火だるまおじさんの場合は、急に指揮者にならないといけなくなったが
ありとあらゆる意味で失敗して、マーチのつもりでワルツを振ったりするもんだから
音程どころかリズムもしっちゃかめっちゃかにしてしまった。
あきませんなw 少々歪みつつも生きているなら立派なものでは有りませんか
人を喰らって生きている場合は矯正又は粛清ですけれど >>892
そうですな。
オレが思うに、人間は中身が重要なのではないのです。
そりゃ中身も大事は大事なんですが、中身がよくわからんのに飲めるほど
誰にも勇気があるわけじゃない。
重要なのは容器、グラスのほうなのです。
これを壊しさえしなければ、
テーブル全体にグラスの中身がぶちまけられて、夕食が台無しになることもない。
形状が不安定なグラスなら、扱いに注意しないといけないのは当然ですなw
しかし、その形状の見極めの大切さを知らんと、えらいことになるのですな。 朝食。
新玉ねぎとグリーンピースの玉子とじ
にんじんのきんぴら
白菜の浅漬け
お豆腐のお味噌汁
日本茶
娘と嫁さんは、納豆かけご飯 残念ながら人間は、そうたくさんのフレームを持って生きて行けるようにはできてないのです。
それがやれるひともいないことはないが、
多重人格者だと思われるものです、ガチで。
さて、ばたばた出かけます。
みなさんよい一日を。 多重人格は困りますね
可変式くらいにしておきましょうかw
では失礼します ミカの作るグラスは硬くて脆いガラスなイメージ
ちょいと叩くと亀裂が入り中身がチロチロ垂れてくる
ゴム製のコップやプラコップなら、多少乱暴に扱っても壊れないよw
容器、フレームに拘りすぎて一見綺麗に見えるけど
扱いが面倒くさいってやつw >>907
ああ、これかあ。
そういえばコンビニかスーパーで見たような。
うまそう。
みんなどうか知らんですが、オレはほんとは瓶ビールが好きなんですよな。
居酒屋でも瓶ビールがあれば嬉しい。
コップに注ぐっていう動作がいい。
ラベルがどうのこうのとかそんなの関係なく
じゃんじゃん後輩から注いでもらって注いでやるのが好き。
キリンラガーがあればいい。
サッポロ赤星があればなおいい。
そんな感じでござるよ。 >>902
まあ、あらゆる材料には、硬度と脆性ってのがありましてな。
たとえめちゃくそ硬くても脆いものってあります。
一点に応力を集中させると、一気に全体が破壊されてしまうような。
塑性という言葉もある。
たとえば、枕に横向きに寝てると、枕の型がほっぺたにつく。
これは塑性があるから。
へっこむべきところがへっこむ。
それが人体であれば元の形に戻るし、粘土であれば戻らない。
へっこまなければ、その形は破壊されるわけです。
人間も同じでしょうな。
形状とは別に、そういう容器の持った素材の問題もあります。
たしかにシリコンやゴム、プラスチックのように弾性変形に耐えられるような素材もあるし、
そうじゃないガラスやシリカのような素材もある。
なかには穴が開いたり傷がついても自己修復する素材だってあるでしょう。
(最近の研究では、パンダの歯は自己修復機能があることがわかったらしい)
人間も、まことにまことに、同じなのであります。
アネモネさん、こんばんは!
スレタイに関して一言
貧乳がドンピシャに合うキャラや顔立ち(?)が実際にチッパイなのは犯罪的にすら感じますw
少女漫画のヒロインみたいな顔立ち(雰囲気)なのに貧乳という元彼女がそうでしたね 中身が同じでも容器の違いで味も変わる
なんてったって風味が違う
中身も大事だが、それを覆ってる容器や見た目も大事ってことかなー
>>913
チッパイどころか、洗濯板と言われてる人が上下にいますよw
実は俺、某板の貧乳スレの住人です
洗濯板よりは肉付きのよい貧乳が好きですね >>911-912
そのとおりでしてな、
生ビールっていうのはサーバーをちゃんと掃除してるかどうかとか、
中身がフレッシュかどうかで味も違うもんですしな。
日本ではそこまで感じないけど、
海外、とくに中国で生ビール飲むと、
その場で全部床にこぼしたくなるくらい変なのが出てきて悲しくなることがあります。
風情もありますしなあ。
若いころ、あまり仕事ができないくせにやたら厳しい先輩に、
ビールの注ぎ方とかやかましく言われましたな。
まあ、年配の偉い人の接待ではいいんだけど。
その先輩も、いまは北海道に単身赴任されてますが、
当分、帰って来れないでしょう。
っていうか、もう帰って来れないでしょうにゃあ(遠い目)
>>915
体型がガリガリな貧乳(洗濯板)は僕もご遠慮願いたいですねー
織田さんの言う通り鶏ガラ貧乳よりも、若干丸みがあって多少肉付きがある貧乳が好きですw >>913 >>915
まあ諸君の言わんとすることはわからなくもないが
「貧乳」というものは心のなかにあるもの。
イデアの世界にあって、観照するものなのです。
たとえ美乳であろうが、えぐれ乳であろうが、Fカップ巨乳であろうが
みな貧乳になることはできます。
天にましますわれらの母よ、
願わくは、貧乳の尊まれんことを、
貧乳の来たらんことを、
貧乳の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の貧乳を、今日われらに与え給え。
われらが貧乳を赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを貧乳に引き給わざれ、
われらを巨乳より救い給え。
乳と子と聖霊との御名において、アーメン。 >>914
なかなか鋭いですな。
まさにそうなのです。
入れ物が違えば、中身もまた変わる。
服と一緒ですな。
ユニクロ着てるときと、ダーバンのセミオーダー着てるときは
心の在り方も違うのです。
理論で重武装してる人間と、感性で自由に生きてる人間は、
気があったとしてもやはり全く違う精神の在り方をしている。
あるいは中身のほうが入れ物の形を変えることすらある。
熱い液体をペットボトルに入れると変形するように。
入れ物と容器の関係性ってのは、実際のところ複雑だし微妙な部分が多い。
そういうのはひとつひとつ事例を拾って考えるほかない事でもありますな。 オレが常に考えてることは、
枠、フレーム、形式、システムのような「容器」のこと、
その中身、個というもの、個の持つポテンシャルのごとき「中身」のこと、
と同時に、
この容器と中身の相互関係なのでふ。
これはたいていのひとが意識してないだけで、
どんな人間であっても、たとえベッドで寝たきりの植物状態の人間であっても、
つねにこの相互関係のなかで生きてる。
それをどう考えるかってことが重要なのだと思うでふな。
火だるまの人が火だるまのまま生きてるなんて、
たいへん素敵なことですな。
どうしてそんなことが可能になるのか。
これは5ちゃんねるという巨大な水槽のなかだからできるのか。
彼はなぜ熱さを感じず窒息もしないのか。
皮膚にあたる彼のキャラクターと外界との境界部分はどうなってるのか。
いかにしてそれが可能なのか。
たいへん興味深いことでふ。 昼食。
カフェラテゼリー
宇治抹茶クリームの生どらやき
夕食。
グヤーシュ
じゃがいものニョッキ
千切りキャベツとトマトのサラダ
いんげん豆のスープ
大根とにんじんのピクルス
ヱビスビール グヤーシュは、ハンガリーの牛肉と玉ねぎ使ったトマト味のシチュー。
新玉ねぎとすね肉使って昨夜から作ってたもの。
パプリカパウダーをいっぱい入れるのが特徴。
最後にマッシュルームや椎茸、舞茸などきのこ類をバターソテーしたのを投入して
味をなじませたらできあがり。
ニョッキはカルディで買ってきてたやつ。
茹でてオリーブ油で軽く和えたもの。
ちょいちょいグヤーシュをかけたり、粉チーズかけたりしながら食べた。
自分で作ったニョッキも美味しいんだけどぬう。 >>915
私、別に洗濯板じゃねーから!!!!!!!!!! >>920
私はね、アネモネちゃんに言われるまでは
フレームなんて考えたこともなかった
某を語る時にフレームという言葉が出てきて初めて考えたのよ
私自身にもフレームがあるのだろうと思うけれど、多分それは強くなったり脆くなったり広くなったり狭くなったり
その時の状況に応じて変わったりもしてるんだろう〜くらいには考えたw
でもやはり、普段はそんなもの全く意識してなくて
他人から見た私、というのは常に感じてはいても
たいして気にもしていないのが私だ >>923
中身読んでないけれど
リアル恋愛離れは5ちゃんのせいだと私も思う
5ちゃんしていると、恋愛したい気持ちが私は失せる
いや、中にはネットの中の人と恋愛する人もいるけれどw
だからリアルな恋愛が余計になくなってるんだろうなと思うことは
色んな人を見てても感じていたことだわ
昔、ぴーがなんか言ってたな
会いたいと恋い焦がれる経験がうんたらかんたら
私にその経験は、17、8歳の頃からもうないww
やばいよねw >>925
たいがいみんなこういう考え方はしないもんだろね。
たとえば「だれそれの本質は〜」「素のだれそれは〜」っていう話をするときに
たいていのひとが考えているのは、容器の中身のことなんだよ。
そして、ある種のひとたち(たとえば哲学とかをかじったばかりのひとなど)は、
「容器の中身にはたどり着かない(そのひとの本質にはたどり着かない)」というふうに、
安易な安直な諦め方をしてしまう。
オレは大学でちょこっとだけ哲学を勉強した。
哲学は、基本的になんの役にも立たない。
人間を幸福にするようなものじゃないし、なにか資格も与えない。
中二病を強化するだけの、ほとんど価値がない学問だと思う。
ただ、ひとつこれを勉強してよかったことは、
なにかの本質について考えるときは、かならずそのなにかを成立させてる前提、
あるいはフレーム、枠、哲学用語で言えば「形式」があるから
それに注意を向けなさい、ってことだった。
中身だけ見てたらいけない、その中身が中身であるためにそれを支えている枠組みが
どんな姿をしてるか考えなさい。 オレは哲学を本気で勉強したわけではなくて、
メインで学んでいたのは別のことだった。
しかし哲学のそういう見方を学ぶと、ただ漫然と学んでたことも違った見え方がする。
人間に対してもそうなってくる。
このひとが、このひとたりえているのは、このひとの本性だけでなく
本性を支えている「なにか」がある。
それは過去の経験であったり、いま現在の情況であったり、
家族や友人であったり、学校や会社という直接彼を包んでいるシステムであったり、
さらにその外側に広がる特定の文化や言語、国家であったり、
あるいはさらに普遍的に誰もが住み生活し存在している場、世界という「形式」であったりする。 フレームや形式なるものは、いつも目に見えない。
そして、記述の仕方や対象との距離によっても、姿がかわる。
かつ、リアルタイムに変形していく。
フレームが二重三重になったり、建て増しされてたりしてることもある。
一戸建ての家と同じで、前から見たら新しいのに、裏に回ったら築60年なんてこともあるw
しかし、それでも中身は中身で存在していて、
それを考えることはなおの事難しい。
形式という容器と個という中身は、いつもセットで考えるべきだと思う。
ただ、まあ、こういう話はとかくふわふわした話になりがちなので、
たいがいは与太話みたいな扱いで結構だと思うんですがなw >>926
オレもネットだけで恋愛ってありうるんだろうかと思ったりはする。
しかしネットがよりVRと融合していったら、
将来的にはありえるかもしれない。
が、やはりネットもいま書いたように、
ある種の人たちにとっては、自分という個を入れる容器と一部融合してるひとはおるのかもしれない。
オレにとっての恋愛は、まず友愛がベースにあって
それを身体性(ぬくもりがあって弾力がある肉体)が支えてるイメージ。
(性愛に関してはその順番が逆転する)
しかしネットのなかには身体性というものがないから、
その代わりにいつも言ってる「設定」ってやつが身体性の代わりをしている。
火だるまのひとなどがメールと電話にこだわるのは、
ネットのなかで身体性を獲得するための試行錯誤かもしれない。
とくに「声」っていうのは、デジタルな身体性のなかでいちばん生々しいですからなw
VTuberなんてのは、この声で身体性を獲得したデジタルな存在でふしおすし。
オレが推してるVTuberの皇牙サキとか、
ヘッドフォンで声聴いてるとヤバイでふからなw
黒ギャルの巨乳でふけどなw とまれ、恋というもの、恋焦がれるということは、
若いころの特権ではある。
恋焦がれるということは、性欲の高まりとかとは(関係あるにせよ)やっぱ違う。
なんていうか、勇気を出して深淵をえいやっと飛び越えるような、
そういう勇気も必要になってくる。
うまく言えんけれども、恋焦がれというのは、
人間が他者性に触れるときの厳しさを最初に教えてくれる経験ではないかと思う。 読んだの。
『きのう何食べた? 13』(よしながふみ / 講談社(モーニングKC) / 2019)
『幸福とは何か -ソクラテスからアラン、ラッセルまで-』
(長谷川宏 / 中央公論新社(中公新書) / 2018) 『きのう何食べた? 13』
坦々うどん、春巻、大根と落とし卵のみそ雑炊、
鶏の水炊き、とり天とアボガドの天ぷら、江戸前ばら寿司、
シンガポールチキンライスあじの煮付け、ゆで豚&ゆでオクラ(ピリ辛ごまだれ)。
これこそドラマにしてほしかったコミック。
4月からはじまる模様。
ふだんテレビニュース以外ほとんど見ないけど、
これは見ようと思ってる。 『幸福とは何か』
ヘーゲル『精神現象学』などを訳した非アカデミズム系在野研究者による幸福論史。
枝葉を切り捨て手堅くキャッチーにまとめてるのはさすが。
ガチな哲学業界の大学人だと、こういう本は書けそうで書けない。
上に書いたことの重複になるところもあるけれど、もう一度まとめれば、
とくにカント以降の近代哲学は、世界はどのような〈形式〉の元に成り立っており
人間はいかなる【形式】で構成されており、言語はいかなる《形式》で記述されるべきか、
これが主眼となった。
それこそグラスと中身の話じゃないが、哲学が基礎付けを一貫して行った近代諸学は、
グラスの形の方に目を向けることが多いということ。
幸福なんてものは(グラスの形とも密接な関係はあるにせよ)
本来その中身が対象であってよいはずなのに、
これも決まった形式のタブロー(表)のなか数値として付置されることになってる。
カント個人もそれに気がついていて、彼なりに試行錯誤しようとした形跡はある。
が、ヘーゲルがカントを超克しようとする過程でまったくその問題は見失われた。
ましてや日本に移入された「哲学」はカント-ヘーゲル系ドイツ哲学をベースにしたものだったから
「幸福とは何か」という問題の解決は、消去法的に文学にゆだねられるほかなかった。
フレームって枠なのか?
普通、骨組みの事を指すだろ?
人間に置き換えたら身体能力や性格
ネットの世界じゃ性格の事だけやな
性格なんて変われるもんか
俺やタカヘロ、ハニなんかはフレーム丸出しやけど、ミカちゃんやロンゲなんかは枠に囲われて正体不明
下等やコウモリに至ってはハッタリカバーで何やら解らん
自転車でも車でも芯になるのはフレームて、色んなハッタリで完成車になってると思うんだが オレ個人が、いま古代ギリシア哲学からストア哲学に興味があり、
またむかしから経験主義に親近感を感じ、
ときどき個人的な記憶の森に沈んで考えたりするのは、
こういう情況がいやいやでたまらないから。
ポストモダニズムの波も収まって、またカント-ヘーゲル-ハイデガー系の形而上学が復権し、
それに対抗する大きな思潮もはや英米の分析哲学しかないという現状は、
新自由主義が猖獗を極める時代において、おそらく人類にとってたいへん不幸なことだと
この本を読みながら思ったりする。
かといって実存主義などうんざりだ。
じゃあどうしたらいいのか、
とか、古典を読みながら夢想するくらいの余裕が社畜にあってもいい。 >>936
フレームでも枠でもいい。
わかりやすいからそういう言葉を使っただけで、
本来使いたい術語は「形式」だよ。
たとえば言語であれば、文法がその形式のひとつさ。
日本語とドイツ語では文法が違う。
だから文脈に対するセンシティヴィティも違う。
日本語はその文法から超高コンテクスト言語で
これは文脈がわからないと意味がつかみづらい言語なんだ。
「空気嫁」って表現が一般的なくらい。
しかしドイツ語は超低コンテクスト言語で、
文脈というものに依存しなくても解釈ができる。
そのまんまに読めば意味もとりやすい。
これは文化の違いにも反映している。
言語の形式が、コミュニケーションのやり方とか文化の在り方にまで深い影響を及ぼしている。
形式というものは実は重要なのさ。
あまりよくわからんでもいいと思うよ。
そうたいした話をしてるわけでもない。 しかしオレは、そうわかりにくいもんだろうかねえw
かなり素でおるつもりなんだがw
解りにくいんやろ
今まで誰もフレームって言葉に突っ込まんかったんやから
みんな解った風してるだけさ
もっと簡単な表現使いなよ! >>941
別にわからんでもええがなw
死にはせんですよ。
どうしても理解したいんなら
自分の文脈で理解したらええんよ、こういうのは。
ちゃんと蜂子やみか氏ともコミュニケーションは取れとりまんがな。
それでも満足できないごくわずかな、君のように奇特な人のために
オレが影響受けたもの、勉強してきたもの、オレの血と肉となったもの、
そういうものを、書名だとか書いておりますしな。
それじゃあ
おやすみなさい。
ならよ、フレームなんて言葉使わんでもえーやろ
枠←これだけでミカちゃん達は理解しとるんや
骨組みと枠は違うもんやからね >>944
おあああああしょえううおおおおおおおおおおおあっっっっす。 >>943
> 骨組みと枠は違うもんやからね
そりゃ単語としては違うもんだろうがねえw
しかしそれは比喩だから。
骨組みも枠も、脆かったりそのままだと崩れそうななにかを支えるために存在するんだよ。
入れ物もそう、液体やぶにょぶにょしたなにかを支えるために存在している。
「支えるためのもの」という意味で使ってるんだから、
それで骨組みでも枠でもコップでも、間違ってない。
話に応じて、わかりやすいものを選んどるだけだがねえ。
そんなことくらい、蜂子もみか氏もわかってるさ。
こんなどうでもいいことを心配しなくてよろしい、 昨日聴いたの。その1
イギリスのSSW。
海外での知名度ほど日本ではあまり知られてない。
この新作もほとんど日本では話題にならなかった。
もったいない。
Kate Rusby - Life In A Paper Boat
(Pure Records / Spotify / 2016)
https://i.imgur.com/OiKSONo.jpg
The Witch of the Westmorland
https://youtu.be/QqoWOJoMMUM
+++
AOR初期からシーンをけん引するひとの1枚目。
邦題は「南から来た男」。
このひとの初期のハイトーンボイスは、瑞々しくていい。
Christopher Cross - Christopher Cross
(Warner Bros. Records / Spotify / 1979)
https://i.imgur.com/LYPB278.jpg
Sailing
https://youtu.be/IST-GfqUwDA 昨日聴いたの。その2
エジンバラ産のレフトフィールド/アヴァンギャルド/アンビエント盤。
ダビーで頭がおかしい音響作。
Mac-Talla Nan Creag - The Sorrow Of Derdriu
(Firecracker Recordings / 2×LP / 2019)
https://i.imgur.com/Sldd3Y6.jpg
Ballad Of Glen Nevis
https://youtu.be/QZnuBl41Wms
+++
スイス産のニューウェーブ・ディスコ。
YMO「Wild Ambitions」のTR-808ループをサンプリングで使ってる。
In Flagranti - High Pitch
(Codek Records / 12" / 2014)
https://i.imgur.com/VcuDCjm.jpg
High Pitch (Original Mix)
https://youtu.be/ikGpshCBWtM 昨日聴いたの。その3
フランス・リヨン産。
まったく未知のレーベルからの1枚目。
えらくBPMが遅い粘着質なニューウェーブトライバル。
妙なのが出てきた。
A Strange Wedding - Meta Romance EP
(Worst Records / 12" / 2018)
https://i.imgur.com/ibRwiNy.jpg
The Wedding
https://youtu.be/5VJ4Oyqy8X4 朝食。
バナナ
ヨーグルト
紅茶(ウバらしい)
娘と嫁さんは、
昨日の残りのグヤーシュ
ヨーグルト
トースト
など食べておった。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。