若草物語 オルコット全般で
>>538
全員が日本みたいに四六時中家族がついて看護するようなのを望んでもいないしね
エイミーだってベスが一人きりで死にかけてるというなら半月かけてでも旅行中止してでも帰って来たと思う。
あの場で帰ってきてもエイミーの夢も終わるわベスも死ぬわで悲しみが増えるだけだしね
中国のは知らなかった、勉強になりました。国それぞれだね。 当時のヨーロッパ旅行というのは人生左右するかもしれない大チャンスだし
次回都合のいい時に行けるような身分でもなかったしなあ
自分がマーチ夫人や姉妹の立場でも行くよう勧めると思う マーチ夫人って、ちょっと、ってところある
静かにおとなしく、ボランティアする顔の裏で
娘たちで野心果たしたい気持ちで満々ってとこない?
子供のころは考えもしなかったけど あの時代の婦人の規範としてキャラ造形されたことを考えると
まあこんなもんじゃない?と言うか、むしろジョーの完成形として
かんしゃくを押さえる努力してる辺り人間味あるなあと
あの環境で娘たちにいい生活させたいという野心すらないとなると
今度は心配になってくるよ
オルコットの母親に現実と迎合する力をプラスした理想形なんかなと >>542
あの生活で娘によりいい暮らしをさせたいと願わなかったらむしろ毒親だよねw
清貧つらぬけだなんて。
実際メグはもう少し社交界に出してやればよかったのにとすら思う。
地金がつまらない平凡な金持ちでなく、質素なドレスのメグでも気にとめてくれた人もいたのに……
ジョンは確かにいい人だけどね。 まあ、そのへんも、時代性地域性をかんがえるべきじゃん。
あの時代のあの地域は清教徒が多かったからじゃね?
だから、清貧を良しとする風潮は強かったんだがや、きっと。 1800年代のバリバリのピューリタンを今の感覚で見ると毒親になっちゃうのは仕方ない
逆に作中ではああいう扱いのマーチおばさんが今の感覚で見ると偉い女性になるし ちゅーても、
エリザベステーラーの演ってた子は、
今ヨーロッパに行ったら姉妹の一人とは、もう一生会えない(その子はたぶんヨーロッパ滞在中に死ぬから)
ってことは、悩まなかったのかな?
原作では、そのへん、葛藤はなんにもなかったの?
しかもエリザベステーラーはヨーロッパ行く前にニューヨークかどっかに寄って
ニューヨークにいる姉妹には田舎に残っているふたりのうち一人死にそうだから田舎に帰ってあげて
って言ってるんだよ。映画版では。
「自分は姉妹が死んでもヨーロッパ! あなたは姉妹が死にそうだから田舎に帰って」
ってすごい言い分な気がするが。
これも原作ではそうなの?
原作では四姉妹、はあんまり仲良くないの?それとも、それでも仲の良い四姉妹なのですか? ↑これも、あの時代あの地域では普通の感覚なの?
ちゅーか、エリザベステーラーの子と死にそうな子のあいだで、話し合いが有ったとかならまだしも
映画ではそういうことは一切触れられてなかったしな だからそれがエイミーなんだよ
戯作と言うかルイザの日記や手記伝記では、
ニューヨークにいたジョオ(ルイザ)は「自分で」稼いだお金で暮らしていて
エイミー大先生は生まれてから死ぬまで一度たりとて「自分で」稼いだことはないの
そのへんは父親とまったく同じで、他人が爪に火をともすようにためたお金を使うのにためらいはないタイプの人間
真面目な長女が家庭教師に行ったりしてのち結婚して口減らしをする、
次女が伯母のところへ本を読みに行ったり地元のタウン誌の依頼で記事を書いたり髪を売ったり
従軍看護婦になった手記を書いたりしてこつこつお金を作っては自転車操業の家族のために使う、
ついにはヒット作若草物語ができてようやくびんぼうからおさらば、以降一家は全力でその金で生活、
病弱な三女がボランティアで他人から感謝されたい症候群の母のかわりに家事をにない病に倒れる、
家政婦なんてまったく居つきませんだってオルコット家って変なんだもんお金あるけどけちだし
そんな中末の娘は
絵を描きたいからとボストンへ行きそこで次女の下宿よりずっと豪勢な部屋に住み社交界デビュー、
それでは足りないと芸術に触れて暮らしたいからとヨーロッパへ行く、だって姉がついに金稼げるようになったからな!
ここまでそれからこれからも全部姉のお金でな
そこでやっと捕まえた18才年下の貴族の男をはめて子供作って結婚迫るの
40越えてたの。なんでその年になるまで地元や社交界に居たのに男の一人も捕まえられなかったんだろうと思うがそのへんはわからん
でも産んだ後高齢出産がたたって死ぬ
その娘をルイザが引き取るんだけど、そのこがわがままで馬鹿で浅はかでただ母親そっくりの金髪美人で、
ルイザの死後、ルイザの財産全てがその子のものになるけど(長女やそのわりと賢かった子供たちには一切あげなかった)
結局印税やら動産不動産、その子が派手に使ったりうまいこと巻き上げられたりしてなくなっちゃいまして
若草物語の権利すらオルコット家ゆかりのものの名義ではなくなってしまいました
いまでも莫大な印税を産んでいますが、いわば金髪を甘やかしたらこうなるということです しかし本来あるべき中流の子女の人生としては
それが一番正しいという階級社会の皮肉…
いいとこの娘が労働するなんて恥ずかしいことだし
ぎりぎり許される家庭教師は「没落した家の娘」のシンボルたる職業
作家はまだましだが、社交界でもてはやされるレベルまで行って初めてましと言える程度
上全員が一丸となって頑張って、どうにか末娘にだけは体裁整えさせたってところか
日本で言うと、没落した家の体裁保つために
一番上が花柳界行って、末娘にだけは女学校行かせたぐらいの話
現代人から見ると、そこまでせんでもランク落とせよって感想になっちゃうのはしょうがない >>548>>549 小説の方は妹死ぬとわかってても長期旅行だからな。そっちのほうがすごい。
でも、ただ、当時はそれは、よくあることだったのかな?どうだろ
当時は、医療設備じゅうぶんも普及してないから病気で若く死ぬ人は今よりずっと多かったのは多かったろうな ベスのは細々灯ったろうそくの火がついに燃え尽きるような死で
余命何ヶ月とか宣告されたわけじゃないから
最期を看取るまで家族みんなが家から動かないってわけにもいかんのでは
現実のメイがどうだったかは知らないが、若草物語のエイミーの行動としては
特に違和感はない ベスが死ぬってはっきりしだしたのは原作ではエイミーが旅行に出掛けちゃってから、
ジョーも帰って来てひさしぶりにその目で見て分かったわけだしね。
伯母さんも絡んでいるし、いつ死ぬか分からない、死なないかもしれないベスのために帰るってわけにもいかなかっただろうし。
伯母さんの身の回りの世話もある程度していただろうから、私もエイミーに疑問はないかな。 私はむしろエイミーのわがままぶりが好きだったので
続編以降おとなしくなっちゃったのが物足りない
大人になってから少女時代を髣髴とさせるようなシーンはあったっけ? >>552>>553原作(小説)では、やっぱ、一応そういうふうになってたのね
エリザベス・テイラーの映画観るとエリザベステーラーは
「すぐ死ぬのほぼ確定してるのに自分はヨーロッパ行く!
ジョーはニューヨークから田舎に帰って看病しろ!」
って言ってるようにみえるからね >>555
確かに言われてみれば、あれが初見なら確かにそう見えるかも……
ベスが死んでしまうかも、と最初に家族のなかで気付いたのは帰省したジョーで、離れていて目が鋭くなっていたから分かった、と原作ではなっています。
同居の家族は常に一緒にいては気づかないくらいにゆっくりとベスは弱っていったと。
(その同居家族もその後ジョーとべスが二人きりの旅行から帰って来てやっと気づきます)
エイミーがベスは本当に悪いと知るのはそのあとの家族からの手紙で、です。 ジョーとベスの二人旅、最後の枕元での語り合いは若草物語全編で一番好き >>558
実際のエリザベスが亡くなる時も同じようなことがあったのだろうか
オルコットはあの場面を書くときどんな気持ちだったんだろうね >>559
本当にあったか、なかったとしてもそうしたかったんだろうな……と感じるね
ニューヨークで貯めたお金を見せて山に行こうといってもそんな遠くにはいけないし海のほうがよかったとかはリアルだなぁと
>>554
ないね。
敢えて言うなら、あのちょっと見栄張ったパーティ開いて家族でエイミーだけが好きな甘いお菓子余らせたくらいかな。。 それとエリザベステーラーの映画だと
ヨーロッパに行くエリザベステーラーが3女
死ぬのが4女なので、妹死にそうなのにおいてくのーーって感じがなおのことするんだよね
原作では死ぬのが3女でヨーロッパに行くのが4女なんだよな しつこい
それ以上語りたけりゃコテハンつけれ、NGするから
ここへ映画スレでもテーラースレでもない
若草物語を語る気があるなら三女四女言ってないでキャラ名ぐらい覚えれ とりあえずメグの結婚に関しては
いつ読んでも考え直せなレベルだ… >>561 そのとおりよね
>>562さんのような人のせいで若草物語の好きな人が全員狭量と思われたらどうしますの、やめていただきたいわ 映画のキャスティングには事情があったのかもしれないけど
エイミーが末っ子じゃないと性格的に違和感あるよね 当時大人気子役のマーガレット・オブライエンとエリザベス・テイラーの
キャスティングが先にありきだったんじゃない
ルックスイメージ的に逆にするわけにいかないし
エイミーの我が儘はチビの末っ子だから許される部分が多いのにね
メグにもっと美人女優をあてて欲しかった 相手が何も言わなければ そのまま領土領海を拡大
相手が何か言っても最初は無視
世界中が騒ぎ出すと 少しだけ反省して 傍若無人ぶりを若干改める
これが中国人の手口 いいかげん 日本政府も学べよな >>566
ググってみたら、マーガレット・オブライエンがエリザベス・テイラーより5歳下か。
エリザベス・テイラー(当時17歳)のエイミーを、
マーガレット・オブライエン(当時12歳)のベスより下には出来なかったわなw
エリザベス・テイラーをベス役にするわけにもいかなかっただろうしwww 役者ありきで原作後回しにすると原作レイプになるのは
洋の東西を問わないんだなあ でもあれは姉妹が姉妹らしく華がある映画だったから割りと好き ウィノナ・ライダー主演のよりは好き
あっちはみんな地味なルックスで全然華がなかった >>571
ウィノナライダーのは個人的にちょっと酷いなと思って見てた
特にジョーとベス、原作とかけ離れてるルックスと脚本 年は行ってたかもしれないけどジューンアリソンのジョーと、
マーガレットオブライエンのベスは見ていて気持ちよかった。 >>573 ジューン・アリソンのジョーはブサイクだった
原作に美人じゃないって書いてあるので適役といえば適役だが
ジューン・アリソンとかエリザベス・テイラーの出てる映画って四姉妹とも
あんまり美人じゃないんだよな 髪型のせいかな?
あの当時の髪型とか貧乏臭い服装を再現したから、あんまり美人に見えないのかな?
ジューン・アリソンは兎も角エリザベス・テイラーはもっと美人だと思うんだけど >>569 それと、長編を無理矢理二時間に押し込むと話が駆け足になって
面白くなくなる。特に原作読んでない観客は楽しめない。ってのも
時代、場所を問わない現象だ 1949年アメリカで若草物語を読んだことのない女性はいなかったんじゃないかな
足長おじさんじゃないけど 原作を知ってても、映画としてみたら、
多くのエピソードが駆け足しでただ展開していくだけで
各エピソードの掘り下げが足りない
姉妹で三角関係とか姉妹の一人が死ぬとか言う割にはあっというまに軽く進む
たとえば
恋愛や人生に行き詰まって「ニューヨークに行く!」って言ってニューヨークに行ったジョーが15分くらいで家に戻ってくる >>572
ウィノナライダー版は原作レイプで酷かったよね
キャスティングもだけど演出も駄目で全くの駄作
ジューンアリスンは美人じゃないけどボーイッシュな雰囲気はジョーに合ってたし
ベスとエイミーを年齢入れ替えたのは原作レイプだけど可愛かった
メグは美人設定なのに何時も地味な女優があてられて割を食っている印象 >>577
どうせ見るやつ全員原作知ってるさという作りだと
後年映画として見たときの評価が著しく下がるクオリティになり
原作知らなくてもわかるように、と作ると説明っぽくなる
原作ありきの映像作品て、作り手がどれだけ原作に入れ込んでるかで
映画としての質が左右される気がするよ あの時代のアイドル映画だったと思えばそんなもんかと
BBCでやった高慢と偏見みたいに
原作に忠実にじっくり描いたドラマシリーズなんかないのかな 1994年の若草はジョーより背が高くて雰囲気のないベスにがっかりしていたけれど、
幼いエイミーが後のマリーアントワネットをやったキルティンダンストだと気付いて、
もう一度観てみたら、確かにエイミーだけよかった。 映画もイマイチだけど名作劇場のアニメも出来が良くなかった
エイミーが声優の耳障りな声と演技過剰もあってとにかくウザイ
原作の百倍ウザイ
ドラマはいかにもありそうなのにあまり聞かないね 日本の少女漫画家が原作に忠実に、かつ大袈裟に、何年間も連載して長編で描いたら、それなりに流行るだろうな オードリー・ヘップバーンの戦争と平和も、原作が長すぎて映画がこけたパターンだよね
原作のエピソードを6、7割にしたけど、それでもまだ詰め込み過ぎで、
一個一個のエピソードが表面的にしか描けてなかった >>585
戦争と平和は長いからね原作が……二時間だと遺産相続、嫁が死ぬ、とか主要ポイント押さえるだけでも辛いし
アンナカレーニナはまだ人が(戦争と平和に比較して)少ないだけましだけど
所謂年末年始にやる二日間ぶっつづけドラマとかでないと厳しい
若草物語はそれらに比べれば短いけど……難しいね マーガレット・オブライエンの出てる若草物語の映画ですけど。
まゆげの長いおっさんが、マーガレット・オブライエンにピアノ上げるエピソードって
5分くらいで終わるから
どう見ても、ロリコンじじいが、少女にピアノやって、自分に抱きつかせて自分も抱き返して、
じじいが内心「うまくいった!」って思ってるようにしか見えないわよね
ていうか、あの四姉妹の両親って清貧を良しとするって言う態度の割には
親戚のおばさんに金もらうし
まゆげのおっさんにピアノもらうし
もらい乞食ですね
そのくせ、ジョーは「パーティであそこの四姉妹は男目当てで来てるのよって言われたら違う」って
怒るんだよな。で、怒ったくせにそこの家の男を四姉妹のうち3人が付き合って結局結婚してて、やっぱ男目当てだっただよ しかし、あのおばさんとかまゆげのおっさんって
四姉妹全員に均等にものをあげたり援助したりするのではなくて
ひとりだけ特別扱いとかするんだよね。(ひとりだけにピアノ上げるとか、ひとrだけヨーロッパに連れてくとか)
あれは、子供の立場から見たらひどいわ
でも、あの映画で一番笑ったのは、一大決心して「ニューヨークに引っ越す」って言って出て行ったジョーが
10分くらいで実家に帰ってきたところね。 ヨーロッパに連れて行くのは一人でも均等に援助するつもりはあったんじゃない
ベスは早逝してしまったしメグはおばさんの意にそわない相手と結婚したから援助したくても
できなくて大量のリネンだかなんだかを送りつけるしかなかったとかあった気がする >>589
ジョーにはなんだかんだでプラムフィールドくれたしね もう少し時代背景とか当時の思想とか理解してから読んだ方が
なんでも面白いと思うよ あの四姉妹と両親は、清貧に生きようとしているはずなのに
金やものをもらってばっかりだな。
ほんとに清貧で良いって思ってたら断ると思うんだけど。
それと、自分たちより貧乏な家にものをあげたりボランティアで手伝いをするけど、
自分たちは自分たちより金持ちな家から金やものを貰うってのは、当時じゃ普通なの? オルコットは奴隷制反対で、政治的な発言や行動もしてたのに
若草物語では、南北戦争でてくるのに、政治的なことはほとんど出てこないね
なんでだろ 社会的地位身分財産を持つ者は持たない者に手を差しのべて当然とされてたから
今の感覚だと他人の面倒みるのは自立してから自分の金でやれ、
他人が援助してくれる金品を流用して援助する側に回るなって感じだけど
生活保護とかない時代に、豊かじゃない人も更に貧しい人に援助をしてゆけば順送りに末端まで生活できる
自分達も豊かじゃないけど、フンメルさんとか明らかに自分達より貧乏だしね 助け合いは大事だな…
しかしだからってクリスマスみたいな
数少ない楽しみをぶっつぶすってどうよ… 敬虔なキリスト教信者にとって、クリスマスは確かにハレの日でもあるけど同時にイエスの犠牲について考える日、自己犠牲の精神を一番発揮すべき日でもあるわけで
そう考えるとあの行動はそんなに変でもない >>596
ローレンス家からのごちそうのプレゼントがなかったら実際かなりみじめな状態だったよね
大人ならまだしも…… ベスが実質的に栄養も十分にとれなく亡くなったことを思うと、ごちそう全てをやってしまうのはね
……やりすぎによさを感じはするし好きなんだけどね 1949年版の映画だけど。
四姉妹が隣のパーティに行ったら、他の女たちが
「あそこの貧乏四姉妹は、どうせ金持ちの男が目当てで来てるのよ」
って言ったら、
ジョーが「違う。わたしたちは、そんなんじゃない」って 怒るんだよな。
でも、怒ったくせに、実際には
四姉妹のうち3人が、そこの金持ちの家の男と付き合った。
四姉妹の残り一人は、その金持ちのパーティで知り合った金持ちじじいから高価なピアノをもらう
四姉妹のうち二人がそこの金持ちの家の男と結婚。
やっぱ男目当て、金目当てだったじゃん! >>600 そのとおりよね。あそこの家はもらい乞食だけど自覚が無いのよ
>>601さんのような人のせいで若草物語の好きな人が全員狭量と思われたらどうしますの、やめていただきたいわ >>581
一行目すっごい納得した
>>601
IDNGで地味にスルーしていくしかない
相手すると居つくよ >>603さんの言うとおり、
>>601のようなバカなヒステリーは地味にスルーしていくしかない
相手すると居つくよ >>603の言うとおり、>>605のようなヒステリーでうたぐりぶかい、負け組のことは相手したyダメよ 荒らされようがない話題を振ればいいじゃない
若草物語はみんなで食卓囲むシーンが楽しそうだけど
家事や料理を楽しむシーンは案外ないよね
ジョーがお料理大失敗するエピソードは面白かったけど 家事はハンナがやっていたからかもね。
あの頃の家事は重労働だったから、レディーがやることではなかったし。
続のエイミーのパーティ準備でもあんまり家でお料理して……という感じじゃない。
お菓子くらいは楽しみにつくってもいいと思うけど。 おもてなしは主婦の仕事のうちだけど
調理は使用人の仕事、って感じだったのかな 年中行事の予定から逆算して準備を始めてお客様をもてなしたり
日々の家事の段取りを練って使用人に采配するのが奥様
サボったり手癖の悪いのが金や食材等をちょろまかしたりしないよう目を光らせて 中流入りに最低一人は使用人が必要だったっていうのは
采配し指示する側の人間じゃなけりゃならなかった、って事だと頷けるね 若草物語の家は、行事のときの御馳走は、よその金持ちから貰い乞食して貰ってるんだよ
でも、その貰い乞食して貰った御馳走を、ほかの自分たちより貧しい家に上げて
善行したぜ!って満足するんだよ
あの時代では普通のことなのかな? しつこい、少しはぐぐれ
>>612
どうも一人でやってたっぽいね
新婚だしそんなもんかなと思ってた >>612>>614結婚したあとはふたりでSEXするに決まってるだろ
結婚したあともひとりでオナってたのか? 夫婦ふたりで別々にオナって競い合ってたのか?
あの時代は、これも普通のことなのですか? なんかスルーしなくちゃいけないのは分かっていても若草物語のスレだと悲しくなる 疲れたら一旦ログをポイして枯死を待つのも手だよ
この板それほど早くログ落ちないし、半年じゃそんなにスレ進まないから ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 >>583
若草もアンもハイジも名劇をありがたがるバカが信じられない
あんなゴミのようなもの
原作ファンには邪魔で迷惑だわ 原作でメグがアレと結婚した事や
ローリーがエイミーに乗り換えた事に比べたら
些細な問題だ。 風と共に去りぬも戦争と平和も若草物語も映画はダメね
風と共に去りぬ は、まだ原作がスカーレットひとりがほとんど主役だから
まだすこしは映画化しやすいけど、
戦争と平和とか若草物語は主役が何人かいるからね
映画2時間では無理、3時間かけても無理
戦争と平和はナターシャがひとりで主役じゃないのに映画はナターシャのオードリーヘップバーンひとり主役みたいな感じになって失敗だったわね >>622
むしろ原作ではピエールやアンドレイのほうが主役っぽいしねぇ ハイジもアンも風と共にもアニメと映画を先に見たから
原作も映像も両方好きだ。
特にアンは原作にけっこう忠実だし絵も素晴らしくきれい。
アンのどのへんがだめ? オルコットスレでアンのダメなとこ語らせるとかマジやめて >>624
アニメのアンは個人的にはあり。
アニメ若草物語は脚本は色々ひどかったけど、キャラクターはよかった。エイミー以外
……エイミーの美点って上品なレディであろうとしているところなのにわがままだけ残してそれをオミットしちゃうとね。
ナンとジョー先生は、後半とくによかったと思う。ジョンブルックのあたりは特によかった。 ナンとジョー先生は見ていた小学校低学年当時、性格の悪いクラス担任が、
腎臓の悪いぽっちゃりした男の子をみんなの前で笑い者にして痩せろとか言ってイジメみたいな雰囲気になっていたので、
スタッフィの話を見て嫌な気持ちになったのを覚えてる。
原作にあるとはいえレディーベスや障害者の存在を消せたんならあの話はやらないでよかったと思う。 アニメのアンはスタッフが当時異例のカナダロケまでして撮った意欲作だからね
キャラクターのビジュアルが作中で成長していくという子供向けアニメでは画期的な作品だし
あれも原作ファンからしたら色々不満はあるだろうがあそこまで熱意を持ってやってくれたから
海外でも評価されてる
フジテレビが変わらず名作劇場に力を入れてたら若草ももっと出来が良かったと思う >>623 戦争と平和は原作はトルストイの地の文での歴史・社会についての評論がある意味、いちばん重要だからな
映画はあの地の文が全部なくなるからね。それだけで価値はダウンだわ >>628
原作へのリスペクトがあるかないかで全然違うからねえ… >>629
だからこそあれだけ長いしね。
若草もアンみたいに、台詞もほとんど同じでよかったのに。
男性声優だけでやる若草物語のドラマCDが意外とよかった。 小さいお友達に合わせてエイミー子供にしようず!って発想が
まず視聴者を馬鹿にしてるんだよなあ
アンだってもっと年上だけど視聴者ちゃんと感情移入してたっつの わざわざ子供にしたのにエイミーうるさいばかりで見た目も性格も全然かわいくないしね…
子供もあんなバカな子供キャラは嫌いだよ
アンはスタッフが美少女にするかしないかで揉めて原作通り不細工な子供が
綺麗になっていく案が採用された
美少女化を推したのは宮崎駿だったらしい 誰かは知らんが阻止してくれたスタッフグッジョブ
さえない孤児がだんだん磨かれて洗練されていくのがいいんだよね
アニメのエイミーはね…もうね… だんだん洗練されていくと言うほどうまくは描かれていなかった
まあスタッフの疲れもあったろうが、理屈ばかりでそれだけの魅力を描き表わす力がないじゃないか
…と宮崎なら言うのではないだろうか マーニースレにも理屈ばかり言って得意満面の奴等がいるが
理屈がそんなにすごいんなら宮崎をしのぐ監督が何人も出ているはずだ
まあ理屈ばかりいっている奴等はこういうことは聞く耳もたないだろうが もう話題に乗り遅れているけど、「戦争と平和」は今は亡き国家ソ連のセルゲイ・ボンダルチュク版が
長いけど最高に近い出来、特にアンドレイ・ヴォルコンスキー役のビャチェスラフ・チーホノフが
素晴らしかった。昔大晦日にぶっ続けで地上波で放送してたな。